2月2日
あれから明らかに雪浦さんが過保護になった。
確かに身体は弱ってはいるが介護が必要な程じゃないんだがな。恥ずかしいから止めるように言ったがまったく聞き入れない。
なかなか最近の彼女は強引だ。入院して欲しいと彼女は言っているが、正直意味ないと思うから行っていない。魔力に関することは人類にとってまだ未知の領域だ。治すことは出来ないらしい。
2月14日
雪浦さんからチョコを貰った。結構手の込んでいそうなものだった。凄く嬉しい。人の心の籠ったものを貰った時は心が暖かくなる。義理チョコでここまで頑張るのは凄いと思う。
本命にあげたのかと聞いたが、何故か頬をつねられた。何故だ。
2月26日
血の塊を吐き出してしまった。いつもの血とは違う。多分魔力も含んだ血だろう。
何だかくらくらする。しんどい。頭も痛いし胸も痛い
苦しい、キツイ。
3月3日
まだ、雪浦さんは諦めてないらしい。
力強い眼で俺を見つめて、助けると言っていた。
もう、止めてくれ。意味なんてない。期待なんてしても無駄だ。それでも懸命な彼女を見ると、期待してしまう。もしかしたら助かる方法があるかもしれないって。
3月9日
体から魔力が抜けていく気がしている。
死が、迫っている。想定よりも早すぎる、夏くらいには危ないと言われていたのに。
やっぱり、こうなるんだな。これが正しいものだった。もういいや。
雪浦さんには謝らないとな。
3月20日
苦しい。
もう死ぬかも。
■
その日は、何だか胸騒ぎがしていた。
何かが起こりそうな、予感がしていた。
朝から浮つく心を何とか落ち着かせ、高校から下校する。
氷花は柊の家に向かう途中、スマホを開いて歩いていた。人が少ない田舎とは言え危険な行為だが構っている暇なんてない。
スマホで人体の魔力の影響について調べるが、大した結果は出ない。それに眉をひそめながら歩き続ける。
ここ数週間で身についた習慣であるが、大した成果は出ていなかった。やはりまだ魔力というのは未知の分野である事がわかる。
柊を救うと大口を叩いたが、氷花はまったく解決の糸口を探せていなかった。国内問わず海外の論文すら目を通した。いくつもの病院に行って柊の身体を見せたが医者は首を振るだけだった。もう手遅れだと。最期は好きな事をさせた方がいいと。
これが、彼の諦めていた理由なのだろう。確定した未来。柊の死。
それを柊は受け入れていた。
「……絶対諦めない」
それでも氷花は諦める気なんて微塵も無かった。
時間の限りその方法を探し続ける。
そう決めていた。
傾く夕日に照らされながら氷花は歩く。辺りが橙色に染まり少し眩しかった。
氷花はそのまま柊の住むマンションに向かった。階段を上がり、玄関の扉を開ける。
「……?」
そこで、氷花は異変を感じた。
あまりにも静かすぎる。物音一つしていない。何時もなら付けているはずのテレビの音すら聞こえてこない。人の生活音がしない。
嫌な予感がした。
背筋を冷たいものが伝う。最悪の未来が頭を過ぎる。
氷花は恐怖を感じながらリビングに通じる扉を開けた。
「……柊さん!?」
そこには、
部屋の中心で柊が口から血を流して倒れていた。目を閉じて苦悶の表情で倒れている。
氷花はすぐさま柊に駆け寄る。呼吸はしているが、意識は無いらしい。口からは血の塊を吐き出していた。
「大丈夫ですか!?柊さん!と、とりあえず救急車――」
「大丈夫だ……いらん」
氷花が混乱の極地に陥り、ひとまず救急車を呼ぼうとすると倒れていた柊が突然言葉を発した。
「もう……意味なんてない。呼ぼうが呼ばないが変わらない」
「変わらないって……」
柊は震える膝を無理やり振り絞り立ち上がる。義足が音を立てて軋んだ。氷花はそんな彼に肩を貸して支える。柊は氷花にどこか儚げな目を向けた。
「分かるんだよ、自分の身体の事は。もう俺は死ぬって事も」
「え……、もう……し、死ぬ?」
「ああ。多分、もうちょいで死ぬ」
氷花は頭が真っ白になった。
意味がわからない。いや、分かるには分かる。
ただ、頭が理解するのを拒んでいる。
柊は混乱している様子の氷花の頭を優しく撫でた。まるで親が子にするように優しく触れる。
「身体から魔力が抜けていくのが分かるんだ。少しずつだが、間違いなく魔力が減っている。この調子だと一週間持つかどうかだな」
「う、嘘……まだ時間はある筈じゃ……」
「そのはずだったんだがなぁ……」
確かに柊は高名な医者の診断で、夏くらいには死ぬ可能性が高いと言われた。だがそれは絶対では無い。柊の異能の傷跡はあまりにも多すぎた。診断が間違っていてもおかしくない。
柊は別に悲しくは無かった。ただ自分の番が回ってきただけだと達観していた。異能官時代の同僚もほとんど死んでいる。そこに自分が入るだけだと。
「まぁ……仕方ないだろう。俺は少しやり過ぎた。そのツケが回ってきただけだ」
「……」
柊は酷く簡潔に自分の死を語る。既に決まった未来をただただ発する。
でもそれは、ただの高校生の少女に耐えられるものでは無かった。
「……なんで」
「……ごめんな。最後まで面倒見きれなくて」
「……」
だって、まだ何も見つかってない。
魔力で傷ついた臓器を治す方法も、味覚を戻す方法も、記憶を戻す方法も、流れていく魔力を身体に閉じ込める方法も。
柊を救う方法が見つかっていない。
氷花は、間に合わなかった。遅かったのだ。
「ごめんなさい……」
震える声で氷花は言う。色々な感情が混ざり、それしか頭に無かった。
「何で君が謝るんだよ。全部俺が悪いのに」
「……助けるって言ったのに……出来なくて、ごめんなさい」
「はぁ……」
顔を俯かせる氷花に柊は溜息をつく。
それから柊は氷花をそっと抱きしめた。突然胸の中に押し付けられ氷花の思考が止まる。
「俺は後悔なんて無いって言っただろ?君が悪く思う事は無い」
「……でも、まだ……」
氷花が呟く。顔を上げた。
涙で濡れた目で柊を見る。
「……まだ、生きていて欲しかったです」
柊とやり残したことなんて一杯ある。
もっと一緒に遊びたかった。夏にプールに行ってみたかったし、花火も一緒に見たかった。学校の行事も見て欲しかった。綺麗に着飾った姿も見て欲しかった。
でも、もう出来ない。
「……まだ……一緒に……やりたいことが……ぅあ……ぐすっ……うぁっ……」
嗚咽が止まない。涙が止まらない。ここまで泣いた事なんて幼い頃を除けばほとんど経験が無かった。氷花は子供の様に泣きじゃくる。心が嵐の様に荒れ狂う。
「……参ったな」
そんな氷花に対して柊が出来ることはただ抱き締め続けることしか無かった。
■
それから、柊は常にベットで寝たきりの生活になった。少しでも体力を使わない生活をする為だったが、柊からすれば焼け石に水だとしか言えなかった。入院するのも良かったが、どうせ寿命は変わらないので自宅療養を選んだ。
そんな柊を世話する為に氷花も泊まりきりで柊家に滞在していた。柊も日常生活は送れるのだが氷花が全力で止めたので仕方なく諦めた。偶然にも学校は春休みだったので氷花も気軽に泊まることが出来た。それに最期までの少しの時間はずっと彼と一緒に居たかった。
柊は家事をする氷花を見ながら天を仰いだ。
もう死ぬ、らしい。
実感が湧かない。何だか夢みたいだと思った。
それでもあれから偶に暗い表情をする氷花を見ると現実なんだと分かってしまう。
「……死ぬのか」
そう呟くと実感が伴ってきた。ふわふわとしたものがしっかりとした感触に変わる。
途切れ途切れの記憶の中にある、死んだ同僚達。
笑顔が印象的だった友人は頭を吹っ飛ばされて死んだ。静かだったけど話してみたら面白い話をしてくれた男性は下半身を引きちぎられて死んだ。美人で有名だった女性は腹を貫かれて死んだ。
そこに、柊も加わる。そこまでの過程に違いはあれど死ぬ事に変わりは無い。
何も出来ずに死ぬ。抵抗すら出来ずに終わる。
それは何だか寂しかった。
「……死にたく、ない」
ぽつりと、口から自然と出た。
柊が捨てたはずの思いが口から漏れ出る。諦めたはずの感情が甦る。悔いなんて無い、それは事実だ。それでも何故かそう思ってしまった。
だが柊はそれをすぐ心の奥に仕舞った。これは余計な感情だ。氷花に無駄な心労を抱かせてしまう。ほぼ死人の自分がそんなことしてはいけない。
氷花が近づいてきたのを感じ、それを隠すために取り繕う。幸い彼女は何も聞いていないようだった。
「その……身体はどうですか」
氷花は恐る恐る柊の容態を聞く。
「変わらないな、良くも悪くも。ずっと魔力が出ていく感じがする。あと何日持つかは分からない」
「……そうですか」
硬い声で氷花はそう返事をした。そのまま柊の寝ているベットに腰を下ろす。
「他に道は……無いんですか」
「……無いな」
柊が言うと氷花は更にその顔を俯かせた。
二人の間で沈黙が流れる。沈痛な思いを抱いている氷花と、もう諦めている柊。どちらも口を開く事は無かった。
その時、
「……!」
「……うっ!?」
床が、揺れた。柊の部屋ごと津波の様な揺れが二人を襲う。買い集めた家具たちが震え、動きだす。
最初は地震かと思った二人だったがあまりにも大きく、規則正しい揺れにある疑念が浮かんだ。でもそれは、決してあってはいけないことだった。
氷花が急いでスマホを開き、歳光市と検索をかける。
そこに表示されていた内容は二人が恐れていた事だった。
「……巨獣級異獣……発生……」
「……マジか」
氷花は絶望したように床に座り込む。こんなの、酷い。まるで追い打ちをかけるみたいじゃないか。
そんな氷花に一つの考えが浮かんだ。
歳光市はかなりの田舎だ。異能協会の人間が来るまでは時間がかかる。その間にどれだけの被害が出るか。もちろん在野の異能者も抵抗はするだろう。でも相手は巨獣級だ。災害の化身とも評される体躯に、凶暴な性格。喰らう被害は計り知れない。もしかしたら柊のマンションにまで来てしまう可能性もある。
それに抗えるのは、異能官。柊は無理だ。幾ら彼が歴戦の異能官だと言っても今の身体じゃ能力を発動することすらままならない。能力を発動したとしても、次の瞬間には無事でいられるか分からない。
他には、それに準じた能力を持つ異能者。例えば、元異能官に鍛えられた異能者とかだろう。才能のある一般人で知識のある人間に十分に鍛えられた人間。
「……」
氷花は震える身体を動かし立ち上がる。
それしか道が無いから。この生まれ育った街を守るために。家族や友達を守り、柊を少しでも長生きさせる為に。
「おい、行くのか?」
声に振り向く。
柊は眉をひそめて氷花を見ていた。
「……はい。それしかないので」
「別に君が行かなくてもいつかは異能官が来る。それまで耐えるのは駄目か?」
「……」
それは素晴らしく甘美な提案だった。命の危険なんかに晒されずに好きな人と共に過ごす。もしかしたら行って死ぬかもしれない、柊に会えなくなるかもしれない。それよりここに居た方がずっと良いだろう。
でもそれは駄目だと直感していた。
「……ごめんなさい。行きます」
「……そうか」
氷花は最後の決心をするために柊に向き直った。そして手を握り、その暖かさを握り締めた。
暖かい体温を感じて、氷花の中に火が灯る。
「……行ってきます」
最後に柊を見て、氷花は玄関から飛び出した。
もう、身体の震えは収まっていた。
そんな姿を柊は見ていた。
柊の中で色々な考えが浮かぶ。どれが最善の方法か、彼女にとって最も幸せになれるやり方は何か。
幾多もの選択肢が浮かぶ。
「……良し」
そうして柊はベットから起き上がった。
視線は、傍に置かれた義足の方に向いていた。