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夕暮れの下北沢の街は、看板の色と人の声が混ざって、ミキサーで
半年前に比べれば、随分と私もこの街に慣れてきたとは思う。けど、流石に。
僅か一時間の間に五軒のお店の
やめてください死んでしまいます。死んだ。
「そろそろ小腹がすきましたよね? 皆さんでどこか食べに行きましょ!!」
「ゼー……ゼー……どこでもいい……疲れた……」
「き、喜多ちゃんなんでそんな学校終わりでテンション高いの……つ、疲れた……」
「………」
息を荒くして
一方の私。
死ぬ。多分死んでる。へたりこんでいる。魂、半分、上に浮いてる。
あっわたしの魂こんな色なんだ。脳内が
そんな中、仰いだ首を項垂れさせる虹夏ちゃんは、呆れたように喜多ちゃんへ毒づく。
「……まったくもう、この体力おばけめ……それで、まさかまだ巡るの!? 喜多ちゃんオススメのお店ってどこなのさ」
「そうですねぇ、どうしようかなぁ……。ていうか! もぅっ、江ノ島の時も思いましたけど、皆さん揃ってインドア過ぎますっ! これからイソスタポイントも巡る予定なのに!」
「「絶対嫌」」
リョウ先輩と虹夏ちゃんのぴったりハモった拒否。喜多ちゃんは肩を落とし、すぐに次の案を出す。切り替えが早いの、ほんと尊敬。
「ご無体なぁ……もぅ、それならここから離れていないとこに学生割引とかも効いて、お値段も手頃な定食屋とかあるので、今日はそこで皆さんで食べてきません?」
会話の波を聞きながら、私はギターを抱きしめる。指板の冷たさで、心拍が四拍子に戻るのを感じた。
「じゃあそこで。……あ。お金が無かった。……ベース、換金してこようかな」
「やめろ!!」
虹夏ちゃんの鋭い手刀がまたもリョウさんへ再び炸裂する。リョウ先輩は定期的に、息を着くかの如く狂気の沙汰に走る。虹夏ちゃんが居てくれて本当に良かった、とつくづく私は思う。
「まあ今日くらいはリョウのは出したげるし、そこに行こっか、いいよね? ぼっちちゃん??」
「あ、はい。私はどこでも……」
虹夏ちゃんにそう聞かれつつ、私は彼女と一緒に立ち上がる。リョウ先輩もプルプル震えつつ立ち上がり、私達四人はそうして歩き出そうとする。
その瞬間、喜多ちゃんの足がふっと止まった。
空気の表面張力が、ぴん、と張ったのを何となく感じ取る。私は反射的に、喜多ちゃんへ振り返った。心臓が、ペダルを踏み込んだみたいに一段強く鳴る。
「……? 喜多ちゃん……?」
隣で歩いていたリョウさんも、短く名を呼ぶ。
「……郁代?」
喜多ちゃんは俯いている。表情が髪に隠れてイマイチ垣間見えない。だけどすぐに、彼女は勇気の欠片をひとつずつ指で拾うみたいに、顔を上げた。
「……ひとり、ちゃん」
肩が、蚊に刺されたみたいにビクッと跳ねた。どうしてかはわからない。嫌な予感がする。
ギターケースの取っ手を無意識に握りしめる。汗が手のひらで薄い膜になる。
「……は、はい……? ど、どうかしました、か……?」
虹夏ちゃんが、目でだけ「大丈夫?」と訊いてくる。私の喉の奥では、言葉の車両が連結ミスしてゴトゴトいってる。目を閉じる。
(虹夏や郁代にも、話してもいいんじゃない?)─────昨日の、リョウさんの声が、鼓膜の裏で静かに鳴る。
喜多ちゃんの声が、決壊の直前みたいに震えている。それだけは、理解出来た。
「……ご、ごめんなさい伊知地先輩……やっぱり私、聞きます。……あのね、ひとりちゃん。実はね、今日、オフになったのは……ひとりちゃんに、聞きたいことがあって……」
私は喉の奥で何かが弾ける音を聞いた。あっダメだ、これ。
─────もう隠せない。
そのまま、頭が勝手に下がる。慌てて叫び散らかした。
「ッ……す、すすすみませんっ!! 実は、皆に隠してて、嘘をついて、しまってることがあるんです……!! 言えなくて、どう言おうか、悩んでることが………!!」
虹夏ちゃんの目が丸くなり、喜多ちゃんも「え?」で固まる。私はさらに深く、ギターごと折れるみたいに頭を下げた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ………!! その、私、実は………き、昨日………あ、ある男の人に…………っ、こ、告白、されたんです………!!」
二人の声が、駅前のざわめきの上空で炸裂した。
「「えええええええええぇぇぇええっっっぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっ!???」」
ベンチの端で、リョウさんだけが動揺した様子もなく静かに見ている。
視界の端にいる先輩に目を向けつつも、やがて私は瞼を固く閉じ、息を浅くする。
「みっ、みなさん……驚かせてしまって本当にごめんなさい……でも、その、昨日遅れたのは……そんな、理由があって……!」
「……………やっぱり、そうなんだね、………そっかぁぁあ………」
虹夏ちゃんが額に手を当てる。喜多ちゃんは放心——目のピントが少しずれている。私は顔を上げる。(あ、れ? なんだろうこの反応。まるで……知ってる、みたいな反応?)
そこで、リョウさんが、ごく当たり前の調子で言う。
「……知ってたみたいだよ。特に、郁代はね」
「えっ……? 喜多ちゃん……? 虹夏ちゃん……? なっなんで……知ってたんですか……?」
喜多ちゃんは唇を噛み、そして告白した。その表情には、いつもの華やかさはまるで無かった。
「……実はね、見ちゃった、の。今日の午前、授業、始まる前に。……ひとりちゃんが、男の子と、二人きりで屋上で話すところ」
「え……」
顔に血が一気に集まる。脳の中の配線に火花。私は慌てて言葉を探す。
「あっあの、そ、それは、その、違くてっ……!!」
「……隠さなくても大丈夫だよ、ぼっちちゃん。……とりあえず、ほら、ね? 座ろ?」
虹夏ちゃんはふとポケットからお財布を取り出す。そのまま、傍にあった自販機でコーラを買った。
やがて彼女は静かにベンチに座る。ほら座って、と言わんばかりにぽんぽん、と手で隣をアピールした。
「あっえっ、あっはい」
慌てて私はベンチに腰を落とす。ギターケースをゴト、と立てかける。そのタイミングで虹夏ちゃんは私の手にコーラを捩じ込んできた。「ほい、ぼっちちゃん」
「あっあ、ありがとう、ございます」
「ほらっ、喜多ちゃんも!」
「えっ、あ、はい……ありがとう、ございます。伊地知先輩」
喜多ちゃんは私の隣に座って俯きつつ、渡されたミルクティーを静かに開く。喜多ちゃんとは反対側の私の隣へリョウさんは座り込む。そのまま腕を組んで、人の流れを眺め始める。
一方の虹夏ちゃんはそんなリョウ先輩の隣に座る様に、隅っこへ腰掛けた。虹夏ちゃんはリョウ先輩を押し込むようにギュッと体を引っつける。
「よいしょっと。リョウ、もうちょっとそっち行ってよ」
「狭い……」
「我慢しろぃ」
い、いただきます。そう私は呟いてプシュッ。炭酸の蓋が一枚、胸の中でも外れて、泡が上がる。一口、喉を通す。甘さが心拍の角を丸くする。私達四人の間に、やわらかい沈黙が張られた。
「…………」
一息ついて、私はさっきの話を続けようとする。おずおずと頭を下げていく。
「えっえっと……あの……皆さん、ごめんなさい……こんなこと、黙ってて。隠してて、ごめんなさい……」
「……んーん。誤解しないで、ぼっちちゃん。別に、全く怒ってなんかいないんだよ」
ふと虹夏ちゃんの方へ視線を向ける。彼女は小さく首を振って、レモンジュースを飲む。やがて、それを下ろしてどこか切なげな瞳で、駅前の人波へ視線を滑らせた。
「……ただ、なんて言うかね、心配でさ」
「えっ……心配して、くれてたんですか?」
「あったりまえだよ! そりゃうちの大事なギターなんだし! ……まあ、正直本音言うと、あの、うん、割と冗談抜きで天地がひっくり返る程驚いたけど」
喜多ちゃんは俯いたまま、ペットボトルのラベルを親指で撫でる。その横顔の影が少し深い。私は息を継いだ。
「……あっその、本当に、すみません。 虹夏ちゃんと喜多ちゃんには、後で話そうと思ってたんです。本気で隠すつもりは、なかったんですけど……その……何分、初めての事なので、何て話したらいいか、分からなくて」
「ふふっ、謝んなくていーよ。でも無理もないよね、そんなことあったらさ」
「話すかどうかは、ぼっちちゃんに任せるから。これは……リョウにも言われたんだけど、こういうことは、流石に、ね。いくらバンド仲間でも、ズカズカとは聞けないし」
虹夏ちゃんは苦笑しつつも寄り添うように、柔い声色で続ける。
「もちろん、ぼっちちゃんが話してくれるならでいいの。……でも、心配なのはホントだからさ、事情、良かったら……聞いてもいいかな?」
「……し、心配、ですか?」
「さっきも言ったでしょ? そう。心配なんだよ。ぼっちちゃんが、変な人に絡まれてないか、って。……それに、この件に関しては喜多ちゃんが多分、あたし達以上に心配してるだろうからさ。ね、喜多ちゃん」
「……えっ……あ、はい」
笑いかける虹夏ちゃんに対し、喜多ちゃんはどこか困惑気味な様子で頷いた。
「……………皆さん……」
虹夏ちゃんの優しい笑顔。そしてどこまでも私を気遣ってくれる温かさ。
胸の中で熱のボルテージがじわじわと上がる。きっとそれは、安堵という感情が当てはまるのであれば正しいんだと思う。そして私は呟く。
「………そう、ですよね。そこまで、ご心配をお掛けしてしまってるなら、ちゃんと……皆さんに、きちんと話さなきゃ、ですよね」
「……聞かせて、くれる? ひとりちゃん」
喜多ちゃんは何故か切実な様子に見える表情で、私へそう問い掛けてくる。その真剣な眼差しに、どうしてか何処か心が傷む。
「......はい。もちろんです、私も、みんなに……聞いて欲しい、です」
喜多ちゃんの反応が気になるけど、それでも私はうなずく。ふと視界の横にいるリョウ先輩へ何となく目を向ける。
マイペースに虹夏ちゃんの買ってくれたジュースをぐびり。だけど目線だけはこちらを向いてくれていて、ちゃんと聴いてくれているのだけは分かった。話してみなよ、と言わんばかりの目配せだ。
その所作に背中を押されるように私は、言葉を順番に、こぼさないように話し始めた。
指板の上で運指を確かめるみたいに、ゆっくりと。