傷だらけ異能者の日記   作:アサリを潮干狩り

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第八話

 

 3月29日

 多分これが読まれてるってことは俺は死んだのだと思っている。死んでないなら今すぐ閉じてくれ。恥ずいから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここから下は俺の遺言だ。

 

 

 今急いで書いてるから汚かったからすまん。読んでいる人は分かっているから、君に書く。どうせ読むのは君だろうから。

 

 

 ありがとう。俺と親しくしてくれて。俺には何も無かったから妹が出来たみたいで結構楽しかった。

 

 こう言うと君は、自分こそお世話になった、とか言うと思うとけど本当に楽しかったんだ。

 

 日記を見たら分かると思うけど、最初は結構疲れてたんだ。度重なる過酷な任務に、空っぽな自分。大分しんどかった。それは異能官を辞めても変わらなかった。

 

 でも君と会って何かが埋まった気がした。それは多分家族とか友人とか、俺が置いてきたものだったんだと思う。

 

 本当にありがとう。

 

 だから、俺はこうする。したい事をする。

 

 君に残す最期の贈り物だと思ってくれ。

 

 死にゆく俺から、これからを生きる君への贈り物だ。

 

 元気で暮らしてくれよ。もし結婚したり、子供が出来たら墓に来て報告してほしい。やっぱり君の幸せな姿が見たいんだ。本当に妹とかが居たらこういう気持ちだったのかもな。

 

 

 だから、泣かないでくれ。俺は、悔いなんて無いからさ。

 

 

 

 ■

 

 

 

 氷花は道を息を荒らげて走っていた。身体を汗だくにしながら、それでも構わずに全力で走る。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 さっきから街の中心部の方で轟音が聞こえてくる。恐らくそこに異獣が居るはずだ。そう信じて走り続ける。

 

 しばらくそうしていると、市街地に一つの黒い山が蠢いているのが見えた。黒い山の周囲には火災によって焼けた住宅が並ぶ。街には避難を呼びかける放送が常に鳴り響いていた。

 

「あれが……巨獣級……」

 

 柊から話は聞いていた。

 

 異獣の中で最も危険で討伐が困難な等級である巨獣級。体は山の様に大きく、動くだけで街を破壊する。もし出会ったら直ぐに逃げて自分に助けを求めろ。柊はそう言っていた。

 

「でも、やるしかない」

 

 頼みの柊は動けない。

 

 ならば、自分しかいない。

 

 氷花は身体に魔力を巡らせてそのまま全力で異獣まで走る。黒い山が近づくにつれて、その異常性が分かった。

 

 形はまるで龍の首と巨人を無理やりくっつけたかの様な体躯をしている。巨人の首より上からは龍の頭が三本生えていて、それぞれ火炎を街に吹いていた。火災が勢いを増し、龍が咆哮する。

 

 その禍々しい様子に思わず氷花の足が止まる。意思に反して足は石の様に固まる。

 

 本当に死んでしまう。あんなのを討伐出来るはずない。柊は簡単に討伐出来ると言っていたが、そんなの嘘だ。氷花が行っても簡単に蹴散らされて終わる。

 

 負の思考が頭を占領する。

 

 死んだらそこで終わりだ。次なんて無い。そう、だからもう――

 

「いや、私がやる!」

 

 声を張り、そんな考えを誤魔化す。

 

 だって、何もしなかったらみんな死んでしまう。今だって被害が出続けている。いつ大切な人が死んでしまうか分からない。

 

 皆を助ける。

 

 あの人、柊みたいに。

 

「……よし、行こう」

 

 決意を固める。

 

 柊の手の暖かさを思い出す。

 

 また、一つ覚悟が決まった。

 

 氷花は一歩を踏み出しその山とも見紛う程の怪物に立ち向かう。怖くて仕方ない、だってまだ生きてたい。それでも、全部を守るために行くしかない。

 

 そんな氷花を感じ取ったのか異獣の龍頭が一つ、氷花の方を向いた。氷花はその身体に沢山の魔力を抱えている。それが異獣には、まるで芳醇に実った果実の様に見えた。

 

 一瞬、怯む。

 

 それでも、いつかの彼の声が聞こえた。

 

『絶対に魔力の流れは止めるな。血液の様に動かし続けろ。もし止まった時はその時が死ぬ時だと覚悟してくれ。異能官の戦いとはそういうものだ』

 

「あぁぁ!」

 

 本能から感じる恐怖を押し殺し、そのまま氷花は異獣に突き進む。身体に魔力が廻る、柊の教えの通り魔力は決して止めない。

 

「グガァァ!」

 

 異獣の頭が一つ氷花の方に口を開く。その奥から火種が見えた。

 

「まずい!」

 

 氷花は瞬時に察知し、目の前に巨大な厚い氷の壁を形成。廻る魔力が滑らかに操作される。魔力がしっかり練り込まれた壁は鋼鉄以上の硬さを誇っていた。

 

 龍頭の口から火炎が放出される。風の様な勢いで押し寄せる火炎の津波は、しかし氷の壁によって完全に勢いを止められた。じわじわと溶け始めてはいるが氷花の壁はその炎を受け止めた。

 

「……通じる」

 

 普段の訓練は無駄ではなかった。知らず知らずの内に氷花の実力は遥か高みまで登っていた。

 

 異獣はその手応えに満足したのか興味を無くしたように首を別の方向に向けていた。そのまま街に火を放ち、本能のまま咆哮する。

 

「……やるしかない」

 

 先程の防御で自らの能力の実感が湧き、氷花は異獣に攻撃する事を決めた。

 

 まずは小手調べだ。

 

 手を翳し、濃厚な魔力を集める。異常なほどの冷気が集う。氷花を中心として白い氷の結晶が周り始める。周りは炎上した街が並んでいるというのに、それはどこか幻想的な景色だった。

 

 氷を司る少女はその手に宿る異能を目の前の巨大な異獣に向ける。あまりに濃い魔力に異獣も反応し、その首を向けようと動き出した。

 

 それでも、遅い。

 

 氷花はその手に宿る異能を解き放った。

 

「凍れ!」

 

 解き放たれた白の波動が異獣に向かう。波動が通った後の民家は白く凍る。異獣に波動が当たるとその体は白く染まり、遂には動かなくなった。

 

 黒かった山が白に変わり、雪山のようだ。その周囲も白く染って降り積もる雪のように見えた。それでも氷花は安心などしていなかった。自分の能力への理解が深まり、異能が与える効果をハッキリと把握出来ていた。

 

 次の瞬間。

 

 雪山に亀裂が入り、その隙間から黒い肌が顔を覗かせた。巨人が白い肌を脱ぎ捨て禍々しい漆黒の闇が出てくる。三本の龍の頭が怒り狂う様に咆哮した。

 

 氷花はそれにあまり驚いてはいなかった。

 

 油断なんてしているはずがなかった。

 

 氷花は黒い龍頭を見据える。

 

「私が、倒す」

 

 虚勢でも言い続ければ本物になる。そう信じて心に火を灯す。

 

 右手に魔力を集める。今度の技はさっきのとは違うものだ。

 

 生物を殺す為に編み出した残酷な技。右手に氷の結晶が廻り始め、刺々しい形に変化していく。

 

 だがそんな氷花を自由にさせる訳もなく、異獣は氷花目掛け手を払う。巨大な手はその勢いと相当な質量を兼ね備えて破壊を齎す。

 

 黒い巨大な手が氷花に迫る。街を破壊しながらその手が氷花に直撃する、寸前。

 

 氷花を囲うように氷の城壁が構築される。異獣の攻撃を察知していた氷花は、魔力を集めている右手とは違う左手で壁を構築していた。咄嗟に出来たのは普段の訓練の賜物だろう。

 

 氷の城壁と漆黒の巨大な手が衝突する。削れた氷が宙を舞い、鱗粉のように街に降り注ぐ。氷の城壁は攻撃をものともせず、堂々とそこにあった。

 

「……くっ」

 

 地面が割れるような衝撃が伝わる。

 

 それでも、氷花は魔力を制御する右手から意識を離さない。

 

 これで仕留めきれなかったら本当に終わりだ。

 

「……柊さん」

 

 氷花の右手を中心として数え切れない程の氷の長槍が廻っている。その一つ一つが穂先に鋭い氷の刃を備えている。もし人に刺されば即死だと断言できた。

 

 氷花が考え出した必殺の技。前に考案して狼の異獣に使ったものには致命的な欠点があった為、使う事は無くなってしまった。検証した結果、使い道は沢山あるとは思ったが氷花には要らないものだった。

 

 困り果てた時、氷花が思い付いたのはただひたすら物量で攻めるというものだ。氷花の異能で創り出した氷を敵に命中させる。どんな大きさの敵だろうが死ぬまで氷を刺し続ける。

 

 「……もういいかな」

 

 数百の長槍が廻り出した頃、氷花はそびえ立つ異獣を見た。そろそろ城壁も限界だろう。頃合いだ。

 

 右手を指揮棒の様に動かし、長槍を統率する。氷花に従う長槍達は一斉に穂先を異獣に向けた。

 

 それと同時に城壁が破られる。

 

 氷の破片が飛び交う。

 

 そんな戦場で氷花は、碧眼を輝かせた。

 

「行け!」

 

 指を指す。

 

 号令と共に長槍達が空気を切り裂き漆黒の異獣目掛けて突撃していく。穂先を異獣に向けた数百、いや数千の槍達が空に飛翔していた。

 

 手で城壁を壊し、満足していた異獣はそれを目で追っていた。だが、抵抗する素振りは無い。ただ戸惑っている、初めて自らに攻撃を仕掛ける生物に驚いている。その異獣はまだ生まれて間もない。赤子のようなものだ。

 

 だから分からない。人の脅威を。

 

「グオォォ!?」

 

 漆黒の体表に次々と槍が突き刺さる。まともに感じた初めての痛みに異獣は混乱していた。構わず槍は突き刺さり続ける。

 

「……いける、の?」

 

 氷花は信じられない様子で呟く。だが現に目の前の異獣は突き刺さる氷の槍で苦しんでいる。体から槍を生やし、苦悶の声を上げている。

 

 氷花の瞳に希望の光が宿る。

 

 でも、現実はそう簡単には行かない。

 

「グ、ガアアァ!!」

 

 三つの龍頭が暴れ炎を吐き出す。市街地に炎が降り注ぎ火災が拡大する。その一つが偶然、氷花の元に襲い来る。

 

「……やばいっ」

 

 上空から炎が降るのを確認し、氷花は急いで氷のシェルターを構築しようとする。咄嗟の判断だったが、それは成った。出来た頑丈な壁を見て氷花は安堵する

 

 その氷が破壊され、身体が吹き飛ばされるまでは。

 

「きゃぁぁ!」

 

 自らの身体が飛んで行く感覚に氷花は思わず悲鳴を上げた。先程までは防げていたのに、何故。そんな思考が頭を回る。

 

「……っ!?」

 

 並ぶ民家の壁に激突し、肺を圧迫され息が出来なくなる。ぐったりと身体から力が抜けた。体の奥にダメージが残りながらも、力を振り絞りなんとか立ち上がる。

 

 氷花が顔を上げると、そこには街を暴れ回る怪物の姿があった。三つの龍頭からは炎が吹き出し、巨大な体は街並みを破壊して回っていた。明らかに炎は勢いを増し、体は激しく動き回っている。

 

 

 異獣は本気では無かった。それが答えだ。

 

 さっきまでの戦いは異獣にとってただの遊びだったのだ。そして所詮餌から反撃され、怒り狂い暴れている。体躯に秘めた魔力は禍々しく蠢いている。やはり巨獣級は伊達ではない。

 

「……うあ」

 

 氷花の口から呻き声が漏れる。叩きつけられた身体が悲鳴を上げている。まだ体の奥が痛む。

 

 でも、足が一歩進んだ。

 

 がくがくと震える足で、また一歩進む。だって自分しかいないから。家族や友達、柊を守るために行かなきゃ行けない。そうしないと一生後悔してしまう。

 

 守りたい人がいる。守らなきゃいけない人がいる。

 

 だから氷花は進む。

 

 あの日の憧れに追いつくために。あの人に恥ずかしく無いように、頑張る。

 

 そしていつかあの輝きに触れるために走り続ける。

 

 氷花は決意を固め、足に力を入れる。

 

 そうして足を――

 

 

 

 

 

「おい、随分ぼろぼろじゃないか。なぁ?」

 

 背後から人の声が聞こえた。足が自然と止まる。

 

 聞き覚えのある声だった。安心できる声、好きな人の、声。

 

 でも、それはここに居てはいけない声でもあった。

 

 氷花は恐る恐る背後を振り返る。

 

 そこには、右足を義足にした黒髪の青年が立っていた。

 

「まぁ仕方ないな。あれだけの異獣だ。君には少し早すぎる。まだ相手するには数年はいるだろう」

 

 柊は氷花に微笑みながら歩み寄る。その足取りは軽快で一般人と比べても遜色なかった。まるで普段の体力を取り戻したかのように身体に力が満ち溢れている。

 

 だが氷花にはそれに気づく余裕なんて無かった。

 

「な、なんで貴方がここに。家に居るはずじゃ……」

 

 顔色を蒼白に染め、言葉を紡ぐ。

 

「まぁ、助っ人って事だ。正直に言ってあれを相手にするのは厳しいだろ?」

 

「……」

 

 渋々柊の言葉に頷く。だがそんな事を答える暇があれば一刻も早く柊を遠ざけたかった。

 

「あの……早くここから離れてください!危ないです!」

 

「……それは、聞けないな」

 

 柊は氷花に向き直り、顔を見つめた。目と目が合う。柊の顔は何故か活力に満ちていた。

 

「大丈夫、あれは絶対に倒す。この残り少ない命でも殺し切る。だから安心してくれ、君は休んでいていい」

 

「何を……言って……」

 

「部屋は引き払う予定だったから、お気に入りの物があれば早めに持ち帰ってくれ。頼んだぞ」

 

 柊は一方的に話すと、そのままの足取りで漆黒の異獣に向かう。そして異能を発動したのか、身体から光が漏れ始める。

 

 最後に氷花を振り向き、柊は笑った。

 

「あと、机に日記を置いておいたから出来れば読んでくれ!」

 

「ちょ……待ってください!」

 

 最期に、一言。

 

「……じゃ、さよなら。幸せになれよ」

 

 そのまま柊は振り返ることなく異獣に足を進め始めた。

 

 

 

 

「……え?」

 

 一人残された氷花は呆然と立ち尽くす。氷花の脳内は混乱に陥っていた。何故、ここに来たのか。先程の言葉の意味は何か。

 

 考えている内にも柊は氷花から離れ、異獣に近づいている。その姿は不自然に元気で、嫌な予感を感じた。

 

 明らかに最近の彼とは似ても似つかない顔色。彼の異能の発動を示す光の点滅。あれだけ避けていた異能の発動をいとも簡単に行う。

 

 まるで、命を燃やしているようだった。

 

 蝋燭の火が消える寸前に、一際明るく輝くように。

 

「待って!柊さん、待ってください!」

 

 必死に氷花を声を張り上げる。力の入らない足を踏ん張りなんとか追いつこうと歩き出す。

 

 間違いなく彼は異獣と戦うつもりだ。それも自らの命を犠牲にして。今の身体で異能を発動すれば死んでしまう。

 

 残り少ない時間を燃やし尽くして異獣を討伐する。

 

 そんなの、おかしいじゃないか。

 

「柊さん!待ってよ……」

 

 貴方は、もう頑張ったのに。

 

 休んでいいのに。

 

 どうして。

 

「待って……」

 

 既に柊の姿は遠く離れた場所に見えた。一般的な速度で歩いている柊と、異獣の攻撃を受けて身体に傷を負った氷花、そのまま差が広がるだけだった。

 

 異獣は近づいてくる生命体に気づく。黒い髪を揺らして見据える不遜なその姿が、やけに大きく見えた。

 

「グガアァ!」

 

 異獣はその龍頭を遣わせ異物を排除することを決めた。三つある龍頭の内一つが柊を睨む。

 

 龍の口が開く。口の奥から微かに炎の粒子が見えた。そうして龍の息吹が発射される寸前。

 

「ガア――」

 

 眩い程の極光が、異獣を貫く。

 

 柊の居た場所から異獣の三つの頭部までを一つの極太の光線が繋ぐ。それは上空の雲すらも吹き飛ばした。

 

 衝撃波が氷花の居る場所まで届く。風圧で周りの木材などが吹き飛ぶ。

 

 光が収まった後にあったのは三つある頭部を全て失い、機能を停止した異獣の胴体部分だけだった。それも徐々に形を失い始めている。

 

 呆気なく、街を脅かした脅威は去った。

 

 街の被害は消えないがそれでも復興は順調に進むだろう。この世界の人間にとって異獣災害は珍しいものではない。人々は互いに励まし合いながら生きていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それでも、氷花にとってはまだ終わっていなかった。

 

「柊さん!柊さん!」

 

 必死に足を動かし、瓦礫の山を走り回る。躓きながらも、擦り傷を負っても足は止めない。氷花の呼び掛けに答える声は無かった。

 

 そうして見つけたのは、街道の道端。

 

 そこで倒れている黒髪の青年を見つけ、氷花は全力で駆け出す。

 

「あぁ……柊さんっ!」

 

 すぐさま駆け寄り声を掛けるが柊は反応すらしない。目を閉じ身動きすらしない

 

 柊の状態を確認するが状態は深刻だった。意識は無い、呼吸はしていない、そして身体から魔力が急速に抜けている。

 

 この世界の生物にとって魔力は猛毒であると同時に生命の維持に不可欠な要素だ。魔力が体内を周り生きる為に必要な物を届けている。また魔力自体が生命活動に必要な物質でもある。

 

 柊の身体の魔力が抜けていく理由は明白だ。彼の身体の魔力を閉じ込める栓のようなものが完全に壊れたのだろう。数日前に彼が危惧していたように。

 

「魔力が……抜けて……」

 

 やはり無茶だったのだ。あんな出力で異能を発動すればこうなることは分かっていた筈だ。なのに、どうしてこんなことをしたのか。

 

「私が……弱かったから」

 

 氷花は呟く。

 

 そうだ。自分がこんな異獣を蹴散らせる程強ければ柊は安心して家で待っていた筈だ。柊は、死ななかった。

 

 後悔の念に包まれている間にも柊の命は刻一刻とすり減っていく。生命の灯火が消える。

 

 それを氷花は見ていることしか出来なかった。

 

「……待ってよ……」

 

 自らの好意を伝えることも。

 

 昔、助けてくれた事についての感謝の言葉も。

 

 大事なことが何も言えていない。

 

「やだよぉ……」

 

 視界がぼやける。鼻に水気を感じる。

 

 別れの覚悟はしていたはずだった。既に彼の居ない未来も想像していた。もうこの生活は終わるのだと、分かってはいた。

 

 それでも頭はそれを拒否する。なんとか彼を延命させる方法を考える。彼の命を続ける方法を生み出そうとする。

 

 

 

 魔力が足りない、ならば自分の魔力を分ける。

 

 駄目だ、人の魔力は反発し合う。それをすれば彼の身体は砕け散る。

 

 生み出した氷で彼の内臓の代わりをする。

 

 無理だ。簡単に出来ることじゃない。できるかも分からない。

 

 今すぐ彼を背負い病院に運ぶ。

 

 間に合わない。間違いなく着く前に柊の命は尽きる。それに病院に行っても意味なんてない。

 

 

 

 そこには絶対に乗り越えることの出来ない壁があった。当然だ。簡単に出来るなら柊も病院も既に実行している。技術と異能の限界があった。今の科学と魔力技術では到底叶わない願いだ。

 

「……あ」

 

 ふと、氷花が言葉を漏らす。

 

 今の技術では柊は治せない。確かにそれはそうだろう。

 

 でも、未来なら?

 

 未来の技術なら、柊を治すこともできるかもしれない。

 

 生きて、もらえるかも。

 

 思いついたのは冷凍保存。いわゆるコールドスリープだ。

 

 氷花の頭に馬鹿みたいな思考が宿る。常人からすれば頭のおかしい考えだ。でも氷花にとっては違った。

 

 氷花の頭に過ぎるのは、数ヶ月前に襲われた狼型の異獣。

 

 間違いなく氷花の氷に包まれたはずなのに、生きていた狼。

 

 あの濃さの魔力を込めて放てば死んでいるのが自然だと柊も語っていた。それに疑問に思った氷花は技の実験を始めた。的は、植物、蝶、蟻。それぞれに濃密な魔力を込めた冷気を放ち、凍らせて数日経過してから解凍して様子を見るというものだ。

 

 その結果は驚くべきものだった。植物はともかく長時間氷に包まれたはずの蝶や蟻が、解凍された瞬間に元気に動き出したのだ。

 

 氷花はその結果に驚き、ある仮説を立てていた。

 

 自らの能力は氷結系だと思っていた。だが、それは少し違うらしい。恐らくその本質は氷に包んだ物体、または生物の恒久的な時間の停止。氷を生み出せるのはそれの副産物だろう。

 

 それでも疑問が残った。何故異獣の狼は氷を壊せて、蝶や蟻はそれが出来なかったのか。それも生物を対象に実験を重ねる毎に疑問は消えていった。氷花がたどり着いた結論は、その生物の魔力による抵抗だ。凍らせる生物または物体の魔力が多いと抵抗力が増え、氷が溶けてしまうらしい。逆に魔力をあまり保持していない蝶や蟻はずっと凍ったままだった。

 

 これまで気づけなかったのは訓練のせいだろう。生物とは戦わず、ひたすら柊と鍛錬を繰り返していた。

 

 氷花は能力の本質に気づいてからは戦い方を変えた。相手を凍らせる戦い方から、氷を降らせるものに変えた。魔力を最大に込めても少ししか停められないのではどうやって戦えばいいのかわからなかった。

 

 

 それがここに来て役に立つかもしれない。

 

 彼を救うという最高の結果で。

 

 これまで思いつかなかったのは先入観からだろう。異能を人に放つなんて氷花は考えもしなかった。

 

「……」

 

 条件は最高だ。まだ氷花の身体には魔力は十分残っている。

 

 今の柊の身体は運が良いのか悪いのか、魔力が薄くなっている。年単位で凍ることは間違いない。

 

「……柊さん」

 

 滲む視界の中、手に魔力を集める。絶対零度の冷気が辺りに吹き荒れる。狙いは、愛する人に。

 

 煌めく氷の粒子の中、氷花は泣きながら笑った。

 

 美しい顔を、鮮烈に彩る。

 

「また、いつか」

 

 その言葉を最後に吹き荒れる氷の魔力を解放した。身体中の魔力を振り絞り解き放つ。

 

 吹き晒す吹雪が柊の体を少しずつ凍らせていく。彼の安らかな顔はまるで眠っているように穏やかだった。

 

 そして柊は完全に凍り、氷塊に閉じ込められた。氷花は魔力不足で揺らぐ視界の中、歩みを進める。

 

 その氷塊に触れる。既に流していた涙は凍りつき、顔に張り付いていた。

 

「今度は私が、貴方を助けます」

 

 

「どれだけ時間が掛かろうと、絶対に」

 

 

「貴方が好きだから」

 

 

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