【対処法】最近上司の様子がおかしいんだが…【求む】   作:部屋の角のシミ

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聖女と神父

 白を基調とした寝台。

 中央に敷かれた円形のカーペットには、神秘的な文様が幾重にも重ねられている。分厚い書物と数枚の羊皮紙、インク壺に浸された羽根ペンが載る小さな文机。その傍らに背凭れすら持たぬ椅子がひとつ。

 

 そして、そこに佇むは、ただ一人の少女。

 

 その光景は、まるで古い聖典の一葉に描かれた挿絵のようだ。清廉にして静謐、敬虔なる空気をたたえている。

 ———だが、当の少女にとって、この部屋はどこまでも味気ない箱庭に過ぎなかった。

 

 決して貧相な造りではない。

 用いられた調度品はいずれも一級の素材であり、下品に陥ることのない程度に精緻な装飾が施されている。だが、それらは空間の広がりに対してあまりにも疎らで、余白を埋めるのは冷たい無機質の白壁と床ばかりだ。

 

 丁寧に手入れされているがゆえに、僅かな傷さえ許されていないその整然さが、かえって無情さを際立たせていた。

 

 

 

「———アイリスリーナ様。お待たせ致しました」

 

 

 

 虚空を眺めていた少女の耳に、扉越しの低い声が届く。

 数度ノックされた扉の向こうから響いたのは、男特有の落ち着いた声音だった。

 

 少女は椅子から静かに腰を上げ、節制という言葉すら通り越した簡素な部屋をゆっくりと横切ってゆく。

 

 

 

「遅いですよ、アンヘル」

 

 

 

 扉の脇に控えていた侍女が、内側からそれを静かに開けた。

 現れたのは、雪のような白髪をさらりと揺らす青年である。

 

 通った鼻筋、透き通るような肌。傷ひとつ見当たらぬその容貌は、どこか現実味に欠けるほど整っていた。長身で、姿勢もよく、立ち姿に無駄がない。

 

 彼———アンヘル・カウル・エルテニカは、細密な意匠の施された法衣を身にまとい、まるでそれが生まれつきの皮膚であるかのように違和感なく着こなしていた。

 

 一礼を終えると、悪びれた様子もなく言葉を継ぐ。

 

 

 

「これでも急いだのですよ。女性と同じく、男性にもそれ相応の準備がございますので」

 

「知っています。ですが、男女の差に関係なく、主をお待たせするのは従者として不適切です。今後は改善してください」

 

「……辞めろとは、仰らないのですね」

 

「辞めるのは逃げです。あなたには全うしていただきます」

 

「……恐ろしい職場ですね」

 

 

 

 アンヘルは整えた髪を指先で弄びながら、どこか楽しげに言う。

 主を前にしての軽口に、一片の遠慮もない。臆するという言葉が、彼の辞書には存在しないのだろうか。

 

 少女はそんな彼に、明らかな不満を隠そうともしない。

 じとりとした視線を投げかけるが、当の本人は悪びれるどころか、むしろ戯れるように言葉を重ねるのだった。

 

 

「……先日、今日が厄日だと言われたんですよ。だから一日くらい、自室の窓から空を眺めて過ごしてもよいのではないかと」

 

 

 

 アンヘルは軽口めかしてそう述べ、つまらなそうに肩を竦めた。

 

 

 

「それは良かったですね。今日は一年のうちでも特別な礼日です。主があなたを導いてくださるでしょう」

 

「お言葉ですが、望まぬ未来への“導き”を果たして導きと呼べるのでしょうか」

 

「主は、我々の理解を超えた御方です。……それは粛清です」

 

「なるほど。なんと狭量な……神とは、かくも恐ろしいものですか」

 

 

 

「アンヘルっ……まったく、もう!」

 

 

 

 少女の言葉には呆れと半ば本気の怒りが混じっていた。

 彼女が言う「特別な日」とは、このエリディア信教国における最も神聖な日———『霊約の日』を指す。

 

 神と人とが初めて契りを交わしたとされるこの日には、聖宮殿の全ての者が、日の昇る方角へ向けて祈りを捧げる。

 アンヘルがぶつぶつと文句を漏らすのも、その儀式のために、まだ陽も昇らぬうちから叩き起こされたせいだった。

 

 

 

「我らが国教の始まりともいえる大切な日なのです。他の信徒だって同じように準備しているんですから……もっと真面目に臨んでください」

 

 

 

 少女は彼の高い視線に合わせるように顔を上げ、やや細めた眼差しで叱る。

 だがその一言に、青年の瞳はふっと陰り、まるで枯れた葉が風に朽ちるように色を失っていく。

 

 その変化に気づいた少女は、張っていた気を緩ませ、ひとつ深く息をついた。

 

 

 

「……ちょっと、手を出してください」

 

 

 

 しばし逡巡したのち、少女は唐突にそう口にした。

 

 

 

「……なんですか。杭でも打つつもりですか」

 

「僕を何だと思ってるんですか! ……違います。僕は“聖女”です。だから、その……厄日だというなら、主ではなく、僕が祓ってあげます」

 

「…………」

 

「だから、ほら……手を。出してください」

 

 

 

 普段は見せぬ少女の躊躇いに満ちた声音に、アンヘルは一瞬だけ目を見開いた。

 次いで苦笑しつつも、素直に手を差し出す……が、その手を半ば無理やり掴んだのは少女の方だった。

 

 

 

「いや、その……ちょっと、待って……」

 

「黙っててください。———集中しますから」

 

 

 

 少女は彼の手を両手で包み込み、静かに瞼を伏せる。

 意識を指先に集中させると、柔らかな光が、まるで綿毛のようにふわりと彼女の掌に生まれた。

 

 光は次第に輝きを増し、包み込むアンヘルの手に、じんわりと温かな熱を伝えてゆく。

 

 

 

「———《光よ、昏きを祓え( ルト=ラ=キュリエ )》」

 

 

 

 唱えられた祈祷の言葉と同時に、仄かな光が一気に密度を帯びて膨れ上がり、アンヘルの全身を包み込む。

 

 まばゆい光はまるで穢れを焼き払うかのように、彼の法衣に潜む目に見えぬ塵を消し去ってゆく。

 その浄化は肉体の内側にまで及び、蓄積していた疲労を根こそぎ取り除いていった。

 

 まさしく、それは奇跡の業だった。

 

 だが———

 

 

 

「———あっつ!? ちょっ、熱い熱い熱いって!!」

 

「ちょ、ちょっと!? 動かないでくださいっ!」

 

「力入れすぎでしょう!? これは治癒じゃなくて拷問ですよ!? 神罰ですかっ!?」

 

「拷問!? ひどい、なんてこと言うんですか!?」

 

 

 

 光に包まれたアンヘルは、まるで焼けるような熱に耐えかねて仰け反り、情けない悲鳴を上げる。

 

 どうやら浄化魔法の出力を誤り、常人の肉体には過剰な負荷をかけてしまったらしい。

 

 輝く光に全身を晒されながら苦悶するその姿は、凄絶というよりもむしろ滑稽で、少女は呆れながらも目を逸らせなかった。

 

 

 

 そんな騒ぎのさなか、扉の外から控えの侍女が現れる。

 

 

 

「———御二方、準備が整いましたのでご案内を……って、何をなさっておいでです?」

 

「……はぁ、はぁ……い、今、行きます……」

 

「……畏まりました。では、此方へ」

 

 

 

 訝しげな視線を背に受けながら、アンヘルは整いかけた衣服を急ぎ直す。

 その顔に浮かぶ「厄日だ……」という呟きは、少女の耳にも届いていた。

 

 

 

 ふと我に返った少女は、気まずそうに目を逸らす。

 

「……はぁ」

 

 

 

 侍女は、騒動の余韻を残す二人を交互に見て、心底呆れたようにため息を漏らしたのだった。

 

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