ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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お待たせしました。

更新します。このエピソードは原作81ページ周辺、虹夏が後藤家へ再び訪れ、宅録見学をする回の大幅なアレンジ回となります。原作をお持ちの方は、良かったら比較と共にご覧下さいませ。

それではどうぞ。







CHAPTER #56 「宿縁」(前篇)

 

 

 塀際での話を、どうにかこうにか胸の奥に仕舞い込み、あたしと春樹くんは、ようやく後藤家の玄関の前に立つ。

 

 空は高い。

 

 秋の終わりの青は、夏みたいに近くはないくせに、妙に輪郭だけははっきりしていて、見上げるほどに胸のどこかがすうっと冷えていくみたいだ。さっきまでの会話の余熱はまだ喉の奥に引っかかったままなのに、風だけは何事もなかったみたいに、家と家の隙間をするりと抜ける。

 ほんのひとつ、あたしは彼の隣で息をつく。さてはて。ぼっちちゃん、ちゃんと起きてるよね?

 ちょうどぼっちちゃんの部屋は二階にあったはず。あたしが玄関周辺から見上げる中、春樹くんはゆっくりとインターホンを押した。

 

 ぴんぽーん。

 

「………」

 

 もう一度、彼が右の人差し指で押す。

 ぴんぽーん。

 

「………」

 

 反応が無い。あれ? これまさか寝てる?

 

「───あれ……インターホン、反応ねぇぞ? ひとりいるよな?」

 

「おかしいな……おーい、ぼっちちゃーん?」

 

 あたしも一歩前へ出て、玄関扉を軽く叩く。すると次の瞬間だった。

 

「あっ、はっ、はいぃぃいいい!! い、いま、今開けます、ごめんなさいぃぃ!!」

 

 家の奥から、壁も廊下も全部震わせるみたいな声が飛んできて、あたし達は揃って肩をびくっと揺らす。

 

「…………何してんだろな、ひとり」

 

「さ、さあ……?」

 

 春樹くんと顔を見合わせて、二人そろって首を傾げながら困惑する。

 なんだろう。ものすごく嫌な予感がする。いや、嫌っていうか、いつものぼっちちゃん的な意味で。

 やがて、がちゃりと鍵の外れる音。

 遅れてゆっくり開いた扉の向こうには、顔をこれでもかってくらい真っ赤にしたぼっちちゃんが立っていた。立っていた、んだけど。

 

「ど、どど、どーぞ……」

 

「あっぼっちちゃん。やっほー! 来たよ〜」

 

「よっ、ひとり!」

 

「あっお、お、おはようございます……あっいや、おそようございます……」

 

 そうして一緒に彼女へ挨拶しつつ、あたしたちを迎えてくれたぼっちちゃん。

 だけど、軒を跨いで靴を脱ごうとしたその次の瞬間、ぼっちちゃんは床を滑るみたいな勢いで前方に突っ込み───そのまま、見事なスライディング土下座を決めた。

 

「お邪魔しま……うぉぉぉっ!? 何やってんだひとり!?」

 

「おじゃましま……ぼっちちゃん!?」

 

「ご、ごめんなさいぃぃいいいい!!」

 

 頭を床に擦りつけんばかりの勢いで、ぼっちちゃんがわたわたと謝り続ける。しかも謝りながら、なぜか頭だけヘッドバンギングみたいにぶんぶん揺れている。何その謝罪フォーム。初めて見るんだけど。いや、そーでもないか。ぼっちちゃんのこの挙動は割とノーマルだ。

 すると彼女は頭をバンキングさせたまま絶叫する。

 

「わっ、私、その、虹夏ちゃんとの先約があったのに、すっかりその事忘れて、春樹くんに伝え損ねてたんです大変申し訳ございませんでしたァああああ!!」

 

「いやいや!! 落ち着けひとり、俺も虹夏も気にしてねーから!! な!? 頭上げろってほら」

 

 春樹くんが慌てて靴を脱ぎつつも、床に沈み込んでるぼっちちゃんを引っ張り起こそうとする。あたしも慌ててしゃがみ込んで、その背中をぽんぽん叩いた。

 

「そーだよぼっちちゃん、あたしも気にしてないから! 大丈夫だから、ほら、ね!? もぉー頭上げて!!」

 

「ひ、ひゃい……」

 

 ようやく、おそるおそる顔を上げたぼっちちゃんの目は、もう完全に「世界の終わり」みたいな色をしていた。

 いや、そんな大げさなことじゃないでしょって笑いたくなるのに、その大げささがいかにもこの子らしくて、逆にちょっと笑いそうになる。

 まあぼっちちゃんはいつもこんなもんだけどさ。

 

「あっ、あの、本当に、ごめんなさい……お、おっ、怒ってませんか……?」

 

「怒ってない怒ってない。ほら、部屋まで案内してくれよ」

 

 春樹くんが苦笑しながらそう言うと、ぼっちちゃんは何度も小さく頷いて、ぺこぺこ頭を下げながら階段のほうへ向かった。

 

「あっは、はい、わかりました……あの、ほんと、すみません………あっ、どっ、どうぞ……」

 

 ほんの数秒ほど気まずそうにした後、彼女はおずおずと立ち上がる。

 あたし達はそんなぼっちちゃんを見て揃って一安心して息をつき、その背中を追いながら、家の中へ入っていく。

 

 そこであたしは久方振りに訪れたこの家の玄関周辺を見回す。やっぱり、何回来ても後藤家ってきれいだなって思う。

 

 廊下には、余計な物が出ていない。

 磨かれた床板の上に、秋のやわらかい光が薄く伸びている。家の中には、洗濯した布の匂いと、どこか甘いような、あたたかい生活の匂い。

 それは言うなれば、誰かがちゃんと、ここを「帰る場所」として整えている家の匂いそのものだ。

 

「ほへー〜……良い家住んでんだな、ひとり……」

 

 前を歩くぼっちちゃんの背中越しに、初体験となるであろう後藤家をあたしと同じ様にキョロキョロしつつ、春樹くんもそんな感想を漏らす。

 磨かれた床板に、午後の光がうすく寝そべっている。玄関の窓から入り込むそれは、生活の呼吸すら感じさせる温もりそのものだった。

 あたしはそれを見て、やっぱり改めて見る度に(ここってホント、ぼっちちゃんが独りで育った訳じゃないってことがよく分かるなぁ)だなんて思ってしまう。

 

「にしても、いつ来てもぼっちちゃんのおうち、すっごい綺麗なんだよね……羨ましいくらい」

 

「あっ、お母さんが凄く家事好きだし、上手な人、なので。あんまりジロジロ見られると恥ずかしいです……」

 

「あはっ、ごめんごめん」

 

 頬を赤らめたまま、ぼっちちゃんが階段を上がっていく。

 その様子がおかしくて、でも微笑ましくて、あたしはつい口元をゆるめた。

 

 こんなふうに、春樹くんが後藤家の中を歩いてる。

 

 それって、考えてみればすごいことだった。

 夏休みのとき、この家を郁代ちゃんと訪れたついこの前まで、ぼっちちゃんにとって “好きな人” なんて、画面の向こう側の存在とか、そんなレベルだったと思う。

 そもそもこの子、あたしと出会った当初なんて友達すら居ないなんて言ってたくらいだった訳で。

 

 なのに僅か数ヶ月しか経ってない今となっては、その彼女の、 “好きな人” がこうして同じ家の中にいて、同じ階段を上がってる。

 

 ……うわぁ。

 改めて考えると、すごいなぁ。ほんと。人生ってわかんないものだよなぁ。

 

「……あれ? なぁひとり、今日お家の人は?」

 

「あっ、おばあちゃんちに妹のふたりと、うちのペットをつれて両親は出掛けてます。私は収録をするし、友達が来るから、って伝えてお留守番です」

 

「そゆこと! ……そういえば確か、虹夏は夏休みん時に一回来たんだっけか? ひとりから前に聞いたけどさ」

 

 春樹くんがこの家の静けさに関してぼっちちゃんに問いかけた後、階段の途中で振り返る。やがて後ろのあたしにも顔を向けつつ、そんなふうに訊いてきた。あたしは笑顔のまま頷く。

 

「そうそう! ほら、春樹くんも知っての通り、夏休み頃にあたしたちってSTARRYでライブしたでしょ?」

 

「あの時のためにライブTシャツの用意しなきゃで、そのデザインを喜多ちゃんと考えてたんだよね」

 

「あぁ、そういうこと?」

 

「そー! で、どうせならぼっちちゃんちにも遊びに行くついでに、皆で考えよーって話で。それで夏休みに一回来たってわけ」

 

「なぁるほどねぇ……誰と来たの?」

 

「そん時はあたしと喜多ちゃん! リョウはなんだかんだ理由つけて来なかったんだよね。ね、ぼっちちゃん」

 

「あっはい」

 

「アイツらしいな……」

 

 相槌を返してくれるぼっちちゃんの後ろで、ふむふむ、と春樹くんが頷く。

 その会話の少し前で、ぼっちちゃんの足取りが、ぴたりと止まった。

 

「…………」

 

「ん?」

 

 どうしたんだろう、って思った次の瞬間。

 廊下で立ち止まってるぼっちちゃんの顔が、みるみるうちに崩壊していく。あっ、察し。これ、何かに気づいた顔だ。

 

「お、おい、大丈夫かひとり……」

 

 自室の前、襖の前でがくがく震えだしたぼっちちゃんを見て、春樹くんがさすがに汗を垂らす。うーん、いつもの。最近見なくなってたのにな。

 

「ひゃ、ひゃいっ!!」

 

 びくん、と全身を跳ねさせたあと、ぼっちちゃんは冷や汗だらだらのまま震える手で襖に手をかけた。

 

「だ、だいじょうぶれすぅうう!!」

 

 ろれつが怪しい。全然大丈夫そうじゃなかった。

 でもそのまま、すぱぁん、と勢いよく襖を開ける。

 

「お、おぅ………ほんとに大丈夫か……お邪魔しま……」

 

 と言いかけたところで、今度は春樹くんのほうが、はた、と固まった。

 

「………………!!」

 

「………」

 

 分かりやすかった。あたしは思わず目を細めて二人を後ろから見つめる。

 

(……春樹くんもこれ、今頃気付いたなさては)

 

 そう。この状況、あたしがいるせいでなんかややこしくなってるけど、考えてもみたら目の前にあるのは、彼にとって初の彼女の部屋。

 これってつまり、彼氏として初めて彼女の部屋に来たってことで。

 ぼっちちゃんに負けないくらい、春樹くんの反応も分かりやすい。さっきまで普通を装ってたくせに、急に今更すぎる現実が追いついたみたいな顔だ。

 なんか、半端でなくお互いに初々しかった。

 なんなら、見てるこっちがちょっと面白いくらい。ていうか相変わらず何を見せられてんのかあたしは。

 

「あっ、こ、ここが私の部屋ですっ、飲み物取ってくるのでごごごごごごごゆっくりぃぃッッ!!」

 

 顔面崩壊したまま超早口&噛み噛みでそう叫ぶぼっちちゃん。彼女はあたし達を部屋へ押し込んだ直後、これまた勢いよく襖を閉めた。

 

「あっ、ありがとうぼっちちゃん、お構いなく………」

 

「……って行っちゃったよ……」

 

 ぽかん、と閉まった襖を見つめ、あたしは目を細めたまま苦笑する。

 

「アァ……アッ……」

 

 なんか変な奇声あげとる。その横でまだ固まってる春樹くんの背中を、あたしは軽くぺしっと叩いた。

 

「……ほらもうしっかりしなよ春樹くん!」

 

「ハッ!? あ、ご、ごめん虹夏……いや、その、初めて彼女の家に来たはずなのに実感なくてさ……」

 

 なんとも言えない顔で、春樹くんが和室を見回す。んなこったろうと思ったよ。

 二ヶ月ぶりに訪れてもなお、ここは特に変わってなかった。

 相変わらず年頃の女の子の部屋にしては家具はほとんどない。

 押し入れ、ちゃぶ台、座布団、スタンドミラー、壁際のギター。でも、必要なものだけはちゃんとそこにある、ぼっちちゃんらしい部屋。

 

「……まぁ、無理もないけどね……でも、せっかくだし楽しまなきゃ!」

 

 そう言ってから、あたしは少しだけ肩の力を抜く。

 さっきまでの会話の熱は、まだ胸の奥に残っている。

 残っているけど、今は今だ。こういう時間まで曇らせるのは、たぶん違う。だから、今だけはちゃんと笑っていたくて、あたしは荷物を肩から降ろして努めて微笑みかける。

 

「ほら、ぼっちちゃんのお部屋探索しよっ♪ あたしも久しぶりだし〜」

 

 そうして視線を巡らせたところで、真っ先に目に入ったのは、スタンドに立てかけられた一本のギターだ。

 

「あれ!! これぼっちちゃんのこないだ買った新しいギターじゃん!」

 

 黒くて艶のある、少しシャープな輪郭の一本。「ん? あっあっちにも。これ、ぼっちちゃんの元々使ってたほうかな」

 そのすぐ近く、押し入れの襖が半分だけ開いていて、そこからもう一本、古いレスポールのヘッドとフィンガーボード、シールドが少しだけこっちを覗いていた。

 まるで、今のぼっちちゃんの部屋の中に、過去の彼女が静かに半身だけ残ってるみたいな光景。さながらそれは、かつてのぼっちちゃんの昔からの相棒があたし達をコソッと見守っているみたいに見える。

 

「おおおおお〜〜っっ、これ、YAMAHAのPACIFICA 611モデルじゃん、すげえな……」

 

 春樹くんが、もう片方の新しいギターの前で足を止めて何やら感嘆する。

 急に目の色を変えて一気に情報の解像度が増す。マジか。一目見ただけで分かるとか専門家かな? ほんとに、この人、こういうところを見る目が細かい。

 

「あっあの、お待たせしましたぁー……」

 

 襖がまたそっと開いて、ぼっちちゃんがジュースとお菓子を乗せたお盆を両手で持ちながら戻ってくる。さっきより少しだけ落ち着いてはいるけど、やっぱりまだ顔は赤い。

 

「……あっあの、殆ど何も無い部屋ですみません……」

 

 そんな時、部屋の襖が今度はそっと開かれて普段みたく目を逸らした様子でぼっちちゃんがお盆ごと入ってきた。

 

「あぁひとり。いや、全然気にしてないよ。飲み物とかもごめん、ありがと。……これ、いつ買ったんだ?」

 

 春樹くんが和室の中央へ歩き、座布団に腰を下ろす。

 あたしもその隣へ座り込んで、「いただきます」と一言添えてジュースのストローに口をつけた。

 

「あっえっと、文化祭終わった後すぐ、ですかね。虹夏ちゃん達と楽器屋に行って、その時に……」

 

「そーそー、ぼっちちゃん初めての楽器屋で色々大変だったよね」

 

「あっうへ、うへへ、そ、そですね」

 

 お盆をちゃぶ台の上へ置いて、怪しく笑うぼっちちゃんが対面にちょこんと正座する。笑い方は不審者なのに、ほんと、こういうところだけ妙に礼儀正しいんだよなぁ、この子。思わず笑っちゃいつつ、同じタイミングであたしも背筋を伸ばす。

 

「ほぇー〜こりゃまたいいの買ったな。まあ前の文化祭の時に使ってたのに比べたらまだ安い方か」

 

 くすくす笑いながら、春樹くんが「開けていいか? ひとり」とポテチを両手で掴む。「あっはい」とぼっちちゃん。

 

「春樹くん、割とギターに詳しいの? ……あっぼっちちゃん、あたしもいただいていい?」

 

「ど、どうぞ……」

 

 うへへ、と変な笑い方でまたもぼっちちゃんが頷く。たぶんまだ緊張しきってる。

 

「ん〜……ほら、親父がギターのカタログとか結構家のそこらじゅうに放り投げてた人だったからさ、ガキの頃から色々見てるうちに自然とって感じだよ」

 

 そう言ってから、春樹くんはまた少しだけ押し入れの方へ目をやった。

 

「でも、ひとりが使ってたあの一弦切れてた黒のギターはマジでヤバいモデルなんだぞ。知ってたか虹夏」

 

「え? まあ、文化祭前に年季の入ったやつだねぇって話したのは覚えてるけど……ね、覚えてる?」

 

「あっ、は、はい」

 

「え、何、ぼっちちゃんの最初使ってたあの黒いギターってそんなすごいやつなの?」

 

「やばいなんてもんじゃねえぞ。確か、六八年モデルのレス・ポールの最高カスタムモデルだよアレ。今なんて数もそんなにないし、普通に本来なら定価八十万超えのやつだ」

 

「え、ええ゛ッッッッ!?」

 

 変な声が出た。

 八十万。今なんて言った。八十万?! 思わずそれを聞いた瞬間、内蔵が縮む。

 あたしはバッともう一度押し入れの方へ目をやり、そしてまたぼっちちゃんへ目を向けて叫ぶ。

 

「ぼっぼっちちゃんそれ本当!?」

 

「あっ、は、はい……」

 

 白目になりながらぼっちちゃんが頷く。

 いや、そんな落ち着いて頷かれても困るんだけど!?

 

「どーしたんだよあんなの。そう簡単に手に入らない上に、プロとかでも買うの躊躇うモデルなのに。まさか、買ってもらったヤツとか!?」

 

「あっい、いえ。元々は、アレはお父さんのものなんです」

 

「えっと、中学の頃、最初に私がギターに興味を持った時に、お父さんに貸してもらったのがそのモデルで。……にっ、虹夏ちゃん達には、文化祭前にはお話してたんですけど」

 

「いやまさか八十万超のそんなクソ高モデルだなんて思わなかったよ!! 年季入ってるどころか、いやに至る所、高級感を感じさせるモデルだなぁとは思ってたけど!!」

 

 思わず身を乗り出す。

 あれ文化祭で普通に背負ってきてたじゃん。何それ。こわいこわいこわい。年季の入ったギター、で済ませてたひと月前の自分をぶん殴りたい。そうして何となく自分の臓器の換金レートで換算。

 うん、軽く二つくらい消えるかな。部位によるけど。ってそうじゃない!

 

「下手したらそんなの壊そうもんなら、あたし達の内臓何個売っても足らないじゃん!!」

 

「あっ、後から調べたらその価値に目が飛び出たの今でも覚えてます」

 

「冷静なのやめてッッ!?」

 

 あたしは思わず両手で頭を掴んで宙を仰ぐ。ぼっちちゃんも白目のまま揃って僅かに顔を上げる。そんな中、春樹くんが苦笑したまま続けた。

 

「落ち着けよ虹夏……まあ、気持ちは分かるけどな。……親父も似たようなのとか、何より俺もレス・ポール使ってたからわかるけど……アレ、それより遥かに高いもんなあ」

 

「ひぇぇ……楽器ってほんとピンからキリまであるっていうか、モノによっては上限とかないよねほんと……」

 

「ホントな……楽器の良さではあるけども」

 

「ところでひとり、文化祭の時、弦切れちゃってたけど、その後あのギターはどうしたんだ?」

 

「あっ、おっお父さんに謝った上でいきつけの楽器屋頼んで、直してもらいました。今はサブとして自宅の練習用にしてます」

 

「なぁるほどねぇ……そっか」

 

 押し入れの奥を覗くみたいに見ながら、春樹くんが薄く笑う。

 

「アレ、そんなに大事に使ってるんだな、ひとりのお父さん……」

 

 その言い方が、少しだけ優しかった。

 ギターに向けた感想なのに、その奥にある家族の温度ごと見てるみたいな、そんな言い方。あぁ、そっか。そうだよね。

 お父さんも似たギター使ってて、それを間近でずっと見てきた彼にとってはある意味、感慨深くて当然か。

 

 ───そういうところ、春樹くんらしいな。そんなことを彼の横顔を見つめながらあたしは思う。

 

「……あっ。ていうか、本題だけどさ」

 

「はっ、はいっ!?」

 

 そこで話題転換をさせた彼に対し、びくっと肩を跳ねさせたぼっちちゃん。そんな彼女に苦笑いを浮かべつつ、春樹くんは顔を伏せる。

 

「─────虹夏、知ってたんだな。ギターヒーローのこと。てっきり、俺にしか話してないかと思ったから、驚いたんだ。さっき、たまたま玄関でインターホン押す前に虹夏と話したんだけどな」

 

「えっっっ、あ、えっ、そそそそ、そうなんですか!?」

 

 ぼっちちゃんの声がまたひときわ裏返る。今日はこの子、ずっと忙しいな。あっいや、いつもこうか。

 

「あっえっと、その、その事は、虹夏ちゃんにも口止めをお願いしてました、し……」

 

 そこまで言ってから、ぼっちちゃんはおずおずと春樹くんを見た。

 

「……春樹くんにも、その事を言うべきか、悩んでて。虹夏ちゃんには話してたこと、その、黙ってて、ごめんなさい」

 

「あぁいや、全然気にしてないよ。話してたんだなーって驚いたくらいだからさ」

 

「あっ、はっ、はい……」

 

「……じゃあ整理すると、俺と虹夏はギターヒーローとしての後藤ひとりを知ってるって前提でここに居る、って訳だけど……これからひとりの収録の事で話すってことでいいんだよな?」

 

 春樹くんが、ちゃんとあたしにも視線を向けて確認する。

 ぼっちちゃんは小さく頷きながら、両手を膝の上で固く握った。

 

「あっはい……」

 

 でもその次の言葉は、また別の方向へ転がる。

 

「あっその、あと……私が忘れてたばかりに二人を引き合わせちゃったことも、改めて、本当にごめんなさい……」

 

 まだ謝るのか。もう気にしてないのに。

 同じことを思ったのか、あたしと春樹くんは思わず顔を見合わせて、ちょっとだけ笑ってしまう。

 

「あははっ、また言ってる。もー気にしてないから大丈夫。まあ強いてあげるなら……ギターヒーローの事とかは、二人きりの秘密だと思ってたから、ほんのちょっとだけガッカリはしたけどね」

 

「おーーい、そこ惚気けんなぁーー!!」

 

 思わずけらけら笑いながらツッコむと、ぼっちちゃんがぶわっと湯気でも吹きそうな勢いで顔を覆う。

 

「えっ、ひ、ひみつ………」

 

 ぷしゅーっ、って効果音が本当に聞こえそうな勢いでしぼんでいく。

 かわいい。かわいいけど、ほんと分かりやすいなこの子。

 

「あっ、うっ、ひぃい………す、すみませんでしたぁ……」

 

「いや冗談だから! 真に受けんなよ」

 

 くすくす笑いながら、春樹くんがぼっちちゃんを宥める。

 それから少しだけ真面目な声音に戻す。

 

「……ていうか、リョウや郁代にはやっぱまだ話さないのか? そのこと」

 

 その瞬間、あたしは目を瞬く。

 ──────郁代。

 あれ。春樹くん、郁代ちゃんのこと、そう呼ぶようになったんだ。いつの間に?

 どこかで距離が縮まったのかな。あっ、そういえばこないだの練習の時、またお姉ちゃんに頼まれてコーヒー買いに行ってたっけ。その時?

 そう考えたら、別に不思議なことじゃないかもしれない。

 最近は前よりずっと自然に皆で話してるし、春樹くんは元々、人との距離の詰め方が上手い。上手いんだけど───

 ……なんだろう。

 そんな小さな変化ひとつまで、今のあたしには何か敏感だった。

 

「あっえっと………そ、そうですね……まだ、ちょっと……勇気がなくて……」

 

 顔の前から両手を下ろしながら、ぼっちちゃんがもじもじと答える。

 

「なんか、言うタイミング逃しちゃってるのもあるかもです……」

 

「なるほどなぁ……まあ、いずれそのうちバレるから話すなら早めでもいいと思うけどな。アイツらなら別に変な反応しないだろうし。な、虹夏」

 

「うん、あたしもそう思う。まあでも漫画だとこういう秘密からバンド解散とかに繋がるよね」

 

 半分冗談でくすくす笑ってそう言うと、ぼっちちゃんが見事にがーん、って顔になった。

 

「ふっ、不吉な事言わないでください………」

 

「あははっ、ごめんごめん。じょーだんだよ」

 

 あたしが俯くぼっちちゃんにそうして笑いかけると、春樹くんの方も腕を組んだまま一つ息をつく。

 

「まあ虹夏のその冗談は置いとくにせよ、実際、いずれ言うタイミングはあるだろうし。その時になったら話すって感じでいいかもな。そうなったら、俺らでカバーすればいいし」

 

 そうして「なっ。虹夏」なんて言って、彼はまた微笑む。「ふふっ。そだね」と笑ってあたしも返す。それを受けて、ぼっちちゃんの目がゆっくり細くなった。

 ああ、この顔。

 ほんの少しだけ、安心した人の顔。ちゃんと受け止めてもらえたって分かった時の、ぼっちちゃんの柔らかい顔。あたしの好きな、この子の顔だ。

 

「はい……ありがとう、ございます……」

 

 深く頭を下げるその仕草に、思わずあたしは胸の奥がじんわり温かくなる。

 ……ほんと、よかった。

 そう思う一方で、その “安心の輪” の中に、春樹くんが自然にいることが、なんだかんだ、やっぱり今はなんだかまぶしい。

 

「んーん。で、本題だろ? なんだっけ、動画のことでなんか悩みがあるんだよな?」

 

「あっ、はい……その、一人でもできなくは無いんですけど、なんというか、客観的に、実際に経験してる春樹くんの意見を聞きたいというか」

 

「俺で良ければ全然構わないよ。まあ、実績はひとりの方が出してるし、あんま当てにはなんないかもだけど」

 

「そっ、そんなことないです。お願いしたい、です」

 

「そう? じゃあ、良ければ聞くよ。どうしたんだ……?」

 

 春樹くんが少しだけ身を乗り出して、ぼっちちゃんの方へ身体を傾ける。

 真面目に、ちゃんと相手の話を聞く時の姿勢だ。そういうところも、この人はずるいな、とか対面で彼を見てて思う。

 

「あっうっ、えっと、じ、実は……最近、ギターソロの部分でちょっとつまずいてて……ここのフレーズなんですけど……」

 

 後ろを振り向いて押し入れの方から取り出したノートを広げながら、ぼっちちゃんが説明し始める。

 その横で、春樹くんは頷きながら、言葉を挟み、時々専門用語っぽいものも混ぜつつ、それでもぼっちちゃんがちゃんと理解できるように噛み砕いていく。

 

「………」

 

 ちぅー、とストローでジュースを啜りながら、その様子を眺める。

 すごいな、って思う。

 

 冷静だし、整理が上手いし、言葉の置き方もちゃんとしてる。

 ギターそのもののことも詳しいけど、それ以上に、相手に伝わるように話すのがうまい。教えることとか、支えることとか、そういう方にものすごく向いてる気がする。

 ……本人がそれを嬉しいと思うかは、また別として、だけど。

 多分、彼の初バイトの時もそうだったけど、それを言われても春樹くんはあんまり嬉しくないんだろうな。

 それより、彼は自分自身を見て褒めてもらえる方がきっと喜ぶかもしれない。

 そんなことを、郁代ちゃんのことを思い出しながらあたしはストローでジュースを啜る。

 

「うん、それならここのフレーズをこういう風に変えて、ソロでの弾き語りに合わせてアレンジすりゃいいんじゃないかな」

 

「……!」

 

「じゃあとりあえず、早速弾いてみてよ、ひとり」

 

 気づけば数十分くらい経っていた。

 あたしはお菓子をつまみながら、でもぼんやりしてるわけじゃなくて、その二人のやり取りをずっと見ていた。正直ちょっと暇ではあったけど、不思議と全然見ていて飽きなかった。ふと収録をしようとしていたぼっちちゃんを手伝おうと思って、あたしは声を掛ける。

 

「……ねえ、ぼっちちゃん、あたしも何か手伝おうか? ギターのことは全くの専門外だから何もアドバイス出来ないけど……」

 

 正座の足をずるずると崩して、春樹くんの隣へにじり寄る。

 すると、ギターを抱えたぼっちちゃんが少し慌てたように目を泳がせたあと、なにかに気付いたようにぺこりと謝り、控えめに言った。

 

「えっ、あっあの、せっかく来てくれてるのに、ずっと二人では話しててすみません、虹夏ちゃん」

 

「んーん、全然? 元々収録の見学が目的だし、見てるだけのつもりだったからさ。それに、こういうとこ見てみたかったし。それで、あたしに出来そうなことありそ?」

 

「あっ、えっ、えっと、ありがとうございます……それじゃあ、その、撮影は春樹くんにお願いするので、タイミング合わせのために、メトロノームの代わりを春樹くんと合わせてお願いできますか……?」

 

「うん、任せて! よいしょ、っと。……じゃあ、いつでもいいよ! 春樹くんは?」

 

「俺もいいぞ。じゃあ行くぞ、ひとり!」

 

 ぼっちちゃんがビデオカメラを春樹くんに渡し、彼女はギターを構える。

 その瞬間、空気が一枚、張りつめた気がした。

 

「じゃあいくよ! 三、二……!!」

 

「─────────………」

 

 呼吸を整える。

 顔つきが変わる。

 音になる前から、纏う空気が変わる。

 

 ぼっちちゃんがピックを握り直して、ギターを抱え直したその瞬間、さっきまで土下座してた同じ子だなんて、ちょっと信じられなくなるくらいだった。

 

 

 次の刹那、コードが強く鳴り響く。

 

 

 そこからは、もう圧倒。

 

 滑らかに流れていくメロディー。

 速いのに雑じゃない。

 難しいはずなのに、音のひとつひとつがちゃんと意味を持って跳ねていく。

 ぼっちちゃんの指先から出ているはずなのに、いつものSTARRYで並んで鳴らしてる時とは、明らかに別の生き物。

 

「……………………ッッッ!!」

 

(なに、これ─────すごい)

 

(ぼっちちゃんやっぱりソロだと圧倒的だ……!!)

 

 ───これが、ギターヒーロー。

 

 知っていた。頭では知っていた。目を見開ききったまま、あたしはその巧みなタッピングや、無駄のない右手のスライドから繰り出されていく高音と低音の重厚な切り返しを見つめる。

 難しいはずなのに、音が置いていかれない。その精巧な動きは、ひとつひとつの音をきちんと主張していて、あたしの鼓動と入り交じっていく。

 ────それは、紛れもなく、動画で見た手元のそれと、全く遜色ないもの。でも、目の前で生で見ると、全然違う。

 

 すごい。

 すごいすごいすごい。

 本物だ。

 ぼっちちゃん、本当にギターヒーローなんだ。

 

 そう思った、次の瞬間。胸の奥が、ほんの少しだけ、ひやりとした。

 

「…………………」

 

 この演奏。

 この集中。

 この、ひとりで立った時の圧倒的な強さ。

 

 ……これが、本来のぼっちちゃんの実力。

 

 もし。

 もし、ライブでもいつでも、このくらい当たり前みたいに弾けるようになったら。

 その時、あたしたちは、と思う。

 ううん、違う。あたしは───

 

(……いつか、あたしたち、あたしは、お荷物になっちゃう日が来るのかな……?)

 

 ふっと浮かんだその考えに、自分で自分が嫌になる。

 何、考えてるんだろう。

 そんなの、今ここで思うことじゃないのに。

 でも、その不安は小さくて、静かなくせに、妙にはっきり胸の底に沈む。それは残響の様にハッキリと残って、まるで消えてはくれない。さながら透明な水の中に落ちた細い針みたいに。

 やがて演奏が終わる。

 あたしの合図とともに春樹くんがタイミングよく撮影を止め、部屋に静けさが戻ってきた。

 カメラの前から視線を外したぼっちちゃんは、またいつものぼっちちゃんに戻っている。少し汗をかいて、恥ずかしそうに、でも期待と不安が半分ずつ混ざったみたいな顔でこちらを見る。

 

「あ、あの……どうでしたか……?」

 

「最っっっ高!! なっ、虹夏!!」

 

 春樹くんがぐっと親指を立てて、こっちへ振り向く。

 

「え─────」

 

 あたしは一瞬だけ、間を置いた。

 

 ほんの僅か。

 たぶん、ぼっちちゃんにも春樹くんにも分からないくらいの、ほんの僅かな空白。今、この場でそれを出すのは絶対に違う。だからこそ、無理やりそれを呑み込む。

 その不安を、胸のいちばん奥へ無理やり押し込んで、あたしは思い切り笑った。

 

「………あっ、うんっ!! さすが!! すごいね、ぼっちちゃん……!!」

 

 満面の笑みで頷き返す。

 ぼっちちゃんの表情が、ほっとしたみたいに少しだけほどける。

 それを見て、よかった、って思う。

 

 嘘じゃない。ほんとうに、思う。

 

 思うのに。胸の奥の小さな針だけは、まだ抜けないままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ───そうして、一週間後の現在。

 STARRYで、あたしはふとその日のことを思い出していた。

 

 後藤家のやわらかい匂い。

 押し入れから覗いていた黒いレスポール。

 初めて彼女の部屋に来たことを今さら自覚して固まる春樹くん。

 そして、カメラの前で “ギターヒーロー” になるぼっちちゃん。

 

 それら全部を思い出しながら、そうして、あたしの縫ったフードを着込む目の前の春樹くんとぼっちちゃんへ声をかけた。

 

 

 

 

 

 

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