ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #38 「歪んだ残像」

 

 

 今日の帰り道。

 春樹くんは「お疲れ」とだけ笑って、コンビニのカフェオレを私の手に押し付けてくれた。

 私は礼を言うタイミングを逃しそうになりながら、ただ缶の冷たさを握りしめた。

 そうして私たちはまた同じように二人きりで道を歩き、たわいの無い話と、バイトの感想を語り合う。いつもの通りの、自然なキャッチボールを交わす。そのまま、昨日と同じ電車に乗って私は彼と別れた。

 幸せなその時間を経て、思うこと。

 並んで歩く距離が近いだけで、やっぱり胸がうるさくなる。

 ──────なのに、目蓋の裏に残るのは、今日一日の彼の手際の良さばかりだった。

 消えない。消したい。なのに、消えない。

 寝る時も、彼の温もりとその彼の評価を思いながら一日目のバイトを乗り越えた。

 

 そうして、私達は翌日の夕方を迎える。

 

 今日は少し学校が早く終わったこともあって、喜多ちゃんや春樹くん、そして私の三人でSTARRYに来ていた。

 店長さんはPAさんとなにかの打ち合わせをしていて、到着した矢先に春樹くんと喜多ちゃんがお使いを頼まれることに。

 虹夏ちゃんは学校で委員会か何かで遅れてるとの事。

「悪いんだけど二人とも」とその時事務室のドアが開く。中から長い金髪の後ろ髪を揺らして、店長さんがスマホを片手に荷物を机に置く喜多ちゃん達へ声を掛ける。

 

「すこしコーヒー豆を切らしててさ。昨日思った以上に在庫使っちゃって、次の仕入れ、もう頼んではいるけどまだ届くまで時間かかりそうなんだよね」

 

「そこまでの繋ぎでここの店から予備を買ってきてくれない?」

 

 店長さんは事務室から出てきたかと思うと、箇条書きで何かが記された小さなメモを喜多ちゃんへ渡す。彼女はそれを笑顔で受け取る。

 

「はいっ! ふむふむ、ここですね……ここなら、多分歩いて行けそうです!」

 

 そこで店長さんは春樹くんに目配せをしつつ「喜多だけじゃ大変だろうから吉沢、付き合ってあげて」と呟いた。

 

「えっ、あぁ、はい。了解っす」

 

「ぼっちちゃんは山田と床掃除ね。虹夏は遅れるっぽいし。営業時間の十七時には間に合わせてよね」

 

 今ここにいるメンバーへ店長さんは少し目を細めながら指示をすると、事務室の方へとまた戻っていく。そのまま「了解でーす! 行きましょ、春樹くん!」とはしゃぐ喜多ちゃんと共に「おう! じゃあ行ってきますー」と春樹くんは買い物に向かった。

 昨日から店長さんも皆も、何やら忙しそう。ランドリーボーイや、他のバンドの事で色々忙しいのかな。

 そう思って仕事を私と一緒に振られたリョウ先輩を探す。あれ。そういえばリョウ先輩はどこ行ったんだろう。来てないのかな?

 モップを片手に周りをキョロキョロ見回すけど、姿が見当たらない。

 

(…………………)

 

 ふと、モップを絞り器に突っ込んだ中で、ふと私は俯く。

 そうして、昨日のことを思い出していた。

 二日目のバイト、というものは、なんでも世間一般的には「初日の緊張も抜けて、ちょっと余裕も出てくる頃」らしい。

 私の場合は、営業時間前の既に現時点で、緊張が増し増しになりかけている。なぜなら。

 

(……今日も、春樹くんと一緒に、カウンターに立つからですね……)

 

 ビールと、アンプの熱と、冷たい鉄筋コンクリートの柱に、蛍光灯の匂い。それに、昨夜の残り香みたいに、まだ微かに残る歓声の残響がそこには在った。その全部が、昨日の記憶を嫌でも呼び戻すのだ。

 

 ───ドリンクカウンターで軽快に動く春樹くん。

 ───あっさりと仕事を覚えて、私より手際良く立ち回る春樹くん。

 ───そして、そんな彼を、当たり前みたいに「戦力だ」と評価するみんな。

 

 思い出した瞬間、胃のあたりがきゅっと縮こまる。あぁ、情けない。

 いや、もちろん嫌なんて、そんな訳じゃない。

 むしろ、春樹くんやバンドの皆と一緒に過ごせるのは好き。嬉しい。でも、なんていうか。

 ……言うなれば、自分が猛烈に、勝手にコンプレックスを拗らせて逃げたくなるだけなんだと思う。

 そう思ったところで思わず、首をブンブン左右に振って自分の胸を手の甲でとん、と何度か軽く叩いた。さながらドラミング。「ふんぐ、フンッ、フンッ」

 

(お、落ち着け、私。昨日だってちゃんとやれたし……うん、多分。致命的なミスは、してない。はず)

 

(発作でギターで自分の人生完結したみたいな歌を勝手に歌い出したのはちょっとマズかったけど……)

 

「何してるのぼっち」

 

「アヒャッッッッオオォァァァッ!!」

 

 たちまち全身が縦に伸びて、身体中のパーツが四方八方に吹き飛ぶ。慌ててそれらを吸い寄せて原型に戻ると、私は風の速さで振り向く。

 

「りりりりりりりリョウ先輩ッッッッいつから」

 

「たった今。またゴリラになってたね」

 

「いっいきなり後ろから声掛けないでください……」

 

「ごめん。見てて面白かったから、トイレから出てきてから黙って観察してた」

 

「………」

 

 トイレ行ってからずっと見られてたんだ……消し飛びたい。なんというか、昨日から私はふたりの事といい、よく意識外から観察されている気がする。

 というか辞めてください。驚きすぎて心臓無くなっちゃいますから。

 そこまで考えたところで、ふたりとのあの黒歴史直行コースのやりとりも脳裏をよぎる。思い出すと死にたくなるので、その辺は一旦マリアナ海溝の方へ沈めておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 そこからしばらくの間、リョウ先輩と一緒にステージ横をモップで掃除していると、タイミングよく、階段上のドアが開いてから虹夏ちゃんの声が響いた。

 

「あっ! ぼっちちゃん、おはよ! やほ、リョウ!」

 

「おかえり、虹夏」

 

「あっにっ、虹夏ちゃん、お疲れ様です。おはようございます……」

 

 顔を上げると、彼女はいつもの下北沢高校の制服のまま緑の上着を羽織って手をブンブン振り回す。手には何かの袋が握られている。

 

「今日は遅かったですね、いつもよりも」

 

「いやーー今日に限って委員会に呼ばれちゃってさー、参ったよね。リョウは買いたいもんがあるからってあたしのこと置いてくし」

 

「ハードオプに狙ってたアンプが入荷したって筋の情報を手にして、いてもたっても居られなくて」

 

「だからってあたしを置いて独りで行くなッ!」

 

 虹夏ちゃんはそういってポコポコリョウ先輩の背中を軽く叩いている。リョウさんは無表情のまま残像の如く避けていて、見ていてシュール極まりない。相変わらずこの人、自由極まりない人だ。

 すると、虹夏ちゃんは私の方へ振り向いて目を丸くする。

 

「大丈夫? ぼっちちゃん。まだ疲れとか残ってる? なんか肩に力入ってるけど」

 

「えっあっ、え、だ、だ……大丈夫、です」

 

 ゆっくりとこちらへ駆け寄ってきて私の顔を覗き込み、そんなふうに声を掛けてきてくれる彼女の優しさに、相変わらず狼狽してしまう。

 

「そ? ふふっ、ならいいけど! 昨日のぼっちちゃん、いつにも増してめっちゃ助かったんだよ。お姉ちゃんも『ドリンク周り安定してたな』って褒めてたし」

 

「えっ? あっ、ほ、本当ですか……?」

 

 自分では全くそう思っていなかったこともあって、私は思わず聞き返してしまう。どちらかというとそれ、春樹くんのおかげな気もするけど。だけど虹夏ちゃんは私に笑顔を向けたまま頷く。

 

「うん。だから今日もまた昨日みたいにちょっとだけハードかもだけど、その分自信持っていいやつだよ。頑張ろ?」

 

「うへ、うへへ。……あっ、で、でも、ちょっとだけ、が多分ちょっとだけじゃ済まない気しかしないんですけど……」

 

「あははーっ☆ そこはまあ、STARRYクオリティってことで! あたしもカバーするからさ!」

 

 虹夏ちゃんはそんな風に笑うと、ふと思い出したように指を鳴らす。

 

「あー、そうそう! 実は言ってなかったけど、今日ね、常連のおじさんたちがたくさん来る日なんだ。昔からSTARRY通ってるロックなおじさま達」

 

「ろ、ロックなおじさま……ですか?」

 

「そうそう! 割と土日とかしか普段あの人たち来ないし、他のライブハウスとかもよく行ってるみたいだから、ぼっちちゃんはまだ面識無いよね。ここの立ち上げの時からあたし達を応援してくれてる人達なの!」

 

 そ、そうなんだ。凄い。

 でも、そんな人達もSTARRYに来てるというのは、正直なことを言うと少し意外かもしれない。ここの客層は、個人的な印象を言うと割と若い人達が多いイメージだったから、余計に。

 

「いい人達だよぉ〜、気に入られるとね、すぐ『いい動きするなぁ』とか褒めちぎってくれるんだよ」

 

「あっ、じゃ、じゃあその袋は……?」

 

「ああコレ? コレは普段来てくれてるその人達へのお礼も兼ねたおつまみ! 常連さんだしさ、お姉ちゃんからお使いで!」

 

 袋の中を見せてもらうと、柿ピーやらビーフジャーキーやらスルメやらがわんさか入っていた。店長さん、今日は喜多ちゃんや春樹くんといい、虹夏ちゃんといい、色々お使い頼んでるんだなぁ。

 

「コレはいつも来てくれてるから特別サービスってことで、お酒買ってくれる時に渡そうと思ってね! たぶんだけど、春樹くん、あの人達にも刺さると思うんだよなぁ……」

 

 そういって虹夏ちゃんはなにやらウキウキとしつつ、カウンターの方へ向かう。

 

「…………」

 

 なぜだろう。

 まだ会ってもいない顔も知らないおじさんたちのイメージを思い浮かべただけで、胸のどこかがほんのりチクッとする。

 それが何の感情なのかは、いまひとつよく分からない。でも、とにかく落ち着かない気がした。

 その時、また階段上の正面玄関ドアが開く。喜多ちゃんと、春樹くんが帰ってきた。

 

「ただいまぁーひとりちゃん!」

 

「ひとり、掃除落ち着いた?」

 

「ッ!!」

 

「ひゃっ……あっ、ぁ、き、喜多ちゃんも春樹くんも、おかえりなさい! あっ、は、はい、リョウ先輩とここ一帯の床掃除は終わらせました」

 

 喜多ちゃんの隣に立つ春樹くんの顔を見ただけで、何故か心臓がまた変な跳ね方をする。

 昨日と同じ、でも少しだけ違う。なんというか「もう一度ステージに立つ前」のミュージシャンの心境みたいな。いや実際立つのはドリンクカウンターなんだけど。

 

「ホント? 助かるわ、ひとりちゃん!」

 

「あ、あと春樹くん、荷物持ち助かったわ。さすが男の子ね! ありがと!」

 

「お、おぅ。これくらい全然いいって。てか眩し!!」

 

 喜多ちゃんは彼が持っていたコーヒー豆の袋を受け取りつつにぱーっと微笑む。そのまま事務室の方へ向かおうとしつつ、いつもの陽キャ光線をキターン、と春樹くんに放つ。あ゛っ、その光辞めてください、私にも毒なので。

 体がまた溶けかけたところで、喜多ちゃんから目を逸らした春樹くんが私の方へ視線を向ける。

 

「ひとり、店長や虹夏は?」

 

「あっ、た、多分まだ事務室です。PAさんと打ち合わせみたいです。虹夏ちゃんならそこに……」

 

「ん〜? 呼んだー? 春樹くん!」

 

 そういってカウンターの冷蔵庫や、ビールマシンの簡易点検をしていた虹夏ちゃんが頭の触覚をユラユラさせつつ壁から顔を出す。

 

「おぅ、おはよ虹夏、おつかれ。コーヒー豆ってこれで良いんだよな?」

 

「あっ、春樹くん! おつかれ〜! あぁ、LOINEでお姉ちゃんが言ってたやつか。ありがと、あたし預かるね!」

 

「うん、よろしく!」

 

 明るい様子で虹夏ちゃんとやりとりした春樹くんは、一息ついてカバンを下ろしながら呟く。

 

「ひとり、今日も店長曰くドリンクだから、よろしくな。昨日のこと、色々復習してきたから」

 

「ふ、復習……」

 

「家でちょっと、レジ打ちのイメトレとか」

 

「いっイメトレ……」

 

 ま、真面目すぎる……。

 す、凄い。私は思わず言葉を失って、単語を読みあげるbotになってしまう。

 

「昨日の反省点とか、メモ見返してたら寝るの遅くなってさ。おかげで、ちょっと眠い」

 

「えっ、す、すみません……もしかして私がやらかしたところとかも、一緒に……」

 

「いやいや、ひとりのせいじゃないって。俺の性分だから」

 

 そう言って、彼はあっさり笑ってみせる。

 その笑顔に、昨日と同じように胸がきゅっと鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 開場前の準備は、昨日よりも、気持ち少しだけスムーズだった。多分、春樹くんが隣にいる事に慣れたからかもしれない。

 

 ドリンクのボトル位置、グラスの並べ方、レジの中の小銭の配置。

 緊張が解ければ、半年弱の経験値を覚えた私の手は勝手に動いてくれるみたいだった。

 その横で、春樹くんは前回よりさらに無駄のない動きで、氷のバケツを運んだり、洗い場のシンクを整えたりしている。すると、不意にとんとん、と指でつつかれる感触が肩に届く。振り向くと、虹夏ちゃんがカウンター脇に大きなジョッキを二つ用意してるのが見えた。

 

「ぼっちちゃん、ここの棚に、常連さん用のジョッキがあるからね」

 

「じ、常連さん用ですか?」

 

「そ! 名前入りのやつ。ほら、『KAWASHIMA』『MORITA』ってガムテ貼ってあるでしょ?」

 

「……」

 

 お、おおおぅ。は、初めて見た。

 見れば、本当に手書きの名前テープが貼ってあるジョッキが何個か並んでいる。STARRYが出来てからというもの、私の知らない間にここで積み重ねられてきた時間みたいなものが、一気に現実味を帯びて迫ってくる。

 

「常連さん来たら、その人のジョッキで生入れてあげて。何回も来てくれてる人達だからさ、喜んでくれるから。顔覚えておくと楽だよ!」

 

「えっあ、はい……!」

 

「ふふ。ひとりなら大丈夫だろ」

 

「そ、そんなことは……」

 

 ないですよと言いかけた口が、そこで止まる。

 手を洗い終えた春樹くんが、本気でそう思っている顔をしているのが見えたからだ。彼はこういうことはお世辞では言わない人。だから、思わず口を噤む。

 私にとって「人の顔を覚える」のは、実のところ、そんなに得意なことじゃない。これは確か彼に告白されたばかりの時にも言った気もするけど。アカウントネームとアイコンとか、それはいくらでも覚えられるのに、現実の顔は正直古い3Dポリゴンくらいの情報量で止まってしまう。

 

「……」

 

(……でも、そう言ってもらえるの、ちょっと嬉しいな)

 

 ふと、俯きがちに思う。彼は、いつだってそう言ってくれる。

 それが、どうしようもなく心をふわつかせた。

 たとえ、例えそれが仮初とか、気遣いみたいなものでしかないだとしても─────きっと、その気持ち自体は本物だと思うからだ。

 そうして。

 開場してしばらくしてから、その「ロックなおじさま達」は本当にやってきた。

 

「おー、虹夏ちゃんッ、来たよ〜〜久しぶりだねぇ。今日も頼むわ〜」

 

「はいはーい、いらっしゃいませー! あ、カワシマさん、今日もランドリーボーイ目当てですか?」

 

「そらそうよ。あいつら、最近ますます良くなってきたからなぁ。アルバムも出したらしいし、応援してやらんとな! 若モンは夢を持ってなんぼよ!」

 

「ふふっ、いつもありがとうございますっ!!」

 

 髭面でバンドTシャツを着た、いかにも“渋いロックおじさん”という感じの人たち。サングラスをかけたり、ロックな黒ニットを被ったり黒の革ジャンを羽織ったりしてている。かっ、カッコイイ。渋い。

 思わず見入ってしまう。所謂、イケおじってこういう方々のことを言うのかな。

 彼らはぞろぞろとドリンクカウンターの前に集まってくる。

 虹夏ちゃんは慣れた様子でその方々の名前を呼びつつ、常連用のジョッキを手に取った。

 

「えっと、カワシマさんは生ビールと……モリタさんはハイボールでしたよね!」

 

「お、覚えてくれてんの嬉しいねぇ〜」

 

「そりゃもう!! いつも来てくれてますし」

 

 その流れに、私は恐る恐る混ざる。

 

「あっ、いらっしゃいませ……! ど、ドリンク代は五百円です。じょ、常連さんのジョッキ、お借りします……」

 

 虹夏ちゃんが手に取った方とはまた別のジョッキを手に取る。すると、カワシマさんと名前を呼ばれたサングラスのおじさんが、グラス越しにでも分かるくらいに目尻を下げて微笑むのが見えた。

 

「お、新しい子かい?」

 

「ひっ、あっ、ははははは、はいぃぃ!! よ、よろしくお願いします……!」

 

 なんとか笑顔を作る。心臓はずっとフル稼働だ。

 声を掛けられるとは思ってなくて、全身が弾け飛ぶ。彼はそんな私を見て「あははは、面白い子だねぇ。そんな固くならんで大丈夫よ。オレぁカワシマ ヨシゾウってんだ、よろしくね」と、ニッと前歯を見せて笑う。皺の目立つ顔に、陽気さが滲む。

 

「えっ……あ、は、はい。あっ、ありがとうございます。ご、ごとうです、よろしくお願いします……」

 

 思わずそれを見て、少しだけ落ち着く。おずおずと頭を下げる。そんな私を見て「おぉぅ、よろしくねぇ後藤ちゃん」とまた力強い笑みを見せてくれた。

 い、良い人だぁあぁぁぁぁあ。

 内心泣きそうなほど感嘆しつつ、冷静を装いながらジョッキサーバーへ器を置く。

 その横で、春樹くんはいつもの落ち着いた声で「生ビール一つとハイボール一つですね」と復唱し、手際よくサーバーを操作していた。

 カワシマさんの隣に立つモリタさんが彼へ声を掛ける。

 

「兄ちゃん、昨日もいた子だろ?」

 

「あっはい。昨日からお世話になってます。え? というか、昨日もおいでだったんですか?」

 

「まあな! とは言っても、通りがけに寄って星歌ちゃんや虹夏ちゃんと喋っただけだからね。そら兄ちゃん達からしたら面識無いのは当然さ」

 

「そうなんですね! 今日もわざわざおいでくださり、ありがとうこざいます」

 

「いいってもんよ! いやぁ……にしても動きいいねぇ。ちゃんと周り見てる感じするわ」

 

 モリタさんのその言葉にウンウン、と頷きながらカワシマさんは同意する仕草を見せる。すると、上手に言葉を返す春樹くんは笑顔のまま、私の方へ横目の視線を向ける。

 

「あぁ、いえいえ。この子が、色々教えてくれたおかげですし」

 

「なんだぁ? 惚気か?」

 

「ち、違いますっ!」

 

 おじさんの冗談に、春樹くんは少しだけ肩をすくめて笑う。

 

「ぬはは! なんだい、もしかしてキミら、デキてんのかい?」

 

 モリタさんは受け取ったウイスキージョッキをグビっと飲み干すと、豪快に春樹くんへそう問い掛ける。

 

「ッ!! あっ、えーっと、まぁ……」

 

「ッッッ!??!??!??!?」

 

 彼は顔を赤くし、困った様に後頭部を掻く。そしてその瞬間、私も一気に顔が沸騰したみたいに熱くなる。なななななななななななななな、な、で、デキ、デキてるぅ!?

 

「こーらモリタさん、そういうのセクハラですよっ!」

 

「ガッハッハッ、ごめんごめん!!」

 

「まったくもう、いきなり勘弁してくださいよ。あはは」

 

 私が顔を真っ赤にしてフリーズし、またも消し飛びそうになる中、虹夏ちゃんが苦笑したような顔でフォローをしてくれた。春樹くんは隣で困った様にしつつもモリタさんへ笑いかける。

 その彼のやり取りの仕方が、やっぱりあまりにナチュラルだった。私はただ横で泡を調整しながら、ひたすら「あわあわ」しか出来ない。いやビールの泡だけじゃなくて心もあわあわしている。

 

(……やっぱり、すごいなぁ)

 

 昨日も思ったけど、こういうところが決定的に違う。

 私だったら「惚気か?」なんて直接言われたら一週間はその言葉を抱えて転げ回るのに、春樹くんは、さらりと受け流して笑いに変えてしまう。するとカワシマさんは彼へ引き続き話しかける。

 

「兄ちゃん、昨日とかも思ったんだけどな、ランドリーボーイの機材運ぶ時もさ、ケーブルのまとめ方がちゃんとしてんのよ。ああいうの見ると、なんか安心すんだよな」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

「現場慣れしてそうな感じがしてな。昔からライブハウスでバイトしてたとかかい?」

 

「あっいや、全然。昨日が初めてっすよ。……まあ、ちょっと音楽やってた時期はありましたけど」

 

「ほぉん?」

 

 春樹くんに向いていたおじさん達の視線が、ちょっとだけ真剣になる。

 さっきまで「若者に向けていたような」目が「もしかして、こいつできるやつでは?」という目になった気がした。

 

「オレたちゃよ、実は複数、近くのライブハウスの経理とか事務とかもやってて、ヒマしてる時とかは雇ってる子達に任せてこうして他んとこ遊び来てるんだけどな」

 

 えっ、嘘。この人たち店長さんみたいにライブハウスの運営もしてる人なの。すっ、凄い人たちなんだ。私は思わず肩をびくっ、と縦に揺らしつつ、虹夏ちゃんと春樹くんの横で小さくなりながらそれを聞く。

 

「金ならもちろん出してあげるから、イベントの時、よかったら手伝ってくれよ。こんだけ動けるなら助かるからねぇ」

 

「名刺渡しとく。興味あったら、店長に確認聞いてからおいで」

 

 そういってモリタさんは懐から名刺を取り出して春樹くんへ渡す。えっ名刺!? すっ、すごい。彼はそれを落ち着いた様子で両手で丁寧に受け取る。

 

「あっわざわざすみません。ありがとうございます、頂きます。……いや、まぁ……俺なんかで良ければ。空いてる時ならいいっすよ」

 

 春樹くんは少し困惑しつつも、モリタさん達に対して頬を弛ませる。

 

「おおおおぅ、助かるねぇ!! 良い良い。若いのにしっかりしてんな〜。なぁ、後藤ちゃん?」

 

「えっ、あっ、はいっ……!? っあ、あの、春樹くん、ほんと、すごくて……私なんかよりも、よっぽどしっかりしてて、なんでも出来るんです……」

 

 そこまで言ったところで、ハッ、と私は我に返る。

 反射的に口をついて出てしまった言葉だった。

 それが、思いのほか本音が真っ直ぐな形で外に出てしまったことに、自分で驚く。そのことに気付いて、私はまた反射的に顔が赤くなってしまう。あぁぁぁぁ、し、し、しまった。

 その時、おじさん達が「ぬぁはっはっ、こりゃアツアツだねぇ?」と納得したように大声で笑った。あっ、うあっ、まだ直接付き合ってるなんて話してないのに、なんで。恥ずかしすぎて死にそうになる。

 虹夏ちゃんが汗を垂らしつつ、私の方を向く。

 

「ぼっちちゃん、それじゃあ分かりやすすぎるって。顔真っ赤だよ?」

 

「ひゃわぁぁああああああああ、すすすすすすすすみませ゛ん………」

 

「ふはははっ、こいつぁいい。頑張んなね、後藤ちゃんよぉ」

 

「あっ、はっ、はひぃぃ……」

 

 が、が、頑張るって何をですか。そんなこと聞けるはずもなくただただ私は縮こまる。カワシマさんからそう言われて、狼狽える私は情けなく震えが止まらない。嬉しいけど。

 するとモリタさんは「いやぁ兄ちゃん、そういう裏方業も出来るんならステージのど真ん前に立つのだって向いてそうなのにな? イケメンってやつだし!」とビールをぐびぐびしながらこれまた豪快に笑う。

 

「いやぁ、俺は、いいんすよそういうのは。………裏方くらいが、ちょうど良くて」

 

「ほーんん? そいつぁ残念だな……まあ、興味あったら、名刺から連絡くれよな! 星歌ちゃんには言っとくからよ!」

 

「はい、どうも、ありがとうございます。楽しんでください」

 

「ありがとよー!」

 

「……」

 

 そうして二人はステージの方へジョッキを片手にウキウキな様子で歩いていった。その背中を見つめながら、私はなんとなく春樹くんの方へ視線を向ける。そこで気付く。

 

「───────……」

 

 春樹くんの横顔が、一瞬だけ、静かに曇っていた気がした。

 

「………………」

 

(────────────………え?)

 

 ほんの一瞬。本当に一瞬だけ。

 視線が泳いで、口元が少しだけ固くなっている。だけどそこですぐに別のお客さんが来て、それからいつもの柔らかい笑顔に戻った。

 たぶん、他の人だったら気付かない程度の変化。

 でも、昨日からずっと彼の隣で一緒に働いている私には、それが妙に引っかかった。

 その違和感は、すぐに忙しさの波に飲み込まれていったけれど。

 

 

 

 

 

 

 怒涛のような夕方のピークタイムが過ぎて、少しだけ落ち着いた頃。

 店長さんがレジの前にやってきて、小さなクリップボードを春樹くんに差し出した。

 

「はい、吉沢。これ今日のドリンクの売上表ね。ついでに在庫のチェックと、ここの数字転記しといてもらえる?」

 

「了解です。ここに……売上数と金額、ですよね」

 

「そそ。店閉める前にざっくりでいいから」

 

「分かりました」

 

 春樹くんはクリップボードを受け取ると、カウンターの端に立ってペンを走らせ始めた。

 その姿を横目で見ながら、私は洗い場でグラスをすすぐ。

 

(事務作業も、普通に出来るんだろうなぁ……)

 

 そう思っていた。心のどこかで、「春樹くんなら、きっとそつなくこなすんだろうな」と、半分以上確信していた。

 だからこそ、その表情の変化に気付いた時、少しだけ驚いた。

 

「……あれ」

 

 小さな声が漏れる。

 ペンの動きが止まった。眉間に、皺が寄る。

 

「えっと……ビールが……二十四で、チューハイが……十七……で……」

 

 ぶつぶつと数字を確認しながら、何度も同じ列を目で往復している。

 さっきまでドリンクの注文を処理していた時のテンポの良さは、そこにはない。

 視線が紙とレジの数字を行ったり来たりして、そのたびに小さな溜め息みたいな息が漏れる。

 

「………………いや、違うだろこれ。何やってんだ俺」

 

 聞こえるか聞こえないかくらいの声で、自分に向かって毒づいた。

 

(……え?)

 

 胸の奥が、きゅっとなる。

 

 グラスをすすぐ手が、思わず止まった。

 春樹くんは私の視線に気付いていない。ペン先をトントンと紙に当てながら、もう一度数字を数え直している。

 

「吉沢、分かんないとこある?」

 

 店長さんが、カウンターの内側からひょいと顔を出す。

 

「い、いや、大丈夫です。ちょっと計算間違っただけで……」

 

「そんな深刻そうな顔するようなことじゃないって。売上表なんて慣れだからさ。分かんなかったら聞きな」

 

「……す、すみません」

 

 その「すみません」が、さっきのおじさん相手に言っていた軽い謝罪とは、明らかに違う響きを持っていた。重くて、どこか自分を殴っているみたいなトーン。

 店長さんは肩をすくめて、「じゃ、あとの棚卸しは私やっとくから」と軽く受け流す。

 

「虹夏ー、こっちの片付け頼んでいーい?」

 

「はーい! ぼっちちゃん、ここのグラスはもういいから、春樹くんとレジ閉める準備一緒にやろっか。教えたげて!」

 

「あっはいっ……!」

 

 虹夏ちゃんに呼ばれて、私は慌てて洗い場から出ては、手を拭く。

 そのすれ違いざま、チラッと春樹くんの表情を盗み見ると、さっきよりは落ち着いているけれど、どこかぎこちない笑顔をしていた。

 

(……春樹くんにも、苦手なこと、あるんだ)

 

 当たり前のことなのに、妙に新鮮だった。

 

 頭では分かっていたはずだ。

 どんなヒーローでも、得意なことだけで構成されているわけじゃない。凄いところがある分だけ、きっと同じくらい、苦手なところもある。

 でも、目の前でその「苦手」に直面して、あんなふうに自分を責めている横顔を見ると、なんだか胸がきゅっとしてしまう。

 私は多分、ああいう顔を毎日して生きている。

 だけど、春樹くんがそんな顔をするのは、あまりにも似合わない気がして。

 

(……私なんかより、ずっとちゃんとしてるのに)

 

 そう思った瞬間、喉の奥まで出かかっていた言葉が、何かに押されるみたいに、つい外に出てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

「あっあの、春樹くんって……ほんと、何でもできちゃいますよね」

 

 レジの小銭を数えながら、何気ない風を装って、私はぽつりと言った。

 

「え?」

 

 数秒遅れで、顔を上げる気配がする。

 その視線を直視できなくて、私は小銭トレーの中身を見つめたまま、少しだけ続けた。

 

「ドリンクも、接客も、機材のことも詳しいですし……今日だって、常連さんに褒められてて……ほんとにすごいなぁって。その、そ、尊敬します」

 

 言いながら、頬がじんわり熱くなるのが分かった。

 嘘じゃない。本気でそう思っているからこそ、余計に恥ずかしい。

 少しの沈黙が流れる。

 その沈黙が、普段の春樹くんなら一拍で返してくれるテンポから、ほんの少しだけズレている気がした。

 

「………」

 

 妙に間が長い。不安になって、つい彼を見上げる。

 だけどその目は私の方へ一切向いていない。ステージの方を見つめたまま、静止している。

 

「は、春樹、くん?」

 

「────………」

 

「……そんなこと、ないよ」

 

 ようやく返ってきた声は、いつもより少しだけ低い。すると、そこから吹っ切れたように少しあっけらかんと微笑む。

 

「全然。俺なんか、まだまだだし」

 

「えっ、で、でも……」

 

「ひとりの方が、よっぽど凄いって。俺からしたら」

 

 そこで、ようやく彼の目と目が合う。

 視線を向けると、春樹くんはいつも通り、優しい笑顔を浮かべていた。

 ─────でも。

 その笑顔の奥に、さっき売上表を見つめていた時と同じ、かすかな陰が見える気がした。

 

(あ……)

 

 その瞬間、私は固まる。そして、声を情けなく震わせながら咄嗟に謝った。

 

「……あっ、うっ、ご、ご、ごめんなさい、私、まさか変なこと言いましたか?」

 

「え。なんでひとりが謝るの」

 

「い、いえ、その……」

 

「ひとりにそう言ってもらえるなら、普通に嬉しいけどな。ありがと」

 

 そう言って、彼はやっぱりいつも通りの調子で笑う。

 私の心臓は、その刹那、変な跳ね方をする。あ、れ?

 その笑顔は、この前の喜多ちゃんと似ていた。────なんで、また、こんな感覚になるんだろう。私、もしかして。

 

(……もしかして、今の私の一言って)

 

 やっぱり変なこと、言っちゃったんじゃと、背筋が少し軋む。

 さっきの「何でもできちゃう」という言葉が、もしかしたら良くなかったんじゃないか、という考えが、じわじわと頭の中に広がっていく。

 私にとっては純粋な尊敬のつもりだった。

 でも、もしかして、彼にとっては───?

 その答えは、まだ分からない。

 ただ、胸の中に、さっきとは違う種類のチクッとした痛みが残る。

 ─────誰かを褒めたくて言った言葉が、その誰かの傷口に塩を塗ってしまうことがある。

 

 大切だから。誠意を持って、勇気を持って相手に言葉を伝えたからといって─────それが正しいとは限らない。

 

 私は、こないだの喜多ちゃんとの一件でそれを学んだ。

 だから、言ってしまってから急に怖くなった。

 彼を、傷つけてないか。

 そう思ってじっと見つめてしまう。春樹くんはそれに気付いて、紙幣を数えながらまた微笑む。

 

「? ふふっ。ほら、レジ締めやっちまおうぜ。営業終わったあとの練習の時間、無くなっちゃうぞ?」

 

「えっ、あっ、はい……」

 

「いち、に、さん、し……」

 

「──────……………」

 

 小銭入れに一旦視線を戻してから、また横目で、春樹くんを見つめる。

 彼の姿が、ステージ照明の仄かな光に揺らめく。その輪郭が、まるで残像のように感じられる。

 どうして。

 どうしてか、分からない。相も変わらず上手く言葉にできない。ただ、不安を感じてしまう。

 心のどこかに、残るしこり。違和感。まただ、また、この感覚。

 俯いて、レジを見つめる。私、どうすればいいんだろう。この心の動きは。悩み、唇をキュッと結ぶ。

 

 結局私はその懸念をほぐせないまま、小銭を小銭入れへと仕舞い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 帰り際、照明が一部落ちたフロア。みんなで練習を終えてから、そこを軽く掃き掃除している時だった。

 店長さんと春樹くんが、ステージ脇で立ち話をしている姿が、ふと視界に入った。

 

「……でさ。お前、結局本当にやらないの? 前に立つの。常連のあの人たちからも言われてたんでしょ」

 

「えっ、なんでその話。聞いてたんですか?」

 

「まさか。虹夏から聞いたんだよ、お前がトイレ行ってる時にね」

 

「……あはは。そうなんすか。………でも、良いんですよ。俺なんかがやる必要ないです。虹夏達にも言いましたけど、俺はそういう柄なんかじゃないし」

 

「…………ふーん」

 

 昨日や二日前も聞いたような言い回し。

 でも今日のそれは、昨日よりもずっと、はっきりと「線」を引いているように聞こえた。なんなら、それはより濃くなってすらいる。やっぱり、そうだ。

 

 “やらない” んじゃなくて、“やれない理由” があるような、そんな気がそこには感じる。

 

 店長さんはしばらく彼の顔を見つめてから、ふっと視線を外し、私たちの方を見やった。

 

「………向いてそうなんだけどね。ま、今はそれはいいか。ぼっちちゃん達のこととか、とりあえずここの業務で手一杯だもんね」

 

「……はい。俺は、ひとりの為の裏方ヒーローでいられれば、それで十分なんで」

 

「……裏方ヒーロー、か」

 

 ぽつりと店長さんが呟いた言葉が、暗くなったフロアに、静かに落ちていく。

 私は、ほうきを片付け、ギターケースとトートバッグを肩に掛けたまま動けずにいた。

 

(……どうして、そこまで)

 

 これもやっぱり、と言うべきだろうか。

「裏方」というワードが私の予想してた形で、昨日彼の口からは出ていた。春樹くんなら、言ってもおかしくない、とは確かに思ってた。だけど────と私は思う。

 胸の奥に、またひとつ、言葉にならない質問が積もる。それが何なのか、まだ上手く形にできない。

 ただ、ひとつだけ明確なことはある。

 今日の二日目のバイトでもやっぱり、STARRYのヒーローは、私じゃなくて春樹くんの方だったということ。

 

 そして、その “ヒーロー” が、自分のことを「裏方」だと言い張り続けている理由。

 

 それは思ったよりずっと、深くて暗い場所に埋まっているのかもしれないということだった。

 

 

 

 

 

 






 来週以降、冬コミ新刊に向けて修羅場なので更新また遅れるかもしれません。ご了承ください……。すみません。

 いつも感想コメント、評価など感謝してます! ぜひお気軽にお願いします! それではまた次回!
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