ぼっち・ざ・ろっく! フラッシュバッカー   作:空山 零句

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なぁ 過去の君よ
今の君と
何もかもが一緒なんて言うなよ

でさ 未来に在る人 君は君の
何を成し遂げたって言うんだろう

ひび割れた大地の厳しさを分け行く命よ
渇きを癒す水源地をひたすら
求めて いざ いざ



うんざりだ うんざりだ



- ASIAN KUNG-FU GENERATION 『宿縁』-










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 地獄、開幕。

 ……すみません、この回、作者である私から見てもなかなか読むのきついかも知れません。

 ぽいずん♡‬やみがいよいよこの回から本格的に登場です。

 原作からギャグを意図的に一切排除し、この物語の構想に沿った結果、とんでもないことになりました。ですがその分、敢えて原作からは大きく変更した部分もあります。

 一番の山場となる場面ですが、ご自身のメンタルと相談の上、お読み頂けると幸いです。

 
 それでは、原作との比較も兼ねて、どうかご覧下さいませ。



 










CHAPTER #57 「それでは、また明日」(前篇)

 

 

─ Side Aiko ─

 

 狭い。低い。近い。

 天井に溜まった熱がそのまま落ちてこないだけで、空気の上澄みには汗と埃と古い機材の匂いが薄く澱む。

 防音壁には剥がれかけたフライヤー。黒く塗られた床には、無数の靴跡とケーブルの擦れた跡。ステージ袖に積まれたアンプは使い込まれすぎた結果、無数の傷が照明の白で反射している。頭上のランプは妙に安っぽいくせに、その割に私を刺すように嫌に明るい。

 

 そうして閉まりかけていく楽屋の扉。

 

 動画を載せてた子から聞き出した、結束バンドとかいう聞いた事もないバンドの取材。

 そしてそこにいるとかいう例のダイブ少女をなんとか特定して、三文記事を書き上げるために突撃してきたってのに、なかなか思い通りになんかいかない。

 道中、その子が居るって噂の高校に侵入したり、怪しまれるの覚悟でなんとか見つけることができたってのに、なんでこんなことで時間を取られてるんだろあたし。

 

 あたしだって、こんな記事書くのに時間なんか掛けたくないってのに。

 

 で。せっかく聞き取りをしようとしたら、そのダイブ少女さんは全然答えてくれないし、サイドテールとアホ毛が目立つ小柄な子に睨まれながらも連れてかれるし。

 ────まあ、これからライブだってんなら仕方ないけど。でも、ちゃちゃっと終わらせるつってんだから聞き取りくらいさせてくれてもいいのにさ。

 

 にしても、周りを見渡す。なんていうか。

 夢を見るには、少し狭すぎる箱だな、なんて思わずあたしは思う。

 

 でも、夢を諦めきれない子たちが最後に流れ着くには、たぶんちょうどいい場所。

 

 そういう場所、あたしは嫌いじゃない。

 嫌いじゃない────けど。

 

 別に、信じてもいない。

 

 だって、こういうハコには、似たような祈りと、似たような挫折が、いくらでも転がってる。ここで鳴った音が、そのまま誰かの未来になるなんてこと、そう何度もあるわけじゃない。

 

 それを知っているから、なお一層見ていて胸糞悪い。

 

 そう。多分あたしはイラついていたのかもしれない。その景色は、見覚えがあるものだからだ。

 その苛立ちを表にだけは出さないよう、あたしはわざとらしく、にこ、っと口角だけ上げて、楽屋へ向かうであろう結束バンド達へわざとらしくひらひらと手を振った。

 

「がんばれ〜♡」

 

「……………──────あーあ」

 

(…………警戒されてる〜)

 

(ごめんねー、でもこっちもこれが仕事なのさ)

 

「────はぁ」

 

 その隙間に吸い込まれていく背中を見送ったところで、作った笑顔をそのまま剥がす。ため息を漏らして、俯く。

 何よ、あの顔。ムカつく。

 まあいいけど。嫌われるのは慣れてる。

 

「…………」

 

 そう。

 べつに、嫌われたっていい。

 最初から好かれに来たわけじゃないし。てかこんな仕事してて好かれる方が珍しい。

 まあ、そりゃそうか。あのギターの子、あからさまに目が泳いでたし、隣の男も途中から露骨に棘出してたし。

 でも、そもそもこっちだって仕事なんだよね。好きでこんなもん書いてない。多少嫌がられるくらいで引いてたら、記事なんか書けないし。

 

 スマホを開く。

 

 メモ欄には、もうそれっぽい単語がいくつか並んでいた。録音もOK。それなりに録れてる。

 下北沢。若手。文化祭。ダイブ。話題先行。

 まあ、これだけ揃えば穴埋めにはなるかな。

 

「────…………」

 

 壁にもたれたまま、画面を指で適当にスクロールする。

 ライブハウス独特の、熱と埃の混じった匂い。アンプの低い唸り。チューニングの雑音。

 全部、今さら珍しくもない。

 懐かしいとも思わない。思いたくない。吐き気がする。

 

「こんばんは〜〜!! 結束バンドです! 皆さん、下北沢盛り上がってますかあ!!」

 

 そうしてとうとう始まったライブ。

 きゃあきゃあと、少ない客が応える。そこに居る客も言ってるけど、そもそも母数が少ないのに盛り上がるも何も無いだろうに。アホくさ。

 

「…………」

 

 この感じ、常連しか来てないってところかな────まあ、特に宣伝をしてる感じもなかったし。他のバンドはどうだか知らないけど、知名度もあんまりない感じか。まぁ興味も無いけど。

 あたしはチラ見をしつつ、適当にスマホを弄る。

 ……まっ、何とか記事は書けそう。

 テキトーに肉付けして、写真一枚添えて、勢いだけある新人女子高生バンド、みたいにしとけばそれっぽいでしょ。

 

 あー。でもある程度はステージ観てないとそのそれっぽいのすら書けないんだよね。

 

 ……ライブまで観てかなきゃいけないの、だる。かえりて〜。

 

 そうしてあたしは仕方なく、目だけステージの方へ上げる。スマホの上側を顎に添えながら、否応なしに目に入る情報を勝手に脳が分析する。不思議なものだ。

 

 人間ってのはどうも “慣れてる” ことに対しては自然と反応してしまうものらしい。正直、それが()()()()()()()()()けど。

 

 ベースは、まあ悪くない。

 音も立ってるし、芯もある。

 ドラムも、下北でよくいる高校生バンドにしちゃまとも。

 でも。

 ボーカルギターのあの子、ひっっっど。見れたもんじゃないんだけど。

 何アレ。バンド舐めてんの? コードの運びも危なっかしいし、歌いながらになると途端に粗が見える。

 ああいうの、いちばんダメ。本人は気持ちよくやってるのかもしれないけど、あんなの聴かされる方はたまったもんじゃない。

 

「………………」

 

 はぁ、と。

 ひとつ、大きな溜め息を着く。

 時間の無駄。帰ろうかな、もう。身体を壁から離して、踵を返す。

 

 だけど、その瞬間だった。

 空気が、鳴った。

 

「─────…………え?」

 

 思わず振り返る。

 

 今の、なに。

 

 ベースでも、ボーカルでもない。

 もっと鋭くて、でもただ尖ってるだけじゃない。

 芯のある、歌うみたいな揺れ方。

 音の語尾に癖みたいに残る、あのビブラート。

 フレーズの運び。

 弦の擦れ方。

 右手の抜き方。

 

 まさか。

 視線の先。ステージの端。

 さっきまでおどおどしてた、あの陰気そうなギターの子。例のダイブ少女か。別人みたいな顔で弾いている。なに、あれ。

 

「──────嘘でしょ?」

 

 喉が勝手に鳴った。

 

 ありえない。

 そんなはず、ない。

 だって、こんなの。

 

 その瞬間。頭の奥で、何かがばちんと弾ける。

 剥いた瞳のまま、あたしは体が硬直した。

 

 暗いスタジオ。

 安い照明。

 誰かの舌打ち。

 積まれたままの機材。

 割れた声。

 笑わなくなった横顔。

 

 

 

 

『──────飛べねぇ鳥もいるんだよ』

 

『お前に、お前なんかに、何が分かんだよ』

 

 

 

 

「…………っ」

 

 息が詰まる。ドクン、と嫌な音を立てて心臓が脈打つ。

 

 嫌な記憶だ。

 思い出したくもない。

 それは、言うなればもうとっくに終わったはずの、腐った青春の残骸。なのに、その音だけが、勝手に蓋をこじ開けてくる。

 

 少ない客席が沸いている。

 歓声が上がる。でもそんなもの、今はどうでもよかった。

 

 あたしの目はもう、あの子の右手と左手の動きから離れない。

 

 間違えるはずがない。

 あんな弾き方。あんな、歌うみたいに感情を引っかける揺らし方。

 知ってる。

 聴いたことがある。

 画面越しに、何度も。何度も。何度も。なんなら、今日だってついこないだアップロードされてる動画を見たばかり。忘れるわけが無い。

 

「…………まさか」

 

 胸の奥が、ぐちゃっと嫌な音を立てる。

 

 なんで。ありえない。

 なんで、こんなところにいるの。

 なんで、こんな下北の、よくあるレベルの低い女子高生バンドなんかの端っこで、そんな音を鳴らしてるの。

 理解より先に、苛立ちが走る。

 

 置いていかれたみたいな気がしたからだ。

 

 あの頃、どうしても掴めなかった何かを、目の前のあの子だけが平然と持ってるみたいで。それが、たまらなく気に食わない。

 

 

 でも同時に、目が離せない。

 

 

 だって、あの音は。

 あの音だけは、見間違えようがなかったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ぼっち・ざ・ろっく!

フラッシュバッカー

 

 

 

 

 

 

 

 

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「─────あなた、ギターヒーローさんですよねっ!?」

 

 

 STARRYの空気が、びしり、と音もなくひび割れた気がした。

 それはまるで、冬の朝の水面みたいに一瞬で張り詰めていて。

 触れたらすぐにでも割れそうなのに、誰もまだ、その最初の一撃を認められないみたいだった。

 

「──────…………え?」

 

 ぼっちちゃんの喉から零れたのは、もはや返事というより、掠れた息みたいな声。

 身の毛がよだつ感覚。全身に鳥肌が立つのに、あたしの左頬に無意識に汗が滲む。

 隣に立つ彼女の顔から、見る見るうちに血の気が引いていくのが、手に取るようにあたしには分かってしまった。

 ついさっきまでファンの人たちと話して、少しだけ緩んでいた頬。

 それがほんの一瞬にしてその色を失った。唇は薄く開いたまま閉じることができなくなっていて、目だけが、恐怖に縫い止められたみたいに見開かれている。

 

 そんな。────ぼっちちゃんが、あんなに、あんなに隠したがっていたものを。リョウ達にもまだ黙っていたい、って言っていたのに。

 

「あたしぃ、貴方の大ファンなんですよぅ!! こんなとこで出会えるなんて!! きゃー!!♡」

 

 場違いなくらい浮ついた声。彼女は黄色い声をあげてそのままぼっちちゃんの両手を包み込むみたいに掴む。

 

「や、やめてください……ち、ちが、わた、しは………!!」

 

 ぼっちちゃんが震える声で両の手を引こうとする。何度も首を振りながら、必死に。

 だけどもう、見るからにそこには力なんて入っていない。

 指先も痙攣しているのに、彼女の足はまるでその場に貼り付いたみたいに動かない。さながら、逃げたいはずなのに、身体だけが現実に置き去りにされてるみたいに。

 

 ──────その目には、涙が滲んでいた。

 

 その表情を見た瞬間、あたしの中で身体の奥から滲む血みどろの様な熱い怒りと、冷たくて、背筋の内側に触れるような強烈な焦りが湧く。

 

 まずい、まずい。なんとか、誤魔化さないと。

 ぼっちちゃんを、守らなきゃ─────。

 

 だけど、その判断は遅かった。

 喉の奥で、その判断があたしの中で言葉になるより先に、事態が急変した。

 

 

「─────やめろっつってんだろテメェッッッ!!」

 

 

 轟音。それはまるで、雷鳴でも目の前で落ちたと思わせる程の爆音。

 STARRYの床板まで、ほんの僅かに震えるほどの、信じられない音だった。あたしの肩も反射みたいに大きく跳ね動く。

 音だけじゃない。空気の圧そのものが変わって、肺の奥の空気まで一瞬で灼かれた気がした。

 その余波だけで、場にいた誰もが反射みたいに身を強張らせて振り向く。

 

 ─────春樹くんの拳が、近くのテーブルに叩きつけられていた。

 

 ガンッ、なんて軽いもんじゃない。激怒に圧迫された様にただただ(ふる)える拳と彼の身体。

 腹の底に鈍く響いてくる、重くて低い、空気ごと揺らすみたいな響きと共に、彼は激しく震えていた。

 

「!? は、春樹くん!?」

 

「ッッ……!?」

 

 思わず叫ぶ。その時、彼は、小さく顔を上げる。その瞬間、あたしは思わずゾッとした。

 

 春樹くんのあんな顔、見たことがなかった。

 今まであたし達やぼっちちゃんに対して見せていた穏やかで優しい彼の面影は、そこには一切ありはしない。

 

 顔色そのものは真っ青なのに、異様なくらい見開かれた瞳の奥だけが、溶岩みたいに焼けている。

 怒りとか苛立ちとか、そんな言葉で収まる感じじゃない。

 もっと剥き出しで、もっと危うくて、今にも本当に何かを壊してしまいそうな顔。あれはもう、さながら逆鱗そのものが人の貌を借りてそこに立っているみたいだった。

 

 今まであたしがずっと見てきた、あの穏やかで、誰よりも人の気持ちに敏感で、怒るより先に自分を引っ込めることを選ぶ春樹くんが、そこにはいないのだ。そこにいるのはただ、踏み抜かれたものの痛みごと、そのまま立ち上がってしまったみたいな、見たこともない誰かだった。

 

 ぞくり、と背骨の芯が冷える。

 

 ああ、だめだ、と思う。

 あの春樹くんが、こんなにも他人に対して牙を向けるということが、どういうことなのか。この人は今、本気で、理性の向こう側に行きかけてる。

 

 やがて、血走るほどの睨みの矛先は、彼女に向けられる。

 真正面からその視線を浴びたぽいずんさんは、一瞬にして青ざめて両手を胸に添えた。

 

「な、何よっ、あんた……!」

 

 でも、次の瞬間にいちばん壊れたのは、やっぱりぼっちちゃんだった。

 

「っ……ひ、ぁ……」

 

 びくっ、と身体ごと大きく痙攣したと思った途端、その目からとうとう涙が溢れた。

 

 堪えようとしていたんだと思う。

 でも無理だった。

 バレてしまったこと。

 春樹くんをここまで怒らせてしまったこと。

 自分のせいで全部が壊れたんじゃないかっていう恐怖。

 そういうものが一気に喉元まで押し寄せて、もう、彼女の中のどこにも受け止めきれる場所が残っていなかったのだろう。

 見ているだけで分かってしまう。ぼっちちゃんはもう、今、立ってるだけで精一杯だ。

 

「…………てめぇ、さっきから人の気も知らずにズカズカズカと! 面白がって話題ってだけでひとりの深掘りされたくねぇ事取材しに来てんじゃねぇぞ、舐めてんのかお前!!」

 

 春樹くんが、ぼっちちゃんを庇うみたいに前へ出る。

 そのまま勢いのまま、ぽいずんさんの肩を掴んで引き寄せた。

 

「っ、いっ…………たッッ!! ッッな、何すんのよッッ!? いきなりキレてきて、なんなのアンタ!?」

 

「なんなのじゃねぇよてめぇッッ!! さっきからコイツらのジャマ立てばっかしやがってッッ!!」

 

 空気が一気に変わる。

 ほんの数秒前まで、ライブ終わりの余韻と雑談で少し緩んでいた店の空気が、まるで別の空間みたいに一瞬にして張り詰めていく。

 ざわり、と周りにいたお客さんたちが息を呑む気配。

 

「お、おいおい、あれやばいぞ」

 

「だ、誰か止めないと!」

 

 誰も軽口を挟まない。ただただ(おのの)きと動揺だけがその場に満ちていく。状況は刻一刻として最悪の方向へ向かう。

 なのに、恐ろしいほどあたしの心臓はゆっくりと脈打っていて、指先ひとつ動いてくれない。どうしよう。どうしよう、どうすれば。

 お姉ちゃんを呼ぶ? でもその前に、春樹くんを止める? このままじゃ、このままじゃ彼、あの人に殴りかかってしまうんじゃ。

 蛍光灯の白さだけがやけに冷たくて、床に落ちた影の輪郭まで妙にはっきり見える。ほんの一秒ですらありえないほど長くて、思考がまとまらない。

 

「は、春樹く、やめて、やめてくださ……!!」

 

 泣きながら、ぼっちちゃんが春樹くんを止めようとする。

 でも、その声は届かない。

 届いていたとしても、今の春樹くんはもう、自分で自分を止められるところを越えかけていた。

 

「おいおいおい何事だァ!?」

 

 あたしが呼びに行くよりも早く、事務室の方から、お姉ちゃんとPAさんが慌てて飛び出してきた。

 

「……っ、うわ、さっきの子じゃないですか。どうしたんですか、春樹さん!!」

 

 PAさんまで珍しく露骨に引いていた。

 でもそれでも、心配そうに駆け寄ってくるところがこの人らしい。……なんて、そんなことを思う余裕はこっちにももう殆ど残ってない。

 春樹くんの肩と腕には、明らかに力が入りすぎていた。男子高校生の腕力で手加減無しに掴み掛かられた彼女の表情は強く痛みに歪む。「ッッい……痛いってば!!」と彼女は叫ぶ。

 肩を掴む指先が、怒りで白くなるくらい強張ってるのが、少し離れた場所から見ていても分かってしまう。

 

「………虹夏、虹夏ッ! 止めないとやばい事になるよこれ……!!」

 

「ッ!!」

 

 リョウの低い声が、ようやく現実を引き戻した。ここまで、ほんのわずか数秒。

 そうだ。

 まずい。何してるんだ、あたし。呆然としてる場合じゃない。

 本当に、取り返しがつかなくなる。そうして走り出し、彼の肩を勢いよく掴んで引き戻そうとする。

 ここまで、春樹くんが彼女の肩を掴みかかってからほんの数秒。ダメ、ダメだよ春樹くん、お願い、やめて。

 

「……春樹くん!! ダメ!! お願い落ち着いて!! 警察沙汰になっちゃうから!!」

 

「グッッ、離せ虹夏ッッ!! こいつだけは!!」

 

「ダメですっ春樹くん、落ち着いて!! お願いだからおちついてくださいッ!!」

 

「離してくれ郁代!!」

 

 それに気付いてくれた郁代ちゃんも叫びながら二人して一緒に慌てて止めに入る。

 でも、春樹くんの身体は岩みたいに固かった。

 まるで、怒りだけで骨と肉が組み上がってるみたいに、触れた腕の感触まで張りつめている。あまりにも強すぎる憤りと憎しみが、彼を全身に至るまで痙攣させているのが分かった。

 

「…………ッッ、何がッッ!! 何が話そうとしただけだよ、結束バンドをネタにして、面白がろうとしてただけだろうがてめぇはァアッッ!!」

 

「何も知らないくせに!! コイツらがどんな思いでバンドをやってるのかも、何を抱えて音楽をやろうとしてるのかも、この場所がどれだけの場所なのかも知りもしない癖に、分かったようなこと言ってんじゃねぇよ!!」

 

「ッッ……!」

 

 それを聞いてあたしは思わず、喉の奥が引き()る。この人が、こんなにも怒ってるのは、あたし達の、ぼっちちゃんの、皆の為なんだと分かってしまう。それが何より、余計に辛くて、彼を止めようとする腕がより力む。

 怒鳴り声がステージの防音壁にぶつかって、あたしの肌の奥にまでびりびりと跳ね返る感覚がする。その瞬間、後ろから現れたお姉ちゃんもまた、勢い良く春樹くんの身体を掴んだ。

 

「何やってんだお前はッ!? 落ちつけ春樹!!」

 

「ぐっあっ、っ……店長!?」

 

 ぐっと無理やり引き剥がされて、ようやく春樹くんの身体がぽいずんさんから離れる。

 

「離してくださいっっ、アイツだけは、あいつだけはァ!!」

 

「行かせるか、落ち着けこのバカ!!」

 

 お姉ちゃんは焦りに満ちた顔で全力で彼を止めながら叫ぶ。

 でも、春樹くんの目は全然離れていなかった。真横から見ただけでも分かる。焼き切れる寸前みたいな、殺気に近い熱を宿したまま、真正面からぽいずんさんを睨みつけたままだ。

 焦りを浮かべていたぽいずんさんは春樹くんの憤怒の眼差しを受け、同じ様に彼を睨み返す。

 そこから視線を僅かに伏せ、僅かな間を置いた後、飄々(ひょうひょう)とした様子で乱れた服を整え直す。

 

「………なんなんですかこの人」

 

 やがて小さく息をつき、そして、鼻で笑うみたいに口元を歪めていく。強い軽蔑と侮蔑(ぶべつ)が伴った視線は、春樹くんだけに向いたものじゃない。─────あたし達全員に向けられた目つきそのもの。

 そして、彼女はそのままとんでもない一言を放つ。

 

「何なんです、このバンド」

 

「こんな暴力男がメンバーにいるなんて、最悪のバンドですね。ありえないんですけど。終わってますね。このライブハウス」

 

「──────────────…………」

 

 その一言で、空気が今度こそ完全に凍りつく。

 続いて訪れたのはぴん、と張ったままの割れもしない筈の氷の膜に、強烈な一撃が響いた様な、そんな感覚。店の中の全部が一瞬で冷える。

 ついさっきまで誰かの体温や、ライブ終わりの熱で満ちていたはずの空間が、そんな彼女の言葉ひとつで見知らぬ場所みたいに冷え切っていく。

 

「…………………………は?」

 

 春樹くんの声が、恐ろしい程、憎悪の音を伴って響く。

 

「………………あ゛? いまなんつったお前」

 

 同時に、そう呟いたお姉ちゃんの声色までも変わる。

 PAさんも。

 リョウも。

 郁代ちゃんも。

 たぶんあたしも、同じ顔をしていたと思う。

 

 なのに、あの女の人だけはそれをまるで分かっていない。

 今、この場でどれだけの人がこの人の言葉で傷つけられたか。

 人の気持ちを、どれだけ踏み(にじ)ったのか。この場がどれだけ壊れて、自分が何を踏み抜いたかも、何も分かってない。

 

 いや、違う。あたしは確信する。

 分かってないんじゃなくて、たぶん、この人の中ではそんなこと全部どうでもいいんだ。この期に及んで、この人は自分が間違ってるだなんて一ミリも思ってないんだ。

 だからこんなことが平気で言える。

 そういうもの全部より先に、“自分は正しい” が来る。そういう人間なんだ、この人は。

 

 その時だった。

 

 ぼっちちゃんが、また一歩、後ろへよろける。

 

 でも逃げられない。

 足が竦んで、床に縫い付けられたみたいに動けない。

 見開かれたままの瞳から、ただ大粒の涙だけがぽろぽろ零れていく。

 ────ぽいずんさんは、まるでこっちの空気なんて一切読んでいないみたいに、ふい、と春樹くんたちから視線を外す。

 

 いや。違う。

 読んでないんじゃない。アレは読んだ上で、なお、どうでもいいみたいに振舞っているんだ。

 

 そんなことを思った刹那、彼女は何の躊躇(ためら)いもなく、まっすぐぼっちちゃんの方へ歩いていく。

 

「大丈夫ですか? ごめんなさいあたしのせいで。……こんなバンドでギターやってるってことは、無理矢理やらされてたりとかなんですよね?」

 

「……あたし、うちの編集長にかけあって業界の人に紹介してもらえるよう伝えます!! 良い人がいるって!」

 

「────────……………え?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ぞわ、と全身の産毛が逆立った。

 ぼっちちゃんも目を見開ききったままビクン、と肩を大きく揺らす。あの女の人以外の、この場にいる全員の空気が音を立てて硬直したのが分かった。

 

 

(……………今なんて、言った? あの人)

 

 

 何を言ってるんだ、あの女は。

 ふざけてるのか。

 目の前でこれだけの騒ぎを起こしておいて。

 未だかつて一度たりとも他人に対して怒ったことの無い春樹くんをあそこまで激怒させて。ぼっちちゃんをこんな顔にしておいて。これでまさか─────あの女は、自分が “救う側” にでも立ってるつもりなのか。

 

 脳裏に追憶が、()ぎる。

 あの日、一緒にSTARRYを立ち上げて、お母さんへの想いを吐露したお姉ちゃんの微笑む横顔が。

 居酒屋前で、あたしに一生懸命、バンドへの想いをあたしに伝えてくれたぼっちちゃんの表情が。

 あたしは、ギシッ、と強く歯軋りをする。これ以上ないほど、強く睨む。

 

「ッッ…………この………!!」

 

 ──────信じられない。

 

 許さない。

 あたしの居場所を。家族を。大事な友達を、これだけ傷つけておいて。あたし達のことを、何も知らないくせに────。

 

「……な、何を言って……」

 

 あたしの中で黒い感情が芽生えているその時、立ち尽くしたままのぼっちちゃんが怯えきった顔で、必死に首を横に振る。彼女の足は、一向に動かない。

 あたしには分かった。

 アレは、逃げたいのに逃げられない。迫ってくる相手から距離を取りたいはずなのに、恐怖で身体そのものが凍りついてしまっている。

 それを見た春樹くんが、喉の奥から、獣みたいな呻き声が漏れた。あたしと同じ、軋む様な不協和音が彼の口元から強く響く。

 

「………………っ、ぐ、がっ……………てめぇえええぇ……!!」

 

「ッッ、だめ、ダメダメダメダメ、落ち着いて、落ち着いて、春樹くん、お願い………!!」

 

 まずい。ダメ。このままじゃ───本当に、彼女になにするか分からない──!!

 そう思ったのと同時に、あたしは反射で腕を伸ばしていた。お姉ちゃんもPAさんも、ほとんど同じタイミングだったと思う。

 三人がかりでやっと、今にも飛びかかりそうな春樹くんの身体を地面へ押さえ込む。

 それでも、物凄い抵抗。痙攣はまるで治まらない。あたしは全力で彼を抑えることしか出来ない。

 

「…………け、結束バンドの、皆は、どう、なるんですか、その、ばあい……」

 

 震える声。

 

 でも、それでもぼっちちゃんは訊いた。真っ先に、結束バンドのことを思いやるように。

 その問いに対して返ってきた答えは、あまりにもあっさりしていた。

 

「…………えっ? 何の話ですか? あたしが言ってるのはギターヒーローさん『だけ』」

 

 ぞっとするくらい平坦な声だった。

 

「…………このバンド、高校生にしたらレベルはまあまあ高いかもですけどぉ」

 

 その作ったような声と共に訪れた一拍の静寂。

 そこで、彼女はクスッ、とまるで悪意など欠片も無いかのように微笑んだ。

 

「……でも所詮、よく居る低レベルな下北のバンドって感じですし」

 

「………………低、レベ………?」

 

 視覚がまともに機能しなくなりそうなほど見開かれた瞳。目蓋が強く痙攣して、それが怒りによるものだと気付くのにそう時間はかからない。

 空気が、また一段冷える。

 喉がひりつく。胸の奥で、何かがぎしぎしと軋む音がする。それでもなお、この女は止まらない。

 

「────っていうか」

 

 その声は妙に冷たくて、やけにはっきり響く。────トドメを刺すように。

 

 

 

「 “ガチ” じゃないですよね。こんなバンド」

 

 

 

「────────────────………………………」

 

 頭の中が、一瞬で真っ白になった。

 

 それは刃物みたいな言葉じゃなかった。

 むしろ、もっとたちが悪い。

 今まで信じてきたものの輪郭を、ゆっくり上から塗り潰していくみたいな否定。

 

 直接、自分のことを言われたわけじゃない。

 

 でも、血が逆流するみたいな怒りと、胸を真横から殴られたような衝撃が、同時に来た。

 

 あたしたちの、あたしの、思いが、ガチじゃ、ない?

 本気じゃない?

 

 ぼっちちゃんも、あたしも、皆、完全に固まっていた。

 

 目を見開いたまま、息の仕方すら分からなくなったみたいに。

 それはまるで、今まで皆で積み重ねてきたものの上から、黒い塗料を乱暴にぶちまけられたみたいだった。

 目蓋の裏に、今まで皆で積み重ねてきた想いの全てが(よみがえ)っては、黒く塗りたくられていくように。お姉ちゃんの願いも、皆がバンドに託してる想いも、あたしの、──────お母さんへの祈りも。

 

 笑ったことも、泣いたことも、必死で皆で努力して音を合わせたことも、全部まとめて「違う」と言われたみたいに。

 それら全てを否定されたような、そんな気になった、その次の瞬間。

 

「──────〜〜〜〜〜〜〜〜〜っぐ、………ッッッッ」

 

 その一方で、春樹くんの中では、何かが完全に切れたように、一気に呻く。

 

「ッッッッてめぇえええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!」

 

 叫び声というより、ほとんど絶叫だった。

 

 その場の空気ごと引き裂くような、死ぬ気の怒声。

 

「チッ、春樹落ち着け!!」

 

 お姉ちゃんが躊躇なく、肘で容赦なくがつん、と春樹くんの頭を殴る。「ぐっ、がっ!! ッッ………ンンンンッッ!!」

 それでも、彼は止まらない。痙攣したまま、両手に物凄い力を込めている。そのまままた飛びかかろうとする身体を、今度こそあたしとお姉ちゃんとPAさんで必死に押さえ込む。

 

「……………おい。お前さ、そろそろ黙れよ。………さっきからずいぶんうちのバンドに舐めたことしてくれてんな、あ゛ぁ、おい?」

 

 お姉ちゃんの声色まで、完全に変わっていた。

 

 いつもの店長としての落ち着いた低音じゃない。

 本気で切れた時の、氷みたいに冷たい声。

 春樹くんを押さえながら、それでも真正面からぽいずんさんを睨みつけている。

 それに対して、ぽいずんさんは冷たく言い返す。

 

「………何の話ですか? いきなり飛びかかられたの、むしろ私の方で、こちらとしては被害者なんですけど」

 

 その言い草に、奥歯が軋む。

 

「手は出してねぇだろ、被害者ぶってんじゃねぇよ。私に無許可でうちのバンドに勝手に取材とかしてたんだよな、アンタ。そうなんだろ」

 

「……はい」

 

 お姉ちゃんに問われて、PAさんが汗を垂らしながらも頷く。

 PAさんは騒ぎの間、フォローをしてくれるかのようにSTARRYからお客さんを人払いしてくれていた。当然だ。こんな状況で営業なんか出来ない。今日はあたし達だけの演奏でまだ良かったかもしれない。

 他にも人気のあるバンドがいる時にこんな騒ぎになんてなったら、本当にそれこそ取り返しのつかない事態になっていた可能性もあった。皮肉な話だけど、あたし達がまだ全然固定ファンの少ないバンドで、お客さんも少人数の人だけだったからこれで済んでるだけだ。

 

「……まだ今日は客もそんなに居なかったからマシだ。だけど、普通ならこんなもんじゃ済まない。……この状況を見てまだ分かんないか? 普通に営業妨害されてんのこっちなんだが?」

 

「偽計業務妨害ってやつな。なんならこれに名誉毀損も加えていい。今の状況、録音機器置いてるもんでさ、録音できてんのよ。今のも」

 

 その言葉に、店の空気がまた違う意味で張り詰めた。

 お姉ちゃんは本気だった。

 怒鳴るんじゃなくて、冷たく、逃げ道を塞ぐみたいに容赦なく言葉を置いていく。それが余計に怖い。春樹くんと同様に、この人も本気で怒っている。十七年生きてきて、お姉ちゃんがこんなに怒っているのも初めて見た。

 彼女はより声を低く、威圧する様につぶやく。

 

「一応……ウチはプロも輩出しようとそれなりに努力してるハコなんでな。こんなんで騒ぎになって客減らされたら敵わないんだわ。お前みたいなのは徹底的に潰させてもらう」

 

 なのに、ぽいずんさんは鼻で笑うみたいに溜め息をついた。はっ、と彼女は嘲笑う。

 

「……へぇ、プロ? こんなんでですか? 客も常連だけ。宣伝も大して無し。……実績どのくらいあるんです? これでまさかプロを育成してるだとかふざけたこと言いませんよね?」

 

 そこまで言われて、聞いてるあたしまでも頭がくらっとした。お姉ちゃんの顔が、ほんの僅かに引き攣る。

 その彼女に押さえ付けられている春樹くんが喉の奥で低く、殺意みたいな声を漏らす。

 

「………………ッッ、ってめぇ、殺されてぇのか……!!」

 

 彼のその呻きを聞きつつも、お姉ちゃんもまた「ハッ」と乾いた笑いを零す。

 

「……てめぇみたいなアクの強いライターは100%アンチがいるよな。ネットで調べたらもうおまえの本名も連絡先も特定出来てんだけど」

 

 その瞬間だけ、ぽいずんさんの表情が初めてはっきり崩れた。

 

「なっ……!? 何よそれ、個人情報を何だと思っ……!!」

 

「うっせぇよカス、人煽っといて自分が危険な目に遭えばそれか。絵に描いたような自己中だな。………大したことねぇ批評サイトでクソ記事量産してるだけのゴミがぴーぴー騒ぐなよ。お前の普段の行いを恨め」

 

 信じられない程の罵詈雑言。未だかつて見たことがないくらい、お姉ちゃんがブチ切れていた。

 

「………このご時世、名前さえ分かれば実家の連絡先も分かりますしぃ、なんなら警察にこの証拠ごとウチが営業妨害されたーって言ってもいいんですよ☆」

 

 PAさんまでも、にこにこしながら、全然笑えない内容で追撃を重ねていく。

 

「……………………」

 

 それはもう、修羅場としか言いようがなかった。

 あたし達はお互いに睨み合う。それはさながら冷戦の境界線のような、冷え込んだ空気。一歩でもそれを越えれば、互いに取り返しのつかない程の、均衡状態だった。

 

「…………………分かったわよ」

 

 数秒程の間をもって両者共に見据えたあと、ぽいずんさんが小さく舌打ちをした。

 

「………じゃあ、ギターヒーローさん。あなたはもうプロとして通用するので、()()()()()()()()()()じゃなくてちゃんとしたバンドに入った方がいいですよ! いい話ないか探しときますね!」

 

「っ、おまえ、いい加減にッッッッ」

 

「すんのはお前だアホ!!」

 

 お姉ちゃんが起き上がろうとした春樹くんの後頭部をぐっと押さえつける。

 

「もう店閉めるからとっとと失せろ。今度こいつらに近付いたらマジで次はねぇからな」

 

 その警告に、ぽいずんさんは一瞬だけ黙った。

 かと思えば。

 

「…………いやぁー()()()()()()のつもりが大当たりですね、ギターヒーローさん。今度単独記事お願いしますね!」

 

 またあの、きゃぴ、とした作り笑顔。長い前髪で表情が全く見えなくなってしまったぼっちちゃんの方に向けられていた。

 あたし達の方には見向きもしない。まるで、あたし達には構ってられない、時間の無駄とでも言うように。

 文字通り、売り言葉に買い言葉。あたしも思わず飛びかかりたくなるほどの衝動を堪え、必死に拳を握って歯軋りをする。

 

 その次の瞬間────彼女の顔からすっと表情が落ち、真顔でとんでもないことを呟いた。

 

 

「…………こんなところでウダウダやってると、あなたの才能、腐っちゃいますよ」

 

 

 その一言を最後に。

 

 

「おまえ、いますぐ殺されてねぇのかッ、もう喋んなクソ女ぁああぁぁぁああああああッッッッ!!」

 

 

 春樹くんが、血の滲んだ口元のまま叫ぶ。

 

 その絶叫と、ほとんど同時だった。

 乾いた音が鳴る。

 

 ぱしん、と。

 

 その場の誰もが、息を止めた。

 ぽいずんさんの頬が横へ弾かれる。

 乾いた音が鳴った、その瞬間だけ、店の中の時間がひっくり返った気がした。

 その音は、これまでずっと、怒鳴り声と憎しみの側へ傾いてこの場を支配していた空気の芯を、その一撃が真正面から砕いたみたいな音。

 

 それをやったのは───────

 

 お姉ちゃんでもない。

 PAさんでもない。

 あたしでもない。

 

 誰がやったのかなんて、見るまでもなかった。

 

「…………………………え?」

 

 ぽいずんさんが、頬を押さえることすらできないまま、呆然と目を見開く。

 

 

 その目の前に立っていたのは、ぼっちちゃんだった。

 

 

 泣いていた。

 目にはまだ涙が溜まっていた。

 肩だって震えていた。

 

 それでも、横から見える瞳だけは、今まで見たことがないくらい強い光を宿していた。

 

「いい加減にして下さい」

 

 低い声だった。これもまた、未だかつて無いほど、本気であの子も怒ってることが明白な程に、低い声。

 あまりにも静かで、あまりにも真っ直ぐで。だからこそ、その怒りの本気度が余計に伝わってくる声色だった。

 

「これ以上、結束バンドや春樹くん、私の大切な人を侮辱するのは、本気で許さないです」

 

 その場の空気が、また変わる。

 

 今度は、誰かが怒鳴って変わったんじゃない。

 ぼっちちゃんのその一言で、空気の芯そのものがすっと入れ替わったみたいだった。

 ぽいずんさんは、ようやく我に返ったみたいに眉を寄せる。

 

「……あたしはあの子達のために事実を言っただけですよ。挙句の果てに、殴られかけましたし」

 

「………確かに、あっ、あなたから見たら私たちはまだ未熟者ばかりなのかもしれません!!」

 

 ぼっちちゃんの目から、またぽろぽろと涙が零れる。

 でも、引かない。

 歯を食いしばって、張り手をした震える手を握り締めながら、それでも真正面からぽいずんさんを見つめる。

 

「でも………あなたにそんなこと言われる筋合いなんかぜったいにありません……!!」

 

 店の中が、しん、と静まり返る。

 誰も口を挟まない。

 誰も動かない。

 

「……………本当のこと言ってあげるのも、やさしさですよ。この世界は、バンドの世界だって、現実は無慈悲なんですから」

 

 彼女は色のない虚無に満ちたような瞳で、ぼっちちゃんを見つめ返す。

 暗いトーンで返すぽいずんさんに、ぼっちちゃんは首を横に振った。

 

「だからなんですか。そんなものは、やさしさなんかじゃないです。押し付けです」

 

 その返答は、思っていたよりもずっとはっきりしていた。

 

「本当にやさしいのは、あの人達のことなんです。それを、傷つけるようなあなたにそれを言う資格なんかない」

 

「………」

 

「………確かに現実は、厳しいかもしれません。でも、私たちは諦めません。絶対に。ましてや、こんな形でバンドの人達を傷つけるあなたなんかにそれを言われたくないです」

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が熱くなった。

 

 泣きそうなくらい、悔しくて。

 嬉しくて。

 あのぼっちちゃんが。いつも、ビクビクと怯えていて、すぐ動揺したら崩れちゃう、不器用なあの子が。

 ──────自分の言葉で、自分の意志で、ここまでちゃんと怒っている。あたし達のために、本気で。それが、どうしようもなく胸に刺さる。

 

「あなたの力なんて絶対に借りる気は無いです。もう、二度と顔を見せないで下さい。次、春樹くん達を傷つけるなら、警察を呼びます。……容赦しません」

 

 ぽいずんさんの目から、ようやく余裕が消えた。

 それでも、最後までこの人はこの人だった。

 

「………………分かりました」

 

「でもそれなら、今日のことは頭の片隅にでも入れておいてください。いいですか、ギターヒーローさん」

 

「この世界はそんなに甘くない。引き抜きなんて当たり前。馴れ合いだけでバンドをしてその実力も才能も腐らせるなら、アナタはそれまでですよ」

 

「────失礼します」

 

 吐き捨てるようにそう言って、彼女はぼっちちゃんの真横を横切る。そうしてSTARRYの扉を閉めて出ていった。

 ばたん、と鈍い音が響く。

 その音が、妙に大きく、妙に遠く聞こえた。

 そして。

 

「………………〜〜っっ、ぐ、っ、うっ………」

 

 糸が切れたみたいに、ぼっちちゃんがその場に崩れ落ちた。

 

「ひとりちゃん!!」

 

 堪らず、弾かれたように喜多ちゃんが真っ先に駆け寄って抱きとめた。

 リョウもまた、何も言わないまましゃがみ込んで、ぼっちちゃんの髪をそっと撫でる。

 

「……っ、ごめん、なさい。ごめ………なさ………私、の、せいで………」

 

 止めどなく涙が零れて、床に落ちては小さく弾けていく。

 その言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと痛んだ。

 

「そんなことない!!」

 

 気づけば、あたしも春樹くんのところから離れて、ぼっちちゃんのもとへ駆け寄っていた。

 

「………それだけは、絶対に違う、ぼっちちゃんは悪くない…………!!」

 

「ぼっちちゃんは絶対に間違ってない!! ……あたし達の為に、怒ってくれて……無理させて、ごめんね、ごめん……!!」

 

 震える声のまま叫んで、そのまま抱きしめる。

 細い肩だった。

 抱きしめた途端、その身体がびくりと震えて、それから子どもみたいにぼろぼろ泣き出した。

 

「っ、う、うぅ…………っ、う、ぁ、っ、うぁああああ……!! ごっ、ごめんなさい……ッッ!!」

 

 だめだ。

 もう、胸が痛すぎる。

 なんでこの子がこんなふうに謝らなきゃいけないんだろう。

 なんで傷つけられた側が、こんなふうに自分を責めなきゃいけないんだろう。

 そう思ったところで。

 

「…………………………………くっそ、クソがァ………………」

 

 床の方から、低く掠れた声が漏れる。

 見れば、春樹くんが倒れ伏したまま、拳をこれでもかってくらい強く握り締めていた。

 

 

 

 

 

 

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