ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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CHAPTER #56「宿縁」(後篇)

 

 

 ───そうして、一週間後の現在。

 

 STARRYの床に落ちる白い蛍光灯の白をぼんやりと見つめながら、あたしは、ついさっきまで胸の奥で反芻していた記憶の続きを、まだどこか引きずっていた。

 

 後藤家のやわらかい匂い。

 押し入れの隙間から覗いていた、黒いレスポールのヘッド。

 初めて彼女の部屋に来たことを、今さらみたいに実感して、ぼっちちゃんと一緒になって固まっていた春樹くん。

 それから───カメラの前で空気ごと変わってしまった、ギターヒーローとしてのぼっちちゃん。

 

 その全部を思い出しながらあたしは、フードを深く被り、じっと黙り込んだまましゃがみこむぼっちちゃんの横顔を見つめる。

 

「……」

 

 さっきから、ずっと静かだ。

 たぶん、周りの会話が聞こえていないわけじゃない。さっきからちらちら見てはいるし。でも、どこか一人だけ少し遠いところにいるみたいに、あたしには見える。春樹くんもそれは少なからず察していたみたいで、声を掛ける前に目が合う。

 ぼっちちゃんのこういう場面に気付きがちなのは、どうやら揃ってあたしも彼と似てるらしい。一緒に頷くようにしてアイコンタクトしつつ、あたしが先に隣にしゃがみ込んで、彼女へ小さめの声で話しかけた。

 

「ぼっちちゃん、大丈夫? ……さっきからずっと何か考え事してるけど」

 

「えっ……あっ………」

 

 フードの影から、はっとしたみたいにぼっちちゃんが顔を上げる。

 その目は、今ここじゃなくて、まだ別の場所を見ていたみたいだった。

 

「えっと、その、実は────」

 

 そうして、ぼっちちゃんはおずおずと口を開く。

 声は小さい。だけど、それは、迷いつつもちゃんと “今言おう” と決めて話し始めた声。

 それを見て、あたしと春樹くんは思わず顔を見合わせる。やがて、その話を聞きながら春樹くんも自然とあたしと一緒にぼっちちゃんを囲うようにして、しゃがみ込む。

 

「────え? いま話すべきなんじゃないかってこと?」

 

 数分程話を聞いてみて、それに対して微かに驚いた様に春樹くんがそう聞き返していた。ぼっちちゃんはこくりと頷く。でも、その頷き方はやっぱり半分くらい不安でできているように見える。

 

「……は、はい。その………リョウ先輩の言うことは、一理ある気がします。……そ、その、もし話すなら今だと思いますか……? ギターヒーローの、こと……」

 

 俯いたまま、彼女は呟く。

 ああ、そっか、とあたしは気付く。

 

 まだ引っかかってるんだ。

 

 まあ────そりゃそうだよね。

 ぼっちちゃんにとっては、ずっと隠してきたこと。秘密とか、そういう軽い言葉だけじゃ片付かないくらい、自分の根っこに近い話なわけで。

 それを、いつ、どうやって、誰に、どの順番で話すのかなんて、簡単に決められるはずがない。多分あたしが同じ立場でも悩むはずだ。

 

「……どう思う? 虹夏」

 

 腕を組んだまま、真剣そうに思い悩む春樹くんがあたしの方を見つめた。

 

「んー…………」

 

 顎に手を当てて、少し考える。

 正直、答えはすぐには出なかった。でも、しばらく悩んでから、あたしはゆっくり首を振る。

 

「……あたしは、まだ早いと思う」

 

「たぶん、ぼっちちゃんも分かってると思うし、実際にあたしも見たからわかるけど……ぼっちちゃんの演奏もバンド内でも安定してるって言いきれないし、確かにファンの人たちがどう受け止めるかも分かんない」

 

「もっと経験積んでからでも……遅くはないと思うけどな……」

 

 そう言いながら、自分の胸の奥でもう一度あの日の宅録のことを思い出す。

 カメラの前で変わった空気。

 圧倒的だったギターヒーローの音。

 あたしの胸の底に落ちた、小さな針みたいな不安。

 ……それも、ほんの少しだけあった。

 だからこそ、軽々しく今だよ、とは言えなかった。

 

「……ひとりはどうしたい? どうしても今話すべきだと思うなら、サポートするけどさ」

 

 春樹くんが、ぼっちちゃんを見つめたまま言う。

 その声色はやわらかい。背中を押すんじゃなくて、選ぶ権利をちゃんと本人に返してあげる時の声だ。いつもの、彼の癖。

 それを聞いてぼっちちゃんはしばらく黙り込んだ。

 あたしの作った結束バンドのロゴ入り冬用パーカーの袖口を、ぎゅっと指先で摘む。

 それから、ものすごく考えた末みたいな顔で、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……仮に、ギターヒーローのことを公にすれば、ネットのファンの人は来てくれるかもしれません。でも……」

 

 声が、途中で少しだけ頼りなく揺れる。

 

「その人たちを、今のライブの私なんかじゃ、満足させられないと思うんです。……それに、結束バンドも上手くいかなくなる気もして……」

 

「……あっ、やっぱり、もう少し待ってから話そうと思います。今は……まだ早いかなって。すっ、すみません、こないだから」

 

 ぼっちちゃんはそこで一度言葉を切って、申し訳なさそうに小さく笑った。笑った、というより、そういう顔をしようとして少し失敗したみたいな感じ。あたしはそれに対して首を振る。

 

「ううん。ぼっちちゃんにとって大事なことだし、強制して決められるようなことでもないよ」

 

 そう返して、できるだけ明るく笑ってみせる。ぼっちちゃんの心配や不安も、正直よく分かるし、ちゃんと春樹くんも含めて伝わってる。

 多分、ぼっちちゃんとしてはそれこそ、結束バンドが本格的に成功するまで黙っていられるなら黙っていたいことなのかもしれない。

 

「そもそも、それを言うタイミングを決めるのはあたしもぼっちちゃん自身が決めることだと思うし」

 

「……だから、あたしとしては、タイミングもじっくり考えればいいと思う。ね、春樹くん」

 

 そんな事を考えながら、隣に屈む彼に対してもう一度目を向ける。すると、春樹くんも静かにあたしに同意してくれた。

 

「そうだな……こればっかりは。ひとりが自分で決めた方がいいと思う。俺は何を選んでも尊重するよ」

 

「あっうっ、その、ホントに、ありがとうございます、お二人とも……」

 

 おずおずと頭を下げるぼっちちゃん。

 謝ることじゃないのに、やっぱり謝っちゃうんだよなあ、この子。あたしと春樹くんでこれまた揃って苦笑する。

 でも、その謝り方がいつもより少しだけ落ち着いて見えたのは、きっと自分でひとつ決めたからなのかもしれない。

 

「ふふっ、いーって。そういえば、あれから動画の投稿は上手くいったのか?」

 

 気を遣おうとしてるのか、そのタイミングで春樹くんが話題を変えるようにそう尋ねる。その瞬間、ぼっちちゃんの顔がぱっと明るくなった。

 

「あっ、はい! おかげさまで、あの日の動画はかなり好評で……だいぶ登録者数も増えました!」

 

「おおっ! マジか、やったじゃんひとりっ!! そいつぁ一緒に行った甲斐があったってもんだな。な、虹夏!」

 

「うん、ねっ!! 良かったじゃんぼっちちゃん!!」

 

「うへ、うへへへ………」

 

 もっと褒めて、って顔でまた不器用に笑うぼっちちゃん。

 あぁ、ほんと、この顔わかりやすいなぁ。すぐ調子に乗っちゃうところ。可愛い。そう思って笑いかけた、その時だった。

 

「えっ!? な、なんですかコレ!? 大変ですよ皆さん!!」

 

 郁代ちゃんの叫び声が、空気をばちんと切る。

 

「!?」

 

 みんなで慌ててそっちを見る。

 郁代ちゃんはスマホを見つめたまま、明らかに動揺していた。隣ではリョウが起き上がりかけのまま、同じ画面を覗き込んでいる。

 

 

「みっ、見てください春樹くん、二人も! こ、これ!」

 

「なになに、どうしたの喜多ちゃん」

 

 慌てて駆け寄って、あたしは郁代ちゃんに差し出されたスマホの画面を見る。

 そこに映っていたのは、文化祭ライブの時の、あの例の観客ダイブの瞬間だった。

 顔にはぼかしがかかっている。

 でも、分かる人が見たら、たぶん分かる。

 しかもそれが、まとめサイトだのSNSだのに転載されていて、コメント欄には好き勝手に言葉が並んでいた。

『これはひどい』『誰か受け止めてやれよ……』『突然ダイブされたら無理だよこわいだろ』────以下略。

 

「……」

 

 好き放題に書かれてはいる、けども。正直あたしも一部同意するようなコメントもあって、なんとも言えない気持ちで目を細める。

 

「なっ!? なんだこりゃぁあっ!?」

 

 それを見た春樹くんも声を上げた。

 ぼっちちゃんはと言えば、結束バンドのグループLOINEに郁代ちゃんから届いたURLを一歩遅れて辿り、別の転載先まで見つけて、みるみる白目になっている様子だった。

 

「えっ、まっ、待ってください、これトゥイッターにも転載されてませんか…………」

 

「…………………これはひでぇ………」

 

 揃ってぼっちちゃんと一緒にそれを見た春樹くんが、なんとも言えない虚無みたいな顔になる。

 たぶん、あたしも似たような顔してる。笑えない。笑えないんだけど、どう反応するのが正解かも分からないやつだ。

 

「……か、顔ぼかし入っててよかったですね……」

 

 郁代ちゃんが苦しすぎるフォローをする。露骨過ぎる苦笑い。

 いや、よくないよ、全然。でも気持ちは分かるよ。

 

「良かったねぼっち、これで有名バンドだよ」

 

 ぽん、と肩を叩きながらリョウが言う。いつも通り無表情のままなのが逆にひどい。コイツ、フォローする気あんのか。

 

「…………」

 

 それを聞いてどよよーん、と露骨に落ち込むぼっちちゃん。またも屈んで俯いている様子だった。

 そんなぼっちちゃんの頭を、春樹くんが無言で撫でる。あたしも慌てて屈み込んでは口を開く。

 

「まっ、まぁほらっ、こんな話題すぐに忘れ去られるよ、大丈夫! 落ち込まないで! ね?」

 

 精一杯励ました、つもりだった。

 でもぼっちちゃんはこくりと頷いたあと、ぼそっと呟く。

 

「……いいね、そんなに貰えてるの、羨ましいです……………」

 

「いやこれもぼっちちゃんだからね!?」

 

 あたしは思わず叫ぶ。

 

「ていうか気にするとこそこかよこの承認欲求モンスターっっ!!」

 

 春樹くんも頭を抱えてそう声を張り上げ、天井を仰ぐ。

 するとぼっちちゃんは、しゅん、と肩を落として縮こまった。

 

「はっ、すみません……つい本音が……」

 

「いやまぁいつも通りのひとりでむしろ安心したよ……」

 

 白目になりながらそう言う春樹くん。対してぼっちちゃんは、なぜかちょっと嬉しそうに怪しく笑った。

 

「うへ、うへへへ……いっ、いつも通りの私が一番ですかね……」

 

「なんでちょっと嬉しそうなんだ………」

 

 そのやり取りが、ほんの少しだけその場の空気を緩める。

 ───その、直後だった。

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは〜〜!!」

 

 ばんっ、と勢いよくSTARRYの扉が開く。

 全員の肩が揃って揺れて、視線が一斉に入口へ向く。

 そこに立っていたのは、ツーサイドアップの髪型に、ピンク基調の服。萌え袖気味の手元。いかにも最近流行りの地雷系っぽい空気をまとった女の人がそこには居た。

 

「失礼しまぁす♡ あっあたし、『ばんらぼ』ってバンド批評サイトで記事書いてる『ぽいずん♡やみ』って言いまぁす!」

 

「ここって、結束バンドの皆さんいらっしゃいますよねぇ〜!? あっ、居たぁ!」

 

「…………」

 

 トコトコ歩いてきてこちらへ急に自己紹介する彼女に、あたしも含めて全員が一瞬、ぽかんとする。その前を、PAさんがすっと横切った。

 

「こんにちは〜。アポとかってとってらっしゃいますか?」

 

「あっ♡ ごめんなさぁい、とってないです〜!」

 

 きゃはっ、って感じの作り込まれた声で彼女は舌を出す。余りにも分かりやすくわざとらしいそれを見た郁代ちゃんも、露骨にあたしの隣で白目になる。

 

「えっ、あの人のあのフリ流すんですかPAさん……」

 

「うちじゃ変な人は日常茶飯事じゃん」

 

 無表情のままリョウが返して、ぼっちちゃんを見つめる。

 ぼっちちゃんは「えっ」って顔をして、でも否定できず、がーんってなっていた。

 その横で、春樹くんだけは少しだけ眉を寄せて、その謎の女の人────ぽいずんさんを見直している。

 

「…………」

 

 その視線の意味が、なんとなくあたしにも分かる。

 なんだろう、この人。別にまだ何かしたわけじゃない。でも、ちょっとだけ引っかかる感じ、みたいな。たぶんほんの僅かに不審がっている。するとぽいずんさんは、名刺を取り出してにこにこと言った。

 

「いや〜いきなりすみませんっ! あたし、下北沢で活動中のバンド特集記事を書こうと思ってまして〜! ちゃちゃっと終わらせるんで、皆さんにインタビューさせてください♡」

 

「え……私達のことを、ですか?」

 

「お、おおぉ……!? あたし達って、もうそんなに注目されてるの!? あっ、ありがとうございます……!!」

 

 ぼっちちゃんがぽかんとしたまま聞き返す。あたしもそれを聞いて思わず有頂天になってしまう。まさか、こんな形で機会が巡ってくるなんて。郁代ちゃんともお互いに顔を見合せ、素直に目を輝かせた。

 

「これはチャンスですよ虹夏先輩っ、是非受けましょ取材!!」

 

「そ、そうだね喜多ちゃんっ……!!」

 

「………随分いきなりな展開だけど、まあ確かに良い機会かもしれないね。それで、取材というのはまず何からですか」

 

 まさかのリョウまで割と冷静に乗る。

 そうだよね、普通に考えてこんなの悪い話じゃない。むしろありがたいくらいだ。

 

「はいっ、じゃあさっそくしつも〜ん!! 今後の結束バンドの目標を聞かせてください!」

 

 メモ帳と録音代わりにでもするのだろう。スマホをかざしつつ、はしゃぎながらぽいずんさんはあたし達へ尋ねてくる。そうして皆で顔を見合わせた。

 あたしも少し考えるように天井を軽く仰ぐ。「えっ、目標かぁ………」

 まあここでさすがにホントの夢を話すのは公に言う事でもないし、無難にメジャーデビューってとこでいいかな。そうして、手を挙げてシュバッ、と答える。

 

「それなら……メジャーデビュー!!」

 

「エンドース契約してタダで楽器もらう」と、リョウ。

 

「皆でずっと楽しく続ける事かしら」と、郁代ちゃん。

 

「あっ、世界平和……」と、ぼっちちゃん。

 

 そうして各々返答した数秒の間。

 

「…………………………………」

 

 あたしたちは全員なんとなく「あれェ?」って顔になり、変な空気になった。

 同時に春樹くんと、ぽいずんさんだけが心の中で同じツッコミを入れてそうな、ドン引きみたいな顔をしていた。春樹くんなんて綺麗な白目。

 

(結束感がねぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜)とか言われてそうな、そんな顔だった。

 

 あぁ、うん。ほんと、何やってんだろうあたしたち。

 言っといてなんだけど、相変わらずビックリする位、バンド名を反故にしたようなバラバラ具合。

 もう一周回って面白くなってきたよ。いっそこの矛盾した方向性でうちのバンドは突っ切るべきかもしれない。

 あたしが一瞬、真剣にバンドの方向性について悩んだその時、ぽいずんさんが隣に居た春樹くんの方に目を向ける。あたし達の一員である事に気付いたようなそんな感じで。

 

「あっ。ちなみに、あなたは? 唯一の男子さんですか?」

 

「えっ、ああ、えっと……俺はマネージャーみたいなもんです」

 

 その瞬間、ぼっちちゃんの視線がぴくっと動くのが見えた。

 あ、ちょっと警戒してる。それか、心配してるのかな。分かりやすいなぁ。まあそりゃ彼氏くんだもんね。

 

「マネージャーですか! 珍しいですね、男の人がこの手のガールズバンドのマネージャーを務めるのは! どんな目標ありますか?」

 

「えっ……………」

 

 春樹くんが一瞬、ぼっちちゃんの方を見る。見つめ合うふたり。

 それから、少しだけ間を置いて続ける。

 

「……結束バンド全員の目標を叶えて、最高のバンドにすることですかね」

 

「………!」

 

 ぼっちちゃんが、はっとしたみたいに春樹くんを見る。

 あたしも、それを聞いた瞬間、思わずちょっとだけ目を見開く。

 ─────それ、前に。

 あたしたちが、あの台風の夜に、笑いながら必死にしがみついていたあの頃に、ぼっちちゃん自身が、あたしにくれた言葉とほとんど同じ。

 その一方で、ぽいずんさんは一瞬だけ、妙に目の光を失った気がした。

 

「──────…………」

 

 あたしはそれを見て、何となく彼女へ首を微かに傾げる。

 

「………?」

 

「………ソウデスカァ、夢がいっぱいなのは素晴らしいデスよネ☆」

 

 わざとらしい声。わざとらしい笑顔。微かに曇ったような表情から一転して、どこか不自然に微笑んだ気がした。なんだろう、今の顔。

 気のせいかな? まあ、あたし達の返答も返答なので半分引いてるのかもしれない。

 

「あっ⤴︎︎︎ そうだぁ♡ そういえばぁ、ギターの方って少し前にダイブで話題になった方ですよね!」

 

 次の瞬間、ぽいずんさんの視線がまっすぐぼっちちゃんへ向く。げっ、まさかその話題に触れるとは。

 

「なんであの時ダイブしたんですかあ? 普段のライブからあんなふうにロックなダイブしてるんですかあ?」

 

「あっえっ、アッ………アッ…………」

 

 ぼっちちゃんの顔面が、見る見るうちに崩壊していく。その時。

 

(────……あれ?)

 

 妙な違和感が、あたしの脳裏にもたぐ。その一瞬の違和感は妙に引っかかったまま、あたしの中の “針” にまた触れた。

 

「…………?」

 

 あたしは思わず、ぽいずんさんをじっと見つめる。

 同時に、ぼっちちゃんの方へも目線を向け直す。

 ぼっちちゃんは分かりやすい子だ。相手が明らかな善人とかであれば、かなり露骨に心を開くのが早い子。郁代ちゃんとか、春樹くんなんて分かりやすい相手。

 なのに、今のぼっちちゃんのあのいつもの顔面崩壊っぷりはネタというより、心を閉じているような─────焦りっぷりを披露しているように見えた。

 思わずあたしは、横目で春樹くんを見遣る。多分だけど、春樹くんも、同じことを思った顔をしていた。

 

(…………この人、なんかおかしい)

 

 たぶん、今そう思ってる。およそ、そんな感じの表情だ。

 そうして彼女はぼっちちゃんが困ってる事になんて気付いてすらいない感じで次々と質問を繰り返す。それを見て、あたしは確信した。

 結束バンドに取材に来たって言う割には、視線も質問も、何か明らかにぼっちちゃんだけに偏ってる。

 

(………この人、まさか……)

 

(バンドの取材じゃなくて……ただぼっちちゃんをネタにして記事書くつもりじゃ……)

 

 胸の奥が、ざわつく。

 それを認識した刹那、あたしの中で、露骨に警戒心がその身を主張し始めていく。

 

「あ、あっのぅ〜聞こえてますぅ? なにか喋ってください〜〜」

 

 ぽいずんさんが、わざとらしくうるうるした目を作る。その瞬間、ぼっちちゃんの肩がびくっと強く揺れた。

 

「ひっ……!」

 

 まずい。これ、何とかしないと。

 そうおもってあたしが前に立とうとしたその時。見ていられなくなったのか。それを見た春樹くんが、あたしより一歩早く、彼女を庇うみたいに前に出ていた。

 

「あっあの!」

 

「……辞めてやってくれません? そろそろ、俺ら、ライブなんすよ」

 

「……!」

 

 彼の声は、珍しく棘があった。無理もないと思う。ただでさえ人とうまく話せないぼっちちゃんがこんな質問責めされていて、彼なら放っておくはずが無い。

 ぼっちちゃんもはっとした様子で春樹くんの方を見つめ返す。あたしもそれに続くように、彼女の前へ立つ。

 

「そ、そうなんです! みんな、そろそろライブの準備しないと! 行こ!!」

 

 そのままリョウと郁代ちゃんの背中を押して、あたしは更にぼっちちゃんの手も一緒に引っ張っていく。

 

「ほら、ぼっちちゃんも! すみません、あとはライブの後でお願いします」

 

「あ、はい! ご、ごめんなさい……失礼します」

 

 そそくさと離れていくあたしたち。ぼっちちゃんはご丁寧にちゃんとぺこりとお辞儀だけは返す。ふと、後ろを僅かに振り返った。

 あたし達の背中に向かって、ぽいずんさんは作った笑顔でひらひら手を振っていた。でも、その目だけは、全然笑っていないような────そんな感じがして、あたしの中で更に不信が芽生える。

 あたし達はそうしてそのまま楽屋に入り、各々、楽器をケースから取り出し始めた。

 

「………」

 

 あたしは思わず気になってしまって楽屋の扉の隙間から、こっそりとあの人の様子を見た。

 春樹くんも同じ様に気になったのか、あたしと一緒に隣から彼女を見つめる。その表情は同じように黙ったまま睨んでいた。

 

「……………ッ!!」

 

 そして隙間から見えたあの人の表情。

 それを垣間見た瞬間、ゾッ、とあたしの背筋が冷えた。春樹くんも春樹くんで、小さく目を見開く。

 

(やっぱりあの人……!)

 

 あの人の表情は、目元どころか、顔のどこにも温度が無くなっていた。

 真顔。完全に興味の欠片もなさげな、そんな形のそれ。

 それどころか、ぽいずんさんはスマホを見下ろしながら、口元だけでうっすらと薄く笑っている。

 その顔は、もはや取材に来たライターの顔じゃなくて。

 明らかに、ぼっちちゃんを利用してやろうとでも言いたげな、そんな面持ちで。言うなれば、そう。───例えるならアレは、ただ “材料” を見つけた人間の顔だった。

 

「……………………」

 

 あたしはその瞬間、ギシッ、と小さく奥歯を噛む。その軋む様な苛立ちが、チリチリと胸の奥で引火する。張り詰めた糸の様な感覚が、あたしの全身に走った。

 

「えっ、に、虹夏ちゃん……?」

 

「!」

 

 ぼっちちゃんが心配そうにあたしを見る。その瞬間、あたしは慌ててその表情を消して、笑ってみせた。

 

「ん、なんでもない」

 

 でも、本当はなんでもなくなかった。

 嫌な予感が、ずっとしている。

 喉の奥に、小さな “針” が一本ひっかかって抜けないみたいに。

 何かが、始まってしまう気がする。そんな予感だけが、やけにしつこく胸を撫でているのだ。

 

 やがて、あたし達はステージに立つ。

 

 そのまま、それぞれが楽器を手に持った。

 ぼっちちゃんはアンプのつまみを調整しながら、でもどこか不安そうに、あたしたちの顔を順番に見ている。いよいよ本番が迫る中、接続部分に不良が無いか最終チェックをしてくれる春樹くん。

 彼の表情は終始不穏げに曇っている。そんな中、彼はぼっちちゃんへ声を掛けた。

 

「大丈夫か? ひとり」

 

「あっは、はい……大丈夫、です。私なら……」

 

 それは、自分に言い聞かせるみたいな声だ。スツールに既に座るあたしから見ても分かるくらいの、そんな不安そうな声色。

 春樹くんはそんなぼっちちゃんを見て、静かに頷く。

 

「……いつも通りやればいいよ、がんばれ。ひとり、リョウ、郁代、虹夏」

 

 リョウは「……ん。私は気にしてない。準備はいい? 郁代」とむしろ郁代ちゃんに問い掛ける。彼女も笑顔で「はいっ♪ リョウ先輩」と頷き返す。良かった。案外、二人とも大丈夫そう。

 というか、あたしも気にし過ぎかもしれない。そんな事を一瞬思いつつ、春樹くんへ微笑む。

 

「……ありがとう、春樹くん。また後で」

 

「おう。頑張れ」

 

「うん」

 

 あたしはそう返しながら、やがてスティックを握る。春樹くんはあたし達を見つめたまま、後ずさるようにしてゆっくりとステージ下へ続く階段を降りていく。

 やがてリョウも、郁代ちゃんも、ぼっちちゃんもあたしの方へ短く頷いた。準備良し。あとは、リーダーのあたしに任せるような、そんな表情。

 

「じゃあみんな、いくよ!」

 

 PAさんへ合図をするように手を振る。正面で音響機器の調整をする彼女も了解です、と言わんばかりに笑顔で手を振り返してくれた。

 ステージ下には見慣れた何人かのお客さんが来てくれている。微かに歓声も上がる。郁代ちゃんが中心に立ち、軽くマイクテストを始めた。

 

「あーっ、あ〜……マイクテス、マイクテス」

 

 そして、一息、静かに息を吸う。

 

「こんばんは〜〜!! 結束バンドです! 皆さん、下北沢盛り上がってますかあ!!」

 

 喜多ちゃんのMCに、少数だけどいつものお客さんたちがちゃんと反応してくれる。

 そうして、ライブは始まっていく。それを聞きながら、あたしはほんの少しだけ安堵する。

 

 これでいい。いつも通りだ。

 大丈夫。

 今日も、ちゃんと始まる。

 

 そんなふうに、自分に言い聞かせるみたいにドラムを鳴らし続けた。バスドラの低音が激しくあたしの心臓とリンクする。スネアと、フロアタムが何だかいつもよりうるさくて、その調律と振動、ビートの爆ぜ具合が、どうしようもなくあたしの “針” を揺らしてきた。

 あたしはそれから目を逸らすように、滲む汗の中、ひたすら演奏をし続けた。

 やがて、三曲目が終わる。前に立つ三人があたしの演奏終わりのリズムに合わせて前屈みになり、後ろを振り向く。

 いつもの、あたし達の最後にやる姿勢。あたしも左右のハイハットとライドシンバルをスティックで幾度も刻み、皆と同じ様に姿勢を屈ませていき────やがて、フィニッシュ。余韻が残心の様にステージからSTARRY全体へ響く。

 

「ありがとうございましたーっ!!」

 

 そうして、あたしが立ち上がったのを合図に四人で揃って前へ出る。いつものように、一列に並んで頭を下げた。

 ───────その瞬間だった。

 

「………………」

 

 顔を上げた視界の先。

 壁際、少し離れたところで、まだぽいずんさんがこっちを見ていることに気付く。─────……いや、こっちじゃない。

 

(………………あれ?)

 

 視線がやたらと一点に固定されている。

 その先にいるのは、いちばん左端のぼっちちゃんだった。

 強く目を見開いたまま、まるで何かを確信した人みたいな顔で、ぽいずんさんはぼっちちゃんだけを見ている。

 その視線の意味を一瞬考える。

 ─────その瞬間、微かに、胸の奥が、ぞわっとした。

 

(……いや、うん、まさかね)

 

 そんなはずがない、とあたしは思う。

 思うのに、嫌な予感だけが、消えてくれない。“針” があたしの喉仏に突きつけられてるような感覚が、残像の様に消えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 やがてライブが終わる。

 いつものように、何人かのお客さんがぼっちちゃんのところへ来てくれる。

 その中でも、あの二人はもう見慣れた顔だった。確か、ぼっちちゃんがファン一号さんとか二号さんとか呼んでた人。

 ライブの頃にはもう、最前の端っこでこっちを見てくれていた人たち。ぼっちちゃんのギターを、初めて金沢で会った時からずっと何度もちゃんと見てくれていた人らしい。あたしは生憎、名前まではまだ知らない。仲良くなれそうな気はする人達だけど。

 多分、あの感じぼっちちゃんもまだ聞けてない。けど、ちゃんと覚えてる。

 

「ひとりちゃーーん!! 今日もすっごい良かったよっ、良い演奏聴かせてくれてありがとう!! これ、差し入れ、みんなで食べて!」

 

 一号さんとか呼ばれてた、パッツン前髪で、明るい茶髪のロングストレートなヘアスタイルの綺麗なお姉さんがぼっちちゃんに笑いかける。

 そしてその隣には、栗色っぽい髪色のショートヘアのお姉さん。この人も可愛い人。多分彼女が確か二号さんとかぼっちちゃんが呼んでた人の方だったはず。

 

「あっうへ、うへへ、ありがとうございます………これからも頑張ります……」

 

 いつもの如く怪しげに笑いながら、ぼっちちゃんがドーナツのケースらしき差し入れを受け取る。すると、その隣に、春樹くんが自然にフォローをするみたいに立った。

 

「お二人とも、いつも来てくれてますよね? ありがとうございます」

 

 その瞬間、ぼっちちゃんの顔がみるみる赤くなる。多分何気にあのファン一号さん達の前で春樹くんに隣に立たれるのは初めてだろうし、恥ずかしがってるのかな。うーん。わかりやす。

 やがて春樹くんから挨拶をされた一号さんが嬉しそうに彼へ微笑む。

 

「いえいえ! 演奏のことはあまり良く分からないけど、最近凄くいいと思います!」

 

「ありがとうございます! あれ? そういえば二人とも、大学生さんとか、ですか?」

 

 春樹くんがそう問いかけると一号さんと二号さんは目を輝かせる。

 

「はいっ! 私たち、美大の映像学科の学生なんですよ〜! 結束バンドの皆さんも、そう遠くないうちにMVとか作りますよね? その時はいつでも言ってください!!」

 

「あっほ、ほんとですかぁ!?」

 

 ぼっちちゃんが一気に食いつく。

 

「ぜっぜひお願いしますっ、うへ、へへ、うへへへ……!!」

 

「おおぅ、お、落ち着けひとり……」

 

「……でも。その時はぜひお願いします」

 

 春樹くんがぼっちちゃんの肩をとんとん叩く。でもそう言ってファン一号さんたちに向けるその目は、ちゃんと嬉しそうだった。

 

「ふふっ。了解ですっ! 任せてくださいね!」

 

「それじゃあ私達そろそろ行くね、ひとりちゃん! がんばってね!」

 

「あっえっ、あっ、はい! まっ、またお待ちしてます……」

 

「楽しみにしてるね! ばいばーい!」

 

 そうやって、一号さんたちが去っていく。

 あたし達と一緒に手を振り返すぼっちちゃんの顔は、ちゃんと前より明るかった。あたしはニヤニヤとしつつ、話し掛ける。

 

「良かったねぇぼっちちゃん! それに、なんかだいぶ話せるようになってたじゃん!」

 

「うへ、うへへ……みっ、みなさんのおかげです。それにだいたい同じお客さんだから最近慣れてきて……」

 

「いやそこ慣れないで!! 少しでもお客さん増やさなきゃでしょ!!」

 

 慌ててあたしは訂正をするように彼女の肩を掴んで揺さぶる。彼女はガクガクと揺れながら苦虫か、梅を噛み潰したような顔を浮かべる。

 

「いやまずは今いるファンの人達の前で最高の演奏が出来るようになることが先なんじゃないかと…………」

 

「正論ぶちかましてきた!?」

 

 などとしょうもないやりとりをしつつ、春樹くんと郁代ちゃんは苦笑いをしてリョウは無表情のまま謎にニヤニヤしていた。

 そんな、いつものやり取り。

 

 だからこそ、次の声はあまりにも唐突だった。

 

「あ、あのッッ!!」

 

 びくっと肩が揺れる。空気が、変わる。

 全員で振り向く。

 そこに居たのは、ぽいずんさんだった。顔を僅かに伏せたまま、こちらを向いている。

 

「…………………まだ居たんだな」

 

 春樹くんが小さく呟く。彼と一緒にあたしはぼっちちゃんの前に半歩だけ出た。

 

「……しっ、春樹くん」

 

 小声で制しながらも、そう言いたくなる気持ちはわかった。なにせ、あたし自身も警戒していたからだ。

 だって、あたし達は、さっきの彼女の目を見てしまったから。

 ぼっちちゃんは、怯えながらも問い返す。

 

「な、なにか御用でしょうか……?」

 

「…………その、まさか。まさかとは思ったんですけど」

 

 ぽいずんさんの顔には、さっきまでの作り笑顔なんてどこにもなかった。

 汗を浮かべて、本当に動揺した人間の顔をしている。

 それを見た瞬間。

 

(───────え?)

 

 あたしの胸の奥で何かがひどく嫌な形で鳴った。

 待って。何、その顔。ちょっと待って。

 

「その歌うようなギタービブラートのかけ方。所々に滲み出る演奏のクセ」

 

 春樹くんの表情が、変わる。

 その言い方は、似ていた。

 そう。それは、あたしが居酒屋でぼっちちゃんに伝えた言葉。

 あるいは、春樹くんが後藤家の前であたしに言った言葉。

 ま、さか。

 どくん、と、見てるこっちまで心臓が変なふうに鳴る。

 嫌な高鳴り。さっきまでのものとは違う、もっと直接的な、危険信号みたいな脈打ち方。

 

「…………………まさか」

 

 春樹くんが、あたしの胸中と同じ言葉を、かすれた声で呟くのが聞き取れた。

 それがあまりにも切迫していて、あたしは一瞬、息を止めた。

 郁代ちゃんもリョウも、まだ分かってない顔をしてる。

 気のせいだと、勘違いだと、まさか、そんな訳がないと、そう思ったから。

 だから、あたしは声が喉で詰まった。詰まってしまった。そこが、判断を分けた。

 でも春樹くんだけは違った。

 この人だけ、もう一歩先の最悪を見てる顔をしている。

 

「絶対そう………!! 間違いない!!」

 

 ぽいずんさんは、嬉々としてぼっちちゃんに詰め寄っていく。まずい、これ、まさか。

 

「ッッ……やめろ────────」

 

 彼が、囁く。その目は、有り得ないほど見開かれたまま、ゾッとした表情のまま。

 

「やめ………!!」

 

 だけど止めようとした声は、もう間に合わない。

 次の瞬間。

 

 

 

 

「─────あなた、ギターヒーローさんですよねっ!?」

 

 

 

 

 呼吸だけじゃ、ない。あたしにとっての世界の音が、その瞬間、ひとつ止まった気がした。

 代わりに。

 ドクン、と心臓が爆ぜる音。ゆっくりと、だけど爆音の様に、全身の血が沸き立つような、そんな感覚。

 

 信じたくなかったその予感が、最悪の形で輪郭を持つ。

 

 止まる思考。その事実を、あたしは受け入れられない。

 嘘だ、とあたしは心の中で呟く。

 

 

 

「────────………………」

 

 

「─────────────え?」

 

 

 

 隣に立つぼっちちゃんの顔から、血の気が一瞬で引いていく。

 彼女の限界まで見開かれたその瞳を見た瞬間、喉の奥に引っかかっていた “針” が、とうとう深く刺さった気がした。

 世界の輪郭が、酷くブレていく。さっきまで鳴っていた歓声も、笑い声も、何もかもが遠い。代わりに、胸の奥で脈打つ音だけがやけにうるさい。

 分かってしまった。

 あの人が、どうしてぼっちちゃんだけを見ていたのか。

 

 この間から、どうしてあたしの中の “針” がずっと抜けなかったのか。

 

 たぶん、全部、ここに繋がっていた。

 そうして、あたしは気付く。

 何事もないみたいに続いていくと思っていた今日が。

 当たり前みたいに「また明日」って言えるはずだった時間が。

 

 音もなく、たった今、壊れたのだと。

 

 

 その残響だけが、静かに、取り返しのつかない形で胸の奥へ沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

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