ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #39 「軋んだ想い」

 

 

 今日の帰りも昨日と同じように、STARRYを出た瞬間、胸の奥までひやりと冷たい空気が入り込んでくる。そこで思わず私は肩をすくめた。

 さっきまで耳を震わせていたベースの低音も、ドラムの残響も、扉一枚隔てただけで嘘みたいに遠くなる。

 

「寒っ……大丈夫? ひとり。今日……風強くない?」

 

 隣で、春樹くんが薄く息をつきながら笑う。

 ライブハウスの中で微かに汗ばんでいた首筋を、夜風が撫でていく。ひやりとして、少し気持ちいい。

 

「はっ、はい……。さっきまで中が暖かかったから、その、余計に……」

 

 言いながら、私はピンクのジャージの袖をぎゅっと握りしめた。

 指先が冷えていくのが分かる。代わりに、さっきまで隣で並んで仕事をしていた記憶が、まだ指先に残ってるみたいにじんじんしていた。

 

「今日もコンビニ寄ってかない? なんかあったかいの買おうか」

 

「えっ……」

 

「あっ、はい……!」

 

 今日も春樹くんとコンビニに行けることが嬉しくて、つい声色が自分でも分かるくらいに弾む。彼は相変わらず優しく微笑んで、手を伸ばしてきてくれる。

 

「ふふっ。ほら、いこ」

 

「………ッ、うへ、うへへ」

 

 そんな当たり前にもなってきたような、彼の自然な仕草に頬が勝手にだらしなく弛んでしまう。そのまま、そっと指を絡ませ合う。

 指先の神経が、ゆっくりと彼の硬くて温かい皮膚に触れる度、とくん、と脳内にバスドラのような音が響く。

 

 駅へ続く細い路地。

 

 提灯の明かりがちろちろ揺れていて、遠くからはまだどこかのバンドの音が漏れ聞こえてくる。なんでも、他のライブハウスは虹夏ちゃんの話曰く朝方四時くらいまでやってるとこもあるらしい。

 そんな時間まで起きてたら、完全に日付の感覚とか狂っちゃうだろうに。実際にそういう場所で働いてる人は凄いなぁ、とかつくづくその音を聞いて思う。

 その中で見えた、この間からよく通うセブン・イレブンの白い看板だけが妙に浮いている。

 

「あっ、あの……。きょ、今日は、私が奢ります……」

 

「え?」

 

「き、昨日は、その……カフェオレとか、こないだは唐揚げ棒とかも奢ってもらっちゃいましたし……。おっお礼、させてください」

 

 自分で言っておきながら、語尾がどんどんしぼんでいく。陰キャが調子乗ってないかな、とか相変わらず思っちゃうあたりホントに情けないと思う。でも、ここで引っ込めたら、またずっとモヤモヤするのは分かっていた。

 

「そっか。じゃあ、お言葉に甘えようかな」

 

 だけど春樹くんは、いつもみたいに、少しだけ照れたように微笑む。

 たったそれだけで、胸のあたりがふわっと温かくなる。思わず、私も嬉しくなって頷く。

 

「………っ、はい」

 

 自動ドアが開く。すると、二日前のことを思い出してなのか、彼の方からゆっくりと手を離した。同時にコンビニ特有の、少し乾いた暖かい空気と、電子音と、揚げ物の匂いがいっぺんに押し寄せてくる。

 外の世界と切り離されたみたいな蛍光灯の白さが、目にじん、と染みる。

 離された手を、勝手に繋ぎ直そうと指先の血が騒ぐ。それに気付いて、慌てて押し留めるみたいに私は胸元へ両手を添える。

 

「に、肉まんでいいですか……? あっ、中華まんの方がいいでしょうか……」

 

「どっちも同じ中華まんだよ」

 

「はっ……」

 

 自分でもよく分からないことを言ってしまったことに、彼のツッコミで気づいて顔が熱くなる。余程テンパってるらしい。ほんっとに私は。

 ショーケースの中で並んでいる白い肉まんの列を見つめて狼狽える。そのまま「すすす、すみません。……あっその、何がいい、ですか?」と問いかけた。

 

「あははっ。じゃあ、ひとりが食べるやつが食べたい」

 

「っ……」

 

 変なことを言っちゃっても、いつもみたいに笑う優しい春樹くんの顔。

 それどころか、私と同じものに合わせようとまでしてくれる。彼の笑みを見て、心臓が、どくん、と変な跳ね方をした。

 思わず肩に掛けてるトートバッグを落とさなかったのは奇跡だと思う。

 

「え、えっと……。じ、じゃあ、普通の肉まん、ふたつで……」

 

「はい、かしこまりました!」

 

 レジの横のスチーマーから、湯気と一緒にあったかい肉まんが取り出される。そして響くレジの電子音。女性の店員さんの定型文の声。

 いつもなら、ただ通り過ぎるだけの音たち。それは今までは、殆ど耳に残らなかったコンビニの音だ。というか、この状況がそもそも絶対独りじゃ、慣れっこなかった光景。

 だからこそ、こんなことがやけにくっきり耳に残る。

 

「四百二十円です」

 

「あっ、は、はいっ」

 

 私は慌ててお財布からコインをつまみ出そうとする。春樹くんは隣に立ちながら心配そうに私へ首を傾けてきた。

 

「細かいのある?」

 

 みっともなくあたふたしながら小銭を人差し指で漁るも、十円玉が見つからない。

 

「あっ、えっと、十円がないです……」

 

 そう返すと「じゃあ俺が細かいの出したげるよ」と彼も長財布を取り出して中身を探る。その時だった。

 じゃら、と、乾いた音。

 一緒にお財布と持っていた鍵束から小銭と共に何かがレジトレーの上に転がり落ちる。「あ」と彼は小さく声をあげた。

 

「──────………え」

 

 それは、小さな水色の三角形だった。その小物を、思わずじっと私は見つめる。

 ティアドロップみたいな形の、少し擦り減ったピック。

 先端の角がすり減って、角のところだけ白っぽくなっていて、端っこに、黒いマジックで書かれた「H」の字が、掠れながら残っている。──────あれ?

 

「ごめん、財布と一緒に出ちゃった」

 

「………」

 

 春樹くんが、何でもないことみたいな手つきで、それを摘まみ上げる。

 指先でくるりと回して、ジャラジャラした鍵束の輪っかに戻す。

 

「そ、その……」

 

 思わず、声が出てしまった。

 自分でも、何を言いたいのか分からないまま、喉の奥がひゅっと狭くなる。

 

「ん?」

 

 春樹くんは目を丸くして私を見つめ返す。あわてて誤魔化すように少しだけ目を逸らす。

 

「い、いえ……なんでも、ないです……」

 

 どこかで見た気がする色だ、と私は思った。

 

 あの水色。光の当たり方で、すこしだけ青空みたいにも、深い海みたいにも見える色。だけど、それが何なのかよく思い出せない。

 胸のどこかがざわつくのに、その記憶の塊はぬるりと指の間をすり抜けては、暗い水底へ沈んでいく。

 拾おうとしても、拾えそうにない感覚。ただひとつ分かるのは、小さな違和感が胸にひたひたと残るということだ。

 

「あっあの、それ……どうして、キーケースと?」

 

 そんな事を、気が付けば私は聞いていた。自分でも、不意にその質問が出たことに疑問が浮かぶ。春樹くんは私を僅かに見つめる。

 そうして、本革のキーケースから飛び出ていた鍵と一緒にぶら下がるそのピックへ視線を移した。

 

「……お守りみたいなもんなんだ。親父にもらった、初めてのピック」

 

「もう擦り減って使えないからさ。鍵と一緒にしとくと、なくさなくて済むし」

 

 そうして苦笑した様に何気なく呟く彼のその一言に、私の中の何かがザワついた。「……っ。そうなん、ですね」

 その時、店員さんから「お待たせしました、商品です」と肉まんの入った商品を両手で差し出される。

 レジの音と共にその声掛けが私を現実に引き戻してくれて、そのまま「あっすす、すみません、あひがとぅ、ございました……」と噛み噛みになりながら頭を下げた。

 コンビニを出ると、さっきよりも空気が冷たく感じる。白いビニール袋の中で、肉まんが湯気を漏らしていた。

 

「はっはいっ。こっち、春樹くんの分、です」

 

「ありがと」

 

 ふたりで歩きながら、そっと包み紙を開く。

 白い湯気が、街灯の下で薄く溶けていく。

 

「いっいただきます……」

 

「ふふ。いただきます」

 

 二人で視線を交わしながら、そうして下北沢駅の小田急線東口改札口の方角へ歩き出す。春樹くんは私の口癖に合わせながら、また歩幅も揃えてくれた。

 肉まんを一口かじる。肉汁と温かいふわふわの食感が口の中から温もりを全身へ伝えてくる。「はふ、っ、んむ、ぁむ」

 

「あはは。美味し?」

 

「あっふぁい、おいひいれふ」

 

 美味しい。コンビニの惣菜や肉まんがこんなに美味しいんだってこと、春樹くんのおかげで最近強く感じる。お肉を口に咥えてることと、熱いのも相まって変な声になっちゃうのが恥ずかしい。

 彼はそんな私にクスクス微笑みながら同じ様に肉まんを頬張った。

 

「…………」

 

「……あの、その」

 

 ふと、思う。今なら、きっと。

 私は何度目か分からない深呼吸をした。さっきから、ずっと喉につかえていた言葉がある。

 

(今なら、きっと言えるかも……)

 

「あ、あの、春樹くん」

 

 そう思って、半分ほど食べた肉まんを両手で持ちながら隣の彼を見上げる。

 

「ん?」

 

「さ、さっき、その……。『なんでも出来るんですね』って、わ、私……言っちゃって……」

 

「あっ、あぶないよ、ひとり」

 

「へっ」

 

 カチッ、と音がした。

 目の前の歩行者信号が赤に変わる。会話に夢中になっていて気づかなかったけど、そこは歩道の境目だった。

 

「っと」

 

 車のヘッドライトも一斉にこちら側へ向かってくる。春樹くんに肩を軽く掴まれて歩道の方へ寄せられた。ゴツゴツとした硬い手が優しく私の鎖骨に触れて、少しだけドキッとする。「ぁっ、ひゃ、ぅ……」

 さっきまで静かだった交差点に、駅の方からの人の波がどっとなだれ込んできた。

 

「わっ……」

 

 知らない人たちのコートとバッグが、私と春樹くんのあいだを何枚も、何枚も横切っていく。それも相まってか、春樹くんは周りの人に気を遣うように、少しだけ前を歩く。

 さっきまで隣にあったはずのぬくもりが、急に遠くなった気がした。

 赤信号の間に通り過ぎていく車たちの音。

 斜め向かいの居酒屋から漏れてくる笑い声。

 世界が、さっきまでより少しだけ騒がしくなる。

 

「急がないと、ひとりの電車ギリギリかもな」

 

「大丈夫? ひとり。こっちこっち」

 

「あっ、は、はい」

 

 信号が青に変わると同時に、春樹くんが私の方を振り返って手招きをする。いつも通りの、温かい顔で。

 

「さっき、なんて?」

 

「えっ、あっ、その………」

 

 だけど、そこで狼狽えてしまう。

 完全にこの場の雰囲気に呑まれてしまったせいで、なんて言えばいいか分からなくなってしまった。私は視線を泳がせながらなんて言い出そうか悩む。それを見た彼は「……そろそろ電車もまずいだろ? あと……ってか、今度、覚えてたら聞かせてね?」と口元に笑みを浮かべて呟く。

 

「……あっ、はい」

 

 反射的に頷いて、そんな返事を返してしまった。

 本当は「今、言いたい」って喉まで出かかっていたのに。ホントに、こういう所はド陰キャにも程がある。

 人の流れと一緒に、その言葉まで押し流されていった気がした。その時。─────私の後ろから、また声がする。

 

 “今度” って、ちゃんと来るのかな、って。

 

「……………………っ!」

 

 肩が小さく震える。右手をギュッと握り込んで、胸元へ添える。

 来るに決まってるでしょ。何言ってるの。ドッペルゲンガーの声に私は前を向いたまま、内心で返事を返す。

 彼女は応えない。なんでそんな事を言ったのか、私にはそれが分からない。

 思わず、小さく振り向いた。

 当然もう一人の私なんてそこには居るはずもなくて、ただただ人の流れだけが次々と前後に流れている。

 

「ひとり? どうしたの、振り向いて立ち止まって」

 

「────あっ、いえ、なんでも、ないです」

 

 ずきりと、心の奥に違和感が残っている。胸の真ん中に、小さな棘だけが残ったまま。どうして。どうして、“彼女” があんなことを呟いたのか、考えても分からない。でもそれは、今の心の中のもやもやと繋がっているような気だけはした。

 そうして私達は京王井の頭線、下北沢駅の改札口の近くに辿り着く。

 

 

 ホームの風は、どうしてか、さっきよりも一段と冷たく感じた。

 

 

 

 

 

 

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