ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #52 「ソラニン」(1)

 

 

 頭の上には、雑多な看板が折り重なるみたいに並んでいる。

 英語のロゴ、手書きっぽいポップ、チェーン店の発光看板。なんというか、さすが下北沢。サブカルの街と言われるだけはある。金沢ではこんな光景は見られない。

 街を歩くこと自体は慣れても、この景色に慣れるのはもう少しだけ時間が掛かるんだろうな、と私は思う。

 それらの向こう側に、黄昏時の絵の具が、かろうじて夜の藍色と混ざり合う様に細く残っている。

 その空の色だけで、大体今が何時なのか、スマイルの時計を見なくても分かる気がした。

 駅からだいぶ歩いて、カメラロールもそろそろ埋まってきた頃。

 下北の細い路地をいくつも抜けて、私たちは大きな通りに出ていた。

 

「……………あ〜〜っ、山ほど歩いて疲れたな……ひとり、お腹すいてない?」

 

 隣で春樹くんが、くぃーっと腰を反らしてストレッチをしながら、歩きつつ私に問いかけてくる。

 

「そ、そうですね………は、春樹くんもですか??」

 

 上目遣いで見上げると、夕暮れのオレンジが建物の隙間を縫ってちょうど彼の輪郭を縁取っている。そのせいで、変にどきっとしてしまう。

 

「おん、この辺だと商店街あるし、そこで立ち食いとかどーよ? ひとりの好きな揚物系食べよーぜ」

 

 ニカッと笑って、彼は顎で前方を示した。

 

「……!!」

 

 それを聞いた瞬間、思わずぱぁぁあっと視界が明るくなる。

 たこ焼き、コロッケ、からあげ。揚げ物の名前が頭の中にばあっと並んで、胸が高鳴った。好き。前は確かからあげ食べたし、今回は別のにするのかな。

 実のところ、慣れない靴と思ったよりも沢山街路を歩いたこともあってお腹はペコペコだった。

 お腹の虫さんが鳴り出さないのが不思議なくらいで、でもやっぱり鳴かないでいてくれて良かった、と安堵もしていたところ。正直、春樹くんにそんな音を聞かれたら某玩具の如く、無限の彼方へ飛んでかなきゃいけなくなる。

 

「は、はいっ……! い、いいんですか……??」

 

「もちろん! こないだ唐揚げとかも食べたし、それ以外でもアリだぞ?」

 

 にしし、と少年っぽい顔で笑われて、私はつられて頬が緩む。

 

「あっ、そ、そ、そうですね、うへ、うへへ………」

 

 そんな他愛もない会話をしている間に、いつの間にか足は商店街のアーチの前まで来ていた。

 

「っ、あっ────────」

 

 その瞬間。

 思わず、私はぴたりと足を止めてしまう。

 まるで、足の裏を縫い付けられたみたいに身動きが取れなくなった。

 

「…………」

 

 アーチの向こう。

 

 商店街の入口の線。

 アスファルトの色が、そこからほんの少しだけ違って見える。

 

 その一本線をまたぐ勇気が、出てこない。出てこようとしていたはずなのに、寸前の所で詰まってしまう。

 

 何せ目に映るその先には、視界いっぱいに広がる、人、ひと、ヒト。

 古着袋をぶら下げた女の子たち、楽器ケース背負った大学生、家族連れ、カップル。

 正面から来る人、横から割り込んでくる人、立ち止まって友達としゃべっている人。自転車で通り過ぎていく人。

 笑い声、店員さんの呼び込み、どこからか漏れてくるギターとドラムの音。みんな勝手に混ざって、私の頭の中をかき回していく。

 焼き鳥の煙と、たこ焼きのソースの匂い。どこかのカレー屋のスパイスが全部混ざって、夕焼け色の空気がぐつぐつ煮立っているみたいだった。

 

「!」

 

 隣で私の足が止まったから、すぐに気づいたんだと思う。

 春樹くんが手を握ったまま、動きを止める。横を向いては、心配そうに私の顔を覗き込む。

 

「………。平気か?」

 

「……ぁっ、うっ」

 

 そう言って、彼は優しく苦笑する。

 大丈夫です、と無理矢理言おうとしたその時。

 その瞬間、視界の端に入ったのは、多分同い年くらいの女子高生っぽい女の子たち。

 喜多ちゃんみたいにオシャレな服を着て、楽しそうに自撮りしながら商店街の中へ消えていく。

 

「…………」

 

 胸の奥に、きゅっと冷たいものが走る。

 比べたって意味がないのは分かってるのに、私の頭は勝手に「どうせ私はあっち側には行けない」と、勝手に結論を自己完結させてしまう。きっとそれは十六年陰キャで居続けた反動。

 

「………っ」

 

 露骨に目線の持っていき方が分からなくなって、自分でも分かるくらいに俯いてしまう。

 

「…………」

 

 だけど春樹くんは、そんな情けない私の右手をそっと握り直して、じっと顔を覗き込む。そっと待ってくれる。いつもみたいに。

 

「………落ち着いて、ひとり。気にしなくて大丈夫だから」

 

「…………!」

 

 その声は、商店街のざわめきよりもずっと静か。なのに、それでも耳の奥にはっきり届く。

 長い前髪の隙間から、彼の顔を見上げる。

 彼の輪郭が、商店街のアーチと共に揺れ動く。でも揺れているのは、たぶん私の瞳の方だ。

 彼の言葉に、少しずつ呼吸が整っていく。肩の震えも、ゆっくりと収まっていった。

 

「………」

 

「ご、ごめんなさい……春樹、くん」

 

 やっとの思いで口を開く。そうして、また謝ってしまう。こんなんじゃダメって、わかってるのに。

 

「せっかく楽しい雰囲気だったのに……私、その、台無しに、してますよね」

 

「………そんな事ないよ」

 

 だけど間髪入れずに、穏やかな声が返ってくる。

 

「………無理、しなくていい。商店街は辞めとく?」

 

 手を握ったまま、春樹くんは穏やかに、選択肢ごと差し出してくれる。

 その優しさに少しほっとしながらも、胸の奥では別の声が響く。

 

 それでいいの、と。

 

 また、背中合わせのドッペルゲンガーが囁く。

 また同じだよ? いつもの私と、このままじゃ。

 

(分かってる、分かってるの。でも、怖い……)

 

 ギュッと彼の手を握り締める。足元から忍び寄る恐怖の感情に、目蓋を強く瞑らずにはいられない。

 その時だった。

 

『………ぼっちにはたぶん』

 

 リョウさんに言われた言葉が、フラッシュバックした。

 彼女の無表情ながらも、私を信じてくれているような、そんな眼差しごと。

 

『配慮だけじゃなくて、『挑戦』も、してみた方がいいと思うよ。………人前とか、陽のオーラが溢れる場所が苦手なのは分かるけどね』

 

 虹夏ちゃんの華やぐ笑顔と共に蘇る声色。

 

『春樹くんだったら、きっと、どんなぼっちちゃんでも受け入れてくれるし、支えてくれると思う』

 

『だから、思いきって、普段なら行けない場所に、春樹くんの力を借りて────デートの為に頑張ってみるのも、アリなんじゃないかしら。ね、ひとりちゃん!』

 

 両手を合わせ、そう言って励ましてくれた喜多ちゃんの顔も一緒に浮かぶ。

 

「…………」

 

 そうだ。

 これじゃ、だめ。このままじゃ、と私は強く思う。

 

(───このままじゃ、今までと……私は何も変わらない。このままじゃ嫌だ、春樹くんの為に、背中を押してくれた、バンドの皆の、為に………私は………!!)

 

 喉の奥から、ぎゅっと絞り出すみたいに声が漏れた。

 

「だっ、……大丈夫、です……」

 

「!」

 

 春樹くんはすぐに反応を示してくれるかのように、私の顔へ視線を向ける。彼に向き合うように、私は身体を向け直す。そうして、自身の顔も上げ直した。

 

「が、頑張ります……っ! がんばりたい、です!」

 

「………ひとり」

 

 覚悟を決めた私の声を聞いて、春樹くんの目が見開かれる。

 その反応に、私はさらに言葉を継ぐ。

 

「だ、だって…………っ!! 春樹くんが、私なんかの為に……ここまで連れてきてくれてます、から……だから……!」

 

「…………………」

 

 彼は私の目をまっすぐ見つめ返したあと、ふっと表情を緩める。

 

「………そっか。変わろうとしてるんだな、ひとり」

 

「えっ……」

 

 その一言で、心の中に灯りがともった気がした。

 こんな情けない私も、許してくれて、肯定してくれる彼の言葉。それに扇動されて、思わず本音も口から落ちていく。

 

「…………っ、ほ、本当は、正直、今すぐにでもここから逃げ出したいですし、普段ならこんなとこ近寄りもできない、です」

 

 私は必死に、震える声のまま、続ける。

 

「こ、コンビニだって、こないだまでのは春樹くんと一緒にいたから行けたようなもので………。いつもなら気合い入れないと、それすらも……私は、まともに……できないんです」

 

 そう。コンビニにだって本当は一人で入れないこと。

 今日みたいなこんなオシャレな服は、彼のためじゃないとそもそも着る勇気なんて出ないこと。一人なんかじゃそもそも着ようとすら多分しないこと。何せお母さんがこういう系の服を買ってきてくれても絶対着なかったくらいなんだから。

 人混みが怖くて、本当は今すぐ逃げ出したいのだって変わっていない。

 本音を言えば、あの押し入れにまた篭もりたくて仕方がないことも。

 

 いつもそう。

 私は、結局根っこではそんなことを思ってしまっている。人間、そんな簡単に変わるはずない。そんなふうに思えてならない。

 

 彼には、もっと下手くそな言い回しで私はそんなことを長ったらしく伝えた。自分でも、言い訳じみていて────すごく、情けないと思う。

 それをひとしきり聞き終えてから、彼はそっと目を伏せる。

 そうして、ゆっくりと、口を開く。

 

「……でも、今日は、ここに来れてるじゃん?」

 

「こうやって、俺と一緒にデートしてくれて」

 

「普段なら着ないそんなオシャレな服を、俺の為に着てくれて……」

 

「こうやって、手も握って一緒に歩いてくれて」

 

「……ひとりは、十二分すぎる位、凄くよく頑張ってくれてるよ。それだけでも、凄いことだよ?」

 

「ひとりが変わってないなんて、そんな訳ない」

 

「まだ付き合ってひと月も経ってないけどさ。クラスメイトでしかなかった頃の君の印象と、この一ヶ月のあいだの実際に俺が見た君の姿と、虹夏達から聞いてる姿とで考えてみたら……」

 

「君はここ最近、ちゃんと変わろうとすっげぇ頑張ってるんだろうし、実際に俺だってそう感じてるんだ。そんな事、俺が言わせない」

 

「………春樹、くん」

 

「実際、リョウや虹夏だって言ってたんだぞ。ひとりは、明確に出会った頃に比べて変化してきてる、って」

 

「ッ……!」

 

 そう言われて、胸の奥がじん、と熱くなる。

 そんなこと、自分では全く実感なんかあるはずも無かった。頑張ろうとはしても、いつも空回りしてばかりな印象しか自分には持てていなかったから。

 虹夏ちゃん達が私のこと、そんな風に思ってくれてたなんて思わなかった。何なら、春樹くんからも、そう思われてたなんて。

 

 第一、頑張るのなんて───当たり前だと思ってた。

 

 だって春樹くんがここまで引っ張ってくれてるんだから。それに応えるのは、一応彼女として見てもらえている以上、当然の事で。褒めてもらえるような事じゃないって、正直思ってたから。

 

 なのに、それなのに。

 

 情けなさも、恥ずかしさも、全部まとめて「頑張り」と呼んでもらえたことが、信じられないくらい嬉しい。

 だけど、それでも私はつい訴える。

 

「っ、で、でも、ここで、逃げ出しちゃったら、きっと、何も、変わらない気がするんです! は、春樹くんがいるから、きっと私は、こうやって頑張れてるんです!」

 

 そのまま、自分でもびっくりするくらい、言葉が止まらなかった。

 それは、春樹くんが居てくれてるから “挑戦” できてるだけ。

 

「………うん」

 

 春樹くんは、優しく頷きながら、ちゃんと最後まで聞いてくれる。

 商店街のざわめきが、少し遠のいていく。私は弱音を漏らす。そう言わないと、恐くて、仕方ないから。

 

「き、きっと、この先もずっと……私は下手したらこのままで、また元に戻っちゃうかもしれません」

 

「そっそれが、嫌なんです……せ、せめて、今、この瞬間は頑張ってみたいんです……!」

 

「きっと、こんなふうに頑張れる瞬間はもう、そうは無いって、そう、思うから……!! はっ、春樹くんのおかげで、今、頑張れてますから……ッ!」

 

「………………」

 

 春樹くんは、八の字に眉を動かしながら、どこか切なげにまた目を伏せる。

 

「……わかった」

 

 ぽつりとそう言うと、私の頭に右手を伸ばす。

 指先が、そっと私の髪を撫でてくる。とくん、と心臓が揺らめく。鼓膜にまで、それは響いてきては、留まることを知らない。

 

「なら、俺はそんな君の頑張りを、誰よりも応援するよ」

 

「………ずっと、これからも。もしも、俺がこの先、居なくなっちまうなんて事が……起きたとしても、生きていけるように」

 

「っ!?」

 

 いま、なんて。はるきくんが、いなくなる?

 心臓が、ずきん、と嫌な音を立てる。何を、言って。

 そんな想像をするだけで、手足の先が痙攣して、たちまちぐらりと視界に映る全てを見失う。

 

「い、い……いや、です」

 

「は、春樹くんが、いなく、なるなんて、そんな、…………そ、そんな事言わないでくださいっ………!!」

 

 思わず顔を上げて、縋るように叫んでいた。目尻が、熱くなっている。

 涙が、今にも零れそうになっているのかもしれない。

 いやだ。

 そんなの、こわい。そんなこと、冗談でも言わないで欲しい。

 

「……ふふっ、もしも、の話だよ」

 

「そんな事、絶対起こらない。俺はずっと、君を守る。居なくなったりなんて、故意にしないよ、絶対に」

 

「でも、ね?」

 

 そう言って、春樹くんはまた、私の手をぎゅっと握る。

 その先の言葉が怖くて、一瞬だけ呼吸が止まる。

 

「は、はい………?」

 

「もしも、仮にね」

 

「そんな日が、そんな時が来てしまっても」

 

 

 

「どうか、君には自分のことをずっと信じていて欲しい」

 

「今のように、自分で自分の背中を押してあげられるように、………なってて欲しい。そう、誰よりも世界で一番願ってる」

 

 

 

「春樹くんが、もし、いなくなってしまったら、ですか………?」

 

 そんなイメージを思い浮かべただけで、足元から世界が崩れ落ちるみたいで、声が震えてしまう。そんなの、無理。嫌。怖い。

 

「……そ、それ、でも……私は春樹くんがいないなんて耐えられる自信がないです……ッ!!」

 

「いやです……っ、イヤだ……!!」

 

「春樹くん、お願いします、どこにも行かないでくださいっ!! いっ、いかないで………!」

 

 ──────そこまで言い放って気付く。

 まるでこんなの、子どもみたいだと。無意識に、私は春樹くんの胸元に両手を置いて、縋りついていた。

 だけど周りの目なんて、もうどうでもよかった。

 そんなのどうでも良くなるくらいに、怖くて、恐くて。

 ただただ私は、そう彼へ訴えることしかできない。

 

「………いかないよ」

 

「ただ、俺は願ってるだけ。君が、俺がいなきゃ生きていけないなんて風に、ならないで欲しいって………そう、願ってるだけ」

 

「それをこれからも、忘れないで? ひとり」

 

 ぎゅっと抱きしめられて、私は目をぎゅっと瞑る。

 

「………っ、…………は、はい……」

 

 涙ぐみながらも、彼の胸の中で小さく答えた。

 春樹くんのにおい。柔軟剤の柔い匂いだ。

 それはやさしくて、あたたかくて、まるで陽だまりみたいな。初めて告白の日にハグをされた時から、ずっと忘れられない香り。

 怖さを誤魔化すように。考えたくもない現実から目を逸らすように。どこにも行って欲しくなくて、そうして私は瞳を閉じて、ただひたすらにぎゅっと彼を抱き締め返す。

 その時、そっと心の奥の棚が開く音がする。

 

「……春樹、くん」

 

「ん……?」

 

「あっ……私……」

 

「────わ、私、変わりたいです。変われる様に、なりたいです」

 

 それは、胸の奥から、その棚からやっと出てきた本当の気持ち。

 彼が鍵を開けてくれた、開けていいと思えた想い。だから、ありのままにその言葉を伝える。

 

「あっ……春樹くんやバンドの皆にいつまでも……護ってもらったり助けて貰ってばかりは、嫌なんです………」

 

 そう。

 私は、いつまでも守ってもらうのはイヤだ。

 ずっと、ずっと迷惑ばかりかけて、助けてもらってばかりで。私は何も返せてない。彼はそんなことない、って言ってくれた事があったのはちゃんと覚えてる。実際、ちゃんと褒めてもくれる。

 でも、本当は自分でも分かってる。

 

 いつまでも、子どもみたいに甘えてちゃダメなんだ、って。

 

 だからこそ、今ここで私は前に進まなきゃいけない。

 そう思ってもう一度手を握り返す。

 すると彼は、大丈夫だよ、と呟く。

 

「………大丈夫。言っただろ、ひとり。俺は、世界で一番誰よりも君を信じてる」

 

「だから、きっと君なら大丈夫。今も、既にこうやって人混みの中で君は変われてる。大丈夫だよ」

 

 耳元で、笑い声混じりの声がする。それを聞きたくて、顔を上げる。すると、春樹くんがニカッと、またいつもみたいに優しく笑う。

 

「………っ!」

 

 胸の中で何かがぱぁぁ、と弾けるみたいに、視界が明るくなる。

 

「………っ、はい!」

 

 泣きそうになりながら笑って、笑いながら泣いて。

 私はその胸元に顔を埋めたまま、何度も頷いた。

 

「あっ、ありがとうございます。私、頑張ってみます……」

 

「………その意気だ、ひとり!」

 

 震える小さな手で、春樹くんのトップスをぎゅっと握りしめる。彼は微笑んだまま頷き返してくれる。

 そのおかげで、人混みの真ん中ですら、世界が少しだけ、怖くなくなった気がした。

 

「あー……でも、その、とっ、とりあえず、離れよっか。人前だし」

 

 その時。春樹くんは少しだけ頬を赤くして、困ったように笑う。

 そこで、ようやく「人前」という単語が耳に入ってくる。

 周りを見れば、行き交う人たちがちらちらとこっちを見ていた。「あらあら、お熱いわあ〜」だの「道端でイチャイチャしてんなよなあ」等の呟きが聞こえてくる。

 

「え………」

 

「………ぁ゛っ、あッッッあっひゃぁぁぁぁあっ!?」

 

 あ、ああああぁあ、わ、わ、わわわわわわ忘れてたぁ。

 制服のカップルが人混みの真ん中で抱き合ってたら、そりゃ目立つに決まってる!!

 視界が一瞬で真っ白になった。

 私は慌てて春樹くんから飛び退いて、両手をぶんぶん振り回す。

 

「ご、ごごごごご、ごめんなさいぃぃ!!」

 

 顔面崩壊。さっきまで勇気出してた自分はどこへやら、いつもの情けない私が全力で復活していた。

 そんな私の大騒ぎを見て、春樹くんは「あはは、やれやれ……」と苦笑しては、小さく息を吐く。でもすぐにくしゃっと優しく頭を撫でてくれる。

 それから、当然のようにもう一度、私の手を握り直した。

 

「さ、お腹すいたろ? 周りの子達なんか気にしなくていいから、好きなもん食おうぜ! バイト代貯めてあるから、好きなもん奢ってやる!」

 

 またそうしてニカッと笑って、手を引いてくれる。

 さっきまで胸元を掴んでいた指先は、そのまま彼の右手にすべり込んだ。

 

「あっあの、そんな!? お、おおお奢りというか、私も自分の分はちゃんと払いますから!」

 

 喜多ちゃんから借りたバッグに詰め込んだ財布を探そうとしつつ、私はそう叫ぶ。でも、その言葉が嬉しすぎて、左手でぎゅっと彼の体温を確かめてしまう。

 指先に伝わる熱が、さっきの涙の余韻ごと、じんわりと溶かしていく。

 

「良いよ、普段はそうしてくれれば助かるから。今日くらいはいいよ」

 

 にしし、といつもの意地悪そうな笑顔。

 それを見た瞬間、何も言い返せなくなって、私は小さく俯いた。申し訳なさと、嬉しさと、恥ずかしさがごちゃ混ぜになって胸がきゅうっとなる。

 

「…………………」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 蚊の鳴くような声でそう言うと、春樹くんは「おう」とまたはにかんで言葉を返す。

 

「……っ、あっ、で、でも、次は私が奢りましゅ、から……!」

 

 今度はきゅっと顔を上げて、思わず前のめりで宣言してしまった。

 

「ふふっ。分かったよ。楽しみにしとく!」

 

「……そういやさ? 君って唐揚げ系以外に好きなのは?」

 

 すると、少し話題を変える感じで彼は質問をしてくる。軽く問い掛ける感じでそう聞かれて、私の頭の中に真っ先に浮かんだもの。

 

「えっあっ、………そ、それ以外だと……」

 

 それは────お母さんがいつも作ってくれる、包み焼きの手作りハンバーグだった。アルミホイルを開けた瞬間の湯気とソースの匂いが、ふわっと蘇る。クオリティは某ハンバーグレストランのそれにも負けずとも劣らなかった、そんな料理だ。

 思い出しただけで少し顔が熱くなって、私は俯きながらぽつりと呟く。

 

「……………………は、ハンバーグとか、好き、かも、しれないです」

 

「ハンバーグか! そりゃ良いな。なんか、アレだよな。ひとりって、女子高生の割に味覚が男子小学生とかっぽい好みで可愛いよな」

 

 春樹くんはケラケラと、からかうような、でも優しい笑い方をする。

 

「う、うへへ……よく、家族とかからも同じことを言われます…… 」

 

 頬をぽりぽり掻きながら、情けないけど嬉しい気持ちで笑ってしまう。やっぱり私の舌って幼いのかも。で、でも、可愛いって言われた。うへ、うへへへ、可愛いんだ私。最近はなんか褒めて貰えると思わず嬉しくなっちゃう。

 

「か、可愛いなんて、そんな…………へへっ、こんなのそんなでも無いですよぉお、うへ、うへへ、へへ」

 

 褒められ慣れてない脳がショートして、口元が勝手にだらしない笑い方になる。

 

「ふふっ、まーたすぐ調子に乗るんだからなぁ」

 

 春樹くんはくすくす笑いながら、少しだけ呆れたように私を見る。

 

「あっあぅぅ……」

 

 す、すみません。調子に乗りました。

 でも恥ずかしくなって俯きながらも「うへへ……」とニヤけは止められない。人混みのざわめきの中で、繋いだ手だけは、私と彼をちゃんと繋いでくれていた。

 

「あははっ。じゃあそろそろお店、さがそ? 行こ!」

 

 春樹くんが満面の笑みでそう言って、ぐっと手を引く。

 

「…………っ、はい!」

 

 私もまた、彼のその笑顔で勝手に口元が緩みながらも、その背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

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