BloodBorne Another story 〜闇を追い求めた者〜   作:カッサバ

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真実の学舎

そこは、静寂に支配された場所だった。

 

風がないのに、木々はかすかに揺れ、

空は不思議な色をしていた──

灰と青の間を漂うような、どこか夢に似た空気。

 

眼前には、広く開けたテラスがあった。

 

古びた石畳が、月光のように鈍く光り、

左右には折れた柵と朽ちた書見台、

そしてその先に──

かつての学徒たちが議論し、観測し、知に溺れた空間の名残が広がっていた。

 

私はゆっくりと歩き出す。

 

靴音が響く。

 

何も聞こえない。

それが、かえって不気味だった。

 

だが、私は確信していた。

 

ここは、確かに“自分の場所”だった。

 

──そう感じた。

 

「……ただいま」

 

そんな言葉が、自然と口から漏れた。

 

そして私は気づいた。

 

どこかから、微かにざらついた足音が聞こえる。

それは人ではない。

這うような、濡れた音。

 

私は身構えた。

 

テラスの奥、霧のように揺れる空間から──

“何か”が、こちらを見ていた気がした。

 

視界に広がるのは、森だった。

 

テラスの先、かつて教室棟があったはずの敷地は、

いまや静かな木立に覆われ、

自然に還ったように見えた。

 

だが──私は覚えている。

 

この場所には確かにあった。

煉瓦造りの校舎。

小さな階段教室。

窓辺に吊るされた古い天球儀と、

決して止まることのなかった議論の声。

 

「……消えてしまったのか」

 

それとも──

初めから、存在していなかったのか?

 

私は自分の記憶を疑う。

 

ここで誰と話した?

何を学んだ?

どうして、それを確かに“体験した”と思っているのか?

 

だが、そんな疑念も

眼前にそびえる建物が吹き飛ばしてくれる。

 

──月見台。

 

それはまだ、建っていた。

 

重々しい扉。

高い石壁。

そして、その中心に立つ──学長ウィレームの塔。

 

「……ここだけは、壊させなかったんだな」

 

思わず呟いた。

 

森に呑まれながら、

それでもなお残されているその屋敷は、

まるでこの世界の“理”を抱えて、踏みとどまっている”ようだった。

 

ここには、答えがある。

 

……もしくは、さらなる問いが。

 

私は、再び歩き出した。

 

重い扉を抜け、私は広間の陰に足を踏み入れた。

 

そこは、かつて学徒たちが集い、議論を重ねた“庭”のような場所だったのだろう。

だが、いまはもう──異形の領域と化していた。

 

最初の気配は、空気のざらつきだった。

 

ついで、羽音のような低い震え。

 

そして──それは姿を現した。

 

瞳の苗床。

 

それは這い出てきたのではない。

“咲いた”のだ。

 

影の中から、まるで開花するようにその形を顕した異形。

 

球状の頭部には、無数の瞳があった。

 

一つひとつが濡れたように艶めき、常に違う方向を向いている。

それが、同時に私を見た。

 

薄く透き通る翅が頭から生えており、

かすかに蛍光色の緑と青が滲んでいた。

 

胴体は蜘蛛のようで、

腕と手足は頭に比べて細長く、皮膚は半透明のゼリーに包まれたような質感。

手の先には、何かを掴むための鋭い鉤爪。

 

それが、こちらへ──這い寄ってきた。

 

私は思わず一歩後ずさった。

 

「……敵性と……判断されたか……」

 

その動きは遅くもなく、早くもなく。

だが、確実に“殺す”ための軌道だった。

 

私は鞄に手を伸ばす。

 

だが、その瞬間。

 

背が、脈打った。

 

胎なる精霊が──反応した。

 

気配が変わる。

 

空気の密度が、一瞬だけ重くなる。

微細な、見えない重力のようなものが、空間を歪める。

 

──そして。

 

瞳の苗床が、止まった。

 

無数の瞳が、ふるえるように震える。

 

そして、ゆっくりと──

その全身を地に伏せ、翅をたたみ、頭を下げた。

 

まるで、傅くように。

 

私は一歩、踏み出した。

苗床は、それに反応するように、ゆっくりと後ずさった。

 

敵意は、ない。

 

「……精霊の力か。

いや、“上位者”の威圧……」

 

私は、確信した。

 

この存在は、私を見てなどいない。

見ていたのは、私の鞄にいる“コレ”だ。

 

胎なる精霊は、音もなく震えていた。

 

その鼓動だけが、

ここが、かつての学び舎ではないことを物語っていた。

 

私は一歩、ゆっくりとその瞳の苗床としか形容できない生物に近づいた。

 

それは、微動だにせず、

胎なる精霊の威に打たれたまま、じっとその場所に伏せている。

 

私は、しゃがみ込んで目を細めた。

 

「……観察できる機会など、もう二度とないかもしれない」

 

かつて、教室棟で見た標本。

解剖台の上の腐蝕防止液に浮かぶ異形の断面。

それらを思い出しながら──

目の前の“生きた謎”を視る。

 

球状の頭部。

柔軟な表皮の下に、脈打つ何かがある。

内圧によって、眼球の配置は変動するようだ。

 

「……これは、“視界の多重化”か?

いや、“世界の層を同時に見るための器官”──?」

 

私は、ふるえるほどの興奮を感じていた。

 

頭部の翅は蝶のように見えて、

実際は“浮遊力のない疑似器官”だ。

ただの装飾か、それとも古代的退化の名残か。

 

関節部。

細長い手脚は、細かく震えながらも着地点を選ぶように地を掴む。

 

「この動き……人の所作を模倣している?」

 

私は、そっと左手を動かした。

 

苗床の一つの瞳が、それに反応してかすかに動く。

 

「見ている……が、見られている感覚がない。

──私を観ているわけではないのか」

 

思考が次々と流れてくる。

否、これは──

 

「知識を、見ている……」

 

私は自分の中で、何かが繋がる音を聞いた。

 

この存在は、

学んでいる。記憶している。上位者の“視線”を模倣している。

 

彼らは単なる獣でも化け物でもない。

 

──これは、“目の園”。

 

胎なる精霊が脈動する。

苗床が微かに鳴くような音を出した。

 

それは、喜びにも似た音だった。

 

私は確信した。

 

この存在たちは、

我々の“知らぬ何か”を──かつて見て、そしていまも視ている。

彼らは待っているのだ上位者の顕現。いや帰還を。

 

屋敷の奥、崩れかけた柱の間を抜けると──

空が広がった。

 

そこは中庭だった。

 

かつてここで、学徒たちは観測を行い、

夜空の理を読み解こうとしていたのかもしれない。

 

今はもう、柵の外には何もない。

 

ただ、空が深すぎるほどに暗く、静かだった。

 

私は歩みを進めた。

 

そのときだった。

 

空気が、微かに震えた。

 

音があったわけではない。

だが、耳の奥がざわめく。

まるで、何かが“開かれた”ような感覚。

 

そして──

 

それは、現れた。

 

崩れたアーチの影から、

光の線が編まれるようにして“咲いた”。

 

それは“生物”などと呼ぶには、あまりに異質な姿だった。

 

光の線で編まれたような細い触手が、空中に無数に広がっている。

それは風もないのにたゆたうように揺れ、

星の光をそのまま抽出して形にしたかのように淡く発光していた。

 

中央には、花弁のような形状が一つ浮いている。

だが、それを支える茎はなかった。

それは花ではなく、“光の断片”が脈動しているだけに見えた。

 

本体は──下半身に潜んでいた。

 

無数の節足が這い集まったような異形の根幹。

蛇のようにくねる芯があり、

その内側には星の内臓を晒したかのような紫色の管が脈動していた。

 

それでも、それは攻撃の構えすら見せていなかった。

 

ただそこに“咲いて”いた。

 

音もなく、冷たく、美しい。

 

「……!」

 

私は思わず足を止めた

 

淡く発光する細い触手が、空間を撫でるように広がり、

中心には、浮遊する光の花弁。

そして、その下に潜むのは──

 

無数の脚。

節くれだった管。

光と肉と触手が、生物の形を借りてそこに在る。

 

「……門番か」

 

私の言葉に応じるように、

触手が、わずかにこちらを向いた。

 

だが──攻撃はない。

 

それは、見ていた。

 

私を、ではない。

 

私の“奥にある何か”を──

まるで、胎なる精霊の存在に気づいているかのように。

 

私は、鞄の重みを感じながら、

その存在と正面から向き合った。

 

「通らせてくれるか?」

 

答えはなかった。

だが、その身は──動かなかった。

 

私は、踏み出した。

 

それの触手が、私を撫でるように揺れた。

 

上位者の庭に咲く、禁忌の花の傍らを。

私は、通り抜けていった。

 

重たい扉をゆっくり押し開くと、

中から流れてきたのは、微かに黴と古紙の匂いだった。

 

暗い。

だが、闇ではない。

 

ここには光がある──夕暮れの光だけが差し込む、夜の学び舎。

 

石壁に沿って古い書架が立ち並び、

その上には埃をかぶった羊皮紙、

折れた羽ペン、そして、

一度も開かれなかったままの書物。

 

「……懐かしい空気だな」

 

だが、それは“懐かしさ”という感情のはずなのに、

なぜか私の中には実際の記憶として残っていなかった。

 

私は、歩く。

 

床はわずかに軋み、

空気は張り詰めていた。

 

誰もいないのに、

どこかで“視られている”ような気配。

 

いや──

それは、胎なる精霊の感覚か。

 

私がここへ来た理由。

辿り着いた先に、何が待つのか。

 

それはまだ、扉の向こうにある。

 

今はまだ──

その手前。

 

理の奥には届かずとも、

私はその匂いを、息の奥まで吸い込んだ。

 

「……中に、進もう」

 

カツ、カツ、カツ……

 

螺旋階段の奥から、乾いた靴音が響いた。

 

この静けさに慣れていたせいか、

その音はまるで、記憶の中の鐘の音のように響いた。

 

私は、音の方を見上げた。

 

月光に照らされながら、誰かが階段を降りてくる。

 

──それは、女だった。

 

白い研究者のコート。

しかしその裾は、儀礼服のように縫い込まれていた。

肩から腰にかけて金属の装飾が散り、

片手には──仕込み杖。

 

目が合った。

 

いや、正確に言えばその目は鉄製の仮面に覆われていた。

 

「……あなたも、“見に来た”の?」

 

声は静かだった。

だが、その奥に隠された覚悟は揺るがなかった。

 

私は言葉を返さなかった。

返せなかった。

 

なぜなら──その姿に、既視感を覚えたからだ。

 

「私は、ユリエ。最後の学徒よ」

 

彼女は名乗った。

 

それは、名ではなく肩書きだった。

 

「ここに足を踏み入れた者に、私は問う」

 

「──あなたは、“何を見た”の?」

 

その言葉は、まるで儀式のように放たれた。

 

私の脳裏に、瞳の苗床。蛇憑き。偽ヨセフカ。

そして、胎なる精霊の震えが、同時に蘇る。

 

私は、答えねばならなかった。

 

この問いが、この館への“通行の儀”であると理解していた。

 

「最後の学徒、か──」

 

私は、静かにその言葉を噛みしめた。

 

「なら……訊かせてくれ」

 

一歩、踏み出す。

床板が微かに鳴る。

 

「……君は私を知っているのか。

いや──記憶しているか?」

 

ユリエは立ち止まった。

その視線は逸らされることなく、まっすぐに私を捉えていた。

 

「記録には、あなたの名はない」

 

静かな、けれど確信のある声だった。

 

「だが……“痕跡”ならばある」

 

私は瞬きをした。

 

「……痕跡?」

 

「かつて教室棟で──」

 

ユリエの声がわずかに遠くを見つめるように淡くなる。

 

「まだ私が若く、学びを始めたばかりの頃。

あの棟の一角で、誰にも説明できない“残滓”を感じ取った」

 

「残滓……私の?」

 

「正確には“形”ではない。

でも、理の痕があった。

何かが一度、そこに“思考を置いていった”と──

私は、そう感じた」

 

私は胸元の鞄に触れた。

 

その中で胎なる精霊が、静かに波打つ。

 

「だからこそ、私は“最後の学徒”と呼ばれる」

 

ユリエは淡く笑った。

それは誇りでも、嘲りでもない。

 

「皆が去った後も、その“残滓”を忘れられなかったから。

私は、あなたを“異物”としては見ていない」

 

「……君だけが、ここに残っていた」

 

「そして君が、ここに辿り着いた」

 

彼女の言葉は、静かに真実を紡いでいた。

 

まるで、かつて交わることのなかったふたつの思考が、

いまようやく再会したかのように。

 

「こちらへ」

 

ユリエはそう言って、広間の一角に置かれた重厚な机へと手を差し伸べた。

 

その周囲には、まるで今でも誰かが読みかけの本を置いたままにしているかのような静寂があった。

 

私は促されるまま、椅子に腰を下ろした。

 

そこには妙な違和感がある──

何か、整いすぎている。

 

だがその違和感が意味するものを、私はすぐに知ることになる。

 

カツン……カツン……

 

微かな音が、廊下の方から近づいてくる。

 

「……まさか」

 

私は振り返る。

 

音の正体は、すぐに現れた。

 

──瞳の苗床だった。

 

だが、武器も威圧もない。

 

その細い足で慎重にバランスをとりながら、

両手──あるいは頭部から伸びた触手の一部で、

銀のティーポットと透明なティーグラスを持っていた。

 

「……給仕……?」

 

私の声は、思わず漏れた驚きのままだった。

 

ユリエは、それを見て小さく笑った。

 

「彼らは“視ている”。

知を、思考を、対話を。

それがこの館における“振る舞い”の一部だと理解しているのよ」

 

瞳の苗床は音もなく机の上にティーセットを置き、

一礼するように体を傾けると、そのまま静かに去っていった。

 

私はまだ、目を見開いたままグラスに目を落とす。

 

その透明な液体は、まるで星の滴のように澄んでいた。

 

「……何者だ、君たちは」

 

「最後の学徒。そして最後の“観測者”よ」

 

ユリエは対面に座り、

私と同じようにグラスを手に取った。

 

「さあ。理の片端から、語り合いましょう」

 

私は、グラスを手にしながらも、

視線はさっきまで給仕していた“それ”の残像に向けられていた。

 

「……君はあれを“見慣れている”ようだったな」

 

「彼らのこと?」

 

ユリエは自然にその名を口にする。

 

私はわずかに頷いた。

 

「……何者なんだ。

あれは、意思を持っていた。狂気ではなく、理解のようなものを」

 

「当然よ。彼らは“生まれた”の」

 

ユリエはティーを口に運ぶと、淡く続けた。

 

「かつて、この地で行われた実験。

“脳に瞳を宿す”という探究の果てに、

脳と目と意識とを混合させた生物が、培養されたの」

 

「……つまり、人工の存在か」

 

「そうとも言える。

だが、ただの実験体ではなかった。

上位者の理に近づこうとした“副産物”だった」

 

私は眉を寄せる。

 

「それで……あれは、理を理解している?」

 

「いいえ、理解して“しまった”のよ」

 

その言葉には、冷たさと悲哀があった。

 

「彼らは、上位者の理に触れた。

けれどその理を“伝える手段”を持たない。

だから……理解できぬ者を、ひどく嫌う」

 

「……愚か者を?」

 

「ええ。

理が通じない存在──本能で動き、恐怖でしか反応できない者たちを、

彼らはまるで“劣等なもの”のように排除しようとする」

 

私は思わずティーグラスを見つめた。

 

その液体の奥に、何かが映った気がした。

 

「君は……それを受け入れているのか?」

 

ユリエは、ただ微笑んだ。

 

「それが“私たちの罪”でもあるからよ。

かつての学徒たちは、

自らが作った“視線”に見下される未来を望んでいなかった」

 

その言葉は、まるで

自分たちが生み出した神に、見捨てられた者の告白のようだった。

 

ティーの香りが空気にほどける頃、

私は次の問いを口にしていた。

 

「もうひとつ、気になる存在がいる」

 

「……?」

 

ユリエがわずかに首を傾げる。

 

「中庭の、あの“花のようなもの”だ。

光の触手のような構造を持ち、浮遊していた……

まるで神経と光を編んだ器官の集合体のようだった」

 

私はその時の衝撃を思い出しながら、慎重に言葉を選んだ。

 

「知性は感じなかった。だが、排除もしなかった。

“理の存在”としての振る舞いに、明確な線が引かれていた気がする」

 

すると──

 

ユリエの瞳がかすかに細められた。

 

「……あれを、見たのね」

 

「名は?」

 

ユリエは少し間を置いてから、低く答えた。

 

「“蛍花(けいか)”」

 

初めて、その名が言語として空気に滲んだ。

 

それはまるで、

花にして上位者の眼の器官のような──

そんな響きだった。

 

「蛍花……」

 

私はその名を繰り返す。

名を与えられたことで、それはもう“ただの異形”ではなくなった。

 

「それもまた……この地で生まれた?」

 

「ええ。

ビルゲンワースの深層。

“月を見る者”たちの探究が行き着いた、

“対話の器官”としての花。

……あるいは、上位者の発声器のようなもの」

 

「声、か……」

 

「伝達というより、“選別”に近いわね」

 

ユリエは静かに、けれど確信を持って言った。

 

「蛍花は、“見る者”には寛容だけれど──

“聞く者”には冷たい」

 

私は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 

「……“見る”ことを放棄した者は?」

 

「焼かれるわ」

 

その言葉は、まるで

理が形を成した罰のようだった。

 

私は、目の前のティーグラスをじっと見つめた。

 

透明な液体。

色はない。香りも、ほとんど感じない。

ただ、仄かに──“意志のような静けさ”がそこにある気がした。

 

先ほど、それを運んできたのは──

瞳の苗床だった。

 

あの異形が、まるで当然のようにティーポットを携え、

無音でこの席に紅茶を供したこと。

それ自体が、いまだに現実の出来事とは思えなかった。

 

私は静かに、グラスを手に取る。

 

唇を寄せ、そっと口に含んだ。

 

──味がした。

 

だが、どんな味かを言葉にできなかった。

 

甘くはない。

苦味も、ない。

 

ただ、舌がそれを“理解すること”を拒むような、

それでいて、喉は自然に受け入れてしまうような──

不思議な調和と快さだけが、確かに残った。

 

「……これは……」

 

私は、思わず呟いた。

 

ユリエは、何も言わなかった。

 

ただ、そのまなざしは、

“どう感じたか”を静かに問いかけているようだった。

 

私は、もう一口飲んだ。

 

それでも──わからなかった。

 

だが、

そのわからなさが、

どこか心地よくすらあった。

 

“理解できないものを口にした”という経験が、

私の思考を逆に澄ませていく。

 

私は、椅子にもたれながら呟いた。

 

「……これは、理そのものの味かもしれないな」

 

ユリエの瞳がわずかに細められた。

 

それは、肯定とも否定ともつかぬ、

“語らぬ理解”のようだった。

 

透明な紅茶の余韻が、喉の奥に残る。

 

沈黙は心地よかったが、

ユリエはふと、口を開いた。

 

「……ねえ、アラリック。

“聖歌隊”のことは?」

 

その響きに、私は眉を寄せた。

 

「聖歌隊?」

 

「ええ。知らない?」

 

私は首を横に振った。

 

その名は、記憶のどこにも引っかからなかった。

 

「……医療教会の内部組織か?」

 

「そう。

ただし、表向きは存在しない。

その存在を語る者も少ない」

 

「なら、なぜ君が?」

 

「“彼ら”は、理の外に生まれた。

──だが、理に届こうとしていた。

その在り方は、どこかあなたに似ている気がしてね」

 

私は、グラスの底を見つめた。

 

聖歌隊──

その名には、宗教的な響きと、科学的な仄暗さが入り混じっていた。

 

「……それは、どんな組織だった?」

 

ユリエは少しだけ視線を落とし、静かに答えた。

 

「“上位者との対話”を目指した者たち。

その手段として、祈りではなく──共鳴を用いた集団」

 

「……神秘主義の延長か?」

 

「理論はあった。けれど、代償が大きすぎた。

だから誰も、それを語ろうとしない」

 

私は無言のまま、再び紅茶に口をつけた。

 

その味は、さっきよりも少しだけ苦く感じられた。

 

「──宇宙は空にある」

 

ユリエは、静かにそう言った。

 

グラスを指先で回しながら、視線は窓の外へ向けられていた。

 

「……それも、聖歌隊の言葉か?」

 

私の問いに、彼女はわずかに頷いた。

 

「ええ。上位者との接触を試みる者たちが信じていた言葉よ」

 

「宇宙が……この空の“上”に?」

 

「いいえ。上でも、下でもない。

彼らの言う“宇宙”とは、内側と外側の境界が溶け合った場所」

 

ユリエは淡く微笑んだ。

 

「あなたがた学徒たちが『理』で門を叩こうとしていたのなら──

彼らは『共鳴』で宇宙を招こうとしていたのよ」

 

私は言葉を失った。

 

「共鳴?」

 

「理解ではなく、“受容”よ。

宇宙の存在を“受け入れられるだけの器”を、

脳と魂に“育てる”ことで──」

 

その言葉は、まるで狂気のように聞こえた。

 

だが、

私の中で胎なる精霊が微かに震えた。

 

「君は……信じていたのか?

その空の中に、“宇宙”があると?」

 

ユリエは一瞬、沈黙した。

 

そして、言った。

 

「……あの日、星の見えない空を見上げて、

そこに“気配”を感じたなら──

あなたも、きっと信じていたわ」

 

私の背筋を、何かが撫でた。

 

それは風ではなかった。

 

“思考の触手”のような何かだった。

 

「……“宇宙は空にある”」

 

ユリエはそう繰り返したあと、

グラスを置いてこちらを見つめた。

 

「アラリック。

あなたは、なぜ医療教会の中に“ウィレーム学長の影”が残っていたか、不思議に思わなかった?」

 

私はわずかに眉を寄せる。

 

確かに、あの組織が裏で私のような“瞳”や“宇宙”という概念を扱っていたのは、

ウィレームとは明らかに思想を異にしていたはずなのに──

 

「……あれは、教会の思想じゃない。

“私が持ち込んだ”の」

 

ユリエの声は、静かに、けれど一切の迷いがなかった。

 

「私はウィレーム学長の最後の学徒だった。

彼の思想を、言葉を、記録としてではなく──

“息づいたまま”残したかった」

 

彼女の指が、テーブルの上に並んだ古い記録帳をそっとなぞる。

 

「教会が血の奇跡に傾倒していった時、

私はその内部に、別の“目”を植えたの」

 

「聖歌隊……か」

 

「そう。

正式な機関ではない。

教会上層部の中に作られた“静かな部屋”──

誰も知らない会議、誰も読めない研究、誰も理解できない祈り」

 

ユリエの言葉は、どこか懺悔にも似ていた。

 

「上位者に“話しかける”ためには、

まず人間の“声”を捨てなければならなかった。

だから我々は──脳を変えた」

 

「瞳を宿す、か」

 

私は静かに問い返す。

 

ユリエは頷いた。

 

「ええ。

あなたが持つ胎なる精霊が、“最初の胎児”なら──

私たちは、それを育てる“母胎”だったのよ」

 

私は、手の中にある鞄の重さを改めて感じた。

 

「だが……結局、どうなった?」

 

ユリエは微かに目を伏せた。

 

「成功は、ひとつもなかった。

誰一人、宇宙に触れる器にはなれなかった」

 

「──それで、君はここに?」

 

ユリエは笑わなかった。

 

ただ、静かに言った。

 

「私は……“ここに戻された”の」

 

ユリエは、問いを受けてもしばらくのあいだ口を開かなかった。

 

まるで、答えがすでに肺の奥にあるのに、

言葉に変えることだけが難しいように。

 

「……ねえ、アラリック。

人が“理に至る”ことを、上位者は本当に望んでいると思う?」

 

私は返答できなかった。

 

ユリエは、紅茶に手を伸ばさず、ただ続きを語る。

 

「私は信じていた。

人の脳に瞳を植えつけ、魂を空と共鳴させ、

“内なる宇宙”を育てれば──

上位者の目に、私たちは映るのだと」

 

「だが現実は、違った」

 

その声は低く、かすかに笑っているようにも聞こえた。

 

「私たちは問いを投げた。

幾度も、何千もの血を捧げ、胎児を模し、理を求め続けた」

 

「──けれど、上位者は一度も、答えなかった」

 

私は喉の奥が詰まるような息苦しさを感じた。

 

「私たちの中に、“狂い”が生まれ始めた。

祈りが理に変わり、理が猜疑に変わった。

聖歌隊は、静かに内側から崩れていったの」

 

「それで、君は……?」

 

「……私は“切られた”のよ。

役目を終えた装置のように。

『もう不要だ』とだけ告げられてね。

実験の痕跡を整理する名目で、ここに戻された」

 

声には怒りも憎しみもなかった。

 

それが、なおさら冷たく響いた。

 

「私は、“思想”を運んだ。

それは誰にも感謝されず、誰の記録にも残らなかった」

 

「それでも……君はここに残ったんだな」

 

ユリエはようやく、少しだけ目を細めた。

 

「ええ。この場所にだけ、“まだ終わっていない思考”がある気がしたから」

 

しばしの沈黙のあと、ユリエがふいに視線を上げた。

 

「……ウィレーム学長は、まだそこにいるわよ」

 

私は眉をひそめる。

 

「……どこに?」

 

「月見台よ。

彼は今でもあの場所で、“上らぬ月”を見上げ続けている」

 

その言葉に、私は思わず息を止めた。

 

「それは……“意識がある”という意味か?」

 

ユリエは小さく首を振った。

 

「曖昧なの。

思考も、記憶も、自己という輪郭すら──

もう彼の中には確かな形を保てていない」

 

「なら、なぜ……まだ?」

 

「理を追い続けていたからよ」

 

ユリエの声には、静かな悲しみが滲んでいた。

 

「彼はね、言葉を超えた理を知るには、

“見る”こと以外のすべてを捨てなければならないと思っていた」

 

「言葉も、行動も、他者との接触も──

すべてが“雑音”になると信じていたの」

 

私は、彼女の視線の先を想像する。

 

いまだに月を見上げ続ける老学長。

誰にも理解されず、けれど決して見ることを止めないその姿。

 

「……それで、何か“視えた”のか?」

 

ユリエは目を伏せた。

 

「わからないわ。

彼が何かを“見た”としても、

もう、誰にも伝えることはできない」

 

「彼の中にあるのは、ただ“待ち続ける目”だけ」

 

「上らぬ月が、いつか満ちると──

まだ、どこかで信じているのかもしれない」

 

私はその言葉に、胸の奥が微かに疼くのを感じていた。

 

ユリエは、ふと紅茶に視線を落とした。

それから、静かにこちらを見つめる。

 

「……さて、今度は私から訊いてもいいかしら?」

 

その声は、穏やかで、けれどどこか深い澱を孕んでいた。

 

「あなたはここまで、

幾つもの異形を越え、知の名残を拾い、

時に見たくもなかった真実に触れてきた」

 

彼女の声には、驚きも称賛もない。

ただ、沈黙の中でしか育たない重みがあった。

 

「あなたは、“学徒”を自称していた。

でも、その学びが偽りだったと知ったはず」

 

「ビルゲンワースも、夢も、記憶も──

あらゆるものが錯綜し、

あなたの根が何に繋がっていたかも、曖昧になっている」

 

ユリエの言葉は鋭くも、優しかった。

 

「それでも、あなたは進んできた。

ここまで、ひとりで。

誰かに導かれたのでもなく、ただ“知”の先に何かを求めて」

 

彼女は小さく首を傾げた。

 

「──なぜ?」

 

問いは静かだった。

だが、それは今までのどんな敵の爪よりも鋭く、

私の胸に届いた。

 

「なぜ、あなたは進み続けたの?」

 

「この“地獄”を覗き込み、

なお、“その先”に何かあると思えるの?」

 

彼女の声に、否定の響きはなかった。

 

ただそれは、

“同じ渇き”を抱えた者だけが問える、

静かな呼びかけだった。

 

ユリエの問いかけは、静かだった。

 

だが、心の奥深くに杭を打たれるような衝撃だった。

 

私は、しばらく黙っていた。

 

言葉を探していたわけじゃない。

ただ──自分の声が、自分の耳にどう響くのかを確かめたかった。

 

やがて、口を開く。

 

「……全部が嘘だった」

 

私は正面から、ユリエの視線を受け止める。

 

「学び舎も、仲間も、恩師も。

ビルゲンワースでの生活は、すべて幻だった。

私は、器に過ぎなかったんだろう。

知識を流し込む為の容れ物として、調整された存在だった」

 

言葉が淡々と続く。

 

感情はある。

だがそれは、怒りでも悲しみでもない。

もっと冷たい──それでも消えない“疑問”の熱だった。

 

「それでも……」

 

私は小さく、苦笑する。

 

「それでも、あの“夢”の中で学んだ知識は、偽物じゃなかった」

 

「目の前の獣の骨格を読んだとき。

死体の状態から死因を推測したとき。

私は……本当に、“考えていた”。

そこに“私”がいた」

 

拳を軽く握る。

 

「だからこそ、前に進むしかなかった。

知りたいんだ。

この先に何があるのか。

この身に、何を刻まれてきたのか。

それが誰かの仕組んだ答えだとしても──

そこに“理”があるなら、それに触れたい」

 

そして、最後に一言。

 

「私は、学徒だ。

偽りの──それでも、知を求める者だ」

 

アラリックの言葉が室内に静かに沈んでいくと、

ユリエはただ、一度だけ頷いた。

 

そして、まるで何かが定まったように、

澄んだ声で言った。

 

「……なら、行くしかないわね」

 

私は彼女の視線を受け取った。

そこには憐れみも賛美もない。

ただ、認識と許可があった。

 

「あなたが求めている“知”は、この現実の先には存在しない。

書物にも、遺骸にも、建物にも残されていない」

 

「それは、眠りの奥にある。

……かつてあなたが、胎なるものと共に踏み入ったあの場所。

“悪夢の世界”よ」

 

私は微かに息を呑んだ。

 

「……もう一度、あれに入るというのか?」

 

「いいえ。“戻る”のよ」

 

ユリエの言葉は、意味深だった。

 

「あなたは、忘れている。

けれど、“あそこ”は忘れていない。

あなたの思考も、記憶も、錯覚も──

すべてがあの空間に、痕跡として残っている」

 

「そこに潜れば、思い出す。

なぜあなたがここにいるのか。

誰があなたを作り、どんな理を宿していたのか」

 

彼女はまるで儀式を執り行う司祭のように静かだった。

 

「──すべての始まりと、

あなたが本当に持つ“真実”を、知りたいのなら」

 

「もう一度、“悪夢”へ」

 

その言葉は、宣告であり、扉の音でもあった。

 

私は、静かに目を閉じた。

 

私は、ユリエの提案に即答しなかった。

 

脳裏に、いくつもの映像が走る。

幻視。胎なる精霊。蛇憑き。偽ヨセフカ。

そして──今の彼女の言葉。

 

私は、ゆっくりとグラスを置いた。

 

「ひとつ、答えてもらいたい」

 

ユリエの手が止まる。

 

私は、まっすぐに彼女を見た。

 

「──なぜ、君は私の生い立ちを知っている?」

 

空気が、わずかに張り詰めた。

 

「ビルゲンワースにいたときの私は、“学徒だった”と信じていた。

だが君は、私の過去を“実験体”として語った。

胎なる精霊と共にあった時間をも、知っていた」

 

「それは……どこで得た知識だ?」

 

ユリエは沈黙した。

 

その顔に、わずかに影が落ちる。

 

「君がただの観測者ならば、

私の“記録”など、見えるはずがない。

私の存在は記録から排除され、幻の学徒として作られていたはずだ」

 

「──なのに、なぜだ」

 

その声には怒りはない。

だが、鋭利な観察の刃があった。

 

ユリエは一度、背もたれに身を預ける。

 

そして──

 

「すべては、私が始めたことだったのよ」

 

言葉は、まるで時を遡るように重く響いた。

 

「……私は、遠い地に生まれた。

葦名という国、海に囲まれた戦と礼の国」

 

彼女の目が過去を見ていた。

 

「私は、武士の家に生まれた。

父は学を尊び、私は幼いころから文字と思想に浸っていた」

 

「だが、私はそこに留まらなかった。

世界を知りたかった。

“私たちが見ている空”の外に、何があるのか知りたかった」

 

「──だから、ある日、外国船に乗った」

 

言葉の響きが、ヤーナムという名を呼ぶ前に変わっていた。

 

「そして、ヤーナムに辿り着いた。

その時はまだ医療教会など無く“知”が渦巻く山間の小さな街だった。」

 

彼女の声がわずかに震えた。

 

「私はそこで、知のために身体を投げ出し、

思想の果てに、ひとつの真理を手にした」

 

「──ある人。いえ。ある学徒の子を宿したの」

 

私は息を呑んだ。

 

彼女は微笑まなかった。

悲しみも、安堵もなかった。

 

ただ、事実だけが語られた。

 

「知は、血の中にあった。

私の中で、命を燃やすように育ち、やがて一人の子として生まれた」

 

ユリエは、私を見た。

 

その瞳の奥には、誰も知らない過去の色があった。

 

「……もう、あなたにはわかるでしょう?」

 

私は、言葉を出せなかった。

 

そして理解した。

 

なぜ彼女が私を知っていたのか。

なぜ彼女だけが、私に話しかけられたのか。

なぜ“最後の学徒”が、こんなにも親しげに見えたのか。

 

それは、

私が、彼女の“答え”だったからだ。

 

私は、言葉を失ったまま、彼女を見ていた。

 

答えは、既に得ていた。

 

けれど、納得など──できるはずがなかった。

 

喉の奥から、言葉がにじみ出る。

 

「……じゃあ、なぜだ」

 

ユリエが目を伏せる。

 

私は立ち上がっていた。

わずかに震えた声が、静寂を裂く。

 

「──なぜ、私を棄てた?」

 

「なぜ、私は診療所の檻の中にいた?

何故、私は記憶すら奪われ、

幻の学び舎を“真実”として信じ込まされなければならなかった?」

 

「なぜ、あなたは私を……実験体にしたんだ?」

 

言葉が、怒りとも、悲しみとも、

それ以上の何かに変わっていた。

 

「私は、君の子だというのなら──

なぜ、“知の器”として扱った?」

 

「なぜ、“知ること”を与えてくれたくせに、

それを自分の手で否定するような人生を歩ませたんだ……!」

 

私は、震える拳を握りしめた。

 

「教えてくれ、ユリエ……

なぜ、“母親”でいてくれなかった?」

 

静まり返った室内に、

その問いだけが、重く残った。

 

私の声が、室内を震わせた。

 

ただ一人の観測者にして、

ただ一人の母に向けて放たれた問い。

 

空気が、冷えていた。

 

だが、それを破ったのは──声ではなかった。

 

──カタ……。

 

机の上、私の隣。

空になったティーカップの傍に、

いつのまにか瞳の苗床が立っていた。

 

その手に、銀のティーポット。

 

そして──注がれた。

 

透明な、何の色もない液体が、

カップの底を満たしていく。

 

音はない。

 

けれど、無音が、響いていた。

 

静寂の中で、

その流れだけが時を動かしていた。

 

まるでそれが、答えの代わりのように。

 

まるで、

「いま、この瞬間も、選ばれているのだ」と、告げているように。

 

私は、動けなかった。

 

それは紅茶ではなかった。

それは声ではなかった。

 

けれど──確かに応答だった。

 

そしてそのすべてを見つめながら、

ユリエはまだ、何も言わず、

私の“問い”を受け止めたまま、

ただ黄昏を背に、微動だにしなかった。

 

紅茶の波紋が、透明なグラスの中で静かに揺れていた。

 

私は立ったまま、

その“答えのような無音”を睨みつけていた。

 

だが──

 

ユリエは何も言わなかった。

 

顔も伏せず、

目も逸らさず、

ただ、私の問いを受けたまま黙していた。

 

その沈黙は、否定ではなかった。

 

だが、それは肯定でもなかった。

 

ただ、語られないことが“何か”を証明していた。

 

──そして、再び彼女は口を開く。

 

「……それでも、あなたはどうするの?」

 

言葉は、今度こそ答えの代わりに放たれた問いだった。

 

「過去の世界へ戻る覚悟はある?」

 

その声は、かすかに震えていた。

 

「夢が記憶を呑み込み、

幻が理を縛るあの世界へ。

あなた自身の起源へ。

すべての始まりと、

──終わりに向かって」

 

ティーカップの中の紅茶が、

まるでその言葉に共鳴するようにわずかに揺れた。

 

「そこへ、“戻る”の?」

 

問いは、確かにあった。

 

答えは、まだ出ていない。

だがそれを選ぶのは──

今や、誰でもない、“私”だった。

 

私は答えたわけではなかった。

けれど──頷いた。

 

ほんの少し、首を縦に動かしただけだった。

 

だが、ユリエにはそれで十分だったらしい。

 

「……わかったわ」

 

彼女は静かに立ち上がり、

夕日の差し込む広間を背にして、階段の方へと向かう。

 

その歩みはゆっくりで、どこか儀式のようだった。

 

そして、扉の前で一度だけ振り返る。

 

「……私は地下室で待っている」

 

それだけを告げて、彼女は闇の向こうへと消えていった。

 

──カタン。

 

扉が閉じた音が、遠くに響いた。

 

その瞬間、

私は椅子の背に沈みこみ、

深く、深く、息を吐いた。

 

そして──

 

「っ……!」

 

感情が爆ぜた。

 

私は拳を振り下ろし、

重く冷たい机の上を叩いた。

 

バンッ!

 

静寂が、震えた。

 

声にならない何かが喉元まで込み上げる。

怒りでもない。

涙でもない。

 

それは、

すべてが繋がってしまったことに対する、

抗いようのない“運命の重さ”だった。

 

「……っ、くそ……」

 

私は呟いた。

 

透明な紅茶が、わずかに揺れたまま、何も答えなかった。




な、長くなってしまった!!内容が自分でも把握しきれないです…。
ここで残された謎は一旦一区切りになるかと!
どうですか!?皆さん!!
良かったら皆さんなりの考察とかもお聞きしたりしたかったりして!ぜひ気軽にコメントしてください。
ーやがてこそ、舌を噛み、語り明かそう
   ー明かし語ろう…
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