ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #40 「UNITE」

 

 

「んんんぅ、よいっ、しょっと!」

 

「ううっう、さむうぅ……っ」

 

 肩をすくめながら、あたしはゴミ袋を集荷場所へとを引きずる。金属が擦れる音、袋のビニール音がさっきまで鳴っていたバンドの残響を塗り潰していく。

 外から見ればもう、ただの小さなライブハウスの閉店後。でも中には、さっきまでの熱気だけが、まだ少し残っている気がした。そうしてあたしは階段を駆け下りてSTARRYの扉を開く。

 

「お姉ちゃん〜片付け全部終わったよ。まだ他になんかあるー?」

 

 声を掛けると、ドリンクカウンターの中から札束を数えて集計しているお姉ちゃんが顔を出す。

 

「ん、虹夏。ありがと。もうちょいで集計終わるから待って」

 

「はーい」

 

 上着を羽織り直しながら玄関扉を締め、中の階段をとん、とん、と降りる。がらんとしたフロアに、誰もいないステージだけがぽつんと浮かんでいる。

 さっきまでそこに立ってたバンドのノイズも、もう跡形もない。代わりに残っているのは、微かな汗の匂い、仄かなコンクリの水分の匂い。そして、アンプ機器が反射して輝く金属の冷たい光だけだ。

 

「ふぅ……」

 

 集計を終えて「よし、あとは……」と呟くお姉ちゃん。ドリンクカウンターの中で、グラスを拭き始めた。「手伝うね」と声を掛けて駆け寄る。

 

「ん、サンキュ」

 

「PAさんは?」

 

「あいつは先帰ったよ。なんかグローバルな友人とやりとりする予定があるとか何とか。まあ仕事も終わったみたいだしな」

 

「なにそれ」

 

 照明が落とされて、カウンターの上だけがオレンジ色に照らされている。その光の中で、拭き上げられたグラスがカラン、と小さく鳴った。あたしはグラスとジョッキを布で拭きながら、お姉ちゃんに呟く。

 

「あの二人、仲良さそうだったね」

 

「ん?」

 

「……どの二人のこと」

 

「決まってるでしょ。ぼっちちゃんと、春樹くん」

 

「……あー」

 

 お姉ちゃんは軽く前髪をかきあげながら、暗がりの中の僅かな明るさの蛍光灯を見上げた。さっきまでの光景がフラッシュバックする。

 見送った駅の方へ並んで歩いていくふたりの背中。

 繋がれた手。

 どっちも、ぎこちなくて。

 でも、見てるこっちまでくすぐったくなるくらい幸せそうで。

 ─────すこし、羨ましいな、だなんて思っちゃって。

 

「……まあ、仲良さそう、だね。うん」

 

「また妬いてんの? お姉ちゃん」

 

「うっせえ。まだ認めたわけじゃねーからな」

 

「だからなんでお姉ちゃんがぼっちちゃんの相手を認める認めないの話してんのさ」

 

 そう言ってお姉ちゃんと笑い合う声は、自分でも分かるくらい、少しだけ上擦っていた。お姉ちゃんは「ふん」と小さく微笑んでグラスを布巾の上に伏せる。

 

「なぁ、うちの妹よ。お前、ちゃんと店員として人を見る目あるじゃん」

 

「人を見る目って何その言い方。やめてよ、なんかいやらしい」

 

「あはは。いやらしくはないでしょ。真面目な話」

 

 お姉ちゃんは肩を竦めて、カウンターの上に肘をついた。

 その目は、さっきまでのからかうモードじゃなくて、店長の顔になっている。あたしはそれをみて聞いてみる。

 

「どうだった? 今日、一緒に入ってみて」

 

「吉沢か?」

 

「うん」

 

 あたしはカウンターの前の丸椅子に腰掛けて、ちょっとだけ彼を思い返しながら、問い掛ける。

 レジ。ドリンク。お客さんとの会話。

 今日一日、ぼっちちゃんと並んで必死に覚えてた彼の姿を、あたしの方も思い出す。お姉ちゃんは少し眉をひそめつつ、あたしの問いに答える。

 

「……正直、びっくりした」

 

「ほう」

 

「昨日までは完全に初心者って感じだったのにな。今日にはもう、ぼっちちゃんが最初の頃躓いたとこ、ほとんどスムーズに出来てたし。客との距離の詰め方もなんか自然だし。バケモンか、アイツのコミュ力」

 

「お姉ちゃんも同じこと思ったんだ」

 

「そりゃ思うだろ。なんだアイツは」

 

「ははっ」

 

 お姉ちゃんは溜息なのか、呆れなのかよく分かんないように首をふるふる振ってそう呟く。あたしはそれを見て、思わず笑っちゃいながら引き続き言葉を探す。

 

「なんかさ、ほかの常連さんにもすぐ懐かれてく感じで……あ、いい意味でね。なんていうか……」

 

 あたし達のバンドのフロントに立つ子達とも、ちょっと違う。

 

「“人前が怖くない人”っていう感じ、かな。人見知りしないっていうか。あれは、ちょっと羨ましいなって思う」

 

「ふーん。虹夏が羨ましいって言うの、珍しいね」

 

「そんなことないよ。結構人のこと羨ましがってるよ、あたし」

 

「それは意外。あんたのそういうとこ、ちょっと好きだけどね」

 

「なにそれ。告白?」

 

「あ、今さら?」

 

「お姉ちゃんさぁ……」

 

「ハッ」

 

 そう言って苦笑をしながら瞼を伏せるお姉ちゃん。まったくもう。

 照れ隠しなのか、頭を左右にぶんぶん振ると、彼女の金髪の毛先が頬に張り付くのが見えた。

 

「で」

 

 お姉ちゃんは少し真面目な声色で続けた。

 

「虹夏から見て、どう? アイツ、ここに置いといていいと思う?」

 

「…… “アイツ” って、春樹くんが?」

 

「話の流れからして、それしかないでしょ。店のスタッフとしても、お前ら結束バンドのことを知ってる人間としても」

 

「え……」

 

 その質問に、あたしは一瞬だけ言葉を詰まらせた。するとお姉ちゃんは僅かな間と共に引き続き聞いてくる。

 

「……なんか、気になることあんの?」

 

 その瞬間を、お姉ちゃんはちゃんと逃さない。

 ほんと、こういうとこだけやたら鋭い。そうして少し考える。ぽつぽつと、辿るように返す。

 

「……ううん。気になるっていうか」

 

「逆だよ。あたしはむしろ大賛成」

 

「……正直ね。すごいなって、思ってるんだよね」

 

 あたしは顔を上げて、さっきまでの光景をもう一度なぞる。

 カウンター越しに楽しそうに笑うぼっちちゃんと春樹くん。それを思い出しながら、呟く。

 

「ぼっちちゃんのこと、ちゃんと見てくれてるな、って思ったからさ」

 

「ほう」

 

「なんか、ぼっちちゃんって、人と一緒に居る時でも、どっか “ひとりぼっち” みたいに見える瞬間があるじゃん。……うまく言えないけど」

 

 ライブ終わりの帰り道。

 笑ってるのに、笑い方がちょっとぎこちない時。

 みんなで騒いでるのに、急に黙り込んじゃう時。

 どこか一歩引いてみんなと話してるっていうか。横から見てて、何となくぼっちちゃんは、割とそういう所があるように思っていた。

 

「でも、春樹くんと一緒の時はさ」

 

「なんか、そのぼっちちゃんの “隙間” に、彼がちゃんと隣から手入れてくれてる感じ、したって言うか」

 

「だからなのかな。ぼっちちゃん、素でいれてる感じするの。前より、少しね。そういう意味で彼って不思議な男の子だな、って。あたし、ああいうタイプの子、あんまり見た事ないんだよね」

 

「まあ、元々男の子友達あんまりいないっていうのはあるかもだけど。……人の本質を引き出すの上手っていうか」

 

「ふーん。……妬いてんの?」

 

「なっ、ちっ違うよ!! そういう話してないっ!」

 

 あたしは思わず、頬をハリセンボンみたいに無意識に膨らませて叫ぶ。

 

「ふふ。ぼっちちゃんのこと一番気にかけてるもんな」

 

「もう、お姉ちゃん!」

 

「ごめんて」

 

 全くもう。他人事みたいにからかって。たぶんお姉ちゃんは、春樹くんがぼっちちゃんを現状一番よく面倒を見てるから、そのことについて言ってるんだと思う。

 

(……そりゃ正直、ちょっと悔しいなとは思うよ)

 

 これ、春樹くんにもこの前、公園で結束バンドの皆と話す時に似たような事言ったけど。

 だってたぶん、あたし自分で言うのもアレだけどぼっちちゃんのこと一番見てた自信あるし。リーダーだし。それに。

 

 それに─────あたしにとって、ぼっちちゃんは大切な “友達” なんだもん。

 

 多分だけど、あの子にとって、あたしは一番最初の友達。ぼっちちゃん、友達いなかったとか言ってたし。だから、うん。

 ちょっとくらい悔しいなって思っても、バチは当たらないでしょ。別に春樹くんとくっついてくれて、幸せそうで、あたしだって嬉しいし。

 だけど。そう思ったその時。どうしてか。

 

 その瞬間、心のどこかがズキン、と疼く感じがした気がした。

 

 なんだろう、今の。

 ……多分気のせいかな。少し疑問符を一瞬脳裏に浮かべては、あたしはそれを見なかったことにした。

 あたしがムキになると、お姉ちゃんは片手をテキトーにフリフリ振って降参のポーズを示す。まったくもう、と腕を組んであたしは溜め息をつく。

 

「男友達ね。いっつも山田と一緒に居るからなお前。ほんと仲良しなんだな」

 

「ふふっ、ほんとね」

 

「でも、こうなんていうかさ。春樹くんって明るいクラスの中心みたいな子に見えて、意外と繊細っていうか、影があるっていうか」

 

「だからその経験ゆえに、ちゃんとぼっちちゃんにもあんなに優しくて話しやすい子なのかなぁって思ってるかな。ここ一週間近くみてて」

 

「ふーん。隙間に手ねじ込んでくタイプなんだ、あの子」

 

「言い方。もうちょいロマンある表現にしてあげてよ」

 

「はっ、私はそーゆうの苦手なんだよ。お前もよく知ってるだろ」

 

「まーね」

 

 そうやってちょっとふざけた空気に戻しながらも、また笑い合う。

 あたしの胸の中には別の感情がじわじわ広がってた。

 安心に近いものと、それでも拭えない、小さな不安。

 

「……でもさ」

 

「うん?」

 

「なんか、時々」

 

「あの子自身も、どっか遠くを見てる感じがしたっていうか」

 

 夕方、仕事が始まってしばらくして、様子見をしようとドリンクカウンター越しに見た彼の横顔。

 ぼっちちゃんのことを見ているはずなのに、たまに春樹くんの視線がどこか遠くに向いているように見えた瞬間があった。

 ふとした瞬間に、どこか彼の顔に影みたいなものがよぎっているような。気のせいなのかな。あれは、何だったんだろう。

 

「………へえ」

 

「んーまぁ、別にこれは悪いことだけじゃないんだけどさ。ぼっちちゃんを見てる時の目と……なんか、もうひとつ別のなにかを見てる時の目が、混ざってる感じがして。それが、なんかこう、すごく……哀しげに見えた気がするの」

 

「……考え過ぎじゃない?」

 

「そんなことないもん」

 

「人のことよく見てんね」

 

「まあね! ドラムは人間観察してナンボだよお姉ちゃん」

 

「なんか腹立つな」

 

 頬杖を着いてあたしの話を聞くお姉ちゃんに、思わずまた頬を膨らませる。

 そう。それが何なのかまでは、まだ分からない。

 でも、あたしの、伊地知虹夏としての十七年の勘が、何度かチクチクと自分自身を刺してきたのは確かだった。それにね、とあたしは続ける。

 

「……なんかさね? ぼっちちゃんさ、ヒーローになりたがってる節、あると思うんだよね。実は」

 

「は? ヒーロー? 何の話」

 

「いやまあ例えとして聞いて?」

 

「うん」

 

「で、春樹くんは、なんかさ。それに対して」

 

 あの子の背中から、どうしても感じてしまうものがある。お姉ちゃんに続ける。

 

「 “ヒーローになれなかった人” みたいな感じが、少しだけするっていえば、伝わる?」

 

「……………ほう」

 

 上手くは言えない。それでも確かなのは、彼はやたらと表舞台に立とうとするのを嫌がっていて、ぼっちちゃんをヒーローみたいって言ってたということ。

 ぽつりと落としたその言葉に、お姉ちゃんはグラス拭きを止めた。その上で、あたしをじっと見つめながら布巾をカウンターに置く。

 

「……たまに思うんだけど、虹夏って怖いこと言うよね」

 

「え。怖かった?」

 

「いや、いい意味で。ホントちゃんと見てるなーって意味だよ」

 

「ふぅん?」

 

 そう言ってお姉ちゃんは、ふっと目を細める。

 

「だいたい、あんたはそういう “届かなかった側” の空気、敏感に拾いがちだしね」

 

「え。どゆこと」

 

「あー、なんでも。私の昔のバンドの話とか、色々混ざるから、そのうち酒でも飲みながら話してあげる」

 

「絶対それ、詳しく聞いたら泣くやつじゃん。あたしまだ飲めないよ? しかも廣井さん来そうだし」

 

「あいつが酔っ払ったまま来たらシバきながら話してやるから、安心しな」

 

「ふふっ」 

 

「泣いた虹夏の写真も、ちゃんと保存しとくから安心して」

 

「安心できないんだよなぁ……」

 

 でも、そんなしょうもないやりとりをしながらも。胸の奥のひっかかりは消えない。

 

「……ねえ、お姉ちゃん」

 

「なに」

 

「あたしね?」

 

 カウンターの木目を、人差し指でなぞる。

 その先にある、暗いフロア。ステージ。

 そこに立つぼっちちゃんの姿が、頭の中に浮かぶ。

 

「ぼっちちゃんが、 “ヒーロー” になるところを見たいんだ」

 

「…………────ヒーロー、ね」

 

「でも同時に……あの子には、“ひとりの人間”として幸せでいてほしいなって、思うんだよね」

 

 ギターを抱えてる時だけじゃなくて。

 ステージの上だけじゃなくて。

 コンビニの帰り道とか、誰かと笑って肉まん食べてる時間とか。

 そうだ。

 あたし、松ノ木児童遊園で初めて出会った、全く目の合わなかったあの子が、少しでも良い方向に変わってってくれたら、って思ってるんだ。そう、心から願ってる。

 

「だから、なんだろ。春樹くんは、その両方を “繋いで” くれる人だと、いいなって思うんだ」

 

 言葉にして、初めて少し自分の気持ちが整理される。

 あたしがさっき、駅までのふたりの背中を見送ったときに感じていたものは、多分それだった。

 

「ヒーローとしてのぼっちちゃんのことも、ただの後藤ひとりとしてのぼっちちゃんも、どっちもちゃんと大事にしてくれる───そんな人だったらいいな、なんて」

 

「……お前のいうその『ヒーロー』って単語、深い意味ありそうね」

 

「ふふっ、そんな難しくないよ。たぶんね」

 

「多分かよ。……なんていうかさ……」

 

「─────欲張りだね、虹夏」

 

「でしょ。ぼっちちゃんのことになると、どうしても欲張りになっちゃう」

 

 でも、欲張りでいたい。

 あの子のことになると、どうしても。

 だって────あたしにとって、ぼっちちゃんは、と思う。

 

 ぼっちちゃんは、あたしの結束バンドにおける将来を───『本当の意味で夢が叶うかもしれない』と思わせてくれた可能性をくれた子だから。

 

 あたしの、お母さんへの想いも。

 お姉ちゃんへの想いも。

 それをちゃんと、現実にしてくれるかもしれない、って。

 あたしにとっての大切な全部を、“繋いでくれる” かもしれないって、感じた子だから。そうしてあたしは続ける。

 

「春樹くん自身もさ。もし仮にあたしの予想が当たってて、 “なれなかった側” だとしても」

 

 さっき、飲み物を一緒に買いに行った時、お財布とキーケースみたいなのをカウンターに置いてる時見えたものがあった。

 それは、水色のピック。キーケースに付けられていたもの。

 鍵束にそんなものを付ける人は、基本まず居ない。だから、きっと何が意味があるのかな、なんて聞かなかったけど印象に残っていた。

 あたしはそれが何なのか、まだ知らない。

 でも、あのキーケースと一緒にずっと持ち歩いてる何かが、彼の中には確かにある。

 

「あの子にとっての “ヒーロー” が、今の自分の隣にいるって分かったときに」

 

「うん」

 

「それでも隣に居たいって、彼が思ってくれたらいいなって思う」

 

 もし仮にそうならば、だけど。その仮を前提にこの事を思うのであれば。

 それがどれだけ残酷で、どれだけ救いでもあるのか。

 今のあたしには計りきれない。全部あたしの勘違いで、思い過ごしであってくれたらいいとは思う。

 でも、少なくともひとつ、分かってることはある。

 

「ぼっちちゃんも、春樹くんも」

 

「うん」

 

「あのふたりさ、ぼっちちゃんから密かに聞いたけど……春樹くんから結構凄いカミングアウト受けたんだって」

 

「ふーん? どんな?」

 

「あんま詳しいことは、ぼっちちゃんのことだから伏せとくね……ていうかその内分かるかもだから、今は言わない」

 

「うん。まあ、そのうちね」

 

「あたしはね、どっちかがどっちかを “憧れのヒーロー” として見てるだけじゃなくて」

 

「 “痛かったところまで知ったうえで、隣に立つ” ところまで行ってくれたらいいなって、思う」

 

 星歌さんは、それを聞いて少しだけ目を丸くした。

 そして、ゆっくりと笑う。

 

「……虹夏、ほんとに私の妹?」

 

「今さら!? あたしは生まれたときからお姉ちゃんの妹だよ」

 

「いやー、たまにさ。あんたの方が、私よりずっと “バンドのこと” 分かってるんじゃないかって思うときあるんだよね」

 

「なにそれ。褒めてる?」

 

「もちろん。褒めてるよ」

 

 お姉ちゃんはいつもの気怠そうな笑いじゃなくて、どこか誇らしげな笑い方をした。

 

「じゃ、私も欲張りになるわ」

 

「お、なにを」

 

「ぼっちちゃんがそのヒーローとかいうものになるところも見たいし」

 

 カウンター越しに、星歌さんは人差し指を一本立てる。

 

「吉沢が実際そうかは知らんけど、でも、もし仮にその “届かなかった側” の子なんだとしてさ。アイツがぼっちちゃんの隣で笑ってられるところも、ちゃんとここで見たい」

 

「私だって、母さんに届いてほしいしな。このSTARRYで、ぼっちちゃんやお前ら全員が輝くところとかさ」

 

 あたしは、看板ができたばかりの頃、一緒に星空を眺めたあの瞬間のお姉ちゃんの横顔を思い出す。

 今の横顔は、その時と同じ、どこか誇らしげな、真っ直ぐな顔。あたしの、一番好きな好きなお姉ちゃんの顔。

 

「……うん」

 

 あたしは、思わず微笑み返しながらお姉ちゃんを見つめ直す。お姉ちゃんも、あたしへクスッと口元を緩ませていく。

 

「そのために、STARRY使ってくれるなら、何万回だって付き合ってあげる」

 

「……なんてな。今の、めっちゃカッコよくなかった?」

 

「いや自分で言わないでよ。ちょっとあたし感動したのに」

 

「ははっ」

 

「ふふっ、あははっ!」

 

 ふたりで声を合わせて笑う。

 さっきまで冷たく感じていた閉店後のフロアの空気が、少しだけ柔らかくなった気がした。

 ぼっちちゃんも、春樹くんも。

 

 あの二人はきっとこの先、新しく傷つく場所が増えてしまうんだろう。

 

 ましてや、ぼっちちゃんは、話を聞いてる限り恋愛なんて全くの未経験のはず。でも、恋人として一緒にいるなら、それは当然のこと。

 だからこそそれをちゃんと見て、ちゃんと痛がって。

 それでも隣に立ちたいって思えるなら、と思う。

 

 そのときは、きっと。

 

「……そのときはさ」

 

「うん?」

 

「お姉ちゃん。STARRYの照明、全部一番綺麗なやつにしてあげてね」

 

「もちろん」

 

「いちばん眩しいステージに、してあげたいから」

 

 そう言うと、お姉ちゃんは「考えといてあげる」とだけ短く答えて、最後のグラスを伏せた。カウンターの照明が落ちる。

 暗くなった店内で、ステージの上のパーライトだけが、ぼんやりと天井を照らす。

 

「……じゃあ、まぁ全部終わったし。帰るか」

 

「うん」

 

 そうしてお姉ちゃんは後ろ髪を整えるように僅かに持ち上げて、首を振る。そのまま近くに掛けといた上着を手に取った。あたしも緑の上着を羽織り直して、一緒に玄関まで歩く。照明も確認する。

 そうして冷ややかな空気の最中、いつもの調子で鍵を手にしたその瞬間、ふっとお姉ちゃんの動きが止まった。

 ドアノブにかけた手が、そこで固まったみたいにピタッと止まって、そのまま数秒。

 

「……………」

 

「…………ん?」

 

 その謎の仕草に、あれ、って思う。

 

「お姉ちゃん?」

 

「………」

 

「おーい」

 

 その声掛けにやっと気付いたのか。お姉ちゃんは唐突に小さく肩を揺らした。

 

「あ、ああ、悪いな。今行く」

 

「?」

 

 慌てて取り繕うみたいに鍵を回し終えて、ポケットに突っ込む。店のすぐ上の自宅に続く階段を、ふたりで並んで登り始めた。

 コツ、コツ、とスニーカーの音がコンクリートに響く。

 外は思った以上に冷えてて、緑のパーカーの前を慌てて閉め直す。

 

「すっかり寒くなってきたね……今年は寒くなりそう〜……」

 

 はぁあ、って、白い息を吐きながら、隣の顔をちらっと見上げる。うわっ、うっすら息見えてるし。こんなに冷えるっけこの時期。

 お姉ちゃんはさっきからずっと前を見たまま、ちょっと俯きがちで歩いてた。反応が帰ってこないことも相まって、流石にあたしも不思議になる。

 

「…………ねえ、お姉ちゃん、どうしたの?」

 

 返事は、ない。

 階段を上る靴音だけが続く。

 

「おねえちゃ〜ん? おーい、さっきから聞いてる?」

 

「……っ! ん、なに、どうした?」

 

 ようやく気づいたみたいに、お姉ちゃんがまたびくっと縦に肩を揺らしてこっちを見る。その顔、ちょっとだけ真面目というか、考え込みモードのやつだった。

 

「もう! さっきからずっと呼んでるのに。何か考え事でもしてるの?」

 

「…………あ、あぁ。ごめん。……そいや吉沢春樹……アイツの顔、あと『吉沢』って苗字、特にそれがなんか聞き覚えがあってさ。昨日も少し思ったんだけど、その事で、ちょっとな」

 

「? 春樹くんのことで?」

 

 ポケットに両手突っ込んだまま、あたしは視線を少し下に落としつつお姉ちゃんを見つめ返す。さっきまでカウンターの中で見てた顔が頭をよぎる。

 

「ていうか、聞き覚えも何も、そもそも春樹くんとはお姉ちゃん初対面でしょ?」

 

「あぁ……いや、そうなんだけど。なんかさ、それだけじゃなくてあの顔も、どっかで見覚え自体はあってさ。まさかなーとは思ったんだよ。正確にはアイツが、なんか誰かに似てる気がし…………」

 

 そこで、お姉ちゃんの言葉が途切れた。

 頭をがしがし掻いたあと、階段の途中で言葉と共にその仕草と脚をぴたりと止める。

 

「…………………!!」

 

 横顔が、目に見えて強張る。

 目を見開いて、何かを一気に繋げたみたいな顔。

 

「お、お姉ちゃん? えっなに、こわいこわい、どうしたの?」

 

 汗がつっと、お姉ちゃんの頬から首筋を伝う。

 こっちは訳が分からなくて、ぱちぱち瞬きしながらその顔を覗き込む。

 

「……………まさか、アイツ………!?」

 

 小さく息を呑んだあと、そう叫んでお姉ちゃんは慌ててスマホを取り出す。

 階段の踊り場に立ち止まって、物凄い速度と器用な指つきでフリック入力を始める。画面の光だけが、薄暗い階段を照らす。

 

「? ど、どうしたの!? お姉ちゃんさっきからなんか変だよ?」

 

「…………………………」

 

 返事がないまま、お姉ちゃんはしばらく黙り込んで画面を見つめ続ける。

 スクロールする指先だけがちゃきちゃき動いて、その横顔はどんどん真剣になっていく。階段の踊り場で立ち止まってるから、ちょっとだけ夜風が吹き込んでくる。

 それはまるで、さっきまでSTARRYの中に残ってた熱気が、完全に抜けていくみたいな冷たさ。

 

「…………虹夏」

 

「えっ、なに」

 

 数秒間スマホを覗いたまま停止していたお姉ちゃんが、やっと画面から目を離す。そうして、真っ直ぐこっちを見る。その目は、完全にまた店長モードのやつだった。

 

「アイツ、吉沢…………って苗字、父親が……音楽やってるとか言ってたよな」

 

「えっなになに、だからこわい! どうしたのさ。言ってたけど、何で?」

 

 あたしは急に真剣な口調になるお姉ちゃんにビビりながらその問いについて考える。何の話だっけそれ。ぼっちちゃんと一緒にドリンクカウンターでワチャワチャしてた時のことを思い出す。ううん、違う。多分そこでは話してない。

 もっと前。そう。

 お姉ちゃんが面接じみたことをしてた二日前だ。あの時、春樹くんはお父さんが音楽をやってる的なこと言ってたな、確か。

 なんか、あの時は普通に「音楽一家なんだな〜」くらいで流してたけど。えっなに、その話?

 そう思ってお姉ちゃんを見つめ返す。

 

「…………」

 

 お姉ちゃんは考え事をするように握った手を口元に当てつつまた一瞬固まって、再び画面にちらっと視線を落とす。そして、ゆっくりと息を吐く。

 

「……アイツ、吉沢…………もしかしたら──────」

 

 そこで、言葉が切れる。

 階段下から吹き上がってくる冷たい風の音と、遠くの車の音だけが聞こえた。

 

「……お姉ちゃん?」

 

 それは、たぶん何かを確信した人の目。

 でも、それをまだ言葉にしない顔でもある。

 あたしには、その中身まではまるで読めない。

 けどひとつだけ、今日一日一緒に見てて、はっきり分かってることはあった。

 

「ね、ねえ」

 

「ん?」

 

「春樹くんのこと、なんなのかはよく分かんないけど……」

 

 あたしはポケットの中で手をぎゅっと握る。

 

「ぼっちちゃんのこと、ちゃんと見てくれてる人だなってことだけはさ、春樹くんのこと、あたしにもよく分かったの」

 

「うん。……まあ、さっきも似たようなこと言ってたしな」

 

「うん……」

 

 さっき、カウンター越しに見てたふたりの顔。おじ様達に対応する時の横顔。ぼっちちゃんのテンパり具合も、春樹くんのフォローも、間近で見てたから。

 

「だから、もしその『吉沢』って苗字のことが、なんか重い話だったとしてもさ」

 

「…………」

 

「ぼっちちゃんに変なこと起きそうなら、その時はあたしもちゃんと見るから。……そこだけは、信じてて」

 

「………へぇ」

 

 自分で言ってから、ちょっと大袈裟に言い過ぎたかなって思ってお姉ちゃんの顔を見る。でも、返ってきたのは、呆れ半分・安心半分みたいな笑いだった。

 

「……そ。じゃあ、まあ、フォローは任せる。虹夏のバンドだしね」

 

「えへへ」

 

 そう言って、お姉ちゃんはポケットに手を突っ込みながら夜空の方へ目を向ける。あたしはそんな彼女を見上げる。横から見えるさっきまでの鋭い目つきが、少しだけ和らいだ。

 

「……ま、そうだな。ただどっちにせよ」

 

「うん?」

 

「少し、明日聞かなきゃいけないことが出来た。アイツに」

 

「……今は、それは話せないの?」

 

「まだ確定じゃない。ほぼ当たってると思うけど。だから明日話す。裏をとった上で喜多とか山田とか、ぼっちちゃんも集めて話すから」

 

「そんなに重大なこと?」

 

「──────たぶん、アイツの根幹に関わること。合点がいったんだよ。吉沢の妙に歯がゆかった最初の顔とか、やたらと裏方にこだわりたがるあの言動とか」

 

「……………揉めたりとかはしないでよ?」

 

「しねーよ。……こっちだって配慮はしなきゃだし。本人も、話したくないかもしんないしな。だけど、こっちはお前らのことも預かってる身だ。そこで腹を割って聞かせてくれる奴じゃないと、虹夏たちのことは任せらんないでしょ」

 

「それは────………まあ、そうだけど」

 

「まあいずれにせよ、アイツが誰だとしても、ぼっちちゃんの隣に立つ以上、こっちもちゃんと見とかなきゃな。それは変わんないし」

 

 そう言って、また階段を登り始める。お姉ちゃんはいつになく真剣な顔だった。気のせいか、さっきより、少しだけ歩幅が軽くなってる気がした。

 さっきの「もしかしたら」の続きを、あたしはまだ知らない。

 でも、胸の中で決めたことがひとつだけある。

 ぼっちちゃんが “ヒーロー” になろうとしてるなら。

 隣に立つ人がどんな過去を持ってても──あたしはちゃんと両方見ててやる、って。

 

「──────そうだね。あたしも、そこは頑張んないと」

 

「だから、ちゃんと見ててあげなね。虹夏」

 

「フォローは任せたよ、妹」

 

「うん、任せて。お姉ちゃん」

 

 そんな風にお姉ちゃんに返事をしながら、あたし達は冷たい手すりに指をかけて、家までの最後の段を一緒に上がっていった。

 

 

 

 

 

 

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