ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #30 「一番星」(後篇) - StarRingChild -

 

 

 それはきっと、青天の霹靂、とかいう中国の故事が当てはまるんだろうな、と俺は思った。

 頭が、クリアになっていく。

 まるでそれが、遠い海の向こうから聞こえた雷鳴なんじゃないかと、錯覚する。聞いてしまった。いっそ、幻聴であって欲しかった。

 喜多さんが、ひとりのことを、好き?

 聞こえてしまった、そんな言葉。手足が完全に金縛りに遭ったみたいに動かなくなり瞳を強く剥く。喜多さんのひとりへの告白に、思考が完全に停止した。

 

「え………っ?」

 

 草むらの陰から、かろうじて二人の姿が見える。

 夜風と河川の音で聞き取りづらいはずなのに、ひとりの困惑のその一言だけは、はっきりと耳に届いた。

 

「─────────好き、って、それは………その………」

 

 ひとりの声も震えていた。

 感情が溢れ出して、なんて言えばいいのか分からずに、言葉に詰まっている様子だった。

 

「…………………ぁ」

 

「……………うそ、だろ。好き、って………」

 

 小声でそう零してから、俺は自分の心臓の音がやけにうるさいことに気づく。

 胸の奥が、ずしんと重くなった。

 俺の恋人に、あんな顔で「好き」って言える子がいる。

 しかも、それがひとりにとって、大切なバンドメンバー。

 

 きっと、俺よりも、ずっと長い時間を過ごしていたであろう、喜多さん。俺なんかよりも、眩しくてよく笑っていた、学年で一番目立つあの子が。─────ひとりのことを、好きだって?

 

 何の、冗談なんだ。それは。

 足元が崩れるみたいな、そのまま暗闇に放り出されるような感覚に襲われていく。

 でも、確信する。今まで感じていた「違和感」。

 ひとりと俺が話してる時の、喜多さんの見開かれた瞳。

 やたらとひとりのことをどう思うか、どう考えているのか試すような質問。その時の、苦悶に満ちたような表情。

 全ての違和感の辻褄がパズルのように合わさっていく。

 あの時。STARRYで一瞬だけ考えていたこと。

 

 もしも、喜多さんが異性だけじゃなくて、同性も好きになる可能性があるんだとしたら、ってこと。

 もしも、仮に、そうなんだとして。

 別にそれを俺自身はどうこう言う気は無い。今なんて、別に同性を好きになるなんて話、SNSとか見てればいくらでもよく聞く話。

 本人達が幸せならそれでいい。だから別に同性愛だろうがなんだろうが、一切気になんてしない。尊重はする。俺は個人的にそう思ってる。

 

 だけど。

 

 それは、()()()()()()()()()()()()()の話ならば、だ。

 だって、そうでなきゃ、そんなの、そんなのは──────。

 

「…………春樹」

 

「ッ!」

 

 瞳孔が開ききって、痙攣しかけていた俺の意識は、リョウの声で覚めた。

 目線だけ彼女へ向け直す。言葉に、形に出来ない何かの感情が心臓を鷲掴みにしている。それを堪えるので、ただただ精一杯だった。

 

「…………何、だよ?」

 

 虹夏の隣で茂みに身を隠していたリョウが、じっとひとり達の方へ視線を向け続けている。

 横顔の目元は真剣で、瞬きすらしない。彼女達からは一瞬も視線を外そうとしない。

 

「……聞いてあげて」

 

「………」

 

 それだけ言われて、何も返せなくなった。どうしようもない歯痒さと、言いようもない不安が足首を掴む。

 もしも。

 もしも仮に、ひとりが────喜多さんを、選んでしまったら?

 怖い。恐い。そんなの、考えるだけで、半身を持っていかれそうだった。そこで気付く。

 

(───────いや)

 

 そんなの、きっと、喜多さんだって同じことなんじゃないか、と気づいた。

 なんならあの子は、俺なんかよりもっと今辛いんじゃないのか。苦しいんじゃないのか。そうじゃなきゃ、あんなにぽろぽろずっと泣けるはずがない。

 歯軋りをする。

 こんな時まで、俺は自分の事かよ。馬鹿野郎。

 隣の虹夏たちへ視線を向ける。

 虹夏も、リョウも、ただただ真剣な顔で二人を見つめている。

 俺が今、できることなんて一つしかない。それは、間違いなくここで口を挟むことなんかじゃない。

 ただ、最後まで、ひとりの選ぶ言葉を聞くことだ。そう思って、俺はふたたび唇を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 告白した瞬間、私は心臓が本当に壊れたかと思った。

 胸がきつく締め付けられて、ちゃんと息ができているのかどうかも分からない。

 

(言っちゃった……本当に、言っちゃった……)

 

 でも、何か答えなくちゃいけないのは、本当は私じゃない。

 今、いちばん困っているのは、目の前で固まっているひとりちゃんの方だ。

 

「………あ、あの……そ、それって………」

 

 震える声で、ひとりちゃんが口を開く。

 顔が見る見るうちに赤くなっていくのが分かる。

 その表情が、ひどく愛おしくて、でも同時に残酷な現実を突きつけてくる。

 

「…………っ、その、喜多ちゃんに、聞きたいんですけど………」

 

「いわゆる……恋人に向けるような……感情、なんですか?」

 

 その問いかけは、優しさと戸惑いと、そして恐る恐る真実に触れようとする勇気の混ざった声だった。

 私は、涙で滲んだ視界のまま、それでも彼女から目を逸らさずに、こくりと頷くしかなかった。

 

「………私ね、ひとりちゃん」

 

 ここから先を言うのは、もう、さながら自分への罰みたいだった。

 言えば言うほど、きっと振られる未来に近づいていくのに。

 それでも、今更もう、本当のこと以外、言いたくなかった。

 

「ずっと、文化祭の前から……貴方のこと、かっこいいって、思ってたの。ひとりちゃんの演奏する姿は、私にとって、心からの憧れで」

 

 ─────あの日、台風ライブの日。

 STARRYの薄暗いステージの中で、ひとりちゃんがギターをかき鳴らして、空気を変えてくれたあの瞬間を、私は今でも覚えている。

 あの時に感じた、胸の奥を撃ち抜かれたみたいな衝撃と憧れを、私は一生忘れない。忘れられない。

 

「……その時からね、思ってたの。私は、ひとりちゃんを支えられるような、そんな存在になる、って。なりたいって」

 

 それは嘘じゃない。

 でも、それだけでもなかった。

 

「でも」

 

 喉が震える。

 言ってしまったら、全部が壊れてしまうかもしれない。

 それでも、もう逃げたくなかった。さっきSTARRYから走って逃げた時みたいに、背中を見せたくなかった。

 

「…………ごめんなさい、ひとりちゃん」

 

 ひとりちゃんの長い前髪が、風に揺れている。

 その向こうにある瞳を、ちゃんと見ようと、自分自身に言い聞かせる。

 

「私………気付いちゃったの。ひとりちゃんが、彼と、一緒にいるところを見て……」

 

 吉沢くんと、ひとりちゃん。

 夕方の松ノ木児童遊園で互いに寄り添っていて、顔を赤くして、でも幸せそうに笑うひとりちゃん。

 あの光景を見た瞬間、胸の奥に生まれた感情の正体を、私は理解してしまった。

 

「私が、ひとりちゃんのことを、支えたいって、思った………その感情の、本当の正体に」

 

 それはただの「憧れ」じゃない。

「尊敬」だけじゃ、説明しきれないこと。

 誰かの幸せを、自分のことみたいに喜べない自分が、いるってこと。

 

(……ねえ、ひとりちゃん)

 

 これは、たぶんとても身勝手な告白だ。

 祝うべきなのに祝えなかった私の、最低なエゴだ。

 それでも、この子にだけは、嘘をつきたくなかった。

 だから私は、ひとりちゃんの前でちゃんと泣きながら、ちゃんと言葉にすることを選ぶ。

 胸の奥に渦巻いていた言葉に、ようやく名前をつけてしまったあとでも、この痛みはまだ終わらない。

 

「………………喜多……ちゃん」

 

 ひとりちゃんが、胸元で自分の手をぎゅっと握り込みながら、かすれた声で私の名前を呼ぶ。

 その声を聞いただけで、また涙腺が緩みそうになる。

 こんな私に、この期に及んでまだ「喜多ちゃん」って呼びかけてくれるなんて。

 

「………私、思っちゃったの」

 

 ここから先を言うのは、本当に怖かった。

 でも、言わなきゃ。全部、ここで置いていかなきゃ。

 

「本当は、ひとりちゃんが、吉沢くんと付き合えていることを祝わなきゃいけないのに。ひとりちゃんの幸せを、喜ばなきゃいけないはずなのに……!!」

 

 自分で言いながら、胸の中で「ごめんなさい」が何度も何度も反響する。

 本当は、最初からそうあるべきだった。

 好きな人が、好きな人と両想いになる──それって、素敵なことで、祝福されるべきことで。

 

 でも、私は。

 

「────どうして」

 

 喉の奥が、ひゅっと細くなる。

 言わなきゃ。言わなきゃ。言って。咽喉(いんこう)が使いものにならなくなるほど、悲鳴を上げている。

 言葉を吐き出す度に、胸の奥が裂けていくみたいに痛い。それでも────とうとう私は、その感情を爆発させた。

 

 

 

「どうして、ひとりちゃんの隣にいるのは、私じゃないんだろうって……っっ!!」

 

 

 

 堪えていた悲しみが、全部溢れ出す。

 涙で視界がぐちゃぐちゃになって、ひとりちゃんの表情もよく見えない。

 それでも、泣きながら叫ぶしかなかった。自分で自分が最低だって分かっていても、止められなかった。

 

「…………ッ………!!」

 

 ひとりちゃんの顔が、痛そうに歪むのが分かった。

 私の言葉が、彼女の胸も刺してしまっていることくらい、分かってる。

 それでも、嘘をついて笑う方が、きっともっと駄目だと分かっていたから。

 

「………………」

 

 言い切った途端、ひとりちゃんは酷く悲しげに俯いた。

 その姿を見て、私は世界が歪む。ぐらりと、立っている感覚が、足元から喪われていく。

 

(─────あ…………)

 

 その気まずそうに、どこか物悲しそうに俯く今のひとりちゃんの顔を見た瞬間、嫌でも理解してしまった。

 この子が誰を選んだのか、どこを向いているのか。

 そして、私がどこにも入り込めない場所が、確かにあることを。

 足元から血の気が引く。視界の端が暗くなっていくみたいに、壊れていく。

 

「ごめん、なさい」

 

 そう呟く自分の声が、自分のものじゃないみたいに震えている。

 ごめんなさい。

 こんなこと、言って、ごめんなさい。

 好きになんかなって、ごめんなさい。

 でも、でも。

 嫌だ。

 

「気持ち悪かった、わよね」

 

「………っ…………ご、ごめ、んなさ………」

 

 嫌なの、お願い、

 私を、     きらいに    ならないで。

 

 ひとりちゃんを、すきになんてなって、

 

 ごめんなさい、ごめん、なさい。

 

「ごめん……なさい、ごめ、んなさ……」

 

 きらいに      なら、 ないで。

 ひとり   に、しないで。わたしを、

 

 えらんで。どうして。わたしのほうが、わたしのほうが、あなたのこと、だいすきなのに。

 おねがい。えらんで、わたしを。すきだよ、すきなの。だから───

 

 きらいにならないで。

 

 おねがい。いやだ。いやだ、いやだ──────

 

(──────だめ)

 

 その声を、押し殺す。

 ずっと、ずっとずっと泣きじゃくって顔を上げ続ける幼い自分の手を握り締めて、その声ごと全てを噛み殺す。そんな自分を、抱き締める。

 それに呼応する様に、自分で自分の体を覆う。ぎゅっと、強く左右の両手で左右の腕を強く握り込む。

 

「…………………」

 

 言っちゃダメ。そんなこと。

 分かってる。そんなこと、言えない。もう、言えないんだ。

 涙が止まらない。だって、決めたんだもの。

 ひとりちゃんが、幸せになってくれるなら、私は、もう、欲しがりませんから。

 

 分かってる。もう、おしまいだから。我慢するから。欲しがらないから。

 

 これで、わたしとひとりちゃんのかんけいは、もう、ぜんぶおしまいにしよう。

 だから、おねがい。かみさま。ひとりちゃんを、しあわせにして。おねがいだから。もう、わたしは、ひとりでも、いいから───────。

 

「……………」

 

 瞼を、閉じる。全てが終わりを告げる。頬を撫でる風はとても冷たくて、私から温もりを全て奪い去っていく。喪われた体温の中で、覚悟を決めた。

 世界から、光も、幸せも、色が失せていく。

 こんな唐突に同性から好きだなんて言われて、こんなの怖いに決まってる。

 こんなことを言って、嫌われないはずがない。

 今までの関係が壊れるかもしれないのに、それでも怖くて、本当は言いたくなかったのに、それでも、言ってしまったのは私だ。そうだ。

 

(─────嫌われても、仕方ないんだ)

 

(だから、もう、もう…………………いわなきゃ)

 

(さよなら、って……………)

 

「……ごめん、なさ、い…………」

 

 全部終わりにしようと、そんなことをつぶやいて身を引こうとした。

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 

「……待ってください!!」

 

 

 

 

 

 

 ひとりちゃんが、前触れもなく駆け寄ってきて、私の両手をぎゅっと掴む。

 

「ち、違います………ッッ!!」

 

 顔を上げる。

 涙でぐちゃぐちゃのひとりちゃんの瞳が、真っ直ぐに私を見つめていた。

 

「──────え……?」

 

「気持ち悪くなんか、気持ち悪くなんかない!! そうじゃないんです……!!」

 

 必死に、喉を張り裂けそうにしながら叫んでくれるその声が、信じられないほどまっすぐで。私は、ただひたすらに見つめ返すことしか出来ない。目を剥きながら、ひとりちゃんと視線を重ね合う。

 思わず、息を飲む。

 私なんかの為に、どうしてここまで──って、心のどこかで思ってしまう自分がいる。期待を、してしまう自分がいる。まるで、真っ暗闇の中に光が差し込んできたように。それに、吸い寄せられるようにひとりちゃんを見つめ返す。

 

「………嬉しいん、です」

 

 ひとりちゃんが、震える口元で、それでも微笑もうとしてくれる。

 

「私……………喜多ちゃんに、そう、言って貰えて」

 

 風が持ち上げる長い前髪の隙間から見えた瞳は、涙で濡れているのに、不思議と真ん中だけが澄んでいて。

 

「今まで、そんな風に、私なんかの事を言ってくれる人はなかなか、いなかったから」

 

 その「私なんか」が、こんなにも多くの人に支えられてきたことを私は知っているのに。当の本人は、今もまだ自分をこんな風にしか言えない。

 

「…………ひとり、ちゃん?」

 

 胸がぎゅっと鳴った。

 この子を好きになった私の気持ちは、やっぱり間違いじゃないって、思ってしまう。

 

「……わっ私、は……喜多ちゃんのことが、大切です。本当に、大事に思ってます」

 

 ひとりちゃんは、言葉を探しながら、それでも一つずつ選んでくれるみたいに続ける。

 

「あの日、結束バンドに入ってくれた日から……一緒に頑張りたいって、ずっと、思ってて。だから……」

 

 あの日。

 STARRYで初めて出会った、人前に出るだけで限界までテンパるひとりちゃんと、人と会話をすることだけは得意だった、逃げ出したギターの私。

 あの瞬間から私の世界は変わったけど、きっとひとりちゃんにとっても─────私が変化のひとつになれていたのかもしれない。

 

「だから、その……喜多ちゃんの気持ちを知れて、すごく嬉しいんです……!!」

 

 ほんとうに、嬉しそうに言うから。

 胸が痛いくせに、同時に救われている自分もいるから、余計に泣きたくなる。

 

「…………気を、遣わせてる、わよね」

 

 それでも、口から出てしまうのは自虐。

 だって。

 

「……やっぱり、迷惑……だよね? ………ごめん、なさい」

 

 悲しげに俯きながら、言葉は止まらない。

 だって。そうしなきゃ。

 

「もう、私……ひとりちゃんの、バンドのみんなの前から……居なくな……」

 

 言い終える前に。

 だって、そうでないと、私は、もしも、もしもその言葉が、ただの同情とかだったら。

 

 多分、わたしは、もう生きていられない─────────

 

「違います!!!」

 

「っ……!?」

 

 次の瞬間、だった。

 

 強い力、私の体をひとりちゃんから抱き寄せられた。

 予想もしていなかった身体の近さと、想像していたよりずっと強い力に、思わず息が詰まる。ひとりちゃんの声が、体温が、私の胸を真っ直ぐ射抜く。

 

「……………え………」

 

「………いやです………っ、いやです!!! いかないで、ください………!!!」

 

 耳元で震える声がする。

 肩越しに感じる彼女の体温が、悲しいくらい切実に、真っ直ぐに伝わってくる。

 

「きっ喜多ちゃん、聞いて、ください……!!」

 

 ひとりちゃんの腕が、背中でぎゅっと強くなる。

 

「私は、本当に嬉しくて……!! 気を遣ってる訳じゃ、ないんです!!」

 

「…………!!」

 

 その必死さに、胸のどこかがほどけていく。

 そして、気付く。

 私は、どうかしていた。

 なんで。

 なんで一瞬でも、私はこんな必死なひとりちゃんの言葉を、気遣いだなんて勘違いしちゃったの。

 私なんかのために、ここまで涙声で訴えてくれるこの子を、どうして疑えるだろう。

 疑いたくない。でも、信じられないくらいのそんな救いの言葉は、今の私にとってはどうしようもなく怖くて、嘘だと信じないとどうにかしてしまう。

 

「ッ………!! 本当に………? 迷惑じゃ、ない?」

 

 だから思わず、確かめるように問い返す。みっともなく、どこまでも涙声のまま。崩れた輪郭の声のまま、静かに囁く。

 こわい。こわいよ、ひとりちゃん。

 そんな言葉、幸せ過ぎて、こわいの。

 もしそれが壊れた私の幻聴とかだったら、そうなったら、耐えられない。

 

「はい……!!」

 

「迷惑なんかじゃない、嘘じゃない、本心です!! ホントの想いなんです!!」

 

 だけどひとりちゃんの声は小さく震えながらも、はっきりとそう言い切る。

 そんなわけ。

 そんな、はず。嘘。嘘。────そんな、の。見開いたままの瞳から、悲しいとは違う熱が降ってくる。頬を伝う彼らは、静かにぽろぽろとその身を主張してくる。

 

「むしろ…………私なんかを、そんな風に想ってくれてたんだ、って、嬉しくて………ッ」

 

「っ、ほっ、本当に、ホントに、嬉しいんです……………」

 

 胸がいっぱいになる。ひとりちゃんの一生懸命な声が、まるで私をすくい上げようとするみたいに届く。

 

「私は、ずっと、結束バンドの皆さんと会うまで………喜多ちゃんに出会うまで、ずっと独りだったから……!!」

 

 その言葉に、胸の奥で何かがカチリと鳴り響く。

 

(……知ってる)

 

 入学式のあと、何度も見かけた背中。

 あなたが、いつも独りでいたこと。

 

 ひとりちゃん。あなたはきっと、私の事、ギターに勧誘してくれるまで知らなかったと思う。

 でもね、覚えてないと思うけど、私はあなたの名前、知ってたの。

 あなたのこと、名前を知る前からずっと気になってたの。

 入学式の時から、なんならあなたのこと、覚えてたわ。最初、あなたをあの桜の下でたまたま見かけて、桜が髪に乗ってたのを取ってあげた、あの時から、ずっと。

 可愛い子だな、って、思ってたもの。

 二度目、教室でギターに勧誘しようと私をあなたが見つめてたあの時、明らかに初対面みたいな反応してたよね。

 ノリに乗った方がいいのかしらって思ってラップしたけど、きっと覚えてないんだろうな、とは思ってた。それどころじゃ無さそうだったし。

 

 ひとりちゃんと同じクラスだった友達の女の子に名前を聞いて、あなたを知った。

 その時からずっと、なんとなく、いつも背中を見かけると目線で追ってた。どこへ行くのかしら、って。

 

 どうしてあの子は独りなんだろうって。寂しくないのかな。怖くないのかなって。

 私は、ずっと怖かったのに。

 独りの自分なんて想像できなくて、あなたが本当はずっと羨ましかったし────カッコよかったの。

 あなたは自分のことを、カッコイイだなんてきっと全然思ってなかったと思うし、むしろつらかったんだろうな、って事は、今でこそもちろん分かってる。

 でもね、私本当は、ずっとあなたが羨ましかったの。

 あんな重そうなギターケースを毎日毎日持ってきて、きっと学校終わりには練習、頑張ってるのかしらって。

 

 いいなぁ、って。

 

 誰かと常に一緒じゃないと、“寂しさ”から逃げられなかった私なんかと違って、きっとすごくすごく、強くて、素敵で、才能がある子でこんな私なんかとは違う────ちゃんと「自分」を持ってる───── “何者” かになれる子なんだろうな、って。

 ギターを背負って、教室にもろくにいないまま、校舎のどこかへ、あるいは駅へ向かっていく後ろ姿。

 あの時からずっと、あなたは「独り」でいて。

 でも、真っ直ぐにどこかへ向かおうとしていた。そんな姿を、私はあなたが私を知る前から、ずっと知っていたんだから。

 

 その「独り」の世界に、私は踏み込んでしまった。

 

 ひとりちゃんが、自分からも扉を開けてくれた。

 一緒にいて欲しい、と願ってくれた。

 その時。さっき STARRY を飛び出す前にリョウ先輩に言われた言葉が頭をよぎる。

 

『きっと、ぼっちは……どんなことがあっても、私達結束バンド皆にバラバラになって欲しくないと思うし、それは何よりも……郁代のことも』

 

『何があろうとも…………私達のことも、郁代のことも、関係を断ち切りたくないって思ってるんじゃないかな』

 

『確かに、もうぼっちには大切な人ができて、たぶん…あの二人は両思いになるんだと思う』

 

『郁代が辛いのは、本当によく伝わってる。痛いくらいに。でも……時間がかかってでもいいから……それでも』

 

『──────私達は応援をしてあげようよ、ぼっちのこと』

 

 あの時は、頭では分かっているつもりだった。

 ううん、本気で理解しているつもりだった。

 今、こうしてひとりちゃんに抱きしめられて、その言葉の本当の意味がようやく体ごと分かる。

 

「………………………いきなり、こんなこと、言って、ごめんなさい。ひとりちゃん」

 

 私はそっと、ひとりちゃんの腕の中から少しだけ身を引いた。

 涙でぐちゃぐちゃになった顔を、少しでもましにしようと手の甲で拭って、深呼吸する。

 

「………大丈夫、です」

 

 ひとりちゃんは、ふるふると首を振る。

 

「ましてや、迷惑なんかじゃ、絶対ないです」

 

 その目は、本気だった。

 だから私も、ちゃんと向き合わなきゃと思う。

 

「……」

 

 ひとりちゃんは一度小さく俯いてから、決意を固めるように視線を上げる。

 

「……喜多ちゃん。……聞いて、貰えますか?」

 

「……………うん」

 

 こくん、と頷く。

 涙はまだ完全には引いていないけど、それでも。

 この子の言葉なら、ちゃんと最後まで聞きたいと思えた。

 

「私は……正直、まだ恋愛とか、よくわからない部分も、全然ありますし……」

 

 ひとりちゃんは、少しだけ自嘲気味に俯く。でも、すぐに胸元で右手だけを握り締めて顔をあげる。

 

「あっ……その、だからきっと、私が言うのも失礼かもしれないけど……言わせて、ください」

 

 胸が、ひゅっと縮む。

 これから何を言われるかなんて、本当はもう分かっている。

 それでも、逃げたくなかった。ちゃんと正面から、受け止めたかった。

 

「………私も、喜多ちゃんのことが、大好きです」

 

「───────ぁ」

 

 その一言だけで、また涙が溢れそうになる。

 嬉しいと思ってしまう自分がいる。ひとりちゃんから、ひとりちゃんから好きだなんて言ってもらえるだけで、視界が開けるみたいだった。ふわりと、心が浮き上がってすらいる。

 だけど、その意味は違う。

 好き。その言葉の本質は、私がひとりちゃんに向けてるそれとは、全く違うと分かっている。だから、すぐに唇をきつく結ぶ。まだ続きがあると分かっていたから、ぐっと堪える。

 

「でも…………」

 

 やっぱり、ひとりちゃんの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。

 私の心のどこかも、同じように揺れて軋む。

 

「ごめん、なさい」

 

 それは、とても小さな謝罪。

 どこまでも誠実で。

 でも、ちゃんと届く位置から、まっすぐに私へ向けられた言葉。

 

「その気持ちは、きっと─────────恋愛の、好きじゃ、無いんです」

 

「───────」

 

 胸の奥に、静かな痛みが広がった。

 鋭く刺さる痛みじゃなくて、じんわりと広がっていく鈍い痛み。

 それが「分かっていたこと」だって、自分でもちゃんと分かってるから余計に、目尻の熱は止まらない。

 俯いたまま、頬を伝う雫がまたも顎先からぽたぽたと勝手に落ちていく。さっきからずっと泣きっぱなしで、身体中の水分が消えてなくなる気がした。いっそそうなれたら、幸せだったかもしれない。

 そしたら、もしかしたらひとりちゃんは私を求めてくれるんじゃないかとか、最低なことを一瞬でも考えてしまう。

 それを、瞼をギュッと閉じて覆い隠す。

 ひとりちゃんの発した言葉に対して「嫌だ」とは思えなかった。この子が、嘘をついてまで優しい言葉を選ばなかったことが、分かるから。

 

「……」

 

 震える手で、ひとりちゃんがそっと私の頬に触れる。思わず私は、肩が小さく勝手に跳ねてしまう。

 親指で、拭っても拭いきれないくらいの涙を、細くて綺麗な指で、それでも丁寧に追いかけてくれる。

 

「きっ、喜多ちゃんは、いつも素敵です」

 

 その言葉に、思わず顔を上げそうになるのを、必死で堪える。

 

「誰に対しても明るくて、可愛くて……キラキラしてて……。私の憧れで……尊敬できる人です。そして本当に、大切な人です」

 

 それは、傷口に塩を塗るみたいな残酷さじゃなくて。

 痛みの奥に、優しさを混ぜたみたいな言葉だった。

 

「でも、私には……同じくらいに、大切な人が出来たんです」

 

「……」

 

 二日前に見てしまった、公園での二人の姿がまた脳裏に浮かぶ。

 夕暮れの中で抱きしめ合っていた、ひとりちゃんと春樹くん。あの光景が、頭から離れたことなんて一度もない。あれから今に至るまで、ずっと。

 

「…………………だから、ごめんなさい」

 

 ひとりちゃんが、もう一度深く頭を下げる。

 

「喜多ちゃんの気持ちは、すごく、凄く嬉しくて、同性の子には初めて言われた言葉で、……嫌、なんかじゃないんです。でも、もう、私には……………」

 

 せめてその先を言わせないように、私は静かに言葉を継いだ。

 

「…………吉沢くんが、いるのよね」

 

 ひとりちゃんは、痛そうに目を閉じる。

 だけど、彼女は静かに顔を上げて、どこかそれを誇らしそうに頷いた。

 

「………はい。こんな私の全てを、受け止めて好きでいてくれる人が、もう、できました」

 

 その言葉が耳に届いた、その瞬間。

 胸の奥で、私の初恋がきちんと終わっていく音がした。同時に、気付く。

 おめでとう、ってちゃんと思えた自分がいることに。その事実に、少しだけ驚く。

 

「私は、その人を、自分の言葉で。自分の意思で、選んだんです。好きに、なったんです」

 

 選んだ。

 あのひとりちゃんが、ちゃんと自分の意思で。ずっと、断らない、断れない子だったひとりちゃんが、自分の意思で。

 それが、どんなに凄いことなのか。

 ひとりちゃんは、間違いなく明確に春樹くんとの出会いで変わった。

 たった数日の間の出来事。でも、私だけじゃなくて、結束バンドのみんなにも出来なかったようなことを、吉沢くんはひとりちゃんに対してきっと出来たんだと思う。

 それは、私にはできなかった。

 だから、それを────どうしようもなく、羨ましいと思ってしまう自分がいる。

 ひとりちゃんは続ける。

 

「───────だから、喜多ちゃんの気持ちには、応えられないです」

 

 頬を一筋伝った涙を、ひとりちゃん自身も拭おうともせず、そのまま言い切る。

 

「…………………ごめんなさい」

 

 そうしてひとりちゃんは深くもう一度、頭を下げる。

 その姿が、苦しいほど誠実で、見ていて胸が締め付けられる。

 

「………ひとりちゃんには、もう、私は、要らない?」

 

 分かっていても、どうしても聞かずにはいられなかった。

 リョウ先輩たちに「そんなこと思うはずない」と言われていたのに。

 それでも、口が勝手に零してしまう。

 

「……………………っっ………!!」

 

 ひとりちゃんが、勢いよく顔を上げる。

 ぶんぶんと頭を横に振って、涙で濡れた瞳で私を見つめた。

 

「そんな事、ないです……!!!」

 

「………!!」

 

 その叫びが、夜の川沿いに響く。私は目を見開く。

 

「……私は、喜多ちゃんの特別には、なれないかもしれない。でも、でも……!! ……それでも、喜多ちゃんには」

 

「………離れて欲しく、無いんです……!!」

 

 両手を掴まれる。その手はまだ震えていて、でも、あまりにも必死で。

 

「………」

 

「私は……いても、いいの……?」

 

 胸が震える。

 こんな子に向かって、そんなことを聞かせてしまっている自分が情けないと分かっていても、それでも、聞いてしまう。

 嘘じゃない、って、信じたいから。もう一度だけ、静かに。

 切実に、縋るように問い掛ける。

 

「これからも、私、ひとりちゃんのこと、ずっと……隣で、支えてもいいの………?」

 

 恐る恐る問う私に、切なげな顔のまま、ひとりちゃんは迷いなく頷いてくれた。

 

「もちろんです……!!!」

 

 大きく、強く、ひとりちゃんは叫ぶ。

 

「居て欲しいんです!!!」

 

 その言葉が、真っ直ぐ胸に刺さる。

 

「これからも、私も、喜多ちゃんと、ずっとずっと、一緒にいたいんです……!!」

 

 涙を拭いながら、それでも笑おうとしてくれる。

 その姿が、愛おしくて、眩しくて、また涙が溢れそうになる。

 

「……喜多ちゃんの、とくべつには、なれなくても……!!」

 

 繋がれたままの手から、体温が注がれるのが分かる。

 喪われた温もりが、ひとりちゃんのことばで戻ってくる。

 

「……どんなことが、あったとしても、これからも、ずっと……!!」

 

 その言葉を聞いた時。私の中で、文化祭ライブで歌ったあの歌詞が、自然と脳裏をよぎる。だから私は、そっと瞳を伏せて、あの星座を見つめた日のことを口にする。

 

「……あの日、覚えてるかしら? ……ひとりちゃん」

 

「……?」

 

「文化祭前、下北沢駅前で、一緒に星を眺めて帰った日のこと」

 

 ひとりちゃんの表情が、ぱっと変わる。

 驚いたように目を開いて、それからふっと柔らかく笑った。

 

「……あっ、はい。はっきり、覚えてます」

 

「喜多ちゃんと一緒に帰った、あの日の出来事のおかげで、私は……『星座になれたら』を書けたんですから」

 

 良かった。嬉しい。泣きながら、私は勝手に頬が弛むのを感じる。

 その言葉が、胸の奥に静かに落ちていくのを感じながら続けた。

 

「…………あの時、言おうとして、言えなかった言葉を、言ってもいい……?」

 

 泣きながら、それでも笑いながらそう問いかける。ひとりちゃんは真剣な眼差しで頷いてくれた。

 

「……はい……! 聞かせてください……!」

 

 星空の下、互いに目を見つめ合う。

 どこか、遠くで電車の音がして、川の流れが静かに響く。

 その全部が、二人だけのステージみたいに感じられる。

 

「────まるで、あの星……あの星座……」 

 

「ひとりちゃんみたい、って、言ったの」

 

「え………っ?」

 

 言葉を選びながら、あの時から用意していた台詞を、ようやく口にする。

 

「……私にとっての、ひとりちゃんはね。あの日、一際輝いてた光みたいに、星座みたいに」

 

 踏切の向こう、夜空に瞬いていた一際瞬く一番星。

 そのずっと手前で、ギターケースを背負った背中を照らしていた街灯。

 両方とも、私には同じものに見えた。

 

「誰よりも輝いている、一番星みたいで。かっこよくて、素敵で」

 

 少しだけ、笑い声が混ざる。

 自分で言っておいて、すごく、すごく恥ずかしい。こんなの、もう告白と変わらないと思う。頬が熱い。

 それでも、今度こそ誤魔化さない。それでも、言いたいの。言わせて。

 大好きな、世界でたった一人の、あなたに────伝えたいの。

 伊地知先輩も、きっとリョウ先輩も、そして何より私も。

 バラバラなみんなだけど、でもそれでも。

 その真ん中で不器用な光を必死で振り回す、そんなひとりちゃんの姿が─────どうしようもなく、あのバンドの皆も、私も、愛しく思ってるから。だから、はっきりと伝える。

 

「誰よりも、みんなを照らす光のような」

 

「─────そんな、ヒーローみたいな、ひとなの」

 

 涙を零しながら、それでも笑って言えた。

 あの時踏切の音に消されてしまった台詞を、ようやく。やっと伝えられた。

 ひとりちゃんが、ぽかんとした顔で私を見ている。でも、やがてどこかやっぱり切なげに、彼女ははにかむ。

 それから、ゆっくりと夜空へ視線を上げた。その視線を追うように、私も空を見上げる。

 黒いキャンバスに、あの日と同じようないくつもの星が滲んでいた。

 その中で、ひときわ強く光る星が、確かに見える。

 

「………今、分かった、気がします」

 

 ひとりちゃんが、ぽつりと呟く。

 

「そうなんですね。……わっ私たち、同じこと……思ってたんですね。お互いに」

 

「………そう、ね」

 

 胸の奥が、じんわりあたたかくなった。静かに見つめ合う。

 好きの形は違っているのかもしれないけど、それでも、同じものを見て、同じものを大事だと思っていられるなら。

 

「……きれい、ですね」

 

「…………うん」

 

 夜空に輝く星々が、私たちを優しく照らしている。

 川の水音と、時おり吹き抜ける風。

 その全部を、今この瞬間だけは、ひとりちゃんと共有できている気がした。

 繋いだ手が、微かに震えているのが分かる。

 私は、その不安を少しでも消してあげたくて、そっと握り返した。

 

「春樹くんにも、同じこと、言われたんです、私」

 

「………え?」

 

 思わず、ひとりちゃんの横顔へ顔を向ける。

 

「…………虹夏ちゃんにも、同じように。その時、言われた時は……全然そんなことないのに、って。そんなんじゃないのに、って、正直、思ってしまってたんです」

 

 それはきっと、ひとりちゃんがひとりちゃんだからだ。

 自分の価値を、最後の最後まで信じられない、この子だから。

 

「…………でも」

 

「春樹くんのおかげで、分かった気がするんです」

 

「私、最近思うんです」

 

 ひとりちゃんは、そっと私に視線を戻す。

 その目元は、さっきまでよりももっと柔らかかった。

 

「ヒーローになることの、本当の意味について、です。……喜多ちゃんも、そう言ってくれるなら……私自身、もっと頑張って、輝き続けなきゃいけないなって」

 

 その言葉が、まっすぐ胸に刺さる。ヒーロー。

 同時に、満たされたような、誇らしいような気持ちにもなる。

 

「……みっ、みんなにとっての」

 

「喜多ちゃんにとっての、ヒーローに……私みたいな人間でも、なれるなら、ならなきゃいけないなって」

 

「………」

 

 今度は、その言葉に私の方が泣きそうになる番だった。

 空を見上げても、視界の端が滲んで星の線が上手く追えない。

 それでも、ひとりちゃんの言葉だけはしっかりと耳に残る。

 

「……喜多ちゃん」

 

「……うん」

 

「わっ私は、喜多ちゃんの好意には………恋人としては、応えられないです」

 

「うん……分かってる」

 

 痛みはある。でも、それだけじゃない。

 この子が、ここまで言葉を尽くしてくれたことの方が、よっぽど大きい。

 

「でも、それでも。それでも………」

 

 それでも。ひとりちゃんは、そっと近づいてきて、私の両手をもう一度握り直す。

 心臓がキュ、と締まる。思わずドキッとしてしまう。指と指を絡ませ合う。それは、大好きな人との手の繋ぎ方だ。

 

「どうか────これからも、ずっと、………本当の意味での『友達』としてでも……傍で見てて欲しいんです。私のことを」

 

 友達。

 それは、さっきまでは少し怖く感じてしまった言葉だった。

 でも今は、不思議と、胸の奥に温度をくれる言葉でもあった。

 

「だから……(ほど)かないで、くれますか?」

 

 ひとりちゃんの声が、小さく震える。

 

「私の、私達の、これからを」

 

「─────……うん」

 

 切なげに瞳を細めながら、それでも私は笑った。

 ああ、この子は本当に、ずるいくらい愛しい子。そんな風に、あの歌詞の言葉を言われたら、また泣きそうになる。

 でも、もう泣かない。その代わりに、笑っていたいから。だから、私は伝える。

 

「……どんな事があっても、もう……結束バンドのみんなからも、ひとりちゃんからも、離れたりなんてしないわ」

 

「私………約束、する」

 

 誰に向けてでもなく、今度は自分自身に誓うように。

 それを聞いたひとりちゃんは、心底ほっとしたように息を吐いた。

 

「……ありがとう。本当に、感謝してます。ありがとう──────喜多ちゃん」

 

 そう言って笑う顔が、泣き顔と笑い顔の中間みたいで、どうしようもなく綺麗だった。

 不安だった気持ちが解けたせいか、ひとりちゃんはゆっくりと私の胸元へ寄りかかってくる。

 

「っ……ひとりちゃん……」

 

 思わず、その体をそっと抱きとめる。

 細くて、小さくて、それでもたくさんの音と感情を抱えている背中。

 

「……温かいです……」

 

 ひとりちゃんの声が、制服越しに伝わる。震えている。きっと、ずっと怖い思いさせてしまったんだと思う。抱き留めたまま、身体を寄せ合う。

 

「喜多ちゃんの体温って、こんなに温かかったんですね……」

 

「…………………」

 

 そんなこと言われたら、また泣いてしまうじゃない──と、喉まで出かかった。でも代わりに、ひとりちゃんの髪へそっと手を回す。

 いい匂い。石鹸みたいな、そんなにおい。だいすき。

 

「おねがいです」

 

「ずっと、ずっと、離れないでください」

 

 ひとりちゃんが、小さく願う。

 

「…………失いたく、ないです。喜多ちゃんの、ことを…………」

 

 それは、あのとき、自分が歌った歌詞と、まるで同じ意味の言葉だった。

 

「…………ごめんなさい」

 

 私は、ようやく言えた。

 私は、自分がそこで間違っていたことに気付いた。

 こんなことなら、ひとりちゃんを傷つけてしまうくらいなら、いっそ出会えなければよかったのに、なんて思った。

 

 ───────そんなの、大間違いだった。

 

 そんなこと、言っていいはず無かった。

 ひとりちゃんが、ここまで、こんな風に私なんかの為に、私のことを思ってくれた、それを────無駄にしてしまう言葉だったんだ、って、私は気付いた。

 ごめんなさい。

 ごめん、なさい。

 

「……離れるからなんて、言って……ごめんなさい」

 

 あの時、勢いだけで「居なくなる」なんて言ってしまった自分を、心の底から叱りつけたくなる。

 

「……もう、言わない」

 

 ひとりちゃんの髪に額を寄せながら、静かに続ける。

 

「……友達でも、いいの。ひとりちゃんのこと───」

 

 瞳を閉じて、はっきりと言葉を選ぶ。

 あの日、あの時、保健室で伝えた『ひとりちゃんを支えれるようになる』という言葉。その言葉を、本当の意味で、私はもう一度伝え直す。

 その痛みを知っても、もう、ひとりちゃんの『特別』にはなれなくても。

 

 それでも、それでも、私は──────役割じゃない、自分の意思で、強くつよく誓う。

 

 

 

「………ひとりちゃんの、特別になれなくても」

 

「これからも、ずっと支えるから。あなたのこと、ずっと、ずっと」

 

 

 

「……はい」

 

 

 

 ひとりちゃんが、私の胸元に重ねた頬を少しだけ動かして、小さく笑う。

 

「よろしく、お願いします。本当に、嬉しいです……」

 

 その言葉が、私の方こそ救ってくれる。

 

「……っ、…………うっ、っ、うぅ、っ、ごめんなさい………ごめん、なさい。想いに、応えれなくて………ごめんなさい………」

 

 ひとりちゃんが、震えながら言う。

 その声は酷く霞んでいて、ひとりちゃんの大きな目から、やがてポロポロと大粒の雫が溢れてくる。逆に、こっちの方が泣きたくなる。

 

「………なんで、どうしてひとりちゃんが、泣いてるのよぅ……」

 

 思わず、声が裏返る。

 

「泣かないでよ………っ、泣いてなんて、くれなくていいのに………!」

 

 抑えていた涙が、今度は私の方まで、また堰を切ったように溢れ出す。

 互いに強く抱き締め合って、涙で制服の肩口がお互いに濡れていく。

 

「……っ、ぐす、っ、………ごめん、ごめんなさ……」

 

 ひとりちゃんが、震えた声を搾り出す。

 

「でも、……っ、喜多ちゃんの想いは本当に、嬉しかったから、大事にしたいから……」

 

 その言葉に、また新しく涙があふれてくる。

 

「………ありがとう、ございます……ありがとう、喜多ちゃん……!」

 

 ぽたぽたと、私の制服の肩へ涙の雫が落ちていく。

 それがむしろ、誇らしくて、温かくて、胸がいっぱいになる。

 

「………………否定しないでくれて、ありがとう。ありがとう………ひとりちゃん、大好き………」

 

「…………私もです………大好きです、喜多ちゃん………」

 

 ひとりちゃんの背中を、そっと撫でる。

 

「……ほら、もぅ、泣かないでよ………泣かないで………ひとりちゃん。………ありがとう……」

 

 お互いにぐしゃぐしゃの顔のまま、そっと肩から離れる。

 少しだけ見つめあって、私たちは思わず一緒のタイミングで額をそっと重ね合う。体温がおでこから伝わって、それが愛おしさなんだと気付いて、たまらなく幸せになる。

 

 愛おしくて、幸せで。

 

 たった一つ、想う。

 ひとりちゃんに、私は────出会えてよかった、って。ひとりちゃんに出会えて、生まれてきてよかった、って思う。

 

 吐息が触れ合うほど、一歩間違えたらこのままキスをしてしまいそうな程の距離で、言葉では言い切れない想いを交わし合う。

 こんなの、ダメだけど、でも今だけは、今だけはこうしていたい。

 分かってるの。吉沢くんにも、ひとりちゃんにも、幸せになって欲しい。本心で、今はちゃんと思う。ひとりちゃんのおかげで、今はそう思えてるから。嘘じゃない。

 

 だけど吉沢くん、ひとりちゃん。ごめんなさい。今のこの一瞬だけは、ひとりちゃんをこの距離で見させて欲しい。どうか、それを許して欲しいんです。

 これ以上は、望まないから。

 私は、そんなことを心のどこかで思う。彼へ謝りながら、そしてひとりちゃんへも同じように謝る。指を絡ませたまま、一雫の涙が頬を伝うのを感じる。ひとりちゃんが、額を重ねたまま息をつく。その息遣いに、胸が少しだけ跳ねてしまう。

 

「……喜多ちゃん」

 

「……うん?」

 

「これからも、よろしく、お願いします……」

 

 少し離れたひとりちゃんが、照れくさそうに笑う。

 

「………私こそ」

 

 互いに信じられないくらいの顔の距離のまま、私は自然と、笑い返す。

 

「これからもずっと、友達としてでも……貴方のこと、支えるからね」

 

「約束よ、ひとりちゃん」

 

「……はい。……はい………」

 

 ひとりちゃんが、そうして私の肩へ擦り寄せてくる。左手の甲で涙を拭いながら、何度も頷く。その仕草が堪らなくて、ずっとこうしていたいと思ってしまう。

 

「……約束です」

 

「うん………!」

 

 その言葉が、夜空の一番星に向けた新しい誓いみたいに感じられて、私は思わず頬が弛む。ひとりちゃんは私に泣き笑いを浮かべたまま、そっと離れる。

 

「……みんなの所に、帰りましょう! 喜多ちゃん!」

 

「うん、ひとりちゃん……!」

 

 私達の、帰る場所。そこを当たり前のように示してくれるひとりちゃんに救われながら、私は頷き返す。

 自然と離れていた手を、もう一度そっと繋ぐ。

 今度は指と指を絡めるのでも、抱き寄せるのでもない、ただの「友達」の繋ぎ方。それでも、今の私には、その形がいちばん嬉しかった。幸せだと、心から思える。

 互いの想いは、たぶんもう以前とは違う。でも、これでいい。

 だってこれは、前よりもずっと確かな「絆」として結び直された気がするから。

 

 

 いつからだったろう。

 “誰か” と常に一緒にいるはずなのに、それを心のどこかで寂しいと感じるようになったのは。

 

 

 寂しかった。

 痛かった。

 でもそれはきっと、本音を、ずっと言えなかったからなんだと。今ならはっきり言葉に出来る。

 

 私はずっと、役割に生きていただけだった。

 

 それが、私にできること。私みたいな人間には、それしかないって、無意識にずっと思い込んでた。

 それを、誰にも話せなかった。きっと、考え過ぎだよ、って笑われるのが怖かった。だってそうだもの。こんなの、普段の私がいきなりこんなこと言ったら、みんな引いちゃう。

 だから、言えなかった。言っちゃいけなかった。許されなかった。

 だからこそ、私は今、ハッキリと思う。

 

 私はきっと、ずっとその理由を知りたかったんだ、って。

 

 みんなと一緒に、こんな私でも星座になれたら、どんなに良かったんだろうって、そう思ってたんだ。

 そう。

 なにより私はずっと、本当の絆が欲しかったんだ。

 リョウ先輩に憧れたのは、きっかけに過ぎない。あの人のこと、良いなって思ったのも嘘じゃない。でもそれはたぶん、全部の本質じゃない。

 

 大好きな人に、特別な人達に。

 こんな私でも、特別だと思ってもらえるような、こんな私と一緒にいても心から本心で幸せだと思ってもらえて、何より私もそう思える───そんな “居場所” がずっとずっと、私は欲しかったんだ、って。

 そう、気付いた。

 そんなの、どこにもないと思ってた。こんな、“何者” にもなれないこんな私には、そんな幸せは訪れないんだ、って思い込んでた。

 

 でも、そんなことなかった。

 

 私は、ひとりちゃんの、みんなのおかげで、吉沢くんのおかげで、それに気付けた。

 どんなに不安でも、きっと、この手を離さなければ、その先へ行ける。例え、こんな私でも、きっと皆とならもう一度星座になれる。なにより、たとえ私自身が星座になれないとしても─────

 

 

 それでも、私は、私自身の意思で、ここに居てもいいんだ、って。

 

 

 皆の隣にいて、私の自分の意思で皆を、ひとりちゃんを支えていてもいいんだ、ってことを。

 

 そんな気がする。

 だから、ひとりちゃん。おねがい、と私はひたすらに願う。この手をもう、離さないで。

 この繋がりを解かないで。つないだ線をこの先もずっと解かないで。あの歌の、あなたの歌詞のように。どうしようもなく私は願う。

 私が、ひとりちゃんが、どんなにお互いが眩しいと感じてしまっても、それでも、離さないで。繋がっていて。

 

 大好きだよ。ひとりちゃん。

 

 もう、たとえあなたの特別になれなくても、一生私はあなたの味方でいるから。それを、自分の意思で、自分だけの願いとして私はあなたに誓う。

 

 役割としてじゃない。

 私は、私がそうしたいから。こんな私を救ってくれた、あなたの味方に、生涯居続けたいから。

 恋人になれなくても、それでも親友になることはできるって、ずっとこの先も、一生信じてるから。

 これからも、ずっと、ずっとあなたのこと、隣で支えたいの。

 

 だから、支えさせて。歩かせて。大好きな、世界でたった一人の───────あなたの隣で。

 

 そうして、私たちは川沿いの遊歩道を、STARRY の方角へ歩き出す。

 

 もう二度と戻れることのないと思っていた、星座の輪。

 その中で、私たちはまるで無邪気な子どもみたいに手を取り合いながら、前へ進む。

 背中には、いつものギターケース。罪だと思い込んでいたそれは、今はまるで羽根のように軽く感じた。

 

 隣には、私のヒーロー。私にとっての明日をくれた人。

 

 夜空の一番星は、そんな私たちを、静かに照らしてくれていた。

 

 

 

 どうかこの私たちだけの世界が、命が潰えるその日まで─────壊れてしまいませんように。

 

 

 

 そんなことを、小さく星降る星座に、ただただ私は願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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