ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #05 「黄昏(たそがれ)高揚(こうよう)

 

 

 「はっ───────……はぁっ、ぁっ、はぁっ、はっ……」

 

 走る。ギターケースの取っ手が掌に食い込むたび、さっきまで抱きしめられていた感触が、指の内側でまだぬくもりとして残っている。

 心臓が、おかしい。胸の中のドラムが暴れてる。ドコドコじゃなくて、もう、ドッドッドッって、とんでもない音が前につんのめる。無理。つらい。

 息が合わない。足も合わない。

 なのに、嫌じゃない。……むしろ、胸の奥が少しだけ明るいのはどうして。

 

 こんなの、はじめてだ。

 

 人に、異性に、ここまで真っ直ぐ求められたことなんて一度もなかった。正直な事言うと、最初は怖かった。

 何かカツアゲされるかも。私の人生終わった、せっかくバイトも文化祭もうまくいきかけてたのに、と。

 ところがどっこい、蓋を開けてみたらとんでもないイベントだった。

 何の冗談だろう。私のことが好き?

 彼女、って言葉。

 あの重さ。冗談かもしれない、罰ゲームかもしれない、って何度も頭の中の警報がありえないくらい鳴ってたのに。

 吉沢くんの声は震えてて、目は逃げなくて、私のことをずっとちゃんと見てた。

 あの人のことは、顔だけは見た事があった。

 いつもクラスで盛り上げ役の人で、笑顔が綺麗な人だって、思ってた。

 

 喜多ちゃんと同じ部類の、いわゆる陽キャ。

 

 私とは余りにも世界が違い過ぎる“陽”の人だ。

 多分、この先の人生で本来であれば私が一番関わるはずのない人。私みたいなミジンコど陰キャが、関わっちゃいけないタイプの人のはずだったのに。

 なのに、あれが嘘の顔にはどうしても見えなかった。怖い。

 それが何より、いちばん怖い。信じたいと思ってしまう自分が、怖くてたまらない。

 

 夕焼けがゆっくり沈んでいく。

 私の影は長く伸びて、私の中の何かも引っぱられて伸びていく。

 

 胸の高ぶりはまだ落ち着かない。肩に残った体温が、内側から灯りみたいにちかちかして、呼吸をするたびにその火は強くなる。

 まるで壊れたコンロみたい。

 近かった。すごく近かった。

 正直急に抱きしめられて、色んな意味で死を覚悟した。私、あんな距離、苦手なのに。

 

 男の人は怖い。どう関わったらいいか分からない。

 

 今までだって、まともに喋ったことのある異性の人なんて、正直お父さんとか位だった。

 ……それなのに、不思議と嫌じゃなかった。初めて抱きしめられて、初めて好きって言ってもらえて、まともに求めてもらえて。

 たぶん、普通なら距離の詰め方が速すぎて、人によっては確かに怖いのかもしれない。それこそ、きっと、人によっては即通報案件なのかも分からない。

 

 でも、それでも。

 

 不安そうに震えていた彼の顔。

 それを思い出すと、どうしても “怖い人” だなんて思えなかった。

 それどころか、あの人の不安げな声は、間違いなく本物だとすら感じた。彼は何度も謝ってきたし、私を傷つけるどころか慮ってきた。

 多分だけど、別にもっと無理矢理迫る事も、きっと出来たはずだ。

 

 なのに彼はそんな事はしなかった。最終的に、私に全部委ねてくれていた。

 

 なんで。どうして、と空を見上げて考える。分からない。

 どうして私は、もっと話したいって思ってるの。練習がある。わかってるのに。

 

「っ、はぁ、はぁ……」

 

 バス停の手前で足が勝手に止まる。膝が笑って、ふらりとしゃがみ込んだ。心臓が今にも口から飛び出そう。

 それが先程までの出来事のせいなのか、一心不乱にバス停まで駆け抜けた事が原因なのか、もう私には区別がつかない。夕焼けの色が、薄いカフェオレみたいに街を満たす。

 

 青い春なんて、私みたいな陰キャには無縁だ。

 

 無縁なのに。

 教室にいた時は、窓から差し込む光にすら鬱屈さを覚えていたと思う。

 まるで真空みたいだったあの空間。そんな中で、こんな私の劣等感も存在も肯定してくれた人が現れた、という事実。

 それが、未だにどうしようもなく信じられない。

 現実じゃないです、夢ですと言われた方がまだ実感が湧く。しょうもないミジンコド陰キャが最近あまりにも色々調子が良くなってきた結果望んでしまった、妄想。

 彼の存在が、いっそイマジナリーボーイだと言われた方が納得出来る気がする。

 なのに。

 それなのに────さっきの言葉が、胸の内側で何度も反響してしまう。

 

 優しい子だよ。ヒーロー。かっこいい。彼女になってほしい。

 

 そんなの、聞いたことがない。

 生まれてから一度も、男の人にはそんなこと言ってもらったことない。生まれて初めて。だから、尚更実感なんて持てるはずもない。

 虹夏ちゃんだけは、あの日、私のことをヒーローと呼んでくれた。でも、あの時と今とではまた訳が違う。

 夢、かもしれない。こんな現実味のない状況、夢であって欲しい。

 

(…………だって)

 

 そうだ。夢であってくれたなら、そうであってくれなきゃ、と私は思う。

 じゃなきゃ、きっと耐えられない。

 こんなの、ありえない。目が覚めて、少し泣いて、それでおしまい。

 そうしないと、どんどん幸せが積もってしまう。

 

 それが、怖くて仕方ないんだ、と空を見上げる。

 

「…………これ、ほんとに、現実なのかな」

 

 ぼそっとこぼれた声のすぐ後、スマホが震えた。

 

「ッピャァ!?」

 

 手と全身がピョイン、と勝手に跳ねて、ケースのチャックに引っかかりかける。そのままなんとか画面を開く。

 LOINE。差出人の名前。心臓がまた、ドッと強く鳴る。まさか。

 

『吉沢春樹です。さっきも謝ったけど、いきなり抱きついてほんとごめん……ちょっと本当に嬉しくて。怖くなかった? ほんとにごめんね』

 

『今日、夜、話せるの楽しみにしてる。後藤さん。練習、頑張れよな』

 

「…………ッッ、ぁ……」

 

 視界がふわって明るくなる。夕焼けより、ちょっとだけ明るい。

 あぁ、嘘だ。

 これ、現実なんだ。本当に。

 怖くなかった? って、ちゃんとこっちでも聞いてくれるんだ。ごめんって、何度も言ってくれる。私のことを、ずっとこの人は気遣ってくれるんだ。やっぱり、距離感が凄すぎて驚いちゃったけど、この人はきっと、悪い人じゃない。

 メッセージの短さに、余計な飾りがない本気みたいなものが見えて、喉の奥が熱くなる。

 なんで。

 泣きそう。泣かないけど。いま泣いたら、たぶん止まらない。そんな気がする。

 

「は、ひぃ………っ」

 

 指が震える。

 返さなきゃ。どう返したらいい? 分からない。

 変じゃない文章。重くない文章。……でも、嬉しいのは、ごまかしたくない。

 長く打って、消す。言い過ぎだ、って消す。

 “ずっと待ってます。ずっと”──────なんて、そう打って、心臓がまたうるさくなって、消す。

 私の中の承認欲求モンスターが、下北の街をぶち壊さんばかりにまた顔を出しそうになる。だめ。出てこないで。いまは、ちゃんと伝えるだけ。伝えたいの。

 

『ありがとうございます』

 

『ハグのことは、大丈夫です』

 

『わたし、頑張ります。ぜったい、連絡します』

 

 シンプル。息を整えて、送信。

 送った瞬間、背中まで熱が走って、変な声が漏れた。

 

「はァァァァァァァァァ送っちゃったァァァ………!!」

 

 両頬を手で挟む。熱い。私の顔、今どうなってるんだろ。たぶん限界に赤い。

 でも、胸の中の焚き火はさっきより優しい。

 もう一度、さっきの彼の顔を思い出す。

 

『よかった、ほんとに……ちゃんと、聞いてもらえて』

 

『……ごめん、き、キモかったよな、今のは……つい、嬉しくて』

 

 あの時のあの言葉。そうだ。誰かに似ている、って感じたんだ。

 彼が不安そうに、赤い頬のまま微笑みかけてくれた時、ふと、確かにそう思った。そこでやっと思い出す。────そうだ。

 

 あの姿、あの面影は、どこか妹のふたりに似ていたんだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 あの日。

 あれはたしか、幼稚園でふたりのクラスの演奏会が近づいていてたときのことだ。

 その日になるまで一週間近く、ずっとあの子が私の部屋やリビングでタンバリンの練習をしていた。

 だからこそ、凄く印象に残っている。

 星がよく見えた夜、泣き腫らした目のふたりは、私の部屋に入ってきて声を掛けてきたんだ。

 

『おねぇちゃん……きらきらぼしひけるの……?』

 

『わっ、ふたり! びっくりした!』

 

『……どうかしたの?』

 

『…………』

 

『………演奏会の練習、上手くいかなかったの?』

 

 あの時の、珍しく黙りこくったふたりの姿は、今でも覚えている。幼稚園で演奏会があった時、友達と上手くいかなかったからなのか、あの子はは泣いていた。

 

『ふたり、がんばったんだよ。いっぱいいっぱいがんばったの。たくさんれんしゅうしたのに』

 

『でもいわれちゃったの。えんそう、はやかったからゆっくりしてよ、って』

 

『あしたのえんそうかい、ふたり、うまくいくかわかんない。こわいよ』

 

 あの子は泣きながら何があったかを私に話してくれて、酷く不安げにしていたのだ。上手くいかなかったらどうしよう、そう零しながら。

 そういって泣きじゃくるその姿と、彼の姿が、どうしてか重なった気がする。

 

『大丈夫だよ』

 

『音楽は頑張ってる人を絶対に裏切らないよ。明日、応援に行くから』

 

 そう言って、私達は窓辺で一緒に練習をした。

 私はふたりと、きらきら星の演奏をしてみたかった。そうしたらきっと、この子も元気を出してくれるかな。そう思ったから。

 その後、泣き止んだふたりは、すこしだけ楽しそうにまた笑ってくれた。それがただ、嬉しかった。

 

 そう。私はその時のことを、今でもよく覚えている。

 

 厳密に言えば、もちろん、ふたりのその姿が全く彼と同じだったという訳じゃない。でも、それでも。

 彼の不安そうな表情───誠実に想いを伝えようと向き合おうとする姿も含めて────は確かに、私にとってはふたりの面影を感じさせるものに思えてならなかった。

 切実に何かを伝えようとして、それが上手くいくのかどうか分からないその気持ちだけは、私にも理解できるものだった。

 だからかもしれない。彼の言葉を聞いた時、どうしてか、この人は本気なんだ、って気付けたんだ。

 何故ならそれはきっと、怖い気持ちも、不安な気持ちも、本当は根っこに同じモノがあるから。どんなに強がっていても、無理しても、それを押し殺すのは辛くて苦しい。

 それだけはよく分かる。

 だからこそ、私は思う。感じずにはいられないんだ。

 

 

 “怖い”の反対は“平気”じゃなくて────────きっと、“信じたい”なんだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 いうなれば、ふたりとの会話で、それは気づいた事だ。

 あの不安げな小さな背中を励ましてあげたくて、出来ることをしてあげたくて、一緒に演奏をして、きっとそう気づいた。

 抱き締められたときの温かさとともに、その言葉が何度も頭を巡った。

 今回のことは、私にとってはきっとそれなんだろうな、と夕焼けの空を再び見上げながらそう考える。

 

「…………………」

 

 黄昏時の風が頬の熱を冷ますように、空の色と重なって私の髪を吹き抜けていく。頬を撫でるそれは、ひどく心地がいい。

 橙色の光と共に、時が優しく住宅街と木々の隙間に溶けていく。

 その囁かな輝きは、まるで抱きしめられた瞬間の腕の強さに似ている。耳元で落ちた声。彼の震え。

 だから私は、それらをきっと、本物の思いだと感じる。信じてもいいのかなって、幼い声がする。

 いいよ、って、ドッペルゲンガーの私が、私の代わりに背後から勝手に答える。

 そうして静かに、キュッと胸元を抑え込む。違う。それはきっと、もうひとりの私だけの思いじゃない。

 

 信じたい。信じて、いたいんだ。

 

 生まれて初めて感じた、この気持ちを。

 彼の言葉を。私の胸の奥にまで手を伸ばしてくれたような、あのやさしい言葉を。

 まだ怖いのに。怖いけど、それでも、うれしいのが勝つ。

 もう片方の手のスマホも、ぎゅっと胸に当てる。ドクドクと脈打つ心臓と、バイブの余韻が重なって、体の真ん中が一拍だけ静かになった気がした。

 

「っ、あ……!!」

 

 やがてスマホの時間に気付く。時間。最悪。

 バスも電車も、待ってくれない。虹夏ちゃんが眉を下げて、リョウ先輩が無言で見て、喜多ちゃんに心配もかけるのが目に浮かぶ。店長さんが雷を落とす未来も見える。

 

「やばい、遅刻する……!!」

 

 私は跳ね起きて、ギターケースを抱え直す。

 走り出す足はまだおぼつかないのに、さっきより軽い。胸の中のドラムはまだ鳴ってる。でも、そのテンポの中心にあるものはもう、怖さじゃない。

 

 期待と高揚のリズムを、確かにそこに示していた。

 

 

 

 

 

 

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