ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #30 「一番星」(前篇) - broken NIGHT -

 

 

 いつからだったろう。

 “誰か” と常に一緒にいるはずなのに、それを心のどこかで寂しいと感じるようになったのは。

 

 私は夜風の中、夜空を仰ぎながらそんなことを考える。

 

「………はぁ、っ、はぁ、はぁ…………」

 

 午後八時。STARRYから逃げ出すようにして駆けた私は、気付けば何処かの大橋付近、その河川脇の遊歩道まで辿り着いていた。そして、遂に足に力が入らなくなって、遊歩道のガードパイプを掴む。

 荒い息。ひとつ、深く大きな息で無理矢理呼吸を留め、そして立ち止まった。

 

「………はぁ、っ、はぁ、…………は………っ」

 

 そのまま再び空を見上げた先に見える漆黒には、幾つもの白い星座が浮かぶ。

 それはまるで、互いの場所を探して求め合う子どもみたいに、そっと輝く。そこで視界に映る景色を見つめて、ふと考える。

 

 私はきっと、その子ども達のように交わることはできない。

 

 秋の星座の中で、私みたいな星はどこまで行っても繋がることは出来ない。

 そんなことを、夜空を見つめながら考えずにはいられない。

 互いの意味を確かめ合う繋がり。

 

 それを自分でかなぐり捨てるようなことをした存在に、そんな権利も資格も、どこにあるっていうんだろう。

 

 ささやかにその身を主張する街灯の明かりも、隣の河川の水面へ伸びている。やがてそれは、風に揺れるたび、ちぎれては繋がっていく。

 その揺らぎを屈んだまま眺めているだけで、胸の奥がずきずき痛んだ。

 肩に背負うギターケースの重さは、いつもの比じゃない。

 それはまるで─────誰かから押しつけられた “罰” そのものみたいに、今の私には酷く重かった。

 膝に両手を添えて、堪らず屈み込む。呼吸が、荒い。苦しい。

 息を整えようとしてるのに、(かえ)ってむせ上がる程の息苦しさが喉から湧き上がる。

 

 アスファルトに落ちる影。

 

 街灯の光に照らされて揺蕩(たゆた)う陰影は、私ひとりぶんしかない。

 その事実が、どうしてか今は、ただひたすらに残酷だと考えた。

 そこまで考えて、私は─────何を言っているんだろうと、うずくまったまま自分に呆れた。こんなの、私が勝手に “また” 逃げ出しただけでしかないのに。

 

「………………」

 

 不安と、哀しさに満ちたような、表情。

 ひとりちゃんのそんな柔い面影が、強く(つむ)ったままの目蓋の裏に焼き付いている。

 

 ひとり、ちゃん。

 

 河川の水流の音にかき消されてしまうほどのか細い声で、呟く。

 ひとりちゃん、ひとりちゃん─────胸元を両手で抑え込む。痛い。胸も、頭も、心も、身体の全てが痛い。

 名前を、呼べば呼ぶほどに、ただひたすらに残像が脳裏を加速する。あの子の不安げなのに優しい顔が、たまに見せてくれた仄かな笑顔が。

 さながら泡沫(うたかた)のように、浮かび上がっては次々と消えていく。

 

 その度に、ずっと後ろから首を締められている気になる。

 

 ひとりちゃんと過ごした幸せな時間。──いや。

 ギターを一緒に練習した放課後のあの時間。──いやだ。

 その練習前に、壁際でひとりちゃんが一人で密かに練習するのを、壁際で聴いていたあの時間。──嫌。

 ひとりちゃんと一緒に、美味しいものを食べに寄り道したり、二人きりで夜空を一緒に見てお話した、あの何気ない時間。──もう、イヤだ。やめて。思い出したくない。

 

 あの胸が満ち足りていく感触。愛おしく感じるようになっていた時間、全て。──苦しい。

 

 思い出したく、ないのに。

 思い出せば思い出す程に、それら全てに、ヒビが入っていく。常闇の底へ堕ちていく記憶。それはゆっくりと、私の中で夜と共に壊れていく。

 幸せだったということだけは確かな、そんな思い出が次々と砕け散っては水底へ沈む。手遅れ、という単語が強迫観念の様に迫る。

 

 ──────私は、なんてことを、しちゃったんだろう。

 

 さっきまでの会話が、胸の奥に回帰する。

 

『私にとって喜多ちゃんは、どうしようもなく眩い、一番星みたいな人で────』

 

『ずっと、ずっと、手が届かない、遠い憧れだったんです』

 

『だって、喜多ちゃんは……結束バンドのみんなは、私にとって、やっとできた』

 

『─────大切な『友達』だから……!』

 

「大切」「憧れ」「友達」。

 ひとりちゃんの、それら一つひとつの言葉が、どうしようもなく嬉しくて、でも同時にどうしようもなく苦しくて。

 そして、すごく、すごく痛かった。まるで、ナイフで何度も胸を貫かれるような痛覚が心臓に走った。

 嫌だった。

 聴きたくなかった。聴かなきゃいけなかったのに、聴けなかった。

 その場に居たら、ひとりちゃんを傷つけてしまう気がして。

 あれ以上、あの場所に居たら、私の何かが壊れる気がして、もう無理だった。だから気付いたら、走り出していた。止められなかった。

 

 取り返しの、つかないことを、しちゃった。

 

 また。また、私は、逃げ出したんだ。

 どうしよう。どうしよう───。

 なんで。

 私、決めたのに。リョウ先輩と伊地知先輩のおかげで、ちゃんと私決めてたのに。言うはずだったのに。

 さっき押し殺したはずの感情が、限界を超えて喉元までせり上がってくる。嗚咽が漏れ出す。抑えきれない。くるしい。どうしよう、もう、こんなの、どうしたらいいの。

 

「あぁ………あ、あぁ…………ッッ」

 

「……………ッ、……ぅうぅ、ぅああ………!!」

 

 気付いた時には、もう頬を伝っていた。

 涙は、勝手に零れる。指で拭おうとしても、次から次へと溢れて止まらない。喉から声が滲み出てしまう。

 

 誰か、だれか、助けて。どうしたらいいの。

 

 そう叫び出したいのを必死に堪える。でもみっともなく(むせ)び泣くのは抑え込むことができない。

 河川敷の夜風が冷たくて、その冷たさがかえって、私が本当に泣いていることをはっきりと教えてくる。

 

(どうして、あそこであんな顔しちゃったんだろ……私は……!!)

 

(もう、逃げないって、決めたのにっっ……!!)

 

「………っっ、なんでぇ………ッッ!!」

 

「私の、ばか、ばかばかっ……ううっ、うぅ、ぅぁあああああ………!!」

 

 しゃくりあげながら、声を押し殺したくても押し殺しきれないまま、どうしようもなく喉が詰まる。手の平で何回も拭ってもまるでブレーキが効かない。

 

 結局。まるで私は、ひとりちゃんの前で、笑えなかった。

 

 ひとりちゃんの幸せを、心から「よかったね」って言えなかった。その事実が、何よりも情けなくて、もう自分で自分が許せない。

 本当だったのに。

 川面を見ながら決めてた、幸せを祈るって気持ちも、願いも、本気だったのに。ちゃんと、決意してたことだったのに。

 でも。

 ひとりちゃんの『友達』というあの単語ひとつで、その思いは呆気なく、木っ端微塵に壊されてしまった。

 その事実が、変えようもない理屈が、私を刃物で穿(うが)つ。

 思ったのに、ちゃんと決めたのに────幸せになってね、って、言わなきゃいけなかったのに。

 言うつもりだった。嘘じゃない。本気で思ったのに。

 だから私は、笑わなきゃ、いけなかったのに。

 最低だ。

 許せない。

 こんな、私。こんな、最低で自己中心的な私なんて。

 

 ()()()()()()()()()()()()()私なんて。

 

 やっぱり、やっぱり私なんて、STARRYへひとりちゃんに引き留めてもらえた時に、断らなきゃいけなかったんだ。

 望んじゃダメだった。家族になりたいだなんて、第二の家族が欲しいだなんて。

 

 こんなの、もうどうしようもないよ。

 

 私、もう、ひとりちゃんにどんな顔して会えばいいの。分からない。

 もう、会えないよ。

 きっと、きっと傷つけちゃった。

 

「ぅうっ………ひとり、ちゃん、なにも、なにも悪くないの………っ、何も悪くないのに、私の、わたしのせいでっ………!!」

 

「ごめんなさいっ………ごめん、なざい………っ、ううっ……!!」

 

 居もしない本人へ、私はひたすら謝り続ける。

 でもどう謝ったらいいかなんて分からない。

 ただただ私は両手の甲や手の平で何度も涙を拭いながら訴える。こんなことしたって、意味なんかないのに。もう、何もかも手遅れなのに。

 きっと、きっとひとりちゃんも泣いてる。

 私のせいで。

 どうして置いていくんですかって、きっと、私のせいで泣いてる。こんな私、死んでしまえたらいいのに。

 嫌だったのに。そんなことしたくなんかなかったのに。

 

 大好きなひとりちゃんのことを、傷つけたくなんかなかったのに。

 大切だったのに、なんで、そんなことが出来てしまえたんだろう。

 

 こんな事にだけは、ならないようにするつもりだったのに。

 もう、私は、私なんか。

 やっぱりSTARRYから結束バンドから─────

 

 そう思った、次の瞬間だった。

 

「………ッッ、喜多ちゃんッ!!」

 

「………!!」

 

 私の名前を呼ぶ声が、夜気を裂く。

 それは、あの地下ライブハウスで何度も聞いてきた、どこか震えた、でも真っすぐな声。

 今の私が、いちばん聞きたくなくて。

 でも本当は聞きたくて仕方がなかった、大切な、大好きな人の声。

 

「……っ、ひとりちゃ……!?」

 

 ビクッと肩が跳ねる。思わず私は、袖で無理矢理顔を拭って、慌てて振り向く。そこには、額に汗を滲ませて、息を荒げながら走ってくるひとりちゃんの姿があった。

 顔色は真っ白で、前髪の隙間から覗く瞳は必死で、それでも私を見失わないように、まっすぐ探してくれていた。

 

「はぁっ、はっ、はぁ、っ、ぁっ、はぁ………や、やっと、………みつけ、ました………っ、良かった………無事で………!!」

 

 胸を詰まらせたようなとんでもない息の荒さのまま、ひとりちゃんはそう必死に叫ぶ。

 

「…………っ、どうして……」

 

 どうして。

 まさか、こんな所までずっと走って追いかけてきてくれたの?

 そんなに苦しそうになるまで、こんな私なんかのために?

 ひとりちゃんは私の近くまで小走りで近づいてきて、肩で大きく息をしながら、それでも震える声を絞り出す。

 

「どう、して、一人で出て行っちゃうんですか……?」

 

「………喜多ちゃんっ、私、何か、喜多ちゃんを………傷つけることをしたんですかッ!? 教えてください、喜多ちゃん……!!」

 

 ひとりちゃんは、今にも泣きそうな声で懸命にそう訴えてきた。その瞬間、胸の奥が、きゅっと痛む。

 

 ああ、本当にこの子は、いつだって自分のせいにする。

 

 私が逃げたせいで、こんな顔をさせてしまった。

 それが分かるからこそ、余計に苦しくて堪らない。私も息をするのもつらくなる。ひとりちゃんは、何も悪くなんかないのに。

 

「……え、えっと……その……」

 

 ひとりちゃんは、自分の足元へ視線を落として、小さく縮こまる。

 肩が震えていて、声もうまく出せていない。

 

「………私が、何か変なこと言っちゃったせいで、驚かせちゃったんですよね? ……っ、喜多ちゃん……私、私は……」

 

 言葉を続けようとするのに、上手く出てこない様子が、痛いほど伝わってくる。

 

(違う……ちがうの、そうじゃない)

 

 喉の奥が焼けるみたいに熱くなって、思わず口を開いた。

 

「───────ちがう…………………違うの」

 

「ひとりちゃんは、何にも悪くなんかないの」

 

 自分でも驚くくらい、か細い声だった。

 ひとりちゃんの顔が、びくっと上がる。おずおずと、私の目を探すように。

 

「………えっ……?」

 

「……じゃあ、一体……どうして…………?」

 

 ひとりちゃんが驚いたように顔を上げる。彼女の問いが、そっと夜気に混ざっていく。その眼差しは困惑に満ちているのが見てとれる。

 涙で濡れた私の目と一緒に、それは絡まっていく。ここから先を言葉に出来るかどうかで、多分、全部が変わってしまう。

 そんな確信がある。

 でも、言わなきゃいけない。あのとき、踏切の前で飲み込んだ言葉も。

 STARRYで、背中を向けてしまった瞬間も。全部、ここで終わりにしなきゃいけない。────それが、私達の関係を、仮に全て終わらせてしまうとしても。

 互いに、見つめ合う。呼吸が止まりそうになる。

 こんなに切なくて、胸を締め付ける思いなんか、知りたくなかった。

 こんなことなら私は、とふと考えてしまう。

 

 こんなことなら、ひとりちゃんに出会わない未来が欲しかった。

 

 もう、このままあの星座に溶けてしまえたらいいのに。

 ただ、ひとりちゃんを好きなまま。幸せな記憶だけを胸に秘めたまま、朝なんか来なければいいのに。

 大好きなひとを、傷つけてしまうくらいなら────いっその事、出会えなければよかったのに、と。

 

「ひとり、ちゃん。わたし、私は、ね─────」

 

 ただひたすらに、私はそう思う。

 

 川の水音と、遠くの車の走る音。彼女の震えた声。

 それら全部を聞きながら、私は胸の奥でぐちゃぐちゃに絡まった感情の糸を、そうしてひとつずつ手繰り寄せ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 河川敷の舗装路から、ほんの数メートル外れるだけで世界はその姿を変えた。

 

 さっきまで街灯のオレンジ色が届いていた地面は、急に色を失って、土と草と湿った空気の匂いに塗り替えられる。

 林ってほど大袈裟なもんじゃない。けど、低い木と茂った草むらのおかげで、ここからなら川沿いの道にいる二人の姿は見える。向こうからはまず気づかれないだろう。

 

(……ここしかねえか)

 

 そのまま、俺は物音をできる限り立てないように息を潜める。

 こんなこと、客観的に見たらおかしな事だと自分でも思う。だけど今は、それをやるしかなかった。

 街灯に照らされたふたつの背中。

 ひとりと、喜多さん。

 少しだけ距離を空けて向き合ってるのが分かる。何を話してるかまでは分からないけど、空気だけははっきり伝わってきた。

 

「………ひとり……」

 

 思わず、小さく名前がこぼれる。

 声に出した瞬間、自分の胸の奥の緊張の結び目が、キュッともう一段階固くなるのが分かった。

 さっきまでのことが、少し遡って頭の中で勝手に再生される。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 十分前。ひとりと二人で手を取り合って、路地を抜け、この川までに来るまでの間。そうして歩行者信号の手前、俺達は一度信号で立ち止まった。ひとりの肩を掴んで、俺は伝える。

 

『ひとり、ひとつ伝えとく』

 

『……っ、な、何でしょうか、春樹くん……っ』

 

 互いに立ち止まる中、顔を俺に向けてくるひとりは、ひどい顔をしてた。息を荒くしたまま、一刻も早く喜多さんを見つける為に焦っていたんだと思う。

 さっきの交差点で泣き崩れていた時よりは幾分かマシなだけで、それでもその姿は、まるで今にも消えそうな灯りみたいに揺らめいている。

 

『今回、俺は……喜多さんと話す時は敢えて君に一人で行かせる』

 

『ッ……!』

 

 そう言ったら、ひとりは困ったように、でもどこか迷ってるみたいに視線を俺へ向けた。

 

『………で、でも……っ、もし、また、私、何か……やらかしちゃったら……』

 

 そう訴えるひとりのギターケースのショルダーストラップを握る指先は、ひどく震えていた。

 それは、この子らしい最悪の想像だった。

 喜多さんに追いついたとして、もう一度傷つけてしまったら——そんなことばかり考えてるのが一目で理解できた。無理もない。こんな事、きっとひとりにとっては未経験の事なんだと思う。

 だから俺は、一度深呼吸をしてから、いつもよりゆっくりした声で返した。

 

『大丈夫だよ、ひとり』

 

『君は今、自分のためだけじゃなくて、喜多さんのために走ってる。……それだけで、もう十分すごいことなんだ』

 

 それでも不安は消えない顔をしてたから、続ける。

 

『この先で、何があっても。もし本当に君が言葉に詰まって、どうしようもなくなったら────』

 

 そこで、ひとりの目をちゃんと見た。

 

『俺が近くで見てる。何かあったら、俺が守る。絶対に一人にはしない。ちゃんと見守ってるから』

 

『………っ、はっ春樹、くん………』

 

 言いながら、自分で自分に約束してるみたいだった。ひとりの瞳はどうしようもないほどに不安と恐怖に揺れている。分かる。痛いほど、そんなの伝わってきている。だけど、それでも今回はきっと君が行くべきなんだと思う。

 この子が何を選んでも、その結果がどんな形でも。

 絶対に「全部私のせいだ」なんて言わせない。そう決めて、俺は彼女へ訴える。

 

『……本当は隣に居たい。でもね。多分、今回はダメなんだ……きっと。喜多さんと話すのは、ひとりの役目で……俺は今回出しゃばるのは余計に(こじ)れる原因になる気がする』

 

『俺が前に出て行って、君の代わりに何かを言い訳するのも、伝えたりするのもきっと違う。話すのは君の言葉じゃないといけないと思う』

 

『リョウからも言われたんだ。二人で話をさせて欲しいって。多分、それは “今” 話さないとダメなんだ、って』

 

『だから俺は、ちょっと横で……保険みたいな感じで控えてる。本当にもし何かあったら、その時だけ出ていく。仲介に入るから』

 

『…………』

 

 ひとりは不安は消えてないような様子だった。それでも、しばらく俯いて、それから小さく頷いた。その表情には、繊細で儚げな、まるで硝子のような覚悟が垣間見える。

 

『……わ、わかりました』

 

『こっこわい、ですけど……でも、行きたい、です。行かなくちゃいけないんです、きっと。それに……その、今回のことは、私もきっと二人で話した方がいい気がする、ので』

 

『…………これで、喜多ちゃんがいなくなるなんて、考えたくないです……だから、そうします』

 

 体の震えを抑え込むように、ひとりはギュッと両手の肩紐を強く握り込んでいた。そうして、真っ直ぐに俺を見つめ返すその目には、もう迷いは感じられない。俺は彼女のその言葉を、想いを信じる。

 

『うん。それがいい』

 

 そして、もう一度だけ肩に軽く触れる。

 

『大丈夫だよ。君は、ちゃんと選べる人だ。……俺はもう、知ってるから』

 

『自分を信じて』

 

 そう、迷うこと無く本心を伝える。俺が信じる君を、どうか君も信じてあげて欲しい。そんなふうに、願いを込めて。ひとりの目が少し揺れ動いて、僅かにその眼差しが強くなった気がした。

 

『……ありがとう、ございます。春樹くん』

 

『……ううん。………さっきね、この辺で通りかかった大学生の人達や大人から、ギターケースを背負って川沿いの広場へ走っていく子を見たって教えてもらった。多分、喜多さんはすぐそこだ』

 

『……先に行って。すぐ追いかけるから!』

 

 そう言いつつ、俺はその河川の方へ通じる商店街の大通り向こうを指差す。ここから先はマップアプリで開いた感じ、確かそこそこ広めの遊歩道があったはず。恐らく、その特徴的な目撃情報は喜多さんで間違いない。

 きっと、彼女はそこに居る。まだ間に合う。

 ひとりは小さく頷いて俺の指差した方角へ走り出す。

 

『あっはい!! ………先に行きます、春樹くん!』

 

『うん、頑張れ、ひとり!』

 

 そうして俺たちは一旦そこで別れ、真っ直ぐひとりは河川の方へ向かった。

 俺は遠回りをし、反対側の橋からちょうど二人の背中が見えたタイミングで、林の茂みに入り込み───そして今に至った。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

「……何を話してるんだ…?」

 

 草の隙間からそっと覗くと、ひとりと喜多さんが向かい合って立っていた。河川の流れの音に加えて、風の向きが悪くて、言葉の半分も聞き取れやしない。

 それでも、声色と二人の緊張感のある様子から胸がざわつく。ひとりの震えた声と、喜多さんのかすれた声が交互に届いては、耳のすぐそばで消えていく。頼むから、と俺は願う。目を細めながら、心の中で考える。

 

(……頼むから、どっちも自分のことだけは嫌いにならないでくれ)

 

 もう、何度目か分からない祈りみたいなことを呟いた、その時だった。

 

「春樹」

 

「ッ!?」

 

 肩口くらいの高さから、唐突に低い声が降ってきた。

 心臓が変な跳ね方をして、思わずビクッと身を縮める。

 

「……っ、に、虹夏、リョウ!」

 

 振り返ると、反対側の林の入口から、しゃがみ込む虹夏とリョウが揃って近づいてきていた。

 思わず変な声が出そうになるのを抑え、慌てて囁く。

 

「お前ら何で……店長たち呼べって……!」

 

 すると虹夏は真剣な顔のまま、小さく首を振った。

 

「……お姉ちゃんなら、PAさんに呼んでもらった。何かあったらスマホから連絡しますって言ってあるし、場所も共有してあるから大丈夫。それに……春樹くんにだけ、任せる訳にはいかないよ」

 

 そう言いながら、草むらに屈み込む虹夏達は横を向き、俺の隣から川沿いの二人を覗き込む。虹夏のその横顔は、さっきまでの明るいドラマーの顔じゃなくて、「バンドリーダー」の顔だった。

 

「ぼっちちゃんと、喜多ちゃんのこと、ほっとけないもの」

 

「……」

 

 俺は思わず黙って見つめ返す。

 一方のリョウも、虹夏の隣の奥にしゃがみ込んで、無表情っぽいのにちゃんと目だけは真剣で、二人のほうを見つめている。

 

「……余程揉めたりはしないと思うけど、一応保険で来ただけ」

 

 顔の向きだけは真っ直ぐに、こちらを横目で見つめる目元が、街灯の明かりに薄く縁取りされる。文化祭のとき、クールにベースを引いてたのと同じ人物とは思えないくらい、今は「友達」の顔をしている。そんな気がした。

 リョウは視線を林の向こうから見えるひとり達へ戻す。

 

「それより春樹、今どういう状況?」

 

「どうって…………」

 

 そんなの、どう説明すりゃいいんだよ。こんなの。

 ここから見えるこの状況を、上手く説明できる言葉が見当たらない。一度だけ息を呑む。

 不穏げな気持ちを隠しきれないまま、俺はリョウの横顔から視線を外す。そのまま、再び草むらの向こう────ひとりと喜多さんの方へと目を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 どうして。

 ひとりちゃんからその問いを返されて、今度は私の方が言葉を失った。どうして──そんなの、本当は自分が一番よく分かっているくせに。

 風が私たちの髪を揺らす。

 月夜が変わらず淡いままに、私たちを照らしている。河川のさざ波に反射した光が、地面に揺れる星みたいに滲む。

 喉の奥まで出かかっていた言葉を、今度こそ飲み込まないように。

 私は前髪で表情を隠すように俯いたまま、そっと唇を開く。

 ゆっくりと、息を吸う。喉が詰まる。声が出ない。でも、それでも、捻り出す。

 

「………………っ、…………」

 

「─────────き、なの」

 

「え……?」

 

「あっ……あの、ごめんなさい、喜多ちゃん……今……なんて……?」

 

 ひとりちゃんの、いつもの眉を八の字にした顔が、視界の端に映る。

 もう一度名前を呼ばれて、逃げ場が無くなっていく。もう、誤魔化せなくなっていく。

 無理。

 ダメ。言わなきゃ──────言え、私。

 

「き、喜多……ちゃん?」

 

「───────────」

 

 呼ばないで。お願いだから。もう、やめて。

 そんなふうに優しい声で、いつものように、呼ばないで。縋りたくなる。その大好きな声に。だから、もうやめて。

 ひとつ確かなことは、もう、逃げられない。私にはそんな選択肢はもう無いということ。

 違う。─────逃げたくない。

 逃げたくなくて、ずっと怖くて、今日まで何も言えなかった自分が悔しくて。

 もう、逃げない。そして、決意する。

 そのまま私は俯いていた視界を上げて、呟いた。

 

 

 

 

 

 

「──────好き、なの」

 

 

 

 

 

 

 顔を上げた瞬間、まるで決壊したダムみたいに視界が滲む。それは堰を切ったように、ずっと勝手に溢れ出てくる。

 ぽろぽろと両目から熱と水滴が溢れて、慌てて両手で口を抑える。でも、もう止まらない。

 

「…………ひとりちゃんの、こと」

 

「………………好き、なの………………」

 

 とうとう、言って、しまった。

 押し殺していた想いを、堪えきれなくなったみたいに、言葉にしてしまった。

 ずっと胸の奥に押し込んで、見ない振りをしていた本音。

 「憧れ」「尊敬」「支えたい」────そんな綺麗な言葉で誤魔化してきた感情の、いちばん奥にある本当の名前。

 

 好き。

 ひとりちゃんのことが、好き。

 

「友達」としてじゃない。

 それはきっと、本来の在処は異性に向けられるべきものの類い。

 でもそれが、私の、本当の想い。気付きたくなかった。気付いたら、ダメだった思い。そんなわけが無いと、何度も抑え込んで殺そうとした重い──── “想い”。

 

「──────え……?」

 

 ひとりちゃんの身体が小さく震えて、息を呑む音が、はっきり聞こえた。

 それだけじゃなかった。どこか、林の方──暗がりの向こうが揺れる音がした。でも、振り返る余裕なんてない。

 今の私は、目の前の彼女を見ているだけで、精一杯で。

 目を見張る彼女の姿に、震えが止まらない。怖くて、こわくて、スカートの裾を固く、固く握り締める。

 

「……ごめん、なさい」

 

「私……」

 

 だけど、もう隠せない。

 だから、ちゃんと届くように。逃げないように。自分に言い聞かせるみたいに、私はもう一度──────はっきりと口にする。

 

「私、ひとりちゃんの、こと……好きなの………ッッ!!」

 

 耐えられなくなりながら、全てを叫んだ。

 きっと私の目元は真っ赤に腫れている。カラカラの舌から発せられる、嗚咽が混じった声。

 

 世界が、夜とともに壊れていく。

 

 虚ろな未来。浮かんでは消えた、幸せな “音”。

 それはまるで、水面に映り込むのが見える、光さえも沈む逆さまの月と一番星のよう。

 

 言うなればきっとこれは、消えることのない罪なんだと、私は思う。

 

 重ねた罪、そのもの。自分へ嘘を重ね続けた、見て見ぬふりをし続けた、その代償。きっと、私みたいな嘘つきにお似合いの景色。

 

 もう、戻れない。

 一週間前の、あの保健室で初めて彼女の名前を呼べた日にも。

 STARRYで、また逃げ出そうとする私を、彼女が引き留めてくれたあの瞬間。そして、生まれて初めて私の努力に気づいてもらえたあの日にも。

 初めてギターの音を聴かせてもらった、顔を見合わせて初めてお話をしたあの日にも。

 

 初めて校門で声を掛けた、顔を見合わせた。

 

 あの日、あの瞬間にも。

 ──────私達は、もう、何も知らなかった頃のお互いには戻れない。

 

 それは、自分で選択してしまった “罪” そのもの。

 

 好きになんて、ならなければ。

 同じ女の子で、同じバンド仲間の、大切なひとりちゃんを、本気で好きになんてなってしまった。そんな過ちを犯さなければ、私達はずっと、ただ笑いあっていられたのに。

 

 それは微睡みの中でただひたすらに。

 壊れた夜の中で、ただただ星座に望んだ、望んでしまった過ちだ。

 

 どうか、これがただの(ゆめ)で、過去という名の救いようもないあの(ひかり)だけが嘘であってくれたらいいのにと、私は切望する。

 

 それでも、もう──────この言葉だけは誤魔化しようもなかった。

 

 

 

 

 

 

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