ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か

ほんの少しの未来は見えたのに

さよならなんだ

昔 住んでた小さな部屋は
今は他人(だれか)が住んでんだ

君に言われた ひどい言葉も
無駄な気がした 毎日も



あの時こうしてれば



あの日に戻れれば



あの頃の僕にはもう 戻れないよ



たとえばゆるい幸せが だらっと続いたとする

きっと悪い種が芽を出して




もう──────さよならなんだ





-ASIAN KUNG-FU GENERATION 『ソラニン』-















CHAPTER #52 「ソラニン」(5)

 

 

 少し歩いて、下北沢駅の東口を抜けた先に、小さめのスーパーが見えてきた。ネオンの看板がほんの少しだけくたびれていて、それでも「今日の特売!」のポップは元気よく貼られているのが目に映った。

 

「あっスーパー、なんですか……? 買い物に来たかったのって」

 

 てっきり、オシャレな雑貨屋さんとか、見たことないカフェとか、そういう “デートっぽい場所” を想像していた私は、素直に驚いてしまう。

 

「ん、そうそう。驚いた? てかガッカリ、とか、なんて?」

 

「あっ、いっいえ、そんな!! ガッカリなんて全くそんなっ、むむむむむむむ!!」

 

 私は心臓をガシッと掴まれた気分になって、慌てて首をいつもの如く全力で横に振り回す。彼はそれを見て快活な様子で笑う。うう、何か恥ずかしい。思わず、俯いてしまう。

 

「あははっ、冗談だよ」

 

「あっ、うっ……その、何かこう、オシャレなお店行くのかと思ったので」

 

 恥ずかしくなって、何だか変な笑いが漏れてしまう。

 そうして、春樹くんと入口付近へ歩むと、自動ドアが静かに開く。

 入店の電子音と共に、店内特有の冷房のひんやりした空気と、野菜とプラスチックの匂い、あとは魚介類か何かの独特な匂いが一気に鼻腔へ押し寄せてくる。

 

「何も、買い物するだけだし、そんなの行かないよ。……今日は晩飯、俺が親父に作ってやりたくてさ。当番制みたいなものなんだ。んで、具材とかももう買っちゃいたいなーって思ってな」

 

 カゴを片手で持ちながら、当たり前みたいに言う。

 店内BGMの安っぽいポップスと、値引きのアナウンスが、その言葉を妙に生活感たっぷりに彩る。

 

「あっそっ、そうなんですか……!?」

 

 思わず、尊敬の眼差しに向けてしまう。すっ、すごい。晩ごはんを「作ってあげる」っていう発想が、まず私の中にはなかった。

 

「なっ、なんていうか、すっ、素敵ですね。私なんか、いつもお母さん任せで……」

 

 自分のことを思い返して、ちょっと縮こまる。情けない。今日だって、家に「行ってきます」って言うだけで精一杯だったのに。ていうかジミヘンとふたりから逃げてきた訳だし。

 

「ふふっ、んな大したことないさ。いうてただの経験。ひとりだって出来るようになるよ」

 

「それに、家事はやれるようになると喜ばれるぞ〜?? できるようになって、驚かせちまえよ。教えるぞ?」

 

 軽いノリみたいな口調なのに、言っている内容は妙にまっすぐで。心臓がまた一回鳴り響く。「喜ばれる」という未来の光景が、一瞬だけ頭に浮かんで、すぐに恥ずかしくて追い出す。でも、お母さんやお父さんの喜ぶ顔は見たい、かも。

 

「あっえっ、いいんですか……!? おっ、お願いしたいです……うへへ」

 

 自分の笑い方が怪しいのは分かってる。でも、嬉しさのほうが勝ってしまう。

 カゴを持つ春樹くんの横に並んで、同じ方向を見ながら歩き出した。蛍光灯の白い光が、床に伸びる二人分の影をくっきり浮かび上がらせている。

 

「にひひ、うん、全然いーよ。今度機会があればぜひ教えてやるからな。……えーと、まずは……」

 

 そうして彼はスマホのメモを見ながら、カゴにどんどん食材を入れていく。私の知らない「生活の仕方」を、横で見せてもらっている気分だった。

 

「かっ、カゴ持ちますか?」

 

 気付いたら、会話じゃなくて、役に立ちたい気持ちの方が先に出ている。少し声が上擦るのを感じながら、問い掛ける。

 

「ん? いーよいーよ。俺の私用なんだし。でも、ありがと」

 

「あっはい……」

 

 それでも、カゴの中身はどんどん増えていく。肉、牛乳、野菜、調味料。どれも「日常」の象徴みたいなものばかりなのに、今は全部が少しキラキラして見える。

 

「わぁ……け、結構入れるんですね? 全部一人で持って帰るんですよね。わ、私も持つの、手伝います」

 

 心配の方が勝って、もう一度カゴの持ち手に手を添える。

 

「えっ、ああ、良いのにそんな」

 

「こっこれくらい持たせてください」

 

「ふふっ。悪ぃ、ありがと」

 

「あっはい、へへっ、うへへ」

 

 今度は素直に受け取ってくれて、持ち手を二人で分け合う形になる。

 取っ手のプラスチックが、指のところだけ少しへこんでいて、それが妙に頼りなく感じた。

 

「まあ、うちは割と食費浮かせる為に自炊するからな。たまにここ、少し前に下北沢へ寄る時に見つけたんだけどさ。今日はここのスーパーの系列店がセール日だし、狙い目なんだよ」

 

 そう当たり前のように続ける春樹くんの言葉の端々から、「暮らしを自分で回してる人」の匂いがする。あぁ、やっぱりオーチューバーの「BIND」で活動してた中学の頃から、何ならそれよりも前から、春樹くんはこういう人なんだな、って気付く。

 

 ずっとこうやって、独り身のお父さんを支えようと、たった一人で頑張ってきたんだろうか。努力し続けてきた人なんだろうか。

 

 私がずっとネットと妄想の中だけで生きてきたのとは、全然違う世界。そう考えると、すごく、胸が何だかキュッとしてしまう。本当に、やっぱり心から尊敬してしまう。

 

「そっ、そうなんですね……すっ、すごいです……」

 

 本心でそう思ったから、自然と声が出る。そうして私達はふとじゃがいも売り場で立ち止まる。何気なく、視線をカゴから春樹くんへ戻したとき、彼の手元にあるものに気付いた。

 

「……? どうしたんですか、春樹くん?」

 

 彼は、ジャガイモをひとつ、じっと見つめていた。

 野菜売り場の黄色い照明の下で、その皮の表面に小さな影が浮かぶ。

 

「………このじゃがいも、芽が生えてる」

 

 言われて視線を向けると、その身には確かに、表面から白っぽい突起が顔を出していた。

 

「芽……? あぁ、ほっ、本当ですね。結構大っきい……」

 

 もう一度、私は何となく春樹くんの横顔へ目を向ける。様子を伺うように。そうして、何となく気付く。

 その時の春樹くんの表情は、いつもの「生活力ある男子高校生」とか。

 私達を笑って支えてくれる「優しくてカッコイイ男子高校生」とか。

 そういうのと、全く違うように見えて。

 ─────どうしてか、私は視線が外せない。

 

「……………」

 

 春樹くんはそのままずっと、ジャガイモとにらめっこするみたいに見つめ続ける。その横顔に、私は言葉に出来ない違和感が滲む。

 その瞳は、何処か切なげで、虚ろで、何かの痛みを思う様な、そんな色が映っている。

 それはおおよそ、さっきまでの柔らかい空気とは違うもの。

 ひんやりしたものが、そっと私たちの合間へ混じり込むかのような、そんな感覚。

 

「? あっ、あの…春樹くん??」

 

「だっ、大丈夫、ですか? それ、どうしましょう……?」

 

 少し、怖くなってしまう。その空気が。

 それを破りたくて、私はそっと声を掛ける。どうしてか、僅かに自分の声が震えていた。

 

「…………えっ、あっ、ごめん」

 

 彼はそうしてハッと我に返ったように瞬きをしてから、またジャガイモに視線を落とす。

 

「………買おうか。コレ」

 

「え? いいんですか??」

 

 思わず声が変に裏返って、動揺がモロに出てしまう。だって、それ、危ないやつじゃなかったっけ。

 

「あっでも、こういうのって、不良品、ですよね? 売り場の人に言った方がいい気が、しますけど……」

 

「それもそうだな、店員さんにだけ伝えとこうか。ほかの人がそんなもん買ったらやばいしな」

 

 そう言いながら、その「芽の出たジャガイモ」を、普通に袋に入れてしまう。指先の動きは慣れてるのに、その選択だけがどうしても不自然にしか思えなくて、胸がざわつく。

 

「えっ? えっ、あっあの、買っちゃうんですか……?」

 

 そうして、心配と疑問が混ざった声が、勝手に出てしまう。めずらしく彼が何を考えているのか、全然読めない。

 

「……………」

 

 私の困惑に気付いているのかいないのか。

 そうして一度だけ、春樹くんが私の方を見つめ返す。その瞳に、なんとも言えない影が揺れ動く。

 

「────ひとりはさ。『ソラニン』って、知ってる?」

 

「? そ、そらにん……??」

 

 唐突に出てきたその単語に、私は首を傾げる。

 

「あっえっと、初めて聞きました……何ですか? それ」

 

「コレだよ。この『芽』に含まれてる有害物質のこと」

 

 芽の先を、とん、とそっと指で示しながら呟く。

 まるで、授業みたいに淡々としているのに、その声の奥にあるものは全然違う気がしてならない。

 

「え、えええ……?! あ、危ないやつじゃないですか……!?」

 

 やっぱりそうだ。思わずわたしは、慌ててそのジャガイモから半歩距離を取ってしまう。

 

「………ふふっ、そうかもな」

 

 そう言って苦笑しながら、芽の出たジャガイモをカゴへ入れてしまう。そのまま、何事もなかったみたいに他の食材も追加して、セルフレジへ向かって歩いていく。えっ、何で? どうして。

 

「えっえっ? あ、あのっ……本当にいいんですか? 体に悪いなら、やっぱり……!!」

 

 ぐいっとゆっくりと引っ張られながらも、必死に食い下がる。

 

「ふふっ。大丈夫」

 

「そんな大袈裟じゃないよ。切り落とせばいいだけの話だし。そんなに問題は無いさ」

 

「えっ、あっ、そっ、そうですかね……」

 

 本当にそうなのかどうか、知識のない私は判断できない。ただ、さっきの横顔が頭から離れなくて、胸のざわつきが全く収まらない。不安が、じわりじわりと、私の指先を覆う。

 

「あのっ、……結局、それ、買っちゃうんですか?」

 

「……うん。良いんだ。敢えて、な」

 

 私の質問に対して静かに笑いながら、その一言だけ彼は残す。どうしてだろう。その笑顔は、何だかさっきよりも乾いている気がして、思わず春樹くんの手をギュッと握り締める。

 そこには明らかに、ただの「節約」の話じゃない何かがある。そう思えて、ならない。

 

「……春樹くん……」

 

 理由はまだ分からない。でも、きっとその「何か」は、彼にとってとても大切な何かなんだろうな、って思う。

 だってこの人は、私と同じで、自分の中の何かを、いつも音楽や言葉に変えてきた人だ。

 だから、私はそれ以上何も言えなくなって、ただ隣に並んで、彼がお会計を済ませて袋詰めをしていくのを横で見てることしか出来なかった。

 袋にカゴの中のものを入れるのだけ手伝わせもらって、そうして春樹くんは何事も無かったみたいに普通にカゴを置き場へ戻す。

 

「………」

 

 私は胸元へ添えていた右手を、彼の握る袋へ添える。

 

「! ひとり」

 

 袋を持ち上げている手を、支えるように。

 

「わっ、わたしも持ちます。いっ、行きましょう?」

 

「……」

 

 すると、春樹くんはほんの僅かに目を見開く。すると、少しだけ目を細めて笑う。

 

「うん、ありがとう。……手を繋ぐみたいに、二人で持とうか」

 

「あっ、えっ、はっ、はい」

 

 片手で持てるはずのレジ袋を、わざわざ両側から持つ。

 普通なら煩わしくすら感じてしまってもおかしくない、そんな行動を、彼は選択してくれる。それ自体は、どうしようもないくらい嬉しかった。

 そうして、さっきまで繋いでいた手の代わりに、取っ手のビニールが、私達を繋いでゆく。

 店を出ると、十一月が近付いてきた夜の風が、頬を撫でていく。

 冷たい風と、ビニール越しのぬくもり。その落差が、妙に心地よい。

 

「…………」

 

 俯き加減の私を一度だけ見てから、春樹くんは前を向いた。行こっか、と。はい、と小さく頷く。

 歩幅を合わせてくれる足音が、かさかさ鳴る袋の音と一緒にリズムを刻む。そこからは、ほんの二分か三分ほど、私達は無言のまま歩道を歩んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 周りの家々や、お店の数々。

 そういったものに、夕暮れが近づいてきて、夜の紺色へと少しずつその身を染めていくのが見てとれる。

 その割に、何気なく見上げた空はまだ確実に、ゆっくりと橙色が流れている。相変わらず何処か透明すぎるほどに、それはオレンジの絵の具を静かにたたえていた。西空の綿もまた、ほんの僅かに赤橙色と白を混ぜ合っていて、今日この日の役目を静かに終えようとしているみたいだ。

 まるでそれは、静かに夕暮の名残を、その輪郭ごと夜の藍色へ明け渡そうとしているかのようにすら見える。

 

 そんな中で、コツ、コツ、とアスファルトに溶けていく私と春樹くんの足音。

 

 私は波打ちが止まらない、そのリズムと共に、胸の奥の凝りと向き合う。それを抱えたまま、まもなく夜が来る。その事がほんの少しだけ、怖いだなんて思った。

 だからこそ、ほんの少しの勇気を振り絞って、秋の匂いを、そっと肺へ吸い込む。そうして、私は思い切って口を開く。

 

「あっ、あの……春樹くん。聞いても、いいですか? さっきの、じゃがいものこと」

 

「ん……? あぁ、うん。もちろん」

 

 穏やかな声。

 私の方を見て、一瞬だけ目を細めてから、また彼は前を向く。

 

「……どうして、わざわざ芽の生えたじゃがいもを、買ったんですか……?」

 

 さっきから胸の奥に引っかかっているその疑問。

 それを、ゆっくりと、だけど確実に、そのまま言葉にした。

 

「……」

 

 春樹くんはもう一度、静かに私を見つめる。それから今度は、彼もまた少しだけ息を吸いこむ。

 私たちは歩みを止めないまま、歩道の端を進む。そうして、彼は前を見つめたまま、小さく呟いた。

 

「…………昔な? ある映画を、見た事があるんだ」

 

「映画……ですか? どんな映画だったんですか?」

 

「そうだな、一言で言うと……俺やひとりと似たような登場人物たちが出てくる」

 

 クスッとした笑みと一緒に、そんな言葉が落ちる。

 その笑みの端っこには、どこか懐かしさと、ほんの少しの痛みが混ざっているように見えた。

 

「わ、私たちみたいな人が出てくるんですか……?」

 

 想像が追いつかなくて、思わず聞き返す。うん、と彼は横目で私を見た後に、静かに頷く。

 

「あっ、その、どういう内容、なんですか……?」

 

「……フリーターで夢を諦められないバンドマンと、現実の中で心を磨り減らしちまった彼の彼女の物語でさ」

 

 フリーター。夢を諦められないバンドマン。

 頭の中で、どこかで見たようなシルエットがぼんやり浮かぶ。

 ステージの上と、安アパートの部屋。アンプのハウリングと、安い蛍光灯の光。それを、イメージする。

 

「あと、一人俺らとは違ってメンバー足らないけど、ドラムと、ベースが居る。その主人公とドラム、ベースの彼らは、……ヒロインと出会う大学時代から、ずっとバンドをやってるんだよ」

 

「あっなるほど……」

 

 結束バンドのメンバーが、頭の中に順番に並ぶ。

 喜多ちゃん、虹夏ちゃん、リョウさん。少しだけ自分たちを重ねそうになって、慌ててそのイメージを脇に寄せた。

 

「喜多ちゃんみたいな人は居ないけど……た、確かに、そこだけ聞くと私たちに似てますね……。でも、それとさっきのじゃがいもには……?」

 

「……」

 

 私がそう質問をすると、春樹くんは前を向いたまま、ふっと空を見上げる。

 夕闇と街灯の境目くらいの色をした空。ビルの隙間から覗くわずかな青が、少しずつ宵に塗りつぶされていく。

 

「その作品の名前は『ソラニン』」

 

「…………俺の親父が、主題歌を提供した……作品」

 

「────その曲名も『ソラニン』なんだ」

 

「えっぁっ、えっぇえっ……!?」

 

 あまりにもさらっと出てきた事実に、口が勝手に開く。

 

「は、春樹くんのお父さんは、映画の主題歌も担当したことあるんですか!?」

 

「うん、そだよ。すげーよな」

 

「リョウが言ってただろ? 色んなドラマとかアニメの主題歌だけじゃなくて、そういうのもやったことあるんだよ、カルテットバインドは。……親父は───その作品の主題歌を、作品の原作者さんの監修のもと、作詞して、歌ったんだ」

 

「その時の曲名が……『ソラニン』ってこと」

 

「あっ、そ、そうなんですね……!」

 

 それはなんというか、さっきまで「じゃがいもの話」だと思っていたのが、一気に「歴史の中のどこか」と繋がっていく感覚だった。私は思わず感嘆しつつ、そっと余った片手を胸に添えて握り込む。

 

「で、でも、まさかその作品の主題歌だったなんて……」

 

 思わずテンションが上がりかけたところで、「あ」と気付く。これは、私にとっての「憧れのバンド」じゃなくて、春樹くんにとっての「親子の話」。

 そうなると、それは、彼にとって確かな “痛み” も混じっているはずで。STARRYでの、あの一件を思い出して、私は静かに口を噤む。

 

「あっ、ごめんなさい……つい興奮してしまって」

 

「ううん。全然いいよ」

 

「……でも、その、本当にびっくりしました」

 

「ふふっ、まぁ、そうだよな。そのリアクションが普通だよ」

 

 小さく笑ってくれるけど、その目元には、少しだけ陰が差し込んでいるのが、見上げていた私には分かった。

 歩く速度はさっきと変わらないのに、空気だけが少し重くなった気がする。

 

「………その歌、『ソラニン』には、意味があるんだ」

 

 春樹くんは、言葉を選ぶみたいに、一拍置いて続ける。

 

「こんな歌詞がある」

 

 そこで、静かに口ずさむみたいに言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

「たとえばゆるい幸せが」

 

「だらっと、続いたとする」

 

「きっと、悪い種が芽を出して」

 

「もう、さよならなんだ」

 

 

 

 

「────ってさ」

 

「………えっ……?」

 

 言葉そのものは短いのに、意味は何か、凄く重い。

 胸の奥に、じわっと何かが染み込んでくる。

 さっきまでのあったかい満腹感とは逆方向に、胃のあたりがきゅっと縮む。

 

「………その作品の主人公やヒロインは、作中一緒にいられる時間が凄く……大学時代から大人になるにかけて、凄く丁寧に、綿密に描かれる」

 

「────それは、言うなれば『ゆるい幸せ』だ」

 

 とくん、と心臓が鳴る。

 

 だって、それは───────それじゃ、まるで。

 

(さっきまでの、私たちみたいで)

 

 ハンバーグを分け合って。写真を撮って。手を繋いで歩いて。何度も笑って。何度も赤面して。

 それを「ゆるい幸せ」と言うのなら。

 じゃあ、その先にある「悪い種」とか「さよなら」とかは、一体なんなんだろう。

 

「……」

 

「でも」

 

 春樹くんが、横を向く。長い前髪が、表情を隠す。冷たくて、心の表面すらも撫でていくような、風が、私達の頬を撫でていく。

 ドクン、と心臓が強く、つよく脈打つ。

 淡々とした声なのに、一つ一つの言葉が、妙に生々しい輪郭を伴っていて。まるで、自分の足元の影を、一個ずつ指さして説明してくれているみたいで。

 

「─────……」

 

 ただひたすらに、俯いたまま、頷くことしか出来ない。

 教室で感じてきた浮遊感。息苦しさや、寂しさ。孤独や、劣等感。あれだって全部「悪い芽」みたいなものなのかもしれない、と。

 

「──────それは、長くは続かない」

 

「人生は、ゆるい幸せだけが在るものじゃない」

 

「胸を引き裂くような痛みや、悲しみや、苦しみや、葛藤が、どうしたって付き物だ」

 

「…………それが、いわゆる『悪い芽』」

 

「残酷で、理不尽な現実」

 

「そんなもの、出来ることなら誰だって味わいたくなんかない」

 

「だけど」

 

 そこで、一拍置かれる。その沈黙が、やたら長く感じられた。

 

「……!!」

 

 思わず顔を上げる。次に出てくる言葉を、逃したくなかった。

 

「じゃがいもは、『ソラニン』が無ければ実には成れない」

 

「同じこと」

 

 その比喩が、頭の中にゆっくりと沈んでいく。

 さっき手にした、あのごつごつしたジャガイモの感触と一緒に。

 

 

 

 

「人は、ゆるい幸せだけじゃ生きていけない。そんなに、世界は優しくない」

 

 

 

 

「『ソラニン』が無ければ、─────残酷な現実がなければ、人は、生きていくことはできないんだよ」

 

 

 

 

 そこで初めて、春樹くんはまっすぐ私を見た。その瞳には、哀しみとか、苦しみとか、切なさのようなものが全部込められていて。──────視線がぶつかった瞬間、胸の奥の何かが決壊する。

 

「…………………」

 

「───────……………」

 

 言葉が、まるで出てこない。

 理由なんて、説明できない。でも、分かってしまった。

 春樹くんがこの世界において、「理不尽」や「残酷」と呼んでいるものが、きっと私の想像よりもっと深くて、もっと痛い場所にあることを。

 その全部を、一度、自分の中で受け止めてからじゃないと、こんな話は出来ないってことを。

 

「………ぁ」

 

 喉の奥から、小さな声だけ漏れた。

 あの時の。STARRYで、二人で痛みをぶつけ合った、業を重ね合った、告白の時の言葉が、胸の奥にまた甦ってくる。

 彼の、痛み。

 残酷な、現実。大好きだったお母さんとの、突然の別れ。その人に置いていかれていく幼い彼の姿。さよならの在り処。

 それを理解した瞬間。

 勝手に、目尻のあたりがじんわり熱くなって、次の瞬間には視界がもう滲み始めていく。

 

「で、でも……でも……!!」

 

「ぁっ、………ぁぁ、っ、うっ、ぁ゛………」

 

 本当は言いたかった。「そんなの嫌です」って。

『悪い芽』なんていらないですって。彼の苦しみと、痛みがダイレクトに伝わってきて、もう、こんなの、耐えられなくて。

 目尻から、その熱が水滴となって、どんどん溢れてくる。止まらない。言わなきゃ。伝えなきゃ。

 そんなの、イヤだ、って。

 ゆるくてもいいから、幸せがずっと続いてほしいって。

 なのに、言葉が続かない。

 どうして。なんで。

 言葉になる前に、視界の輪郭が崩れていく。

 

「………」

 

 春樹くんは、そっと手を離して、袋を自分ひとりで持ち直した。その代わりに、空いた手で私の頭を優しく撫でる。

 

「ごめんな。こんな話」

 

 そうして謝る彼の声色も、少しだけ震えていた。私は、言葉を紡げないまま、ただひたすらに首を何度も横に振る。情けなくて、つらくて、泣けてきてしまう弱い自分が嫌。ただただそんなことしか出来ない自分が────堪らなく、嫌だ。

 だけど彼は、そんな私も受け止めてくれるかのように、囁くように、瞳を伏せて続ける。

 

「だから、俺………ね」

 

「親父の歌ったその歌を思い出して、さ。なんか、その芽の生えたじゃがいもを、放っておけなかったんだ」

 

 見開いた目に、そうして彼を映す。彼はさっきのジャガイモに視線を落としながら、どこか悲しげな笑顔を浮かべている。それは、自分の傷跡を冗談めかして見せる人の笑い方に似ていた。

 

「っ……ぁ、うっ……ご、ごめんなさい、私、なんで……」

 

 自分でも訳が分からないくらい、涙が溢れていた。

 さっきまで笑っていたのに。ハンバーグを一緒に食べて、あんなにも幸せだったのに。あんなに、嬉しいのに、幸せだったのに、なんで。

 

「春樹、くん……」

 

 名前を呼んだだけで、喉がきゅっと締め付けられる。

 

「わっ、私、わたし……!!」

 

「ッ………」

 

 言葉の続きが出てこない。「怖い」とか「嫌だ」とか「でも分かる」とか、色んな言葉が喉の入り口で詰まって、涙と一緒にぐちゃぐちゃになっていく。

 春樹くんは私のそれを見て、申し訳なさそうにする。そしてどこか彼もまた、泣きそうな笑顔を浮かべて、私の頬を撫でくれた。そしてごめんね、と呟く。

 

「………また泣かせちゃったな」

 

「泣かせるつもり、なかったのになぁ」

 

 その人は少しだけ困ったように、でもどこか愛おしげに、もう一度優しく髪を撫でてくれる。

 その手つきが、慰めというより、「そこにいていいよ」って言ってくれてるみたいで、余計に泣けてきて、止まらない。ぽたぽたと、涙がどんどん頬から溢れてきて、アスファルトへとどんどん吸い込まれていく。

 

「ご、ごめんなさ…………春樹、く……」

 

 何度も何度も目元を拭っても、涙は止まらない。鼻もぐずぐず言い始めて、自分でも情けなくなる。

 夜風が濡れた頬に当たって、ひやっとした。

 

「…………行きたい場所、もう一箇所あるんだ」

 

「えっ……」

 

「一緒に行こ……?」

 

「っ……」

 

 撫でていた手が、今度はそっと私の手を取る。

 泣き腫らした目のまま見上げると、そこにはさっきと同じ、優しい笑顔があった。その笑顔が、さっきの話よりもずっと現実的な「救い」に見えた。

 

「………はい」

 

 鼻を何度か啜りながら、必死に手の甲で水滴を拭う。そうして、私は彼が差し伸べてくれたその手を握り返す。

 足元は少しふらつくけれど、春樹くんの歩幅が、それに合わせてゆっくりになっていく。

 

 そのやさしさが、いまはすこし、ほんの少しだけ、つらくて。

 

 涙でぼやけた街の灯り。

 そして、レジ袋のカサカサという音と、二人分の足音だけが、まっすぐ、ただ真っ直ぐ前に────静かに続いていった。

 

 

 

 

 

 





 いつも見て頂き、ありがとうございます。
 『ソラニン』はぼっち・ざ・ろっく!と相性も良く、非常に素敵な曲です。皆様に少しでも知ってもらえるキッカケになればと思い、執筆をしております。
 
 もし宜しければ、原曲の方を是非ともお聞きになった上でご覧下さい。
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