※
「……あ、その、でも、具体的にどんなところに……行けば、いいんでしょう……」
自分で口にしたくせに、言ったそばから心臓がキュッとなる。
春樹くんと、デート。
言葉にするだけで胸の奥がむずむずして、むずむずし過ぎて、すぐ「やっぱ無理です」って言って逃げ出したくなる。
私、後藤ひとりという人間には、とにかくそれが似合わないのだ。
デートとか、そういうまっとうな青春イベントは。言うなれば分不相応。陰キャの辞書とかに書いてあるやつな訳で。
「んーーーそこなんだよねぇ、どうしたもんかなぁ〜……」
一方の虹夏ちゃんは、パイプ椅子の背もたれにだらりと体を預けて唸る。
STARRYの天井は低くて、冷房の風と冷蔵庫のモーター音が、がらんとしたホールの空気をのんびりとかき回す。
赤いアーチの向こうは、相変わらず、ちょっとだけ非日常の匂いがする。そのタイミングで。
「お疲れ様でーーーす!!」
ガチャッ、とドアが勢いよく開いた。
アーチの下から差し込む光の中に、見慣れたシルエットが浮かぶ。
「あっひっ!?」
反射的に奇声が漏れる。
あ、やば。嘘。こんなタイミングで。まさに噂をすれば、なんとやら。
「あっ、は、春樹くん……」
名前を呼んだ瞬間、自分でも分かるくらい声が柔らかくなるのが分かった。
胸のあたりがじんわり熱くなって、視線を合わせるのが恥ずかしくて、でも見たくて、結局ちらちら盗み見てしまう。
「やほ、ひとり! お疲れ〜〜……ってなに、何の話してたんだ? まだバイト前にしては早いし、てっきり練習してるもんかと思ってたけど」
春樹くんはカバンをテーブルの上に置いて、気さくに私へ声を掛けてきてくれる。その目が私のところで止まった瞬間、条件反射みたいに背筋が伸びた。そうして、私たち四人の顔を順番に見ていく。
「あ、い、いえ、別に……!!」
まさか “デートの作戦会議してました” なんて言える訳ない。
そんなの、口から出た瞬間に即死エンドだ。と、思った次の瞬間。
「お疲れ春樹。ぼっちとデートするんでしょ」
リョウさんが、いつもの無表情でボソっと爆弾を落とした。
やぁ、と適当に手を振りながら。やぁ、じゃない。
「そおそぉ! ぼっちちゃんも含めて作戦会議してたんだよね、ね〜喜多ちゃん☆」
「そうですそうです!! 春樹くんとひとりちゃんのデートの話なんて……こんな面白い話、盛り上がらないわけないですからね!」
「あ゛ひゃ゛ぁあぁぁぁぁ!? ななななななななんで話しちゃうんですか皆さんんんんんん!?」
言った。えっ言った!?
この人たち、普通に言った!? なんで!?
顔の皮膚が全部はがれていく感覚がする。
目ん玉も鼻も口も、ぜんぶ地球の遠心力で吹き飛んでいきそう。
私の尊厳も今、軌道を外れて宇宙まで飛んでいった。
「その方が面白いし」
「ひっ酷いですリョウ先輩ィィッ……!!」
抗議する声も情けない。
でもそれよりも、真っ赤になっている春樹くんの顔の方が、私には破壊力抜群だった。
「お、お前ら……っっ、人の色恋沙汰になんつー乱入の仕方してんだオイ!!」
うわ、好きな人が「色恋沙汰」って言いましたよ。
今、すごく自然に言いましたよ。そのせいか、心臓がさっきよりもさらに大きく跳ねる。
「いやぁだって三人寄れば文殊の知恵って言うじゃん?? それにぃ、春樹くんがウチのギターを変なデートに連れていく可能性も減るしねぇ??」
「はっ、はぁあぁぁっっ!? へ、変なデートってなんだよ!?」
わちゃわちゃと言い合う声を、私はテーブルの端っこで縮こまりながら聞く。恥ずかし過ぎて耐えられない。逃げ込む。こんな状況陰キャにはしんどい。楽しそう。なのに、そこにちゃんと入り込めない自分が少し悔しい。
虹夏ちゃんは吃る。
「そ、それは…………」
「……」
顔をほんのり赤くしながら、喜多ちゃんも目をそらす。
その視線の先には、座り込んでいる私。えっ、なんの話?
「………ねぇ? 変なとことか、ねぇ?」
「オトナの場所だよ」
とか思ってたその時。
リョウさんが、またさらっと爆破スイッチを押した。
「?!??????!??!?!!!!!!?????」
その瞬間、体感、脳の回線が二十本くらい一気にショートする。
さっき宇宙に飛んでいった尊厳が、再突入時に大気圏で燃え尽きていく。
(えっ、えっ、今の、今の話って、もしかして、そ、そういう……えっちな場所の……!? え、で、デートって、そういうルートも、この世には、存在して……いや無い無い無い無い無い!!)
頭の中でアダルトな単語がチカチカ点滅し始めて、一八禁マークに加えてモザイク塗れの変な内容が頭に膨らむ。脳裏が一気に真っピンクになる。慌てて非常停止ボタンを連打した。
「は、はぁ? どこの事だ、よ……」
言葉を途切れさせる春樹くん。一拍おいてから、ゆっくり顔を真っ赤にしていくのが見える。理解が追いついた瞬間の「うわぁあああ」って顔。
「はぁあああああぁあああああ!? お、お前ら俺の事なんだと思ってんだ!?」
「え? 春樹くん、何を妄想したの? えっちぃ〜〜〜〜〜♡」
「や、やっぱり春樹くんも男の子なんですね………ひとりちゃんのこと、そういう目で……きゃ〜〜♡」
「だれが見るかぁああああああああああぁああぁ!!」
虹夏ちゃんと喜多ちゃんが、ニヤニヤしながら追撃する。春樹くんは悶絶必至な様子で頭を抱えて、背中を仰け反らせながら全力で叫ぶ。
あ゛っ。やめてお願いします、それついでに私のHPも一緒に削れていってますから(瀕死)。お願いだから辞めてください。
だけどその瞬間、緊急停止したはずのNGゾーンからまたピンクな妄想が漏れ始める。
(で、でも…… “男の子” ってことは、つまり、こんな私を女の子として、そういう……対象として、見たり、する、こともあって……? い、いやいやいやいや、何言ってんの私。ミジンコ陰キャ如きがどこのラノベヒロインみたいなこと考えてんの、調子乗り過ぎぃぃぃ!!)
自分で自分をビンタしたくなりながら、机の影で丸くなる。
「ひ、ひとり? だ、大丈夫か?」
「ひゃ、ひゃ、ひゃぃい……!?」
春樹くんが一瞬、チラッと私の方を見た。目が合う。
ただそれだけなのに、「今絶対なんか変な誤解されてる」と思い込んでしまって、頭が真っ白になる。あ、ちが、ちが、ちが……。
「あひゅん………」
視界の端がバチバチとノイズで満たされていく。ぱぁん、と意識と身体が弾け飛ぶ。
次の瞬間には、私はまたもや爆散して、床にぺらぺらの紙切れになっていた。
毎日どこかしらで死んでる気がする。私の人生。
「うわぁぁぁああぁあああああひとりぃぃぃいいいいぃぃぃ!?」
春樹くんが慌てて私を支えてくれる手の感触だけが、やけにリアルだった。意識が戻って、薄ぼんやりとした視界を開く。その時、何気なく春樹くんの顔を見る。また、彼の顔は真っ赤なリンゴみたいになっていた。
「ふぁ……?」
どうしたんだろう。
春樹くんの視線の先をたどって、自分の胸元に目を落とす。
「……………!」
ピンクのジャージ。
そして、その下で自己主張している、全然可愛くない「現実」。
あ、これ、見られてた……?
「ッッ!!」
「うっ、うわぁああ!! ごめんひとりぃぃ!!」
春樹くんが、バッと距離を取る。ぁう、と倒れ伏せる。慌てて彼は「あっ、ご、ごめん」と謝ってくる。
だけどその謝罪がさっきまで見られていた、という認識そのものに変わってまた、私の自意識に油を注ぐ。
「え、ぁっえっ、あっ、すすすすすすすみません、私の方こそぉぉお……!!」
何に謝ってるのか、自分でも分からない。
とりあえず、咄嗟に自分の体を両腕で抱きしめるみたいに隠す。
「たっ、たるんだ無価値な身体見せてすみません……」
「えっ、あっいや、そういう訳じゃ……てかなんか思ってた反応と違……いやそうじゃない!!」
春樹くんは何かを呟いて悶絶し、両手で顔を包みながら更に全力で仰け反る。
それを見た私も私で、頭を抱えたくなった。
どうしてこう、余計なところでセルフディスカウントしてしまうんだろう。いや、でも。……だってこんな脂肪の塊みたいなだらしない身体なんかより、スラッとして綺麗で華奢な喜多ちゃんや虹夏ちゃんの方が良いに決まってるし。
(で、でも……さっき、ちょっとだけ、目が……いやいやいや、違う違う違う。仮にもし、万が一、億が一、春樹くんが私のこの胸をそういう “目” で見てくれたとしても……それはその……男の子として、健全な、あの、その、えっちな……)
「あばぁ゛ばばばばばば」
「うわ、また顔面崩壊してるぼっちちゃん」
「ぼっち、顔やばい」
自分の思考に悲鳴を上げる中、虹夏ちゃんとリョウ先輩の引くような声が聞こえてくる。だけどそんなことに視野を割く余裕も無い。
(な、なに考えてるんですか私ィィィィ!? ちょっと優しくされたくらいで、どこのラブコメ主人公気取りなんだ!? 恐れ多いにも程があるだろ忘れろ忘れろ忘れろ陰キャには無縁っ、ミジンコ陰キャには無縁なんだァァァ!!)
心の中で何度も全力で土下座して頭を打ち付けていると、背後から虹夏ちゃんのねっとりした声が春樹くんへ飛んでいく。
「あーれあれあれぇぇぇ?? ていうかさ、えっ? 今、見ちゃったよね、ねぇ春樹くん」
「は?」
「今、ぼっちちゃんのどこ見てたのかなぁ?」
「んなぁッッ!?」
春樹くんはヤカンみたいに顔を一気に赤くして、まくし立てるように虹夏ちゃんへ叫ぶ。
「どっっっ、どこも見てねぇよッッッッ!?」
「嘘つけ変態」
「はぁあああぁッッ!? 誰が変態だ金返さねーこのドクズベーシスト!」
「返してる、不定期的に」
「すぐ返せや!!」
「おっ、オトコノコですもんねぇ」と喜多ちゃんも顔を赤らめて手を添えてにやにやする。
もうやめてあげてください。春樹くんが可哀想です。
あとついでに私のライフもとっくにゼロです。彼をからかわないでください、あっ無理。これ死ぬ、私も恥ずかしくて死にそう。
そう心の中で合掌しつつ、私はテーブルの端っこでちんまり座り直した。その時、虹夏ちゃんが「はいはい、おしまいおしまい、収拾つかなくなっちゃうからね」と苦笑したままパンパンと手を叩いて強制終了させる。
「……真面目な話するとね。ほら、春樹くん。ぼっちちゃんって人前とか、いかにもカップルとかいるような感じの場所、基本的にダメじゃん?」
「えっ? あぁ、まあ、そーだよな……」
「………だから、えっと、つまり。虹夏としては何か思うところあるってこと?」
春樹くんはまだ恥ずかしそうにしたまま、それをどこか誤魔化す様な表情でがじがじと後頭部を掻く。彼は目を逸らしたまま頬を赤くしていて、それがどこか少し可愛い。だけどその会話の流れで、何故か虹夏ちゃん達と春樹くんの視線がまた、私に向く。
「あっひゅっ……!?」
肩がびくっと跳ねる。
さっき決意したはずの「挑戦」が、今にもどこかへ逃げ出しそうになる。
「そういうこと。まぁ、虹夏だけに限った話じゃなくて、郁代や私も含めて、春樹としてはぼっちとのデートはどうするつもりなんだろうね、ってことを話してたんだよ」
リョウさんの言葉が、静かに場を締める。
さっきまでのからかいモードから、少しだけトーンが落ちた。
「………それに対しては、ぼっちの方からさっき決意が固まったこと、あるみたいだけど」
「ひぇ……!?」
いきなり話を振られる。えっ、そ、そんな。今振るんですかリョウさん。これは多分、さっきの、虹夏ちゃん達との「挑戦」の話だ。
(え、え、どうしよう、なんて言えば……えーと……えーと……)
頭の中の引き出しを、慌てて全部ひっくり返す。例に違わず、陰キャはこういうのに弱いのにぃぃ。こんなの、こんな状況の対処法なんて日本陰キャ協会の調べにも載ってない。何も参照できない。どうすれば、なんて言えば。
「? 何か、行きたい場所とかあったりするのかよ、ひとり?」
「えっ、あっ゛」
その時、まあ見事に崩壊しているであろう私に対し、春樹くんは少しだけ柔らかい声で私に問いかけてきた。
縮こまって三角座りをする私に目線を合わせるように、そっと屈み込む。その優しさが、余計に恐ろしい。期待させて、がっかりさせたくないから。
「あっ、えっと、あ、えっと………」
言葉が喉で絡まる。両手の指をこねくり回してそっと指先で重ね合う。
目が合うと、反射的に逸らしてしまう。
でも、もう逃げないと決めたはずだ。でも、でも怖い。なんて言えば。
思わずギュッと瞼を強く閉じてしまう。その時、肩甲骨辺りにそっと優しい感触が響く。
「ほぅらぁ♫ ぼっちちゃん、がんばるんでしょ? 普段行けない場所、一緒に行きましょ、って! 私、頑張ってみたいですって!」
背中から、彼と同じ様に屈んできた虹夏ちゃんが私の両肩をそっと触れてくる。その声は密かな小声。同時に彼女の手の温度が、震えを少しだけ和らげてくれる。
「ふぁ、ふぁい……!!」
変な返事。
でも、ちゃんと頷けた。
にっ、逃げちゃダメだ。虹夏ちゃんが、作ってくれて、お膳立てしてくれた場所なんだから。
「あっ、えっと、は、は、春樹くん………」
おそるおそる顔を上げる。
視界の真ん中に、春樹くんの目がある。目が合うだけで恥ずかしくて内側からまた吹き飛びそう。堪らなく頬が熱くて仕方がない。
「お、おぅ。……どっか、行きたいとこ、決まったのか?」
彼は苦笑いをしつつも、変わらず優しい口調でそう尋ねてくる。多分、虹夏ちゃんがサポートしてくれてることはバレバレ。だけど、それでも敢えて春樹くんはそこに関しては見て見ぬふりをしてくれる。
この人は、本当に温かい。
それに勇気を貰う。視線を少しだけ俯かせて、またもう一度上げる。
「春樹くん……私」
「あっ、うっ、そ、その、ふ、普段だったら、ひっ独りじゃ絶対…………」
声が上擦る。
それでも、言葉を止めたくなくて、胸のあたりをぎゅっと掴む。
「……なかなか、行けない所も……多いんですけど……は、春樹くんとなら、い、色んな、とこ、いって、み、み、みたい、です………」
やっとの思いで絞り出した告白は、情けないほどたどたどしくて。でも、それが今の私の精一杯だった。
「……ひとり……」
不思議そうな声をあげて目を見開く春樹くんに、無表情だけどどこか楽しそうにしているリョウさんの声が届く。
「……まあ及第点じゃないかな、ぼっちなりには頑張って言えた方だよね」
「あはは……」
虹夏ちゃんが苦笑して、肩をすくめる。
「ま、まあどこに行きたいかは流石に言えないみたいだけどね」
「あっ……!! そ、そういうわけじゃなくて……」
その彼女の言葉にハッとして慌てて手をぶんぶん振る。
「ただ、あんまり普段行かない所なんて、あり過ぎて、なかなか、出てこないというか……その…………」
私が慌てふためいていると、彼はそれを察してくれたのか、また柔らかく微笑む。「………ふふっ、分かった」
「ひとりが、精一杯頑張ろうとしてんのは、よく伝わってる。それは、その都度考えようぜ?」
「ッ……」
その笑い方がずるい。やさしい。いいひと。いやほんとに。
あぁ、好きだなぁって、また思ってしまう。
「………!! め、迷惑じゃないですか? わ、私多分……ホントに行くたびに色々拗らせちゃうと、思うんです」
不安が、思わず口から漏れた。
「……大丈夫。それはよく知ってるし、無理しない程度で全然良いよ。一緒に考えよ?」
落ち着いた声。
あの日、喜多ちゃんに告白されたあの夜に、背中を押してくれた声と同じ。一緒に寄り添ってくれる、そんな優しさ。
「聞いたぞ。文化祭の時とかも、色々行ってみたら意外と楽しめてたんだろ? な、虹夏、そうなんだったよな?」
そうしてふと彼は虹夏ちゃんの方へ首を向けて話題を振る。
「うん! ぼっちちゃん、失踪して探すの大変だったけどね」
虹夏ちゃんは、苦笑まじりにため息をつく。
「……でも、何だかんだ楽しそーだったよね。ね、どう思う? 喜多ちゃん」
「ふふっ、そうですね。ひとりちゃんのクラス、メイド喫茶やることになってて、それが恥ずかし過ぎて逃げ出しちゃってましたもんね」
そうして今度は喜多ちゃんも話の振り方に呼応しつつ、虹夏ちゃんの隣に屈み込んでは、ほんのひと月弱前の事を懐かしむ。目じりを細くして、長い睫毛がゆらゆらと揺れるのが見える。
「私も、あの時のひとりちゃん……何だかんだ楽しめてたように見えました」
「あっ、うっ、あの時は、その、ちょっと現実逃避も、ありましたけどね」
余りにも私自身のメイド姿になんて需要を感じられなくて、恥ずかし過ぎるのと惨めすぎるのに耐えられなかった覚えがある。
だけどそれを聞いた喜多ちゃんも、小さく吹き出す。「ふふっ、それはバレバレだったわよ、ひとりちゃん」
「あっそうですよね」
ですよね。サクッと矢印が私のハートに刺さるけどその通りなので何も言えません。
「クソ、そういやあの時って、クラスメイトのヤツらに連れ回されてひとりのメイド服姿見逃してたんだよな…………」
春樹くんが、がくっと肩を落とす。えっ。思わず彼へ私は目を向ける。
「ドンマイ。写真撮ったやつあるよ、春樹」
「え゛っ!? りりりり、リョウ先輩ッ!?」
それを聞いた私はリョウ先輩へ今度はギョッと視線を向け直す。
思わず、また宇宙まで顔のパーツが飛び出していきそうな気分になる。それを聞いた春樹くんは光の速さでリョウさんへ近付き、いつの間にかお財布を構える。
「なにそれ詳しく」
「欲しい?」
「寄越せ」
「一枚二千円」
「高くね?」
春樹くんは白目になり、リョウ先輩を見つめ返す。ていうか、ま、待ってください、なんでさりげなく売ろうとしてるんですか!?
「ひゃぁああぁッッッッ!? だだだだだだだめですそんなの、メイドの格好してたのなんて売らないでください!! というかリョウ先輩、何でそんなの持ってるんですかぁあ?!」
「需要あるからね。密かに撮ってた」
「盗撮ッッッ!!」
私も私で頭を抱えて叫ぶ。この人はそんな事をさらっと言いながら、白目のままの春樹くんから二千円を受け取り、スマホを操作し始める。
「高ぇ………」
「毎度あり」
春樹くんがお金を渡しているのを見て、私は頭を抱えたくなる。にやり、とリョウ先輩は口元だけ微笑む。そんな価値ないです私のメイド姿、大事なお金仕舞ってください、と言おうとしたその時。
「やめんか!! バンド内でお金を徴収するな盗撮するな山田ァ!」
「Oh My Godness……ぐはッッッ」
虹夏ちゃんが、べしっと例のごとくリョウさんを張り倒す。そうして先輩は謎に英語を話してまた地面へ崩れ落ちた。あっありがとうございます、虹夏ちゃん。リョウさんの手元から零れたお金は没収されていく。心の中で静かにお辞儀する。
「…………」
そうして私は、そんなわちゃわちゃしたやりとりを見ながら、ふと胸のあたりが少しだけ軽くなるのを感じた。
そうして、あの時もこんなんだったな、なんて思い返す。
そう、文化祭のとき。
リョウ先輩が射的で得意げなドヤ顔を見せる姿。虹夏ちゃんがワクワクした様子で展示物を見て回る姿。喜多ちゃんが美味しそうに綿あめを頬張る姿。
それらの全てが記憶の裏側から身を寄せてくる。何となく、勝手に頬が弛む。
「あっでも、文化祭の時はいつもなら、ああいう学校行事全く楽しかった記憶ないんですけど……」
「あっ、あの時は、その……た、たのしかった、です」
こうやって茶化されて笑われて、でもそれを「楽しい」って思える今の自分が、昔よりすこしだけ好き。だからだろうか。
気付いたら、本音が口から零れていた。
絡み合っていた虹夏ちゃんとリョウさんが、その言葉に気付いたように私を見る。
春樹くんも、顔を上げてこちらを見つめていた。
「…………!」
喜多ちゃんが、隣で微笑む。
「…………そっか、なら良かった。はい、春樹くん。大事なお金をこんなしょーもない事に使わないの」
「お、おぅ。ごめん」
虹夏ちゃんは、さっき取り返したお金を春樹くんに返しながら、そう言ってふっと息を吐く。
リョウさんはぴえん目で、そのお金を名残惜しそうに見つめていた。
「…………今日のご飯代……」
「……でも、肝心のデート内容、なかなか決まんないね?」
リョウ先輩のそのなんとも言えない哀しげな声をガン無視する虹夏ちゃんはそうして腕を組んだまま、隣に立つ春樹くんを見上げた。ブンブン頭上の触覚が回っている。また自動で動いてる……。
「そうだな。うーん、どうしたもんか」
春樹くんもそうして後頭部をゆっくり搔きながら考え込む。横を見ると、リョウさんが床に突っ伏して、ぺちゃんこになっていた。
「……」
「せ、先輩、今日は私が奢りますから」
喜多ちゃんが心配そうに屈み込む。
「しなくていーから! リョウはこういう時くらいは反省させなきゃダメだよ喜多ちゃん、甘やかさないで!」
「えっ! あっ、はい!?」
虹夏ちゃんが困ったように呆れ顔で怒りながら注意する。
……でも、言ってる割に、いちばん甘いのは虹夏ちゃんだと、私は思う。
「いくよ〜………にじかぁ………」
リョウさんが、わざとらしいぴえん目のまま再びむくりと起き上がると、両手を合わせて拝む。その声は、心做しか前に聞いたことあるような感じで物凄く切なげ。喜多ちゃんは「あう゛……っ」と呻く。
虹夏ちゃんもなんならビクッと肩を揺らしてダメージを食らう。ギギギ、と目を背けて震える。
「うっ゛……き、今日はそんな顔してもダメだからね!!」
「おねがい………飢え死にする……」
「…………」
虹夏ちゃんはコンマ数秒ほど苦虫を噛み潰したような顔をして、唸るような感じで目をギュッと瞑る。
「…………もーーーーー!! 分かったよ、今日のご飯作ったげるから、夜はうちに来い!!」
「……」
やっぱりいちばん厳しそうだけど、いちばんリョウさんを甘やかしてるよこの人。私は遠い目で虹夏ちゃんとリョウ先輩のやり取りを眺める。当のリョウ先輩本人は先程までの切なげな涙目はどこへ行ったのか、いつの間にかキリッとまた無表情に戻っていた。
そのまましゅびっ、と虹夏ちゃんへ敬礼を向ける。
「下北沢の天使に敬礼」
「…………お前ん家って裕福なんじゃねえのかよリョウ………」
「頂ける善意はありがたく頂くもの。これ、世界の常識」
「ふてぶてし過ぎる」
春樹くんがまた白目になり、リョウさんとそんなやりとりをする横で、不意に私は小さく笑ってしまう。
この人たち、本当に、バンドやってるの不思議なくらい生活力のベクトルおかしい。喜多ちゃんも、隣で私と同じ様に遠い目のまま苦笑している。
「あ!! ていうかそーじゃん! いいこと思いついた!!」
その時突然、虹夏ちゃんが、ポンッと手を打つ。
「? 何が思いついたんだよ虹夏」
春樹くんが、期待半分、不安半分の顔で振り向く。
「せっかくだしさ、それなら二人に依頼をお願いしようかな? ぼっちちゃん、覚えてる? 喜多ちゃん入ってまもない頃にアー写撮影したこと!」
「あっ……!! はい、覚えてます……!」
特徴的な木の絵が書かれていた、あの駐車場間際の壁。皆で何故かきららじゃんぷをしながら撮った写真。部屋に大事に飾ってて、大量印刷までしたっけ。お母さんに壁に貼ったヤツは全部取り上げられたけど。
そんな、みんなで並んだ、あの時の空気が一瞬で蘇る。
「どちらにせよ、あたし達、また新しいアーティスト写真撮らなきゃいけなくなるだろうから、それに備えて撮影スポットの候補を探してきて欲しいんだよ〜!」
両手を合わせながら、虹夏ちゃんがにこにこ笑う。
「あっなるほど……確かに……それは大切かもしれない、です……」
それなら「デート」っていうより、「結束バンドの活動の一環」って言える。呼吸が、少しだけしやすくなる感触がした。
春樹くんは感心した様子で口を開きつつ、納得する様な仕草で頷く。
「なるほどな、確かにそれはいずれまた必要になるもんな。候補は多いに越したことはないし。……場所とかはなんでもいいのか? オシャレな場所、写真撮るのに適したとこなら」
「うん! それはあたし達側で決めていくつもりだけど、まずはぼっちちゃんと春樹くんで候補だけ見つけてもらって、その中から選び抜こうかなって! その時は場所をマップとかに残してといてくれると助かるなぁ。お願いしてもいい?」
下北沢の天使様はそういって可愛く私と春樹くんに両手を合わせてきた。こんな上目遣いでお願いされて断れる人類、存在するのか。
「………………だってよ、ひとり。……行くか?」
隣に立つ私を、春樹くんは横目で優しく見つめてくる。
「…………っ!!」
胸がキュン、と鳴った。思わず強く目を見開く。
顔が熱くなっていくのを隠せない。
「……はっ、はいっ……!!」
嬉しさが、言葉の端から漏れる。
抑えきれてないのが、自分でも分かる。バレバレだ。こんなのもう、隠しようがない。でも────それでもいい。だって、この人は別にそれをバカにしないから。
「んじゃあ決まりね! お姉ちゃんには私から話しておくから、この後もう行っといでよ! 訳あって学校の行事で遅れてる、的な事言っといてあげるし」
「この後!? って、練習あるんだろ?? まあ今日は特にライブのイベントは聞いてないとはいえ、人が居なくなったら店長も困るかもだろ。営業だってまだするだろうしさ」
「えっ、えっ……今からですか?!」
心の準備が追いついてなさすぎて、思わず春樹くんと私は素で叫んでしまう。
「まーそれはそうなんだけど、最悪そこはリョウもあたしもいるし! 三人で何とか回してみるよ。今日は暇らしいし!」
「私も伊地知先輩たちと手伝うわよ、春樹くん。大事なひとりちゃんのデートだし!」
そうして喜多ちゃんも両目をキラキラさせて虹夏ちゃんに同意しつつ春樹くんへそう伝える。「何よりも」と虹夏ちゃんは人差し指を少し立てつつ眉、を八の字にして続ける。
「ほら。それにさ、ぼっちちゃんとしてもいきなり長時間デートは無理があるでしょ?」
「あっうっ、えっ、……そ、それはまあ、確かにその、難易度は高いんですけど……」
「それか、やっぱり週末にしとく?」
虹夏ちゃんは気を遣ってくれてるみたいで、私へ色々問いかけながら首を傾げる。正直、あまりにも展開が早すぎて脳が着いていけてない。
だから、全くもって決まる気がしない。そのまま私は彼女の言葉に頭を抱えて、ぐるぐると思い悩む。
「うううっ……でも週末まで待つのも………だけど、確かに虹夏ちゃんの言う通りかも……しれませんし……」
虹夏ちゃんにそう言われて、私はつい先のことを予想してみる。
正直、春樹くんとのデートなんてそりゃ行けるならすぐ行きたいとは思う。それに、放課後デート、って響きはちょっと憧れるし。
そもそもそれは、陰キャにはこれまた余りにも無縁な代物な訳で。
でもそれ以前に、「長時間デート」っていうワードも、胃を確実にキュッと掴んでくるし。どうしよう。
「んー〜、まぁでも、ほら? もうすぐ結束バンドのライブも今週STARRYでやる訳だし、今は練習優先だろ? 店長にも悪いしさ。週末………そうだな、日曜とかにバンド終わったらでいいんじゃないか?」
すると、春樹くんも気を遣ってくれたのか、顎へ手を添えつつ、現実的なラインに落とし込んでくれる。虹夏ちゃんはそれに対してうーん、と春樹くんと同じような顔で問い掛けた。
「うーーん、でも正直、ぼっちちゃんの事だし、ロングデートキツいかと思ったからさ。週末で大丈夫そう? 多分放課後デートのがぼっちちゃん的に気は楽じゃない?」
「まあ確かに、俺もそうは思うけど……実際、ひとりは? どうしたい?」
虹夏ちゃんの質問に頷いて同意はしつつも、そうして春樹くんは私の方へ顔を向ける。
どうやら最終的には、私の意見を尊重してくれるつもりみたいだった。
相変わらず優しい。こちらへチラッと向けてきたその目はまっすぐで、ほんの少しだけ恐くて。でも、それ自体がただただ嬉しい。
「あっ、えっ、えっと……最初は、そうも思ったんですけど……」
正直、虹夏ちゃんの気持ちは嬉しい。だけど、完全に私的な春樹くんのデートで、店長さんや、虹夏ちゃんたちの負担になることは、やっぱりできない。気遣いも凄く有難く感じる。でも、やるべきことはやらなきゃ。
かなり長いこと思い悩む。だけど最終的に、私は目蓋を開いて、春樹くんや虹夏ちゃん達の方へ向く。
「……でも、やっやっぱり週末で、大丈夫です。て、店長さんや皆さんにご迷惑お掛けしちゃいますし」
言いながら、胸の奥でバクバク鳴ってる心臓の音が、自分でもうるさく思う。週末ということは、長時間デートを人生初に挑戦するということ。
それを聞いていたリョウ先輩の口元も弛むのが視界の淵に入った。
「……いいじゃん。やるね、ぼっち」
「……!」
そういって、真顔のままだけどどこか優しく、ちゃんと褒めてくれた。挑戦する事を選ぶ私を、ちゃんと見ていてくれていた。頬が、勝手にニヤケてしまう。止められない。
「あっ、うっ、は、はい」
「……ふふっ。じゃあ、決まりだな。それで行こう! 虹夏、それじゃあ、練習しようぜ」
その様子を見ていた春樹くんは、笑みを浮かべながら虹夏ちゃん達へ向き直る。
「そっか、まあ二人がいいんならそうしよっか! ぼっちちゃんも頑張るみたいだだし! ……週末、楽しみだね!」
「はっ、はい!!」
私も思わず意気揚々と返事をしてしまい、春樹くんがクスッと微笑む。それを見た虹夏ちゃんも満面の笑みで笑うと、手をぱんっと叩いた。
「よしっ! んじゃあそろそろ営業準備して、落ち着いたら練習開始で! 今日も頑張ろぉー!」
おーっ、とそれぞれが返事をして、各自持ち場へ散っていく。そろそろ店長さんも来る頃だろうし、在庫の確認と機材を運んでおかないと。
そうして私も、掃除用具を取りに、カウンター裏のほうへ向かおうとする。その時。
「せ、先輩っ! ひとりちゃんの例の『モノ』……ど、どうします? 私あの流れだとてっきり今日…………かと思ってたんですけど……」
少し離れたところで、喜多ちゃんが虹夏ちゃんにこそこそと耳打ちするヒソヒソ声が聞こえてきた。
後半の方はよく聞き取れないけど、私の例のもの、というワードだけは聞き取れた。
(……? 何話してるんだろう)
私に関する何かのこと?
反射的に物陰に隠れて、思わずそっと耳を傾ける。あまりこういうの良くないけど、何だか私に関係ありそうな気がして、つい聞き耳を立ててしまう。
「えっ、あ、そうだった! 週末まで、ロッカー仕舞っといて、ごめん喜多ちゃん」
ロッカー? モノ?
何か私たちの為に準備してくれてたんだろうか。ハッ、いやいやないない、こんなド陰キャミジンコ以下の私に対してそんなそんな。
「? なんの話してんのお前ら?」
箒を取りに来た春樹くんが、二人の近くで足を止めたのが聞こえた。あひっ。咄嗟に喜多ちゃんたちの裏側でこっそりしている私までビクッと肩を縦に揺らしてしまう。
「えっ!? あっ、いや今週のライブ、お客さんどれくらい入るかなーって! あはっ、あはは! ね、ねー! そーだよね喜多ちゃん!」
「そ、そーですそーです!」
二人とも分かりやすく汗を垂らしながら、ぎこちない笑い方をしているのが物陰の隙間から伺える。バレバレな嘘だなぁ、って思う程度には、私も人間観察が出来るようになったのかもしれない。
「ふーん?? まあ、なんかあったら言えよな?」
春樹くんがニカッと笑って、箒を肩に担いで歩いていくのが見える。彼はその内容を疑いもしないし、深掘りもしない。ほんとに素直な人だと思う。
「あ、あははは! う、ウン、アリガトー、春樹くん!」
「………ふぅ」
虹夏ちゃんは棒読みで誤魔化し、喜多ちゃんと併せて同時に息を吐く。
「…………上手くいくといいですね、あの二人」
すると喜多ちゃんが、春樹くんのほうを見ながら、小さく微笑んで囁くのが聞き取れる。
「…………そーだね。週末、フォローしてあげないとね」
虹夏ちゃんも、同じ方向を見て、くすっと笑う。
「はいっ!」
そのやりとりを、私はモップを持ちながら、その裏で彼女達をちらっと横目で見ていた。僅かに、俯く。
聞いてないふりをしながら、胸のあたりがじんわりと温かくなる。私なんかの為に、二人とも、何か準備してくれようとしてるのかな。
嬉しい。
見なかったことにはするけど、その二人の優しさだけは伝わってきて、どうしようもなく勝手に頬が緩んでしまう。うへへ。
「………」
(……がんばらないと)
私が束ねたい夢は、ひとり分じゃない。
結束バンドのみんなの夢。
そして、春樹くんとこれから見る景色の、全部。結束バンドのギタリストとして、歩むと決めた道。
泣きたい気持ちで、あの押し入れの中でギターを握ってた頃とは違う。
今はもう、「誰かと一緒に」鳴らしたい音が、ちゃんとここにはあるんだ。
「よいしょっと」
そうして一通りの掃除を終えた後、燃えるゴミ袋を外に運び出し、ゴミ捨て場へ静かに置く。ふぅ、と息をついて両手を軽く叩く。
そのまま何気なく、ビルの隙間から見える黄昏の空を眺めてみた。
「………」
茜色に染まっていく景色と電線。道路の方から流れてくる、頬を撫でる優しい下北沢のそよ風。見上げる視界に映るこの街が、前より少し怖くなくなったのはいつからだろう。
それがいつからだったかは、もうよく覚えていない。
だけど確かなのは。
ここから先の「夢」も、皆と一緒に過ごせるこの時間も。全部まとめて、ちゃんと抱きしめていたいと思ったこと。
これからも、ずっと、その全部を、ちゃんと見届けられる私になりたい。そんなことを、心から私は思う。
「……週末、楽しみだなぁ」
私は、静かに春樹くんとの週末にも思いを馳せる。
そうして、空を見上げたまま、そう何となくそう呟いた。
ここまで読んでくれてありがとうございます。
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最近、本当にコレ面白いか、限界までまた不安になってきました。低評価しか貰えてなくて本当にモチベも限界かもしれません。……連載の速度落ちたらすみません。
更新予定日は1/30 19:00~20:00の予定です。