※
STARRYの扉を開いて、階段を三段上がると、冷ややかな空気が頬へ触れた。
古いビルのコンクリとすぐ脇にある花壇の土の匂い。角の花壇をベンチ代わりにして、俺と虹夏、リョウで三人揃って腰を下ろす。STARRYの路地上でチカチカと瞬く街灯と共に、夜の群青が少しずつ濃くなるのを感じた。
リョウは視線を俯かせ、虹夏はその街灯へ宙を仰いでいる。俺は、そんな二人へ目線だけを向けて、思わず小さく呟く。
「……なぁ、大丈夫なのか? あの二人」
虹夏は、僅かにこちらへ横目を向ける。だけど直ぐに元に戻す。
「わかんない。でも……………多分今は、二人っきりのほうがいいと思う」
彼女は空のどこか遠くを見続けたまま、そう言った。夜風に揺れる前髪の下、その表情がどこかもの悲しげなのが分かる。俺はそのまま、その奥で腕を組んだまま瞳を伏せるリョウへも問い掛ける。
「……リョウは、どう思うんだよ」
「……」
彼女は僅かに視線を上げ、細い横目を俺の方へ向ける。
「……待つしかないと思う。ひとつ言えるなら……あの二人のことは、他人の私たちが踏み込める領分じゃないってことだよ」
「…………私は、ぼっちと郁代なら、ちゃんと話せるって信じてる」
言葉が夜に沈む。
俺は頷く。俯いた視線を夜空へ持ち上げ直す。
そこで気付く。自分の呼吸が、微かに荒い。
あぁ。こんなに、とふと思う。待つことが正解で、いちばん難しいことなんてあるんだな、だなんて。
そんな時、虹夏が空を見上げたまま聞いてきた。
「ねぇ春樹くん……聞いてい?」
「ん、あぁ」
「ぼっちちゃんと、付き合うことに……なったんでしょ」
「……うん、まあな。色々あってさ。虹夏たちと別れたあとに、ね」
言ってから、胸の奥がじんわり熱くなる。言葉は簡単だ。
でも、背負うのは簡単じゃない。
「……そっか。よかった。本当に、よかった」
「─────ぼっちちゃんが幸せなら、それで」
見上げた空に、曇りガラスみたいな輝き。
そんな中でどこか儚く揺れるような、そんな意味深な微笑が虹夏の顔に浮かぶ。それはまるで、一瞬だけ灯って消える星のよう。
友達の幸せを祈る姿にしては、どこか切なさを感じる表情の横顔。どうして、彼女がそんな表情をしているのか。
祝福の裏にある虹夏の想いは、少なくとも今の俺にはまるで分かりそうになかった。
※
ガチャリ、と音響スタジオのドアが閉まる音が背中へ戻っていく。
蛍光灯の白は少し澄んでいて、壁の吸音材がSTARRYの空調と音響の音を飲み込む。
私はギターケースを下ろして、用意されていた椅子を向かい合わせにする。膝の上で、指が落ち着かない。
「……あっ、き、喜多ちゃん……?」
声が思ったより小さくて、喉の奥で跳ね返った。
喜多ちゃんは向かいに座ったまま、俯いたまま。その表情は酷く虚ろで、いつもの明るくて太陽みたいな輝きは見る影もない。
──────思えば、それは春樹くんと一緒に帰り始めたあの日からずっとそうだった気がする。
もしかして、と私の背筋に冷たい感覚が走る。額の冷や汗が更に増す。
「……もしかして……」
「わっ、私のせいで、困ってるん、ですか?」
「……!」
そこで喜多ちゃんはビクッ、と肩を揺らす。目を見開ききったまま、酷く狼狽した様子で首を何度も横に振る。
「ち、違う、違うの、ひとりちゃん……! ……ひとりちゃんは、なにも、悪くなんかないの」
顔を上げた瞳が、まるで雨に降られて濡れているみたいに揺れ動く。言葉が何度もつかえているその様子は、凄く苦しそう。
それを見て、私も思わず喉が震えて止まらなくなってくる。じゃあ、どうして。
どうしてそんなに、つらそうな顔をしているんですか、喜多ちゃん。
彼女は俯いたまま、泣きそうな声で呟く。
「……私が……」
「私が勝手に……思い詰めてる、だけなの」
どうしようもなく、胸が締め付けられる。
喜多ちゃんのそんな今にも消えてしまいそうな声が、聴いていて耐えられない。私は、そんな喜多ちゃんなんて見たくなかった。
だって、いつだって喜多ちゃんは、私にとっての憧れの人だから。喜多ちゃんの笑顔に、眩しさに、いつも私は元気を貰えていたから。
だから、だから今度こそは、と思う。
「………」
私はそっと手を伸ばす。
今度は、私が貴方を助けたいんです。
触れた指先の体温が、静かな雷みたいに手の甲を走る。
「っ……!」
喜多ちゃんは一瞬びくりと肩を揺らして、それでも逃げたりはしない。私はその手を、今度はしっかり握り返す。きっと、今までの私ならこんなこと出来なかった。でも、今は違う。
こんな私でも、「誰かを助けることができる」って教えてくれた人がいる。誰かを支えてもいいんだ、って、それを誇りに思っていいんだって教えてくれた人がいるから。
だから、ハッキリと私は伝える。
「喜多ちゃん……もし、嫌じゃなければ……教えて欲しいです」
「苦しんでることがあるなら……一緒に乗り越えたいです。だから……」
言いながら、自分でも声が少し震えているのが分かった。
本当は怖い。怖くて堪らない。それこそ、こんなこと調子に乗ってイキってるだけなんじゃないかって。
でも、逃げない。喜多ちゃんだって私に向き合おうとしてくれてる。
だったら、私が逃げていいはずがない。
すると、前髪で表情が見えない彼女が、小さく呟いた。
「……ひとりちゃん。今から話すこと……聞いても、引いたりしない?」
「……っ!」
ぎゅっ、とにぎる力を更に強める。意思を込め、願いを込める。
「ぜ、絶対、引きません。大丈夫です。どんなことでも、受け止める覚悟はあります。だっだから……全部、聞かせて欲しいです」
喜多ちゃんはまつ毛を伏せ、それから決意を切るみたいに顔を上げた。
微かな間の後、彼女は言葉を発する。
「……『星座になれたら』の歌詞。文化祭前に、見せてくれたわよね」
「え……あっはい。見せましたけど……」
「あっ……えっ? まさか、その……もしかして、それが原因……なんですか」
「違うの。そうじゃ、なくて。……私、ちゃんと聞いてなかったなって。ひとりちゃんが、どういう心境で……あの歌詞を書いたのか、とか」
「………?」
私は喜多ちゃんの質問の意図が読めなかった。どうして、今その歌詞の話が出てきたのか、私にはよくわからない。
脳裏にいくつもの疑問符が浮かぶ。真剣に思い悩むけど、やっぱり分からないままだ。今度は、私の方からも問い掛ける。
「……あっ、あの、どうして、その歌のことを、今……?」
「……」
喜多ちゃんは一呼吸沈黙して、続ける。
「私があの歌詞を見て思ったことと、ひとりちゃんが感じたことって……一緒なのかな、って」
「……聴かせて、くれないかしら。その時ひとりちゃんが何を感じて、どう思って、あの歌を……あの瞬間に思いついたのか」
「……あっあの時に、私が、何を感じたか……ですか?」
「そう。聴きたいの。お願い───聴かせて」
「………」
そこまで聞いてもやっぱり私は、今ひとつその言葉の意味と喜多ちゃんの表情の要因が掴めないままだった。
だけど、喜多ちゃんの質問にはきっと大きな意味があるような気がする。だから、あの日の情景を思い出そうとしてみる。
胸に、街灯のような柔らかい光が灯るのを感じた。
それは数週間前。秀華祭のライブステージがひと月後に迫っていた時のこと。はっきりと思い出せる。
踏切の赤が夜の端を染めて、星を指差す喜多ちゃんが笑っていた気色。はしゃいだ声が、線路の前で響いていた。
その時の景色を思い浮かべたまま、今の喜多ちゃんの手を握り込む力を思わず強める。私は、乾く舌を無理矢理にでも回して、喜多ちゃんへ続ける。
「……わっ私が、あの時思ったのは」
「────喜多ちゃんが星空を見て、楽しそうにはしゃぐ姿を見て。あぁ、私の伝えたいことって、きっとこれなんじゃないか、ってことです」
「……!」
喜多ちゃんは僅かに視線を上げる。
大きな瞳が揺れていて、今にも崩れそうなその目からは、大きな憂いを感じずにはいられない。
思わず、その表情に口を止めそうになる。
だけど私はひとつひとつ、あの日の全てと、その時思ったことを形にしていく。
「結束バンドのみんなと……それから……」
「喜多ちゃんへの、私の気持ちを、込めて、みたいなって思わず……考えて」
「あっ……い、今までの私って……自分にとって傷ついたこととか、しょうもない不満や不安とか、そういうものからばっかり言葉が浮かんでたんです。それを、ずっと歌詞に込めたりしてました」
「でも────江ノ島に皆と一緒に行ってから初めて、思ったんです」
「あの時、私は初めて友達とあんな形で遠出して、沢山色んな所を歩けて」
「あっそれに……ゆ、夕方の電車で喜多ちゃん、私に言ってくれましたよね」
「『藤沢までまだまだ “楽しい” が続くのね』って。私、嬉しかったんです。あの言葉」
「『この人、私なんかと一緒にいても楽しいって、ホントに思ってくれてるんだ』って」
言ってしまってから頬が熱くなる。逃げないで顔を上げる。
「………ひとりちゃん」
私の名前を呼ぶ喜多ちゃんの瞳は、震えたまま、大きく丸くなっていた。目を見開いたまま、こちらをじっと見つめている。
変な顔はされたりしてなくて、真っ直ぐに聴き入ってくれている。私は今の言葉を誤魔化したくなくて、そのまま呟く。
「……っ、わっ私にとって喜多ちゃんは、どうしようもなく眩い、一番星みたいな人で」
「……!!」
私の “一番星” って言葉に反応するみたいに、小さく喜多ちゃんは肩を揺らす。眼差しが、より強くこちらへ届く。
「─────私にとって、喜多ちゃんは、ずっと、ずっと、手が届かない、遠い憧れだったんです」
「この人と一緒にいたら……私も、一緒に輝けるのかな、って。そう、心のどこかでその時から思うようになったんです」
「いつも、喜多ちゃんは当たり前のように私と一緒に駅まで帰ってくれて。それに、ひと月前の夜、あの踏切まで一緒に帰った時も……喜多ちゃんはこんな私に笑いかけてくれて、あんなにも楽しそうにしてくれた」
「その時に、想いがかたちに、言葉に変わった気がしました。……あんな瞬間は、初めて、だったんです。だから、なんでか勝手に泣けてきちゃって」
「多分──────思うんです」
「私、もしかして喜多ちゃんみたいな人に、なりたかったんじゃないかな、って。あんな、夜空に輝く沢山の星座みたいな、喜多ちゃんみたいになれたらいいなって、思ってたのかなって」
喜多ちゃんは目を見開ききったまま、唇を震わせる。
「……ひとりちゃん……。なんで、私に……どうして、私みたいになんて」
「そっ、それは……」
言葉を探すみたいに、私は視線を落とす。あの歌に、あの歌詞に込めたもの。それは、きっと今までのものとは多分、明確に違う。だからこそはっきり言える。
胸の奥に、やわらかい棘が刺さっている。
それを引き抜いて、春樹くんが教えてくれたやり方で、私は私の「本当」を喜多ちゃんに示す。
「それはきっと……」
皆の笑顔が浮かぶ。一緒に撮った写真。沢山の思い出が、脳裏を一瞬で駆けていく。それに従うように、意を決して顔を上げる。
「………きっと、喜多ちゃんに憧れてるからなんです……皆みたいに、喜多ちゃんみたいに輝きたくて、この先も、結束バンドの四人で、ずっと演奏していたいって感じているからです! あっ、あの曲の言葉を選ぶ時も、そんなことをずっと考えていました……!!」
言いながら、指先の力が少し強くなる。そう。それは、私があの時思っていたこと。ノートに書きながら、この歌が今までの私が出したものと違うのを感じながら、感じていたこと。それをそっくりそのまま形にして伝える。伝わってほしい。伝えたい、本当の私。
「リョウさんや虹夏ちゃんとも……喜多ちゃんとも、対等に、ずっと一緒に輝きたくて」
「皆と、ずっと一緒に、この先も一緒に居たいって、そう………思ってる、から………」
震えが止まらない。思わず俯いてしまう。
手汗も、瞼も、心臓までもが強く打ち震えていく。でもきっと、喜多ちゃんなら春樹くんと同じ様に聴いてくれる。喜多ちゃんはやさしい人だから。やさしくて、こんな私にひなたのような温かい光を向けてくれた人だから。だから、だからこそ。
そうして瞳を上げて、もう一度喜多ちゃんを私は見つめ返す。その目が、ひときわ大きく揺れていた。
そのまま、言葉をボールのように喜多ちゃんへ投げる。どうか、届いて欲しいから。
「……私、どんなことがあっても、皆と、離れ離れになりたくないんです。だって───────」
「だって、喜多ちゃんは……結束バンドのみんなは、私にとって、やっとできた」
喉の奥が熱くなる。言葉は震えるのに、芯がはっきりしている。
それはきっと、春樹くんが教えてくれた、“勇気” そのもの。
彼が、私の中に見つけてくれた───── “花” がくれたものだ。
この想いは本当の願い。
どうか一生消えないで欲しいと願う、本当の気持ち。私はただ、鮮明なそれを、貴方へ伝えたいんです。
だって、喜多ちゃんは。
私にとって、こんな、私なんかにとっての。一番の、大切な─────
「─────大切な『友達』だから……!」
言い終えた瞬間、スタジオの空気が少しだけ変わった気がした。
吸音材が息を止めたような。そんな気配がした。
「……………………………」
重い、沈黙が私達を覆う。
喜多ちゃんは目を見開いたまま、まるで呼吸を忘れてしまったかのようにそっと視線を下ろす。やがて、更にその顔を足元へ向ける。
私の手を握る指が、するりと離れる。
私は、それを静かに見つめ返す。どうして、手が離れたのかが、分からなくて。
「……そっか。……そう、よね」
「……“友達” だもんね。『私達』は」
「………え?」
喜多ちゃんが何を言っているのかがわからなくて、彼女を見上げる。
「………………〜〜〜〜〜〜〜〜〜……ッッッ!!」
次の瞬間。
凄まじい強さで椅子が鳴って、ギターケースが肩にかかる音が響く。
とんでもない速度で立ち上がった喜多ちゃんは、一心不乱にドアノブへ手を伸ばして、その勢いのまま部屋を出てしまう。
「────────────え?」
頭が、真っ白に、なる。
えっ? なんで。なんで、なんで──────!?
「え……喜多ちゃん……?」
「……………………」
「え、な………」
「……………なんで、な、んで」
呆然としたまま、声が出ない。
フリーズする。一気に、喉がカラカラになっていく。
思考が、停止して、瞳孔がありえないほど剥く。そんな、何で。
嫌だ。いや、なんで、待って、待ってください。
「ちょっと、待って……待って、くださ、─────なんでっ……!!」
「ッッッ……………喜多ちゃんッ!!」
動揺。驚愕。恐慌。それが一斉に私に押し寄せてきて、瞬く間に一気に強烈な衝動へ変わる。
信じられないくらいの、悲鳴みたいな大声が飛び出る。
現実が、一瞬遅れて追いかけてくる。ギターケースを引っ掴む。
椅子を倒した音もそのままに────弾かれたように私は走り出した。
※
喜多ちゃんがフロアを抜け、階段を駆け上がって扉を両手で体当たりするように開く。花壇の縁をかすめる足音。
そのまま、夜を裂くみたいに駆けていく。死に物狂いで私はそれを追い掛ける。
ドアを私も全身で押し開けて、階段を一気に駆け上がる。
私の視界を、虹夏さんとリョウさんと─────春樹くんが振り向く影が横切る。
「……え? 喜多ちゃん……? えっ?!」と虹夏ちゃんの困惑の声が届く。
「……!」
「は……? えっ、なんで……!?」
リョウ先輩と、春樹くんの声が重なって、世界がわずかに歪む。
私は息を切らして叫んだ。
「はっ、はっ、っぁ、はぁッ、っ……! はっ春樹くんっ、皆さん!! きっ、喜多ちゃんは、喜多ちゃんは……どっちに行きましたか!?」
「右に曲がった!! っ、おい、ひとりっ、どういうことだよ!? 何があったんだ!」
春樹も酷く動揺した様子で叫ぶ。だけど、今は一秒が惜しくて私は全力で頭を下げる。そのまま、走り出す。
「ご、ごめんなさい……!」
「あ、後で必ず説明します!! 今は、追いかけないと!!」
謝るより先に走る。背中を夜風が押す。
心臓が痛い。背中のギターケースをこれほど投げ捨てたいなんて思った事、今まで無い。重くて、重くて仕方ない。
「ひとり、待て……ダメだ!! オイッ!!」
「ぼっちちゃんっ、待って!!」
春樹くんと、虹夏ちゃんの声が背中を止めようとする。
だけど足は止まらない。今は、停まってなんていられないんです。だって、だって──────このままじゃ、この、ままじゃ。
喜多ちゃんが、居なくなってしまう。
いなくなるなんて、嫌だ。嫌だ、嫌だ、いやだ、いやだ───!!
脳裏に、喜多ちゃんの悲痛な横顔が浮かぶ。ギターケースを掴んで背負う時に、一瞬だけ見えてしまった、あの顔。
あんな顔を見て、止まれるはずなんかなかった。
「………っ、はぁっ、はぁっ、は、ぁ、ゲホッ、っぐ………喜多ちゃんっ、き、喜多ちゃんっっ!!」
目尻が熱くて、痛い。息が死にそうなほど荒い。きっと、人生で一番私は全力疾走で足を動かしている。
──────私は、何を間違えたんですか。
教えてください、喜多ちゃん。
どうして、どうして。せっかく、勇気を出したのに。
私は、喜多ちゃんにあんな顔させたかったんじゃない。
あんな顔をさせるために、私は勇気を出したんじゃない。
なんで、どうして。
嫌だ。行かないで、行かないでください。喜多ちゃん。
胸が焼ける。肺が痛い。アスファルトの上でローファーのつんざく音だけが、やたらはっきりと耳に届く。
破け飛びそうな程に跳ね回る鼓動を無視して、私は大通りの交差点に抜ける。
信号の赤が群青に溶けていく。視野の輪郭が、崩れていく。歪んで、音もなく壊れていく。私の行く手を阻むように、沢山の車が通り過ぎる。
視界の全てが車と交差点に覆われる。
焦りと痛みが、私の世界を崩すように全てを侵食して、止まらない。両膝を両手で被せて荒い息のまま、叫ぶ。
「どこ……どこに行ったんですか……!!」
「喜多ちゃんッ……! はぁっ、は、っぁ、はぁ、っ、どこなんですか………!!」
叫ぶ。行かないで。
行かないで─────と。
黒い水面がほんの少し息をして、風が頬を削る。
「いやだ、いや、イヤッ………!!」
「喜多ちゃん……っ、喜多ちゃん……ッッ」
暗く、淀んだ井戸の底に、堕ちていく。一緒に星空を眺めた思い出も、黄昏時に笑いあって電車に乗っていた思い出も、喜多ちゃんとの大切な全てが。
歪んでいく世界。その全部が黒い夜に、悲鳴と共に沈んでいく。涙が、溢れていく。恐怖が、恐れが、まるでその形を具現化させたみたいに。
そのまま、それに抗うように。私達を呑みこもうとする世界へ。
─────喜多ちゃんを、返して。そう、言わんばかりに絶叫する。
「………〜〜〜〜〜〜ッッッ!!」
「喜多ちゃんんんんんんんんッッッッ!!」
見失ってしまった喜多ちゃんを探して、本道の交差点で私はただ────泣き叫ぶことしか、出来なかった。
※
「ひとり、待て……ダメだ!! オイッ!!」
「ひとりっっ!!」
わけがわからないまま、俺はただ叫んで、手を伸ばす。
どういうことだ。何で、一体何が。
何が起こったのか、まるで理解ができない。
突然開いたSTARRYの扉。そこから飛び出てきたのは、まさかの喜多さんだった。ひとりもそれを追い掛けるように、止めるのも聞かずに駆け抜けて行ってしまう。
「ぼ、ぼっちちゃん! 待って!!」
虹夏が動揺しきった様子で叫ぶ。だけど、ひとりは止まらない。喜多さんと同じように角を右に曲がって走り抜けて行ってしまった。
「……まさか、拗れた? どうする? 追う?」
俺と同じ様に目を剥いたリョウが虹夏へ問う。
余裕を無くしきった虹夏は「当たり前じゃんか!! もう!!」と叫ぶ。
「ッッ!!」
俺は、次の瞬間、勢いよく飛び出す。そして虹夏へ大声で求めた。
「俺が行く!! 万が一に備えて店長さんとPAさん呼んでくれ!! 頼むッッッ!!」
「え……ちょっ、ちょっと待ってよ、春樹くんッ!!」
「春樹!!」
虹夏とリョウの大声が背中に届く。だけど、構ってなんていられなかった。ギアにハイを掛けるように、一気に加速する。
止めなきゃ。あの二人を。
守るって決めた。ひとりを。
喜多さんと、ひとりに何かあってからじゃ洒落にならない。
焦燥感が腹の底から湧き上がってきて、俺は息を荒らげながら二人を追う。行かなければ。
頼む。間に合ってくれ。
その決死の想いのままに、俺は大通りの方へただひたすらに、夜を駆けた。