CHAPTER #09 「君を追いかけて」
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それは、校門の影がまだ背伸びしている時間。秋をいよいよ感じさせる冷たい空気が、鼻腔を通す度に息吹も心地いい。
ギターケースの重みが背骨と左右の肩に沿って揺れて、ピンクのジャージも、風に擦れるたび、昨日の腕の温度まで一緒に揺れてくる。心臓は、まだドコドコじゃなくてドッドッド。音符の角が丸い。
「おはよう、ひとりちゃん! 今日もギターケース、目立つわね!」
そんな時、後ろから喜多ちゃんの声が、朝の光みたいに正面から差し込んできた。
「……あっき、喜多ちゃん……おはよう、ございます」
自分の声が、ガラスのコップに水を少しだけ注いだみたいに頼りなくて、ちょっと笑う。多分、笑えてないけど。
「ふふっ、おはよ! ……あれ? ひとりちゃん、どうしたの? 何か、元気ない気がするけど」
「そっそう、ですか? そんなこと無いですよ……?」
視線が勝手に逃げて、頬を掻く指先が空回りする。嘘はついてない、はず。元気がないんじゃない、むしろ元気が多すぎて持て余してるだけ。胸の中がうるさすぎるだけ。でも、そんなことまさか言える訳もない。
「ねぇ、昨日から、何かあまり元気がないように見えるけど……何か、あったの?」
「ぇ、い、いえ、その、そういうわけじゃ、なくて……」
『昨日』の二文字が胸の真ん中に落ちた次の瞬間、頬がヘッドアンプみたいに赤くなる。無理。ここで止まってると、ばれる。全部ばれる。そう思った次の瞬間、私はキャパオーバーを起こして駆け出していた。
「~~~~~~っっっ、ごめんなさい喜多ちゃぁああああああん!!」
「えっ? えぇぇぇぇえっ!? ひとりちゃんんん!?」
後ろから喜多ちゃんが大声で呼び止める声がする。でも今止まったら多分私弾け飛ぶ。風が顔に痛い。ギターケースが肩にめり込む。息が合わない、足も合わない、でも止まらない止められない。
花壇のレンガが目立つ昇降口の手前、膝が笑ったまま荒い息を漏らす。そのまま私は力尽きるように座り込んだ。
「はぁっ、はぁ、はーっ、はーっ……」
「…………何してるんだ? 後藤さん」
「あ゛っひゃ゛ぁぁああっっっ!?」
と思ったこれまた刹那。背中から落ちてくる声に、全身がビクリと跳ね飛ぶ。反射で振り返る前に、脳が彼の名前を呼んでいた。なんてタイミングで!?
今朝から頭の中でリピート再生していた当の本人が、普通に登校中みたいな顔で立っていた。いやまあ当たり前なんだけども、それでもその普通がいちばん非常だ。
「え゛っ、よよよよよよよ、吉沢くん!? ど、どうしてっ、どうしてこ、ここにッッッ!?」
「いやどうしても何も、そりゃ登校中だし……。そういう君こそ、何してるの?」
クスッと苦笑したような様子で聞いてくる吉沢くん。笑われると、体の外側と内側が逆回転するみたい。言葉が口の前でもつれて、ほどけない。
「え、え゛っと……あ゛の、その……ぅ…………」
うまく喋れないこんな私に、彼は困っていたはずだ。
でも小さく目を見開いたあと、逆に目を細めたかと思うと、やっぱり吉沢くんは優しく続ける。
「………後藤さん、さ?」
「あっは、はい?」
「今日、昼間とか、夕方とか……空いてる?」
「へ、へっ……?」
心臓のテンポが一段上がって視線を上げる。バイト、練習、STARRY。頭のなかの予定表がバタバタ捲れる。
「あっあの、えっと……。えぇっと、……っ、ゆ、夕方は、その、バイトと練習でSTARRYに行かなきゃなので……あまり、長くは話せないかもですけど………そ、それでも、良ければ……お昼は、多分、いけ、ます」
「ほんと?」
「じゃあ、今日昼、屋上で一緒にご飯でも食べよーよ!」
そうしてスッ、と彼の顔の目前で持ち上げられた布包みが視界に入る。同時に笑いかけてくる白い歯が、朝日より白い。それを見て一瞬、私は硬直する。
「…………………………」
おひ、おひ、お昼? えっ? 一緒に?
「ふぁ……っ!?」
脳のブレーカーの落ちる音が響く。火花が飛び散る。反射で立ち上がって、反射で叫ぶ。
「ご、ご、ごごごごご、ごちそうさまでしたッッッッ!!」
「は?」
────────まだ何も食べてないのに、そうして私は、全力で逃げ出していた。
「はぁぁぁぁあぁあっっ!? ちょちょちょちょ、まだいただきますもしてねぇよ後藤さぁあああん!?」
そんなこと言われても!! 廊下の音がドラムロール。階段がステージみたいに遠い。足、もつれる。背中、重い。けど止まれない。逃げたい、無理、無理無理無理。こんな現実なんて嘘。キャパオーバー。逃げたい。
でも。
曲がり角の先から、彼が先回りして現れる。速い。いや、えっ嘘。あの人そんなアスリート属性あるの?
「っ、ああもぅ!!」
叫ぶ吉沢くん。まるで相撲取りのようなポーズで立ち塞がる。嘘嘘嘘嘘嘘嘘。待って、ブレーキが間に合わない。
そう思った時には、お腹にぶつかる感触。凄まじいまでの強い衝撃が互いに響く。
「ッッッッングゥはァァァ゛……!?」と私のアホみたいな低い呻きが飛び出て、それを受け止めてくれた呟き声も背中から届く。
「ぐはっ……っぅ、─────これは、効くぅ……」
慌てて光の速さで離れる。
「へ、………あっ、ぁぁああああ、ごごごご、ご、ごめんなさいぃいいいっ!!」
やってしまった。そんな、そんな。
しかもそれに加えてその瞬間、私の視界もぐらり、と音を立てて揺れる。「あっ!? っあわわわ、ひっ………!」
後ろからギターケースの自重で倒れかけた私の腕を、刹那、彼の手が力強く掴む。ふわっ、と身体が支えられる。
「危なっ!!」
「ひゃっ…!! ッッ………!?」
えっ、嘘。嘘でしょ。やだ。私は腕を掴まれて支えられたまま、そのまま引き寄せられていた。待って。待って待って待って。
近い。近すぎる。きっとこんなの、内臓までもが赤面する距離だ。
頭の中に非常ベルが鳴り響く。けど彼は、そんな私とは余りにも対照的に落ち着いてて見える。静かに息をつき、困ったように苦笑いを浮かべた。
「……っとりあえず、さ? 落ち着いて、話そ? な?」
「っ、…………………あっ、は、はい………」
もはや私はそのまま頷くことしか、できない。そのまま彼は「上で話そ?」と私へ目線を向けながら階段を上っていく。「あっう、上ですか?」
「ここじゃなんだし、さ。人にじろじろ見られるのも嫌だし」
「さ、いこ!」
そう言って吉沢くんは階段を駆け上がり、微笑みかけてくる。
「あっは、はい!!」
えっふっ二人きり? また、二人で?
そんな疑問を抱く。でも、この人を待たせる訳にも行かない。私なんかの為に、ここまで追いかけてくれたんだから。私も、その想いと彼の言葉に背中を押されるように、慌てて階段を駆け上った。