「……ま、待たせてしまって済まない。お、怒ってるかな……!?」
「待たせ過ぎたしね……でもあれからひっきりなしの対応だったし、分かってくれるわよきっと……っ!」
体感で30分程だろうか。バルコニーの人払いを済ませて待っていたところで、そこまで長い間待っていたような気はしないが。
それはそれとして目の前で密談とは仲がいいことだ、おしどり夫婦とは羨ましい。
しかし怒っているような顔、か。今の自分はさぞ酷い顔をしているのだろう。
話の邪魔になってもよろしくない。早めにその不安を払拭して本題を切り出して貰う。
いえ、自分はこういった場に不慣れでして。口さがない言葉の影に打ちのめされてしまったのですよ。面目次第もありません。
「口さがない……失礼だが、貴方を悪し様に言う者がいるのか?」
それは当然でしょう。この手は屠るしかなかった敵と取りこぼした味方の血で塗れています。むしろ自分としては英雄殿、貴方のことが心配です。このような人間と話したいなどと、あらぬ誤解を受けかねません。老婆心ながら、今後会う人間は選んだ方がよろしいかと。
「このようなとはなんだ?俺は貴方を同じ仲間として尊敬している。それは誰かに咎められたところで覆るものじゃない」
恐れ多い言葉です。しかし……。
「そういう言葉遣いはやめてくれ!俺はただ、歳が近くて同じような立場の貴方ならと……あっ、すっ、すまない……軽率だった」
そこまで言って、大声をあげてしまった事を申し訳なさそうに詫びる。
調子が狂う。まるで普通の青年のようで……いや、世界を救う主人公である以前に、彼が人間であることを忘れていた。
ただ強い力を持ち、ただ間が悪かっただけの青年の筈だ。彼は登場人物などではなく、この世に生を受けて必死に生きただけの人間。それを俺は……情けないことだ。
少し卑屈になっていたかもしれない。謝るためになんと切り出すべきか悩んでいると、隣に立つドレスの女性が夫を立てるために代わって語る。
「ご無礼を承知で申し上げさせていただきます。ご気分を害してしまい大変申し訳ございません。彼はまだ社交の場に出て日が浅く、適切な振る舞いもまだ身に着けていないのです。どうか寛大なお心でご容赦を……」
前言撤回。思いっきりボロクソ貶していた。
仮にも社交の場でここまで夫を罵倒するのは、最早夫を夫として見ていないと言ってもいいレベルだろう。
ほら見ろ、隣の英雄が「フォローしてくれるんじゃないのか!?」という眼で見ている。
「ですが、夫が貴方を尊敬しているという点は紛れも無い真実です。彼は旅の途中、前線から貴方のことをずっと気に掛けておられました。それもあって戦後式典で貴方をお見掛けするまで『天使』は女性だと思い込んでいまして、何度も話題に上がる貴方に嫉妬していた時期もありました」
それは……何と言えばいいか……。
「その件についてはごめんなさい。でも……ほら、私の口から言っていいの?」
「待って、待ってくれ。……ふぅ、よし、すまない。俺はな、『天使』さん。貴方のことを知ってから、ずっと、ずっと憧れていた」
彼の口から出てきた言葉に虚を突かれる。
主人公が、『英雄』が見たことも会ったことも無い俺に憧憬を?そんなわけはないだろう。
俺と彼は明らかに立っている場所が違う。彼は光り輝く栄光の人だ。栄光には程遠い俺とは何もかもが違う。
だが彼はそれを否定する。それは長い旅の中で抱いた、彼の絶望にも等しい葛藤だった。
「俺達は旅の途中、国からの指示を受け取る為にいつでも連絡を取れるようにしていてね。中間報告のタイミングで君の事を聞いたんだ。最前線で沢山の兵士を護りながら戦い、治療と清掃に尽力する人がいると。彼のお陰で沢山の仲間が死ぬこと無く、なんとか一命を取り留めて本国で治療しているって」
なるほど、所謂作戦後の
ゲーム的に言えばそこで作戦評価がついたり、報酬金額が確定したりしたのだろう。
たいていの場合は別キャラクターの視点で世界で何が起きているかプレイヤーは知ることが出来るわけだが、そういう報告も直接受けとっていたということか。
益体の無い考え事を挟んでしまうも、彼の口は止まらない。
「4年前くらいかな。敵の将軍達を狙い撃つ旅も半分を過ぎて、俺は浮かれてたんだ。もうすぐ世界を救えるぞって。けど……甘かった。将軍達はすぐに俺達を相手にするのを止め、本国への攻撃にリソースを回し始めた。最終的に国が勝てばいいと考えたんだ」
「俺達の戦いが上手くいく程、後が無い彼らの攻勢は激化していって……俺達が旅をしている間、大勢が死んで、殺された。そして多くの命が貴方の手で守られた。俺が暗刃を研ぎ澄ます中で、沢山の命を守ってきた!」
「貴方達こそが本当の『英雄』であるべきだ!なぁどうしてだ?どうして暗殺者に過ぎない俺が勇者だの英雄だのと持て囃され、多くを守ってみせた貴方が連中の戯言で苦しまなければならないッ!?」
お声を静かに、誰に聞かれるか分かりません。……買い被り過ぎです。自分には強大な敵を単騎で打ち破る力はありません。
人には役割があります。お互いにそれを成し得た、それが今の我々の立ち位置というだけです。
「……ごめん、どうしても一度吐き出しくて。誰が何と言おうと、俺は貴方を尊敬しているんだ。肩を並べたわけじゃない。けれど共に世界を救った『英雄』である貴方に、いや貴方達に、俺は敬意を表したい」
その敬意、ありがたく頂戴します。
亡くなった友人達も、貴方の戦友として語り継がれるならば報われることでしょう。
そうか、これが英雄か。これが人の痛みと悲しみに寄り添う希望。
彼と話しおかげか、少しだけ肩の荷が降りた気分だ。
彼もきっと同じことを考えているのだろう。長い言葉を言い切った彼はどこか清々しい顔をしていた。
俺も、彼のように自分の心情を素直に吐露できる心持でいられたらどれほどよかった事か。こればかりは陰気な自分の性を恨む他ない。
俺は少し気が緩んでいたのだろう。だから思わず呟いてしまった。
シナリオや設定なんて、当てにならないものだ。
「……今、シナリオと言ったか?」
「嘘……どうしてそれを」
シナリオ、その言葉を聞いた瞬間『英雄』夫妻の目の色が変わった。しまった、口が滑った。
ご、誤解しないでほしい。シナリオというのは……ダメだ、良い言い訳が思いつかない。
とにかく深い意味はない。そう弁明しようとしたが彼の口はそれより早く回った。
「『天使』さん、今から俺が言うことをよく聞いてくれ。場所は敵国の首都から遠く離れた街、名前は───。俺の勘が正しければ……貴方はそこに行くべきだ。出来る限り早くに。戦争はもう終わった、となればきっと時間がない」
「3年前、旅の途中で『予言者』に出会ったの。私達の旅で起きること、起きたことを悉く言い当てた本物の予言者よ。あの子の予言に命を救われたことは一度や二度じゃないわ。すぐに見失ってしまったし、フードで隠れてたから顔の特徴は分からないけれど……子供だったのは確かよ」
「その子も『シナリオ』という言葉を使っていた。それの意味するところは……脚本。まさか俺達の旅は何かの大きな意志によって。いや、そんなことは今はどうでもいい。問題なのは貴方の方だ。心当たりが、あるんだな」
なんということだ。この世界の事を
もしかしたら。万が一にでもそうだったら。どうして敵国に。もしものことがあれば俺はどうしたら。
それを知った時、俺は一体どんな顔をしていただろうか。絶望だろうか、焦りだろうか。
少なくとも目の前の彼らが心配するような顔はしていたようだ。
「この場は俺達に任せてくれ。陛下達への挨拶も俺達が適当に誤魔化しておく。……いつかまた、会える日を楽しみにしている」
「私も聞きたいことが沢山あるの。だから……どうか無事に帰って来てね。私達は待ってるから」
ありがとうございます、この礼は必ず返しに来ます。
それだけ言い残して、準備を進めるべく足早にその場を後にした。
「……どう思う?」
「調べた限りでは彼に兄弟姉妹はいないわ。親戚一同、同じ国内で生まれ育っている。一体彼と『予言者』の間に何があるのか、予想がつかないわ」
「俺もだよ。彼が帰ってきたら聞いてみよう。……さて、王子殿下に言い訳しなきゃな。あの人『天使』さんに会うの楽しみにしてたし、こっぴどく怒られるかもなこれは」
「あなたはもうちょっと相応しい言葉遣いしなさいね……」
彼等から聞いた情報を元に、おおよそ出せる最速でその街を目指し始めた。
だが遠い。彼らの旅路は恐らく隠密しながらの旅路だっただろう。都市で言えば2つか3つ経由した街だ。順調に行ければ2週間もかかるまい。
だが今の俺には遠い。果てしなく遠い。日雇いの仕事で溜めた金を持てるだけ持ち、出来る限り正当な手順を踏んでここまで進めて来た。
法と倫理に囚われなければもう3日早い到着も可能だったが、万が一を考えて予後が悪くなることはしたくない。
その間、俺の心境は荒れ狂うばかりだった。
この世界をゲームだと知る人が間違いなくいる。それは、ひょっとしたら弟かもしれない。
彼等は小さな子供の姿と言っていた。前世における俺と弟の年齢差は2歳。あまり思い出したくないが、死んだのは同時だった筈だ。いまの俺が24だから順当に行けば22歳の筈。
しかし英雄夫妻は小さな子供と言っていた。ということは転生時期が違うのか、あるいは何か病を患っているのか。そう思うと気が気でない。
全くの他人である可能性は大いにある。しかし、それならばこの世界にいるのが俺である意味がない。俺がここにいるのなら、同じ世界から来る人間が無関係の人間であるとは思いたくない。
彼らが最後に会ったのは3年前、そして終戦から3か月が過ぎている。そこから今に至るまで国内で何が起こっていたのかを俺は知らない。
これまでの道程で分かったのは、少なくとも馬車は出してもらえる程度には秩序が残っているということだけだ。
慌てた様子で道を頼むと御者は訝しみ、文句を言いながらも金を多めに払えば馬車を出してくれた。
彼らには今仕事がいくらでも舞い込んでいるらしく、所謂好景気が来ているらしい。
普段の倍近い額を払う必要があったが、そんなことはどうでもよかった。
俺は人生で初めて神に祈った。どうか無事でいてくれと。
「はい着いたよ、毎度あり。無くし物したくなきゃ街の路地には入るなよ、金払いのいい旦那」
忠告をくれた御者の手に予定より更に多めに金を握らせて馬車を飛び降り、歓喜の声を背後に急いでその街へ入り込んだ。
戦争直後ということもあってか審査には少し時間を喰われたが、家族を探しに来たと告げれば比較的審査官の手がスムーズになった気がする。
俺が元敵国の兵士だとは気づかなかったようだ。人種に大きな差が無い以上、それも無理はないことである。
入ってみると街全体がどこか暗く、陰があり治安は善くなさそうだと雰囲気を感じた。だが今更恐れるべきことではない。
手当たり次第に聞き込みを続けていく。3年前にこの街にいた背格好のフードをした小さな子供を探している。
顔はもう分からない。けど確かにこの街にいたんだ。そう告げて何人も、何十人も聞き込み続けて得られた情報は次の通りだった。
「当時そんな風貌の浮浪児はこの街に多かった。皆いなくなった」
「時折人攫いも出るこの街で子供を探すのは難しい」
「残念だが諦めた方がいい」
そんな言葉で諦めるようなら初めからここまで来ていない。
蛇の道は蛇と言う。今度はアングラな連中を相手に聞き込みを始めた
初めの内は態度の悪い連中達ばかりだったが、金を握らせるか事情を話すかのどちらかで情報を吐いてくれる連中で助かった。どの情報も俺の欲しいものではなかったことは残念だ。
それから数日かけて街を隅々まで探し尽くし、しかし目当ての人物に辿り着くことはできないでいた。
結果は芳しくない。手がかりかと思えば人違い、あるいは知らないという答えが大半を占めていた。
『英雄』の言葉通りに来てみたが、結果は空振り。いっそ隣の街まで捜索の手を伸ばすべきか……?
胸中に渦巻く不安が焦りになって心が震える。それを安心させる為に大きく深呼吸を繰り返す。
この街を離れるべきか悩んでいたその時、一筋の光が俺の視界を過ぎった。
そちらに視界を向けて見ると、その光は路地からふわふわと漂い、やがて空気中に溶けて消えた。
あれは魔力の残滓光だ。ほとんどの魔法は行使すると溢れた魔力が空気中に飛散し、やがて霧散する。感覚としては目の中の埃に近い。
普通に生活する上で視界に入ることはまずないのだが、戦争の過程で目に魔力を映すことが多かったことで時折見えるようになってしまった。
本来この視力は狙撃手や暗殺者など、隠蔽の魔法を用いる相手をあぶりだす際に非常に有用なのだが、このようなものが今更身に付いた所で何の役にも立ちはしない、筈だった。
考えるよりも先に足は動いていた。早鐘を打つ心臓が早く走れと俺を急かす。
なるほど、魔法による高度な隠蔽か。だとしたらこの世界の魔法に相当造詣が深い人間、それこそ英雄達の目を欺ける程の練度。
道の先は細い裏路地だ。大人一人が横向きになってようやく先に進める。
やっとの思いで道を手繰り寄せ進んでいくと、やがて小さなボロ小屋の前に辿り着く。
奥まったこの場所は恐らくほとんどの町民が出入りできない、しない場所にある。
俺は意を決して、そのボロ小屋の扉を開けた。
「……見つかっちゃった、かぁ」
掠れた小さな声が俺を呼ぶ。部屋の奥からだ。
光源も無く窓も無い。あるのは小さなベッドと埃まみれの棚、金属のバケツが一つずつ。
ベッドの上には埃に塗れたブランケット、否、羽織ることも出来ないボロ布が一枚敷かれている。
その上に横たわっている子供がいる。薄暗くてよく見えないが、顔だけをこちらに向けて小さく微笑んでいるのは分かる。
傍に置いてあったランタンに明かりをともし、その子の傍まで歩いて行く。子供は掠れた声で話し続けた。
「もう、眼があんまり見えてないんだ、ごめんね」
明かりで照らされた腕と足はガリガリに痩せ細っていて、骨が浮かんでいる。
頬は痩せこけて目には力が無く、ちゃんと眠れていないのだろう深い隈が出来ている。
栄養失調などという段階が過ぎているのは明らかだ。今すぐにでも何か食べなければ死んでしまう。
幸い食料はある。パンも水もある、早く食べさせないと。
「でも、今なら分かるよ。来てくれたんだ。こんな遠いところにまで来て、見つけてくれた。嬉しい、なぁ」
手が震える。こんなにも何かが恐いと思ったのは戦争の時以来だ。
この子が口を開くたびに命が削られているような錯覚を覚える。いやきっとこれは錯覚じゃない。
今間違いなく、この子の命の灯は風前に晒されている。何もしなければそのまま消えてしまう程に弱い火になっている。
喪いたくない。逝ってはだめだ。一生のお願いだ。
「もう一回会いたいって、神様にお願いしてよかった」
ダメだ、これからだろ、まだ死んじゃだめだ。
「もう一歩も動けないんだよ、最期に話せてよかった。ひとりぼっちは嫌だったから嬉しい……なぁ……むぎゅ」
この際四の五のは言ってられない。俺はこの子を助けると決めた。
まず倒れた身体を背中からゆっくりと支え起こし、魔力で生成した水を自分の口に含み、動くこともままならない子供の口へと流しこむ。
これには驚いたようで目を丸くするが、飲み込まずそのまま吐き出すよう伝えて器を差し出す。
水を吐き出したら次はパンを噛み千切り、少しの飲み水を含んで出来るだけ咀嚼する。それを横たわった子供の口に口移しで与える。
よほど酷い状態だったのだろう、口内を切った血錆の味が俺の口にも感じられる。
けれどやめることは出来ない。口の中に小さなパンの欠片を含ませたら、今度は少量の飲み水を口に含んで口移しする。
本当なら牛乳を使ってパン粥でも作ってやりたいが、この場ですぐ作ることは出来ない。今はふやかして飲み込みやすくするのが関の山だ。
俺に抱いているであろう嫌悪感を努めて無視し、人命救助を最優先する。
やがて少しずつ、本当に少しずつ嚥下していくのを確認して一息つく。
その間できるだけそっとその子の手を握る。冷たく骨ばった手をしていて、触れれば今にも折れてしまいそうで、それが酷く俺の心に氷柱を突き立てた。
「……ぷはぁ。すごい、情熱的だね」
あとでいくらでも貶してくれていい。縁を切ってくれてもいい。嫌いになってもいい。
だからお願いだ、死なないでくれ。
頼むよ。お願いだ……もう家族を、失いたくない……。
「うん……うん……頑張って、みるね」
そう言った子供、俺の弟はそれは嬉しそうに、俺の手を弱弱しく握り返してくれた。
そうして過ごした一晩目、俺は小さな納屋で寝息を立てる弟の傍を離れることは無かった。
迎えた二日目。話すだけの元気を取り戻した弟は、俺と少しずつ話をするようになった。
よく生きていてくれた。本当に……。
「できたら兄さんと一緒に生まれたかった、なぁ」
何処で生まれたかなんて些細なことだ。こうして会えたことが一番だ。
「でも僕、もう弟じゃないんだよ」
生まれなんて関係ない。俺はお前の兄貴だ。今度こそ絶対にお前を守ってみせる。
「……今は、妹でも?それどころか、他人でも?」
性別が変わったのか。だが、ああ、関係ない。
俺のただ一人の家族。大切な家族を守るんだ。
今度こそは……絶対に。
「ふふ、前より情熱的になったね。かっこいい」
そう見えているなら、頑張って生きた甲斐があったよ。
ああようやくだ。生きていて、本当に良かった……。