ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #22 B「RE:I AM」

 

 ◆

 

— Side Haruki —

 

 住宅街の端っこに沈む松ノ木児童遊園。

 一時間前に乗って降りたばかりのバスをまた降りては、元来た道を通学路を戻る。秀華高校に行き着く手前の角を曲がった先で、その公園は在る。

 そこへ向かって、一心不乱に俺は走り抜ける。

 身体中が熱い。その熱と浮き足立った体温を、頬に叩きつけられる風が冷ましていく。どこかのコンロの油が爆ぜる音も、微かに聴こえる。

 

 まもなく日が暮れる。

 

 そこで俺は気付く。空はまだ橙色の膜を貼ったままなのに、頬を打つのは風だけじゃない。

 冷たい細い雨。─────狐の嫁入り。光の粒と水の粒が瞳に映り込む。

 虹彩(こうさい)瞳孔(どうこう)に同じ画面が重ね焼きされて、世界が淡い二重露光(ろこう)みたいに揺れていた。

 

「っは、はぁ、はぁっ………」

 

 角を曲がって、その遊園の砂地へ一歩踏み込む。

 無理矢理息をひとつ大きく吐いて、呼吸を整える。

 

「……………ひとり」

 

 ブランコの鎖が風でかすかに鳴り、その片方に、ギターケースと鞄を背負った彼女が俯いたまま座っているのが見えた。両手は鎖を握りしめて、肩は小さく縮んでいる。

 

「…………!!」

 

 彼女の視線がこちらを捉えた。認識してくれた。

 その瞬間、胸の中の呼吸が、やっと一拍ずれる。

 

「………ごめん。お待たせ」

 

 吐いた息に雨の匂いが混じる。走ってきたせいで背中と額に汗が滲むのを自覚しながら、できるかぎり努めて柔らかく笑いかける。

 

「……来て、くれたんですね。春樹くん」

 

 小さく頷く彼女の声は、水の表面に落ちた小石みたいに震えて弾む。

 なんて頼りない声なんだろうと、ふと思う。

 

「……ごめんな、色々、あってさ。そのことは、また後で話すけど」

 

 隣のブランコに向かって歩む。

 そこへ腰を下ろすと、鎖がギシ、と鳴ってふたりの距離だけ空気が濃くなった。横顔が、合いそうで合わない角度をさまよう。それを見た俺の頬もまた、少し熱くなる。

 

「あっ、いいえ……大丈夫、です」

 

 彼女の返事は、細い弦を弱くはじいたみたいな音色。その音に尋ねるように、俺は問い掛ける。

 

「…………それで、話って?」

 

 急かさないよう、ゆっくりと声を置く。

 今は彼女のペースに全部合わせたい。

 

「…………あっ、はい……っ………。あっあの……まずは今日、何も言わずに先に中退しちゃって、ごめんなさい」

 

「いや、全然気にしてないよ。体調は大丈夫?」

 

「あっはい、だ、大丈夫です。ありがとうございます」

 

 ほっと息が漏れる。

 雨脚は強くはならない。細い粒が、話を促すみたいに弦楽器のようなリズムで背中を押してくる。彼女は俯いたまま、ゆっくりと続ける。

 

「……わ、私……結束バンドの皆に、話したんです。春樹くんのこと」

 

「うん。それで……?」

 

 知っている。さっき、三人と話した。

 でも、俺の口からは言わない。彼女の「今」の言葉で、もう一度受け取りたかったから。知らないフリをする。

 

「………お、怒らないで、聞いてくれますか? 今から、話すこと……」

 

「うん、もちろん」

 

 そんなの、言うまでもない。

 言葉を選ぶ沈黙が落ち、視線が何度か足元へ逃げる。長い沈黙。上手く何を話せばいいのか分からないのかもしれない。

 彼女はあわあわと狼狽える。

 

「……………っ、あっえっと………」

 

 くすっ、と自然と俺も頬が(ゆる)む。

 

「……なかなか、上手く浮かばないか」

 

 軽くブランコを揺らして空を見上げる。低い雲の裏で、まだ明るさが息をしていた。ふと、ひとつ提案を問いかける。

 

「じゃあ、少し歩こうよ。歩いてるうちに、案外思い出してまとまるかもだぞ」

 

 こういう時は動くのが一番だ。どちらにせよ、STARRYには彼女を送っていかないと。きっと、今日も彼女にとって大事な練習があるはずだから。彼女は「あ…………は、はい……」と(ども)りつつも頷く。

 

 互いに立ち上がってブランコの手を差す───その反射より先に、彼女の足元がもつれた。

 

「……っ!? わぁっ!」

 

 あっ、まずい。

 反射的に腕が伸びる。

 

「うわぁっと!! あぶな、大丈……夫…………」

 

「あっ!! す、すすすすみま、せ……」

 

「……………」

 

 至近距離。呼吸より近い距離。見つめ合う。

 見開いた瞳が、びっくりするほど素直に俺を映す。彼女も、そして多分俺も顔を真っ赤にしつつ目を逸らした。半端でなく心臓が変な音を出している。

 喉の奥で、未完成な言葉が崩れていく気配がする。

 

「ッ……ごっ、ごめんなさ……!! 足がもつれちゃっ、て……………」

 

 彼女は吃りつつ目線を必死に逸らす。赤らめて背ける顔がとんでもなく可愛い。それをチラリと見てから、すぐに俺もその視線を外しつつ、一応確認もする。

 

「………あ、ううん、俺の方こそ。それよか、怪我、無い? そんな重たいギターケース背負ってるし、なんかあったら大事だぞ」

 

「ぁっ、は、はい、 平気で……す。ありがとう………ございます」

 

 ギターケースを抱え直し、彼女の呼吸が落ち着いていくのが垣間見えた。それを見て、俺はひとりの方へ視線を向け直す。

 

「………行こっか。少し、歩いて、話の続きしようよ」

 

「………は、はい、行きます………」

 

 砂地を抜け、公園を出ようとする。何気なく後ろへ目を向けて、気を向ける。

 その時、彼女がふと振り返っていた。

 遊具や砂場が、天気雨の光で輪郭を細く縁取(ふちど)られている。何となくその彼女の視線の意味が気になって問い掛けた。

 

「………どうかした?」

 

「え!? あっ、いえっ……な、なんでもないです! ……ただ、その。懐かしいな、と思って……」

 

 ひとりは慌ててこちらへ向き直り、首をまたブンブン横向きにシェイクする。その様子に思わず苦笑してしまう。

 

「懐かしい……?」

 

「………あっ……その、ここは、半年前の五月くらいに……虹夏ちゃんと初めて出会った公園なんです」

 

 頷く。────あぁ、そっか。

 やっぱり “始まり” は虹夏なんだな。

 

 今日、公園で彼女が俺に差し出してきた(てのひら)の温度を思い出す。

「五人で夢を掴もう」って笑って言い切る顔。条件は厳しいのに、優しさしかなかった。

 情報のこと、線引きのこと、そして「対等でいて」と念押しする目。あの目は、ひとりだけじゃない。

 こんな俺のことすらも、輪の中心に招き入れようとする強さがあった。

 

「あっ……その日は、バンドマンみたいな、そんな浮ついた格好をしてたんです。前日に、動画のコメント欄に書かれてた言葉でふと思いついて」

 

「そうしたら、誰かに、声を掛けてもらえると思い込んだんです。……結局、誰からも声は掛けてもらえませんでしたけど」

 

「………ま、まぁ、たっ他力本願なのが、悪いんですけどね。アハハ……」

 

 彼女は自嘲気味に笑うが、俺は笑わない。笑えない。

 むしろ、その当時の自分をちゃんと語れる今の彼女に、ただうなずく。偉いと心の底から思う。

 

「学校での居場所に耐えかねて、もう、学校に行くの、辞めようとすら思ってました。そんな時……なんです。ちょうどあのブランコに座ってたら…………」

 

「……その時に、虹夏とたまたま会ったの?」

 

「あっはい……。急遽(きゅうきょ)ギターを探していた彼女が、私に話しかけてくれて……最初はなんでこんな私にって思いました。でも、今思えば……そこから本当に、色んな事が始まったんです」

 

 雨粒が記憶の埃を洗い落としていくみたいに、彼女の声に(よど)んだ(おり)がなくなっていく。

 

「……そっから、結束バンドの皆と、ライブを組むことになったんだ?」

 

「はい、そこから虹夏ちゃんやリョウさんと友達になって……その後、色々あって、喜多ちゃんとも、バンドを組めるようになって」

 

「喜多ちゃん」の音だけ、ほんの少しだけ揺れた。

 気づかないふりをする。彼女自身が自分の言葉に辿り着くのを待つ。

 

「………あっ正直なこと言うと……その、私が最初はバンドをやろうと思った目的は……自分がチヤホヤされたい、とか、そんな程度だったんです。でも……皆と出会ってから私、考えるようになりました」

 

「……どんな風に、考えるように?」

 

「────な、何のために、バンドをやるのか。何のために、わたしはここにいるのかな、って」

 

「…………何のために、か」

 

 ふと目を向けた路面に、細い光が跳ねはじめる。

 雨と光の二重奏に、俺たちの足音が伴奏を足す。

 

「虹夏ちゃんは、お姉さんである店長さんの為……STARRYをもっと有名にすること。リョウさんは、自分達にしか出来ない音楽を結束バンドでやること。喜多ちゃんは、あの皆で一緒に何かをやること。………私は………そんな皆の為に、皆がバンドに託した想いの為に────」

 

 顔を上げた彼女の瞳は、雨の膜の向こうでもはっきりとまっすぐだ。

 その姿は、いつもの彼女とは比較にならないほどに、凛々しい。意志と熱を伴った表情。

 

「………結束バンドを、私に出来る限りのことを尽くして、最高のバンドにしたいって、思ってます」

 

 そうだ。

 俺は、この子のこんな表情に、あの時─────文化祭のあの日も、惚れたんだよな。ひとりのその姿をみて、これまた自然と口元が緩まざるを得ない。それを、彼女へ向ける。

 これが、後藤ひとりの今の願い。

 この子がどんなに辛くても頑張ろうとする、たった一つの理由。

 誰かのために。大切な、友達の為に。

 それは、どうしようもなく尊くて、愛おしい願いだと、俺はそう思う。小さく、頷いた。

 

「───────…………そっか」

 

「それが、君が……後藤ひとりがバンドをやる目的なんだな」

 

 彼女は、その時だけは、真っ直ぐに俺の顔を見てきて頷いた。そこに迷いは無かった。

 

「………はい。………私、結束バンドの皆には、いつも……助けられてばかりな、そんな気がするので。だから……」

 

 でも、ひとつだけ思ったことがあった。

 助けられてばかり、とひとりは呟く。だけど。

 

「………どうだろうな。それは」

 

 彼女は思っているよりずっと、皆を支えている。そのはずだ。

 それは、さっきの虹夏たちの姿から十分過ぎるくらいに伝わってきたのだから。そう言い切りたかった。

 けれどまず、俺自身の立ち位置を置く。

 

「……案外、そうでも無いかもしれない」

 

「それに……俺も、君がその気なら、君の力になりたいな、って思ってんだよな」

 

「えっ……どういう意味、ですか?」

 

 雨が一瞬だけ細く強まり、すぐ弱まる。

 空が息を継いだ。

 

「………俺ね、単刀直入に言うわ。結論から言うと、結束バンドのマネージャー、やろうと思ってさ」

 

 彼女は一瞬フリーズして、瞳孔を強く開く。そのまま大声で動揺を叫んだ。案の定、顔のパーツが崩れている。もはや見慣れたものだよなぁ、これ。

 

「え……? え、ぇ、えぇっ?! 本当ですか!?」

 

「また顔面崩壊してるぞ」

 

 苦笑いを返しつつ、小さく指摘する。ひとりは慌ててハッ、と息をついてはそれを物理的に戻す。相変わらず狼狽(ろうばい)したまま、彼女は呟く。

 

「あっごめんなさ………え、えぇ、でも、春樹くんが私達バンドのマネージャーって、えっ、でも虹夏ちゃん達とは、春樹くんは面識ないんじゃ……?」

 

「………実は、な。さっき、たまたま会ってさ。声を掛けられて、話をしてな」

 

「俺、元々思ってたんだ。君の事、応援したいなって」

 

「だから………アイツらとその話をして、俺からマネージャーを頼んだ。そしたら、まあ紆余曲折あったけど、最終的には虹夏達からも快諾(かいだく)されたよ」

 

「ぇぇぇぁぁぁっあの、ええっと、ちょ、ちょっと待ってください! 頭が追いつかないです……」

 

「あはは、まぁ、混乱するよな、そりゃ。……もっと簡単に言おうか。俺も、応援したいんだ」

 

「ひとりのこと。応援したいって、そう思った。だから、俺なりに色々考えて、そしたら……結束バンドにはマネージャーがまだ居ないって、虹夏から教えて貰ってな?」

 

「だったら、俺が勉強して……結束バンドのプロデュースとか出来たら、君の夢も、結束バンドのアイツらの夢も応援してやれるんじゃないか、って」

 

 ─────五本目の弦に、虹夏は俺を数えてくれた。その嬉しさで、今も心がふわりと浮いている。その感覚を、絶対に手放さない。思いを胸に、決意を伝えた。ひとりはこちらへ目を向けたまま、問い掛ける。

 

「……っ、本当なんですか? 春樹くんが、私達の……皆のマネージャーに……本当になってくれるんですか?」

 

「本当だよ。………なぁ、ひとり。さっきさ、なんて言おうとしてくれてたんだ? その、結束バンドのみんなから言われたこと。それで、ひとりが考えたこと。話の続き、教えてよ?」

 

「……皆に、春樹くんとのことを話して、こう言ったんです。私は、私なんかじゃ、春樹くんの隣にいたら、春樹くんをガッカリさせてしまうんじゃ、ないかって」

 

「……どうして、そう思うの?」

 

「そ、それは…………どっどうしても、私は自分には自信が、持てないんです。わっ私は………ギターしか取り柄がなくて、人と話すことも本当に上手くいかなくて、すぐに気付いたら自分の世界に閉じこもっちゃうし、空回るし…………」

 

「は、春樹くんに、こんな私なんかじゃ……見合うはずなんて、無いって………思って……だから!」

 

「……………結束バンドの皆にそう言ったんだろ? そしたら、なんて言われた?」

 

「……その人はきっと、私の内面をちゃんと見てくれる人間だ、って、春樹くんのこと、皆……言ってました」

 

「………あいつらが……そんな事言ってくれてたのか」

 

「……虹夏ちゃんが……だってそうでなきゃ『演奏をする姿が好き』なんて言葉は出てこない。だからこそきっと、私の歌う姿や歌詞、ギターを弾く姿をそこまで見てくれたなら大切にした方がいい人だと思う、って………そうも、言ってくれました」

 

 胸の奥で固く縛っていた結び目が、少し緩む音がした。

 彼女が彼女自身の言葉で、自分を肯定できる地点に歩いてきている。嬉しかった。

 

「だから……私、思いました。わっ私は………春樹くんのその、私に向けてくれた、気持ちに……向き合いたくて。真剣に、向き合わなきゃいけない、って! だっ、だから……!」

 

 その時、ひとりが十字の交差点へ一歩踏み込む。

 

 その背後から、肺の中身を押し潰すような長い警笛が空気へ轟く。

 耳の内側が軋み、濡れた路面の上でヘッドライトが白い帯を伸ばす。タイヤが水を蹴り、アスファルトの細粒が跳ね上がった。

 

 瞬間、世界がスローモーションになっていく。

 

「───────────っ」

 

 俺は、限界まで目を剥く。手を伸ばす。

 

 彼女の肩が、恐怖で固まっている。反応が遅い。

 ヤバい。待て、待て────間に合わない。

 思考が、間に合わない。

 

「─────────ぁ……?」とひとりがその轟音へ目を向ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッッ………危ねぇ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その一瞬の間に俺は彼女の手首を掴んで、自分の側へ全力で引き寄せる。

 

 ひとりの背中のケースが慣性で暴れ、彼女の重心がさらに後ろへ引かれるのを腹で受ける。彼女の身体を、後頭部を特に強く抱き締める。

 

「ッッ!!」

 

 そのまま、重力に従うように俺は彼女と共に、背中から叩きつけられた。

 

「ッッぐ…………!!」

 

「ッッきゃ………あっ、ぐ………ッッッ!!」

 

 踵から背へざらついた痛みが一本の線で駆け上がり、視界が横倒しにスライドした。とっさの悲鳴。すぐに────硬直。

 鞄がクッションになって衝撃を散らす気配。肺の空気が抜け、世界が一瞬白く弾ける。

 タイヤが水をはね上げ、アスファルトの粒も細かく踊った。

 地面に転がったままの腕の中で、彼女が小さく怯えるように跳ねる。

 俺たちはそのまま約一分ほど硬直した。

 

「…………」

 

「………はぁ、はぁ、はっ、………ぁ」

 

 死の気配。それが明確にひとりを覆おうとしていた。

 ジャージ越しに伝わる微細な震え。俺もほんの一秒の合間に、最悪の映像が何通りも頭を駆け抜けたか。冗談じゃない。

 最初は状況が読めなくて、恐怖の反射で固まっていたのか。

 それから現状を理解したのか、ひとりはごく控えめな力で俺の背に指が回してきた。

 

「…………ひっ、っ………ううっ」

 

 ぎこちない、でも確かな「抱き返す」圧。重なった鼓動が、俺の胸骨に直接触れるみたいに近い。

 

「ッ………………いって」

 

 下敷きになった右腕が痛む。ゆっくりと上げる。小さく痙攣(けいれん)していて、その程度で済んだという事実をそれが物語っていた。そのまま勢い良くひとりへ、顔を向ける。

 

「………ぐ、危ないだろ、ひとり!! ちゃんと、周りを見ないと………!!?」

 

 声が荒く出た。恐かった。

 彼女の顔を覗く。

 

「ぁ…………っ」

 

 涙。ぽろぽろ、と。見開いた瞳から、抑えが利かないみたいに溢れ続けていた。叱りたくて叱ったんじゃない。叱らずにいられなかった。けれど、今伝えたいのは怒りじゃない。

 胸の奥が痛いほど温かくなる。安堵と、申し訳なさと、どうしようもない愛しさが同時に押し寄せてくる。だけど、彼女がどこか痛んだりしてるのかどうか、次の瞬間には堪らなく心配になってつい叫ぶ。

 

「………ッ、だ、大丈夫か!? 怪我したのか、痛むのか!? ……ッ……いって……!」

 

 肘と背中がその瞬間、強く痛む。でも、そんなものは些細だ。

 そんなのどうでもいい。ひとりは、ひとりは大丈夫なのか。

 

「ぁ、ぅ、……っ、ち、違います……私は、痛くありません………!! 春樹くんが、守ってくれたから……!!」

 

 あぁ。良かった。それなら別に、どうってことなんかない。

 腕の一本、二本、身体のどっかのひとつくらい、命だってこの子の為ならくれてやる。

 そんなのどうでもいい。ひとりを守れるなら。

 

「は、春樹くんの方こそ、怪我は無いですか!? 私の、私のせいで!!」

 

 取り乱す声が(かすれ)れている。

 周りを一周見る。車はもういない。喉の奥で毒が泡立つ───もし轢いていたら、どうするつもりだった。ふざけんな。

 腹の底から怒りが湧き出す。

 吐き出す先はもはや無い。それを、何とか歯軋りで堪えた。腕の中の温度だけを確かめながら、小さく呟く。

 

「………………っ、大丈夫。……鞄が、ちょうどクッションなってくれたし……」

 

 彼女の肩が一段落ちる。

 胸の前で両手を強く握りしめて、堪えていたものが(せき)を切ったみたいに決壊していく。

 

「……良かった、怪我、ないんだな」

 

 彼女は必死な様子で首を何度も縦に振る。また、涙をポロポロと流し始めている。

 

「……………ごめん、ごめんなさ………ごめんなさぃ……私のせいで、本当に、ごめんなさい」

 

「………………大丈夫。泣かないで。俺は、平気だよ」

 

 怒気はそれを見て、あっという間に霧散する。

 物悲しさと安堵の混じった笑顔をむける。伝えたいのはただひとつ───大丈夫だ、ということ。

 

「……ほ、本当ですか!? 嘘、ついてないですか……!?」

 

「………大丈夫だよ」

 

 握った手は冷たく震えていたけど、確かに握り返してきた。

 その時だ。

 彼女の瞳が、強く見開かれた。

 

 それを合図に─────言葉が、零れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………好き………です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞き間違いかと思う。反射で問いが漏れる。

 

 

 

 

 

 

 

「………………………ぁ、うっ、す、好き、です…………私、私も、春樹くんの、ことが…………」

 

 

 

 

 

 

 

 嘘、だろ。突然の告白に、思考が完全に吹き飛ぶ。視界の端が目を見開きすぎて、ぱちぱちと真っ白に弾けている。

 

「………」

 

 だけど。

 ひとりは、首を振りながら、泣きながらも、それでも目だけは逃げない。

 あぁ。そうか。これは、間違いなく─────本物。

 その姿を見てそれは、本当の思いだ、と直感した。

 

「………………」

 

 これは、あの体育倉庫裏で俺が放った「告白」。

 それに対する、メールでいう「Re:」だ。

 彼女自身の言葉で返す、リプライズ。胸の奥で合わなかったリズムが、今この瞬間に、その身を一致させた。

 

「……………………っ、ひと、り………」

 

 声が、震える。俺も情けなく、震えている。それが、まるで夢みたいで。

 現実味が、無さすぎて。

 

「……っ、春樹くんに、何も、なくて、本当に、良かった……! ……わ、私、……春樹くんの、ことが、ぅ、ぅぁあ………ん………!!!」

 

 ひとりは子どもみたいに泣き崩れる。それでも視線はしっかりこちらを捕まえて離さない。

 

「……………………ッッ!!」

 

 また、思わず抱きしめる。

 もう思考なんかまともに出来なかった。それはもはや反射。脳髄(のうずい)反射よりも、強く。落とさないように。落としてしまわないように。

 

 さっきよりも明瞭(めいりょう)な力で、強く抱き返す。その感覚が、胸に返る。

 

「ひうっ……! っうう、うぁ……」

 

 それは、呻く怯えの震えと、安心の震えか。

 混じり合って、少しずつ彼女の体温と揺れが落ち着いていく。

 

「……ふぁ……んぅ……っ、ぅ、………っぅ、ううっ……」

 

 耳元で、かすれた泣き声がずっと震えている。

 ジャージの肩に頬を寄せ、懸命に俺は言葉を届ける。

 届けたくて、また伝えたくて。大丈夫だよ、って。

 俺だって、そんなの同じなんだ。君に何も無くて、怪我なくて、本当に、本当に安心して。

 それに、同じくらいずっと、ずっとずっと──────

 

「……俺も。好きだよ、ひとり。君の事が、好きだ」

 

「あ………ぁぁッ……ぁ、ぁ……………!!」

 

 時間が一瞬止まったみたいに彼女の体が固まったあと、それからゆっくりとまた泣き出す。現実へ戻ってくる。腕の中の力も、確かに強くなる。

 

「あ、ああぁ………うぁ…………っ、ぁぁぁあん…………!!」

 

「っ、ご、ごめ、ごめんなさい、はるきくんっ………もう、こんなこと、絶対しません……ごめん、なさい……」

 

 泣き止むことのない彼女。

 それが、どうしようもなく愛おしい。

 

「………………無事で、本当に……良かった…………」

 

 それが俺の全部。その本音が、全て。

 脳裏に、一週間前に巡ったあの日の景色が、もう一度蘇る。

 

 俺みたいな、何の価値もない存在に。

 君は『明日』をくれた。

 俺みたいな、生きていいとすらと思えなかった人間に。

 君は『理由』をくれた。

 

 君は、俺を光の中へ連れ出してくれたんだ。

 

 だから決意する。

 あの時、どうかこの身に背負えたならば、と願った『閃光』を。

 こんな俺を選んでくれた君自身を、一生を懸けてでも守る。

 

 それは、誓いだ。

 

 生涯にも及んで守ると決めた、自身への、君への誓い。臆病に隠していたその声を今、この手でもう一度さらけ出す。だから、伝える。ありがとうと。

 

「………ありがとう、ひとり」

 

 俺を選んでくれて、本当に、ありがとう。

 

 彼女の背に掌を広げて、もう一度抱きしめる。

 雨はもう上がっていた。

 アスファルトの水面が、薄い橙と宵色を混ぜて光る。

 そこに、虹が僅かに垣間見えた。それはさながら、世界を照らす歓喜の色。

 薄い鏡の水たまりが墨の染みのような宵の空と雲を映している。けれど、胸の中だけは、まだやさしい雨が降り続いていた。

 

 祈るように、願うように────────それは降り止まない。

 

 この結び目がほどけないように。

 この音色が鳴り止まないように。

 五つの星座がどうか、この先もずっと、明日も光っていてくれますように。

 

 泣きじゃくる彼女を抱きしめながら、俺はただただそう思った。

 

 

 

 

 

 









今回で特別篇 CHAPTER#22は終了です。
本当に大切な回だったのでどうしても春樹視点も入れたかった。

たくさんの星評価、お気に入り、本当に励みになっています。ありがとうございます。

次回更新は10/22 19:00です。
次回から喜多ちゃんの視点に移ります。

ちなみに。
このサブタイトルには元ネタがあります。そして今後の展開の大きなヒントになり、これを「春樹視点」にしてるのは理由があります。

分かった方はお気軽に感想をお待ちしてます。それではまた会いましょう。
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