ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #35 「眠れない夜の、その先で」

 

 

 長かった帰路を終えた、玄関の手前。そこで私はひとつ深呼吸する。ポケットからスマホを取り出して、LOINEを開く。

 

『今、家に着きました!』

 

『春樹くんは、無事に着きましたか?』

 

 送信ボタンを押してから、私はようやく鍵を回す。

 ガチャ、とドアが開いた瞬間、今日一日のいろんな出来事が、いつもの私の家の匂いと温もりと共に一気に押し寄せてくる。それのお陰で、胸の奥がじんわりあったかくなるのが分かった。

 改札で手を振った春樹くん。

 結束バンドにマネージャーとして彼が加入することになったあの瞬間。

 喜多さんに告白されて、それでもちゃんと向き合えたこと。

 春樹くんに告白して、お互いにちゃんと恋人になれたこと。

 ────全部、夢だったんじゃないかって思うくらい、濃すぎる一日だ。

 

「……ただいま〜……」

 

 靴を脱ぎかけたところで、ピコン、と軽い通知音が鳴った。

 ついビクッと肩が跳ねる。画面を覗くと、そこにはすぐさま春樹くんからの返信が並んでいた。思わず頬が弛んでしまうのが、自分でも分かって困ってしまう。

 

『あぁ、無事に着いたよ』

 

『今日、ホント楽しかった。デートの日程は、また本格的に俺が店長にマネージャーとして認められたらまた決めような』

 

「……!」

 

 それをみて、喉の奥がじわ〜っと熱くなるのが自分でも分かった。玄関の電気の下で、きっと私、すごく分かりやすい顔をしてる。

 

「お姉ちゃんおかえりぃ〜! きょうもまた遅かった、ね………」

 

 とてとてとて、と木面の床を歩く小さな音が近付いてくる。同時にふわふわした声も飛んできて、はた、と顔を上げた。

 リビングからひょこっと顔を出した妹のふたりと、ばっちり目が合った。何やら言葉尻が妙におかしな切れ方をしている。……四秒くらい、お互いに固まる。

 ワンッ。

 まるでおかえりと言わんばかりに、ふたりの足元に立つ柴犬、ジミヘンも鳴いた。

 

「………………」

 

「っ!! わっ、ふ、ふたりっ」

 

 慌ててスマホを背中に隠して、意味もなく笑顔を作る。ヤバい。どうしよう。見られた。い、いまぜったい、絶対ニヤニヤしてた。鏡なくても分かるレベルでニヤニヤしてたかも。

 

「ご、ごめん、遅くなっちゃった。練習してたら時間忘れちゃってたんだよね」

 

 必死に平常運転っぽい声を出してみるけど、喉がちょっと裏返ってる気がする。やばい。誤魔化せない。

 

「……どうしたの? なんかお姉ちゃん〜……めっちゃかおにやけてたよ?」

 

 あ゛っ。これ誤魔化せてない。

 ふたりはいつもそうだけどほんっとに容赦がない。五歳児特有の、真実だけをぶつけてくるタイプの生き物だ。幼児とは思えないくらい、私より妙にコミュ強だし。相変わらず後藤家のヒエラルキーでの私の立場は危うい。ていうかそれ以前に姉としての立場が色々危うい。そうしていつも通りニッコニコしながら、ぐさぐさ刺してくる。

 

「えっ!? な、何言ってるのふたり、そんなことないからっ」

 

 顔から火が出そうになって、私は靴を雑に脱ぎ捨てると、そのまま逃げるように廊下を早歩きで駆け抜ける。

 

「え〜!? そんなことないよ、絶対ニヤけてる〜!」

 

 タタタタ、と小さい足音が後ろから追いかけてくる。

 ついでにジミヘンも、わんわんっ、と二声鳴いて協力してくる。余計な連帯感出さないでほしい。追いかけてこないで、お願いだから。

 

「もう!! うるさいなぁふたりとも!!」

 

 階段を駆け上がりながら声を上げると、下の方からお母さんの声が飛んできた。

 

「ひとりちゃん〜? 今日も随分遅かったわね、帰ったらただいまくらい言いなさい〜? ご飯は食べたの〜?」

 

「あっ……ご、ごめんお母さん、ただいま! ちゃんと聞こえてるよ! 荷物置いたら今すぐ降りるからっ」

 

 階段の踊り場から叫び返して、私は自室へ滑り込む。ギターケースをそのまま立て掛ける。そのままピシャッと勢いよく襖を閉めて、やっと一息。力が抜けたみたいにずるずるとへたりこむ。

 

「……はぁぁあぁ〜〜〜〜………」

 

「…………春樹くん……」

 

 ピンク色のジャージを脱ぎ捨てて、身体を引きずり、お母さんが多分敷いておいてくれた布団の上にぺたんと座り込む。スマホの画面には、さっきの春樹くんからのメッセージがまだ光っている。

 

『今日、ホント楽しかった。デートの日程は、本格的に俺が店長にマネージャーとして認められたらまた決めような』

 

「……ッ!」

 

 “デート”っていうその単語だけで、つい心臓がどくんって跳ねる。

 頬がたまらなく熱くなって、枕へ顔を一旦押し付ける。数十秒程悶絶してから、そっと両腕を伸ばしながら見つめていたスマホを眺め直す。

 そんな、直球ワードを普通に使ってくるのやめてほしい。嬉しすぎて困る。

 

「……春樹くん、なんて返そうかな」

 

 今度は布団にごろんと仰向けになって、頭を枕に乗せ、スマホを顔の真上に掲げた。

 視界いっぱいにLOINEのトーク画面が広がって、その下で私は一人、にやけ顔をどうにも止められない。

 今日の出来事が、もう一度頭の中でぐるぐる駆け巡る。

 二人っきりで春樹くんと手を繋いで歩いた道。

 喜多さんに告白されて、それでも泣きながら自分の本音を言えたこと。

 全部、一つ一つが眩しすぎて、現実の出来事だって上手く実感できない。

 

「……」

 

 親指をフリック入力のキーボードの上に置いて、ゆっくり文字を打ち始める。

 

『はい。春樹くんなら絶対、店長さんも認めてくれます。デートのことは、また決めましょう』

 

 送信。

 既読は……まだつかない。

 

「………」

 

 さっきまでのメッセージ画面は当たり前のように既読が着いていた。そのせいか、一瞬だけその場に春樹くんが居なくなっちゃった気がする。考えなくても、そんなことは当たり前の話だと思う。

 でもどうしてか私は、そのたったそれだけの事実に少しだけ寂しくなった。

 

「春樹くん、寝ちゃったのかな……」

 

 画面を見つめたまま、ぽつりと呟く。

 そのタイミングで、襖の向こうからまたお母さんの声がした。

 

「ほらひとりちゃん〜? ご飯まだ食べてないのよね? 唐揚げ、ひとりちゃんにとってあるわよ〜。お風呂かご飯か、先にしちゃいなさい?」

 

「あっ、うん、わかった。ごめんねお母さん、遅くなって……ご飯、先食べる」

 

 慌てて布団から立ち上がり、スマホを握ったまま襖を開く。

 ジミヘンとふたりの声が階下から聞こえてきて、家の空気が一気に「いつもの後藤家」に戻ってくる。

 ダイニングへ向かう途中、リビングのソファにお父さんの姿が見えた。彼の太ももの上でジミヘンが優雅にへそ天になっていて、そのお腹を気持ちよさそうに撫でられている。

 

「おかえり、ひとり。今日も遅かったね?」

 

「うん……ごめんね、お父さん。ちょっと色々あって」

 

 私は申し訳なさそうに笑いながら、手を洗う。用意してくれていた茶碗を手に取る。

 キッチンでご飯と味噌汁をよそいながら、私は心のどこかで、さっきのLOINE画面のことばかり考えていた。

 

「そうか。文化祭でもライブしてた、結束バンドのあの子達とかい?」

 

「う、うん……そう」

 

 冷蔵庫から麦茶を出して、コップに注ぎながら、少しだけ頷く。

 お父さんの問いかけは、いつもみたいに柔らかい。だけど、なんとなく今日は、そこにほんの少しだけ “探り” が混じってる気がした。

 

「……そっか。でも、あんまり遅くならないようにね。お母さんも心配してたから」

 

「うん、ごめんね。気をつける」

 

 席について、手を合わせる。

 

「いただきます」

 

 唐揚げを一口頬張って、ほっとする。美味しい。

 お母さんの味、安心する。咀嚼(そしゃく)した後に、何となく別のお皿に並ぶ唐揚げも(かじ)ってみる。二口目を頬張って、気づく。味付けが違う。

 お母さんは私の為に、多分私の好きな味を用意してくれていたんだと察した。

 その気遣いが、今日はいつも以上に心に染みる気がする。だけど安心しきる前に、追撃が飛んできた。

 洗面所の方から、バタバタと小さい足音が戻ってくる。あっ嫌な予感。

 

「えーと、おもちゃおもちゃ……あ、お姉ちゃん!」

 

 ふたりが、浴槽で遊ぶ用のおもちゃを抱えて、リビングを横切ってきた。そこで、なにやらふと思い出したみたいにこちらを振り向く。

 

「そういえばおねえちゃんおねえちゃん! なんでさっきあんなにニヤニヤしてたの??」

 

「ゴフォァッッッッッッッッ!!」

 

 飲んでいた味噌汁が、気持ちいいくらいの勢いで噴き出した。

 気管に入りかけて、ゲホゲホ咳き込む。慌ててティッシュで口を拭う。

 

「ちょ、ちょっとふたり、それは……っ!!」

 

 慌てて口元を拭いていると、ジミヘンまでわんわん鳴き始める。

 やめて。今だけはアシストしないで。

 

「? 何の話、ふたり?」

 

 お父さんが首を傾げる。

 ふたりは悪気ゼロの笑顔で、とどめを刺す。

 

「さっきね、お姉ちゃん帰ってきたとき、めっちゃにやけてたんだよー」

 

「にやけてたの? 珍しいね。何かいいことあった?」

 

「ひぃっ!?」

 

 お父さんがニヤニヤしながらこっちを見る。もう、ふたりってばァァ!!

 やめてほんと、その大人の余裕をまとった笑顔。心臓に悪い。

 

「ち、違うのお父さん!! ほんとにちょっと考え事してただけだからっ、本当、別に何も無かったってば!!」

 

 私は椅子から立ち上がって、ふたりのところへ半ば突進する。

 どうにかこの話題を物理的にねじ伏せようと、口を押さえつけようとする。だけどその五歳児は私の身体能力程度で捉えられるはずもなく、ヒョイヒョイと身軽に避けてしまう。幼女は容赦なく続ける。

 

「でもさっき、お姉ちゃん、スマホ見ながらニヤニヤしてたもんね〜??」

 

「もぉお!! ふたりッッ!!」

 

「……ふふっ。まあ話したくなったら話しなね。さ、ほらふたりもお母さんと一緒にお風呂はいっといで」

 

「えーー!! お父さんとはいるぅ!!」

 

「お父さんはこの後一人で入ってから風呂掃除しなきゃなんだよ、ほらほら」

 

「んぇ〜〜っっ!」

 

「ふたりー。お風呂行くわよ〜」

 

 お父さんに対して駄々をこね始めたふたりをちょうどタイミングよく、洗濯物を終えてエプロンを脱いだお母さんが連行していった。ジミヘンだけが「どうなってんの?」って顔でこっちを見ていた。私が聞きたいよジミヘン。こっち見ないで。

 何はともあれ助かった。

 ふたりとお母さんが浴室へ行って、ダイニングに静けさが戻る。一息、安堵の息を漏らす。

 私はそっと椅子に座り直して、何事もなかったように味噌汁を啜って、ご飯を食べる。ふと、春樹くんからの返信が気になって何回かスマホを見直す。

 でも、全然音沙汰は無かった。

 思わず自身でも分かるくらいに、少しシュンとしてしまう自分がそこにはいた。それを振り払うようにお米をかきこんで、残りの唐揚げも全部完食する。

 

「ごちそうさまでした」

 

 両手を合わせて小さくお辞儀。

 そうして食器を片づけようと立ち上がったところで、手前のソファに座るお父さんがテレビから目を離さずに声をかけてくる。

 

「ひとり」

 

「ん? な、なに、お父さん?」

 

 食器を手に持ったまま振り返る。お父さんはジミヘンの頭を撫でながら、やがて少しだけ横目でこちらを見つめてきた。そうして彼を抱き抱えてはまたお腹を撫で始める。

 

「今日……なにか、いいことか……悲しいことでもあった?」

 

「えっ」

 

 図星すぎて、完全に動きが止まる。どっちもあったから、本当に何も言えない。食器を持つ手がちょっと震えた。慌てて台所の洗い場へ置き、蛇口を捻って軽く洗い流す。

 

「な、なに言ってるのお父さん……? 私は別に、いつも通りだよ」

 

 へへっ、と薄っぺらい笑い声まで出てしまう。自分でも誤魔化し方が下手すぎる。

 

「……その割には、今日は一目散にギターを練習しに行かないんだね」

 

「うっ……」

 

 痛いところを突かれた。

 言われてみれば、そうだ。いつもなら真っ先に自室に籠もって、ギターを抱えてる時間帯だ。

 

「えっと……そ、そういうわけじゃないよ。ただ、たまにはほら、ゆっくりしたい時もあるかなって……」

 

 思わず、スマホをぎゅっと握りしめる。

 どう考えても言い訳として弱すぎる。

 

「……そうなんだ。なんか、珍しいなって思ってね。ほら。あんまり食事しながらひとりはスマホを触らないだろ? それなのに、今日に限ってはずっとどこか名残惜しそうにスマホを見つめてて、なんなら少し上の空気味だからさ」

 

「……っ」

 

 あっ、しまった。完全に見られてた。

 心の中で、ちゃぶ台をひっくり返したい気持ちと土下座したい気持ちが同時に湧き上がる。

 

「たまたまだよ、たまたま……」

 

 私は思わず、隠すようにスマホをポケットに慌てて仕舞う。

 お父さんは小さく苦笑して、ジミヘンのお腹をわしゃわしゃ撫でた。彼は相変わらず気持ち良さげにそれに甘えている。「ァァーキモチェー」とか言ってそうな間抜けな口をしていた。

 

「そっか。まあ、ひとりも年頃の女の子だもんね。あまり詮索はしないけど」

 

 その言い方が、逆に優しすぎて胸に沁みる。

 

「……何かあったら、ちゃんと頼るんだよ。周りを」

 

「……!」

 

 それを聞いて、私は自然と少しだけ目蓋が強く開くのを感じる。

 頼る、か。

 私、ずっと今まで殆ど自分から周りに頼ってきたこと、無かった気がする。そもそも頼る人も、元々居なかったんだし、当然といえば当然かもしれない。

 だけど、春樹くんは─────

 そこまで考えたところで、僅かに俯いていた顔を上げて、お父さんへ微笑む。

 

「……ありがと、お父さん」

 

「うん」

 

 ぽつりと礼を言って、私はダイニングを後にした。

 襖の向こうに消える瞬間、ジミヘンが「わん」って一声鳴く。ちょっとだけ背中を押してくれた気がした。やっぱりあの子、たまに中身、人なんじゃないかとか考えた。

 階段を気持ち早めに早歩きで駆け上がって自室へ戻り、また少しだけ勢い良く襖を閉める。そのまま布団へダイブして、枕に顔を埋める。

 

「お父さん、なんであんなに鋭いんだろ……もう……」

 

 頬の熱を手のひらでぱたぱた冷ましながら、仰向けに転がる。天井の四角い灯りの光をぼんやり眺めてから、またスマホを手に取った。LOINEの画面には、まださっき送ったメッセージが残ったままだ。

 既読は、相変わらずまだついていなかった。

 

『結束バンドってひとりと喜多さんがギター、虹夏がドラム、リョウがベースだよな』

 

『……初めてのライブと文化祭ライブ見た時って、確か喜多さんがボーカルやってたけど……ひとりは歌わないのか?』

 

 二時間ほど前のメッセージをタップして、指でなぞる。もう一度見つめ直したその質問が、ずっと胸に引っかかっていた。

 私が、ボーカル?

 あまりにも想像がつかなくて、ついぼんやりと宙を仰ぐ。

 

「……」

 

「私、は…………」

 

 そうしてまた、それと同時にスマホを天井に掲げる。そのまま、静かに胸元へ両手ごと置く。

 ああ、でも、とふと考える。

 その照明を見ていた中で自然と、半年前の景色が同時に頭の中に浮かび上がった。

 

 

 

 

 

 

 それはまだ、喜多さんが結束バンドに入ったばかりの頃。確か、五月末とかだった気がする。印象に残ってるから、よく覚えてる。

 STARRYのスタジオの中で、私と喜多さんが一緒にギターの練習をしていたときのことだった。

 

『────そういえば私がボーカルやってもいいの?』

 

 そう。アレは確か、喜多さんがギターとボーカルの両立は難しいみたいなことを話していて、そんな時に彼女が妙にきらきらした目でこちらを見てそう聞いてきたんだったっけ。

 ただでさえ眩しすぎる勢いに飲まれそうになっているところへ、とどめの一言。

 

『そうだ! 後藤さんも一緒に歌って!』

 

『えっ……』

 

 あのときの私は、半分顔面崩壊していた。

 心臓が変な音を立てて、頭の中で警報が鳴り響いていた。

 

『むっ、むむむむ……無理です絶対!!』

 

 首を振る、振る、振る。もうどう思われるとかそういうの気にしてられないくらい全力で身体と脳がそれを拒否していた。ムムムムム、と効果音つきで、シャカシャカととにかく全力でそれだけは否定した。

 

『えっ? でも……』

 

 喜多さんは少しだけ困った顔をして、それでも私を見つめ続ける。

 私はその視線から逃げるように、ひたすら首を振り続けた。

 

『むむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむむ!!』

 

『ご、ごめんなさい、そんなに嫌なのね……』

 

 喜多さんが困った様な顔でそう呟いていると、扉を開けてリョウさんが入ってきた。

 

『いいねそれ。新しいギターパフォーマンス?』

 

『え……先輩! 先輩もこれ好きですか!? じゃあ私も練習を……』

 

『しなくていいそんな練習!』

 

 私の止められない挙動が伝染しようとしかけていたその時。

 それと同時に虹夏ちゃんが鋭くツッコみながら顔を出してそのやり取りを遮った。

 

『じゃあリョウも来たし、向こうに集合ね!』

 

『はいっ! 行きましょ、後藤さん!』

 

『えっあっはい……』

 

 ビタッと動きが自然と止まる。とりあえずお互いにギターケースへギターを仕舞いつつ、スタジオを出ようとする。虹夏ちゃんやリョウさんが入ってきて、場の空気はごまかされた。でも確かなのは、結局、私は “無理です” しか言えなかったということ。

 情けないとは自分でも思う。でも、やっぱり、私なんかには────

 ギターをケースにしまうとき、私の頭の中は喜多さんとの会話でいっぱいだった。

 

『…………………』

 

 そんなとき。そんな私の横顔を、喜多さんはじっと見ていた。私は何となく感じていた視線に気付いて顔を上げる。

 

『……私、ね。後藤さん』

 

『えっ。あっ、はい?』

 

 顔を上げた先では喜多さんが、どこか切実そうに真っ直ぐ私を見ていた。

 その瞳はいつもみたいにキラキラしているのに、ほんの少しだけ、真剣味が増していた。

 

『やっぱり後藤さんなら出来ると思う』

 

『───────えっ……?』

 

『だって、私思ったもの。学校で初めて喋って……後藤さんがギターを弾いてるところを初めて見たとき……相当練習したんだろうな、って』

 

 それを言われた時、胸の奥がじん、とした。

 自分でも、あのギターは必死で練習した結果だったから。三年前の時点、何も分からなかったあの頃のことを見て貰えた気がした。虹夏ちゃんも似たようなことを言ってくれてたっけ。

 少しだけ、ふわりと胸元が踊る。そんな中で、喜多さんはそのまま続けた。

 

『それにね、この前……後藤さん、真っ先に気づいてくれたわよね。私が、どれくらい練習していたのかってことも』

 

『……あっそれは……』

 

 それは、喜多さんが結束バンドに入る前の話。火傷をしていないか心配そうに私の手を撫でてくれた掌。

 その時、たまたま気付いた喜多さんの指先の豆。その感触だけで、どれだけ弾いてきたか、私には分かった。

 

『……後藤さんはね? あくまでも慣れていないだけで、練習さえ積めば……きっといつかボーカルだって出来るようになるんじゃないかって』

 

『本気で私はそう思うの』

 

 言葉が、喉の奥に詰まる。そんな風に、初めて言って貰えた気がして。

 “出来ない”って決めつけていたのは、自分自身だって分かっていたから。尚更私は何も言えずにただただ喜多さんの言葉を、目を見開ききったまま静かに受け止める。

 

『もちろん、今は無理って言うなら無理強いなんてしないわ! ……でも、私はね』

 

 喜多さんは少しだけ照れたように満面に笑って、それからはっきりと言った。

 

『あんなにギターで綺麗な演奏を出来るようになるまで練習できた後藤さんなら、ボーカルだってきっと出来る気がするって、思うわ』

 

『私の……本心だよ』

 

『………』

 

 あの言葉は、嬉しくて、怖くて、胸がぐちゃぐちゃになりそうだった。目を見張らせたまま、視線を床へ僅かに落とす。どう言えばいいか、分からなかった。そんなの、初めての経験だったから。

 

(そんな勇気、絶対ない)

 

 あのときの私は、心の中でそう呟いていた。

 それでも────────そう、だ。

 

(でも……私が本当に思い描いてた自分は……)

 

 私が、あの日あの時。ギターを、初めて手に持った時のこと。今でも覚えている。その時からずっと思っていた、私の本当の、夢。

 

 

 本当は、ステージの真ん中で、ギターを弾きながら歌う自分を、どこかで想像していた。

 

 

 そんな自分になりたいって、一瞬でも思ってしまっていた。

 だけど、こんな私なんかには、あまりにもそれは分不相応過ぎる滑稽な夢そのもの。

 そんなの、結局妄想の中でしか想像することしか出来なくて。そんな事を、やりたいだなんて口にするのも。言葉にするのも。

 その時の私は────ただただ怖くて、恐くて、仕方なかった。

 

『……あっ、いや……大丈夫です』

 

 結局私は、うつむいたままそう言うしかなかった。

 喜多さんは「……そっか」と少しだけ寂しそうにして、それでもすぐに笑ってくれた。

 

『でも、もしやりたいと思う日が来たら、言ってね! 後藤さんが歌うなら、私、聴いてみたいもの!』

 

『それじゃあ、伊地知先輩達も待ってるし……ステージの方、行きましょ! 後藤さんっ!』

 

『えっ……あっ……』

 

 花を咲かせるような綺麗な笑顔だけを私に残して、喜多さんはそうして先にスタジオを出ていった。私は一人静かにスタジオに取り残され、ほんの少しだけまた俯く。

 喜多さんに何を返したらいいか、どう伝えればいいかも分からなかった。

 だから考えるのを諦め、私は結局ギターケースを背負ってその背中を追いかけたんだった。あれからもう、半年が過ぎた。

 私はまだ、その事に関しては一歩も動けていない。

 

 あの時の言葉の続きを、まだ私は形に出来ていないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 記憶のフィルムが、ぷつりと途切れる。

 現在の天井にピントが戻ってきて、私はゆっくり息を吐いた。あの言葉の続きを、今、この春樹くんのメッセージから問われている様な、そんな気がする。

 今までの私だったら、きっとそんなの言えるはずもなかった、と思う。

 だけど、春樹くんが「変わろうとしてる」「頑張ってる」そう褒めてくれた、今の私なら、それに向き合えるような気がした。

 

(春樹くんなら、きっと聴いてくれる……かな)

 

 迷いなく、心の中でドッペルゲンガーがうん、と頷く声がする。

 あの人なら、笑わずにちゃんと聞いてくれるよ、って。

 そんな根拠のない確信だけは、胸の真ん中にしっかり居座っていた。だってそれを、今日だけでも何回も彼は証明してくれたんだから。

 スマホを握り直す。

 電源をオンにしてパスコードを打ち直し、LOINEの画面を開く。

 春樹くんは、さっき送った「デートのことはまた決めましょう」のメッセージを、まだ読んでいない。

 どうしよう。話してみようかな。

 そんなことを考えていると、突然画面の上部に「既読」の文字が浮かぶ。

 

「……っ!!」

 

 反射的に上半身を起こす。

 心臓の音が一気に跳ね上がるのが分かる。

 

『悪ぃ、ちと課題やってた。まだ起きてる?』

 

『……いや既読早っ!?』

 

 畳み掛けるようにメッセージが二つ続けて届いて、思わず笑いそうになる。

 

『は、はい!! 起きてます!』

 

 慌てて返信する。

 自分でも分かるくらい、顔文字をつける余裕すらない。

 

『ちょっと夜更かし中で……』

 

 続けて送ったメッセージには、珍しく自分から汗の顔文字を添えた。

 送信したあとで「うわ、なんか頑張ってる感……」ってなって少し後悔する。でもすぐに返事は来た。

 

『眠れないのか?』

 

 特にそれに対して引いたりなんか春樹くんはしなかった。

 それに安心をしつつ画面を見つめて、心の中で「図星です」と小さく白旗を上げる。

 

『……はい。ちょっと色々考え事してて……』

 

 正直に打ち込んで、送信。

 少し間を置いて、また通知が鳴る。

 

『……俺も』

 

「……っ!!」

 

 たった二文字のその言葉。胸の奥がきゅっと締め付けられる。思わず、肩を小さく揺らす。 “私だけじゃない” って分かった瞬間、世界の色が少し変わった気がした。

 

『春樹くんも、ですか……?』

 

 続けて送ると、すぐに返事が来た。

 

『うん』

 

『何か、眠れなくてさ』

 

 その短い一文から、少しだけ寂しさみたいなものが滲んで見えた気がする。それは、私を告白の時に初めて抱き締めてきたあの時の彼の姿を彷彿とさせる。その時みたいに、どうしようもなく、何かしたくなった。

 

「春樹くん……」

 

 名前をそっと呼んで、親指を動かす。

 

『その、良かったら、眠くなるまで、お話しませんか』

 

 打ち込んで、送信ボタンを押した瞬間。殆どノー思考。

 無意識。完全に、気づいたらそう送っていた。

 え? と自分でもギョッとした。

「……あっ」

 

 我に返る。えっ、な、な、な、な、ななななななななな、何言ってんの私。

 自分で送っておいて言うのもなんだけど、これはさすがに積極性がすぎるのでは。

 普段のコミュ障後藤ひとり、どこ行ったの。えっ怖い、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう、取り消さなきゃ、こんなこと。

 

「あ、あれ……私、何言って……っっ!?」

 

 慌てて取り消しボタンを探そうとしたそのとき、先に返事が飛んできた。あっやば、間に合わな──────

 

『いいよ』

 

「ッ!!」

 

 ビクッ、と。これまたとんでもなく肩が震えた。

 たった三文字。

 たった、それだけの文字。

 ──────なのに、それなのに。

 たった、それだけなのに、視界が一瞬滲む。

 

「……っ……」

 

 受け入れてもらえた、っていう事実が、胸の奥をじんわり温めていく。

 何度も何度も「いいよ」の文字をなぞりながら、私は必死で次の言葉を探す。

 

『私、春樹くんに、聞いて欲しいことがあったのを思い出して』

 

 送信。

 すぐに返事。

 

『うん。どんなこと……?』

 

 画面の向こうの春樹くんの顔を想像する。

 きっとあの柔らかい目で、真面目にスマホを見つめてるんだろうな。今日、私の話をずっと目を見て話してくれたみたいに。

 

「あ、えっと……」

 

 どこから話せばいいのか分からなくて、指が空中で止まる。

 ぐるぐる考えていると、その前に新しいメッセージが届いた。

 

『電話、する? 良かったら』

 

「えっ……」

 

 画面の文字を二度見する。電話? 本当に、本当に?

 三度見する。

 心臓が、いつもの五倍速で走り始める。

 

「えっ、えっ、えっ……」

 

 声にならない声が、喉の奥で行ったり来たりする。

 家族はまだ起きてる。ふたりとお母さんはお風呂。お父さんとジミヘンはきっとリビング。扉は閉めてる。でも、でも万が一にも聞かれたら生きていけない。

 この家で電話、しかも男の子と、大好きな人、付き合ってる彼氏さんとなんて……そんなの、生まれて初めてで。け、結束バンドの皆とすらまだ電話できたこともないのに。

 

(でも……話したい)

 

 頭の中で、理性と感情がプロレスしてる。

 理性は「やめとけ」と叫び、感情は「今しかない」とタップを拒否してる。なんでよ。

 こういう時こそイマジナリーフレンドの皆の力を貸してほしいのに。なんでか春樹くんと出会ってから中々顔を出してきてくれないのはどうして。どうしよう、と画面を見つめ続けていると、また通知が鳴った。

 

『無理しなくていいよ。断ってくれても大丈夫だからな』

 

「っ………!」

 

 その一文を読んだ瞬間、胸がズキンと痛む。

 ちがう。違うんです。

 断りたいんじゃない。むしろ、全力で話したい。だけど、怖い。声が震えそうで。家族にバレそうで、迷惑かけちゃいそうで。

 

「……違うのに……」

 

 小さく呟いて、目をぎゅっと閉じる。

 でも、でも、本当は。

 ─────勇気。頑張る、ということ。

 彼がくれた勇気を、またひとつ、私はその身に抱え込む。

 深呼吸を一つ。二つ。私の部屋の入り口がちゃんと閉まっているのを確認する。もう一度襖を開けて、下のリビングに通じる扉が閉まっているのを階段上から垣間見る。

 それから、部屋に戻ってその襖を閉める。覚悟を決めて文字を打ち込んだ。

 

「…………………………」

 

「よし」

 

『大丈夫です。通話、しましょう』

 

 送信。

 ほんの数秒で、返事が来た。

 

『えっ大丈夫なのか?』

 

 その慌てた一文が、妙に可笑しくて、緊張が少しだけほどける。

 

『はい、大丈夫です。ど、どっちから、掛けますか?』

 

 震える指でそう送ると、数秒の沈黙。

 デジタル時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえる。

 

『じゃあ』

 

『俺から、かける』

 

 そんな短いメッセージが届いた瞬間、心臓がドクン、と再び大きく跳ねた。

 

『はい、お願いします』

 

 手汗で少し滑るスマホを握りしめながら、送信ボタンを押す。

 

 通話ボタンが点灯するまでの、ほんの数秒。

 でも、私の体感時間では、きっと三時間くらいに伸びていた。

 

 ─────こうして、私と春樹くんの、はじめての深夜通話が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 







 評価登録やしおり、お気に入り登録、ご感想、いつもありがとうございます。
 なかなか更新できず申し訳ない限りですが、ご意見や評価登録頂けると励みになります! お気軽にお願いします!

 あと今回のぼ喜多の回想シーンですが、この部分は個人的にめちゃくちゃ大切になるとこなので是非とも覚えておいて下さい。

 ベースはアニメ版ですが、その後の喜多ちゃんの「後藤さんなら出来ると思う」辺りは敢えて改変した追加シーンで、「私が本当に思い描いてた自分は……」は実は原作1巻の同シーンの台詞となります。

 読者の方にもしかしたら原作をまだお読みになっていない方も居るかもなので、解説程度に。もし良ければ原作と同シーンの比較もしてみてください。
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