ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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あぁやだやだ まだ君と居たいや
馬鹿 馬鹿 馬鹿 馬鹿みたいだ

ただただただ 君が消えてく前に
ほんの少しだけ

僕の腕が千切れるくらい
当たり前が壊れるくらい



見たこともない君と創る始まりに
連れていって欲しかった



嬉しいかい 悲しいかい
寂しかい 苦しいかい

これからどうしようか

どこへ行こうか
何を見ようか
何をしようか



harha -「あやつなぎ」-















CHAPTER #54 「あやつなぎ」

 

 

 下北沢駅前のロータリーって、こんなにうるさかったっけ。

 

 バスのアナウンスと、発車するブレーキ音。

 周囲の店から漏れてくる笑い声と、スマホで通話しながら歩いていく人の声。

 そして幾つかのクラクションも遠くで響いて、名前も知らないライブハウスから漏れ出る演奏音が混ざり合う。

 

 それから、車のライトがアスファルトに落とす白い帯と、信号待ちの人たちのため息混じりの話し声。同い年くらいの高校生達が、下北に躍り出ていくはしゃぎ声。

 ぜんぶちゃんと聞こえてるのに、まるでそれは、どこか遠くの音みたいに感じた。

 耳の奥に膜が一枚張られたみたいに、現実と心が少しズレている。

 

「……………」

 

 そんな中であたし達は、ロータリー横の小さいベンチに三人並んで座っていた。

 

 真ん中がリョウで、その左にあたし。右に喜多ちゃん。

 

 リョウは足を組んで、その膝の上に肘を乗せて、頬杖をついたまま前を見ている。

 喜多ちゃんは両手でスマホを持ったまま、画面の光をぼんやり眺めて俯いてる。指はほとんど動いてないのに、何回もスリープの点灯と消灯だけ繰り返していた。液晶の白い光が、彼女の睫毛の影を少し長く伸ばしていて、その影だけがやけにくっきり見える。

 

 一方のあたしは、ベンチの端っこで、ちょっとだけ前のめりになって座り込んでいた。

 背もたれに寄りかかると、そのまま全部崩れ落ちちゃいそうで。背中を預けてしまった瞬間、心の中まで地面に落ちていきそうな、変な予感があった。だから、どうしてもそれが出来なかった。

 あたし達はそうしてしばらく、どこかずっと無言のままぼっちちゃんたちを待っていた。

 

 見てるのは空。

 ビルと電線の隙間から覗く、夜になりかけの宵空。もうまもなく、暗闇が新雪みたいに降り注いでくる時間だ。

 

 でも、どうしてだろう、とあたしは思う。

 さっきまでいた公園から見上げた空より、こっちのほうがずっと高く見える。

 ついさっきまでは、あんなにも手を伸ばしたら届きそうな「黄昏」だったのに、もう完全に、誰のものでもない高いところに行ってしまったような。

 

 そんな気がしてならなかった。

 

 ほんの少し前まで、あたし達の頭上にかかっていたグラデーションもまた、今は街のネオンと混ざり合って「ただの夜」に変わっていく。残像みたいに、オレンジ色の輪郭だけが瞼の裏に残っている。

 

「…………ねぇ、なんでそんな静かなの、二人とも。いつもうるさいくらい話すのに」

 

 ふと、真ん中のリョウが、頬杖ついたままぼそっと呟く。

 ずっと真正面を見ていた眼差しが、あたしと喜多ちゃんの方へに順にちらりと向けられていく。

 

(うるさいくらい、ね)

 

 普段のあたしだったら「ひどいなぁ」って笑い飛ばすところなんだろうけど、今日はそのツッコミすら喉の奥で引っかかる。まるでそれは、喉奥に引っかかる小骨の様に。

 

 確かにあたし達は、ひたすら無言だった。あたしがぼっちちゃん達、こっちに来るって、と喜多ちゃんとリョウに伝えて、ここで待とうかって話をしてから十分ほどこんな調子だった。

 いつもだったら、それこそ喜多ちゃんが喋りかけてきて、あたしが会話を振って、リョウはマイペースにそれに応じて。そうなるはずだったと思う。

 

 でも、それが出来なかった。

 

 喜多ちゃんはずっと “あの光景” を見てから無言のままで。

 あたしも、口を開こうとすると、あたしも見たその同じ光景が、喉の奥まで逆流してきて。

 リョウは言わずもがな、自分から何かを発しようとなんてするタイプじゃ全くなくて。

 それ故に、あたし達はずっとただ黙っている形になっていた。

 

「ん〜………? …………なんでだろーねぇ……」

 

 空を見上げたまま返事をする。多分、未だかつて無いほどの生返事だと思う。

 自分の声が、自分のじゃないみたいに軽くて、薄くて、ふわふわしてる。空に浮かんで、そのままどこかへ消えていきそうな音。

 だけど、それになんて答えたらいいかも分からない。

 だからこそ、そう応えることしか出来なかった。

 

「……」

 

 ふと、目線だけリョウの奥へ向ける。

 喜多ちゃんは、その言葉に気づいてないみたいに、ただ俯いたままだった。茫然としてるような、ボーッとしてるような。どれともとれるような、そんな俯き方。

 風に揺らめく赤い前髪が、彼女の表情だけを上手く隠している。灯り始めた街灯に照らされて、あの子のアウトラインは仄かな紅と白に点滅していた。

 スマホの画面に映っているLOINEのトーク画面もまた、波打ち際に取り残された貝殻みたいに、光っては消え動く。

 

「……………さっきの、春樹とぼっちの公園でのやり取りみてからずっとそうだよね」

 

 あたし達の言葉にすら反応しない喜多ちゃんを、リョウも見つめる。そうして静かにそう呟いて、あたしの脳内を少しだけ現実に引き戻してきた。

 その一言が、頭の中の再生ボタンを勝手に押す。松果体に焼き付いてしまった、“あの景色”の映像を。

 

 遠目でも分かる夕焼けと夜の境目みたいな空が広がる水平線。

 色褪せたベンチ。

 歪んだ金網の向こうに広がる下北沢の街。

 

 そして、あの公園の、里山の上。

 ぼっちちゃんと春樹くんが、寄り添って、互いの言葉を交換して、涙を流して。

 

 ────キスしていた。

 

 まるで、どこかの青春映画の一番盛り上がるワンシーンみたいな、そんな映像。

 そんな所まで、見るべきじゃなかった。本当なら、見ることすら野暮もいい所。あの二人だけの世界にしてあげたかった。

 だけど、万が一にも誰かがそこに来たら困るから、人払いも兼ねてあたし達は公園の入口間際の草むらに潜んでいた。

 

 でも、それが良くなかった。

 あたし達は、目元がそこに縫い付けられてしまったみたいにその場から目が離せなかったんだ。

 喜多ちゃんはさっきまでのテンションならキャーキャー言いそうなのに、騒ぐどころかただひたすら目を見開いてそれを眺めていた。その目元は、どこか悲痛と悲哀と、切なさが滲むような瞳で。

 リョウも無表情とはいえ、僅かに開いていた口元が、何とも言えない感情を物語っていて。

 あたしは────自分じゃ、もう何も分からなかった。

 どうしてか。ひたすら、そこから目を離すことができなかったということだけが、事実だった。

 

 いや嘘だ。

 何が人払いだろう。

 

 本当は、目を離せなかっただけだ。そこに人が来ないように、だなんて。そんなのは、ただの建前だ。もちろん嘘じゃない。それでも、それが()()じゃなかった。その裏にある()は、誤魔化しがまるで効かない。

 何で? 何故?

 自問自答する。何故って、それは、考えてしまうからだ。思い出したくないのに、思い出さずにはいられないからだ。

 

 それは、なぜだろう。分からない。

 

 だって、それは、あたし達が見てたのは、紛れもなく、あの子の「いちばん幸せな瞬間」だったはずなのに。

 

「………………」

 

 ─────ただひとつ確かなのは、ぎゅっと胸が痛んで、仕方がないということ。

 さっきから、ずっとどこかで感じていた、その感覚。それが少しずつ、でも確実に、その疼きが顔を見せてくる。

 まるで、心臓の横に、小さな棘が一本刺さっているみたいに。息をするたびに、そこだけがちくりと主張してきて止まらない。

 空から視線を外して、首を下ろす。

 見たくなくて、でも見ないと余計にしんどくなりそうで、足元や人の流れを見たり、視線をぐるぐるさせてしまう。アスファルトのひび割れと、通り過ぎるスニーカーの模様だけが、やけに鮮明だ。

 

「幸せそうだったな、って、思ったの」

 

 気づいたら、そうして口が勝手に動いていた。

 そう。

 本当に、幸せそうだった。

 

 あんな、黄昏の光の下で。

 あんな、誰かと寄り添って、泣きながら笑って。

 あんな、「守られてる顔」を、あたしは今までのぼっちちゃんで見たことなかった。

 

 あの子の笑顔って、いつもどこか申し訳なさそうで、どこか不安そうで。

 それが今日は、ちゃんと「受け取られている人の笑顔」になっていた。今日だけで、何度も見つめた、あの表情。

 胸の真ん中に、小さな灯りがともって、その周りに膜が何重にも張られて、外から触れないように守られてる、そんな顔。

 

 あれ。

 なんだろう、この既視感。

 

 今までのぼっちちゃんで “見たことがなかった” 。なんだろう、自分で考えておいて、前にもどこかで聞いた表現。─────そう、だ。

 喜多ちゃんも、同じことを言っていた、気がする。それに気付いて、目を見開く。

 

「……………そうだね」

 

 リョウが前を向いたまま答える。それは、駅に向かって歩いていく人達を、ただなんとなく眺めてる横顔。

 その顔だけを見ている分には、何も感じてないみたいに見える。でも、リョウのその眼差しはどこか優しくも見えた。あたしは息を一度飲み込んで、それからゆっくり吐き出す。

 

「──────嬉しいんだよ。間違いなく。間違いなく、ね。……………ただ」

 

 言葉の途中で、喉の奥がすこしだけ震えた。

 

 そう。嬉しいのは本当だった。

 

 あたしは、ずっと望んでたはずだ。

 ぼっちちゃんが誰かに気持ちを伝えられることも。

 誰かの気持ちを受け取れるようになることも。

 それを「幸せだ」って思えるようになることも。

 

 あの子が、一人きりの押し入れから出てきてくれた時から、ずっと。

 ギターヒーローの動画を見ていた頃の目じゃなくて、「一緒にバンドがしたい」目をしてくれるようになる日を、ずっと。

 

 喜多ちゃんの時だって、本当は。

 失恋しちゃった喜多ちゃんのことも、泣くまで抱きしめてあげたいくらい悲しかったのに、それでも同時に「よく頑張ったね」って、誇らしくてしょうがなかった。

 だから、今日も。

 ぼっちちゃんが、あんな顔で春樹くんと向き合ってくれたことが。

 

 本当は、誰よりも嬉しかったんだ。だから、あたしは続ける。

 

「……やっぱり、春樹くんは凄い人なんだな、って」

 

「あたしには、あたし達にはずっと、出来なかったことを……ぼっちちゃんが欲しがっていたものを……あんなに沢山渡してあげられるの、すごいな、って思って」

 

 あたしが出来なかったこと。あたし達が、出来なかったこと。

 

 夜のライブの後、片付けが終わったSTARRYのステージの上で。

 一緒に帰るとき、結束バンドのみんなで入ったコンビニの前で。

 打ち上げの残り物をつまみながら、冗談混じりに笑い合うときでさえ、ぼっちちゃんの背中は、時々くしゃっと影を落としていた。

 

 ずっと、ずっと、本当は気にしていたこと。

 

 本当は、もっとちゃんと寄り添ってあげたかった。

 気づいていた寂しさを、その場で全部抱きしめて、「大丈夫」って言ってあげたかった。

 

 だけどあたしには、「バンドのリーダー」としての役割もあって。

 ぼっちちゃんも、そんなに踏み込まれたら嫌なんじゃないかとか思って。

 それに何よりも。

 誰よりも先に泣くわけにはいかなくて。

 誰よりも先に弱音を吐くわけにもいかなくて。

 

 

 いつも、あたしは───────

 あの子に欲しい「言葉」の半分くらいしか、渡せてない気がしていた。

 

 

 なのに、それなのに。

 その半分の、残りを、春樹くんは、迷いもなく全部あげちゃえる人で。

 

 

 それが、眩しくて、少し怖くて、そして心の底から羨ましかった。

 たぶんそれは、まるで同じ歌なのに、彼だけ違うコードを知っているみたいな、そんな感覚。

 

「……………」

 

 リョウは、何も言わない。代わりに、あたしの中で別の声が続ける。

 

「分かってるんだよ、あたしも。リョウが喜多ちゃんにかけてあげたみたいに、ぼっちちゃんのこと、応援してあげなきゃってこと。分かってるんだ」

 

 それは、ずっと分かってた。

 

 あたし達は、結束バンドで。

 ぼっちちゃんは、ギターヒーローで。

 春樹くんは、そのどっちも見てくれてるマネージャーで、恋人で。

 

 皆が幸せになることが、正しいって、頭ではちゃんと理解してる。

 リーダーとしても。

 友達としても。

 

「…………でも、…………なんで、だろう。自分のことみたいに、嬉しい半面」

 

 胸の奥が、また、きゅうっと締め付けられる。

 息を吸うたびに、胸の内側が擦れて痛い。

 さっきまで公園で吸っていた風の冷たさが、今さら肺の奥で形を持ちはじめたみたいに、じんじん染みてくる。どうして。

 

 

「……………………なんで、こんなに」

 

「──────寂しく、感じちゃうのかなぁって」

 

 

 笑ってるつもりだったのに、最後のほうだけ少し掠れてしまった。

 誰にも悟られたくなくて、下を向く。

 俯いた視界に、スニーカーのつま先と、アスファルトの白い線の輪郭がまるで水中のようにぐにゃり、と揺らめく。

 滲んだ線が、さながら水で滲んだ五線譜みたいに見えて(あぁ、ちゃんと “痛い” って譜面に書かれてるんだな)なんて、どうでもいいことを考えてしまう。

 寂しい、なんて言葉で片付けていいのかすらも分からない。あたしみたいな立場の人間が、それを言っていいのかどうなのかも。

 でも他に当てはまる言葉を、あたしはまだ持っていなくて、他に表現のしようなんか無かった。

 そのときだった。

 隣にあった自分の手の上に、そっと別の手が重なる。

 

 それは、細くて、指が長くて、ちょっとひんやりしてる手。

 

 リョウだ。リョウの、ベースを弾く時の華奢で綺麗な、でも柔らかい掌。

 その温度が、今にも切れそうな糸を、指先でつまんで繋ぎ直してくれているみたいだった。

 

「多分さ」

 

「……え?」

 

「私も、多分同じ気持ちだよ、虹夏」

 

「──────へ……?」

 

 涙が出そうになってた目が、ぱちっと見開く。前を見つめたまま、身体が硬直する。ほんの僅かに、リョウの方を見つめる。

 リョウは、あたしの目を見ない。前の大通りを見つめたままに、ただ手だけを握ってきた。

 それだけなのに、それだけだからこそ、余計に胸が痛くなる。

 

「虹夏はさ、もっと自分を信じていいんじゃないかな」

 

「だって」

 

「私たちの中で一番頑張ってるのは、間違いなく虹夏なんだから」

 

「………………リョウ」

 

 なんで。

 なんで今。

 そんな、こと、言うの。

 

 まるで、それは心臓のどこかに直接指を当てられたみたいだった。

 

 普段こんなこと言う子じゃないのに。ずるい。ひどいよ、リョウ。そんなこと、言われたら─────ちょっと気を抜いたら、ここで泣き崩れちゃいそうになる。

 あたしはぎゅっと唇を噛む。

 これ以上緩んじゃったら、ほんとに全部こぼれそうだったから。我慢しなくちゃ、いけなかった。あたしが、そんな風になっちゃ、だめだから。

 

「────さっきも言ったでしょ。春樹は春樹で、ぼっちはぼっち」

 

「それは、虹夏も同じことだよ」

 

「……出来ることなんて、違ってていいんじゃないかな。違うからこそ、私たちは結束バンドでいられるんでしょ」

 

 違ってていい。リョウは、そう言ってくれた。

 その肯定の言葉は、どうしようもないほどにまっすぐに刺さる。

 痛いのに、嬉しい。

 嬉しいのに、泣きそう。

 目を見開ききったまま、唇の端が勝手に震えている。それを、必死に噤む。

 “違う” って、多分、今まで自分を責めるための言葉だった。

 

 ぼっちちゃんと違う、喜多ちゃんと違う、リョウと違う。

 

 だからあたしは、もっと頑張らなきゃって、どこかで無理してたのかもしれない。

 それを今、「違うから一緒にいられる」って、優しくひっくり返してくれた。

 

 それが、どんなにあたしにとって嬉しい言葉なのか、って、そう思う。

 

「──────────………」

 

 俯いて、ぐしゃぐしゃになりそうな顔を、両腕の間に隠す。

 

(なんなのさ……)

 

(ほんと、ずるいよ………………リョウの、ばか)

 

 胸の奥で、ぽつりとつぶやく。

 頭の中では、もっとたくさんの言葉がぐちゃぐちゃに暴れてる。

 

「も、もうー……なんなのさ、リョウ……」

 

「なんで今日はそんなっ……今日に限って、そんなカッコイイ、こと」

 

「っ、……嬉しいこと、言ってくれるのさ……ばか」

 

 顔を隠す。慌てて、両足をベンチの上に軽く載せて、三角座りみたいな姿勢で両腕の中に顔を埋める。声が少し涙声になってるのを、自分でも分かってた。でも、誤魔化したかった。誤魔化させて欲しかった。

 

 あたしの「頑張り」を、一番見ていて欲しかったのは、とふと思う。

 

 たぶん、本当は。

 ぼっちちゃんだったのかもしれない。

 

 でも今はこうして、すぐ隣でリョウと喜多ちゃんが、何なら家でもちゃんとお姉ちゃんが見ていてくれる。あたしは、多分、独りぼっちなんかじゃないんだと思う。

 

「別にカッコつけたつもりじゃないけどね」

 

「……本当のことだし。……まぁ、春樹とぼっちが上手く行って嬉しいのは事実。でも」

 

 リョウの声が、少しだけ柔らかくなる。

 

「それ以上に、私たちが今ここにいられるのは、虹夏がいたからでしょ」

 

「ッッ……!」

 

 そこまで言われたら、もう反則だ。

 あたしの中の何かが、音を立てて崩れそうになる。それを、必死で両腕で支える。ギュッと両手で腕を掴む。

 数十秒ほど、じっと堪える。

 顔を腕の中に隠したまま、あたしは、一言呟く。

 

「……ありがと、リョウ」

 

 顔は上げられなくて、腕の間から搾り出すみたいに。

 リョウは「………いいよ」と、いつもの調子で返す。

 その「いいよ」が、“当たり前みたいにそこにある” って感じで、余計に泣けてきて───仕方ない。その時だった。

 

「………虹夏、郁代」

 

 リョウの呼び掛けに、あたしは慌てて腕の周りの服の生地で目元を拭う。

 そして顔を上げる。リョウが顎をしゃくって、大通りの向こうを示す。

 視線を向けると、ちょうど信号待ちの人だかりの中に、見慣れた二人分のシルエットが見えた。

 

「おーーい!! 虹夏、リョウ、喜多さん〜っ!!」

 

 春樹くんが、片手を大きく振りながらこっちに向かって笑顔で叫ぶ。

 その隣で、ぼっちちゃんが小さく手を振ってる。

 二人とも、とても表情が柔らかい。辿り着くまでにちょっとずつその微笑みが大きくなっていくのが、遠目でも分かった。

 春樹くんも、ぼっちちゃんも、さっき公園で泣いていた顔の名残が、まだ少しだけ残っているような、そんな喜びの表情に見える。うへへ、と一見だらしなく蕩けたようにも見えなくもないその表情が、さっきまでとちがう色をしていて。

 あの公園でのこと、全部知ってるのに。

 

 でも、それでもちゃんと前を向いて笑おうとしているのが、胸にくる。

 そんな二人を見てると、胸のどこかがちゃんとあったかくなってしまう。

 

 嬉しい。

 悔しい。

 誇らしい。

 寂しい。

 切ない。

 

 感情の名前が四つも五つも混ざって、バラバラの色となって、ひとつの塊になって喉の奥に詰まってた。それでも、「よかったね」って思いだけは、確かなもので。

 

「ふたりとも! …………喜多ちゃん、ほら!」

 

 あたしは奥に座る喜多ちゃんの肩をぽんぽん叩く。

 

「え、あっ……伊地知先輩」

 

「……! ひとりちゃん、春樹くん!」

 

 喜多ちゃんが顔を上げて、ぱっと表情を明るくする。

 さっきまでぼんやりしてた目に、一気に光が戻った。

 

「………帰ろうか。じっくりと聞かせてもらわないとね」

 

 リョウが立ち上がりながらぼそっと言う。

 

「ん。デート、後ろから跡つけてたのは内緒だからね、リョウ?」

 

「わかってる」

 

 そんな他愛もない会話を交わしている間に、ぼっちちゃんと春樹くんは駆け足であたし達の前までやってくる。

 

「…………皆さん!」

 

「…………ただいま、皆!」

 

 息を弾ませながら、二人が、そうして声を上げる。

 

「おつかれ! ぼっちちゃん、春樹くん……!」

 

 あたしは、さっきのいろんな感情を一旦ぜんぶ胸の奥にしまい込んで、いつもの笑顔で迎えて、一言呟く。

 

「─────おかえり!」

 

 ほんとうに、ほんとうに。

 おつかれさまって、心の底から思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道。

 楽器屋で少し寄り道したあと、あたし達は五人で下北沢駅へ向かって遠回りで散歩をしながら歩いていた。

 

 先頭を歩いているのは、春樹くんとぼっちちゃん。

 二人ともさっき以上にずっとリラックスした顔で、何か楽しそうに喋ってる。

 ぼっちちゃんは何やら時々、春樹くんの言葉に「……ふふっ」って小さく笑って、そのたびに胸がほっとする。

 さっきまで泣きはらしていた彼女の目尻が、街灯の光を受けて少し赤く光っているのが分かった。その涙さえも今は、「ここまで来たんだ」って主張する勲章みたいにすら見える。

 その少し後ろ、数歩分離れたところにリョウがいて、春樹くんに買ってもらったソフトクリームを無表情で食べている。無表情に見えるだけで、実際はめちゃくちゃご機嫌なのは知ってる。頬張る動きがいつもよりちょっとだけ速い。

 

 そうして一番後ろを歩いているのが、あたしと喜多ちゃんだった。

 

 通りのネオンと、開けた建物と建物の合間から黄昏が少し離れた私達の影を細長く伸ばしている。

 二つの影が、時々重なったり、少し離れたり。それでも、完全には離れない程度の距離感で揺れ動く。

 

「伊地知先輩は、楽器屋、何買ったんですか?」

 

 隣を歩く喜多ちゃんが、両手でビニール袋を提げたまま、楽しげな顔をあたしに向ける。

 

「あたし? あぁ、そろそろスティックが傷んできちゃったからさ、一応予備でね。喜多ちゃんは?」

 

「そうなんですね! じ、実は私もピックが割れちゃって……」

 

 少し頬をかいて、照れくさそうに笑う喜多ちゃん。

 こういうところが、ほんと愛おしいなって思う。

 この子も、この子なりにずっと頑張っている。実際昨日の演奏は、今月始めの文化祭の時よりも確実にレベルが上がっていたのがあたしにも分かったくらいだったし。

 なんなら、今日のあの子達のデートの成り行きを見届けた上で、こうやっていつも通りあたしと話してくれてて。

 

 ────────まるで、何事も無かったかのように。

 

 そうしてあたし達は今、同じ場所で同じ「痛み」を抱えて歩いている。

 その痛みを隠すための笑顔が、どこか似ている気がした。

 

「そーだ! 先輩っ、今度一緒に選んでくださいよ!」

 

 期待に満ちた目で見つめてきて、思わず変な声が出る。

 

「ええっ? あたしギター弾けないし、そういうのはぼっちちゃんのが的確なんじゃない?」

 

「ふふっ、先輩に選んで欲しいんですよ! ひとりちゃんとはいつも一緒に選んでるので、たまには! それに、ほら。先輩、いつも服かわいいし、センス良いじゃないですか!」

 

「あぁ〜〜〜……あはは〜……」

 

 褒められるのは嬉しい。思わず後頭部を撫でながら苦笑いする。

 けど、同時に胸の奥でまた別の痛みがちくっと刺さる。ぼっちちゃんと「いつも一緒に」って言葉が、少しだけ胸の中で反響する。

 そこに「あたし」がいないことに、ちゃんと気づいてしまう自分がいる。たったそれだけの事でも、チクッと刺さるような痛みが小さく脈打つ。あたしは笑って、それを誤魔化すように、そうして視線を前を向ける。

 

「……まぁ、じゃあ今度行った時はあたしも一緒に見ちゃおっかな。一緒に選んであげるよ」

 

「やった!」

 

 喜多ちゃんが両手を上げて喜ぶ。

 その様子が嬉しくて、あたしもつられて笑った。

 

「楽しみですね、ありがとうございます、伊地知先輩!」

 

「あはは……そだね」

 

 そう笑って─────そして、再び。

 少し前を歩くあの二人が視界に入る。

 手を繋いで歩く、春樹くんと、ぼっちちゃん。

 ぼっちちゃんは、ぎこちないながらも、どこか幸せそうに微笑みながら春樹くんの横に並んでいた。肩の力が抜けていて、それでも少しだけ彼のほうに傾いている。

 

 胸が、また─────ぎゅうっと締め付けられる。

 

 さっき公園で見た、あのキスの続きみたいな光景。

 ちゃんと「今日から先のふたり」を歩いてる背中。

 その時。

 

 とうとう、分かってしまった。

 

 確信を、持ってしまった。

 今日の、何度も何度も感じたこの “痛み” の理由も。ここの所、あたしがずっと抱いていた、本当の気持ちの正体も。

 

「………………」

 

 ほんの一瞬だけ、視線を逸らす。

 でも、喜多ちゃんのじっとこちらを見つめる視線に気づいて、すぐに元の表情に戻す。

 泣きそうな顔を見せたら、それだけで全部バラバラになってしまいそうで。

 

「………………」

 

 喜多ちゃんはまっすぐあたしを見て、逸らさない。静かに、僅かに見つめ返す。

 その瞳の奥に、自分と同じ色の痛みが、うっすらと揺れているのが分かる。それを見て、あたしは、囁く。

 

「あたしね、喜多ちゃん」

 

「……はい……?」

 

 この言葉を言ったら、きっともう戻れない。

 だけど。

 もう、これを今、この場で言わなかったら、それはそれで一生後悔しそうで。

 それに、もう、きっと。

 

 ───────二度と、誰かに、言うこともできなくなりそうで。

 

 だから、あたしは、前を向いたまま口を開く。ゆっくりと、言葉を選ぶ様に。

 

 

 

「───────喜多ちゃんの気持ち、すっごくよく分かるんだ。本当は」

 

 

 

 足元を見つめながら、そのまま続ける。

 胸の真ん中に、ひとつの映像が蘇った。

 それはあの日、台風ライブの日。

 STARRYのライブステージ。

 お客さんの出入りも、その人たちの言動も、何もかもがあたし達に大ダメージを与えていたあの時。もう、ダメかもしれない。本当は薄々思いかけていて、不安に溺れそうになったあの時。

 

 ───────それでもギターを抱えて立ち続けてくれたぼっちちゃんの後ろ姿。

 あたしにとっての、本当の “ヒーロー” の姿。

 

 掲げられたギターのヘッドが奏でる、夕暮れ時の様な切ない響き。

 そしてグラデーションのようにその中に混ざる激しいアルペジオ。世界を濁らせる程の豪雨の中ですら、光となって轟くような『雷鳴』の輝き。

 掻き鳴らす弦は、あたしを取り巻く路面の水たまりにすら光の輪を広げていくみたいだった。その輪は、あたし達の世界の端っこを、何度も何度も塗り替えてくれた。

 

 あの日、結束バンドは本当に救われた。

 あたしの夢も。

 お母さんへ続く光の中の道筋も、見失わなくて済んだ。

 

 それは、紛れもなくぼっちちゃんのおかげで。

 

 だからあたしは、あの瞬間を境界線にして、あの子を「不器用な女の子」としてじゃなくて「ヒーロー」だって、ずっと思うようになったんだ。

 

「────────…………」

 

 ぼっちちゃんと春樹くんの背中を見つめながら、それを思い出しただけで胸がじわっと熱くなる。横で、喜多ちゃんが息を飲む気配がした。

 数十秒近くの、無言。

 喜多ちゃんは呆然とした様子でひたすらに歩む。あたしも、隣で歩く。

 彼女のショートブーツの硬く響く足音。あたしのスニーカーの柔らかく響き鳴る音だけが、その間を保つ。

 喜多ちゃんは目を見開ききったまま、あたしをもう一度見つめてくる。

 

「──────……伊地知先輩も、そう、だったんですか?」

 

 少し震えた声が、隣から届く。

 あたしは小さく頷いた。

 

「………うん。あたしも、一緒だよ」

 

「だって」

 

「ぼっちちゃんは、あたしにとっても、『ヒーロー』みたいな存在だったから」

 

 そう言うとき、自分の声が少しだけ、また滲んでるのが分かった。頼りなくて、すぐ崩れちゃって、でも本当は誰よりも優しいぼっちちゃん。

 あたしの夢を、「最高のバンドにしたい」という言葉で受け取ってくれたのも。

 不器用な勇気で、あたしの大事な居場所を守ろうとしてくれたのも。

 

 全部、全部、ぼっちちゃんだった。

 

 だからきっと、と確信をもつ。

 そう。だからきっと、いつからかあたしの「好き」は、ただの憧れなんかじゃ、とうになくなっていた。

 

「………ッ…………伊地知、先輩……」

 

 喜多ちゃんの声が、涙を堪えている音をしていた。

 

 あたしは前を向いたまま、少しだけ笑う。

 

「…………でも、言えないよ」

 

 小さく息を吐き出す。

 夜の空気が胸の奥の熱を少しだけ冷やしてくれる。

 

「─────あんな、幸せそうな笑顔を見ちゃったら、もう、何も。春樹くんに見せてるあの笑顔を、崩してしまうんじゃないかって考えたら、そんなの、もう………恐くて言えるわけない」

 

 あの公園で見た、ぼっちちゃんの顔を思い出す。

 

 泣きながら笑っていた顔。

 今にも壊れそうなのに、ちゃんと前を向いていた顔。

 春樹くんの言葉を受け止めながら、「変わりたいです」って言ってくれたときの、必死な顔。

 

 その全部が、あたしにとって救いみたいなもので。

 

 あの笑顔を、あたしのわがままで曇らせることを考えただけで、膝から力が抜けそうになる。

 

「……あたしね。喜多ちゃん」

 

 少しだけ息を整えて、はっきりと言う。

 

「ぼっちちゃんには、あたしは……あんな風に、笑っていて欲しいんだ」

 

 目の前で、今も楽しそうに歩いている、あの子の姿を見ながら。

 その時だった。ふと、声が響く。

 

(………………え?)

 

 左の指先を掴む小さな誰かが、そこには居た。

 その声は泣き声。その小さな子が何度も、すすり泣くような嗚咽を漏らしていた。

 

(………………………………)

 

 言葉を、失う。見開ききった目蓋。

 瞳が、そこから離せなくなる。私の左手を握る小さな子どもが、そこには居た。

 それは、幼い自分。あの時─────お母さんを失った、まだ、『夢』の本当の意味すら知らなかった頃の、九歳の自分の姿があたしの隣にいた。

 

「─────────」

 

 その子は、泣きながらあたしを見上げてくる。ボロッボロに泣き崩れて、頬も目元も真っ赤に染まってみっともない。だけど。

 だというのに、あたしは、その子からどうしようもなく目を逸らせない。

 

 どうして? とその子は囁く。

 涙声で、崩れきった声色で。

 

 最初にあの子を誘ったのは、あたしで。

 あの子をSTARRYに連れてきたのも、あたしで。

 あの子に初めてバンドを見せて、ステージに立たせたのも、あたし。

 

 全部、あたしなのに。全部、最初にぼっちちゃんを見つけたのに。

 

 ─────どうして、あたしじゃないの?

 

 なんで。どうして。

 あたしだって、好きなのに。

 大好きなのに。こんなに、大好きなのに。

 やだ。やだよ。まだぼっちちゃんと居たいのに。なんで、どうしてあたしを選んでくれないの。

 

 その子はそう訴える。あたしの代わりに、わんわん泣きながら叫ぶ。

 そうして、また泣き始める。あたしは目を見開ききったまま、その子に何も言えなくなって、隣から目を逸らす。

 

(──────)

 

(…………そんなこと、言わないでよ……………)

 

(なんで、そんなこと言うの)

 

(そんなのっ、そんなこと、あたしだってわかんないよ……!!)

 

(あたしだって、そうしたかったよ………!)

 

 心の中で、何度もそうしてあたしは叫ぶ。

 そんなの。

 そんなの、本当は。

 

 あたしだって。

 

 手を繋ぎたかったし。

 もっと近くに居たかったよ。あの子の声も、鼻も、口も、耳元も、あの子の奏でる音も、全てを、全部をあたしだって欲しかったよ。

 

 あたしだって、ぼっちちゃんの特別になりたかったに決まってるじゃんか。

 隣に立つのが自分だったら、なんて思わなかったことは無いんだよ。

 

 あたしだって、ぼっちちゃんにこの想いを言えたら。

 ぼっちちゃんを奪える様な、悪い子だったら。

 もっと欲張りで、我儘で忌み嫌われてしまうほどに、ぼっちちゃんをあたしのものにしてしまえる人間だったら。

 

 ぼっちちゃんの隣にずっと居たい、ぼっちちゃんが春樹くんと消えていってしまう前に、あたしのものにしてしまいたいだなんて、言えるような。

 

 そんな人間だったら、どんなにか良かったのに。

 

(そんなの、思うに決まってるじゃんかあ……っ!!)

 

 でも。

 でも、それでも─────そんなこと、出来るわけなかったんだよ。

 あの“笑顔”だけは、何があっても守りたかったの。

 そんなこと、したくなかった。あの笑顔を、曇らせるようなこと、出来なかったんだよ。

 あの笑顔さえ守れるなら、あたしの「好き」は、胸の奥で静かに泣いていてもいい。

 そんな風に思ってしまうくらいには、あたしにとって、あの子は光だったんだもの。

 春樹くんを、信じるって決めたんだもの。

 春樹くんは、間違いなく本気であの子を守ってくれるって、そう思ったんだもの。

 

「あ、あれ………」

 

「………え」

 

 なのに。

 それなのに。

 おかしいな、って思うくらい止まらない。喜多ちゃんは見開ききった目で、言葉を失ったような様子であたしの方を見つめてくる。「い、伊地知先輩っ……!?」

 

「あっ、え………」

 

「…………なんで、なん、で」

 

「ごめん、ごめ゛………っ、ごめんね、きたちゃ……」

 

「っ、あ………ぁあ、っっ、な、情けないなあ………なん、で」

 

 笑いながら言ってるのに、声はもう完全に涙声で。

 何もかもが、決壊していく。震えきった声色は何一つ隠せていなくて。

 

「なんで、な、んで………っ、うっ、あたし………泣かないように、する、つもり、だったのに………なんで………!」

 

 事前に決めてたはずなのに。

 どんどん、溢れて、溢れて、止まらない。目尻の熱さは加速して、頬を伝いながら、彼等は顎先まで次々と零れていく。

 ぼっちちゃんの前では絶対泣かない。

 春樹くんの前でも、出来れば泣きたくない。

 それは、リョウの前でも、喜多ちゃんの前でも。

 リーダーなんだから、しっかりしなきゃって。あたしが、支えなきゃいけないのに。なのに。それなのに。そう思ってたのに。

 

「………っ」

 

 隣で喜多ちゃんが、小さく息を詰める。

 

「分かります、伊地知先輩………っ!」

 

「! きた、ちゃん……?」

 

「本当に、分かります。私も、…………わたし、も、一緒ですから…………」

 

「……ッ!」

 

 さっき、公園で見たとき。

 

 春樹くんに抱きしめられながら、泣きながらキスをしていた、ぼっちちゃんの横顔。

 その手前で、立ち尽くしていた喜多ちゃんの顔。

 あたしは、あの瞬間の空気を、忘れられそうにない。

 そうして胸を押さえながら、喜多ちゃんも同じ様に一筋の涙を零す。あたしは、その横顔を横目で見つめ返す。

 また震える唇を噛み締めながら、必死に零れてくる熱を拭い続ける。

 もう、分からない。

 嬉しいのか。悲しいのか。

 寂しいのか。苦しいのか。

 

 どうしようもなく、想いを明確に形に出来ない。

 

「……………」

 

「………ありがとう。喜多ちゃん」

 

 だけどそれでも、声がまた少し震えながら、あたしはそうして、お礼だけでも彼女へ返す。

 

「いえ……!」

 

 喜多ちゃんは首を横に振って、少しだけあたしの肩に寄りかかるように歩く。

 

「私も、伊地知先輩がいてくれて……嬉しいんです。こんな気持ち、共有できる人がいるなんて、思ってもいませんでしたから」

 

 その言葉が、胸の奥まで落ちていくのを感じた。

 それはどうしようもなく嬉しくて、切なくて、苦しくて。

 全部混ざっていくそれを感じて、「あぁ、あたし達、本当に同じなんだな」って思う。

 

「………ねぇ、喜多ちゃん」

 

「……はい。伊地知先輩……?」

 

 喜多ちゃんもどこかくぐもった声で、囁くように私の方を見つめ返す。

 あたしは、そうしてひとつ、小さく息を吸う。

 

「─────名前で、いいよ」

 

 そうしてそう思った時、気づけば、口が勝手に動いていた。

 

「! え……?」

 

 喜多ちゃんが驚いた顔でこっちを見る。

 

「あたしの事。リョウやぼっちちゃんのことは名前で呼んでるじゃない? あたしの事も、名前で呼んでくれていいよ、って」

 

「……ううん、違う」

 

「呼んで、欲しいなって」

 

 少しだけ照れくさくて、でもちゃんと伝える。たぶん、これはあたしにとっての「告白」みたいなものなんだと思う。

 恋とか、そういう名前とはまた別で。

 同じ痛みを抱えた “唯一無二の味方” としての告白。

 あたしは、もう喜多ちゃんを独りにさせたくなかった。そして、多分、自分自身のことも。

 きっと、何よりもあたしは。

 ────喜多ちゃんに、あたしの傍へ居て欲しかったんだと思う。

 

「……………!! …………」

 

 喜多ちゃんの目が、また少し潤む。

 

「…………はい。虹夏、先輩」

 

 ぽつりと、名前で呼ばれた瞬間。

 その刹那、胸の奥で何かがほどける音がした。

 名前を呼ばれるだけで、こんなに救われることを、あたしはぼっちちゃんから教わった。だから今、あたしもそれを喜多ちゃんと交換したかった。

 つい、泣きながら笑ってしまう。

 

「あたしも郁代ちゃん、って呼びたいけど………名前、呼ばれるの好きじゃないんだもんね?」

 

「あはは、まぁ、はい………」

 

 すると、彼女は小さく照れ笑いを浮かべる。

 

「………でも、リョウ先輩からはいっつもわざと呼ばれてますし、もう慣れちゃったので………たまになら、呼んでくれても……嫌じゃ、ないです。先輩や、親しい人なら、全然」

 

「………そ、っか」

 

 そう、なんだ。

 その「親しい人」に自分が入っているんだ。喜多ちゃんにとってのあたしは、ちゃんと、そういう存在なんだ。

 あたしは、胸の奥に温かい温もりを感じながら、瞳を伏せる。

 

「………じゃあ、たまに呼んじゃうからね、郁代ちゃん」

 

「………はい!」

 

 すると、郁代ちゃんが笑ってくれる。

 あたしも笑い返す。

 

 その瞬間、目尻に溜まっていた涙が、また、溢れてくる。それに気づいたのか、彼女がさっとハンカチを差し出してきてくれた。それにそっと、手を伸ばす。

 

「……あっ、ありがとう………」

 

 ゆっくりと受け取った瞬間。

 もう、堪えきれなくなってしまった。もう、ダメだった。限界だった。

 ──────そのまま、堰が切れたみたいに、涙がぶわっと溢れてくる。

 

「っ………ぁ、ううっ」

 

「…………うっ゛、あぁあ゛………っ、うっ……!!」

 

 泣くまいとギュっと結んでいた心の糸が、今、優しく撫でられたせいで、簡単に「ほどかれて」しまった気がした。嗚咽を隠しながら、必死にハンカチで口元を抑え込む。

 あやつなぎの糸みたいに、誰かと手を繋ぐことで、反対側がゆるんでしまう、そんな感じ。

 

「…………大丈夫です。誰も気付いていません。私がついてますから」

 

 郁代ちゃんが、小声で囁く。

 

「虹夏先輩は、いつも私達のために頑張ってくれているんです」

 

「だから、おねがいです」

 

「こういうときくらい、甘えてください」

 

 そう言って、そっと背中をさすってくる。

 その手つきが優しすぎて、余計にダメだった。

 

「ッッッ…………!!」

 

「…………っ、っぅ、………ふっ、ごめ、ん、ね、郁代ちゃ…………ぅっ……ぁ………」

 

 前を歩く三人に絶対気づかれないように、声を押し殺して泣く。胸を抑えて、前屈みになって、必死に堪えながら。

 視界の中で、リョウの背中が視界の端で少しだけ揺れた気がしたけど、彼女は振り向かない。代わりに、郁代ちゃんがあたしの前にすっと回り込んで、さりげなく陰になって歩いてくれた。

 

 これからあたしは───と、ふと考える。

 

 これからどうしようか。

 どこへ行こうか。

 何を見ようか。

 何をしようか。

 

 そんなもの、分かるわけない。知らない。

 未来なんて、まるで知ったことじゃない。ただ、ただただ泣くことしか出来ない。あたしの隣で手を握る郁代ちゃんと、九歳の泣きじゃくり続ける幼いイマジナリーのあたし。

 街灯の光が、郁代ちゃんの輪郭をふちどる。

 涙で滲む視界の中で、その背中は少し大きく見えた。

 

(本当は、伝えたかったな)

 

 胸の奥で、こぼれるように思う。

 

 でも、それをやった瞬間に何かが壊れてしまう気がして。

 あの子の笑顔の形が変わってしまう気がして。

 あたしは、どうしたって一歩だけ後ろに下がるしかなかった。

 

 ぼっちちゃんに、「好き」って。

「大好きだよ」って、せめて言えたらよかった。

 

 それを伝えれたら────幸せだったかも。

 でも、言えないよ。言える訳ないよ。

 

 だって、それ以上にぼっちちゃんの笑顔を奪いたくないもの。

 

 本当は、身体が裂けそうなほど苦しくて、切なくて、苦しくて痛い。

 なによりも、見たこともない君と創る始まりに、その先の未来に、ふたりきりであたしを連れていって欲しかった。ぼっちちゃんとお母さんへの夢を、お姉ちゃんとの約束を叶えられたら、どんなに良かったんだろうだなんて。

 

 そんなの、多分百万回はずっと思ってる。

 でも、それはもう、どんな事があっても訪れることなんてない。

 

 一緒に歩ける未来が、絶対にもう訪れない。分かりきったこと。決めたこと。それでも、だ。

 

 だって、それでもあたしは、ぼっちちゃんを守るって決めたんだもの。

 結束バンドのリーダーで、どんな事があろうとこの道を歩くって決めたんだもの。

 

 ────だから、もう、いいんだ。いいの。

 

 ごめんね、本当のあたし。

 人の愛し方さえ分からない、あなたのことを上手く愛することすら出来ないこんなあたしを笑って欲しい。

 あなたのこと、傷つけてしまって、こんなにも泣かせてしまう。

 

 あなた自身すら救えないこんなあたしを、どうか赦して欲しい。

 

 だって、あたしは、それ以上にぼっちちゃんに幸せになって欲しいんだもの。

 

「ありがとう」とか、「君のおかげでここまで来れたよ」とか。

 そういうことを、何よりももっとちゃんと直接伝えたかったの。

 確信する。

 あたし達の「青い春」は、きっとそんな風に終わるんだろうなって。

 そう思うと悔しくて、でもどこか納得もしてしまって。

 

「……………今は、存分に、泣いてください。こないだの私にも、先輩はそうしてくれたんですから」

 

 郁代ちゃんは前を向いたまま、そっと後ろ手であたしの手を握り返す。どうしようもなくそれが温かくて、あたしの心をどこまでも解いていく。

 

「…………私は、どんなことがあっても、虹夏先輩の味方です。これからも、ずっと」

 

 彼女は、真っ直ぐな声でそう言ってくれる。

 

「……!!」

 

 心臓の真ん中に、その言葉が刺さる。

 嬉しくて、また泣きそうになって、ハンカチでぐしゃぐしゃのまま顔を隠す。

 お姉ちゃんやお父さんの前以外じゃ見せたことのなかった涙。

 それを受け止めてくれた郁代ちゃんの手を、私はただひたすらに握り締める。そうして、左手のハンカチの中でどうしようもなく泣き続けた。

 

「………………っ、ありが……とう。郁代………ちゃん」

 

 ちゃんと名前で呼んで、お礼を呟く。

 

「……大丈夫です、虹夏先輩」

 

 彼女は優しく穏やかに返事を返す。

 絡み合うその手の温度が、今のあたしを繋いでくれてる。

 前を歩く三人は、振り向かない。

 でも、それでよかった。これでいい。

 

 だけどリョウの背中は、ほんの少しだけ空を見上げるように反っていた。

 

「……」

 

 たぶん、きっと彼女は、全部気づいてる。そんな気がした。

 あたし達が今、後ろで何をしてるか、分かった上で、あえて何も言わないでいてくれてる。あの子は、いつもそういう子だったから。

 ソフトクリームを食べるふりをしながら、リョウは前を向いたまま、小さく呟く。

 

「……………青い春、か」

 

 それは本来誰にも聞こえないくらいの、小さな声。

 でも、あたしには、ちゃんと届いた気がした。

 壊れそうで壊れない。この痛くて愛おしい季節の名前を、やっと言葉にして貰えたような、そんな表現。

 

 明日がどうなるかなんて分からない。

 未来なんて、もっと分からない。

 

 それでも、とあたしは思う。 

 

 あたし達は、ただ、掌を重ねて、手のひらでお互いを支えて歩いていく。

 きっと、これから先、どんな形の未来が訪れても。

 それでも、あたしと郁代ちゃんは生涯この痛みと一緒に生きていく。

 生きていける。

 

 

 だって、あたし達はもう、独りぼっちじゃないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼっち・ざ・ろっく!

フラッシュバッカー

 

 

 

 

 

#05『ソラニン』

 

《了》

 

 

 

 

 

 

 

 

 
















The Next.


「こんなところでウダウダやってると、あなたの才能、腐っちゃいますよ」


「ぼっちちゃんの『特別』は、春樹くんが今、全部持ってっちゃってる」


「だから、だからこそ、そんなぼっちちゃんからそこまで信頼されてるんだから、ちゃんと────守ってあげなきゃダメだよ?」


「春樹くんにしか、それは出来ないんだから」


(────これが、本来のぼっちちゃんの実力。さながら、プロそのもの。………ライブでもいつでもこのくらい弾けるようになったら……)

(いつか、あたし達、あたしは、お荷物になっちゃう日が来るのかな……?)



「失礼しまぁす♡ あっあたし、「ばんらぼ」ってバンド批評サイトで記事書いてる『ぽいずん♡やみ』って言いまぁす!」


「たぶん、ひとりは俺に依存しきってる。────怖いんだ」

「あいつが、もしも俺が居なくなったら、あいつ自身が自分の人生を生きれなくなってしまうことが」

「俺だけじゃ、ダメなんだ」


「……本当のこと言ってあげるのも、やさしさですよ。この世界は、バンドの世界だって、現実は無慈悲なんですから」


「─────『未確認ライオット』?」


「………てめぇ、さっきから人の気も知らずにズカズカと! ふざけてんじゃねぇぞ!!」


「大事な人が、大切なものを踏みにじられてて、どうして黙ってられるんだよッッ!?」


「感情的になっても、何もいいことなんか無いって言ってる!!」




「お前も、お前らも全員まだ子どもだ。そんなことにまで、子どものくせに配慮も簡単に出来るなんて奴、まず居ないよ」

「間違っても、意味が無いなんてそんなこと言うな」











「結束バンドで……」

「グランプリ──────獲りましょう!」














次回

#06『それでは、()だ見ぬ明日に -From Guitar Hero- 』






ひとり「見てください」

????「見ないと損するわよ!」





















〜あとがき〜

 ここまでお付き合い頂き、ありがとうございます。
 浅野いにおさんの原作、及びASIAN KUNG-FU GENERATIONの『ソラニン』をモチーフとした回でしたが、いかがでしたでしょうか。

 こぼれ話的なお話をすると、元々は、YouTubeにて同曲でぼっち・ざ・ろっく!のMADを作ってらっしゃるある方が居まして、その方に影響を受ける形で今回のエピソードを執筆をしています。

 デート回として、ひとりや春樹の幸せ一杯なエピソード&結束バンドの面々&虹夏の視点を今回書いてみました。いよいよ、この物語も中盤を迎えます。

 特に、実のところ今回は春樹とひとりのデート回に見せ掛けて、実の所は虹夏を裏主人公として描いてきたところですが、今回のエピソードでそれが伝わって下さったら嬉しいです。
 
 やっと描きたかったぼ虹なのに、なんでこんな展開書いてるのか自分でも分からない。書いてて辛い。
 でも、原作ですらまだ来てない虹喜多の名前呼びイベントはずっと描きたかったシーンだったので、個人的にすごく満足してはいます。

 次回からはいよいよ原作2巻終盤、アニメ2期の恐らく第1話の範囲がスタートです。

 それではここまでこんなクソ長あとがきを閲覧頂き、ありがとうございます。
 いつも読んでくださる方々も、本当にありがとうございました。

 そらやまれいくでした。

 
 
 



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