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『三日以内にお前の人間性や、結束バンドに対する思い、そして実力。ウチのハコで働いてもらいつつ総合的に判断させてもらう』
『吉沢。選べ。お前が本気でうちのバンドのマネージャーをやるってんなら私の提案を呑んでもらう。選択権を与える』
『このまま私の提案を呑むか、それとも断るか。どっちがいい? お前の好きなように選びなよ』
低く響く声と一緒に飛んできた「選べ」という一言は、脳の中で反響させるだけで背筋が伸びる気分だった。音響や照明関係の機材が隣に並び、賑やかさの跡が残るカウンター前で俺は腹を括る。
『やります。やらせてください』
言った瞬間、自分で自分の首を掴んで前に押し出したみたいな感覚があった。それはまるで、逃げ道を一本、自分で塞いだ感覚みたいに。
それが、俺が結束バンドのマネージャーになるにしたがってSTARRYの店長───伊地知 星歌さんから求められた『選択』だった。
俺の答えはYES。
NOなんて選択肢は、はっきり言って最初から無かった。
そのつもりだった。だけど、その選択を “怖い” と思うかそうでないか。そう考えたら、怖くないと言えば嘘だった。────それが、俺自身にとって自分で自分を嫌いにならない
だけど、それでも。
ひとりを支えるために。結束バンドを応援するために、そのためなら何だってやる。そうカッコつけた以上、もう後戻りできる退路は無い。片道切符を手に取ったからには、言葉を取り消すつもりは欠片も無かった。
「……良い眼つきじゃん。じゃあ、決まり。その心意気は買うぞ。だけど覚悟はしなよ、私は甘くないからね」
「覚悟の上です」
「そ。よく言った」
星歌さんは、そう言って俺に対して威圧と期待が半々みたいな眼差しで、胸の奥をぐっと掴んできた。俺は拳を握り込みながら、身体中の血液が
「んじゃ、明日から早速働いてもらうからね。色々用意はしておいてやるから今日はもう帰りな。こんな時間だしな」
「えっ………あっ、そっか」
その一言に拍子抜けした俺は、慌てて赤い編み編み状の金属の支柱に掛けられた時計を眺める。彼女に顎で指されたその時刻は、いつの間にか二十一時を回っていた。
張り詰めていた弦が少しだけ緩んだみたいな感覚の直後に、虹夏の声が飛ぶ。
「っやば……! ぼっちちゃん、電車!」
「へ? あ、ぁああぁぁあ……!! 忘れてたぁぁああ!!」
そういえばそうだ。ひとりは確かここから二時間も掛けて家に帰ってたんだっけ。確か松ノ木児童遊園付近からバスで移動する時にそんなこと話してた気がする。
ひとりは椅子から跳ね上がるみたいに立ち上がって、壁付近に置いていたトートバッグの中を何やら漁り始める。スマホでも探してるのかな。多分、次の電車の時間でも調べるつもりなのかもしれない。
ギターケースのストラップが変な方向にねじれて、それを直そうとさらにテンパって、見てて思わず笑ってしまう。
「落ち着きなよ、まだ終電までは全然余裕あるし」
一方のリョウは、子どもビールを持ったままグビっとやって、いつも通りのテンションだ。ホント思うけど彼女のマイペースさ、ちょっとだけ羨ましいとすら思う。
「春樹くん、ひとりちゃんと駅まで一緒に行ってあげたらどうかしら?」
俺がひとりに苦笑していたタイミングで、人差し指を立てながら喜多さんが声を掛けてきた。俺はさっきの河川敷でのひとりと喜多さんの出来事を思い出し、思わず逆に問い掛ける。
「へ……あ、あぁ。……良いのか?」
反射で聞き返した俺に、喜多さんは僅かに目を見開いた後、苦笑いを浮かべては、そして悪戯っぽくウインクを飛ばす。
「いいに決まってるじゃない。……春樹くんは、ひとりちゃんの彼氏なんだから。ね? ひとりちゃん」
「はっ、えっ、あっ、は、はいっ……!!」
ひとりは顔を一瞬で真っ赤にして、口をパクパクさせている。うーん、金魚。でもその横顔を見て、同時に胸の中がじわっと熱くなった。
────彼氏。
言葉として受け取ると、やっぱりまだ、それは慣れない。
考えてみれば俺とひとりはまだ付き合い始めて四時間と少ししか経ってないから、当たり前かもしれない。というか、ここ数時間の間に起きた出来事のカロリーが高過ぎるとすら感じる。
だけど、それは全く嫌じゃない。むしろ、ちょっと誇らしいくらいだとすら思う。
「おい、お前ら。帰るんだったらとっとと帰れよ。店仕舞いできないでしょ。虹夏は手伝え」
星歌さんは呆れたように呟きつつ、ゴミ袋をまとめ始める。
「あっうん、わかった。ぼっちちゃんや喜多ちゃん達はもう帰りなね?? 夜遅いし、皆で固まってね」
そう言って虹夏は袖を捲り始め、せかせかと机上を片付け始める。
「大丈夫、春樹いるし」
グッジョブ、と親指で謎に自信満々な様子で俺へサムズアップをするリョウ。俺は思わず目を細くして見つめ返す。「いや、なんなんだその謎の信頼」
すると喜多さんは何故か身体中から更に謎に満ちた眩いオーラを放ちながら華やぐ。
「メンバー内唯一の男の人ですからね! こういう時は頼らせてもらわないと!!」
「うわ!? 妙に眩しいのやめろ!?」
なんだこれ、脳内に “きたーん” と謎の擬音が響く。えっなに、ひとりのみならず喜多さんまで謎の生命体? なんか不明瞭な存在だったりする? やたら物理的に眩しいんですけど。なんすかこれ。
彼女からの目に見えない光の威圧に思わず片手を仰ぐ。すると、そこでようやく顔面崩壊から立ち戻ったひとりが、虹夏の片付けを手伝おうとしているのが目に入る。
「あっあっ、あの、私も手伝います……」
おずおずと申し訳なさそうな様子でひとりが虹夏の隣に立つと、彼女は苦笑しつつ「いーよいーよ!」と微笑む。
「もう電車も余裕ないだろうし、ぼっちちゃんはみんなと一緒に帰りなよ。あとはあたし達でやっとくしさ。どーせ家は真上なんだし」
「あっはい、すすす、すみません! じゃあ、お願いします!」
動揺しつつもぺこりとひとりは頭を下げる。まあ確かに虹夏の言う通り、何よりもひとりが帰れなくなる方がまずい。
さすがに都内は終電が遅いとはいえ、ひとりが教えてくれた金沢あたりなんてそろそろ電車に乗らないと間に合わなくなってもおかしくない頃のはずだ。
「あぁそうだあと吉沢!」
そうしてひとりの隣でスクールバッグを片手で持ち上げた時、ゴミ袋を両手で運んでいた星歌さんが大声で俺を呼ぶ。
「な、なんですか店長!?」
「お前、ぼっちちゃんと付き合った経緯に関しては、いずれビシバシ教えてもらうからな、そこに関しては許した覚えねーぞ」
「えっ………マジ、すか」
「なんでお姉ちゃんがぼっちちゃんが付き合う人間を許すかどうか決めてんのさ!!」
背筋にヒンヤリとした悪寒が走った時、虹夏のチョップが星歌さんの頭に入り、ふたりのいつものやり取りが始まった。仲のいい姉妹なんだな。
そんな光景のおかげでさっきまでより少しだけ、空気が柔らかく見える。
「ほら、春樹くん。早くぼっちちゃん連れてって!」
チョップされた箇所に呻く星歌さんを抑え込みつつ、虹夏が呆れたように叫ぶ。
「じゃ、じゃあ……お疲れ様です、店長。また明日来ます」
「あっ、あっ、お、お疲れ様です……!」
ひとりと一緒に頭を下げ、そのまま急いで俺たちはSTARRYを出た。
扉が閉まる小さな音のあとも、背中には星歌さんの視線が残っている気がした。まだ何も証明出来てないけど、それでも────いつかは。
少しでも早く認められたいと、そう思っている自分に気付いた。
※
外に出ると、さっき以上に夜の空気は少し冷たかった。まあ当たり前か。もう二十一時を過ぎてるんだ、そりゃそのはずだと納得した。
さっきひとりや喜多さんを追い掛けた時の熱がまだ身体のどこかに残っていてるからか、その温度差が不思議な熱に感じられた。
人通りの落ち着いた下北沢の路地には、まだいくつかのネオンと、閉店した数々の飲食店の薄れゆく照明が灯っている。
どこかのラーメン屋の湯気の匂いと、アスファルトに残ったわずかな昼の熱。遠くから聞こえる電車の音。それらが確実にこの街を夜に沈めていこうとしているのがハッキリとわかった。
「じゃあ私達この辺だから」
「それじゃあひとりちゃん、春樹くん、また明日ね!」
下北沢駅に近い十字路を抜けた先で、リョウと喜多さんが手を振る。
街灯に照らされた二人のシルエットが、なんかちょっと「バンドメンバー」って感じで、改めて実感が湧く。
ひとりも俺も、同時に手を振り返したところで、ふとひとりが小さく息を吸い込む。
「あっ、あの!」
「き、喜多ちゃん……!」
喜多さんへ背中に向かって呼ぶ声は、普段の自信の無い言動よりもさっきまでよりも、少しだけ芯が通ってるように見える。喜多さんはひとりの方へ振り向くと、そっと駆け寄ってきて尋ねる。
「えっ……? どうしたの、ひとりちゃん?」
「………あっあの」
胸元で右手を抑え込むひとりは、少しだけ迷ったように吃る。だけど、遂に意を決したようにそっと囁いた。
「きっ今日は、本音で話せて、良かった……です」
「────ありがとう、喜多ちゃん」
「あっこれからも、よろしく……お願いします」
ひとりの笑顔はまだ不器用で、ちょっと引きつってるのが隣から見ても分かる。それでも、ちゃんと相手の目を見て、震えながらでも言葉を届けようとしていた。それが見ていて微笑ましくて、俺の頬も弛む。
つい二時間前、大声で泣きながら俺に本音を伝えていた彼女とは同じとは思えないくらい、それはまっすぐな姿だ。
喜多さんは一瞬だけ目を丸くして、そして俺と同じように柔らかく微笑む。
「─────私こそ」
「………否定しないでくれて、嬉しかった。また明日ね。ひとりちゃん!」
昨日見たような鬱々とした哀しげな顔を浮かべていた喜多さんとは、まるで別人みたいだった。明るくて、曇りなく澄みきったような、
間違いなく、その
ひとりの胸のあたりがふっと軽くなっているんであろうことが、横から見てても分かる。安心しきったように彼女も口元を
「……はい、それじゃあ、またあした! 喜多ちゃん!」
「うん! じゃあね、ひとりちゃんっ! ありがとう!」
そう言って、彼女はリョウと一緒に手を振りながら角へ消えていく。
喜多さんの、夜の空気に踊るようなあの「ありがとう」は、彼女の中の
「……よかったな」
「行こうか、ひとり。駅まで送るよ」
俺は彼女を安心させられるように声色を落としてそう呟く。
「ッ……!! ……は、はい!!」
するとひとりは嬉しそうに頷いては、俺の隣へ一歩寄ってきた。そのさり気ない姿に愛おしさを感じる。自然と歩幅を合わせながら、俺たちはそのまま夜の下北沢を並んで歩き出した。