ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #37 「STARRYの裏方ヒーロー」(後篇)

 

 

 と、思ってた時期が私にもありました。

 結論から申しますと前回とそんなに変わらなかった。というか、何なら営業時間が終わってみて思ったことは、喜多ちゃんの時よりコンプレックス拗らす結果になりました。あゝ。やっぱり死にたい。ツチノコになりたい。

 

 時間を巻き戻して、営業時間十五分前。

 

「じゃ、ぼっちちゃん。軽くドリンクの流れ、説明してあげてね」と虹夏ちゃんが私の方を向く。

 

「あっ、はいっ……!」

 

 心臓がまた跳ねる。

 私はカウンターを回り込んで、相変わらず何も焦った様子が無い春樹くんの方へ歩いていく。

 距離が近づくたびに、変な汗が出てくる。隣に立たれるだけで心臓が変にきゅっと締まる。ちゃんと教えるのなんて、久しぶり。

 喜多ちゃんの時以来だし、なんならあの時も結局手を火傷する無様な姿を披露する羽目になったし。きっ気をつけないと。

 

「あっ、じゃ、じゃあ、そのっよろしく、お願いします。春樹くん」

 

「うんっ、よろしく、ひとり!」

 

「ひゃぅう、あっはい。……えっと、その、ここのレジが、えっと……ドリンクとフードの会計で……その、あの……」

 

「うん」

 

「ドリンクのメニューは、このボードに書いてあって……ビールとチューハイと、あとソフトドリンクがここの冷蔵庫に入ってて───」

 

「なるほど。まあまあメニュー量あるな。ビールの量はだいたい、このジョッキの線までだよね」

 

 春樹くんは、私の説明を遮ることなく、頷きながら手元のグラスやボトルを一つ一つ確認していく。

 えっ待っ、待って。メモにスラスラ要点だけを書き込んでいるのかな。同時作業を凄まじくスムーズにこなしているのが、目に見えてよくわかる。

 しかも、春樹くんは覚えるのが、明確に早かった。

 注文票の見方、番号の呼び方、氷の量、ビールサーバーのレバーの角度。接客時の対応マニュアルやレジの使い方。

 私が最初の日にパニックになって虹夏ちゃん達に迷惑をかけまくった所を、彼は一つ一つ、落ち着いて頭の中にしまっていっている感じがする。

 

「あっじゃあ……試しに、ビール一杯だけ入れてみますか……?」

 

「おぅ、分かった。えっと……グラス冷やして、泡はあとから足す感じ、で……」

 

 彼は一度確認するように手順を口にすると、その通りに動いてみせた。

 サーバーの下にジョッキを傾けて、泡が立ちすぎないように角度を微調整して、最後にふわっとした白い層を足す。

 

「おぉ〜〜〜、上手いじゃん春樹くん!」

 

 後ろから様子を見守っていた虹夏ちゃんの声が飛んでくる。ぇ、えぇえ、ゑゑゑゑゑゑゑゑ。わっ、私、そんなスムーズにできなかったのに。

 

「ぼっちちゃんの初日、泡だけでジョッキ埋まってたり、喜多ちゃんにコーヒーとか教えようとして火傷してたの懐かしいな〜」

 

「そ、それは……忘れてください……」

 

 私の呻き声を聞いたあと、虹夏ちゃんは苦笑する。

 通り掛かった時に聞いていたのか。喜多ちゃんもカウンターの端でモップ掛けをしつつ、くすくす笑っているのが聞こえてくる。リョウさんも、グラスのラックを運びながらちらっとこちらを見ては小さく頷く。

 

「……普通に戦力だね。春樹、やっぱ優秀」

 

 リョウさんの一言に、虹夏ちゃんも「だよね」と満足そうに腕を組んだ。

 

「今日みたいにオープンから人多そうな日はね、こういう子が一人いるだけで全然違うんだよね〜。ぼっちちゃん、負けてらんないよ〜? ほら、先輩なんだから、ね!」

 

「アッヒョッ、あっ、はい……」

 

 それを聞いて、口から思わずどこぞの某マスコットキャラみたいな変な声が出てしまう。心臓が口から飛び出たみたいな感覚になる。あれ。なんだろう。これ、なんか既視感。だけど悲しきかな、そんなことを言ってもいられなかった。

 

 本格的に営業開始が間近になっていく。

 

 今日の担当のバンドさん達が本格的にエフェクターや各楽器、アンプの設置など、会場準備を行い始める。

 やがて開場時間が近づくと、あっという間にドリンクカウンターの前にお客さんが並び始めた。

 最初の一組、二組は、さすがに私や虹夏ちゃんがお手本という形で前に出て注文を受ける。だけど、春樹くんの方も流れさえ掴んでしまえば、あとは早かった。

 それを踏まえ、今日は混雑緩和を少しでも行う為に、こっちのドリンクカウンターでもチケット販売を行っていくことになった。そこから僅か三十分後。

 

「生ビールひとつつと、ジンジャーエールひとつお願いします。バンドはランドリーボーイのチケットを二枚で」

 

「はい、ありがとうございますっ! 生ひとつとジンジャーを一つ、チケットはランドリを二枚ですね。チケットは一枚二千円を二枚、生一つとジンジャー合計で合わせて千円、と。合わせて五千円になります!」

 

「現金、一万円お預かりしますね!! じゃあ、すみません、千円五枚でお渡しします……ひい、ふう……五千円のお返しです! お楽しみくださーい♪」

 

 虹夏ちゃんがいつも通りの上手な接客と併せて会計を打つ横で、春樹くんがもう冷蔵庫を開けて氷を用意している。

 どうやら彼女曰く、今日演奏するバンドの中に『ランドリーボーイ』っていうバンドが居るらしい。そのバンドは最近インディーズ事務所に声を掛けられてファーストシングルを出してからというもの、何やら巷で人気になり始めたとのこと。

 

 それもあってか、彼等がSTARRYで演奏をする今日は、いつにも増して混雑していた。

 

 とりあえず虹夏ちゃんもこの後は忙しくなりそうなので、最初の三十分だけヘルプとして様子見をしてくれる感じに。私はその補助として、注文を春樹くんへ伝達する係に取り組む。……補助なんだよなぁ。

 

「あっ、はっ春樹くん、ウーロンハイ一つ、そっそれからカシスオレンジひとつ、おっお願いします」

 

「はい、ウーロンハイ一つとカシスオレンジな。了解!」

 

 私が注文を復唱する間に、彼は一歩下がって別のカップへウーロン茶と焼酎へ。

 そして虹夏ちゃんに教わってたカシスオレンジの手作りボトルも、また別のカップへ手際よく注いでいる。

 誰に何を出すのか、ごちゃごちゃになりそうなタイミングでも、春樹くんは表情を崩さず、短い言葉で確認してくる。

 

「ん。ひとり、さっきのジンジャーは奥の三人組の右端の男性で合ってる?」

 

「えっあっ、はいっ。合ってます……!」

 

「オッケ」

 

 そう言って、ちょうどいいタイミングで器を滑らせてくる。

 あまりにも自然で、あまりにも早くて、あまりにも当たり前みたいにこなしてしまうから、私は何度も心の中で(え、初日だよね……?)と繰り返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 開場してからの一時間は、とにかく目まぐるしかった。虹夏ちゃんのフォローは終わり、彼女はチケット販売のカウンターへ戻ってしまう。

 今度は私の番。

 ドリンクチケットと一緒に差し出されるオーダー。

 氷の入ったカップを次々と用意して、ソフトドリンクやお酒を注ぎ、渡す。

 手は止めないように、でも手元を間違えないように。一つ一つ対処していく。

 頭ではそう分かっているのに、実際にお客さんが目の前に立つと、途端に相変わらず頭の中が真っ白になる。

 

「あっあの、ジンジャーエールでしたっけ、コーラでしたっけ……」

 

 思わず聞き返しそうになったところで「ジンジャーエール一つとオレンジ一つですね」と、隣からすっと声がかぶさった。

 えっ、と思って真横に目を向けると春樹くんが、にこりと笑いながら余りにも自然な様子でお客さんに向き直る。

 

「ジンジャーが別会計ですよね。QRコード決済はこちらで。オレンジは現金でお会計いただいて大丈夫ですか?」

 

 自然な笑顔と、落ち着いた声。

 それはたった一瞬のお客さんの言動なのに、正確に聞き取って処理をしている。私のせいで困惑しかけていた対面のお姉さん達の空気が、カウンター越しに少し和らいだ気がした。

 

「あ……はい……! じゃあそれで」

 

「はい、かしこまりました。じゃあ、お会計はチケット二枚と、別ドリンク二杯のチケットで合わせて五千円のお支払いです!」

 

「はい、じゃあ、ちょーど五千円で……」

 

「五千円お預かりします、レシートご利用ですか?」

 

「あ、だいじょーぶです……」

 

「……えっ、カッコイイですね、お兄さん」

 

「ね、いけめん♡ がんばってくださいっ!」

 

「あ、あはは……どうも」

 

「……!」

 

 前にいた二人の女性のお客さんが笑って春樹くんへ声を掛けてくる。

 しかも片方の結構可愛いツーサイドアップのお姉さんは、春樹くんを見た瞬間、少しだけ頬を染めていた。春樹くんは何やらそれに対して別段特に動揺することなく、落ち着き払ったまま微笑み返す。

 

「………っ」

 

 えっ、あっえっあっ。

 それを見て、私は変な声が思わず出てしまいそうになる。

 

 ────それは、そう。確か、昨日辺りPAさんと春樹くんが話してた時にも感じた、あの感情だ。

 

 どこか心がモヤッとしたような、キュッとするような、そんな気になってしまう。それが何かは上手く説明できない。でも、とにかくモヤッとする。

 

(……そっそうだよね。春樹くん、カッコイイ人だし。わっ、私みたいに変で接客も苦手な芋ジャージのギタリストなんかに比べたら全然……)

 

 そう思って俯いたその瞬間、私の代わりに応対してくれていた春樹くんは「ジンジャーエールおひとつですね。お待ちください。ひとり、たのむ!」と、接客と私への声掛けを同時に行うとんでもないマルチっぷりを披露してくる。

 

「はっは、はい!!」

 

 私は慌ててジンジャーエールのボトルを手に取る。

 あっ、あわわわわ、滑る。よし。危ない。ぎりぎりセーフ。

 

「ひとり、炭酸はここ二本使い切ったら補充して、空瓶はこのかごにまとめといてもらえるか? 頼む」

 

「えっあっ、えっ、あっはい!!」

 

 小声で耳元に飛んでくる指示も、的確だった。あれ、いつの間にか春樹くんに私がフォローされてる。おかしいな。

 でも私が何に手間取っているか、どこでつっかえているかを、ちゃんと見てくれている。

 それに対して私はみっともなく動揺して変な大声で返事をしてしまい、前に並ぶお客さんを驚かせては謝った。「あっすすす、すみません……」

 

「大丈夫大丈夫、ひとり。じゃあ次のお客様、こちらへどうぞ!」

 

 ぽんぽん、と猫背気味の私の背中を優しく叩く。

 

「あっ………うっ………………どっ、どうぞ……」

 

 その気遣いが堪らなく嬉しくて、だけど。

 声が萎んでいく。あれ。この感じ、とふと考える。

 返事をしながら、私は自分の心臓の音までうるさく感じていた。

 春樹くんは手際の良さとか、覚える速さとか、そういう具体的な有能さももちろん凄い。でもそれ以上に、何より、目の前の人に向ける視線とか、声のトーンとか、笑うタイミングとか。

 そういう一つ一つが、ちゃんと「人の心」を見慣れている人のそれなんだって、なんとなく分かる。それは、言うなれば喜多ちゃんの時は、多分私がコンプレックスを刺激されまくって、自分のことに目が行き過ぎた結果、全く気付かなかったこと。

 

 それらの全ては、私みたいな対人経験がマトモに無い人間とは端から比較になっていなかった。

 

 やっぱりこの感じ、そうだ。

 喜多ちゃんの時と、変わらない気がする。

 

「ありがとうございます、またお願いしまーす!」

 

 にこやかな笑顔で頭を小さく下げ、春樹くんは預かった支払い金をレジに仕舞った。

 

「わ、ぁ、すごい......」

 

「私よりも、もうずっと上手くなってます......」

 

「あはは、いやまぁそんな大したことないよ。ひとりが正確に教えてくれたり虹夏のフォローのおかげだし」

 

 彼は困った様に微笑んで謙遜しては、そうしてまた前を向く。

 私はたった一時間の間の彼のとんでもない活躍っぷりに見蕩れて、思わず立ち尽くす。そして、ふと思う。

 

「……………」

 

(あれ。これ、デジャヴ? 春樹くん、わっ、私の完全上位互換では?)

 

「……」

 

 魂が、勝手に抜ける。身体が勝手に震えて、放心し、ガクッと壁に手をつく。やっやっぱりそうじゃん──────。なんなら喜多ちゃんの時より、これ、悪化してる………。

 

「……ど、どしたひとり?」

 

 春樹くんはギョッとしたような顔でこちらを見ているのが視界の端に映り込む。

 私はそんな彼の反応を気にしてもいられず、カウンター横に立て掛けておいたギターをスッ、と気付けば取り出していた。

 

「えっちょ、おい。ひとり?」

 

「………では聞いてください。『その日入った新人より使えないダメバイトのエレジー バージョンツー』………」

 

 ぐすっ、と鼻を啜る。勝手に目尻から水滴が溢れてくる。惨め過ぎてやってられない私はその想いを胸に、昨日から使い込んでいるハードピックで弦を弾く。

 

「……ば、バージョンツー? おい、ひとり」

 

「ラン………ラララ………ランラララ……ラン、ラン……」

 

「ちょ、おい帰ってこいひとり……いや戻ってこいひとり。ひとりぃッッッ!! そのあまりにも悲壮的な歌をやめろ今すぐやめろォッッ!!」

 

「ぐすっ……ぐすっ……やっぱりこれが私の人生なんだ………」

 

「短い間だったけど……私やっぱりこのバンドできて楽しかったです……ご清聴ありがとうございました……」

 

「ぼっち・ざ・ろっく! 完……」

 

「いや終わるな終わるな何も終わってないッッッ、てか何の話だお客さん来たぞひとり!!」

 

「ンはぁっァァッ!?」

 

 春樹くんの叫びが耳に届いた私はその瞬間、慌てて姿勢を正し、ギターを爆速で足元のケースへ仕舞う。「えっいや、仕舞うの速………っ」と春樹くんが白目を剥いてこちらを見ていた。

 

「すすすすすみません、春樹くん……」

 

「いっ、いやいいけど……あっいらっしゃいませ……」

 

 目の前で二十代半ば程の女性と男性がまた困惑した様子で苦笑しているのを見て、心臓が早鐘の様に鳴り響く。明らかに、明らかに引かれている。見られてた!! すみません!!

 私は咄嗟に誤魔化すような声で必死に取り繕う。

 

「ああああああいいい、いらっしゃいませっ! ドドドドリンク代五百円です、こっこちらでチケットも本日はお売りしています! 今日はどのバンドを見にこられましたか!?」

 

 情けないほど狼狽えた声と、震えた大声に引きつつも、その二人は「あーえっと……」と言いつつ反応をしてくれた。ドリンクメニューを見ているカップルを見て、私は怯えつつ、隣の春樹くんに視線を向ける。

 

「……」

 

 だけど彼は私を横目で見つめながら隣に立ち、どこか再び困ったように笑いかけてくれた。

 ヤバいところつい見せちゃったのに、春樹くんは特段気にすることもないかのように相変わらずいつも通り接してくれた。口だけ微かに動いている。

 大丈夫、落ち着け、と言ってくれていた。

 

「………っ」

 

 私は、なんて言って彼に返したらいいか分からなかった。なんていうかもう、申し訳無さとみっともなさに塗れたままだった。

 それでも私はとりあえず、引き攣る頬で無理矢理笑顔を頑張って返す。春樹くんはそれを見て微笑み返してくれる。

 それを見て、ほんの少しだけポップコーンみたいに弾けまくっていた胸の動揺は────落ち着きを見せるのだった。

 

 そこからだいぶ時間が経ち、ふと私と春樹くんはステージ側を見やる。

 リハが終わった出演バンドの人たちが、機材の位置を調整したり、お客さんと話していたりする。その横で、店長さんがミキサー卓の前に座り、真剣な顔でフェーダーを動かしていた。

 

「……さっきのハウリング、EQじゃなくてマイク位置で処理してたんですね」

 

 ドリンクの注文を渡しながら、春樹くんがふと私の隣でそんなことを口にした。えっ、今なんて?

 専門用語が一瞬聞こえて、ギターのこと以外スタジオのフェーダー機器には知識があんまりない私は疑問符を頭上に浮かべて彼を横目で見つめ返す。

 そのタイミングで、店長さんは驚いたように顔を上げる。

 

「えっなに、お前、気付いてたの?」

 

「えっ、あぁ、はい。ハイだけ落とすとボーカルの抜け悪くなりそうだったなぁ……って」

 

「へえ。吉沢、お前いい耳してんね」

 

「あっ、いえ、そんな。どうも」

 

 短い会話。だけど。

 その中に、音の輪郭みたいなものがちらりと覗いたような、そんな感覚が私の中に走る。

 

(────あれ?)

 

 今の、言葉。多分、明らかに『知識』が無いと出てくる単語の羅列じゃないように思えた。それと同じタイミングで店長さんは、彼の顔をしばらくじっと見つめてから、ぼそりと呟く。

 

「…… “吉沢” 、ね」

 

「まさか、な」

 

「……?」

 

 それがどういう意味なのか、私は分からない。

 でも、その苗字を口の中で転がすような店長さんの声には、ほんの少しだけ興味と懐かしさが入り混じっているように聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日の担当のバンドの演奏が佳境に入ると、フロアは一気に熱を帯びた。

 照明の色が変わるたびに、客席のテンションが上がっていく。PAさんが微笑みを浮かべつつも巧みな仕草でシンセサイザーや音響を調節しているのがカウンターからも伺える。

 営業時間も終わりが迫る中、ドリンクカウンターの前にも、汗を拭きながら飲み物を求める人たちが行列を作っていた。

 

「ごめん虹夏っ! ウーロン茶とジンジャーの予備頼む! と……あと、このオレンジの原液っぽいビンって!?」

 

「それカシスオレンジ!! 予備のやつ! ウーロン茶とかはそっち持ってくねっ、カシスはそろそろ無くなりそうだと思うから、ぼっちちゃんに頼んで補充してもらって春樹くん!」

 

「おう!! ごめんひとり、頼む!」

 

「あっは、はい!」

 

 虹夏ちゃんが、春樹くんのサポートをするためか、棚からウーロン茶の予備を取り出しつつ、お客さんと言葉を交わす。そしてリョウ先輩から呼ばれたからか、フロアの方へまた戻り、縦横無尽に動き回っていた。

 いっ忙しそう、虹夏ちゃん。

 その動きに合わせて、カウンターから出た春樹くんがテーブルの片付けや、音響機器の運び出し等もテンポ良くこなしていく。

 混み合うタイミングを読むのも早かった。

 曲間で一気にオーダーが来る時には、お客さんが列に並び切る前に「先にチケットだけお預かりしても大丈夫ですかー?」と声を掛けて、流れを作ってしまう。

 私は、その後ろでカシスオレンジの瓶を収納して氷を用意しながら、その様子をぼんやり眺めていた。

 

(……すごいなぁ)

 

 単純な仕事の速さ、というより、全体を見て動いている感じがする。

 どこが詰まりそうか、誰が困っていそうか。

 それを瞬間的に拾い上げて、さりげなく穴を埋めていく。喜多ちゃんも凄かったけど、多分だけど、春樹くんはそれ以上に凄いかもしれない。

 私なんて当然及ぶはずもなく、結局先輩風のせの字も吹くことすら出来ず、惨めにレジの精算をしていた。

 

(…………………はぁ、私って、ほんと……)

 

 心の奥底から、深海百万マイルレベルの溜め息が漏れ出した。このままマリアナ海溝の果てにまで堕ちたい。

 たぶん、と私は何となくお金を数え終えながら思う。

 たぶんだけど、本人はそんなことを意識していない。

 でも、店長さんがカウンターの端で腕を組みながら、それをじっと観察しているのを見て、ああ、やっぱり春樹くんは凄い人なんだな、と思う。

 

 春樹くんは、私なんかよりもよっぽどSTARRYに突如として現れたヒーローみたいだな、なんて考えが脳裏を()ぎる。

 

 春樹くんは、私のことをヒーローって、何度も呼んでくれた。だけど、本当にそうなのかな。

 だって私はといえば、まだ自分の持ち場だけで手一杯だ。

 炭酸のボトルを倒しかけて、あわてて受け止めたり。グラスを洗い場に運ぶ途中でぶつけそうになって、ひやっとしたり。どうしていつもこうなんだろう、私。結局ダメ人間はどこまで行ってもダメなのかなぁ。

 何となくそんな風に落ち込みかけたところで、そのたびに春樹くんの「大丈夫?」というやさしい声が飛ぶ。

 

「……すっすみません」

 

「平気平気。ひとりが大丈夫ならいいよ」

 

 そう言って笑う横顔を見てると、不思議と失敗のショックが和らいでいく。それがまた腹立たしいくらいに、優しくてずるい。

 ある意味、喜多ちゃんの時よりもコンプレックスがより拗れた気すらする。彼女の時は自分自身のダメダメさ加減と、彼女自身の仕事の出来具合の差がとにかく顕著だった。

 だけど、今回はそれとも違う。

 それ以上に、春樹くんはもっと、本当に凄い人なんだなって思えて、それがどうしようもなく────羨ましいって。

 青春コンプレックスどうこうを抜きにしても、正直、思ってしまった自分が居る。

 それ自体が、落ち込む落ち込まない以前に、何だかどうしようもなく情けなかった。

 

 もうなんというか、他の誰がなんと言っても春樹くんはSTARRYのヒーローって事でいいんじゃないでしょうか。表に立つべきなのは、正直春樹くんの方なんじゃないかな。

 

 私なんかよりも、よっぽどそういう意味ではヒーローなのに。

 でも、それでも彼はきっと、自分のことを「裏方」だなんて言いそうな気がする。

 ヒーローはヒーローでも裏方ヒーローみたいなもんにはなりたいかも、とか言いそう。嫌味とか、そういうのじゃなくて、きっと素でそんな風に言うかもしれない。

 実際、今までそれに近いニュアンスのことを彼は何度も私に伝えてくれてるから、尚更そう思う。多分そんなふうに返してくれる気がした。

 自分はただのSTARRYの裏方でしかない、だなんて、謙遜しながら。

 

「……………」

 

 薄らと。そんな事を脳内で勝手に思いながら、私はぼんやりと演奏で盛り上がるステージをカウンターから見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 営業時間の終わりが近づく頃、最後のバンドがアンコールを終え、フロアの熱気がゆっくりと引いていく。

 パラパラと帰っていくお客さん。

 機材を片付けるバンドマンたち。

 その合間を縫うように、虹夏ちゃんが「今日はありがとーございました!」と何度も頭を下げていた。

 照明が落ちて、ホールの明かりだけになった頃。

 ようやく一息つける空気になって、私はドリンクカウンターの中で、腕の疲れをぐるぐる回してほぐす。ふぅ、と一息つく。

 やっ、やっと終わった。今日も一日、頑張ったよね、私。

 

「二人とも、おつかれ」

 

 店長さんが、ペットボトルの水を二本持ってきて、私と春樹くんに一本ずつ渡してくれた。「あっありがとうございます」

 キャップを開けて冷えた水を、喉の奥まで一気に流し込む。身体の芯に溜まっていた熱が、少しずつ落ち着いていくのが分かる。

 

「んじゃ、そろそろスタジオ使っていいから。アイツらと練習しなよ、ぼっちちゃん」

 

「えっ……あっはい!」

 

 思わず間抜けな声が出た。

 店長さんは、口元だけでくすっと笑う。

 

「ぼっちちゃん、今日いつにも増して頑張ってたじゃん。ドリンクと洗い場が安定してると、こっちも助かるからさ。何より」

 

「んでもって……お前なかなか仕事出来るな、吉沢」

 

「えっ、そ、そうですか? いやまぁ、ひとり達にカバーされてばっかでしたし」

 

「見てたから分かるよ。最初こそそうだけど、以降はなんならぼっちちゃんのフォローめっちゃしてたじゃん」

 

「いやまぁ、困ってたらほっとけませんし。出来ることやってるだけなんで……」

 

 春樹くんは苦笑しながら返す。それを聞いて店長さんは「ったく、惚気けてくれやがって。まあぼっちちゃんの今日の頑張りは吉沢のフォローがより効いてたってことだね」とニヤリと笑いかけてくる。えっこ、怖いです店長さん。でも嬉しい。褒められた。思わず反射的に頬が緩む。

 

「うへ、うへへへへへへへ、そ、そそんなことないですよぅ、春樹くんがふぉろーしてくれたからですしぃ」

 

「やっぱぼっちちゃん褒めるのダメだな……すぐ調子に乗っちまうか」

 

「うへへへ………へへ、………へぁぁっ!?」

 

 有頂天になった矢先、ガーン、と頭に鐘が響く。店長さんは引き気味にそう呟いた。そ、そういう訳じゃないのに。あっでも、やっぱりもっと褒めて欲しいかも。その時、その言葉を聞いた春樹くんが静かに口を開く。

 

「いや、ほんとに助かりましたよ。ひとりがドリンク回してくれてたから、俺もフロアで変なミスしないで済んだんですし」

 

 さらっと、何でもないみたいに店長さんへ堂々と笑ってそう返す。それは、コミュ障の私でも分かるレベルの分かりやすいフォローだ。

 でも、その一言が胸にすとんと落ちてくる。私は、まともに返事が出来ない。ちょっと情けないけど庇ってくれてるのも分かって、胸に温かいものが込み上げる。

 ただ、視界の端でそれを聞いていた虹夏ちゃんが嬉しそうににへらっと笑っているのが見えた。

 

「ていうかさー春樹くん、あの接客力でさ、前に立ったらマジでファンできるよね?」

 

 虹夏ちゃんが、ペットボトルを振りながら口を挟む。

 

「実際、さっき帰り際に『あのドリンクの男の子かっこよかった〜』とか言ってる女子居たよ。気をつけないとね、ぼっち」

 

「えっあっえっ!?」

 

 唐突にリョウ先輩が無表情のまま私に春樹くんのことで話を振ってきて身体が消し飛ぶ。爆発的に頬が熱くなって、堪らない。そ、そうだよね。春樹くん、さっきの女の人の反応の時もそうだったけど、やっぱりかっこいい人だし。

 やっぱり春樹くんが彼氏だなんて、私なんかにはあまりにも分不相応すぎるのでは。

 そんな風にまた自己嫌悪の池へループループをし始めようとした時、春樹くんは、苦笑いしながら頭をかいた。それは半分冗談、半分本気みたいな口調。

 

「いやいや、んな事ないよ。何ならランドリーボーイのボーカルの方が圧倒的にキャーキャー言われてたじゃん。なんつうか、俺は裏でバタバタしてる方が性に合ってるんだよ。裏方みたいなもんの方がね」

 

「別段、俺なんかがやる必要もないし。……ああいう人達こそ “本物” だと思う」

 

「………!!」

 

 さっきまで思っていた言葉とほぼまんま同じ単語が彼の口から出てきて、私は思わず目を見開く。偶然だとは、思う。

 ─────裏方。やっぱり、春樹くんからそう言うかもしれないって、思いはしたけど。いざ本当に出てくると、どこかなんとも言えない気持ちが胸中に湧き上がった。

 春樹くんはリョウ先輩へ少しだけ薄く微笑む。

 

「でも、ありがとう。リョウ」

 

「ん」とリョウ先輩は短く返事を返した。

 すると突然、人差し指と親指でお金マークを作ったかと思うと「というか春樹、これ一つ提案。……ビジュアル面でも売ってみない?」などと言い出す。あっ、これいつもの。

 

「は?」

 

「私が良ければプロデュースしm……」

 

「やめんか!!」

 

 ……春樹くんで何か邪なビジネスでも思いついたのかな。

 お金マークを瞳に浮かべたリョウ先輩に、バシッ、と虹夏ちゃんの鋭い新聞紙アタックが彼女の脳天へ直撃した。

 

「ふふっ、リョウ先輩ったら」

 

「あはは……」

 

「………」

 

 喜多ちゃんと一緒にそんなリョウさんと虹夏ちゃんのやり取りを見ていた横で、ふと私は春樹くんの方へちらりと目を向ける。彼も一緒になって戸惑いつつも、ケラケラと笑っているように見えた。だけど。

 心のどこかで、どこか違和感がした。

 それはこないだの喜多ちゃんの時と似ている。何か、妙な感じ。言い方が妙に慣れている。「別段、俺()()()がやる必要もない」という言葉。

 

 同じタイミングで、店長さんがカウンターでノートパソコンで作業しつつも、そのやり取りをじっと見つめていた。

 

 …… “やらない” んじゃなくて、“やれない理由” があるのかな。

 

 そんな一行が、頭のどこかに浮かぶ。

 だけどそれはすぐに天井の灯へ立ち昇ったかと思えば、場の雰囲気に飲まれて違和感と共に霧散した。

 

 

 

 

 

 

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