ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #36 「ヒーローになりたかった私へ」

 

 

「俺から、かける」

 

 LOINEの画面に浮かんだその一文を見た瞬間、胸の中で心臓がドラムみたいに暴れ出した。さっきまでのメッセージのやり取りとは、全然違う鼓動の速さ。鼓膜のすぐ裏側で、どくどくという音だけがやけに大きく響いている気がする。

 喉がきゅっと締め付けられる。

 それはまるで、指先まで心臓の音が伝わってきそうなくらい、全身がそわそわして落ち着かない。体の奥の方で、何か小さな動物がぐるぐる走り回っているみたいだ。

 閉めた襖、誰も居ない二階。家族の皆は一階にいる。いまなら、大丈夫。もう一度だけ確認し終える。

 

『はい、お願いします』

 

 手汗でスマホがつるっと滑りそうになりながら、それでもどうにか文字を打ち込んで送信ボタンを押した。

 送った瞬間、自分で自分にツッコミを入れたくなった。そのまま身体中が弾け飛んでいきそうになるのを抑えながら悶絶する。

 

(な、なに普通にお願いしちゃってるの私……!? もっとこう、「大丈夫です」とか、「迷惑じゃないですか」とか、確認することあるでしょ私……! あっでももうそれは聞いたのか、あぁでもどうしよう、やっぱり心の準備の方が!!)

 

 だけどそう思った次の瞬間、部屋の中にLOINEの着信音が鳴り響いた。

 

「ひぁっ……!!」

 

 全身がビクッと跳ねて、慌ててスマホを取り落とす。布団の上でスマホが小さくバウンドして、画面にはくるくる回る着信のマークと、はっきりとした文字で「吉沢 春樹」の名前。

 喉の奥で何かが詰まったみたいになって、しばらくの間、私はただその画面を見つめて固まっていた。ほんの数秒のはずの景色。時間と熱がぬるっと伸びて、世界だけスローモーションになったみたいに感じる。

 

(で、出なきゃ……! 出たい……でも……!)

 

 指が震える。タップ一つで、今この部屋に春樹くんの声が届いてしまう。

 そう思った瞬間、怖さと嬉しさと恥ずかしさがごちゃごちゃになって、胸の中でぐるぐる渦を巻く。心の中にミキサーでも入っているんじゃないかってくらい、感情の原液がかき混ぜられていく。

 

「…………っ、っ、…………〜〜〜……!」

 

 深呼吸を一つ。それから、えいやっと勇気を振り絞って、通話ボタンを押す。

 

「…………もしもし?」

 

 耳に当てた瞬間、スピーカーから流れてきたのは、いつもよりほんの少しだけトーンの落ちた、でもちゃんと聞き覚えのある優しい声だった。ふわっとしたぬくもりが、コードを伝って、耳の中にまで流れ込んでくる気がする。

 たったそれだけのこと。

 なのに、それをきっかけに目の奥が一気に熱くなっていく。

 

「……………っ」

 

 返事をしなきゃいけないのに、喉がうまく動いてくれない。声を出そうとするたびに、何かがせり上がってきて邪魔をする。胸の奥で、言葉の粒がぶつかり合っては砕けて、うまく形になってくれない。

 

「っ……ぁ………っ……」

 

 情けない息ばかりが漏れて、言葉にならない。

 頬がじわじわ熱を持ち始めて、視界がじんわり滲んでいく。世界の輪郭が、少しずつ溶けていくみたいに。

 

「……ひとり? 大丈夫?」

 

 耳元で、いちばん聞き慣れたはずの名前を呼ぶ声がした。心配そうに、そっと触れるみたいな響き方で。

 もう、それだけで泣き出しそうになる。独りぼっちだと思い込んでいた今までが、今のこの時まで感じていた寂しさまでも溶けていくような、そんな気になる。

 

(や、やめてください……そんな声で呼ばないでください……反則です……)

 

 胸の真ん中がじん、と痛くなって、息を吸うだけで涙が溢れそうだった。心臓をひと撫でするたび、そこからじわっと熱い何かが滲み出してくる感じがする。

 

「…………………っ、……あっ、はい。大丈夫……で、す……」

 

 どうにか絞り出した声は、自分でもびっくりするくらい細くて頼りなくて、申し訳なくなる。

 

「…………良かった」

 

 ほっとしたみたいな、小さく笑ったような声が返ってくる。その空気ごと、私の耳の中にふわっと入り込んでくる。

 

「……少しだけ、声、遠いよ?」

 

「あっ、ご、ごごご、ごめんなさ……」

 

「──────あ、れ……」

 

 指摘された瞬間、スマホがまだ耳から離れていたことに気づいて、慌てて耳に押し当てる。けれど、それより早く、ぽろぽろと頬を伝うものがあった。なに、これ。また勝手に、涙が零れている。

 

「っ…………あ、れ、なんで………っ」

 

 自分でも訳が分からないまま、小さな声が漏れる。

 止めようとしても、止まってくれない。蛇口を締めたつもりなのに、水がとめどなく溢れ続けるみたいに。

 こんなに私、涙脆かったっけ。『眠れなくて』って送ったのは私なのに。怖い夢を見た訳でもないのに。なのに、どうして。

 

「………ひとり? えっ、泣いてるの?」

 

 受話口の向こうで、春樹くんの声が少し裏返る。

 

「っ……ごめ、なさい………大丈夫……で、すっ……」

 

 必死に涙を飲み込もうとするけど、逆効果だった。()き止めようとしたところから、どんどん溢れてくるみたいで、視界がすぐにぼやける。鼻を(すす)ってしまう。

 

「……………………どうかした……?」

 

 まるで、日向ぼっこをしている時みたいな。

 そんな春樹くんの柔らかくてあったかい声が、耳の奥までもくすぐる。それが、ただただ堪らなく、安心させてくれる。その声を聞いた瞬間、私はもう、全部ダメになってしまう。

 

「……っはる、き、くん………」

 

 名前を呼んだだけで、喉が詰まる。誰かを呼ぶ声に、こんなに感情を詰め込んだのは初めてかもしれない。

 

「………どうして、泣いてるんだ? 眠れなかったってのは、怖い夢を見たとか? 大丈夫か?」

 

 真剣に心配してくれているのが、声だけで分かる。何度も「大丈夫か」って言ってくれる。その度に、胸の奥がじんわり溶けていく。子どもみたいにぐしゃぐしゃに泣きながら、それでもどうしても伝えたくて、必死に声を震わせる。

 

「……っ……う゛ぅっ……っ、ちっちがうんです……!」

 

「はっ、初めて、なので……」

 

 言った瞬間、自分で自分の言葉にびくっとなった。今の一言に、自分で爆弾を仕込んだみたいな気分になる。あぁ、そっか。熱くなった目じりは、そういうことか、と気づいてしまう。

 

「…………はじめて?」

 

「ッ……はい……」

 

 電話の向こうの春樹くんが、少し息を飲んだ気配がした。

 私は枕をぎゅっと掴みながら、震える口をどうにか動かす。唇が勝手に震えるのを感じながら、それでも続ける。

 

「むっ、無理って、言われると、思ったんです……」

 

「………………」

 

「受け入れて、貰えるなんて……思えなかったから………!」

 

「……ひとり」

 

 電話をしたいなんて、自分から言ったことなんてない。虹夏ちゃんたちにすら、自分から遊びたいですの一言を、メッセージで言えた事も無い陰キャなんだから。

 眠れないだなんて、素直に打ったこともない。

 誰かに「話してほしいです」なんて、願いを投げたことだって、今まで一度もなかった。

 

 だってもし万が一、それで無理って言われたら。

 

 そうなれば、やっぱり私は多分二度とそれが出来なくなるってわかってたから。自分みたいな、そんな人間が調子に乗るような事したらダメなんだ、って思っちゃうから。そう、思い込んでたから。

 

 私はいつもそう。

 

 だけど。

 今日だけで。ううん、三日前から────そんな私の当たり前を、さも当然の様に、春樹くんだけは、受け止めてくれた。

 そういう私の「初めて」を、いつもあっさり「いいよ」って受け取ってくれた。信じられなかった。嬉しすぎて、怖いくらいに。

 

 心の奥で、カチカチに凍っていた部分に、いきなり春樹くんの体温が流れ込んできたみたいで、そこから一気にひび割れが広がっていった。

 

 だから、きっと私は思うようになったかもしれない。

 信じたい、って。この人になら、甘えても怒られないって。

 だって実際に、春樹くんは出会ってからずっとずっと私みたいなダメ人間を大切にしてくれた。肯定してくれた。甘やかさずに、何度も背中を押してくれた。

 

「…………受け入れるよ。大丈夫だよ」

 

 少しの沈黙のあと、落ち着いた声が降ってくる。布団の上に、ふんわり毛布を掛けてくれるみたいなトーンで。

 

「…………っ……」

 

 胸の奥に残っていた何かが、その一言でふわっと解けていく。

 

「ぅ゛……あっ……ぅぅっ……」

 

 思わず、声を上げてしまう。もう駄目。今日、無理だ。

 今日だけで、何回私は泣き出すんだろう。数えるのも嫌なくらい、いっぱい泣いてる。きっと、人生で一番泣いてる日かもしれない。

 荒くなる息と、引き締められる胸。それはまるで、心臓の鼓動と一緒に、涙と一緒にリズムを刻んでいるみたいだ。

 

「あっ……春樹、くん、………っ、う゛ぅ〜〜……!」

 

 嬉しいとか、寂しいとか、申し訳ないとか、安心とか、全部がぐちゃぐちゃになって溢れ出す。

 もうこれが、自分でも何の涙なのか分からない。水滴の一粒一粒に、今までの全てが景色みたいに映り込む気がする。

 

 喜多ちゃんのことも。

 

 私自身の人生で初めて人を好きになって、生まれて初めて、この人とずっと一緒に居たいと思えたことも。

 虹夏ちゃんやリョウさんにも、勇気を出して相談だってできたことも。

 

 私が、私自身を────ほんの少しだけ、赦せるようになったのも。

 

 ずっと泣いていた幼い頃の「私」を見つけることが出来たのも、全部全部春樹くんのおかげ。この、私の五感とか、遺伝子とか、そういう全部に届きそうなくらいに優しい彼のおかげ。

 だから思ってしまう。

 こんな風に、声が聴けることを、許されていいのかなって。考えてしまう。今日だけで、しあわせが多過ぎて、怖くて仕方ない。だからきっと、涙が止まらない。

 でも、ひとつだけ分かることもある。

 この涙は、ひとりぼっちの夜にこぼす涙じゃないってこと。電話の向こうに、私を受け止めてくれる誰かがちゃんといるんだってこと。

 

「………ふふっ、思った以上にひとりは……ほんとうに、泣き虫なんだな」

 

 困ったような、でもどこか優しい笑い声が、受話口から漏れる。

 

「っ…………!!」

 

 恥ずかしさで顔がさらに熱くなる。なのに、涙は全然止まらない。顔面から感情が漏れていくみたいで、本当にどうしようもない。

 

「……っ、ごめん……なさい……ごめんなさい……」

 

 謝るしか出来なくて、何度も何度も繰り返す。電話に向かって謝るなんて、変なのに。

 

「わ、私も、泣きたく、無いんです。でも、止まらなくて……! 普段、こんなに泣けたりしないのに……!!」

 

「………分かってるよ。大丈夫。………泣いていいよ、いっぱい泣けばいいよ」

 

「…………!!」

 

 あまりにも温かくて仕方がないそんな許可に、胸の奥の壁が音を立てて崩れる。

 

(こんなの、ずるい……ずるいです、春樹くん………)

 

 いつも、いつもそう。

 この人は、安心させるみたいな言葉ばかり言う。泣く理由なんてないって思っていたのに、「泣いていい」なんて言われたら、もうどうしようもない。

 独りぼっちで泣く時の涙は冷たいのに、春樹くんの前で泣くときは、少しだけその温度が違う気がする。胸の奥がじんわりと温まって、その熱で心が溶け出しているみたいに。

 

「うぅっ……ご、ごめんなさい……こっこんな、いきなり……涙が出てきたことなんかないのに……」

 

「本当に……気持ち悪いですよね。ごめん、なさい……」

 

 自分で言いながら、胸がずきっと痛んだ。

 私が私を一番ひどく扱ってるみたいで。

 

「そんなことないよ。気持ち悪いわけあるもんか」

 

 そうしたら、きっぱりとした声が返ってくる。

 

「…………良いじゃん。弱くたって」

 

 少しだけ、言葉を選ぶみたいに間を置いてから、続きが落ちてきた。

 

「同じくらい、君は強いところが在るんだよ? 俺は君の、強さに救われたんだからさ」

 

「え……? 私が……強いなんて、うっ嘘ですっ……」

 

 思わず、何度も首を振る。布団の中で、髪がばさばさ揺れた。

 

「わ、私みたいなミジンコド陰キャなんか、強くなんか……!」

 

「君が君自身を否定しても、俺は何度だって君を肯定する」

 

「……!!」

 

 思わず、息が詰まる。目を見開いたまま、動けなくなる。

 

「なんで、そんな……っ」

 

 言葉を重ねようとするほど、涙が邪魔をする。

 今日も、喜多ちゃんのことで心が折れた時も同じ様に言ってくれた。でもどうして。そもそも、なんでそんなに。

 

「………何でって────そりゃ、俺にとって君は、ヒーローだから。何度も言ったろ? 公園で、ほら。昨日の時とかも、一番最初の告白の時とかも」

 

「そうだろ……ギターヒーロー」

 

 柔らかく笑ったような声で、最初の時から気付いてくれていた、私のもう一つの呼び名を彼は呼ぶ。心臓が、大きく一回跳ね跳ぶ。

 

「っ……!!」

 

 胸の中で、何かが弦を弾かれたみたいに震えた。

 ギターの弦が鳴る瞬間と同じ、びりっとした感覚が全身に走る。違う。私は、そんなんじゃ。

 

「や、やめて下さいっ……!」

 

「わ、私は、そんなんじゃないんです! 虹夏ちゃんもそう言ってくれてました………でも、あ、あの時から本当は、分かってるんです。思ってるんです!!」

 

 喉が焼けるみたいに熱い。口から飛び出す言葉を、自分でも止められない。

 自分が、本当はいちばんよく分かってる。

 

「ね、ネットの中でしか、所詮、私には………その名前を使えないんだって……!」

 

 そうだ。現実では、私はただのコミュ障ぼっち。

 ギターヒーローなんて名前は、オーチューブの中にしかいない。

 

「……………………じゃあどうしてその名前をつけたの?」

 

 静かな問いが落ちてきた。

 

「ッ………!!」

 

「そ、それ、は……………」

 

 涙でぐしゃぐしゃの目を、思わず見開ききってしまう。どうして。

 そもそも私は、何であの時、その名前にしたんだろう。

 数時間前に、喜多ちゃんが私に言ってくれた言葉が、脳裏に浮かぶ。

 

『私にとっての、ひとりちゃんはね。あの日、一際輝いてた光みたいに、星座みたいに』

 

『誰よりも輝いている、一番星みたいで。かっこよくて、素敵で────誰よりもみんなを照らす光のような』

 

『─────そんな、ヒーローみたいな、ひとなの』

 

 そうして、自分で彼女に言った言葉も思い出す。

 脳を駆け巡る「ヒーロー」という言葉。一番星を眺めて、自分の中でも意志を伴って伝えた言葉を。

 

『私、最近思うんです。喜多ちゃんも、そう言ってくれるなら……私自身、もっと頑張って、輝き続けなきゃいけないなって』

 

『……みっ、みんなにとっての』

 

『喜多ちゃんにとっての、ヒーローに……私みたいな人間でも、なれるなら、ならなきゃいけないなって』

 

 そうだ。私は確かに、喜多ちゃんにそう伝えた。

 喜多ちゃんがあんな風に、ずっと私を見てくれていたなら。それなら私は、と更に強く目を見開く。

 

「……なりたかったんじゃないか? 本当は」

 

「………………………ほんとう、は」

 

 彼の一言が深く深く、突き刺さる。

 

 心の奥の、ずっと鍵をかけていた扉に、ガツンと音を立ててぶつかっていく。その瞬間、頭の中でいくつものシーンもまた、一気にフラッシュバックする。

 あの日、たまたまフェスをテレビで眺めたあの瞬間。画面の中のバンドマンが、ステージの真ん中で「バンドは陰キャでも輝けるんで」と呟いたあの言葉。その彼の台詞だけを胸に、お父さんの重いギターストラップを肩に掛けたあの瞬間。

 

『バンドを組めば、私みたいな人間でも、もしかしたら輝ける……!?』

 

 初めて虹夏ちゃんに声をかけられて、リョウさんとも一緒に三人でインストバンドをした時。初めて、現実にも私を見てくれる人がちゃんと居ると認識できた刹那。

 

『こんな優しい人が、ずっと見ていてくれた。私なんかに声をかけてくれた。こんな奇跡、多分一生起こらない。絶対無駄にしちゃダメだ……!!』

 

 金沢で、たまたま出会った廣井お姉さんと音を合わせた日。ずっと、怖くて顔を上げられなかった。

 でもお姉さんがくれた言葉がきっかけで、勇気を出して片目だけでも視界を開けた時。お客さんの笑顔を見て、胸がざわついた瞬間。頑張れって、観客として見ていてくれたお姉さんが言ったあの言葉。

 

『────頑張れ?』

 

『………そうか。初めから、敵なんて居ない。私が、勝手に───』

 

 その時に、思ったこと。

 心の底から、本気で願ったこと。─────私は。

 

(みんな、笑顔。これからたくさんライブしたら……もっと、こんな顔が見れるのかな)

 

(見れたら……いいな……!)

 

 そうだ。そう、心から思った。そうなれたならば。

 それが、結果的に「ヒーロー」になりたいと願う現れだというのならば。

 

 思えば私の全ては、いつだって「なりたい」から始まっていた。

 

 私は、ずっと、ずっとなりたかったんだ。

 

 ギターヒーローって名前は、かっこつけでも、冗談でも、ネットの中のあだ名なんかでもない。────そうだ、とやっと気付く。

 それは言うなれば、ギターを握ったあの瞬間の私が、勇気の代わりにそっと握りしめた、小さなヒーローごっこみたいなものだったんだって。

 そうして胸の奥に押し込めていた本音が、涙と一緒に溢れ出す。

 

「…………ッう、うっ」

 

「そ、そうです……!! ほんとうは、本当は……なりたかった……」

 

「なりたかったんです……!!」

 

 声が上擦る。鼻も詰まる。だけど止めない。

 もう、止めようもない。怖かった。出来なかったらどうしようって。笑われたらどうしようって。だけど、でも、それでも、この人にだけは、伝えたい。

 分かっていて欲しい。私の、全部を。

 

「本当は、みんなに認められて……!! みんなに、必要とされる、ヒーローになれたらって!! でも、でも怖くて……!」

 

「怖がる必要なんて、もう、ないんだよ?」

 

「………え?」

 

 涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、息が止まる。

 

「………だって、もう、なってるよ。俺にとって」

 

 間を置かずに、静かな声が続く。

 

「君は────もう、十二分過ぎる位に、ヒーローだよ」

 

「………!!」

 

 胸がきゅっと締め付けられて、苦しいのに、同時にとんでもなく温かかった。

 胸の中に、小さな朝日みたいなものが灯る感覚がする。

 

「わ、私、が………本当に、嘘じゃ、ないんですか………? し、信じても、いいんでしょうか……?」

 

 縋るみたいに、声が震える。

 春樹くんは、そのまま続ける。迷うことなんて、まるで無いみたいに。

 

「嘘なわけ。今日だって、何回かそれ、伝えてるだろ」

 

「………でも、信じるのが難しいのも、無理は無いよな」

 

「それは、分かるよ。自分の価値なんて、自分が一番信用出来ないものだから」

 

「でも君は……実際にひとりは、今日すごくそれを証明してたんだよ? 喜多さんに対して、ひとりなりに一生懸命向き合って、あの子を助けようとしてただろ? 自分の意思で」

 

「だから俺、思うんだ」

 

「……は、はい」

 

「きっと多分、虹夏だけじゃないよ。……リョウも、喜多さんも、きっとそう思ってるんじゃないかな」

 

「………え………」

 

 言葉の意味を飲み込むのに、少し時間がかかった。

 

「あの日、あの時、あの文化祭さ……ギターの弦が切れた君を、リョウや虹夏は目配せだけでフォローし合い、加えて咄嗟のアドリブで喜多さんがギターソロでその場を繋げていたよな」

 

「!! あ、あの演奏、アドリブだって、春樹くんは………気付いてたんですか……!?」

 

「見る人間が見れば分かるよ。君のギターの弦切れも、すぐに分かった。これは告白の時も話したと思うけどね」

 

「でも……そんな君を、必死にあの三人は支えていた」

 

「それはきっと………君が台風ライブの日に皆の背中を支えたからだ」

 

 あの最悪の台風の日。お客さんのいないライブハウス。びしょ濡れで、それでもやりきったステージ。

 

「支えてくれた君に、ヒーローの君に応えたかったからだよ」

 

「──────!!」

 

 虹夏ちゃんが、リョウさんが、喜多ちゃんが、あの秀華祭のステージの上で向けてくれた表情が次々に浮かぶ。あの日のステージライトの光が、今さら胸の中でまた灯り直したみたいに。

 知らないところで、ちゃんと見てくれていた。

 ずっと、ずっと。

 

 世界はきっと、そうやって、回っているんだ。

 

 私は、そう心の中でやっと気付く。見開いていた瞳を静かに伏せて、私は袖で目元を何度も拭う。

 そして、春樹くんに告白された日に、心の底から思った事。

 誓ったこと。

 そう。アレも、私にとっては、『自分の願い』から生まれたものなんだと確かに思い出す。たった一つの、私の願い。

 未来を信じられなかった私が、ほんの少しだけ前に進んでみたいって初めて思えた時。

 

 皆が信じてくれた────『ヒーロー』。

 

 ヒーローにただただ憧れていただけだった私が、心の底から皆に応えたいって思った。皆の為に、胸を張れる自分に。皆に心から、皆のおかげで変われたって言えるようになるんだって決めたあの瞬間。

 

「…………春樹、くん」

 

「虹夏ちゃんは、私に、言ってくれたんです」

 

「……ん……?」

 

「これからも、沢山見せて欲しい、って」

 

 あの日の、居酒屋前で虹夏ちゃんが、言ってくれた“合図”。

 そして、“約束“。

 

 

『でもあたし、確信したんだ! ぼっちちゃんが居たら夢を叶えられるって!』

 

『だからこれからもたくさん見せてね!』

 

『ぼっちちゃんのロック……』

 

『────ぼっち・ざ・ろっくを!』

 

 

「わ、私だけのロックを……」

 

「ぼっち・ざ・ろっくを、見せて、欲しいって……!!」

 

 私のロックを、って言ってくれた。私の名前を冠したみたいな、その言葉。その意味を、やっといま心から理解出来たように思う。

 

「……………ぼっち・ざ・ろっく、か。そっか、そういう、意味なんだな………虹夏のやつ」

 

「え……?」

 

「……んーん、なんでもないよ。でもほら、な? 虹夏は、少なくとも……間違いなく思ってるだろ?」

 

「………はい」

 

 涙を指の背で拭いながら、はっきりと頷く。

 

「………リョウや喜多さんも、きっと少なからず近いことを思ってる。だから、アイツらは……ひとりを守るために、俺と会ったばかりの時に……半ば無理やり俺と話すような事してたし」

 

「……えっ、あ、えっ、そ、そうなんですか!?」

 

 思わず声が裏返る。知らないところで、そんなことがあったなんて。

 

「……ごめんな、言ってなかったけど、実はそうなんだ」

 

「でも、少なくとも、ひとりを本当に大事に思ってなきゃ……俺に対してあんなに牽制は掛けてこない」

 

「ハッキリわかったよ。あいつら、本当にひとりのことが好きなんだなって」

 

「………」

 

 胸の奥が、じん、と温かくなる。涙とは違う種類の熱さ。

 冷たくなりがちだった自分の世界に、小さなストーブがいくつも灯っていた。どれだけ自分の視野が狭かったのか、驚く。

 

「だからさ、ひとり。言ったろ。ちょっとずつでいいんだ」

 

「へ………」

 

「少しずつ、君を信じる人の言葉を、君自身が、君を信じられるように、これから……一緒に頑張ろ? ひとり」

 

「………………」

 

 半年間過ごしてきた日々が、頭の中でゆっくりと繋がっていく。ライブの光景、スタジオで笑い合った時間、三人の顔。

 バラバラだった星が、線で繋がって、ひとつの星座になっていくみたいに──私の世界が、少しずつ形を持って浮かび上がっていく。

 

「………………………は、はい!」

 

 今度の返事は、小さいけれど、ちゃんと自分の意志を乗せて出せた気がした。

 すると、くすくすと笑う声が、スピーカー越しに響いてくる。

 

「………っ、あはは。……しっかし、電話しただけでそんな感涙されてしまうとは」

 

「あっ、えっと、あっ、ご、ごめんなさい……こんな、情けない姿を……」

 

 顔がまた熱くなって、枕に半分顔を埋めながら言う。

 

「ただ、電話、かけただけなのに。声が聴けたら、どうしてかすごく、落ち着いちゃって、勝手に、泣けてきちゃったんです………」

 

「……………ひとり……」

 

 名前を呼ぶ声が、さっきよりも少しだけ近く感じた。

 

「……………あっ、へ、へ、変、ですよね。す、すみません……」

 

「ううん。そんなことないよ。俺、そんなに求めてもらえたこと、無いからさ」

 

「すげー嬉しいよ」

 

「………!!」

 

 胸の奥がじわっと熱くなる。今度は、さっきまでとは違う涙が滲む。キリが無い。

 

「あ……っ、はい………あ、ありがとう、ございます」

 

 幸福感で胸がいっぱいになる感じって、こういうのを言うんだろうな、ってぼんやり思う。胸の中で、ふくらんでいく風船みたいな感情を、今だけは誰にも針で刺されたくない。心の底から、そう思う。

 

「んーん。…………そういえば、何の話、してくれようとしてくれてたの?」

 

「あ、そ、そうでしたね……」

 

 現実に引き戻される。

 さっきまでぐちゃぐちゃになっていた頭の中が、少しずつ整理されていく。

 

「あの、実は……さっき、聞いてくれましたよね。ボーカル、やったりしないのかって」

 

「うん。そうだね」

 

「私、ギターをやり始めたきっかけは話したと、思うんですけど……二日前に、学校の屋上で」

 

「うん」

 

「……そ、それで、その、実は喜多ちゃんに……半年前、言われたことがあるんです。後藤さんも、ボーカルをやってみて欲しいって」

 

 あのときのスタジオの風景が、さっきと同じ形で昨日のことみたいに鮮明に蘇る。アンプの音、喜多さんのまっすぐな瞳。

 

「なんて返したの? その時は」

 

「あっ、無理、って言っちゃいました………そんな勇気、絶対ない、って」

 

「…………そうなんだ。─────でも……本心は?」

 

「………!」

 

 問いかけの仕方で、もう全部お見通しなんだろうな、って分かってしまう。

 この人は、いつもそうだから。

 

「……ほ、本当は……」

 

 枕に顔を半分押し付けたまま、言葉を紡ぐ。

 誰にも言えなかった言葉。でも、この人にだけならきっと言える本当の私。

 

「私が本当に思い描いていた自分は、最初に、ギターを始めた中一の頃から……」

 

「………ずっと、ボーカルも、ギターもできるギタリストでした」

 

 自分で言って、耳まで熱くなる。こんなこと、やっぱり誰にも言ったことがなかった。

 

「……そっか。まあ、本心は、やっぱそうだよな」

 

 受話口の向こうで、春樹くんが小さく息を吐いた音がする。

 

「……はい。……む、無理だって、勝手に諦めたんです。逃げてたんです。でも、今日、春樹くんと話せて……」

 

「あっちょっとだけ、勇気が出たかもしれない、です」

 

「…………」

 

 僅かな空白。

 私は顔を少しだけ上げて、彼の言葉を待つ。

 

「俺、見たいな」

 

 ぽつりと落ちたその一言に、心臓がまた跳ねる。

 

「え……?」

 

「もちろん、今の喜多さんがボーカルをやる結束バンドも大好きだけど」

 

 一拍だけ置いて、続きが届く。

 

「見てみたいんだ」

 

 

 

 

 

「君が、虹夏達と一緒に演奏しながらボーカルをやる、唄う姿も」

 

 

 

 

 

「………!!」

 

 誰かに、そう言ってもらえる日が来るなんて、思ってもみなかった。

 

 胸の奥で眠っていた小さなステージが、スポットライトを浴びて立ち上がる。客席はまだ真っ暗なのに、それでもそこに立ってみたいって、確かに思ってしまう。

 

「……本当に、そう、思ってくれているんですか……?」

 

「世界で一番、心から誰よりも思ってる。断言する」

 

 迷いもしない即答。だって俺は、と彼はつぶやく。

 

「誰よりも、ひとりを信じてるから」

 

「……………ッ!!」

 

 胸が張り裂けそうなくらい、ぎゅっと締め付けられる。

 それなのに、苦しいだけじゃなくて、それはどうしようもなく嬉しい。

 こんなにも、誰かに信じて貰えた瞬間なんて、きっと無い。だから、何も考えられずただ私は問い掛ける。

 彼と、春樹くんと、まるで背中合わせに話してるような気分になりながら。

 

「ど、どうして、……………どうして、春樹くんは……っ」

 

「いつもそんな、私の、欲しい言葉を言ってくれるんですか………?」

 

「……あはは。それ、前も言ってたな」

 

「聞いたぞ、虹夏達から。褒められすぎると、調子乗っちゃうからあまり甘やかしちゃダメだよって」

 

「褒め過ぎも、良くない?」

 

「!」

 

 思わずクスッと笑ってしまう。

 泣き顔のまま笑うなんて、絵面的にはひどいはずなのに、今だけはどうでもよかった。

 

「そ、そうなんです……うへ、うへへへ。……でも、でも春樹くんは特別なんです」

 

「どんな褒め言葉も、全部受け入れられる。叱ってくれるし、褒めてもくれる、全部を見てくれるって、思えて……!!」

 

「………うん。そうだな。だって、ずっと俺は君のこと、見てきたからさ。初めてのSTARRYのライブのあの日から」

 

「……………」

 

 涙を何度拭っても、すぐに滲んでは止まらない。

 だけど、その涙はさっきまでみたいな「自己嫌悪」から来たものじゃない。それだけは分かる。

 

「そう、ですよね……あの時から、ずっと、こんな私のこと………ありがとう、ございます。本当に」

 

 ふとつぶやく。

 何気なく、私は三角座りをしたまま天井を眺めながら。

 

「不思議、ですよね」

 

「春樹くんに言われると、ほ、本当に私、どうしてか、凄く頑張れそうな気がするんです」

 

「……そうか??」

 

「……はい。自分のことで信じられるのは、わ、私には正直、ギターだけです。私には、それだけなんです」

 

「でも、私以上に、私を見てくれる春樹くんの言葉なら」

 

「私は、どうしてか、信じられるんです」

 

「……ひとり……………」

 

 静かに私の言葉を受け止めてくれる気配がする。

 ギターの音は、自分の指先と弦から生まれる。だからこそ思う。

 それを選ぶのは自分自身。

 誰に届くのか、果たして本当の伝えたい音が届くのか。

 それは全く分からない。

 その音がどこまで届いているのかも、自分じゃ分からない。でも、言葉もきっとそうだ。同じこと。

 だからこそ、心から私は思う。

 こうして「届いてるよ」って言ってくれる人がいるのが、何より怖くて、何より嬉しいんだと。

 

「はっ、春樹くん」

 

「ん?」

 

 胸元へ左手で拳を開いては、ぎゅっと握り込む。

 目元を伏せて、自分自身にその決意を取り込むように、私は宣言する。

 

「……私、頑張ります。頑張りたいんです。できる限り、もう、逃げません」

 

「だから、これからもっと……こんなミジンコみたいな情けなくて、ド陰キャで……ギターしか取り柄がないような、承認欲求の塊みたいな私ですけど」

 

 

 

「…………こっこれからも、こんな、私を、見ててくれますか……?」

 

 

 

 今まででいちばん、はっきりとした願いを、言葉にしてしまった。

 胸の奥にしまっていた「見てほしい」という黒い塊を、そのまま差し出してしまったみたいで、怖くて仕方がない。でも、もう引っ込めたくない。

 

「うん、もちろん。これからだって、ずっと、ずーっと、応援するよ」

 

 だけど、春樹くんはやっぱり、いつもの春樹くんだった。

 私と一緒に、こころから本心で一緒に歩いてくれる。

 歩幅を合わせて、背中を押してくれて。だから、思わず声が弾む。

 

「……っっ、は、はい!!」

 

 本当に、不思議。

 顔は見えないはずなのに、笑顔になるのを止められないんだ。私。

 

「……なぁ、ひとり?」

 

「は、はい」

 

「…………ひとり、さ。会ったばかりの時に比べて、まだそんなに経ってないかもだけど……なんか、少し、変わった?」

 

「………あっ、は、はい。そう、なのかな。ほんの少しは、変われたかもしれません」

 

 自分でも、なんとなく思う。

 明らかに、今までの私からは何かが変わってる気はする。今日帰る時も、薄々そう感じてたから。でも、それをハッキリと言葉にはまだ出来ない。

 それにそれは、私だけの力なんかじゃない。

 

「でも、だとしたらそれは、虹夏ちゃんや、リョウ先輩や喜多ちゃん……」

 

「春樹くんの、皆のおかげです」

 

「…………そっか。良かった」

 

 満足そうな、優しい息遣いが届く。

 

「……あ、あの。今度は、私も、聞いてもいいですか?」

 

「ん……? どうしたの?」

 

「そ、その、………どうして、さっき、あの質問をしたのかな、って、思いまして。その、ボーカルの……話を」

 

「…………」

 

 少しだけ、向こう側が静かになる。

 私はじっと布団の皺を見つめて、ただそれを待つ。

 

「…………………………何となく、思ったんだ。似てたから」

 

「似てた……?」

 

 思わず私は眉をひそめる。

 それは、どういう意味なんだろう。無意識に首を傾げる。

 

「ボ、ボーカルの話、がですか? ……私と、誰かに?」

 

「…………ひとりが、俺の憧れた人に、よく似てるんだ」

 

「────昔、バンドをやってた人。その人も四人組のバンド。昔はギタリストで────ボーカルも、やってたから」

 

「めちゃくちゃ人気なバンドだったんだ。アニメやドラマ、主題歌もやったことあるような、そんなバンド」

 

「えっ、そ、そうなんですか!? そ、そんな凄い人とわ、私みたいな人間なんて……!」

 

 全力で首を振る。畏れ多すぎて、布団の上でひっくり返りそうになる。

 

「いや、ほんとによく似てるんだ、多分……気のせいな、気もするけどさ」

 

「あの日、文化祭でボトルネック演奏をしてた、あの時の君と、似てたから」

 

「………??」

 

 何のことか全然わからない。でも、少しだけ胸がそわそわした。

 そのとき、急に向こう側の気配が薄くなる。

 

「………? は、春樹くん……?」

 

「…………」

 

「あっあの、春樹くん?」

 

 少しだけ不安を感じて、もう一度彼を呼ぶ。

 呼び掛けても返事がこない数秒。どうかしたのかな。

 

「……えっ、あっ、ごめん」

 

「あっ、だ、大丈夫ですか? き、急に黙るので、びっくりしました……」

 

「……ごめんな。少し、考え事」

 

「…………何となく、それだけだよ。君と、その人が似てたから、何となく気になって、聞いてみたんだよな」

 

「……そ、そうなんですね」

 

 何か引っかかるものを感じる。

 だけど、それは何となく今は深く聞くべきことじゃないように思えて、口を(つぐ)む。でも、遠回しにならいいかな。そう考えて、ふと聞いてみる。

 

「あっその、その人は、春樹くんにとって……どんな人なんですか?」

 

「……………」

 

 明らかに、春樹くんの考える間が長くなっている。だからだろうか。これはきっと、春樹くんに大切な『何か』の事なんだろうな、って私は何となく直感した。少しの沈黙のあと、短い答えが返ってくる。

 

「─────────憧れなんだ。俺の。ずっと……」

 

「え……!? は、春樹くんの、憧れ……の人、なんですか?」

 

 憧れ。それを聞いて、どうしてかはよく分からない。けど、胸がどうしようもなくザワつく感覚を覚えた。

 

「………この話は、また話すよ」

 

 彼は私の質問に対しては、答えない。

 代わりに、呟く。

 

「そろそろ寝ようぜ。あんまり、夜遅く夜更かしさせたくないしな、君を」

 

「あっ」

 

 慌ててスマホの時計を見ると、針はいつの間にか二十三時を回っていた。そういえば、ギターの練習もしてない。

 

「そ、そうですね……すみません、こんな時間まで」

 

「ううん。電話、断られると思ってたし。普通にめちゃ俺も嬉しかったよ。……ありがとう、ひとり」

 

「い、いえ……! そっそれは私のセリフです。こちらこそありがとうございました。春樹くん……!」

 

 名残惜しさを噛みしめながら、スマホを強く握る。

 

「………おやすみ」

 

 少しだけ切なげな声色で、春樹くんはそう電話越しに呟く。

 それだけで、ただ堪らなく胸が締め付けられる。また、心臓がゾワゾワと指でなぞられる。切なくて、愛おしくて、だけどそれを必死に堪える。

 

「……おやすみなさい。また、連絡しますね。必ず……」

 

 そうして、私は囁くように返す。

 

「今度こそ、また明日……です」

 

「………あぁ。また明日」

 

 通話の終了ボタンを押す前に、私はスマホを額にそっと押し当てた。

 

「──────大好きです…………」

 

 また、そうして誰にも聞こえないくらいの小さな声で、そっと零す。本当の、私の気持ちを。

 

「………!」

 

 その直後、受話口の向こうから、息遣いが確かに響く。「……………うん。俺もだよ」って。

 通話が切れたあとも、耳の奥にその残響が残り続けていた。

 そのまま戻ったホーム画面をぼんやり眺める。通話時間は四十五分、と出ていた。私は大きく息を吐く。こんなに誰かと電話で話したのは、初めてだった。

 終わってみると、驚くくらい、自然な感覚。いつもの時間に戻ってきたような、そんな感覚だった。

 

「…………ふぅ……」

 

 不思議な、感じだ。きっと人生で未だ感じたことの無い、そんな感覚もある。充足感、っていうのかもしれない。

 だけどそれが決して物足りないとか寂しいとか、そういう感情とかでは全く無くて。

 ただひたすらに、それが幸せってものかもしれないとか、何となく私はそう思う。

 今日の、ギターの練習、やらないと。

 涙をタオルで拭いて、少し遅めのお風呂に向かう準備をする。

 

 廊下の向こうから、かすかに水の音が聞こえた。

 

(……ば、バレてないよね、これ……)

 

 胸のどきどきはまだ収まらないままだった。さっきまで耳元にあった彼の声が、まだ耳の裏に張り付いて離れそうもない。

 

 

 

 

 

 

 

 お風呂から上がって、髪をタオルで拭きながら洗面所の扉を開けると、階段のところにお父さんとお母さんが並んで立っていた。

 

「わっ! お、お父さんも、お母さんも……こんな時間まで何してるの?」

 

 思わず声が裏返る。さっきまで電話していたことが、額に貼りついているんじゃないかってくらい緊張する。

 

「ううん。二人で少し話してただけよ〜」

 

 髪を下ろして寝巻きのお母さんはやけにニコニコしていて、お父さんはいつもより口元がゆるい気がする。

 

「……寝ましょうか、お父さん」

 

「……そうだね。おやすみ、ひとり」

 

 お父さんは、通り際にそっと私の頭を撫でていった。その手つきが何となく優しすぎて、余計に心臓に悪い。

 

「う、うん……? ……お、おやすみ」

 

 二人を見送ってから、自分の部屋へ戻る階段を上る。

 

(なんか……絶対、何か知ってる顔だった……)

 

(ま、まさか、ね)

 

 ドキドキする心臓。はやし立ててくるそれを抑えるように、押し入れに入り込む。しっかりとうるさくないように襖もがっちり閉めてからヘッドホンを付け、日課のギターの練習を始める。

 レスポールのネックを握ってみると、指がいつもより少しだけぎこちなく感じた。

 動かないわけじゃない。ただ、さっきまでスマホを握りしめていたせいか、指先の関節がまだ春樹くんの言葉を握って離したがらないみたいに、妙に固い。

 

「……………」

 

 私は何となくノートパソコンの手前に置いてあるピックケースを開けて、いつもの柔らかめのやつじゃなく、少し硬めの、ぱきっと輪郭の立つヘビータイプを迷わずつまみ上げる。

 さっき胸に刺さった言葉の “芯” みたいなもの。

 

 それを、ただそのまま音にしたかった。

 

 柔らかくごまかして鳴らすんじゃなくて、ちゃんと輪郭を持った音で、今日の気持ちを刻みつけたかった。ギターって、やっぱり不思議な楽器だなって、ふと思う。

 

 リョウ先輩も、確か演奏の音から私の迷いを察していたっけ。

 あの時、凄いなって思ったけど、でも考えてみれば、何となく分かる気もする。思い返すと私にも、その瞬間はある気がする。

 音に出るんだ、こういうのって。常に変化する低音と高音。一音鳴らすたびに、「君はもうヒーローだよ」という春樹くんの言葉が、弦の上を走り抜けていくような感覚。

 メトロノームを使ってない筈なのに、鳴り響く心臓の音が、妙に正確にクリックと共鳴する。

 その時、コードを押さえる左手の指先が、じんと痛む。

 

「いたたっ」

 

「……………ふふっ」

 

 つい小さく呻いて、爪先を離す。

 だけど私は、何となくその鋭い痛みに自分で苦笑してしまう。まるでそこに一日の出来事がマメのひとつひとつへ詰め込まれているみたいで、何だかその痛みすらも、少しだけ誇らしく思えたからだ。

 弱々しいカッティングをしたら、さっきもらった言葉まで弱々しくなってしまいそうで。

 だから、敢えてピックの角を立てて、もう一度少し強めにストロークする。

 ザクッ、と空気を切り裂くような手触りの音が、狭い自室の中に小さく散った。

 アンプのボリュームは、家族に怒られないくらいの小さな音。

 それでも、弦を弾いた瞬間に指先から腕を通って胸まで伝わってくる振動は、誤魔化しようもなくリアルだった。

 

 

 

 

 

 

 

 一時間ほどの練習を終えて、布団に潜り込みながら、ため息を一つ着く。ここ数日、練習に気が回らなかったこともあって最低でもそれだけはやり込んだ。

 本当はもう少しやりたかった。でも、流石に今日も色々なことがありすぎて、脳がそれを拒んでいるのを感じた。それも相まって、私は演奏を諦めて、そのまま押し入れから再びモゾモゾと布団に入り込む。

 

「…………………」

 

 喜多ちゃんの泣き顔。見上げたときの春樹くんの切なげな笑顔。一緒に食べた唐揚げ棒の味。リョウさん、虹夏ちゃん、喜多ちゃんの皆で春樹くんの結束バンド参加を祝った時間。

 今日一日の出来事が、映画のフィルムみたいに、また頭の中をぐるぐる回り続ける。リピート再生を止めるリモコンがあったら、今すぐにでも押したいのに、指はもう動きそうにない。

 眠れそうにない。けれどそれは、さっきまでとは違う意味で、だ。

 いつもの癖で、スマホのミュージックアプリを開く。指先でプレイリストをスクロールして、自然とある曲のタイトルで止まる。画面には『転がる岩、君に朝が降る』という文字。

 

「…………………」

 

 それは、聞き慣れたタイトル。聞き慣れたイントロ。

 スリープタイマーを設定して、再生ボタンをタップ。やがて、瞼を閉じる。

 スピーカーから流れてくる小さな声は、いつも通り、優しくて、まっすぐで。

 

(────ボーカル、か。そういえば、この曲のボーカルやってた人、なんて人だったかな)

 

 どこかで、苗字だけ聞いたことがある気がする。

 でも、どんどん眠気が襲ってくる。なかなかそのせいで、思い出せない。

 あれは、誰だっただろうか。テレビの中か、誰かの口からか。

 

(……あれ。この声の人って……誰かに似てる、気がする)

 

 ギターの音色に乗って届いてくる歌声が、ふっと「彼」の声と重なった。

 胸の中で、さっきの「世界で一番、誰よりも思ってるよ」という言葉がリフレインする。

 

「春樹、くん……」

 

 名前を心の中で呼びながら、私はゆっくりと眠りに落ちていく。

 転がる岩に、静かに朝が降りてくるように。

 私の夜にも、心の中にも。

 

 そうして、少しだけ柔らかい光が差し込んでいた。

 

 

 

 

 

 








 長過ぎる…でもコレはすみません、今回も切れる所なかった。
 
 そして、ぼっちちゃん、言えちゃった。とうとう自分の本当のやりたいこと。このシーンも覚えといてくださいね、読者の皆様。

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