BloodBorne Another story 〜闇を追い求めた者〜   作:カッサバ

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残酷

火は消えていた。

あたりに残るのは、焦げた肉の臭いと、

それを洗い流すにはあまりにぬるい、澱んだ空気だけ。

 

私は立ち尽くしていた。

震えているのか、怒っているのか、自分でもわからなかった。

ただ胃の奥がひっくり返るような気分で、唇が強張っていた。

 

「……正気じゃない」

 

それがこの光景に対する最も素直な感想だった。

だが、誰もそれを口にしようとはしなかった。

あるいは、できなかったのかもしれない。

 

ふと、肩にかけていた鞄の重みが気になった。

 

私は無意識に手を差し入れる。

書簡、古びた羊皮紙、筆記具、そして──冷たいガラス。

 

あれだ。

 

布に包まれた小瓶の感触。

いつもの、よく知っているはずの“無”の重さ。

 

だが、今日は違った。

 

ガラスの中身が、かすかに脈動しているような感覚が、

指先を通じて伝わってきた。

 

思わず布をほどき、瓶を取り出して鞄の陰で覗き込む。

 

淡い青白さを放つ液体の中で、胎なる精霊が、くねるように身をよじっていた。

 

まるで――喜んでいるかのように。

 

いや、違う。

共鳴している。

この場の空気に、あるいは、私自身の“心のひび割れ”に。

 

目はない。

だが確かに、あれは私を見ている。

内側から、精神の奥を凝視している感覚。

 

「……なにか……言いたいのか?」

 

声にならない問いかけ。

返答などあるわけもない。

 

それでも、意識の裏側で、

どこからともなく響いた気がした。

 

“違うだろう、学び舎の子よ”

 

その言葉に、私は心の臓を掴まれたように震えた。

すぐに瓶を布で包み直し、鞄に押し戻す。

 

見なかったことにしたかった。

聞かなかったことにしたかった。

 

でも、もう知ってしまった。

 

あれは、目を覚まし始めている。

 

そして私は、それに呼ばれている。

 

煙は薄くなり、灰が空中に漂っている。

私はまだ身を伏せたまま、焼却の場から距離を取っていた。

地面が、なぜか重く感じる。

……それは、上からの“視線”があったからだ。

 

誰かではない。

明確な意志を持った“何か”が、こちらを見下ろしている。

恐る恐る、私は首だけを動かし、そちらを仰いだ。

 

それは、建物の壁に張り付くようにして存在していた。

最初は影に見えた。だが、光の加減で、その“輪郭”が浮かび上がる。

建物よりも大きな胴体に、異様に長い腕がいくつも伸びている。

どれが手で、どれが脚か分からない。骨のような関節が奇妙に折れ曲がっている。

 

そして──頭部。

細長く、一つの核とそれを囲うような網目のような形状の頭が、静かにこちらを向いていた。

そこには眼球があった。ひとつではない。

無数の“眼”が、頭部全体に埋め込まれている。

それらが、ぐるぐると、蠢いている。まるで感情を持つように。

 

“それ”は音を立てず、ただ静かに存在していた。

だが、私の存在を完全に把握しているのが分かる。

理性が警鐘を鳴らす。

“視てはいけないものを視ている”と。

 

そして──

鞄の中、瓶の底でぬめりが走る。

胎なる精霊が反応したのだ。

声が、私の頭の中に直接流れ込んできた。

 

「君が震えたのは、彼らが燃えたからじゃない」

「君が、まだ“人間でいる”からだ──それだけさ」

 

言葉ではない。

それは概念のように、私の中に染みこんできた。

振り払えない、いや、振り払いたいとも思わない何か。

 

「視ろ。君にも“彼ら”が見えるようになった」

「……これが、“上”だ」

 

名はわからない。

だが、“それ”は人の理を遥かに超えていた。

 

私は震えていた。

瓶の中で蠢く精霊が、まるで愉悦に満ちたように、ぬるりと笑った気がした。

 

光が反転する。

夜が裏返り、黒に満ちた水が空を覆う。

そこで“私”は蠢いていた。かつて、獣にも満たぬほど無力だった、

ぬるりとした何か。

 

──食われるはずだった。

星々の間で狩られる側でしかなかった“私”が、

あの時、召喚の光に引きずり込まれた。

 

裂け目が開いた。

音もなく、知識が流れ込んできた。

他者の、異界の、星の記録。古き声の残響。

 

“私”は変わった。

理解という形を取り戻し、定義という牢から抜け出した。

力を得たわけではない。

ただ──忘れられた“形”を思い出したのだ。

 

「私を視ろ。

私は、名前も、意味も、価値も持たなかった“かつての命”」

「けれど今は、語る。導く。

道を示すほどの、“歪み”を得た」

 

そして、“目”がこちらを見た。

数多の眼球が、重なり、融合し、

星のように瞬いていた。

 

それは“私”のものではない。

けれど、その視線が確かに“私”を選んだのだと、

──私は感じた。

 

ふいに、息を呑んで目を覚ます。

瓶は、静かに鞄の中にあった。

だが、ぬるりとした感触はまだ手の中に残っているようだった。

 

怖くなった私は走って円形墓地の方はと向かった。そしてその階段を下りていく。濡れた石畳を踏みしめるたびに胸が嫌な感じに高鳴る。

奥に佇むあの扉。知っている。見たことがあるはずだ。

だがそれが、いつ、どこでだったかが──思い出せない。

 

目の前に立つ。

その扉は、古く重厚で、中央に奇妙な仕掛けが取り付けられていた。

鍵穴の代わりに、まるで“耳”のような彫刻。

 

静かな風。

鳥も鳴かぬ墓地の奥で、私はようやく、深く息を吸った。

 

そのときだった。

 

「……あいことばだ」

 

くぐもった、低く老いた声。

扉の向こうから響いたそれは、まるで脳の芯を直接叩くようだった。

反射的に身を強ばらせ、喉が音を立てた。

一気に体温が下がり、背筋にぬるりと冷や汗が流れた。

 

「あ……」

 

言葉が、出ない。

出るはずのものが、喉元で引っかかって、固まっている。

おかしい。私は、ビルゲンワースの学徒だったはずだ。

ならば、この道は“通れた”はずだ。

 

「……どうした。合言葉を、述べよ」

 

番人の声が、静かに追い打ちをかけてくる。

 

私は口を開いた。だが何も出ない。

思考が渦を巻く。記憶が逆流する。

 

──講義を受けたはずの講堂、

──聞いたはずの学長の声、

──開いたはずの書物。

 

……全部、断片だけだ。肝心なものが、ない。

 

そして初めて、自分の中に**“空白”**があることを認めざるを得なかった。

 

本当に、私は──

ビルゲンワースにいたのか?

 

「……見せてやろう」

 

それは思念のように、血の中から浮かび上がる。

瓶の中にあったはずの“それ”が、ぬるりと意識に染み込んできた。

 

視界が反転する。

扉も、墓地も、音もない世界に沈んでいく。

かわりに浮かんだのは、白い天井と、薬品の匂い──見覚えのある診療所の一室だった。

 

だけど、家具の配置が違う。

医療器具が乱雑に並び、鉄の檻のような寝台がある。

……あそこは、ヨセフカの診療所ではない。

いや、まだ“ヨセフカの診療所”と呼ばれる前の姿だ。

 

その部屋に、子供だった私がいた。

 

目を閉じ、管に繋がれて、何かを投与されている。

学帽を被せられ、古びた本を開かされる。

「お前はビルゲンワースの生徒なのだ」と、誰かが言う。

その声は、優しくも、どこか冷たい。

 

名前は思い出せない。

だが確かに私を“そう育てた”男だった。

学徒という“夢”を植え付けた男。

 

やがて、男は死んだ。

実験の資料、被験体、装置ごと──すべては、後継者の手に渡った。

 

白衣の女。

冷たい目をした──ヨセフカ。

 

彼女は私を見下ろして、ひとつだけ呟いた。

 

「……あなたも、受け継がなくてはならないのね」

 

その声に、わずかな哀しみと、決意が滲んでいた。

 

それでも、彼女は実験をやめなかった。

 

「忘れなさい、あなたはビルゲンワースの学徒。

それが、あなたの“真実”」

 

記憶が、弾けた。

 

私は扉の前で崩れ落ちた。

全身が痺れ、呼吸が乱れる。

膝を抱え込んで、何も言えなかった。

 

──私は、誰なんだ?

──私は、いつから……“人間”だった?

 

瓶の中の精霊は、静かに沈黙していた。

まるで、「ようやく目覚めたか」とでも言うように。

 

膝を抱えたまま、私はしばらく動けなかった。

歯が鳴っていた。心臓が痛いほどに跳ねていた。

この身体が、何者として作られたのかさえ、もう分からなかった。

 

……私は、ビルゲンワースの学徒ではなかった。

記憶は造られた。

言葉も、知識も、憧れも、誰かに仕込まれた夢にすぎなかった。

 

その夢を、私は何年信じていたのか。

 

風が吹く。

石畳の上、合言葉の扉は沈黙している。

その向こうには、かつて“帰る場所”だと信じていた森と、学院と、学びがある。

 

だが、そこにはもう──何もない。

 

……なら、問いたださねばならない。

 

声はかすれていた。けれど、それは確かに私のものだった。

 

ヨセフカ。

あの女は、私に嘘を教えた。

けれど、それは一体誰の意思で?

彼女自身の意思か。教会の命か。あるいは、もっと別の存在の意志か。

 

私は立ち上がる。

足は重く、膝は震えていた。

それでも、瓶の中の精霊は静かだった。

──私の意志を見守るように。

 

もう一度だけ、私は振り返った。

合言葉の扉。その先にあるはずだった“答え”。

 

そして私は、踵を返した。

 

──行こう。

ヨセフカの診療所へ。

あの場所こそが、私の真実の始まりだったのだから。

 

 

ー ー ー

 

 

私は気配を殺したまま、ゆっくりと石壁の陰に身を滑らせた。

処刑の広場から、まだ血と煙の臭いが漂ってくる。

狩人たちは散開し、瓦礫の山や死体の山を前に何やら報告を交わしている。

そして、その中央にはあの──“狩長”がいた。

 

白銀の聖剣を地に突き立て、鉄兜越しに市街を睨んでいる。

あの男は、獣を見抜くという。

だが、何をもって獣と断ずるのかは曖昧だった。

私のような存在を、彼らがどう判断するかなど、分かるはずもない。

 

私は、墓と柱の影をたどる。

まるで鼠のように這いながら、地形の記憶を呼び起こす。

石段を駆け下り、くぐり戸を抜ける。

教会の使いが一人、死体の傍にひざまずき、何かを静かに拭っていた。

仮面のような顔がこちらを向く。

……だが、何も言わない。

その視線には、“生きている”かどうかすら分からない無機質さがあった。

 

心臓の鼓動が耳に響く。

何も聞かれるな。気づかれるな。

背を向け、私は再び身を沈める。

 

聖堂街の通りは、どこかひっそりと静まり返っていた。

もはや外から逃げ込んでくる市民もない。

あるのは、後始末と沈黙。

そして、沈黙の中に紛れる私の足音だけだった。

 

……足音が、背後から近づいていた。

 

ただの風のせいだと思い込もうとした。

それでも、影が揺れた瞬間、私は歩みを止めていた。

 

「──そこの君、動かないでくれ」

 

冷たい声だった。

高圧的ではない。だが、命令の響きを帯びていた。

振り返れば、二人の狩人が石畳の上に立っていた。

 

前にいるのは女だ。背は高く、黒革のマスクが顔の半分を覆っている。

傷ついた外套。腰には変形機構を備えた細身の剣──

……見覚えはない。けれど、その眼差しから目を逸らせなかった。

 

その隣にいる少年は、私とそう年齢も違わないだろう。

だがこちらには臆面もなく、獣を睨むような目を向けていた。

彼の手には銃剣。固く握られ、今にも突き出されそうだった。

 

「エロイーズ、この男……なんだか目つきが危ういですよ」

「落ち着け、テオ。判断を誤るな」

 

女がそう言った。エロイーズ。

テオ。彼らは私の名を知らない。

当然だ。私もまた、彼らを知らない。

 

「名を、答えてほしい。君は……何者だ?」

 

その問いに、喉が詰まった。

 

何者か?

私は──

私は、誰だ?

 

記憶の中では、ビルゲンワースの学徒だった。

だがそれが偽りであることを、私はすでに知っている。

それを教えてくれたのは、瓶の中の……あの精霊だ。

 

なのに、名乗る言葉が出てこなかった。

 

「……アラリック。私は……」

 

言葉が、霧のように薄れていく。

 

「……ただの学徒だ。狩人ではない。争うつもりも、ない」

 

エロイーズの目が僅かに細められる。

その後ろでテオは依然として警戒を緩めない。

 

私は両手を上げ、武器も意志もないことを示す。

だが、心は落ち着いてはいなかった。

 

この街では、真っ直ぐな名乗りほど危険なものはない。

 

彼女はすぐには口を開かなかった。

じっと、私を見ていた。

 

その視線は刺すように鋭いのに、妙に冷めている。

恐れや怒りではない。あれは──選別の目だ。

何かを、計っている。

 

やがて、エロイーズはわずかに片手を上げ、隣の少年を制した。

 

「……手を下ろしなさい、テオ」

 

「ですが先輩、こいつ……様子がおかしいですよ。顔色も、目も──」

 

「おかしくない者が、この街に何人いると思ってる?」

 

その一言に、青年は黙った。

だが、銃剣の先端は地面のほんの少し上で止まったままだ。

 

エロイーズはゆっくりと私に一歩、歩み寄る。

その脚取りには迷いがない。私が刃を抜く素振りを見せれば、即座に応じる気なのだろう。

それでも彼女は、言葉で私を探ることを選んだ。

 

「アラリック、だったか。学徒と名乗ったな。……どこの所属だ?」

 

沈黙。

答えが喉で止まる。

偽るべきか。本当のことを語るべきか。

だが“本当のこと”など、もう何一つ残っていないのに。

 

エロイーズは、私の迷いを見透かしたように、ほんのわずかに眉をひそめた。

 

「……信じるとは言っていない。ただ、君がすぐに刃を振るうような者には見えなかった。それだけよ」

 

その声は低かった。けれど、わずかに……あまりにもわずかに、柔らかさがあった。

 

「だが、テオの言葉にも一理ある。君の瞳には、炎の痕がある。理性が──少し、溶けかかっている」

 

私は息を飲む。

 

「ヤーナムで理性を保ち続けるのは、難しい。でも、保とうとしている限りは、まだ人だ」

 

彼女は言い切った。

 

「……今は、見逃す。だが、何かあれば──それが君自身のためでもあると、理解しておいて」

 

それだけ言って、彼女は視線を私から外した。

テオはまだ腑に落ちない様子でこちらを見ていたが、結局、命令には逆らわなかった。

 

私はその場に、ただ立ち尽くしていた。

見逃されたのか、裁かれたのか、分からないままに。

 

エロイーズはそれ以上何も言わず、背を向けた。

テオの視線だけが、最後まで私を突き刺していたが……やがて彼も後に続いた。

 

助かった。

その言葉が口をつく前に、私は背を向け、足音を殺して石壁の影に身を滑らせた。

無理に走らず、音を立てず、だが確実に離れる。

 

一歩、また一歩。

瓦礫の間をすり抜け、通りの向こうに差しかかろうとした、その時だった。

 

ガラ──ン

 

耳の奥で、重く鈍い音が響いた。

 

鎖の音。

……どこかで、聞いたことがある。

 

私は反射的に振り返った。

音の出どころを視線で追う。

教会の大男。

 

白い肌。

異様に長い四肢。

血の通っていないような顔。

片手には、まるで神殿の柱を折って作ったかのような斧。

そして肩からは鎖が垂れ下がり、今も地面を引きずっている。

 

そのうちの一体が、震えていた。

いや──震えているのではない。

痙攣していたのだ。

 

ドン

 

片足が、石畳に打ちつけられる。

巨体がわずかに前に揺れる。

 

エロイーズが気づいた。

そしてすぐに、何かを察したのだろう。

彼女が再び振り返り、テオに向かって怒鳴る。

 

「テオ、構えろ──!」

 

だが、もう遅かった。

 

教会の大男は、まるで何かに突き動かされたように咆哮し、

その腕を大きく振りかぶると、隣にいた教会の使いを吹き飛ばした。

 

血の霧が弧を描く。

音もなく吹き飛ぶ肉体。

そして、巨体が狂ったように足を踏み鳴らし、

エロイーズたちのほうへと──否、この街の“人間”のほうへと向かって突進してきた。

 

ドン、ドン、ドン!!

 

足音がまるで鐘のように響く。

その音が、私の背骨を凍らせた。

 

瓶の中で、胎なる精霊が蠢いた。

それは警告か。共鳴か。

あるいは──期待か。

 

私は思考を止め、咄嗟に身を翻す。

どこへ逃げるかではない。

どこまで逃げ延びられるか。

 

──ここが、“安全”だった街だったとは、もはや思えなかった。

 

私は息をひそめたまま、石の陰から戦場を見つめていた。

足は動かない。逃げるべきなのに、視線だけが釘付けだった。

 

エロイーズは素早く仕込み剣を変形させ、青年の前に立った。

青年は震える手で銃剣を構える。

ノコギリ状の刃が赤く光り、その銃口からはまだ火薬の匂いが漂っていた。

 

だが、あれを防げるはずがない。

教会の大男。

 

その巨体が、再び唸り声をあげた。

仮面のような白い顔、血の気のない肌、異様に長い四肢。

片手には、人間の胴ほどもある巨大な斧。

足元を引きずる鎖が、がらがらと地を這い、辺りの空気をさらに重くした。

 

そして──動いた。

 

ドォンッ!!

 

大男の脚が石畳を砕き、一直線に突進する。

まるで石像が命を得て、怒りのままに暴れているようだった。

 

テオが咄嗟に前に出た。

銃剣を構え、横から大男の腕を打ち払おうとした──その瞬間。

 

ズガァァン!!

 

音が砕けた。

 

大男の斧は銃剣ごと青年を薙ぎ払い、

彼は地面を数メートル滑って転がった。

鈍い音が続き、石畳に血がにじむ。

 

「テオッ!!」

 

エロイーズが叫び、振り返る。

その一瞬、大男の影が彼女に覆いかぶさった。

 

彼女は剣を横に払う。

刃が奴の腹を裂く。だが、それでも止まらない。

肉が裂け、血が飛ぶ。

けれど、教会の大男の顔に苦痛の色はなかった。

それどころか、呻きながら、喜悦に震えているようにも見えた。

 

私は震えていた。

 

胎なる精霊が、瓶の中で蠢いた。

その動きが、なぜか私の鼓動と重なった気がした。

 

私は……気づいていた。

これ以上、ただ見ているだけでは済まされないと。

 

彼の体は、地面に倒れたままだった。

足元に血が広がっていくのが見える。

動かない。

叫びも、呻き声すらも聞こえない。

 

まだ、生きているのか──?

 

一歩。

私の足が勝手に踏み出していた。

次の一歩には、もはや迷いはなかった。

 

私は走り出していた。

 

瓦礫を避け、石畳を蹴って、戦場へ。

それは私にとって、恐怖を踏み越える第一歩だった。

 

エロイーズの姿が視界に飛び込む。

その細身の体が、剣閃と共に舞っていた。

大男の腕が唸りをあげて振り下ろされるも、彼女はすんでのところで身を捻ってかわす。

だが、疲労は明らかだった。

彼女の肩はわずかに落ち、剣の軌道にもかつての鋭さが欠けている。

 

テオの元に辿り着いた私は、彼の腕を取り、無理やり体を引きずった。

彼の体は思ったより軽かった。

それが、ただ痩せているだけなのか──それとも、血を失いすぎたせいなのかは分からない。

 

そのとき。

 

「……ありがとう」

 

振り返ると、エロイーズが私を見ていた。

その声はかすかで、荒い息にまぎれていたが、たしかに感謝だった。

 

彼女は再び前を向き、大男の突進に立ちはだかる。

疲弊した体で、それでも一歩も引かずに。

 

私はテオを建物の陰まで引きずり、しゃがみ込んだ。

彼は微かに唇を動かしたが、言葉にはならなかった。

それでも、目だけは、しっかりとこちらを見ていた。

 

「もう大丈夫だ……お前は、死なせない」

 

自分でも驚くほど静かな声だった。

その時、鞄の中で瓶がコトリと音を立てた。

 

見れば、胎なる精霊が、微かに蠢いている。

 

まるで、私の決意に呼応しているかのように。

しかし、今はそれを気にしている場合ではない。

私の役割は明白だった。

今ここで、彼を助けなければならない。




今回はアラリックに心境の変化!?
いや、とてつもない変化が起きましたね…。
良かったらコメント残してください!どんなコメントでも歓迎です!
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