◇
駅前から少し外れた下北の商店街。そこは、日曜の夕方なのにまるでずっと文化祭の準備日みたいにざわざわしている。
いや、むしろ日曜のこの時間帯だからこそ混んでるのかもしれない。
古着屋のラック、ミニライブやってるっぽいアンプ、呼び込みの声。
その中で、あたしたちはビルとビルの隙間に張りつくみたいにして、壁からひょこっと顔だけ出すという完全に怪しいムーブをかましていた。なんか既視感。傍から見たらストーカー。
「………」
少し先で、春樹くんとぼっちちゃんが、手をつないだままショーケースを覗き込んでる。
あたし達は三人でその様子を眺めている訳だけど。
いや。というか、あれはショーケースを覗いているというより、もはやただひたすらイチャイチャしてるに近い。だからあたしら、何見せられてんだ。それを見て「うわぁ」と、思わず喉から変な声が小さく飛び出てしまう。何かもう胸焼けしそう。
「……すんんんごいイチャイチャしてますね………伊地知先輩」
「……そうだね」
喜多ちゃんが、あたしの下から顔だけニュッと出して、口をぽかんと開け、たじたじとした表情でそう呟く。
確かに、と同意するようにあたしは一緒になって頷く。ぼっちちゃんの横顔、例えるなら完全に “恋愛ドラマ視聴者モード” に近いかもしれない。
「………ぼっちちゃん、ホントに楽しそう」
人混みの向こうで、ショーケースの前で並び続ける二人。
さっき駅で合流した時なんて、あんなにガチガチだったのに、今はちゃんと笑ってて、そのギャップが胸に刺さる。
「……」
一方。もう一人の見張り役こと、山田リョウはというと。あたしは後ろを振り向く。
モグモグ。なぜか、何処吹く風と言わんばかりにソフトクリームを食べてた。無表情で。
なにしてんのこいつ。
いや、待って。今そんなシーンじゃないんだけど。なんか一人だけ季節感とテンションのベクトルが違う。
「………何食べてるのリョウ」
「郁代が奢ってくれたソフトクリーム」
即答。悪びれゼロ。
「……またたかったな山田ァ!!」
思わず脳天へツッコミの手刀を叩き込む。ぺしぃ。いや、そんな可愛い音ではないかもしれない。ドゴォ、って音がする。
「ゴフッ………こ、これは……郁代が奢ってくれるからっt」
「先輩が食べたいって言ってましたよ」
喜多ちゃんが「えへへ」と困り笑い。
あーうん、知ってる。知ってた。山田リョウは “奢ってもらえそうな空気” を嗅ぎ分ける嗅覚に関しては一流。多分あたしが一番よく知ってるよ。ピキピキ、とこめかみに青筋が立つ音がする。そして。
「山田ァァァァァ!!」
案の定。
あたしの怒号が、商店街のざわめきに混ざっていく。
……ぼっちちゃんに聞こえてないといいなぁ。そんなことを、リョウをしばきながら薄々思った。
※
商店街の中は、さっき見たアーチの向こうよりも、さらに賑やかだった。
店先から飛び出した黒板メニュー、BGM代わりの路上ミュージシャン、古着屋のラック、テイクアウトの列。
人と匂いと音がごちゃ混ぜになって、まるでフェス会場みたいだ。いや、まだフェス会場はテレビとかでしか見たことがないからあくまでもイメージだけど。
そんな雑踏の中を、ひたすら私たちは手を繋いだまま歩く。
やがて、視界の端に「ジュ〜〜〜」という音と、香ばしい匂いが飛び込んできた。
「!」
一枚ガラスのショーケースの中で、鉄板の上のステーキやハンバーグのサンプルがスポットライトを浴びている。
私は思わずそちらに目が吸い寄せられていく。ソースがかかったレタスやコーンまで、やたらと美味しそうに見えた。
「………」
気がつけば、足を止めて、ついそのショーケースを横目でじーっと見つめていた。人混みの中で手を繋いで歩いていた春樹くんが、少し進んでから振り返る。
「……ん? どうしたよ、ひとり。興味、あるのか?」
「ふぇっ!? い、いや、あの、その、えぇっと……!!」
肩がビクッと強烈に跳ねて、私は慌てて首を左右に振る。
でも首の向きがショーケースから外せてなかったこともあって、完全に説得力がなかった。
「………良いよ、ここがいいんだな? 入ろっか、ひとり」
白い歯を見せて快活に笑う春樹くん。そのまま当然みたいな顔でドアの方へ私を引っ張っていく。
「えっ、あ、あの、その……!」
「……二人なら、大丈夫だろ?」
その一言に、胸の奥がきゅっと鳴った。それを言われたら、何も言えなくなってしまう。
「あっ、ううっ……は、はひぃ……」
戸惑いながらも、手を引かれる感覚が嬉しくて、口元が勝手に緩んでしまう。ネオンの灯りが反射するガラス戸の前で、私達は並ぶ。そこで一度だけ呼吸をした。春樹くんは私のそんな仕草に気づいて、微笑みながら待ってくれる。
(……人が多いお店はまだ怖い。でも、今日は──)
春樹くんと繋いだ手の体温を頼りに、私は一歩、足を踏み出す。
「……っ」
「ふふっ。いくよ?」
「あっ……はい」
そう言って互いに頷く。
そして、静かにドアノブを春樹くんが押す。ガラス戸がからん、と小さく鳴り響いた。
◇
そんな小競り合いをしてる間に、前方の二人はというと。
「あっ!! 伊地知先輩っ、二人ともステーキハウスに入って行きますっ!」
喜多ちゃんが慌てて指を伸ばす。視線と彼女の人差し指の先には、さっきぼっちちゃんがガラス越しにガン見してたステーキハウスの看板。
「えっ嘘! ほんとにあの店入るの!? 学生にはまぁまぁ高いとこだし!! ぐぅぅう、どうしよう!!」
思わず変な声が出た。
いや、わかるけど! いや、嬉しいんだけど!
でもステーキハウスはさすがに高いんだよなあ!! あたしの財布の中身が脳内で一瞬エコーしていく。
「まさしくぐうの音も出ない」
「やかましい!」
リョウが横から何か口を挟む。
そのベーシストをシカトして、あたしは全力で頭を抱える。バイト代入る前なんだけど今日。なんで今日なのよ。タイミング。さっきから思ってたけど、あそこはもうなんか見るからに “ちゃんとした洋食屋さんです” って雰囲気のステーキハウスだ。ぜってー高い。
遠目でも見えるショーケースのサンプルが、照明に照らされて肉々しく輝いているのが分かる。
「まあ最悪、草でも食べて待っとけばいいんじゃない」
「……」
リョウが汗をタラタラ垂らすあたしを面白がってんのか、遠くの植え込みを無表情で見つめながら適当なことを言う。
さっきからコイツは他人事だと思って。もう一度シバいた方がいいだろうか。
ジト目で見つめ返す。肉の匂いしてる店の前で “草でも食べとけ” は暴言でしょ。
「あーーーッもう、リョウは黙ってて!!」
とりあえず怒りでツッコんでから、もう一度二人の背中を見つめ直す。
ガラス戸の向こうに消えていくまで、ぼっちちゃんの肩は一度もすくまない。時間が無い。あーっ、もう!
※
ステーキハウスの中の温かい空気と、お肉の匂いが一気になだれ込んできた。そこは、外のざわざわした商店街とは違って縁側の日差しみたいな柔らかな照明で店内が包まれていた。
同時に、肉が焼ける匂いとソースの甘い香りもまた、空気の層みたいにゆらゆらと漂っている。
「いらっしゃいませ!! こちらの席へご案内しますね!」
「はーい! ひとり、行くよ」
「あっうっ、は、はい」
そうして向かい合う形で、私と春樹くんはポニーテールの女性店員さんに案内されて二人掛けのソファ席に腰掛けた。
そこは窓際の席。思わずキョロキョロと周りを見渡す。
大きなガラス窓の向こうには、さっきまで歩いていた商店街のネオンと、向かいの飲食店、人の流れもちらちら見える。
その店は、割とキッチンがよく見えるタイプのお店で、鉄板に乗せられたハンバーグがジュウジュウ鳴る音、仕上げのフランベによるものなのか、燃え盛る火炎がここからでも薄らと窺えてしまう。
新しく入ってきた家族連れのお客さん。小さな子どもの笑い声。
続く店員さんの「いらっしゃいませ〜」って声。
全部、どこか現実味がなくて、さながら夢の中のBGMみたいだった。
メニューを開くと、真正面の彼は楽しげな様子で「何にしよっかなぁ〜、ステーキハウスとか久しぶりなんだよな」と目に見えて分かるくらいにうきうきしていた。
そんな様子を見て、クスッと私も笑えてきてしまう。
テーブルの上には、水滴のついたグラスが二つ。
両手をこまねくみたいに胸元で組んだまま、少し緊張を崩しながら目の前の春樹くんを眺める。そうして、静かに私もメニューを見つめることにする。
(わあ……っ、すっ、すごい。美味しそう)
ジューシーで分厚いお肉の塊。それらの凄く豪華な写真が、細かいグラム分けと共に大きく載っていて、見てるだけでまたヨダレが垂れちゃいそうだった。
(ステーキハウスなんて、いつぶりだっけ。ふたりも連れて家族四人で行ったの、確か半年か、もっと前だったような気がする……)
でも家族で行った時はお父さん達が払ってくれるのに甘えてあまり気にしてなかったけど(いや気にしなきゃなんだけど)、やっぱりこういうお店のお値段は少々凄かった。
いや、少々っていうか、だいぶ。
奢る、とは春樹くん、確かに言ってくれたけど────コレ、やっぱりきびしいんじゃ。
やっぱり私もちゃんと払おう。うん。春樹くんに甘えてばかりじゃダメだよね。
そこまで思ったところで、ちら、と春樹くんをメニューの上から顔だけ出して見つめる。私のその様子とは反対に、彼はまだ楽しそうにメニューを眺めていた。
何か言わなきゃ、って頭では分かってるのに、喉のところで言葉が渋滞して、どうにも出てこない。
「……………あっあの、春樹、くん……?」
やっと絞り出した声は、自分でもびっくりするほど小さかった。
ページをぱらぱらめくりながら、彼はそうして顔だけをこちらに向ける。
「ん、どうした? 決まった?」
「あっ、えええ、えっと!」
真正面から反応を返されただけなのに、頭の中が真っ白になる。
さっきまで落ち着きかけていた心臓が、また忙しく暴れ出した。
お金のこともそうだけど、まずはこれを、言わないと。
さっき、商店街に入る前に挙動不審になったことだって、ちゃんと謝れてない。
「あっえっと、その」
「………は、春樹、くんに、私……手間、沢山かけてますよね。ここに、来るまででも。その事を、その……謝りたいと、思って」
そのまま、メニューを静かに置く。何となく手をこまねいたまま、両手を合わせて、気まずさをごまかすように私は俯く。
それは言うなれば、胸の奥に、ずっと刺さっていた棘みたいなもの。
楽しいはずのデートの最中だから、こんなことを言っていいのか悩んではいた。でも、どうしてもこれだけは言わないといけない気もしていた。
「……」
そっと前髪の隙間から彼を伺う。春樹くんは、こちらを向いている。
私の言葉を聞いてからというもの、そうしてゆっくりと目を見開く。でもすぐに、その視線は柔らかく傾いた。
穏やかに視線を下ろしてから、彼はそっと静かに口を開く。
「……先、決めちゃお? ひとり、食べたいもの決まった?」
「えっ、あっ、ああ……」
そういえば、まだ注文もしてないんだ。どうしよう、メニューが多すぎて決まらない。
「あっ、えっと、その……」
思考をまとめていたものが慌てたことでとっちらかってしまう。春樹くんを待たせたくない。彼にはそれがバレていたのか、くすくすと苦笑された。
「大丈夫だよ、ゆっくりでいいから」
「あっ、ありがとう、ございます、すみません……」
「別に全然大丈夫。もしなかなか決まらないならさ、ひとつ提案なんだけど……シェアサイズのやつとか一緒に食べるのどう?」
「えっ、し、しぇあさいず、ですか?」
「うん。この店なかなかボリューミーなやつをシェアできるタイプの店みたいでさ。俺も腹減ったし、三人前とかのでっかいハンバーグ頼んで一緒に分けながら食べてみない?」
な、何ですかその全優柔不断な人々を救うような神みたいなメニューは。しかも春樹くんとシェアまで出来ちゃう。
正直、あと十五分はメニューが決まらない気すらしてたから、残像ができるほどの全力の速度で私は頷く。「あっ、は、はいっ、はいっ!! ぜひそれで!!」
「ふはっ、あははっ。いや動きオモロすぎんでしょ」
「あっ、うへ、うへへ」
ケラケラと彼に笑われて私は思わず後ろ首を撫でて照れる。照れるとこなんだろうか。すると、彼は店員さんを私の代わりに呼んでくれて、物凄く慣れた口調で呆気なく注文を済ませてしまう。
「ありがとうございます! 少々お待ちくださいねっ」と、さっきと案内してくれたポニーテールの女性店員さんはオーダーを受けてから去っていった。
「あっ、あの、すみません、注文まで」
「んーん、全然いーよ。今度はひとりも注文、挑戦してみる?」
「えっ゛さ、さささすがに、……むっ、む、むむむむむりです絶対!!」
私が例に
「あははっ、そっか。まあ、それは追々ね! ゆっくりでいいからな」
「あっは、はいぃ……」
なんだか申し訳なくなってしまった。すみません、すみません……。
そうして、お互いにその会話を皮切りにほんの少しだけ間が空く。やがて、彼の方から一言、呟いた。
「ねぇ、ひとり?」
「あっ、はい」
「……さっきの話さ?」
「────なんで、謝ったのかなって思って」
「えっ?」
「─────……どうして、ああいう風に思ったのか、聞いてもい?」
「ひっ」
ビクッ、と体が小さく震える。
叱られたわけじゃない。問いかけられただけ。でも、私の頭は勝手に「迷惑かけた自覚があるからこその質問なんじゃないか」って無意識に思い込んで勝手に萎縮する。
「え、えっと…………その、それは……」
頬が熱い。
視線を泳がせながら、小声でごにょごにょ呟く。怒られないかな。いや、春樹くんはそんなことでは絶対怒らない。でもなんて返そう。
きっと、また変なことを言ってる。絶対そうだ。
すると彼は、私のそんな様子を見ては少しだけ困ったようにまた微笑む。右の人差し指を立てて、口を僅かに
「当てようか」
「えっ?」
「ひとりのことだからきっと、俺が迷惑してるんじゃ、とか心配になったんだろ?」
春樹くんは、そのままそう言って、向かいでクスッと優しく微笑む。
「あっ、えっ……そ、そんなことは……」
図星を突かれて、私は慌てて目を逸らす。
目線を逸らした先で唇を噛み締めながら、テーブルの一点を見つめた。
「その……ごめんなさい、春樹くん」
「もー。また謝る」
申し訳なさそうに、おずおずと頭を下げる。すると苦笑した彼はふすー、と、小さく息をつく。そのタイミングでグラスの中の氷が、カラン、と小さな音を立てた。
「………ふふ」
春樹くんは困ったように笑ったみたいな、そんな声を出す。
すると次の瞬間、テーブル越しに伸びてきた彼の左手が、そっと私の頬に触れた。
「ッ!? あっ、ひゃぅ!?」
思わずピクッ、と体が跳ねた。
顎から頬を撫でる指先が、くすぐったくて、落ち着かなくて。顔の熱が一気に心臓まで駆け下りる。
「………は、はるき、くん……?」
目を見開いたまま、心臓の高鳴る音に自分の身体が震えるのを感じる。声までも変な風に蕩けて、猛烈に恥ずかしくなる。
「ふふん。大体さ、迷惑だなんて思うわけないだろ? そゆとこも含めて大好きなんだから」
「アッッッッッ、ひっ、だ、だ、だいしゅ、き……ッッ!?」
それは、何回も言って貰えた言葉。
だけど、いまは、いまはだめです。そんな、恥ずかしい言葉、人も近くにいるのに言わないで下さい、春樹くん。顔面パーツがまた四方八方へ分離しそうな程、全身に熱が
「ほら、言うてみ。どうせ思ったこと、あるんだろ?」
「ちゃんと俺は全部受け入れるからさ、言ってごらん? じゃないと顎をくすぐるぞ」
「んひゃぁっうっ!?」
すると、突然こしょこしょ、と彼から首元を優しくくすぐられる。あっ、へっ、な、ななななななにを!?
「うへ、うへへ、あふっ、や、やめてくださっ、春樹、くん………うへへ、ふ、にゃ……♪」
今度は情けない声が口から漏れて、自分でも笑えてきてしまう。
くすぐったい。やだ、きもちいい。「あっ、うっ、あふっ、ふにゃ、やめ、やめへくらはい、はるきく……っ!」
みっともなく語彙も崩れて、笑いながらも、私はくすぐってくる手首を軽く掴む。
「ふふっ、かわい。ごめんごめん」
やがて、苦笑いする春樹くんは静かに手を離す。
「……………」
くすぐったさが引いていくのと一緒に、胸のあたりがふわっと軽くなる。こんなちょっかいですらうれしい。私は、俯いたままでも、口元だけは受け止めてもらえる安堵で思わず
「……私、実は、なんですけど」
「………うん、何? 言ってごらん?」
春樹くんもまた、くすぐっていた左手を下ろして、まっすぐに私を見つめる。「聞くよ」っていう顔で、微笑んでくれていた。相変わらずの困ったような眉の形のまま、彼は口元も目元も柔く弛む。
そんな春樹くんの姿に安堵しつつ、私はスマホを取り出す。
そして、さっき撮ったばかりの春樹くんとのツーショットを表示させた。それをじっと見つめながら、呟く。
「……私」
「虹夏ちゃん達と出会う前まで……写真を、誰かと撮ったこと……家族や集合写真以外、全く無かったんです」
「………!」
「……うん」
その刹那、一瞬だけ春樹くんが、切なげな表情を浮かべてこっちを見つめる。
その彼の眼差しと目が合う。真剣に頷くその顔色を見て、胸の奥で何かがチクリと痛む。私は、どこかほんの少しだけ湧いた寂しさを胸に、再びスマホの画面へ視線を落とす。
ほんの少し、指で画面を動かす。お気に入りに登録してある、あの写真を表示する。
「………そっ、そんな私が……」
「初めて、他の誰かと写真を撮ったのが、この前虹夏ちゃん達が話してた、アー写撮影の時……喜多ちゃんが合流してまもない時でした」
「駅近くの駐車場で、落書きで木が書かれた壁を前で四人でそのアー写を撮ったんです」
「あぁ……それ、なんか虹夏から聞いたな。四苦八苦したって言ってたやつか」
そう言って彼は苦笑する。
「あはは……おっ、主に私のせい、ですけど」
自分でも思わず苦笑いしてしまう。
あの時、下北沢を回ってみんなで何枚も写真を撮った。
緊張で上手く笑えなかった自分。
正直、後々スマホに送ってもらったその写真を見ても、ロクな写真写りのものが無かった。喜多ちゃんの映りが良すぎるだけにただひたすらコンプレックスを刺激されまくってたと思う。下北沢のツチノコと化して、まあ目も当てられない酷さだった。
だけど、それとは別に。
─────虹夏ちゃん達と並んで、四人でなぜかジャンプして撮ったこの一枚を見た時。あの瞬間に湧き上がった感情は、今でも鮮明に思い出せる。
「………でも、その時、思ったことが、あるんです」
「どんなこと?」
春樹くんは、目尻を下げてそっと頷く。
続きを促す声に背中を押されて、私はゆっくり視線を上げる。
「──────あぁ、これ、嘘じゃないんだ、って」
「!」
「……私の、妄想とかじゃなくて───────ちゃんと、皆、ここにいるんだ、って」
「………ひとり……」
少し目を見開いた春樹くんが、私の名前を呟く。
その声は、どこまでも優しくて、反則だった。私は、その声色に後押しされるように続ける。
「あっ、それで……それから、虹夏ちゃん達と写真を撮ることが多くなって。結束バンドのみんなと写真を撮る度に………みんながいるんだって実感できて、嬉しかったんです。その時点でも、現実感があまり無くて」
「うん」
「この前、江ノ島に行った時も。オーディションが終わったあとの記念撮影も……」
「あっ、えっと」
まずい。これじゃ、つまり何言いたいんだってならないかな。
上手く、言えないんですけど、と慌てて付け加える。
本当に、私は話すのが下手くそ。でも春樹くんは柔らかい笑みを浮かべたまま、頷く。
「大丈夫、言ってみ?」
優しく続きを乞われて、少しだけ勇気が湧く。
「あっ……はっ、はい」と、私も頷き返す。
「……だっ、だから、その……本当の事を言うと……」
「そんな私にとって、今日は………余りにも、実感が持てないんです」
語彙が機能しないそんな言葉を形にしてしまった瞬間、喉が思わず詰まった。
そう。本当は、と私は思う。
嬉しいのに、怖い。
幸せなのに、信じきれない。
そんな事を、思ってならないんだ。
「あぁ……」
春樹くんはやがて段々と瞳を閉じながら、再び穏やかに微笑む。納得したような、そんな仕草。
「そう、だよな。友達とやっと撮れるようにステップアップしたばっかなら……尚更、な」
「あっ……はい……」
「だから、その、春樹くんがこんなことしてくれるなんて、ぜんぶ、夢みたいで………怖くなってきちゃって」
自分でも、どっちの感情を優先していいか分からない。
幸せと恐怖が、ぐちゃぐちゃに混ざって胸の中で暴れていた。でも、これが本当にありのままの思ったことだった。
「………」
彼は穏やかな口元のまま、テーブルの上で私の手を包み込むように握ってきた。それはとても落ち着いた所作と、真っ直ぐな瞳。私の不安をほどくように、そっと寄り添ってくれるのが分かる。
「………うん、そっか。そう、なんだ」
「そうだよな。怖いよな。慣れてない事ばかりなら、尚更だ」
「………はい」
瞳を伏せて優しく呟いてくれる春樹くんは、そうして私に共感を返してくれる。その手の温もりに、言葉に、いつものように心がじんわり満たされていく。
私は俯いたまま、勇気を振り絞る。そのまま、訴える。
「で、でも本当は、こうも、思ってて」
「うん」
「………春樹くんとこんなこと出来て……本当に、嬉しいんです。幸せで、堪らないんです」
「それは、俺もだよ」
「………!!」
即答だった。
それを聞いた瞬間、思わず肩が勝手に動いてしまう。胸が、ぱあっと明るくなる。思わず花が咲いたみたいに、息が漏れた。
「っ、わ、私」
「今日、春樹くんと一緒にこうして、二人きりで写真を撮れたこと、本当に嬉しくて……!」
私のスマホを握る手の甲に、そっと彼に手を添えられながら表示した、また別の写真。さっきのツーショットを見つめる。そうして、静かに顔を上げる。
「春樹くんとのこの写真は……この先も、何度でもフラッシュバックする様な………!! そ、そんな、私にとってとても大切な、思い出に………!」
「───────そんな、大切な、記憶になってるって………こっ、心から、思うんです!!」
言葉と一緒に、震えが指先へと伝わっていく。
そうしてスマホを置いた両手で、私は春樹くんの手をぎゅっと握りしめ返す。どうしようもなく、手が震えているのが自分でも分かる。
「…………」
春樹くんに、それは伝わっているんだろう。眉を八の字にしながら彼は切なげな笑みを浮かべて、ゆっくりと腰を上げた。
するとテーブル越しに手を伸ばして、私のピンク色の髪を撫でてくる。
「っひゃぅ………!?」
頭のてっぺんからつま先まで、一瞬で熱が駆け抜ける。
「あっ……はっ、春樹……くん……?」
やさしく撫でてくれる手のひらの体温が、温かい。
髪の毛ごとそっと擦ってくれるのが、堪らなく好き。
「ひゃう……っ、あっ………」
「……う、うへへ、へへ、うへへ………♡」
自分でもきもいと思う笑い方なのに、止められなかった。
春樹くんは、そんな私の顔をやっぱり少し切なげに見つめ返してから、視線を伏せる。
「─────……ひとり」
「聞いて?」
頭を撫でたまま、彼は優しく呟く。
「あっ……は、……はい……?」
私はキョトンとした様子で視線を少し上げ、こくりと頷く。
「前に、喜多さんのことで泣いて、ひとりが心が折れちゃった時のこと覚えてる? その時に、言った言葉」
「あっ、うっ、はい、もちろん」
吃りながらも、こくこくと首を縦に振る。印象に残った、私の脳裏にずっと眠る言葉。忘れるはずもない。
「……君は、もう “独りぼっち” なんかじゃない。そう、言ったよね?」
「は、はい」
「──────たくさんの人が、君のことを見てる」
「……えっ?」
驚いて目を強く見開く。
それはまるで、胸の奥に、ひとつひとつ灯りが点いていくような感覚。
「………結束バンドの皆も、星歌さんも、PAさんも、君が世話になったって言う廣井きくりさん……だっけ? SICKHACKの、ベーシストさん」
「……ほら、昨日のライブの時も顔を出してくれてた、ひとりのこと、ファンだって言ってくれた人も……文化祭のあの時だって、観客ライブで変わった人とは言ってても、ひとりの演奏を凄かったって言ってるヤツもちゃんと居た」
「………………みんな、ひとりのこと、沢山見てる。今こうやって数えただけでも、さ。勿論、君の家族だって……─────俺だって、さ」
ひとつ名前が挙がるたびに、脳裏にその人たちみんなの顔が浮かぶ。
虹夏ちゃん。喜多ちゃん。リョウさん。店長さん、PAさん。きくりお姉さんや、SICKHACKの皆さん。私のファン一号さんや、二号さん。
そして、家族。お父さんや、お母さん、ふたり。
たくさんの人の顔が、今この瞬間だけでもまるで
何よりも「俺だって」の一言で、胸がいっぱいになった。
「…………っ、…………」
言葉が詰まる。
目の奥が熱くなって、また視界が少し滲み始めてしまう。
私はふと、あの日あの時、きくりお姉さんに言われた言葉を思い出す。
『でも一応言っとくけど』
『今、目の前にいる人たちは、君の闘う敵じゃないからね』
『敵を見誤るなよ』
金沢でお姉さんと二人だけで路上ライブをした時に聞いたその声。
それが再び、今一度胸の中で
私はもう一度、春樹くんの瞳を見つめ直した。
(……そうだ。敵なんて居ない。あの時と同じ)
(私が勝手に、そう思い込んでるだけ。春樹くんはきっと─────)
「……ひとりも、薄々分かってるはずだよ。何度でも言う……もう君は、独りなんかじゃない。だから、不安にそんなに苛まれなくてもいいんだ」
「妄想なんかじゃない、皆君が頑張ってきたのをちゃんと知ってる」
「だから、この瞬間だけに限った話じゃなくて」
「これから沢山君は多くの人に見てもらえる。絶対にそんな存在になれる。そう俺は信じてる」
「だから、今日の事なんて比にならない位に……もっと幸せな思い出、作れるよ。恐がらなくていいんだ」
そう言って、春樹くんは満面の笑みを見せてくれた。
それは、初めて電話をした時にも言って貰えた言葉。誰よりも、私を信じてる、と。世界で一番、私を信じてくれる人。
何度聴いても、この人のこの
その時、胸の奥で、何かがぱきんと音を立てて割れた。
その下から、光のような、あたたかいものがぶわっと溢れてくる気がする。
「………っ」
私はその光の粒を胸に、思わず胸元で右手を握りながら問い掛ける。
「……あっ、わ、私、これから、春樹くんとも、沢山の人とも、バンドの皆とも………もっといっぱい、思い出作れると、思いますか?」
「当たり前だろ? 作れるよ。写真なんていくらあっても足らないくらい、これから人生の生きていく先、何度でもその瞬間を思い出せるくらいに…………写真も撮れるし、思い出だって、沢山作れる」
「俺が支える。約束だ」
にひひ、と、また無邪気な少年みたいにそう彼は笑う。春樹くんは、本当によく笑う人。
その笑顔に、私はこれ以上ないくらい、何度だって勇気づけられた。何度も、何度でも。そして多分、これからも。
「……っ……はい……!! そ、そう、ですよね」
「ぜっ、絶対……春樹くんも、皆とも、一緒に!!」
頬が堪らなく、また熱くなる。握っていた手のひらの中の光が、希望にその身を変えていくのが分かった。それを、その感覚を忘れていたくなくて、私は静かに目を瞑った─────その時だった。
「お待たせしましたぁっ、シェアサイズのビッグハンバーグセットです。お熱いので気をつけてお召し上がりください〜!」
「あっ、えっ!?」
女性店員さんが、カートに乗せた鉄板プレートを運んでくる。寸前、全く心の準備ができていなかった私は慌てる。
ジュワァァァア、と勢いよく油が跳ねる音と、一気に立ち上がる肉の匂いに、現実へ引き戻されていく。
「あっっ、あ、あああありがとうございますっ」
私の顔、多分真っ赤。事実として頬が熱を持ってる。
恥ずかしくなりながらも春樹くんの方をチラリと見て、それから慌てて店員さんを気遣って鉄板を受け取ろうとした。
「あっ危ない危ない」
一人で持ち上げようとした私の手に、春樹くんの手が重なる。
そっと支え、一緒に机の上へ大きな鉄板を静かに置く。
「あっ゛っ、ぁ、うっ」
手に重なった温もりと、店員さんの目の前という状況が重なって、私は顔面崩壊レベルで真っ赤になった。
「危ないから、俺持つよ。ありがと」
「あっ、ごめんなさい……春樹くん」
申し訳なさそうに慌てて手を引っ込めて、目を伏せ、小さく微笑みながら謝る。
「良いよ、ほら。コレもせっかくだし撮ろ!」
ナイフとフォークを私に渡しながら、春樹くんはスマホのカメラアプリを起動する。
「えっ?」
思わず目を見開く。
「……言ったろ! 思い出、撮ろうぜ!」
笑いかけられながら、スマホが構えられる。
シャッターの前に、もう一度胸がきゅっとなった。
「っ、……はいっ!!」
いつもの私からは考えられないくらい、素直に答えていた。
不器用に、にへらっと笑い、力の入ってないピースをしながら、ハンバーグと一緒に写真を撮る。
「うへ、へへっ、へへ……」
カシャ、と音が鳴って、画面に映った自分と春樹くんを見て、私は満足げに微笑んだ。
「あははっ、だらしねー顔! もう一枚!」
「ほら、カメラ見て! ひとり!」
春樹くんは自撮り風に少し後ろを向いて、左手を伸ばし、私が入るようにインカメラで構える。
「あっ、は、はいっ!」
素直に返事をして、嬉しそうに笑みを浮かべながらレンズを見つめる。
シャッター音。
春樹くんの笑顔と、自分の幸せそうな顔が写真に収められて、またひとつ、新しい “現実” が増えた。
「よし!! いい感じに撮れたし! それじゃ食べよっか」
「えっ? あっ、えっと」
「はい、ひとりのフォークとナイフな。美味そ!」
春樹くんの声で、我に返る。慌てて差し出されたそれらを受け取った。
「あっ……はい!」
「じゃあ、食べよ? いただきます!」
「はっ、はい、い、いただきます……っ、ふぁぁあ………!」
ちゃんと手を合わせてお互いにいただきますをする。春樹くんのその掛け声、可愛い。
両手を合わせたあと、目の前の大きなハンバーグをまじまじと見つめる。凄まじい熱と共に、勢いよく肉汁と煙が熱々の鉄板の上でタップダンスをしている。
カリカリに焼かれたそれは、およそハンバーグというより「ハンバーグステーキ」。さっき遠目で見えたキッチンでは、炭火のコンロで焼いていたと思う。
それ故なのか、適度な焦げ目のついた肉々しい挽肉からは、とんでもなく香ばしい
なんでだろう。
凄く輝いて見える。不思議。
春樹くんが、興奮気味な私の様子を気にしながら自分のナイフとフォークを手に取っている。
「………ふふっ、切りたい? 俺も昔ここの系列の店来たけど、すげぇ迫力だよな」
「あっ、うっ、……は、はい!!」
まるで子どものように大きく首を縦に振る。「? えっと……あちち」
フォークとナイフを手に取ったものの、熱々すぎてどこから切ればいいか分からなくて、少し困った顔になる。震える両手で少しずつ刃を入れようとした、その時。
「………」
春樹くんが、柔く微笑んで、そっと私の手に自分の手を重ねる。
一緒にナイフを動かして、ハンバーグを切り分けていく。
「っ!」
また心臓が、とくん、と高鳴る。
「あっ、はっ春樹くん、ありがとう……ございます」
「ん、いーよ。やけどしないでね」
「あっはい」
感謝の気持ちを込めつつ、一緒にハンバーグを切り分けながら、私は心の中でまた余計な例えを思い浮かべていた。
(……なっ、なんか、ケーキの入刀みたい)
「………」
はた、と思わず停止する。
わ、わ、私、何言って。
かぁぁぁあ、と顔が一気に真っ赤になる。
(ハッ!? 私、ななななななななななに考えてっ、うぉおおおおぉぉぉぉぉ忘れろ忘れろ忘れろ!!)
お皿から顔を離しては、首をブンブンブンブンと振りまくる私を見て、春樹くんは「!?」って顔をしていた。
「ど、どしたひとり。ほら、切るよ?」
「えっ、あ、はいぃ!」
慌てて顔を戻す。
「! わぁぁ……!!」
そんな動揺もさることながら、少しずつ切り分けられていくハンバーグを見て、私はわくわくしてきてしまう。
「へへっ、おおーー美味そう……」
春樹くんもそれを察していたからなのか、彼も似たような表情で「ふふっ、早く食べてーよなっ!」とはにかむ。
「はっはい……!!」
「さ、切れたよ。お先にどーぞ!」
「あっ、え、いいんですか??」
「いいよ、ほら、冷めちゃうぞ」
「あっはっ、はい!」
私を一番先にしてくれるなんて。春樹くん先でもいいのに。そんなことを思いつつも、申し訳なさ半分、嬉しさ半分でフォークにハンバーグをそっと刺し込んでは、持ち上げる。溢れる肉汁。
「っ……お、おいしそう、です……っ!!」
「ふぅー……ふ〜………ぁ〜〜ん………っ」
はむ、と一口食べる。
「………ど?」
春樹くんが、ニヤニヤしながら私の表情を覗き込んでくる。
「……んっ!! ッッッ、〜〜っ、んんんっ!!」
お肉が口の中でほどけていくたびに、体が軽く跳ねる。
何かもう幸せすぎて、よく分からない声が出てしまう。
口腔の中にとんでもなくジューシーな肉汁と、丁度いい焼き加減の挽肉の旨味が、舌を通して脳まで一気に駆け抜けていく。
なななななななにこれ、お、美味し過ぎる。
「っ、おいひいでふッッ!!」
私は思わず興奮して夢中で口を抑えながら感想を返す。
「……………!!」
春樹くんが目を見開く。
「………良かった」
ふっと満足げに微笑んで、そうして彼も一口頬張る。
「んじゃ俺も! …………んんんんまっ?!」
「なんらこれッッ!? 明らか前より美味ひかも、うまふぎんだろ!!」
いつになく大きな彼のリアクションに、思わず笑いそうになる。春樹くんも大興奮だった。
私はつられるようにまた興奮が高まっていく。
「う、うへへ…… ♪ 美味しい、ですね♪」
「それな!! ほら、ひとり、あーん!」
「ふぇっぁっ!? アッ、エッ、ひ、人前ですよぉ……ッッ」
「大丈夫っ、ほら口開けて! あくしろ、突っ込むぞ!」
「ひぃぃっ!! ……あ、ぁ〜ん………」
「ほれ」
「あひっ、あふっ、あふ、んんんんんんんっっ!」
「ふっふーん、美味しい?」
「〜〜〜〜〜っ、は、は、
「あははっ!! 可愛いっ! ほら、もっと食べなよ!」
「あっ、は、はひ……♪」
──────そうして、私たちは夢中になって幸せそうにハンバーグを頬張り続けた。食べさせてもらったり、逆に食べさせたり。
口中が火傷一歩手前になりながらも、それすら嬉しくて、仕方なくて。
こんな瞬間が、ずっと、続いたらいいのに。
そんな事を、ただひたすら私は思い続けた。