【etc】 作:アンディライリーのうさぎ
この世には派閥がある。
例えば朝食にはご飯派か、パン派か。
卵焼きにかけるのはしょうゆ派か、ソース派か、ケチャップ派か。
漫画雑誌でも同じことが言えよう。
ジャンプ、サンデー、マガジン……。
漫画で言えば、影男はサンデー派だった。毎週発売日になると、帰りにコンビニに寄って買う。コンビニの本棚は少々、彼には刺激の強いものも陳列されている。アダルトものは中学生の彼には未知の領域だった。
彼も健全な男子である。興味がないと言えば嘘になる。
「今週号は……!」
いつものように部活帰りに雑誌を買いにきた影男は、表紙を見て固まった。
そうである。週刊の枠でジャンプにはなく、サンデーやマガジンにあるもの。
グラビア枠である。
「………」
影男はチラリと、周囲を確認する。本棚のコーナーにいるのは、ビニ本を立ち読みしている中年ほどの男性のみ。
内心安堵の息をつく。こういった、性を連想させるものを持っているのは、何というか気恥ずかしさがある。
影男はついでにお菓子やジュースを買い、スクールバッグの中に入れて外に出た。
帰宅途中、スマホが鳴った。
出てみると夏油からで、今日は仕事が長引く、という内容だった。影男は「わかりました。気をつけてくださいね」と返し、電話を切った。
時刻は夕方。家に着いた影男はリビングのテーブルにかばんを置き、洗濯物を込みに向かった。エクボもどこかに出かけているようで、部屋の中はしんとしている。
それから畳んだり、風呂を入れたり。夕食は影男一人の分だ。こういった夏油の仕事が遅くなる日は、影男が小学生だった当時はともかく、別々で食べることにしている。
夕食はレトルトのカレーにした。テレビをつけながら、甘口のカレーを口に運ぶ。影男の意識はテレビに集中し出し、気づけば9時ごろになっていた。
『今帰ったぜ〜』
「あっ、おかえりエクボ」
ベランダの窓から入り込んだエクボは、「ふぃ〜」とおっさんくさい声を出しながら、ソファーに座る。いや、座るというか、乗る。
『ちと食い過ぎちまったぜ』
「食い……そういえば、お皿を片づけるの忘れてた」
テーブルには食べ終わったままの皿が置かれていた。
影男は皿とコップを持ち、流しに向かう。
洗っていると、途中でテレビの音が変わった。エクボがチャンネルを変えたのだ。
「ちょっと」と文句を言う影男に、エクボはかばんを指差した。
『このかばんの傾き加減と、紐の落ち具合。いかにも、帰ってきたらそのままテーブルに置いたって感じだ。お前、宿題に手をつけてねぇだろ』
「………そうだった!!」
『へっ、オレ様に感謝するんだな』
「エクボにお礼を言うのは……なんか癪だな」
『シゲオってよぉ、やたらとオレ様にだけドライじゃねぇか?』
「エクボというか、呪霊にはね」
わりと問答無用で呪霊を消す影男のことを考えれば、エクボへの対応は甘い方である。
「エクボは特殊な呪霊かもしれないけど、
どこまでも呪霊に対しては非情になれる。
この精神性は呪霊だけでなく、呪詛師など──影男の『敵』になった者にも向けられる。
エクボは寒気を覚え、思わず腕をさすった。
宿題をかばんから取り出した影男は、おかしや生ぬるくなっていたジュース、漫画雑誌をテーブルに置き、自室に向かった。その後ろ姿を尻をかくエクボが見送る。
幸い、学校から出されている宿題はプリント1枚と、数学の授業に出された復習問題1ページ。
プリントの方は20分もかからず終わった。問題は数学の方である。影男はそもそも、勉強が得意ではない。問題とにらめっこを始めて数十分。次第に眠気によりまぶたが重くなり、船を漕ぎ出す。
「どうしよう…」
影男の脳にチラリと真依の脳がよぎった。わからないと言えば、彼女だったらきっと教えてくれるだろう。時間的にも向こうはまだ起きているはずだ。
しかし、テレビにかまけて宿題を忘れていたのは自分の責。
影男は頬を叩き、気合を入れ直す。
時計の秒針が刻々と過ぎていった。
「…おや?」
深夜2時ごろ。玄関の明かりが点く。
仕事が少々手間取り、丑三つ時の時間帯に自宅へ帰ることになった夏油。普段は事務所に寄り、着替えてから帰宅するが、今日は寄る時間もなく袈裟姿での帰宅となった。高専のような場所ならともなく、マンションに袈裟姿の男が出入りするのは目立つ。その点、今は深夜。人の出入りは滅多になく、腰を抜かすとしても警備員だけである。
「影男くんはまだ起きてるのか…?」
廊下を進んだ左側。そこの扉から明かりが漏れている。
────返事はなし。
(寝落ちしてるのか?)
夏油はもう一度だけノックをし、反応がないことを確認してから扉をそろりと開けた。
影男は勉強机に突っ伏すようにして眠っていた。机には数学の教科書とノートが開かれており、ノートの方はよだれで一部の文字が滲んでしまっている。
苦笑した夏油は、呪霊を出し影男をベッドに運んだ。
「7時!!!」
自然と目を覚ました影男は、スマホに表示された時間を見て飛び起きる。
ベッドの上で5分ほど佇んでいた彼は、机の上を見て事態を把握した。
「宿題が終わってない…!!」
バタバタしていると、その音に気づいたエプロン姿の夏油が影男の部屋にやってきた。夏油の手にはフライパン返しが握られている。
「おはよう、影男くん」
「おはようございます…!」
「学校に行く前に、シャワーだけでも浴びていった方がいいよ」
「………お風呂も忘れてた!!」
ドタバタとした足音が風呂場に向かう。洗濯機に脱いだ服が投げ込まれ、適量をいささか過ぎた洗剤が投入される。
そして風呂を出た少年は下着を持ってきていなかったことに気づき──と、慌ただしい朝が過ぎていった。
学校が終わり、部活の時間。
汗を神々しく光らせる男たちは、学校の外周をひた走っていた。その後ろでは、メガホンを持った美少女が罵りながら自転車を漕ぐ。肉体改造部の日常的な光景だった。
(ちなみに、肉体改造部には個々に合わせて筋肉を休ませる日が設けられている)
それが終わると休憩時間。
真依はいつも以上にぐったりしている影男にスポーツドリンクを差し出す。
「影男くん、今日は元気ないわね? 何かあった?」
「いや……まぁ、いろいろ」
「なに、彼女の私には言えないようなことなの?」
「そうじゃないけど…」
「なら、話してもいいじゃない。モブくんは自分の感情を抱え込んじゃうタイプだし、人に話すのも大事よ」
「……じゃあ」
影男は数学の宿題を終わらせられなかったことを話した。
数学の教師に怒られたわけではないが、周囲がノートを教卓に持っていく中で、椅子に座ったままだった自分に複雑な感情を抱いた。
「その時間帯だったら私も起きてたから、電話してくれればよかったのに」
「でも、宿題を忘れてた僕の責任だから…」
「影男くんは何ていうか…ズルができないわよね。まぁ、そんな影男くんも私は好きだけど」
ふふ、と笑った真依は影男の腕に自分の腕を絡め、肩に自分の頭を乗せる。影男の方が真依より10センチは身長が低いため、首が痛くなる。
「ま、まっ、真依ちゃん…!?」
「影男くんが頼ってくれなかったの、私……少し寂しいわ」
「こ、ここっ、人目も多いし……!!」
「あら、いいじゃない。見せつけてあげましょ? 私と影男くんのイチャつく姿」
顔を真っ赤にさせる影男と、小悪魔風に笑う真依。
そんな二人の様子を見ていた一部の男子は、ハンカチを噛みしめながら血涙を流した。
家に帰った影男は、早速宿題に取りかかった。
今日は定刻どおり夏油も帰宅し、あれよあれよという間に8時になった。
夕食を食べ終えた影男は、風呂に入る前に読みはぐれた漫画雑誌を読むべく、自室に向かう。たしか朝見た時、雑誌は机の上に置かれていた。
表紙がグラビアなため、リビングで家計簿をつけていた夏油の前で読むのは憚られた。
『シゲオ、読み終わったらオレにも貸せよ』
「うん、いいよ」
ちなみにエクボは呪霊なので、人に見られたら云々はノーカンである。
そしてエクボも「シゲオも思春期かぁ?」と茶かそうものなら、己の命が儚くなることを察しているので、何も言わない。
「──読み終わったからいいよ」
『サンキューな』
影男はエクボを部屋に残し、下着を持って風呂に向かった。
「………ん?」
湯に浸かっていた彼は、天井を見つめながら何か引っかかりを覚えた。
そういえば昨日、勉強を始めようとした時、テーブルの上に雑誌はなかった気がする。おかしも同じ場所にあった。ジュースは……そうだ。麦茶を飲もうと開けた冷蔵庫の中に入れられていた。
朝は慌てていたので違和感を抱かなかったが、よくよく考えてみればおかしい。
雑誌は夜の時点では自分の部屋にはなく、朝の時点ではあった。ならば自分が寝ている間に、出現した?
(宿題を取り出す前までは、かばんに入れっぱなしだったはずで……それで?)
かばんは朝、自室の定位置にきちんと置かれていた。宿題を取った後に、かばんをどうしたかは正直覚えていない。
(エクボが移動させた? ……いや、もし移動させるなら、その時点で勝手に読んでそうだよな…。でも、エクボは僕に「貸して」って言ったし………つまり?)
エクボは雑誌に触れていない可能性が高い。
であるなら、移動させたのは夏油だろう。よりにもよって、今週号がグラビアが雑誌になっているものを、義親に……。
「………ブクブクブク」
この羞恥もまた、思春期の成長なのかもしれない。
風呂から出た影男は、タオルで髪を雑に拭いながら冷蔵庫に向かった。
昨日買った冷えたジュースを取り出し、さらにそれを氷の入ったコップに注いでさらにキンキンに冷やす。
やけ酒ならぬ、やけジュースだった。
一方で、前髪が謀反を起こしている影男の顔を見た夏油は、フレーメン反応を起こす。長年暮らしていても、養い子がいきなり忌々しい男の面影を見せてくるのは慣れない。あの前髪は本当に、どういう仕組みで顔を変えているのか。影男の変幻自在な呪力が、前髪に影響しているわけでもない。五条が確認済みである。
「なんだか、気が立っているみたいだね」
「………」
影男は一瞬夏油を見た後、視線をそらした。
夏油の中で「おっとコイツは…?」と、とある考えがよぎる。
子どもならば誰もが通る道。すなわち、SHISYUNKI────。
そうか、ついに影男くんも……と、夏油の中で感慨深さと同時に、虚しさのようなものが生まれた。
「……こ、今週号がたまたま、あの表紙だっただけです…!」
「………うん?」
「漫画を読みたいから買ったんです! その……女性の水着を見たいから買ったわけじゃなく…」
「うん…うん、なるほど」
どうやら、夏油の勘違いだったらしい。思春期ごころではあるようだが、「うっせェんだよクソ前髪!」と叫ぶタイプの思春期ではないらしい。
いや、そのような暴言を受けたら、いくら養い子相手とはいえ、並々ならぬ心頭滅却が必要となる。
夏油はここは話題を変え、影男の意識をすり替えるのが手っ取り早いと判断した。
「そういえな、影男くんはサンデー派なんだね」
「? そうですけど……」
「私はマガジン派だったんだ。それで、悟がジャンプ派」
この「漫画雑誌は何派か?」を巡り、高専時代の二人は殴り合いにまで発展したことがあるらしい。
雑誌のグラビアを指さして、「マセてんねぇ、傑クンは」と言った五条と、ニコリとした笑みを浮かべた夏油。
今思い返すとくだらないことで喧嘩したな──と、夏油自身が思う。
ただ、あのくだらなさも、紛うことなき彼らの青春の1ページだった。
「うーん……マガジンとジャンプも買ってみようかな。夏油さんや五条さんが読んでたなら」
「……影男くんみたいな柔軟さが、あの頃の私たちには必要だったのかな」
結局、ケンカをした夏油たちは物を壊し、夜蛾に叱られることになった。
互いのライクを布教しないまま、そのうち漫画自体、夏油は読まなくなった。「漫画を楽しめる精神状態ではなくなった」とも言うが。
おそらく今でも、五条はジャンプ派なのだろう。
最強の男に布教して沼らせるのも、一興かもしれない。
まぁ、その前にまず。
「私も読んでみようかな、サンデー」
「面白いですよ! 僕のおすすめは──」
この世には派閥がある。
そんな中で、もし違う派閥同士で手を取り合うことができたら、人生に新しい色が生まれるかもしれない。
「あれ? 五条、お前マガジン派だったっけ?」
「マガジン