※
どうしてかは分からない。
ただ一つ確かなのは、さっきから訳が分からないということ。
たぶん、私の脳内の
それだけは間違いないと思った。
声を掛けたにもかかわらず、明後日の方へ逃げ出してしまったひとりちゃん。後ろから私に挨拶をしてきた友達のさっつーこと、佐々木次子に事情を説明をして、そのまま私はギターを背負ったまま一心不乱に校舎の方へ駆け出した彼女を追いかけてきた。
そうして慌てて教室の途中で階段を上がっていた時、一瞬だけ見えた後ろ姿。
本音を言えば、それは別人だと一瞬私の思考回路は判断をしてしまった。
だけどそんなわけがない。あんな大きなギターケースを背負っていて、しかもピンクのジャージなんて常時着ているような子がそう何人もいるはずがないのだから。
私は多分、風よりも早く自分の教室の机にギターと通学カバンを置き、周りからドン引きされるような速度で屋上を駆け上がった。
そうして、信じられない光景を見て、今に至る。屋上の扉の前で——ひとりちゃんが、誰か(男子)と一緒に中へ消えていった。
……え。えええ。ええええええええ。
何で? どういう事なの?
汗だくの私は壁の影にぺたりと張りつき、そっと入口の隙間から覗き込む。心臓、ドラムロール。手のひら、汗びっしょり。視界の端で前髪が震えてるの、本当にコレ、今の私だよね。
(………こ、こ、こ、これは………緊急事態じゃないいぃいいいぃいいい〜〜~~〜~~~〜~~!?)
ぐるぐる視界が回って視野がトンネル化していく中、オーバーヒートしている脳を必死に宥めてその様子を眺める。
遠目なのに分かる。ひとりちゃん、笑ってる。あのひとりちゃんが、男子と。
ぎこちない、でもちゃんと楽しそうな顔で。え、ちょ、え、待って、どういう状況?
不審者になりきった私は深呼吸ひとつ──────スマホを取り出して、超高速フリック。新規グループ作成、「伊地知先輩」「リョウ先輩」を追加。指が勝手に動き、文字を打ち込む。
『伊地知先輩、リョウ先輩!! き、き、緊急事態発生ですっっ!!』
送信。スタンプ(慌てふためくやつ)連打。……既読が付くの、秒。
リョウ先輩からすぐに一言。
『どうしたの郁代。何事?』
伊地知先輩からも、ぽん、と。
『え、なになになに、どした喜多ちゃん!?』
リョウ先輩、続けて呟く。
『落ち着いて、郁代。とりあえず状況説明』
私は小刻みに先輩のメッセージにうなずきながら、ひたすら指を動かす。
『そ、それがっ、えっと、えっと、なんて言ったら良いか分からなくって……!』
『さっき、ひとりちゃんと校門前で会ったんですけど……ひとりちゃん、こないだの練習の時からなんか微妙に様子おかしかったじゃないですか?』
『だから心配になってひとりちゃんに話しかけに行ったんですよ』
伊地知先輩が畳みかける。
『う、うん、それで??』
私は一気に吐き出す。
『でも話を聞こうと挨拶したら、その直後……ひとりちゃん、何故か大慌てで逃げ出しちゃって。友達にも事情話して、その場を離れて直ぐに追いかけたんです。……そしたら、三階の方から、ひとりちゃんと誰かが話す声が聞こえて……』
指が止まる。息も止まる。——送信。
『そして、そこで見たのが……!!!』
伊地知先輩。
『み、見たのが?』
私はもう腹を決めて、事実をそのまま。
『ひとりちゃんがなんと……男の子と、2人っきりで、楽しそうに…話してる光景だったんですッッ……!!!』
……既読、既読。
数秒の静寂のあと、画面が弾けるみたいに大量のスタンプの通知と伊地知先輩の悲鳴が踊る。
『ファ~~~~~~~ッ!!!!!!??????』
先輩たちって、下北沢高校だっけ。たぶん今、その高校のどこかの教室で「立ち上がって机にぶつけた音」がしてる。想像できる。ごめんなさい先輩、でも今は続けるしかない。
私はさらに追記する。ひとりちゃんとその男の子はまだ笑ってる。風が強くて、櫛で梳いた髪がもみくちゃに煽られる。もれなく、私の心も強風注意報だ。
『いや2人とも!! 今リアルタイムでその様子を見てるんですけど、ひ、ひとりちゃん、笑ってます、遠目でも見えるくらい、なんというか、普通に、楽しそうに笑ってますよ!?』
それに対してリョウ先輩の返事は、びっくりするくらいいつも通りで、どこか淡々としていた。
『そうなんだ』
『まあ、それに関しては、私達はあまりどうこう言わなくてもいいんじゃない。本人も、言いたくなったら言うと思うし、多分このこと聞いたりなんてしたらぼっち、それこそ発狂すると思う』
何故か物凄く落ち着いているリョウ先輩。クールで素敵。カッコイイ。それに対して伊地知先輩、即返信を返してくる。
『いやなんでそんな落ち着いてんのリョウは!?』
私は慌ててリョウ先輩に対し、返信のフリック入力で補足をする。
『え、いやっ、でも、なんだかそういう感じじゃなくて……むしろ、ひとりちゃんの方からすごく積極的に話しかけているみたいな……』
既読。少し間。——からの、伊地知先輩の混乱は続く。
『えっ、えっ、えぇぇぇぇぇ? もうむり、訳わかんないよ! それやっぱり本人に聞いた方が良くない!?』
リョウ先輩がブレーキを引く。
『ちょっと待ちなよ』
『さっきも言ったけど、この件については私達からは触れない方がいいと思う』
『ぼっちの事だから、無理に話させようとなんてしたら……それこそ却ってまた変なことする』
『まあ、だからぼっちが話そうとしたら聴くくらいのスタンスでいいんじゃない』
クマが二本指で「来い来い」と挑発するスタンプが飛んでくる。リョウ先輩、そういうのどこで仕入れてるんですか……。伊地知先輩、なおも食い下がるように追撃をする。
「さては山田、もしかしてなにか訳知りだろさては!」
『何で知ってて話さないのさ!? バンドの一大事でしょこんなの!?』
荒れる伊地知先輩に対し、リョウ先輩。
『まぁ、一応』
文章からも荒れ具合が伝わる伊知地先輩。
『いや報告連絡相談しろ山田ァッ!!』
『ごめんって。でも、二人の気持ちは分からなくもないけど、こういう事は第三者の方から話すような事でないでしょ。私なら多分、話さない』
伊地知先輩の返信は、しばし沈黙したかのように間が空く。それはまるで、小さく折れたような返事だ。
『それは……………まぁ、そう、だけどさ』
私はそれをみつつ扉奥のひとりちゃん(遠目)と、画面の二人(テキスト)を交互に見ながら、指を止める。
『とりあえず、どうしましょう? ひとりちゃんのこと……』
伊地知先輩。
『……まあ、確かに、実際リョウの言う通り私達の方から根掘り葉掘り聞くような事でもないし、ね。気になって夜しか眠れないけどさ!!』
リョウ先輩、即ツッコミ。
『いやそれ平常運転』
そして、リョウ先輩から続いて提案が届いた。
『そこで、一応私の方からひとつ提案あるんだけど』
『? どしたのリョウ、提案って。自分からそういうの言うの珍しいね』
高い声のトーンが聞こえてきそうな感じで不思議がる伊地知先輩に対して、リョウ先輩、相変わらずどこか淡白な文章で返す。
『まぁね。……提案っていうのは、とりあえずなんだけど今日は一旦オフの日にしないかってこと』
オフ? 練習は今日はなしってことかな。バンドの皆とのオフ日は、夏休みの江の島巡り以来な気がする。ここ最近は秀華祭に向けた練習に次ぐ練習の日々で、きらきらきらら不足だったし。私は即、賛成スタンプと一緒に文字を打つ。
『良いですねっ! 実際……ココ最近ずっと練習詰めでしたし♡』
リョウ先輩が続ける。
『そう。ちょうど文化祭が明けてからはずっとその調子だし、今日くらいは……特にぼっちの労いも兼ねて、下北沢でぶらつくの良いんじゃないかって思ってさ』
それに対して可愛らしい二次元のアニメキャラのスタンプ(多分前にリョウ先輩と伊地知先輩、私の三人で見た「きららアニメ」のスタンプ? 詳しくは分からない)を伊地知先輩は送ってきた。感嘆を示していそうな、目を丸くした女の子のスタンプだ。先輩、こういうスタンプ送るのね。
「珍しーーーリョウがそんなこと言うとか! いいじゃんっ、あたしも賛成!! それじゃ、みんなでぼっちちゃん連れて、いつもお世話になってるお店とか、シンプルに甘いもの食べ巡りして気分転換図ろっか♪』
そこで私はもうひと押し。
『それなら私イソスタスポット巡りの時に良い店見つけてるんですよ、皆で巡りましょ!!♡♡』
『じゃあ決まり、ぼっちには敢えて深くは聞かないって事でいこ』
それに対し、リョウ先輩が会話を締める。『リョウってたまには良い提案してくれるよね』と可愛い顔文字を送る伊地知先輩に便乗する。
『そーなんですよね、そゆとこ、ほんと痺れますリョウ先輩♡』
『…………褒めても何も出ないけどね』
私は画面を閉じる前に、もう一度だけ屋上の隙間を覗く。
風、青空、フェンス越し。ひとりちゃんは、やっぱり、ちゃんと笑っていた。
ずきり、と。
そこで、一瞬───────妙な違和感を感じた。
「────…………っ」
(─────あれ? 何かしら、これ)
胸のあたりが、すこし、変。きゅっと、痛い? いや、痛いってほどじゃない、でも確かにそこに何かが生まれて、姿勢をほんの少しだけ内側に丸めさせる感覚。
(………なんで?)
予鈴のベルが鳴る。その答えはすぐには分かりそうもない。私は飛び上がって、急いで廊下へ戻る階段を駆け下りた。
※
そうしてそこから約二分後の現在。
私はしれっと混ざった移動教室の列から少し抜けて、通りすがりにひとりちゃんのクラスの前で足を止める。
窓の向こう、廊下寄りのいつもの席。前髪の隙間から覗く彼女の横顔。
無事。……よかった。
それから反対側。前の方の席。私の視線は自然と、見覚えのない男子へ吸い寄せられる。
茶色かかった黒寄りの色の短髪で、爽やかで、クラスの中心─────多分、そういう人。屋上のドアの隙間からチラッと見えた横顔。きっと、あの人だ。
(……あの人、だよね、ひとりちゃんと話してた人って……)
「喜多ちゃんー? なにしてるの? 早く移動しないと授業始まるよ?」
友だちの声に肩を跳ねさせて、私は照れ笑いで手を振る。
「えっ、あ、うん! ごめんごめんっ、ありがと! 先いってて!」
「? ん、わかった〜遅れないでよー!」
「分かってるわ、ありがと!」
笑顔でそう返してふぅ、と息を吐く。
胸の真ん中が、また、もう一度だけ小さく鳴る。
ずき。まるでそれはほんの、棘の先っぽみたいな。
(……ひとりちゃん)
常に目が合わなくて、喋るのが苦手だったひと。でも、バンドに戻る資格なんかなかったこんな弱い私自身を肯定してくれた。
努力した指の形をあの子だけが見出してくれて、ボーカルとしてこんな私を必要としてくれたひと。
嘘をついて、半ば無理矢理ステージに出場させちゃったのに、それでもステージに立ってくれたひと。それを、ありがとうだなんて言ってくれた。
私が「支えたい」って決めた、ひとりちゃん。
────────なのに、今のこの感覚の名前は、まだ分からない。でも、きっと知らなくてもいい。それを知る必要があるのは、きっと、今じゃない。何となくそんな気になる。
私は踵を返して、足早に自分のクラスへ駆け戻った。
チャイムが途切れる前に、教室のドアを押し開ける。
(放課後、三人で声を掛けよ。今日はオフなんだもの。甘いもの、たくさん。唐揚げとかだって。ひとりちゃんの好きなやつ、いっぱい)
胸の“ずき”という感触は、まだそこにいた。世界が揺れているような、そんな気になる。
でもその正体は分からない。
でも、歩く速度は落ちない。私は、私のリズムで前へ、歩き出す。
今は考えるのをやめよう。そう、上履きを鳴らしながら思った。