『世界の樹の中で ~ユグドラシルしる~』 作:ぽえぽえぷりん
皆さんには馴染みのゲーム、思い出深いゲームというものはあるだろうか?
私、いや。私たちにとってはこのゲームが思い出のゲームになるだろう。
『ロードオブミッドガルド(Lords of Midgard)』、通称LM。
いまから20年近くも前に正式サービスが開始され、MMORPG黎明期に一世を風靡した、可愛らしい2Dスプライトアニメのドット絵ゲームだ。
画面越しにマウスをポチポチとクリックして、スキルを発動する。当時は最先端の、そして今では昔懐かしい2.5D MMORPGで、最近流行りのフルCGやVRゲームとは無縁だった。
そして――――少し話を変えよう。
みなさんは異世界転生、あるいはネットゲームのキャラに自分がなってしまった。そんな話を聞いたことがあるだろうか?
ある程度オタクカルチャーに触れたことがあるならありふれた話だろう?
それこそ『小説家になろう』のような小説投稿サイトでは、転移モノや転生モノなんて、もう擦り切れるほど使い古されたネタじゃないか。
そう言われてしまえば、返す言葉もない。 私だって、「そういう話があったら面白そうだけど、現実で起こるわけがない」と思っていた。
それに、だ。そんな事態に陥るようなことになったとしても、だ。
そんなオカルト染みた話は、もっと未来的で洗練されたゲーム――電脳世界に意識をフルダイブさせるようなハイテクめいたものか、もしくは最新のリアルと見間違うほど繊細で精緻なグラフィックが売りの3Dゲームでなら起こりえるのかもしれない。 まだわかる話なのだ。
少なくとも、昔懐かしい可愛いさに全振りしたような2Dドット絵の、20年物の古参MMO。
私たちが思い出に浸るためだけに再ログインした、あのLMで——
オカルトが介入できそうな要素の欠片もないあのゲームでそんなことが起こっていいはずが、なかった。
――――だというのに。
降り注ぐ日差しがやけに眩しい。
目を細めると、木々の葉が風に揺れ、木漏れ日が地面にまだら模様を落としている。耳を澄ませば、木々のざわめきや野鳥のさえずりが、驚くほどリアルに響いてくる。可愛らしくデフォルメされ、緩くも温かみのあるあのドット絵 ゲームではあったけども、こんなリアル体験をできる機能が付いているわけがない。
おかしい。
直前までこんな事態に陥るような事なんてしていたわけでもないし、これまでも、そしてこれからも、どこかで幾多の転生者を生み出し続けるであろう“例のトラック”に轢かれた覚えなんて、もちろんない。 普通にパソコンの前 で「相変わらず変わらないねー」なんて、久しぶりに一緒にログインすることになったギルドメンバーとチャットしていたのだから当然と言えば当然なのだが。
けれども、ちょっと直視できないくらいに、モニターが発光したかと思いきや、急に吸い込まれて行くような感覚に囚われて……。
——気がつけば、この世界にいた。
「リンカ様……いい加減モノローグ長いぞ?」
「……え?」
「考えてたこと、全部口に出てたぞ。それに口に出してた内容も、なろう小説だったら『長文説明乙』って言われて速攻ブラウザバックされるレベルだぞ? 現実と戦え、現実と。」
そう―――。光が収まったと思ったら、そこは直前までログインしていた首都の城下町ですらなく、見知らぬ森の中だった。
仮にゲーム世界に転移してしまったのだとしても、そこが見知った城下町であったのであれば、ここまで取り乱したりはしなかった。
だからこそ意図せぬこの事態に、つい現実として受け止めるのを拒むあまり現実逃避してしまったのだが…。
すぐ傍に居たギルドメンバーに、呆れ混じりの視線でこちらを見上げられると「ぐぬぅ」と唸ってしまう。その言葉に隔意がないことは分かってるけど……言葉尻の強さについ、頬がふくらんでしまった。
「———容赦なくなくないぃ? らぐーんさん。
現状私ら、LMのゲーム世界かどうかも分からん異世界に居るんだよ?
正直、現実逃避させてもらいながら愚痴の20や30くらい言わせて欲しいんじゃがぁ?」
一緒に異世界へ巻き込まれた、ギルドの古参仲間――らぐーんさん。
銀糸のような繊細な長髪を揺らしながらも、自分とは違って随分とちいさく、可愛らしくデフォルメされた、まるで人形のような彼女の姿に、ツッコんでいいものか悩んだが…。 此処はいったん置いておくべきか、と問題を先送りにしながら、いつもの調子でこちらを見上げてくる彼女と視線を合わせる。
長い付き合い故の気安さで、つい甘え混じりの一言が漏らしてしまうのだが、すかさず「愚痴の数が多すぎだろう」と尤もなツッコミを返されれば「ぐぬぅぅ」と呻くしかなかった。
「愚痴りたい気持ちは分からんでもないけどな。 そろそろ腹括って行動に移るなり、建設的な動きに入ろうぜー? 流石にこんな訳分からない場所で、お互い野宿なんてしたくないだろ、リンカ様」
見渡す限りの大自然。そう言えば聞こえはいいけど、現実はそんな生易しいものじゃないかと頷いてしまう。 藪蚊くらいならむしろ可愛い方で、未開のジャングル染みたあの生い茂った草むらの奥から、大蛇やら、猛獣がいつ飛び出してきてもおかしくないような景色だ。
首元にまとわりつく長い金髪をかき上げながら、私はあらためて周囲を見渡した。
見渡す限り、道らしい道も、人の気配もない。
木々のざわめきと、時折風の音に乗って響いてくる、鳥類と思しき鳴き声にげんなりしながら足元を見れば、苔むした岩に倒木、それから雨露を吸ってぐっしょりと湿った落ち葉の山にブーツ沈んでいた。落ち葉の山の中から足を引き抜きながら、とても寝泊まりした場所じゃないよな、という気持ちにされる。
何処までも代り映えしない風景に飽きてきたところで、ふと、自分の格好に意識が向く。
鍛えた身体にぴったり沿う、修道服めいた法衣。
自分でも場違いだと分かるその姿に、思わず苦笑がこぼれた。
らぐーんさんのぬいぐるみじみた愛らしい姿と並べば、なおさらだ。
……とはいえ、立ち止まって嘆いても、現実は変わらない。
私はため息を一つ吐き、しぶしぶながらも彼女の言葉に頷いた。
「―――せやね。 せめて開けた見晴らしのいい場所か、最低でも水場なり見つけないと。このままズルズルと夜になるのを待ってたら危険が危ないってレベルじゃなさそうだしね、ここ…。」
転移モノだの転生モノだの――こんな異世界に誰が好き好んでくるのだろう?
他人の活躍や苦労譚は、暖かくて清潔な自宅の布団の中で眺めてるのが一番だ。
そんな当たり前のことを、改めて痛感しながら軽く伸びをして身体をほぐす。
らぐーんさんも、すっかり縮んでしまった身体で、黙々と柔軟体操をしていたが……
ふと、立ち止まって辺りを見回す。
私の背丈よりもずっと高い、視界を遮るほどの植物の壁。
私でも苦労しそうなのに縮んだ身体のらぐーんさんは、動き回るのも大変そうだな、と思っていたその時――視界の隅で、何度も何度も「植物の壁→自分→私」と視線を往復させるらぐーんさんの姿が見える。
―――そしてもう一度、植物の壁と私を交互に見比べる仕草。
なんとなくらぐーんさんの意図を察して、私は頭の上をぽん、と軽く叩く。
「乗ってくか、らぐーんさん? というか、乗ってくれるかな? 乗っててくれないと、余裕ではぐれそうだ」
その言葉に少しだけ逡巡するような素振りをするものの…。
「悪いけど……頼めるか」
そう遠慮がちに返されて、私は「頼まれました」と笑いながら肩を差し出した。
「おしっ! それじゃ、そろそろ移動するか、リンカ様。――とはいえ、お互い見知らぬ土地に放り出された訳だし……こういう場合のセオリーだの、必須事項だの知ってるか?」
気まずそうな雰囲気を紛らわすためか、努めて明るく振舞うらぐーんさんが、どこからか取り出したリンゴをシャリシャリと音を立てて齧りながら、ぴょんと私の肩に飛び乗ってくる。 ぬいぐるみのような小さく縮んだ身体が、すいっと私の頭の上まで登ってくる。
「んなもん、私が知るわけないだろ、らぐーんさん」
ため息まじりに言い返す。
「それにうろ覚えのサバイバル技術だの、サバイバル知識だの、サバイバル用の道具もなにもなさそうなところで使えるもんなのかねぇ?」
らぐーんさんが落ちないように、おとなしくそれを受け入れて、彼女が安定できるポジションを確保したのを確認すると、私はその辺に落ちていた枝を適当に拾い、ぽいと放り投げた。枝の先が示した方向へ、なんとなく歩き出す。
「てきっとーだなぁ。まあ、私もそんな手引きなんて知らんし、よさげなところに出るのを祈るか」
頭上のらぐーんさんはあんまりと言えばあんまりな行先の決め方に呆れた声をあげながらも、特に異論もないのか、リンゴに齧りつく速度を上げているのが音で伝わってくる。
「そーそー。信ずるものは何とやらさ。 それにほら――神様がもしお見守りくださってたなら……僅かなりでも慈悲の導きをいただけるでしょ」
私のうんざり気味なセリフをよそに、らぐーんさんはリンゴを食べ終えたらしい。
芯をヒョイと放り投げると、それが草の上を転がる音が静かに響いた。
その音を耳にしながら、私は彼女を頭に乗せたまま、枝が示した方向へとズンズン歩いていく。
らぐーんさんは肩をすくめるように言ってから、ふと思い出したように話を続けた。
「そういやリンカ様。――リンカ様で……いいんだよな? リアルの外見なんて知らんからいまさら確認なんだが……それに、その格好、LMのアバターキャラっぽいけど、ゲームのスキル使えそうか?」
「らぐーんさんこそ、らぐーんさんでいいんだよね?
そうでないなら、私いままで見知らぬ他人相手に知り合いだと思ってべらべら話しかけてたヤベー奴になっちゃうんですけど」
十年来のギルド仲間で、気の置けない友人。とはいえ、リアルでの顔も名前も知らない相手だ。
そうは言っても、お互いの事を見知った言動をしてる以上、赤の他人であったなんて可能性はなくなったが。
軽口を返し合いながらも、らぐーんさんの冷静すぎるツッコミに、私は「ふむ?」と小首を傾げ、考え込む。
言われてみれば、確かに今の私の姿は、LMで使っていたアバターそのままだ。
職業は《司祭――プリースト》系統の最上位職、《聖光大主――ホーリービショップ》。
汚水すら聖水に変え、重傷を癒し、毒をも祓う――そんなスキルを持つ、超回復職。
もし、本当にスキルが使えるのなら、これは試す価値がある。
足を止めて記憶を掘り起こす。たしか、隠れていたものを暴く《神の光――ソリス》というスキルがあったはずだ。
記憶の中ではキレイに発光しながらくるくる自分の周りを旋回していたし、もしかすれば光源代わりにもなるかもしれない。
「んー? 使えるような、そうでもないような…。 ちょっと待ってね? ええいっ! ≪神の光――ソリス≫! ソリス……ソリス……ソリス……!!! って、うおぉぉ!? 本当に出たっ!?」
念じてみれば、あっさり発動された。
最上位職になってからも何かとお世話になったそのスキルが、私の周囲をグルグルと回りながら、まばゆい光を放っている。
「本当に……ゲームのスキル、使えるんかい……」
驚きが声になって漏れる。頭上から「ほー」と感心したようならぐーんさんの声が聞こえた。
「んなら私も、アレコレ使えるかもなー。まあ、まずは移動からだけど……。
見る限り、本当に人の手が入ってなさそうだなぁ……。獣道っぽい草が不自然に倒れてる所はいくつかあるけど、マジでどこに飛ばされたんだ、私ら」
「さあねぇ。見た目がリアルになっただけのLMの世界だったら、まだマシなんだけど……」
私は周囲の木々を見回す。太く、ねじれた幹。巨大なシダのような葉。まるで、恐竜が歩いてた時代の植物みたいだ。
「こんなジャングルマップ、LMにあったっけ? 私らが引退した後に追加されたとか?」
よそ見をしながらそんな会話をしてたのが不味かったのか、足元の草に足を取られそうになり慌ててバランスをとりながら、思わず舌打ちした。
「ごめん、らぐーんさん。 揺れたけど大丈夫だった? もう歩きにくくって叶わんし、《風の刃――ウィンドカッター》使えそうだったら、草刈ってくれない? 進路上の草、高すぎて前が見えんわ」
湿気のせいか、じんわりと汗が浮いてくる。鬱蒼とした草の量に、自然とうんざりした声が漏れた。
頭上からちょっとした苦情を漏らすらぐーんさんが動く気配した。
「何とか落ちずに済んだけど、ちょっとした絶叫系のアトラクション気分だったぞ、リンカ様。 ちょい待ち。……《風の刃――ウィンドカッター》っと。こう、か? おっ!?おおぉ!??」
次の瞬間、鋭い風切り音が響き、暴風の刃が進路上の草はおろか、背の高い木々まで切り刻み、なぎ倒していく。その結果自体が、らぐーんさんとしては想定していた以上なのか、若干慌てた声が頭の上から降ってくる。
「これ、術レベルマックスで出たか? んん? 術レベルの調整ってどうやるんだ?」
その過剰なまでの破壊の光景と自身の手を見比べてるのだろうか? 戸惑う声を上げるらぐーんさんを手で押さえながら、こちらに向かって倒れてきた木を避けるようにバックステップで後ろに下がってやり過ごす。
「……らぐーんさん、これ……やりすぎじゃない?」
「……セヤネー。ちょっと加減覚えないと」
倒れていく木にぶつからないよう、少し後ろへと下がる心算だけだったものの、想定以上よりも長い距離を後ろに飛んでしまった自身の身体能力の変化に驚きつつも、破壊された道を見つめながら、お互い加減の練習が今後の課題だと痛感する。
とはいえ、道ができたのは事実だ。
足元に気をつけつつ、倒れた枝や植物をまたいで、先へと進んでいく。
何度かウィンドカッターで道を切り開いてもらっていたそのとき――。
私は、土がむき出しになった地面に、あるものを見つけてしまい、思わず足を止めた。
「??? どした、リンカ様? なんかあったのか?」
「うん。……まあこれ、見てくれる?」
私が指差した先にあったのは、爬虫類か鳥類か――巨大な何かの足跡。
それを見ようと頭の上から身体を乗り出したらぐーんさんが、それをキチンと視認できたらしくヒューッと下手な口笛を吹いた。
「うっわ……デッカイな。なんだこれ? マジで恐竜みたいなのがいるエリアに飛ばされたのか、私たち」
「せやねー……。こんなのが歩き回ってる場所で農耕とか、絶対無理だわ。
裏を返せば――この辺り、人は住んでないってこと?」
胸の奥に引っかかっていた不安が、現実味を帯びて浮かび上がる。
私は観念したように近くの岩に腰を下ろし、深いため息をついた。
現地の人が住んでる街だの、王宮だのに転移してるなろう主人公たちは楽でいいな、と内心苦虫を噛みつつ、らぐーんさんを両手で掴んで抱っこし直すと、腕の中にいる彼女に問いかける。
「さて……どうすっかねぇ。こうなると、最悪ここで自活する拠点を作るにしても、まずはこの推定くそでっかい生き物対策せにゃならんぞ、これ……」
「燃料はそのへんの木々だの、私が《炎の矢――ファイヤーアロー》とか《炎の壁――ファイヤーウォール》で炭にすればいいとして……。
飲み水はリンカ様の《神聖なる水――アクア・ディヴィナ》でどうにかなるとしても……問題は食料だなー」
そう言いながら、流石に身体がこり固まっていたらしいらぐーんさんが、私の腕の中からピョンと飛び出す。そしてこりをほぐす様に伸びをしながらどこからかリンゴを取り出し……それをおもむろに齧ろうとしたのだが――。
「ちょい待てーや、らぐーんさんっ!」
私は思わず声を上げる。突然の事態に動転していたから見逃していたのか。 そういえばさっきもリンゴを食べていた気もしたし、今のリンゴだっていったい彼女はどこから取り出した?
少なくとも頭の上にのせていた時には、リンゴ特有の硬い感触なんて一切伝わってこなかったのだから。
「そういやさっきも普通に取り出してたから、普通に見逃してたけど……今どっからリンゴ出したのさ!?」
目を丸くして指を差すと、らぐーんさんは「ん?」と首を傾げて、手にしたリンゴをしげしげと見つめた。
――そこから、数秒。
「おおっ!」
納得したようにリンゴで手のひらをポンと叩く。
「そう言えば……今どうやってリンゴ出したっけ? 可能性があるならアイテム欄からに決まって―――アレ? そもそも、アイテム欄があったとしてもどうやって取り出したんだ、私?」
私の問いかけに、らぐーんさんは短くなった腕を組み、「む~~ん??」と声を漏らして考え込む。
首を身体ごと傾けたかと思えば、そのまま反対側に傾き直し…。 ごく自然に、リンゴへがぶりと齧りつくとシャリシャリと果肉を咀嚼しながら、満足そうに頷きだしている。
「喰ってる場合かぁ~っ!!ていうか、アイテム欄? そんなもん、私には見えてないんだけど。らぐーんさんからは無自覚にそっから取り出したん?」
未知の場所で気を使いながら歩きっぱなしだったことも手伝い、その暢気な姿に思わず突っ込んでしまう。
「おおぅ!?」
その声に驚いたように動きを止めたらぐーんさんが、ようやくリンゴを齧るのをやめて、また考え込み出す。
そして、数秒後――。
「あくまで推論だが」と前置きして、口を開いた。
「そーだな……私、手持ちのアイテムにリンゴ突っ込んだままログアウトした記憶ないんだよな。
だから、そもそもアイテム欄にリンゴがあること自体、おかしい」
「それと、アイテム欄についてだけどさ……たしか、こうやって出すんだよな」
そう言いながら、彼女は虚空に向かって手を伸ばす。
開いたり、閉じたり。何かを掴むように、ゆっくりと指を動かす。
――一見すると、ただの謎ポーズ。
だが、らぐーんさんの表情は真剣そのものだった。
「……ん、ここだわ。―――よしっ、掴めた」
そう呟いた次の瞬間。
彼女の手が波打った虚空に吸い込まれていく。
その手が、虚空にどんどん吸い込まれていくのかと思った矢先——
彼女はすっと手を引き抜き、その手中には瓶ジュースが握られていた。
「うっわ…。気持ち悪っぅ…。 何もない空間が波打ったと思ったら、らぐーんさんの手首がその空間に吸い込まれてたぞ、いま…。」
思わず、ジト目になってしまい、素直な感想が口を出てしまう。現実じゃまずお目に掛かれない光景。それを今日だけでも、何度目か分からないくらい見続けたせいか、段々頭が痛くなってきて、思わず数歩後ずさってしまう。
そんな私を見上げながら、らぐーんさんは「そんな風に見えてたん?」と口にしながら瓶をクルクル回す。
透明な瓶の中には見覚えのある白っぽい濁った黄金色の液体。
たしか、イベント景品でもらえたMP回復用のリンゴジュースだったはず。
「あんまり考えすぎるなよリンカ様。でもリンカ様からはそう見えてるのか…。 うん、でもなんか……推測当たりっぽいわ。」
彼女は瓶を片手に持ったまま、もう片方の手を宙で操作するように動かす。
「私の目からは、半透明の倉庫画面とアイテムウィンドが浮かんでるんだけど、リンカ様から見える?」
「は???」
そんなVRゲーム染みたゲームのウィンドなんて、私の目には一切見えない。
試しに彼女の目線を追ってみるが、ただの空間が広がるばかり。
「いんや? こっちからは何も見えないよ。」
——だとすると、当人以外には見えないメニュー画面?
LMのゲームシステムでも、装備画面や倉庫管理のウィンドはプレイヤーごとにしか認識できない仕様だった けど……まさか、これも同じってことなのだろうか?
「どうやってるのさ、それ? アイテムウィンド、倉庫メニューとか……念じれば出るとか?」
「さあ? 私もよくわからんけど、まあ……念じて出る物なら出るんじゃね? 今もアイテムウィンドを閉じるボタン押したらウィンド事体私の目からは消えたしな。」
らぐーんさんは軽く肩を竦め、空いた手をパチンと鳴らす。
そうすると手品のようにストローが手の平に現れていて、取り出したばかりのストローをジュースに差すと暢気にジュースを啜りだして見せる。
「おもちゃ工場で手に入れてた、ジャンクアイテムのストローだって取り出せるみたいだし…。案外LMだったら売却用のジャンクドロップも本来の用途で使えるかもしれないぞ?」
「えぇぇ……如何にリアルっぽいとは言っても、ゲーム世界じゃないんだからさぁ。 そんな如何にもゲームの仕様そのままの機能が使えるわけ――」
呆れながらもモノは試しと意識を集中してみると——
ピコーンッ……♪。
突然、聞き覚えのあるSEとともに視界の端に半透明のメニューウィンドが浮かび上がった。
見覚えのある、LMのアイテム管理画面。
「あっ、ごめんね、らぐーんさん。 こっちでも普通にアイテムウィンド出せたわ。」
目の前に広がるウィンドには、ゲーム時代に見慣れたアイテムの一覧が並んでいる。
スクロールバーを動かしてみると……倉庫メニューの項目が増えて浮かんでいた。
「これ……普通に使える……のか?」
試しに倉庫の中から適当なアイテムを選び、「取り出し」コマンドを押してみる。
——カコンッ!
次の瞬間、何もない空間から、ホットドッグが突如として手の中へ出現した。
「ええぇ……? 本当に出せた上に暖かい……。 出来立てってことぉ? これ買って倉庫に突っ込んでたとしたら、かれこれ10年近い前のはずなのに……。倉庫の中って時間の流れが別になってるか止まってるってことか?」
驚きすぎて、変な声が出た。よく見れば湯気だって上がっているウィンナーを眺めて、かなり躊躇してから一口食べてみる。
「……おぉ、確かに手が虚空に消えてるわ。 それにそんなアイテムも確かにあったあった。なんか懐かしいなぁ~味の方はどうよ、リンカ様?」
らぐーんさんは感心したような声を漏らしながらも落ち着き払った様子で、頬張ったばかりの食べかけのホットドックと私を交互に見比べて問いかける。
「普通に美味しいのが何か悔しい…。 腐ってるって感じもしないし、本当にできたての味かなぁ」
二口、三口と食べ進めてみて、現実世界でも十分やっていけそうな味に舌鼓を打ちながら完食し終えると、喉の油を流すようにミルクを倉庫のメニューから取り出して飲み干していく。
私の食事を行儀良く待っていてくれていたらぐーんさんが、ミルクを飲み干して一息付けた私に声を掛けてくる。
「腐ってる感じもしない、となると…。 最悪当分の間は飯抜きって事態は防げそうだな。明日以降も朝日を拝めるくらい私らが無事でいられるなら、だけども。」
嫌なこと言うなぁ、とは思いつつもあのデカい足跡を付ける生き物が生息してるであろう場所に、現在地も分からないまま孤立しているなら、そんな感想も分らんでもないか、と思わず額を抑える。
「OK。まずは整理しよう。私らは現状訳分かんない土地に飛ばされてて、LMのスキルだの、アイテムは使えると。どれをどの程度まで使えるかって言うのは置いておいてもだ。」
額を抑えたまま顔を上げ、らぐーんさんに目線を移す。視線の先では、ゲームの中でも愛用してた短剣を二振り取り出していた彼女が、問題なく振れそうか使い心地を試しながら相槌を打ってくる。
「んっ。 それに加えてこの辺りにはでっかい生き物がウヨウヨ出歩いてる可能性が高い上に、現地民の居住だってまあまあ怪しいな。 ……あれ? これじゃあ仮に水場があったりしたとしても、この辺一帯の野生動物だって飲み水として利用してるだろうから、下手に水場の近くに拠点作るのも危ないか?」
らぐーんさんの指摘に思わず呻いてしまう。安易に水場を目指そうとしてたものの、どんな生き物だって水分を欲するのは同じな以上、先ほど見つけた足跡の主だって、その水場を利用するはず。
そうなると放っておいても勝手に未知の生物とエンカウントしかねないわけで…。
「らぐーんさん。こうなったらお互い、拠点にしやすそうな場所の候補を出してくか? 第一案、はい私から~。崖っぽい所の天然の岩棚の下。ここなら、少なくとも一方は確実に死角を潰せるしさ」
三人寄れば文殊の知恵とはいかなくても、一人よりは二人。自分ひとりじゃ気づけないメリットやデメリットも、話し合えば見えてくるかもしれないと思っての提案だった。
らぐーんさんも腕を組み、思案顔を見せる。
「悪くはないかもしれんけど、そんな地形だと作る拠点の規模が制限されるんじゃないか? それに崖崩れの危険性が常に付いて回る場所はちょっとな。簡易な洞窟みたいな場所…。 ほら穴の中を改装する、とかはどうだ、リンカ様?」
洞窟か、とこちらも思案顔になる。悪くないようにも思える物の、自然的にあるいは動物などが掘ったような場所などはだいたい先住者がいる気がして、つい眉根が寄ってしまう。
「洞窟か……ジメジメしてるであろうことに目を瞑れば悪い気もしないけど…。 リアルでもそういう洞穴なり洞窟って熊だのイノシシが巣として使ってるイメージあるんだが……。其処でばったり出会ったりしそうで怖いな…。 となると、でっかい大樹の根元に穴を掘るだの、横倒しになった倒木をくり貫くのも、見たことないサイズの蟲が出て来そうで、おっかなくなってくるなぁ」
これが人里の近くだったら、そもそもここまで悩まずに済むのになと、眉間を解しながら愚痴を零す。
「その通りだよなぁ…。あぁ…。私も見たことない昆虫と、朝起きたらコンニチワは御免蒙りたいぞ。さて、そうなると何処かにいい所は―――うん?」
私と似たような顔つきをしていたらぐーんさんだったが、何かを見つけたのか、不意に空を見上げ指を指し始める。
「そうだなぁ、リンカ様……。例えばだけど、な。 崖や水場からはある程度離れ過ぎない位置に、ツリーハウス的な木の上に拠点を作るのは? ほら、あんな風になってる場所とか。 少なくても木を登れる生き物でもない限り、陸上の捕食者からは逃れやすい……んじゃないか?」
やけに具体的な提案だなと、指差したその先に何かあるのかと、私もつられて見上げてみる。
そこには生い茂った木々の枝。
現実世界じゃまずお目に掛かれない大人の太ももの太さほどありそうなその枝たちが、幾重にも折り重なるようにして結びあがって頭上を覆っており、樹上の通路や広場のように重なっていた。
確かにあんな好立地を目にしてしまえば、未知の危険まみれの陸地に拠点を構えるよりも多少はマシに思えてくる。
「なーんこれ? 木の枝で出来た大地ぃぃ? 本当、異世界に来ちゃったって感じがするなぁ…。まあ、あんだけ立派な土台がしっかりできてる樹上なら農耕用の作物植えるだけの土を盛ったって大丈夫そうだし、そこそこ立派な家だって建てられる、かねぇ?」
他に当てがあるわけでもなし。そこそこの時間歩いてきた自覚がある以上、陽の落ちる時間だってそう遠くない。
そうなれば、たとえあまり適していなかったとしても、樹上に仮の拠点を構えるのが、今のところ現実的な選択肢かと思い直す。
「上、登ってみるか…。 らぐーんさん木登りできる?」
「ハハッ! リアルでも木登りなんて子供の頃にしたかどうか曖昧なくらい昔だぞ? そう言うリンカ様は?」
まあ、思った通りの返事に流石にげんなりしてしまう。
「右に同じだよ。ロッククライミングだのボルダリングしてる人たちってすごいね。 まあ、こうなれば気合で登る、か? あーあ。 これがマイビルだったらブロックをガンガン重ねて足場にして上って行けたのになぁ」
『マインビルダー』。
通称“マイビル”は、サバイバルとクラフト、建築要素が融合した自由度の高いゲームだった。ブロック単位で構築された広大な世界を歩き回り、素材を集めては加工し、自分だけの拠点や街、時には城やダンジョンまで作り上げることができる。
だが単に物を作るだけじゃない。夜にはモンスターが現れ、洞窟の奥には仕掛けだらけの古代遺跡が眠っていて、探索や戦闘といった要素もぬかりなく詰め込まれていた。
探索、建築、戦闘、生活……そのすべてを一人で、あるいは仲間と共に進めていくゲーム。
そんなクラフトゲームだったら、こんな高所へのアクセスだって随分簡単だったのになぁ、と嘆きの声が漏れてしまう。
「マイビル? あの建築ゲームのか? ぶっひゃっひゃっひゃッ! そりゃぁいいなぁ。 リンカ様、試しに地面とか殴ってみたらどうだ? こんなでたらめな世界なんだ。 存外殴ってたら、本当にマイビルみたいにブロック状に削る形で破壊できるかもしれないぞ。」
そんな愚痴を聞いていたらぐーんさんも、木登りがよっぽど嫌だったのか、それともストレス続きの移動に内心うんざりしてたのか…。 お腹を押さえて笑い転げだし、ひぃーひぃー言いながら、地面を指差し出す。
仕方ないなとため息を漏らしつつも、現実逃避代わりに腐葉土の柔らかい地面を素手で殴りつけようとして…。やっぱり素手で殴るのは嫌だと思い直し、適当に落ちていた枝を拾うとそれで地面を叩きはじめる。
「はいはい、やりますよ。 やーりーまーすぅぅぅ。 ふぅぅぅ~~~はぁぁ~~~。まったく! なんで! 私らがっ! こんな! 理不尽な目に! 合ってるんだよおぉぉぉぉぉ~~~!?」
もっとも私自身も先の見えない移動にストレスは溜まっていたようで。 その鬱憤を叩きつけるように木の枝でバンバン地面を叩く。
「はぁ……やっぱり、削れるわけ――」
ないか、とそう思った矢先、最後の一撃を打ちつけた瞬間、手に変な手ごたえが入って来た。
地面に叩きつけて、しなっていたはずの枝が、空洞に引っ張られるようにして元の形に戻っている。
何が起こったのかとよくよく叩いていた地面を見てみれば――本当に地面がブロック状に抉れて削れ、中空には抉れた腐葉土のブロックがアイテムのように浮いていた。
「…………。」
「…………。」
いつの間にか笑うのを止めていた、らぐーんさんと目が合う。そして示し合わせたわけでもないのに、二人同時に、抉れて削れた地面を見つめ直す。
「……は? リンカ様、今何したんだ?」
「え、ちょっ…!? ちょっと待ってよ。 私だって知るかよ、そんなこと!? マイビルみたいに削れろって念じながら叩いてただけで、特別なことしてたわけじゃないぞ!?」
私は慌てて抉れたばかりの地面の隣りを枝で叩きだし始める。
すると、先ほどと同じ回数叩いた辺りで、地面が抉れていき、中空にブロックの塊となった腐葉土が浮いていた。
かなり迷ったものの、その浮かんでいる腐葉土のブロックへ手を伸ばす。すると手の中にブロックと化していた腐葉土が、まるで掃除機に吸い込まれていき、その光景に思わず無言になってしまいながらも、もしやと思いアイテムウィンドを開いてみると、クラフトアイテムの欄に腐葉土ブロックが二個収納されていた。
「……リンカ様? まさかとは思うけど、さっきのブロック…。」
「うん、アイテムウィンドにクラフトアイテムって項目増えてて、そこに腐葉土ブロック入ってたわ」
恐る恐るといった感じで問いかけてるくらぐーんさんに、「大当たりだよ」と返しながら、いよいよ訳の分からないこの世界に眩暈を起こしてしまう。
削って仕舞えるというなら、取り出して配置することだって出来るのかと、腐葉土ブロックを掴み取ると、物は試しと仮の拠点を建築予定の大樹の根元にブロックを置いてみる。
すると、まるで綺麗に切りとって出したかのような美しい断面の腐葉土の塊が、目線の高さの辺りまで積み上がっていく。
ここまではまだ想像てきた範囲内だからそこまで驚くことではない。
——問題はここからだ。
マイビルでは、高所へのアクセスが異様に簡単だった。その理由は、あるルールにある。
「底面、もしくは側面が何かのブロックに触れていれば、どこにでも設置できる」
まるで重力も常識も無視するような仕様だったが、だからこそ空中にブロックを足場のように組み上げ、高く登ることができたのだ。
それと同じことが出来るならば、と淡い期待を胸に、アイテム欄の中から腐葉土ブロックを取り出すと、設置したばかりのブロックに飛び乗る。 今度は地面には触れない高さに来たことを、しっかり確認すると、木の壁面へ密着させる形で腐葉土ブロックを設置しようとし……あっけなく設置に成功してしまう。
「…………出来るのかぁ」
サバイバル経験なんて、ネットで聞きかじった知識レベルの私にとって、これは間違いなくありがたい。
――ありがたいのだけど、それと“気持ち悪い”は別問題だろう、と呆れ混じりに呟いてしまう。
「リンカ様、正直言っていいか? 控えめに言っても、めっちゃ気持ち悪いぞこの光景。 物理法則を無視してるのを見てるだけでも、ここまで違和感おぼえるものなんだな。」
地面から私を見上げていたらぐーんさんが、私の顔と足場のブロックを交互に見ながらポツリと呟く。
まったくもって同意しかできない。分厚くしっかりとした地面に立っている感触が足の裏から伝わってきているのに、気分的には、まるで空中に浮かぶ一枚板に立っているような、強烈な不安感があるのだ。
「言いたいことはわかる。 分るけど……。 もう便利なんだからって割り切ろうじぇ? となると、今度しなきゃいけないのは、マイビルで言うところの素材にできるようなブロック集めってことか?」
中空に浮かせたブロックから飛び降り、らぐーんさんの元に歩いていく。
すると、心得た様子で彼女がぴょんと跳ね、先ほどまでと同じように私の肩口からスルスルと登って頭の上に戻ってくる。
「んっ……そうだな。 あれ? そういえばリンカ様。 リンカ様が土をブロックみたいに削り取ったとき、どうやってたかもう一回教えてもらえるか?」
「そりゃいいけど……どうする積りなの? 私はマイビルのブロックみたいに削れろぉって怨念染みた意志というか意図というか、感情込めてぶん殴ってたら出来ただけなんじゃが?」
なんだってまたそんなことを聞いてるのかと疑問に思いつつ、ブロック化できた時の感触?手応えというべき感覚を端的に伝える。
すると頭上からなるほどなーとのんびりした声が下りてきて、途端に空気が渦巻きだす。
「そんなら、リンカ様と手分けしてチマチマ殴って整地しながらブロックにするのもめんどいんだ。 細切れにするから樹木ブロックと土ブロックになれ!」
ああ、魔法で吹っ飛ばしてもブロックに出来るかどうか試すのね、と理解出来たらうまく行って欲しいなぁ、とのんびり思ってしまう。
マイビルに限らず、どんな建築ゲームでもそうだったものの、整地する。材料を揃えるといった工程は、人によって好き嫌いは分かれるだろう。 私自身は、面倒だから楽できる方法があるなら楽をしたいな、と思う方だったからだ。
そんなことを思って見ていると、らぐーんさんが放った不可視の風刃が、道中で切り倒した木々や雑草、凸凹だった地面をまとめて切り裂いていく。
するとどうだろう——切られた箇所から、腐葉土ブロックや樹木ブロック、見慣れない植物の種子が浮かび上がり、まるで最初からそうなる運命だったかのように、取得可能なアイテムに変化していった。
「おー……。マイビルでさ、ゴーレム乗ってゴーレムパンチで整地してたの思い出すなぁ。
でもこれ……あの時より広範囲に整地できて、しかもブロックも回収できるって、どうなん?
ありがたいって喜ぶべきなのか、なんでもアリすぎて呆れるべきなのか、ちょっと判断に困るんじゃがー?」
「ありがたいって喜べよ、リンカ様。 こっちは座って休めば回収できるとは言え、それなりにSP(ソウルポイント)という代価払ってるんだから。 ゴーレムパンチは、ゴーレムを仲間にしてしまえば対価ゼロじゃったろ」
試みが成功して、声を弾ませたらぐーんさんに即ツッコミを入れられた。
「……それもそうか」と苦笑しつつ、「ちょっと走るよー」とだけ告げて、身体能力を向上させる加速呪文≪祓迅――アクセル≫を発動させる。身体が軽くなる感覚とともに、地面を蹴ると、まるで急発進したバイクのように勢いよく景色が流れていくなか、ぐんぐん加速していく。
「ゴーレムよりはっやーい」風切り音に引っ張られるらぐーんさんのはしゃぐ声を聞きながら、身体で風を切って出来たばかりの一本道を突き進む。 アイテムの回収だって、一々拾い集めずとも、近くを通過するだけで浮いたブロックや種子が勝手にできてしまうのだ。 便利なものだと足を止めずに一気に駆け抜けていく。
そしてウインドカッターの効力が、弱まってブロック化されていないところまでたどり着いた所で、ようやくアイテム欄を開く。樹木や腐葉土のブロック、草糸の中間素材なんかがズラリと揃っていた。 その数、おおよそ200個近く。たった一回でこれだけ集まるなら、素手でペチペチ殴るよりも、かなり効率はいい事が確認できた。
「よっし、それじゃらぐーんさん。 いま樹木と腐葉土のブロックが200個くらいだからさ。 1000個くらい集まったら、あの樹上まで行こうっか。 所持重量の制限に引っかかるのもダルいしさ。」
「せやなぁー。 木がそんだけあるなら木の設計台だって作れるだろうし、草糸と木を組み合わせればベッドだってできたじゃろ、確か? 簡素な小屋でもいいから、今日のうちに壁と天井に床張って安全な寝床で寝たいもんだな」
うんうんと頷きながら、どうせなら、とも願望が漏れてしまう。
「それなー……。お風呂とまでは言わないけど、せめてシャワー浴びたい。着替えも欲しいし……あ、そういや倉庫にシャツとパンツ、入れてたっけ。」
改めて、何が出来て何がまだできないのか確認する必要もありそうだなぁと、とりとめのない会話を交わしながら、らぐーんさんが風の刃で整地した場所を、私が駆け回ってアイテムを回収すること数度。
乗用車が二台問題なくすれ違えるくらいの広さを整地し終えたところで、望む数のブロックやアイテムがアイテム欄に詰まっていた。
自分たちで決めたブロックやら、中間素材になりそうなアイテムを揃え終えてしまえば、後は朝まで地上に用は無いと、私たちは、さくっとブロックを積み上げ、あっという間に樹上エリアへと到達した。
ほんの数分後、見上げていた枝の世界は、今や私たちの足元にあった。 高所恐怖症の人が、あの枝と枝の隙間から見え広がる眼下の光景を見てしまえば、腰を抜かしそうだなぁ、とのんびりした感想を抱きつつ、大地の代わりに選んだ場所の強度を確かめるように、軽めに枝を蹴ってみる。
固く、締まった地面を蹴ったかのような重い感触が返ってくる。
「ん~~? 一本一本が太いとはいえ、蹴っても普通に歩いても微動だにしないとか、どれだけしっかり枝同士で絡み合ってるんだ?」
飛んで跳ねてみても、枝が絡み合った場所にいると思えないほどの安定感に驚かされる中、いつの間にか頭の上から降りていたらしいらぐーんさんが、自分でも拾っていたらしい腐葉土のブロックを手に取っていた。
「足場が不安定じゃなくって、しっかりしてることは良いことじゃないか。 流石にこのままじゃ建築するのも不便だし、凸凹になってる部分に土埋めて行こうじぇ、リンカ様」
そう言うなり、さっそく足元にブロックを設置しようとするらぐーんさんを見守る。
今のらぐーんさんの小さな手にも収まるほど圧縮されたブロックが、実際に設置する際には畳三枚分の広さになるのだから、やはりこの世界は何かが変だ、と違和感を覚える。
とはいえ気づけば、空の端が赤く染まりはじめていた。日も傾き、辺りはゆっくりと夕方の気配に包まれている。いつの間にか、木々の影が長く伸びていた。夕暮れが、確実にこの森に忍び寄ってきている。そんな推測話なんて、余裕が出来てからするべきかと、私自身腐葉土ブロックを手に取りだす。
「そうさね。 流石に明かりなしで作業するとか勘弁だし。 手早く窪んでるところは、念入りに土ブロック何段も使って埋めてなるべく平らにしちゃうかね。」
樹上のエリアは、意外なほど広く広がっていて、今見渡せる限りでも、小学校のグラウンドが5つも6つも入ってしまいそうな広大なエリアを形成していたが、そこはまた明日でもやればいいか、と一先ず小屋を建てるスペース周りに土ブロックを敷き詰めていく。
私が地面を土ブロックで穴埋めしている最中、らぐーんさんは、簡素な木の作業台を四苦八苦しながら何とか組み上げて、建材ブロックやベッドを作成していてくれたためか、日が落ちきる前に、なんとか小屋の骨組みを組み上げることが出来た。
床には腐葉土のブロックを取り除き、木の化粧床のブロックを敷き詰め直し、壁を張って簡素な一枚ドアを付けてから屋根を張る。 新築の木の家のような、何とも心地の良い香りがする小屋の中に、草糸と木材でこしらえた簡素なベッドを設置すれば、一国一城の主になれた気がしてきて、つい笑顔が零れてしまう。暗くなりきる前に、なんとかここまで形にできたのは、奇跡かもしれない。
「ふぅ……やっと寝れるわ……」
ベッドの上でぴょんと飛び跳ねてから、どっかり座り込んだらぐーんさんが、小さく伸びをして言った。
私もその隣に腰を下ろし、ようやく一息ついた。
「せやねぇー…。 ねえ、らぐーんさん。 明日は残りの剥き出しの枝の上に土敷き詰めたら、”尽きぬ水瓶”を作んない? アレがあれば最悪水浴びできるし、飲料にも困んないじゃろうし」
流石に汗でベタベタして不快なのは、らぐーんさんも同じなようで、大きく頷き返される。
「そうするかー。 お風呂とシャワーのある日本の自分の部屋が、こんなにも恋しくなる日が来るとはなぁ。」
樹の上とは思えないほど安定した足場と、仮初めでも雨風を防げる小屋。
食料も寝床も確保して、スキルも使える。
そんな中で、ようやく実感する。
——本当に。 日本にあった、当たり前のように享受できた安心と、清潔が担保されてない異世界なんてロクなもんじゃないな。と。
異世界で迎える、明かりも何もない真っ暗な最初の夜。
それは、思ったよりも静かで、少しだけしょっぱかった。