ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #52 「ソラニン」(4)

 

 

 お腹いっぱいになったお腹って、椅子の背もたれに寄りかかると、自分のものじゃないみたいにぽわんって前に出るんだなって思った。ぷぁぁ、とそうして私は小さく息を漏らす。

 鉄板から立ちのぼるソースの匂いは、もうほとんど消えかけているのに、舌の上だけはまださっきのハンバーグの余韻を手放してくれそうにない。

 

「美味しかった……」

 

 紙ナプキンで口元を拭きながら、天井のスポットライトをぼんやり見上げる。白い光が、テーブルのグラスに当たって小さく瞬く。

 さっきまで賑やかだった店内のざわめきも、満腹感に包まれた頭の中では少し遠く聞こえた。

 

「美味かったあ……」

 

 同じタイミングで、私の目の前からも似たような声が耳に届く。

 見なくても分かる。きっとこの人も、今の私とおんなじ顔してる。ゆるく頬が弛んでいて、それでいて目尻も下がって、完全に「幸せです」って顔になってると思う。それだけの事が、嬉しい。

 

「はっ、はい……」

 

 思わず同じ方向を見上げたまま返事をしてしまってから、ふと視線を動かす。すると、何やら今度は春樹くんがこっちをじっと見ていた。

 テーブルに落ちる影の形で、それが分かってしまう。

 

「……! あっ……」

 

 お腹いっぱいで気の抜け切った顔を見られてる気がして、一瞬で頬が熱くなる。慌てて俯いて、口だけ動かした。

 

「え、えっと……そ、その、とっても美味しかった、ですね……」

 

 自分でも分かるくらい声がふにゃっとしていて、恥ずかしくて、でもどうしようもなくて。今更取り繕っても取り繕りきれない、そんな姿。

 でも視界の端で、春樹くんが、くすっと笑ってくれる気配がする。

 照明に照らされた横顔の輪郭が、少しだけ揺れ動く。私も、思わず可笑しくなってしまう。春樹くんも、私の方を見て微笑み返す。

 

「……ふふっ」

 

「あははっ」

 

「……さて」

 

 立ち上がる気配。椅子がきゅっと鳴って、そのあと、テーブルの向こう側から春樹くんの手が伸びてきた。

 

 新しいおしぼりの、ひんやりした感触が、そっと私の口元に触れる。

 

 洗剤とレモンの匂いが微かに混じったその香りが、変にリアルで、余計にドキドキする。

 

「ほら、着いてるよ?」

 

「わ、わわっ、ひゃぅ……!」

 

 びくっと肩が跳ねて、思わずぎゅっと目を瞑る。子どもみたいな反射だな、って自分で思いつつ、されるがままになってしまう。

 おしぼり越しに感じる指の形が、妙に生々しくて、頬の熱がさらに上がった。

 柔らかく拭われていく感覚と一緒に、心臓まで撫でられてるみたいにドクドクし始めて、ますます顔が熱くなった。

 

「ぁ、そ、その、ご、ごめんなさい……ついちゃってました……?」

 

 おずおず顔を上げると、春樹くんは別に呆れてもいなくて、普通に、というか、なんならまたちょっと楽しそうに笑っていた。

 また、ずるい、と唇を僅かに噤む。

 からかわれてるって分かるのに、その笑顔を見ると何も言えなくなってしまう。

 

「ふふっ。着いてた。可愛いけど他の人にそれ見られるの俺が嫌だから拭ったんだ。行こ」

 

「ッ……か、かわ……」

 

 言葉が変なところで止まる。

 しかも、他の人に見られるのが、嫌なんて。

 本当に、ほんとに珍しく、春樹くんが私に対して『独占欲』みたいなものを見せてきて、たちまち心臓が跳ね飛ぶ。

 頭の中が一瞬で真っ白になって「可愛い」の三文字と一緒に、その事実だけが何回もリピートされてしまう。

 かあぁぁぁああっ、と耳の先まで一気に熱が駆け上がるのが分かる。

 やだ、やめて、ほしいのに。そんなこと、いうの。ずるいですってば。

 視界の端がじんわり白く滲む。

 

「やややや、やめてください……だ、ダメですってば……そ、そんな、褒められ方、したら」

 

「ぁ、うぅぅ………あっ、わっ、わ、私……調子に乗っちゃいます……」

 

 胸のあたりを思わず押さえながら立ち上がる。多分私、見るも情けないくらい頬が真っ赤っか。見られたくない、こんな、こんなの。

 ドクドク鳴ってる心臓を、服の上から押し戻しておきたいくらいだった。椅子の脚が床をこする音が、妙に大きく聞こえてしまう。

 

「あははっ。なに、承認欲求モンスター産まれちゃう?」

 

「もっ、もう、もうぅぅぅ………」

 

 ケラケラ笑いながら、自然な動きで私の手を取って、春樹くんはレジの方へ歩き出す。恥ずかし過ぎて頬から湯気が出そうなのに、何だか少しだけ悔しかった。

 店の奥から漂ってくるスパイスの匂いと、彼の手の体温がごちゃ混ぜになって、くらっとする。

 しかもまた繋がれた指先から伝わるあったかさに、今度は別の意味で心臓がうるさくなる。

 逃げたくなる指を、なんとか逃がさないように、自分の意思でそっと握り返して、反論する。

 

「ち、違います、そそそ、その、今は、というか、最近は春樹くんのおかげでそうならずに済んでますから……」

 

 ちょっとだけ拗ねたみたいに口を尖らせながら、それでも繋いだ手だけは離したくなくて。

 視界の前には春樹くんの背中があって、そこに自分の歩幅を合わせていく。店内BGMの歌詞なんて、もう全然耳に入ってこない。

 

「あはは、そりゃよかった。………あっ、店員さん、お会計お願いしまーす!」

 

 しっとりとした優しい声が急に一転して、いつもの、あっけらかんとした明るい声。

 カウンターの向こうで店員さんが「はーい! お待たせしましたー!」と笑顔で近付いてきて、そこで私はようやく、現実的なことを思い出した。

 

(あ……)

 

 メニューの値段が、頭の中にずらっと並ぶ。

 数字になると、急に足元がスースーする。そうして、慌ててカバンを開けて、財布を掴む。

 

「あっ、あ……は、春樹くん、やっ、やっぱり私も払いますっ……半分払わせてください……!」

 

 うまく目を合わせられないまま、上目遣いで言葉だけ投げる。

 ちゃんと自分のぶんは払わないと。奢ってもらってばかりじゃ、釣り合わない。そう思うのに、声は頼りなく震えていた。

 

「だいじょーぶ。気にすんなって。あ、一緒にお願いします!」

 

「えっ、えぇっ、あっ、あの……そんな」

 

 春樹くんは、有無を言わせないくらい自然に、会計を全部まとめて差し出した。既に私のお金を出す隙間なんて、そこにはまるで無かった。

 店員さんに向ける笑顔までも眩しくて、私は財布を持ったまま固まることしか出来ない。こんな所で出しゃばることが出来るなら、やっぱり私は陰キャなんかやってない。

 たちまち小さく縮こまってしまう。レジ横のお菓子の棚が、やけにカラフルに見える。

 

「ッ……………あっあの………ほんとに、ご、ごめんなさい……ありがとう、ございます。春樹くん」

 

 深く頭を下げると、床の木目が滲んで見えた。

 申し訳なさと、ありがたさと、どうしようもない嬉しさが、ごちゃっと胸の中で混ざっていく。

 

「いーよ。今度からはそんなに気になるなら、割り勘しよ? たまには奢るからさ」

 

 にひひ、といつもの子どもみたいな笑顔。

 軽口みたいに聞こえるのに、その「たまには」が妙に優しくて、肩の力が少し抜ける。

 

「……あっ、はい! ぜひ……次こそは絶対に割り勘させてください。というか、私が奢ります!」

 

 口から出た言葉は、半分本気で半分見栄みたいなものだったけど、それでもそう言いたかった。

 少しでも、何か返したくて。彼と並んで立てる理由が欲しくて。

 やがてそのまま手首を引かれて、私はそのまま店の外へ連れて行かれる。自動ドアが開いた瞬間、外の冷たい空気と、夜の匂いが一気に流れ込んできた。

 

「あはは! そう来たか。なら、そんときは支払いがどっちが早いか勝負だな」

 

 笑いながら、今度は指と指を絡められる。

 さっきまでの「手を引かれてる」繋ぎ方じゃなくて、明らかに「恋人繋ぎ」と呼ばれるあれだった。

 

「…………えっえっぇ、ぁ、っ、ひゃぅ、っ……!」

 

 変な声が、喉から飛び出てしまう。熱と熱が絡み合った指先が、反射で小さく跳ねて、離れそうになる。でも、春樹くんの指がそこにある、という事実が嬉しすぎて、頑張ってぐっと堪える。離したくない。離すなんて、やだ。

 むしろ、こちらから握り返してしまう。手のひらの汗が、急に気になり出す。

 

「……ぁっ、うっ……」

 

 またも腑抜けた声が喉から漏れそうになるのを飲み込みながら、私は頬の筋肉が勝手にゆるんでいくのを止められない。無理、こんなの、抑えられる訳ない。嬉しすぎる。

 通りを行き交う人たちは、皆それぞれの帰り道を歩いている。

 そんな中で、自分だけ別の世界に入ってしまったみたいだった。

 どっちが早くお会計できるか、なんて。そんな楽しい勝負、たぶん、今まで経験なんてない。

 そうして、さっきの彼の言葉に、応えるように微笑み返す。

 

「あっ……はいっ……たっ、楽しみにしていますね……♪」

 

「ふふっ、おう!」

 

 なんとか平静っぽい声を装ったつもりだったけど、絶対バレてる。

 指先から伝わる体温が、ゆっくり腕を伝って、胸の奥まで広がっていく。

 横顔をちらっと見たとき、春樹くんも少しだけ、耳の先が赤くなっているように見えた。

 そう思った途端、胸がぎゅっとなって、私は視線を慌てて前に戻す。でも、お互いに同じことを思ってるような、そんな気になって。

 

 ただただ、私は嬉しくてうれしくて、仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 お会計を済ませて、ぼっちちゃんと春樹くんがステーキハウスを出ていった。その数十秒後。

 

「あっ、動いた、動いた! ほら二人とも、行くよ!」

 

 あたし達は慌てて伝票を掴んでレジに走って、そのまま外へ飛び出した。夜の空気はさっきより少しだけ冷たくて、焼いた肉の匂いがまだ服にまとわりついている。店のドアの鈴が、ちりんと鳴り響く。

 

「うっぷ……食べすぎた」

 

 数十秒遅れで外に出た瞬間、隣でリョウがお腹を押さえて、その場で少しだけ前屈みになった。

 

「だから言ったじゃん……! あのサイズのハンバーグに山盛りポテトはやり過ぎだって」

 

「私、もう年かもしんない」

 

「何アホなこと言ってんのさ、もぅ! まだ華の女子高生だってば!!」

 

 呆れつつも、背中をさする手つきだけは自分でも笑えるくらい慣れている。こういう時のリョウは、子どもみたいに素直だから、放っておけない。とはいえ、あたし達三人、電柱一本の影にぎゅうぎゅうに押し込まれてるの、外から見たら完全に不審者だと思う。

 

「だっ、大丈夫ですか、先輩っ」

 

 もう片方の腕からは、心配そうな喜多ちゃんの声。オロオロしながら覗き込んでいる。なんかもうこれ、完全に、胃薬のCMの図じゃん……。

 

「と、というか、なんか二人とも、老夫婦みたいですね……」

 

 ぼそっと喜多ちゃんが呟いたのが聞こえて、思わずずっこけそうになった。

 

「ちょっと待って、誰と誰が」

 

「い、伊地知先輩とリョウ先輩が、です……」

 

「これからも私のことは頼むよ虹夏」

 

「訳分からんこと言うな山田ァ! はい解散ッッッ!」

 

 小声でツッコんでリョウを壁へシバく。そうしてもう一度視線を前に戻す。そうしてあたしは顔だけ電柱の影から出しては、通りを挟んだ向こう側を覗き込む。

 

「あ……」

 

 ちょうど、ぼっちちゃんと春樹くんが横断歩道へ向かって歩き出すところだ。さっきまであの店の窓際で見てた、あの背中。

 今度はガラス越しじゃなくて、街灯と車のライトの中にいる。

 

「……! あっ、先輩っ! ひとりちゃんと吉沢くんが動きました!!」

 

 喜多ちゃんが指を差しながら声をひそめる。あたしもそれを見て頷く。

 

「うんっ、分かってる! 行くよ!」

 

「えっ!? 先輩までやっぱり私の事呼び捨てに!? 喜多郁代だけに!?」

 

「だから違うっつうの!! このやり取り今月で二回目だよ喜多ちゃんッッ!!」

 

 んなアホなやり取りをするその横で、リョウはまだ「うっぷ」とか言いながら、ちょっとだけ顔を上げて呟く。

 

「あ……ちょっと待って」

 

「え?」

 

 リョウのその言葉に、あたしは振り返る。ちょうど、横断歩道の手前で立ち止まっている二人が見えた。

 信号待ちで並んでるだけなのに、なんかもうあの二人のあの構図は、ポスターかなにかの絵面みたいだ。

 春樹くんが、少しだけ体を傾けて、ぼっちちゃんの手を取る。

 あの子は肩をびくっと揺らすけど、逃げない。

 むしろ、自分から指を絡めにいっているようにも見える。

 

「………」

 

 それだけのことなのに、胸の奥の何かが、また静かに疼く。

 そのまま二人は青になった信号を、二人が並んで渡っていく。肩と肩、ぶつからないくらいの距離で。

 さっき、リョウが何か言ってたな。青い春、とか、なんとか。

 

 ──────あたしには、まだああいう人、実の所経験は無い。

 

 いや、正直言うとその手の類は別に縁もユカリも無かったわけでもない、と思う。

 ふと、静かに脳裏の記憶の蓋を開く。

 実は小学生の時に気になってた男の子は居たりくらいはした。多分、いわゆる人並みの恋、ってヤツ。

 だけど、結局その男の子はクラスが離れてから話さなくなって、それ以降はそれっきりだったし、お母さんの事も相まってそれどころじゃなくなった。そこからは、お姉ちゃんを追い掛けるようにドラムに没頭して、中学で本格的にリョウと仲良くなって。

 思えば、基本いつもリョウと一緒に過ごしてたから、そんな色恋沙汰も何もあったもんじゃない。

 でも、それだってきっと、一種の青い春。取り戻せない、青春ってやつのはずだ。別に悔いなんて無いし、リョウと一緒に過ごすのは、めんどくさい時ももちろん無いわけじゃない。

 

 だけど、何よりも一緒に居て楽しいって、思ってる。心から。

 

 ─────あたしは少なくとも、そういう出会いはまだ無いし、これからもあるのかなんて分からない。ドラマとかそういうのとかでキュンキュンすることはあれど、それを実際に体験するのとそうでないのとでは大違いのはずだ。

 

 だからこそ、と、ふと考える。

 

 そういう意味では、リョウの言うところの『青い春』とかいうものを、あたし達の中で一番早く経験してるぼっちちゃんがほんの少しだけ羨ましいな、だなんて思ってしまったりもする。

 さっきまで同じテーブルで「おいしいね」って笑ってた子が、今はちゃんと「誰かの隣」を歩いてるんだ。

 

 そう考えてしまうのだって、無理もない。

 

 きっと、さっきから感じるこの胸中の動きは、蠢く何かは “そういう類” の気持ちが理由のはずだ。そうに決まってる。そのはずだ。

 

「…………」

 

(……すごいなぁ、やっぱ)

 

 きっと、あたしの胸のど真ん中で、感情が二つに割れてぶつかり合っているんだと思う。その、青い春どうこうってのをそもそも置いとくにしても。

 ひとつは、もうどうしようもないくらいの嬉しさ。

 人混み+知らないお店-好きな人の前×青春=地獄コンボ。そんなもの、前のぼっちちゃんだったら三回くらい床と同化しててもおかしくない。あまりにもロック過ぎる。

 さっきのハンバーグのときもそう。

 ちゃんと椅子に座って、ちゃんと目を合わせて、

 ちゃんと「おいしい」って笑って、写真まで撮られて。

 あたしとリョウと喜多ちゃんで、ここまで連れてきてあげた場所の、その先を、今あの子は自分の足で歩いてる。歩けていた。

 

(─────それが嬉しくないわけないじゃん)

 

 もうひとつは、さっきから名前をつけづらい、ちいさな棘みたいなやつ。

 

 あの子が初めてうちに来た日。

 初ライブで、ドラムの後ろで完熟マンゴーを被ろうとしながらガタガタ震えてた背中。

 台風ライブの日の、本番直前の「助けてください」って目。

 そういう全部に、一番近くで手を伸ばしてきたのは、自分達だって自覚があるから。

 だからこそ、あの指が今、自分じゃない誰かに絡んでいるのを見ると──ほんの一瞬だけ、自分の居場所が宙に浮いたみたいな気持ちになる。

 有り体にいえば、それは “嫉妬” なのかな、なんて思ったりもしてしまう。

 でも別にぼっちちゃんを取り返そうとか、そんなんは全く無い。

 故にそれとも絶対に違う。だから困る。この気持ちを、なんて言葉にすればいいのか、あたしの語彙じゃ説明できないから。

 

「……大丈夫? 虹夏」

 

 リョウが、さっきまで自分の胃袋と戦ってたとは思えない真面目で、冷静な声で聞いてきた。表情はいつも通りだけど、視線だけはちゃんと鋭い。思わず目を見開いて、あたしは隣に並ぶリョウを見つめ返す。

 

「え? うっ、うん、大丈夫大丈夫。あっ、ほら、ターゲット動いてるし」

 

 いつもの調子で笑ってみせて、リョウの背中をぱんっと軽く叩く。

 

「結束バンド特別ミッション『尾行を続けろ』、まだ途中なんだから! 気を引き締めるよ、リョウ」

 

「そのタイトルセンス、どうかと思う」

 

「うっさいよ!! ノリ大事だからこまけーことはいいのっ!」

 

「せ、先輩っ、早くしないと見失っちゃいます!」

 

「わかってるって、喜多ちゃん! フラッシュ切ってる?」

 

「切ってます!!」

 

「おっけ! 皆の衆、行くぞぉ!」

 

 そんなくだらない会話で、あたしは皆を牽引して走り出す。自分の鼓動を、またそうしてごまかすかのように。

 信号の青が点滅していく。そうしてあたし達もタイミングを見計らって、少し距離を空けながら横断歩道へ向かう。

 電柱からコンビニの陰、コンビニから看板の影へ。名探偵もびっくりな尾行の仕方。これが今時の令和の時代にやることなのか。まあでも、そこはもう気にしたら負けな気がするので考えるのはやめた。

 ちょこちょこポジションを変えながら、二人の後をついていく。

 

 前を行く背中は、さっきよりも近くて、さっきよりも遠い。

 

 その背中を見失わないように。

 そしてあたし自身も─────自分の気持ちを見失わないように、ただひたすら、その在処を内心探し続けていくように、そうして走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 大通りを通る車のヘッドライトは、少しずつ主役になっていく時間。

 街灯がポツポツ灯り始めた、まもなく黄昏と夜の境界線を空が主張し始めていた。風がさっきより冷たくなってきているのに、繋いだ手だけは不思議と暖かい。

 

「…………っ、あっあの、春樹くん、これからどこか、また別の所へ行くんですか?」

 

 繋いだ手を意識しすぎて、逆に黙っていられなくなって、口がそう勝手に動く。

 

「………そう、だな。もう、目的のアー写も、粗方撮っちゃったもんな」

 

 春樹くんは視線を前に向けたまま、握る力をほんの少しだけ強くする。

 そうだ。そもそも、私達の目的は写真撮影で。

 それが終わってしまった今、もしかして、と私は思う。

 もうアー写も一通り撮り終わったし、このまま「じゃあお疲れ様でした」で解散、なんだろうか。そんな予感が、胸の奥をそわそわさせていく。

 

「……………。そう、ですね……」

 

 私も同じように握り返す。

 でも、心のどこかで、もうひとつの声が囁いた。

 

(……もう、お開き、なのかな……)

 

 ここで「解散です」って言われても、それはそれで当たり前で。十分すぎるくらい楽しかったし、幸せだったし。

 それ以上求めたら、欲張りなんじゃないかって。

 そう思うのに。なのに、それなのに。

 思ってしまう。それが、勝手に私の口から零れていく。

 

「でも……もう少しだけ、あと少しだけでもいいから、このままでいたいって、思うのは……」

 

 気づいたら、口が本音を落としている。言った瞬間「やってしまった」っていう言葉が頭に浮かび、慌てて目を見開く。

 

「……え?」

 

 春樹くんもまた、分かりやすく目を剥く。その反応で、完全に我に返ってしまう。

 

「…………っ!!」

 

 わーーー、と心の中で悲鳴を上げながら、首をぶんぶん横に振る。街灯の光がブレて、視界の中で線になっていく。

 

「あっいやっ、そのっ……!! ごごごごっ、ごめんなさっ……すすすすすすみません、私みたいな陰キャが調子に乗ったこと言って……!!」

 

 声までぶんぶん震えて、これじゃもう完全に不審者だ。路上で急にバグったロボットさながらに。

 でも、そんな私の慌て方を見て、春樹くんは少しも困った顔なんてしない。自然に私のことを見つめ続ける。

 

「………居ようか。もうすこしだけ」

 

 すると、柔らかい声で、そんなふうに言ってくれた。

 

「えっ……」

 

 今度は私の方が、言葉を失う番だった。喉の奥に何かが詰まって、すぐには返事が出てこない。

 

「……いいん、ですか?」

 

 やっと搾り出した声は、自分でも分かるくらい、震えていた。

 夕焼けがほとんど消えかけて、街全体が少しずつ紫がかった色に変わっている。その黄昏が、藍色の逆光じみた輪郭と共に、彼の色を淡く茜色に揺らす。

 

「……うん。居て欲しい。もう少しだけ。それにね、日が暮れるタイミングで行きたいとこ、あるんだ」

 

「居て欲しい」という一言が、ぽん、と胸の真ん中に乗せられる。その重さとあたたかさに、息が詰まりそうになる。

 

「どっ、どこ、行くんですか……?」

 

 長い前髪が揺れて、視界の端で街の色が溶けていく。

 私は自分の靴先を見ながら、それでも隣の手の温度だけは絶対に見失わないようにしていた。

 

「……そう、だね……その前に、少しだけ買い物してい? ほら、さっき言ってたやつ。行き先はその後に言うよ。付き合ってくれる?」

 

 どこか切なげな笑みと一緒に、繋いだ手に、また少し熱が乗る。

 その言い方が、ちょっとだけ「お願い」みたいに聞こえて、胸の奥がくすぐったくなった。

 

「…………っあっ、はい! もちろんですっ……私で良ければ、全然、手伝います! どこのお店なんでしょう………?」

 

「オケ、じゃあ着いてきて」

 

「あっはい」

 

 心臓がスキップし続けているのを無視しながら、私は必死に「役に立ちたい」方の気持ちだけを拾い上げて、春樹くんの隣を歩んだ。

 

 

 

 

 ◇

 

 

(……ぼっちちゃん)

 

 あの子を最初にライブハウスへ連れてきて、リョウへ紹介した時。

 そしてあの台風ライブの日、居酒屋で「結束バンドを最高のバンドにしたい」って、震えながら言ってくれたとき。その全てを、あたしは昨日の事のようにずっと覚えている。きっと、これから先もそれを見失う日は来ないだろう。

 その全部を一番近くで聞いて「守らなきゃ」って勝手に決めたのは、あたしのほうだ。だからほんとは、あの子の「一番近く」は、ずっとこの先も自分達でありたいって、どこかで思ってしまう自分も、ちゃんといる。

 

 あたしが本当に見たかったのは、今みたいに、誰かの隣でちゃんと笑えてるぼっちちゃんだってことも、よく知ってる。

 

 嬉しいと、寂しい。やっぱりそれが何度でも同じ箱の中でカランカラン音を立ててるみたいな、そんな感覚がする。

 その箱を抱えて歩いている感覚が、さっきからずっと止まらないのは一体、どうすれば説明が着くのだろう。

 そんなことを思いながらあたしは、ただひたすらにあの子達を見つめる。

 

「……あ、スーパー入るね」

 

 リョウがそう呟くと、春樹くん達を自動ドアが迎え入れる。蛍光灯の白い光が外に滲む。喜多ちゃんはあたしの方を見て囁く。

 

「どうします? 中まで行きます?」

 

「行く。デート監視……じゃなくて、見守り継続中だから」

 

「言い直しましたよね今」

 

「気のせい気のせい」

 

 そんなこれまたしょうもないやり取りを喜多ちゃんとしつつ、また少しだけ笑いが生まれる。笑いながら、ちゃんと歩く。ちゃんとついていく。

 

 リーダーだし。

 ドラムだし。

 

 結束バンドの一番後ろから、みんなの背中を見て叩くのが、あたしの仕事だから。

 

 胸の中のちいさな棘は、今日はまだ抜かない。

 名前もつけない。知らない。そんなの今は考えない。

 代わりに、それをぎゅっと手で握りしめたまま、あたしは自動ドアをくぐった。唐揚げの匂いと、タイムセールの音楽と、ふたりの背中を追いかけて。

 

 

 

 

 

 

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