青い春なんてもんは
僕には似合わないんだ
それでも知ってるから
一度しかない瞬間は 儚さを孕んでる
絶対忘れてやらないよ
いつか死ぬまで何回だって
こんなこともあったって
笑ってやんのさ
-結束バンド 「忘れてやらない」-
278-2526-4
※
「……」
駅前の電柱の影。そこであたし達三人は、ぎゅうぎゅうに並んで身を潜めていた。もうすぐ本格的に秋も半ば、なんなら冬も近づいてきてるっていうのに今日はなんかやけに暑い。
ついでになんか心臓も妙に動きがゆっくり。
あたしの方まで、あの様子を見ていると、何故かじんわりと汗が頬から首元へ垂れてくる。ついでに手汗も滲んできて、それを誤魔化すみたいに手のひらをぎゅっと握り込む。
なぜなら。
待ち合わせスポットのあたりで、うちのぼっちちゃんと────
(わぁ、ちゃんと合流できてる)
その恋人であるマネージャーくんの、実質初デートのご対面を、あたし達は見守っているんだから。
その様子を見た瞬間、思わず胸の奥でガッツポーズをかまさずにはいられない。するとその時、何やらうにっとした重みが肩にのしかかってくる。
「……ちゃんと合流できたみたいですね♡」
「んぐッ、き、喜多ちゃんいきなり乗っからないで……」
「虹夏、重い」
「喜多ちゃんが乗っかってきたからだよっ、ていうか! リョウは警戒一切しないから怪しまれるでしょーが!!」
小声でツッコミつつ、あたしは視界を斜め上に向ける。
あたしの肩に全力でもたれかかるうちの後輩。きらっきらに目を輝かせた赤い髪の後輩ちゃん。とりあえず降りなさい。一応あたし先輩なんだけど! まあいいけどさ!
とりあえずそれは置いとくにせよ、ぼっちちゃんのあの服のセンスはあたしから見てもヤバい。
可愛すぎる。正直、破壊力的には文化祭の時のメイド服やぼっちちゃんちへ遊びに行った時に見せてもらったあの私服の比じゃない。
どの服も可愛かったけど、今日の喜多ちゃんお手製のコーディネート技術はいつにも増してエグい気がする。
「まあ、にしても……喜多ちゃん、あの服……ナイスチョイス! すんんんごい可愛い!!」
小さくガッツポーズして、そっとハイタッチ。彼女は頬を赤らめて、それはそれは嬉しそうに両手を伸ばして頬へ添える。女子力高っ。
「えへへ♪ はいっ先輩……!! 何せ、この日の為にひとりちゃんに似合いそうなものを極限までこだわってチョイスしましたからね! これくらい朝飯前です!」
そうしてドヤ顔であたしの肩から離れたあと、謎のキターン☆ポーズを決める喜多ちゃん。えっへん、と胸を張り、両の手を腰に添えた自慢げな姿は、いつもの数倍は自信満々に見える。
その横で、リョウが壁にもたれたまま、死んだ魚みたいな目でぼそっと呟く。
「…………帰りたい………」
(いやっ帰らせるかぁ!)
心の中でだけ全力ツッコミしつつ、あたし達はそのまま物陰から、二人の後ろ姿をそっと見送った。
ぼっちちゃん、春樹くん、頑張れ。
応援してるよ。
電柱の横からそっと二人を眺めて、あたしは小さく、そんなことを思う。
※
恋って、不思議なものだと。
下北沢の景観の中で、ふと私は思う。
そして同時に、恋が突然始まるものなのだとしたら、いつだってそれは唐突なものなのかもしれないとも、考える。
十六年近く生きてきた中で、たぶん今日ほど心からそれを思う日は無い。
春樹くんの、左手。
それを、ちゃんと私は握り返している。
自然な仕草で、彼は私の指に、ゴツゴツとした硬くて───とても温かい指を絡ませてくる。
たったそれだけのこと。
でも、そのせいで胸の奥が、ずっと高鳴ったままになっている。
鼓動の音が、耳の奥でやたら大きい。まるで世界の全部がそのリズムに合わせて揺れているみたいだった。
喜多ちゃんから貸してもらった革靴っぽい見た目のブーツ。見た目はいわゆる、カワイイ系の靴なんだと思う。でも実際歩いてみると、普段から履き慣れた革靴のそれとは全然違っていて、歩く度に違和感が凄い。
(ううっ、歩くの大変……喜多ちゃん、こんなの普段から履いてるんだ)
喜多ちゃんのそういうところ、本当に心から尊敬する。私だったら普段絶対にこんな靴は履かない。正直、歩きにくくて仕方ない。
だけどそれを察してくれたのか、隣を歩く彼は私をちらりと見つめては「大丈夫?」と聞いてくれる。
「あっうっ、だ、だいじょぶです!!」
「そ? ふふ。履き慣れてない感じ?」
「あっ、………はい。すすす、すみません」
「なんで謝るのさ。大丈夫だよ」
「あっはい……う、うへへ」
多分だけど、よっほど変な歩き方をしてたのかもしれない。
春樹くんはそんな情けない誤魔化し笑いをする私を見て相変わらず優しく微笑んでくれる。
彼の微笑みはどんな言葉より多くを語るのは、どうしてなんだろう。そんなことを、ふと考えずにはいられない。
歩幅も、いつも通り合わせてくれていた。
コツ、コツ、トッ、トッ。
アスファルトに差し込まれていく、そんなダンスの様な足音がのどかな下北沢駅前の舗装された道に響く。
それは気持ちいつもよりもゆっくりで、今まで以上に私の事を慮ってくれるのが分かって堪らなくなった。
下北沢の街路は、半年前の時みたいに相変わらずポスターだらけだった。
壁中に貼られたライブハウスのフライヤーや、イベント告知のポスターが、ところどころ剥がれかけていて、めくれ上がった端が風にかすかに揺れている。
「あっ春樹くん、こことかいいんじゃないですか……? この沢山の剥がれかけポスターとか背景にしてみたり、とか………」
自分で言いながら、声がちょっと震い気味なのがわかる。
でも、こうやって「ここ、いいかも」なんて、誰かと一緒に写真スポットを探してる自分が、他人事みたいで、まだ信じられない。現実味の無い感覚の最中、私はおずおずとスマホカメラを古びた建物の壁へ向ける。
「あ、良いかもな。ここ斜めから撮って……っと」
「ここの写真、一緒に撮る?」
「あっ、そっそうですね」
春樹くんは私の隣に立つと、当たり前みたいな手つきで、ひょいっと私の一歩前に出る。
斜めのアングルを探して、一緒にシャッターを切る。
パシャッ。
その音を聞いた瞬間。
胸の中の何かが、かすかに跳ねた。
(あ……また、ひとつ。今の私達が、残った)
嬉しい、って感情が、じわっと広がる。そしてスマホのGPSナビも起動させてその場所をマークした。心がふわつく感覚を飲み込もうとしたところで、春樹くんがふと黙り込む。
「………………」
どうしたんだろう、と横顔を見上げる。
ほんの一瞬だけ、彼の視線がスマホから私に向く。それから、くすっと笑った。
「なぁひとり、一緒についでにツーショットも撮らね?」
「……えっ?」
世界が一拍、止まった。
次の瞬間、顔面のパーツが全部飛んでいく感覚がした。
「……えええ!? ふ、二人でってことですか!?」
頭から蒸気が噴き出すんじゃないかってくらい、一気に体温が跳ね上がる。耳の先まで熱くなって、視界の端がじんわり白く霞む。
「いや、デートしてんだし、それ以外ないだろ」
さらっと「デート」って単語を口に出される。その瞬間、私の思考回路は一瞬で真っ白になっていく。
「デ……!?」
言葉の途中で、脳のどこかがバチッてショートする音がした気がする。耳の奥までじんじんするくらい、真っ赤になっていくのが自分でもわかる。耳と頬が一気に加熱していた。
今の状況を、はっきり言葉にされてしまった私はもはや現実から逃げる隙を、完全に奪われてしまう。
「そ、そそそそそそれは、それはっ、そう……なんですけど!! いきなりすぎませんか!? 心の準備がまだ……!!」
「大丈夫、ほら。な?」
春樹くんは、当たり前みたいに、私の方へ手を伸ばす。それはまるで、おいでって、おもちゃ箱からお気に入りを取り出すみたいな、そんな自然さだ。
喉の奥に貼りついた言葉を、無理やりこじ開ける。
「ぁ、へ、ぁ、あぁぁぁ………ふぁ、ふぁい」
いつも通り顔面崩壊していた私のパーツを必死にかき集めて、なんとか人間の顔に戻した。
高鳴る心臓を両手で抱え込むみたいにしながら、ぎこちない動きで春樹くんの隣に移動する。さながらロボットみたいに身体中の節々が硬くなり、彼の近くへ滑り込む。
恐る恐る、彼の腕に手を添える。
「あっ、あのっ………こ、こうでしょうか……?」
視線を上げた瞬間、彼の顔が目の前にあって自分でもびっくりするくらい無意識に、上目遣いになっていた。
「うん、良いじゃん!」
彼が、すぐ目の前で笑った。
屈託のない、歯を見せた笑顔。ニカッ、て音が聞こえそうな。
「ひっ!? え、えぇぇぇぇ……あ、ぁぅ…………」
至近距離すぎて、息をするのも下手くそになる。
視線をそらそうとしても、ふわっとした笑顔がまぶたの裏で残像になって離れてくれはしない。
(……こ、こんなの、ふだんなら、ぜっ、絶対、無理なのに、無理なのにぃぃい!! …………でも、無理な、筈なのに……)
普段の私なら、こんな距離で誰かと並んで写真なんて、想像しただけで泡になって消えてる。なのに。
「ほら、俯いてないでこっち向いて! 撮るぞひとり!」
片手でスマホを高く掲げて、インカメラに向けてぐっと腕を伸ばす春樹くん。
「ひぇっ!? あ、え、え、あ、はいっ!!」
慌てて正面を向き直して、カメラのレンズを見上げる。
隣にいる。ちゃんと、私は春樹くんの隣に並んで立っている。
私と、春樹くんが、同じ画面の中に収まろうとしている。
「はい、ちーず!」
パシャ、という軽い音。
同時に心臓が、内側からドン、と蹴られたみたいに大きく跳ね動く。
「っ……………!」
一瞬。それは、ホントに一瞬の出来事だ。
だけどその刹那は、言うなればゆっくりと開きかけの蛇口から水滴が零れ落ちていくかのように。
まるで、どこまでも時間が引き伸ばされたみたいに長く感じて、息の仕方すら、空の彼方へ飛びそうになった。
そうして撮影が終わってから、ようやく我に返る。私は慌てて深呼吸をし直しつつ、春樹くんへ聞き返す。
「ひっ……ぁっ……ど、どうでしたか、私の顔、ちゃんと撮れてましたか……?」
羞恥で体が震えが止まらない。そうして春樹くんに尋ねるも、当の彼はスマホを見下ろしたまま、春樹くんがなんとも言えない顔で苦笑していた。
「………顔面崩壊してる」
「えぇ!? そ、そんな!! 嘘ですよね!? ね!?」
前のめりになって、スマホ画面を覗き込む。
そこにいたのは────
「うっわぁぁ、ひぃぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!! ホントだぁぁぁぁぁぁぁ!! すすすすすすすすみません、変な顔でぇぇ!!」
地獄みたいな有り様だった。
目は泳いでるし、口は半開きだし、頬は真っ赤だし。いつもの「後藤ひとり」が、全力で画面に焼き付いていた。とてもじゃないけど人に見せられるような顔じゃない。そういえば昔、写真を撮る時にお母さんからも言われたような。
『ひとりちゃんのこと可愛く産んであげたんだから、写真を撮る時はほら、頑張って肩の力抜いてみて? ちゃんとひとりちゃんは可愛いんだから♡』
とかなんとか言ってたっけ。
ああそう、それは確か中学の卒業写真か何か。友達が三年間結局出来なかったショックのせいで、そんなの気にしてられるようなメンタルじゃなかったから、すっかり忘れてた。
そんなことを思い出してなお一層、惨めになる。ごめんなさいお母さん、ごめんなさい春樹くん。無理です。私みたいなミジンコド陰キャにはやっぱりこんなの無理です。
(し、死にたい……)
「………っぷ、ぁはっはっははははっ!! いいよ、ひとりはそうこなくっちゃな! ほら、撮り直すぞ!!」
だけど、そんな風にまたもコンプレックスをぶり返しそうになっていたにも関わらず、春樹くんは爆笑しながら私の肩をガシッと掴む。
「へっ!? え、え、えぇ!?」
また顔の部品が取れかける。
でも、彼の楽しそうな声が、なんだか悔しくて、嬉しくて胸の奥の何かをくすぐる。
「あっ、あっ、ぁ、っひぃ………!?」
逞しい掌の体温が、肩越しにじんわり伝わってきて、声が変な風に裏返っていく。その感触だけで、顔がじゅわっと再び熱くなってしまう。
「ほら、今度はちゃんとレンズ見ろよー? 納得いくまで何度も撮るからな?」
意地悪そうな、でもどこか優しい笑顔。なっ、何度も!?
悪戯好きなヒーローみたいなその表情に、心臓がまた一段階おかしくなる。
「ふぇぁぁっ!? そ、そんなァ!? そ、それは恥ずかしいですっ、ちょ、ちょっと待って下さいっっ!!」
恥ずかしさで頭を抱えたくなるのにそのくせ、どこか、うれしい。これは何? どうして? その矛盾が、自分の中でぐるぐる回る。そんな中で、ふと気付く。
彼の大きな手に引き寄せられて、心臓が跳ねまくっているのに。
肩を掴まれて、至近距離で笑われているのに。
不思議と、それを「怖い」と思っていない自分がいる。
(あれ。…………嫌じゃ、ない)
虹夏ちゃん達以外と、自撮りなんてしたことがない。
誰かと並んで写真に写るのなんて、ずっと、嫌で、怖くて。そもそも虹夏ちゃん達と出会うまで写真すら家族と以外殆ど撮れた試しすらない。故にツチノコ。下北沢のツチノコ並の希少種。
無駄に承認欲求だけは強いくせに、そこら辺の勇気だけは持てやしなかった。私は今まで、そんな、ダメ人間だったのに。
こんなこと、いきなり脳の理解が追いつくはずもない。
だって。
「自分なんかが一緒に写ったら、絶対に変になる」って、それだけは信じて疑わなかったのに。なのに、それなのになんで。
(………なんで、私─────)
「はい、チーズ!!」
そうして考えがまとまるより早く、春樹くんの声が飛んでくる。
ニカッと笑って、ぐいっと私の肩をさらに強く抱き寄せる。
そのまま、彼はシャッターボタンを押す。
「ひゃんっ!?」
思い切り肩を引き寄せられて、変な声が出てしまう。
体中の力が一気に抜けて、ひざがかくんと震える。
「..................」
目を見開いたまま、私は時間の流れから取り残される。
彼の腕。
肩にのしかかる重さ。
頬にかかる風と、街のざわめきと、遠くの電車の音。
その全部が、一瞬だけ、再びスローモーションになっていく。
(──────なんで、どうして、私)
何度でも、どうして、と思う。
揺らぐ時の中で、跳ね回る心臓の音はさながらバスドラ。そして一定リズムで刻まれるクリックみたい。
(なんで、こんな、楽しんでるんだろう。だめだ、だめ、だ)
こんな時間。
こんな幸せ。
私が、味わっていいのかな。
(………なんで、こんなに……幸せに、思えてるんだろう…………)
罪悪感みたいな何かと、多幸感が、胸の中でぐしゃぐしゃに絡まり合う。
「………ひ、ひとり?」
気付くと、私はふにゃっと肩と脚の力が抜けてしまっていた。
それに対して、春樹くんが心配そうな声を出す。
「……………ぁ……えっ?」
意識がクリアになって、現実とリンクする。
そうして気付いたら私は、既に彼の胸板へと、頭から寄りかかっていた。
ふわっとした布越しに伝わる、体温と、心臓の鼓動。それを意識した次の瞬間、一瞬にしてブワッと羞恥が足の爪先から脳の奥まで迸る。
「へ? ……ぁ、あああああすすすすみませんっっ!!」
「おおっ、だ、大丈夫か?! 悪ぃ、無理させ過ぎた!?」
「大丈夫ですっ、全然大丈夫ですから…………無理はしてないです、から……」
慌てて飛び退きそうになりながら、必死で取り繕う。
「………たっ、ただ、その、なっなんだか、気が抜けちゃった、だけで………」
情けない声で、しぼんだ風船みたいに言い訳をする。
「……!」
「…………」
それを聞いた春樹くんは一瞬だけ、目を見開く。
それから────ふっと表情を緩めて、優しく目を細める。
「……良かった。続き、撮れる?」
「っ………!」
途端、さっきまでの悪戯っぽさが、彼からすっと引っ込む。
そこにあるのは、ただの「心配してくれる春樹くん」の顔。
私は、それがすぐに分かってしまって、またみっともなくドキッとしてしまう。胸の奥が嬉しさでキュッと詰まって、ひたすらに心臓を指でなぞられるみたいに、甘く切ない気持ちが一気にそこから溢れていく。
まるでそれは、胸のどこかが、きゅうっと絞られたみたいないつものあの感覚。私は小さく、こくりと頷く。
「..................は、はいっ、もちろんです」
「ん。じゃあ今度は、ほら、もっと肩の力抜いて?」
春樹くんはそうして左手を私の左肩にそっと触れて、トントン、と指先で優しく叩いてくる。自然と、その拍子で肩の力が抜けていく。そして、またお互いに密着してしまう。
「……もっかいとるぞ。はい、ちーず!」
彼はスマホを右斜め上に掲げて、二人で並んでインカメラを見上げる。
「ふぁっ……!」
彼の指がシャッターボタンに触れた瞬間、全身がビクンと反応した。
けれどさっきよりは少しだけ、体の力を抜けた気がする。
「よし! ナイス!」
「……ひゃ、ひゃいっ!」
まだ緊張はしている。
でも、それを飲み込みながら、にへら、と多分また気持ち悪くなってるであろう笑顔を返す。無意識に緩むこの頬、この陰キャ特有の仕様を何とかしたい。生きてるうちに。
そうして、シャッターが切れたあと。
春樹くんは撮り終わった画面を、私にも見えるようにスマホごと傾けてくれた。
「………あははっ、最後のは良いの撮れたな」
「………!!」
歯を見せて、楽しそうに笑う。私も、思わず両目を見開いてそれを眺める。
画面の中には──────さっきより、ずっと自然な顔で笑っている私がいた。それは、未だかつてないくらい、写真映りがまともだった。
ぎこちないけど、ちゃんと隣にいる彼と並んでいて。
目尻のあたりが、ほんの少しだけ柔らかくなっていて。
目を逸らしてない。それは、ちゃんと二人で、レンズを見ていた記録だ。それを見た途端、胸の奥からじわじわと何かが込み上げてくる。
(ちゃんと……写ってる。変な顔だけど、ちゃんと、隣に)
「…………」
恥ずかしさと、安堵と、よくわからない嬉しさが一気に押し寄せてきて、私は思わず視線を下げずにはいられない。
「……そ、そうですね………」
気付けば、口元が勝手に、ふにゃっと緩んでいた。
「ふふっ。ね。んじゃあ、LOINEのアルバム作っとくな!」
彼は私の言葉に同意すると、さらっととんでもないことを言う。
「え!?」
驚きと嬉しさが同時に押し寄せて、目を見開いたまま固まってしまう。アルバム!? そんなもの日本陰キャ協会にも概念が存在しないのですが。喜多ちゃんみたいな陽キャの皆さんだけの特権では!? 頬がさらに熱くなっていく。
「い、いいんですか?」
「もちろん! 当たり前じゃんっ、作んないともったいないだろ!」
「……っ!」
彼はそう言って満面の笑みを返してくる。まるで、それはさも当然みたいに。
それを聞いた時、思わず心臓を撃ち抜かれたような気になってしまう。
私は気づく。思い出す。────違う。
陽キャとか、陰キャとか、そういうの関係、無いかもしれない。
彼はずっと、そういうところで私を見たことなんて、最初の頃からただの一度としてありはしない。それどころか、最初の告白の時からそういう「分類」で返事をしないで、とも言っていた。
(──────そっか。そう、だ。春樹くんは、ずっとそういう人だった……)
「………っ、は、はい、わ、わかりました、あっありがとう、ございます......」
声が裏返りそうなのを必死に抑えながら、小さく礼を言う。
内心では、さっき撮った写真みたいに、ぴょんぴょん跳ね回りたくて仕方ない。
「………あっあの、は、春樹くん」
「ん、どーしたの?」
LOINEのアルバム機能を開いている指先を、ちらっと見つめる。彼は、こうして一緒に写真を撮ることも、当たり前って言ってくれた。
だから、胸の中に居るドッペルゲンガーの言葉に従う。今じゃないと、言えないよって忠告された想い。伝えたいこと。
胸の前でスマホをぎゅっと抱きしめながら、私は意を決して口を開く。
「あっ、その、もし良かったら……今、その写真、貰えませんか?」
彼を見上げる。たぶん、上目遣いになってる。気持ち悪くないかな。大丈夫かな。そんな不安と一緒に、自分の声が、自分のものじゃないみたいに震えていた。
「……………もちろん。いくらでも」
彼は、ほんの少し驚いたみたいな顔をする。
すると、私のその問い掛けにも、不安にも肯定という毛布を被せるみたいにそっと笑顔を返してくれた。
ニカッと白い歯を見せて、AirDropのボタンをタップする。
「っ………!」
その笑顔に合わせて、胸の鼓動まで跳ねる。
すぐに私のスマホがブルッと震えて、写真受信の通知が表示された。
震える指で、それを受け取る。
「あ、ありがとうござい、ます……」
画面いっぱいに広がる「さっきの私」と「春樹くん」を見た瞬間。
目の奥が、じん、と熱くなった。
「………た、大切にしますね」
うへへ、と自分でも情けなくなるくらいの笑い方をまたしてしまう。でももう良い。そんなの、どうでもいい。
だって、嬉しい。
好きな人との、とくべつな瞬間。
忘れたくないこと。忘れてやらない、しあわせな気持ち。
それを覚えていたいと願って何が悪いっていうんだろう。
なんて。そんな、開き直りが強気に胸の奥に湧く。たぶん仮に何かに問い詰められたらまた貧弱になって日和りそうなそんな開き直りだけど。
でも────それはあまりにも幸せ過ぎて、そんなことを思いたくもなってしまった。
「ふふっ、これからこんなのたくさん撮るんだぞ? 今からそんなにクライマックスだと疲れるぞ!」
春樹くんが、冗談めかして笑いながら、私に向かって手を差し出してくる。
「え、えええええっ!? こ、これ以上ですか!?」
慌ててその手を取りながらも心のどこかで、「もっと」と願っている自分に気付いてしまう。
「う、うぅ……頑張ります......!!」
半泣きみたいな声で、でもちゃんと、それを口にした。そう。頑張るって決めた。決めたんだ、私。すっかり当たり前になってきたその手を、私はまた握り返す。指を恋人繋ぎで絡ませ合う。
「おう! 頑張ってくれよな。だってこのデートは、ひとりが主役なんだからさ!」
「………!!」
それを聞いた瞬間、また思わず両目を剥いてしまう。春樹くんは手を繋いだまま横を向いてニカッと微笑む。
「このあとだって、沢山色んなとこ一緒に行くんだぞ! ………さ、行こ!」
やがて次の瞬間。────彼は私の手を引いて駆け出す。
「え、えぇっ!? ちょっ、ま、待ってくださ……っ! は、春樹くんっ、どこ行くんですかっ!? 待っ、まってっ……!」
叫びながらも、どこか嬉しくて。
引っ張られていくその背中を、必死で追いかける。
「んなもん、歩きながら決めるんだよっ!! あっはははっ!!」
明るく笑いながら、振り向きざまに私のことを見る。
心臓バクバクで、頭の中は真っ白で。
でも、不思議と足が止まらない。
「えっ、へっ、ぁ゛っ、ちょ、ちょっとっ待ってくださ………ひぃぃぃぃぃぃぃ!!」
息切れしながら、それでも悲鳴をあげつつ必死で走る。
どうしてか。
そのうち、胸の中の苦しさが、少しずつ変わっていく。なに、これ。
楽しい。勝手に、その荒い呼吸が、まるで音符みたいに弾ける。興奮と、歓喜に、その身を変えていく。
「……ふふっ、ははっ……!! っ、あはははっ……!!」
気付けば─────私は、たぶん、生まれて初めて。
今まで誰にも見せたことのないような笑い声が、勝手に零れてしまった。
春樹くんの笑顔を見た瞬間、何かが外れたみたいに。
私は、ただただ楽しくて、仕方がなかった。恥ずかしいとか、こんなもの私になんか不似合いだとか、誰かに見られるとか。そういう色んなもの、もうどうでも良くて。
崩れてしまいそうなくらいにただただ余念なく、ころころと綺麗な玉を転がすように笑ってしまう。
「………!!」
きっと、彼も気付いていた。目が合ったから。
私がちゃんと「笑えてる」ってことに対して。
「ッ……………」
やがて、春樹くんも嬉しそうに目を細めてくれる。
彼の胸が踊っているのが、手のひら越しに伝わってくる気がした。
「っ、ははっ、………はははははっ、あはっははははっ!!」
そうして、彼も一緒になって笑ってくれた。
一緒になって、全力で笑って、走って──────
その全部が、私の中で「生きている」って実感に変わっていく。
私も、どうしようもなく嬉しくなって、ずっと弾けたような声で騒ぐ。
こんなに幸せそうに笑ってしまう自分を、私は知らなかった。
生きてきて、初めて思う。
こんなに、誰かと一緒に笑い合えるって、幸せなんだ、って。
※
「えっ何!? なになになになに!? なんでいきなりあの二人あんなハイテンションになってるの!?」
全力で走りながら、あたしは意味不明なテンションで叫ぶ。
さっきまで普通に歩いてたのに、急に手を繋いで駆け出すとか聞いてない。慌ててあたしたちは後ろからあのいちゃラブカップルを追い掛けていた。
「わ、私が知りたいですよぉ!!」
隣で喜多ちゃんも、ひぃ〜〜って言いながら必死でついてくる。その途中で、ふと後ろを振り向いた彼女が悲鳴を上げた。
「って、………きゃあぁぁっ!? リョウ先輩ぃ!?」
「えっ゛」
そうしてあたしも慌てて振り返る。視線の先には───
「ぜェ………ぜェ………ちょ待っ、死゛ぬ゛…………っはァ、ァァァ」
今にもその場に崩れ落ちそうな顔で、リョウらしきシオシオになった生き物が見るも無惨なフォームでヨロヨロ揺れ動いていた。
「ちょっとリョォォォォォオオ!? 体力無さすぎだよォ!!」
さすがにツッコまずにはいられなかった。こっ、これがうちのバンドのベーシストの姿か、これが……。すると途端に、リョウの視線がずっと先を歩く二人を捉える。
「…………………」
息も絶え絶えなくせに、目だけはしっかりと前を見ている。どした?
「………………っは、ぁ、はぁ、………なんていうか、さ」
「えっ、何!?」
汗を垂らしながら、私は横目で追いついてきたリョウを見る。
「……………青い、春だよね」
すると、なにやらニヤリ、と口元だけで笑う。
「は!? なに言ってんの!? 疲れてとうとう壊れた!?」
思わず素で叫んじゃったけど。
でも、次の瞬間。
「……あのふたり、見なよ」
リョウの言葉に、困惑をしつつ、そうして私も前を見た。
少し先。そこでぼっちちゃんと春樹くんがまた足を止めて、写真を撮っている。そうして撮ったばかりの写真をスマホ越しに一緒に覗き込んでいた。
「………………ぜぇ、ぜぇ……青春じゃん、あれこそ」
両膝に手をつきながら、今にも死にそうな声でリョウがぼそっと呟く。
「………………」
その言葉に、私と喜多ちゃんは、物陰に身を隠すみたいにして立ち止まった。息も絶え絶えなリョウを引っ張って無理やり壁へ押し付ける。
そうして三人で並んで、そっとふたりを横目で見つめた。
「はぁ、っ、は、ぁ、っ…………」
喜多ちゃんも息を切らしながら、額の汗を拭っている。
でも、その視線はしっかりと、ぼっちちゃん達の方へ向いていた。
「……ぼっちちゃん」
あたしはぽつりと名前を呼ぶ。
「─────笑ってる」
目を見開いた。
本当に、驚いたから。
そこにいたのは、私がいつも見てる「ぼっちちゃん」じゃ、なかった。不器用で、ぎこちなくて、でも。
心の底から楽しそうに、笑っている “普通” の女の子。
あたしは、ふと思う。
─────ぼっちちゃんって、あんな顔で笑う子、だったんだ、って。
「……………ッ」
その時、喜多ちゃんも動揺したみたいな、そんな声を漏らす。
「……ほんと、だ……。すごい、笑ってる」
「……私、ひとりちゃんの、あんな風に笑う姿……初めて、見ました」
「────…………凄い、幸せそう」
汗をタオルで拭きながら、あたしは口元が勝手に緩むのを感じる。
安心したような。
それでいて、どうしてか。
あたしの胸の奥が少しだけきゅっと切なくなるような。────そんな、気持ちに囚われる。
「ぜぇ、っ、はぁ、っ、は………………何気に、っ、はぁ、あんな風に全力でぼっちが笑うとこって、私達見たことないしね」
横で壁にもたれるリョウが、ようやく息を整えながら空を見上げる。
「…………………」
喜多ちゃんへ視線を下ろすと、胸元でぎゅっと左手を握りしめていた。
きっと、複雑だと思う。ぼっちちゃんのこと、本気で好きだった喜多ちゃんからしたら、当たり前の話。でも。
「……私も、です」
それでも、そう呟いた時の表情はちゃんと、切なげだけど───幸せを祈るように。願うように、彼女は笑っていた。
どこか安心した様にも見えるその面持ち。
それは────なんていうか、凄くすごく綺麗だと。思わずそんなことを思ってしまう。そう思わずにはいられない。
「…………」
あたしは、そんなふうに呟く喜多ちゃんを見つめて、自然と口元が弛む。そして、青い空をリョウと見上げる。
ぼっちちゃんのことを、好きな人間が三人。
その生まれて初めて見たあの子の「初めての笑顔」を、分け合うみたいにして──昼下がりの西の空を見つめていた。