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下北沢駅のエスカレーターを、ギターケースを持ち直しながら昇る。
階下から吹き上がってくるクーラーの風でほんの少し汗が引いて、肩のベルトも気持ち軽くなる。中央口のざわめきは、夕方の音の粒で満ちている。改札の上で点滅する行先表示灯。
スニーカーの擦れる音、誰かの笑い声。
エスカレーターがもう間もなく終わろうという時、ふとスマホを見つめる。
その画面には、喜多ちゃんとのトークルームが映り込んでいる。その中で、「既読」の四文字だけが置き去りになっていた。
(結局、喜多ちゃん……既読で終わってる。どうかしたのかなぁ)
(それとも、皆ともう合流したってことなのかな)
改札前は
革靴の
どこだろう。中央改札で合ってるはずだけど、グループで一度聞いたほうが────と思ってもう一度スマホを見つめる。その時、耳慣れた声が空気をはじいた。
「おーーーーーいっ、ぼっちちゃーーーん!」
反射で、中央改札口の方に振り向く。黄色いワンテールが、ぴょんぴょん音符みたいに跳ねている。虹夏ちゃんだ。
その隣で、喜多ちゃんが手を振っていた。さらにその隣では、リョウさんがスマホ片手にもきゅもきゅ何かを食べていて、目が猫みたいに細い。
「ひとりちゃーん! こっちよ!」
「あっ虹夏ちゃん、喜多ちゃん……! リョウさんも……! い、今行きます……!!」
ローファーの底が床を滑る。定期券で改札口を通り抜けていく。
私は駆け寄って、肩で息をしながら、言葉を小出しに並べる。
「はぁ……はぁ……ご、ごめんなさい、みっ皆さんのこと待たせましたか?」
「んーんー! 別に待ってないよ、あたし達もさっき来たとこだし! ね、二人とも」
虹夏ちゃんの笑いは、鈴の音色みたい。
リョウさんはその隣でもきゅ、もきゅ、と一定のテンポで
「そ、そうなんですね……良かったぁ……」
胸の奥に入っていた空気が、やっと抜ける。
その瞬間、喜多ちゃんの頬に貼りついた曇りガラスみたいな表情に気づく。喜多ちゃんもつられて笑って頷いている。
けどその笑みは、
「きっ喜多ちゃん……? どうかしたんですか……?」
「へ? う、ううん? なんでもないわよ、ひとりちゃん」
えへへ、と返る笑顔。違和感。
─────あれ? 喜多ちゃんって、こんな顔、するひとだっけ。
「………」
思わず、じっと見つめる。それは、温度計でいうと常温に近い。
いつも南国の太陽のような明るさが伴っている気がするのに、今この瞬間の喜多ちゃんは明らかにそんな気配はなかった。「…………そ、そうですか?」
「うん、へーきよ」
「……」
そう笑顔で返されて、とうとう何も言えなくなる。
これ以上は踏み込んだら割れちゃいそうな、そんな気がしてならない。どうしてだろう。物凄い、違和感がする。だけどとりあえず、慌てて私は頷いて話題の色を変えた。
「そっそれはそうと、リョウさんは何食べてるんですか」
もぐもぐ、ごくり。無表情のままクレープを頬張るリョウ先輩はなんというか、ものすごくシュール。
「ん? ……雑草をさっき食べてたら、郁代が下北沢でも比較的美味しいって有名なクレープがあるので、それを食べてくださいって奢ってもらった」
次の瞬間、バシィィッ、と白目気味の虹夏ちゃんの手刀が炸裂。
リョウ先輩の後頭部へ小気味よく入った。
「いやさっき思いっきり喜多ちゃんにたかってたでしょーが、嘘つくな山田ァ!!」
「ぐふッッ!!」
「……」
パーカッション担当の手、容赦なし。喜多ちゃんは苦笑しつつ、胸の前で手を合わせる。
「い、良いんですよ、リョウ先輩には文化祭の時かなりお世話になりましたし……ファンとしても何か献上出来たらって思ってたので!」
「ありがとう郁代。この恩は必ず。定期」
「定期じゃないわっ! 喜多ちゃんダメよ、リョウを甘やかすとまたぼっちちゃんとかにたかったりするし!!」
「たかるだなんてそんな酷い……。ね、ぼっち。私、約束破ったことない」
漫才でもしているようなノリのまま、虹夏ちゃんから逃げつつリョウ先輩はぴえん顔で私へまた視線を向ける。思わず目を剥きそうな感覚に囚われた。
「あっ先週の牛丼のお金まだ返してもらってないですし、なんなら昨日もジュース奢ってます……」
「山田ァァァッ!!」
ムキーー、と虹夏ちゃんが烈火のごとく叫び、逃げ出すリョウ先輩を追い掛ける。
会話はスネアみたいに乾いた音で跳ねて、襟首を掴まれてぽかぽかされるリョウさんはスッと拍を変えた。無表情のままそれを耐えているのは逆に尊敬する。
「それはそうと、この後どこに行くかはもう決めてるの」
(リョウ先輩、思いっきり話逸らした……)
ここまでいくと本当に凄い。私は思わずドン引きしつつも、その先輩の太さに内心拍手した。
「あーそうだね」と、虹夏ちゃんがリョウ先輩から手を離し、腕を組む。「喜多ちゃんがおすすめの店があるって教えてくれたのは良いけど、まずどこ行くかだよね……」
「あれ。そういえば伊地知先輩、今日もホントならバイトと
喜多ちゃんは心配そうな表情を浮かべ、虹夏ちゃんの方へ振り向く。だけど彼女はあっけらかんとした笑顔になる。
「その事なら大丈夫! お姉ちゃんに『今日は暇だしたまには休んでいい』って言って貰えたし……その代わりとして廣井さんがタダ働きさせられてるけど」
あぁ……と私は遠い目になる。文化祭明けたすぐの時、確かSTARRYの備品を酔っ払ってフラフラしてた拍子に壊してたからそれかな。
きくりお姉さんの「ぼっちちゃァァん」というよく通る悲鳴が鼓膜に響く。半泣きで今頃働いてるんだろうな、きっと。
「あの、虹夏ちゃん。ほ、ほんとにバイト、大丈夫なんですか……?」
「うん、大丈夫大丈夫! 廣井さんのことなら何とかなるだろし……練習も、今日くらいは別に休んだってアリだと思う……ってのも、実はリョウからの受け売りなんだけどね」
私はリョウさんへ目をやる。彼女は視線をわざと逸らして、クレープの端を片付けながら、指で小さくV。音で言うと、無表情のまま入れてくる裏拍のグッドバイブスのそれだ。
(そっか、やっぱり……)
「リョウ、珍しくまともなこと言う時あるもんだよね。ビックリしちゃった」
「まるで私が普段から変なことしか言ってないみたいな言われよう……」
「おぅ普段の言動振り返ってみろ山田」
サッと目を逸らすリョウ先輩。そんな先輩へ虹夏ちゃんはジト目を向けている。少しだけその様子に笑えてしまう。
「ふふっ、じゃあそれなら今日はみんな、思いきってオフってことで楽しみましょ!」
キラキラキターン、って擬音が聞こえてきそうなほど楽しげに、喜多ちゃんが駆け出す。あっ良かった、そこはいつもの喜多ちゃんだ。やっぱり気のせいだったのかな。
私は肩の力を抜き、ギターを抱え直して、その背中を追いかけた。この場を作ってくれたのであろうリョウ先輩に感謝をしつつ。
(……リョウさん、ありがとうございます……)
※今回の話、だいぶ短いので続いて連投します。続いてお楽しみくださいませ。
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