痛みや傷や嘘に慣れた 僕の独り言
疲れた 夜と並び吹く風 君の頬へ
触れた 触れた (ヨルハナガレル)
触れた (ナイテハイナイ ナイテハイナイ)
触れた 触れた (ヨルハナガレル)
君が
(ナイテイタ ナイテイタカラ)
振り返った季節に立って
思い出せなくて嫌になって
流れ流れてた鳥だって
街で鳴いてたろ 鳴いてたろ
過ぎ去った季節を待って
思い出せなくて嫌になって
離ればなれから飛び立って
鳥も鳴いてたろ 鳴いてたろ
いつだって 僕らを待ってる
疲れた痛みや傷だって
変わらないままの夜だって
歌い続けるよ 続けるよ
いつだって 僕らを待ってる
まだ見えないままただ待ってる
だらしなくて弱い僕だって
歌い続けるよ 続けるよ
-サカナクション『ミュージック』-
※
十一月十四日、月曜日。
STARRYに着くと、春樹はすでにいた。
いつもより少しだけ目の下に影がある。
それなのに、妙に顔つきだけはしゃっきりしている。
「……」
こういう人間が一番危ない。
寝ていないのに、寝ている人間より動けてしまうタイプ。
あとで倒れるやつ。春樹が気づいてこちらに目を向ける。
「おはよ、リョウ」
「おはよ。……寝た?」
「寝た」
「何時間?」
「三十分くらい」
「それは寝たとは言わない」
私はそう言って、春樹の横に置かれたものを見た。
四冊のノート。
ピンク。赤。黄色。青。
それぞれ表紙に、丁寧な字で名前が書かれている。
後藤ひとり。
喜多郁代。
伊地知虹夏。
山田リョウ。
自分の名前を見た瞬間、少しだけ眉が勝手に動いた。
「……何これ。こわ」
「開口一番それかよ」
「重い」
「まだ開いてもないだろ!」
春樹が少しだけ顔を赤くする。
後から来た虹夏と郁代がテーブルの上に並んだノートを見て目を丸くした。
「おはようございまー………えっ……なにこれ、春樹くん」
「……も、もしかして、私たちの名前……?」
「は、春樹くん……これ、まさか……」
加えてぼっちが青ざめた顔でノートと春樹を交互に見ている。たぶん、闇のデスノート的なものを想像している。
「違う違う。別に呪いのノートじゃねぇよ!?」
「の、呪いだなんてまだ言ってませんよっ!?」
「まだ!?」
それに対して「顔に書いてある」と思わず私が呟く。
「あっ顔面個人情報漏洩罪……」
「どんな罪だよ」
コントをやるぼっちと白目になる春樹。顔面だけで個人情報が漏れるなら、この世はとんだディストピアだ。
春樹は小さく咳払いをした。
少しだけ照れ隠しみたいに、ノートを指で叩く。
「えっと、こないだの休み使って、書いた。PAさんと店長に頼んで貰っておいたお前らの撮影動画を研究し尽くして書いたヤツなんだ。良かったら、読んでみて」
「研究し尽くして」
まだ驚きが止まないのか、何度か瞬きをしたまま虹夏が復唱する。
「春樹くん、それ言い方ちょっと怖いよ」
「えっ、怖い?」
「うん。怖い」
「えぇ……えっちょ、怖……うそだろ……」
珍しい。春樹がボケて滑ってる。またも白目になって虹夏に肩を揺らす。ガーンと口を開ける様子が面白い。郁代が苦笑しながらも、感心した様子で目を輝かせる。
「で、でも、すごいです。こんなに一人一人に……!」
「すごいけど重い」
「リョウはさっきからそれしか言わねぇな!?」
「事実」
「やかましいわ!!」
春樹が私にツッコむ。
少しだけ空気が緩んだ。
でも、ノートの中身を見た瞬間、その緩みはすぐに別のものへ変わった。
「こ、これ……!」
ぼっちが、自分の名前が書かれたピンクのノートを開いて目を見開く。
そこには、びっしりと文字が並んでいた。
客観的に見た長所。
短所。
伸ばすべき技術面。
具体的な練習メニュー。
過去ライブのタイムスタンプ。
改善点。
参考になる動画や音源。
私は自分の青いノートを少しだけ開いて、すぐ閉じた。
「──────────……………………」
今、読もうとはならなかった。
いや。読めなかった。
それは、珍しい感情だった。それが何なのか理解する前に、春樹が続ける。
「客観的に見た長所、短所、そしてそれを踏まえた伸ばすべき技術面、それに合わせた具体的な推奨練習も全て各々に向けて書いといた」
春樹は少しだけ真面目な顔になる。
「これおかしいんじゃ? とか思ったり、気になることあったら遠慮なく言ってくれ。説明するし、場合によっては一緒に考えるから」
「は、春樹くん、このノート、相当な量の内容が書かれてますけど……どれだけ時間掛けたの?」
郁代が赤いノートを開きながら、おそるおそる聞く。
「まあ、大体一週間かそこら。……時間なかったからリョウのとかは寝ず食わずで二日徹夜した」
「え!?」
ぼっちが一番大きく反応した。
「そ、そんな無茶してまで……!」
「いいんだ」
春樹は、ぼっちに向かって優しく微笑む。
その顔は本当に優しい。
でも、少しだけ危ないと思った。
優しさで自分を殴っている人間の顔だ。この男は、こういう所がある。
「いずれ必ずプロを目指すんだったら必要になると思ったから書いただけだし」
「いや、書いただけって量じゃないよこれ」
虹夏が半笑いでノートを
「もはや攻略本じゃん」
「結束バンド育成RTA」
「やめろリョウ。急にゲームにするな」
私の補足に、春樹が呆れたように言う。
でも、春樹はそこで少しだけ救われたような顔を見せる。
なんていうか。
やっぱり、真面目すぎる。
私たちの中では、一番まともそうに見えて、たぶんこの男が一番重い。そんなことを思う。
「……まず、ひとり」
「ひゃいっ!?」
ぼっちの背筋が真っ直ぐになった。
「な、ななななんでしょうか……! やっぱり私、ライブ中の挙動がキモすぎて審査員の目に毒とか、そういう……」
「違う」
春樹は目を細めて即答した。
「君のギターは、現時点でもこのバンドの中で一番強い」
「…………へ」
ぼっちが固まる。
私は横目で、その顔を見る。
褒められ慣れていない人間は、褒められた瞬間にバグる。
この子はよくバグる。そこが面白いけど。
虹夏と郁代は、面白がるどころか春樹の言葉に身を固くする。
「技術だけなら、本当にかなり高い。特にリードギターとしての瞬間的な爆発力、フレーズの組み立て方、音の表情。あれは間違いなく武器だ」
「そ、そんな……あっ……い、いえ……うへ……うへへ……」
「ただ」
春樹の声が少しだけ低くなる。その瞬間、ぼっちの顔から、うへへが消える。
「だからこそ、今のままだと “ギターヒーローだけが目立つバンド” に見える可能性がある」
「…………っ!」
ぼっちが息を呑んだ。
虹夏も、郁代も、少しだけ表情を変える。
私は一瞬、思わず目を逸らす。痛いところだ。
それはいっそ、昨日、あのライターが突きつけた言葉と、ほとんど同じ場所にある。
「勘違いしないでくれ。君が抑える必要はない。むしろ逆だ」
春樹は、ぼっちをまっすぐ見つめる。
「君の音は、結束バンドに必要だ。絶対に必要だ。だからこそ、その音を “ひとりだけの音” じゃなくて、“結束バンド全員の音” にしなきゃいけない」
「…………」
「君がすごいことを証明するんじゃない。結束バンドがすごいことを証明する。その中心に君がいる。それが理想だと思う」
ぼっちは、ノートを握りしめたまま、小さく頷く。
「……はい」
声は小さい。
でも、逃げてはいない。いつもならプレッシャーで床に溶けていたぼっちは、真剣な顔をしていた。最近、ぼっちはこういう顔をよくするようになった。多分、この男の影響なんだろう。
ひとりの表情を見て、春樹は少しだけ微笑む。
「大丈夫。君ならできるよ」
「…………っ、が、頑張ります」
ぼっちは、ノートに視線を落とす。
その指先が少し震えていた。
私はそれを見て、少しだけ息を吐く。重い、だなんて内心考える。
君ならできる。
便利な言葉だ。
言われた方は、できるようにならなきゃいけなくなる。さながら、それは “呪い” そのもののように。
「次、郁代」
「う、うん。何かしら、春樹くん」
郁代が少し緊張した顔で背筋を伸ばす。
「君の場合、五月からひとりにギターを教えてもらったって割に、とんでもない速度で文化祭まで仕上げたんだったよな」
「あ、あはは……そ、それはひとりちゃんやリョウ先輩のおかげだし……」
「ボーカルの実力も元々高いってのは、他のクラスのやつからも聞いてるし、何回も見てるから俺もそこには同意する」
それを言われて、郁代は少しだけ頬を赤くした。
「ただ、郁代の場合……ノートにも書いたけど、そこが実は一番の課題だと思う」
「ぐ、具体的には……?」
「上手い。声も良い。ステージで目を引く華もある。だけど」
「────正直言うと、今はまだ、歌が綺麗なところで止まってる」
「っ……」
郁代の目が揺れた。鋭いな、と春樹に目を向ける。正直、私もそれは思っていた。春樹は続ける。
「ライブハウスとか、路上ライブくらいならまだ良い。……だけど、この先のフェスとか、もっと大きい会場とかを考えるなら、ただ上手いだけじゃ届かない」
「……そう、よね」
「歌詞の本質を理解して、それに合わせて、自分自身の伝えたいものも表現する。たぶん、そこが必要になる」
郁代は少し俯いた。
彼女は明るい。
でも、明るいから傷つかないわけじゃない。
むしろ、光は影を持つ。
「……気を悪くしたらごめん」
「ううん」
郁代は小さく首を振る。
「大丈夫よ。……ちゃんと言ってくれて、ありがとう」
「大丈夫、君ならできるよ。ちゃんとその対処法も俺なりのやつまとめといたから、読んでくれよな」
「うん。ありがとう、春樹くん」
郁代が、少し悲しげに、それでも笑った。
「春樹、キザだね」
私は言った。
「んなっ、ち、ちげーよバカ!!」
「顔赤い」
「て、てめえ! 一回絞めるぞこのタカリベーシスト!!」
「暴力反対」
「お前が言うな!」
春樹は味が落ちないガムみたいなものだ。弄ると味がする。面白くて、嫌いじゃない。それを見て郁代が苦笑する。
ぼっちは、少し羨ましそうに春樹を見ていた。
分かりやすい。
「はー……ったく。皆にも言うけど、俺のはあくまでもプロを見てきたとはいえ、客観的個人的な意見もあるからな」
「あまり深くは気にしないで、参考程度にな」
「この量で参考程度は無理があるよ、春樹くん……」
虹夏が苦笑する。春樹は何も言えなくなるも、敢えてそれをスルーするように続ける。
「……つ、次に、虹夏」
「う、うん……あたしにも当然ある、よね……」
虹夏が黄色のノートを力むように両手で持ち直す。
春樹は少しだけ間を置いてから言った。
「虹夏は、このバンドの背骨だと思う」
「……え?」
虹夏は、目を見開く。
「リーダーとして、こんな強烈な個性派揃いをここまでまとめることが出来て、皆のことを支えられる人間なんてマジで限られる。虹夏の最大の強みだ」
「春樹くん……」
「でも背骨って、折れるまで痛いって言わないんだよ」
「…………!」
虹夏の手が、胸元のリボンを掴んだ。
春樹は続ける。
「メンタル面が不安定って言うと少し違うかもしれない。だけど、強すぎる責任感が長所と短所のどちらにもなってる所がある」
「……うっ」
「皆を支えようとするがあまり、責任感の強さで自分が潰れそうになっても、たぶん虹夏はギリギリまで言わない。そこは、気をつけた方がいいと思う」
図星を突かれた顔を見せ、虹夏はそのまま郁代と同じ様に動揺する。
リボンを握る手に、やっぱり少しだけ力が入っている。決してそれを離さない。
「そんなところまで見抜かれてるとは思わなかったけど……」
「それについての向き合い方もちゃんと書いてある。安心しろよ」
春樹が笑う。
ニカッと、太陽みたいな笑顔。これが素だからタチが悪い。虹夏は少しだけ照れたように目を逸らす。
「……ありがと、春樹くん」
「おう」
私はそれを見ていた。
ひとり。
郁代。
虹夏。
春樹は、ちゃんと見ている。
見すぎなくらいに。
そして。
「続いて、リョウだな」
私の番が来た。
「…………」
私は無表情のまま頷いた。
青いノートを開く。開く時、胸が詰まるような感覚になるのを無理矢理呑み込む。
自分の名前。
自分の音。
自分の長所。
自分の短所。
そこに書かれているだろうものを想像して、少し喉が乾く。
「なぁ、リョウ」
「何?」
「お前さ」
春樹は、私を見た。
「こないだ、虹夏から曲を頼まれた時、一瞬随分お前らしくない顔してたよな?」
「…………」
空気が、少しだけ止まったような気になる。
ぼっちがこちらを見る。
郁代も。虹夏も。
私は、春樹を見返す。
「……何が言いたいの?」
「んー? いや、説教とか垂れようって訳じゃない。……お前らしくないなって思ったんだ」
「…………」
「分からないと思ったか? 一応、これでもマネージャーだからな。観察力はリョウより自信あるぞ」
春樹が何やらニヤリと笑う。
少し腹が立った。腹に力が入って、無意識に目線が細く
「……前々から思ってたけど、春樹はほんとに人をよく見てるんだね」
「……知ったようなこと言ってたらごめん。ただの予想なんだけど、さ。当たってるか?」
「…………」
私は青いノートに視線を落とした。
そこにあるものに、否応なく視界が映る。最初のページには、こう書かれていた。
山田リョウ。
長所:圧倒的な個性。作曲力。ベースラインの構築力。
結束バンドの音楽的な核。
核。
─────────嫌な言葉だ。本当に、嫌だった。
誉め言葉なのに、重かったから。
「……自信、無いのか? やっぱり」
「……………」
春樹が静かに問う。
私は答えなかった。
沈黙の中で、虹夏が少しだけ身を乗り出す。俯く私の顔を横から覗き込む。
「リョウ……?」
「正直」
ようやく、声が出た。驚くほどそれはカラカラに乾いていて、一音出すのが精一杯だった。
「春樹のこの前の言葉、効いてるのかも」
「自分でも意外に思うくらい」
「……うん」
春樹は、少し意外そうに目を見開いた。
でも、すぐに静かに頷いた。
「今までの私達……私じゃ、通用しないんじゃないかってこと、思ってはいる」
「リ、リョウ……珍しいじゃん、そんな弱気になるなんて」
虹夏が心配そうに言う。
「正直、自分でも不思議に思う。ていうか、多分自分独りだったら認めたくなかったと思う」
私はそこで黙って、生唾を呑み込む。知らぬ間に硬く拳を握り締めていることに気がつく。ノートから、また目を逸らす。
「二人も薄々分かってるんじゃない?」
その代わりに、虹夏と郁代を見る。
「今までの曲のクオリティなんかじゃ通用しないってこと。演奏技術は当然として、それは作曲だって同じこと」
言葉が、少しずつ出てくる。
止めようと思えば止められた。
でも、もう止めるのも面倒だった。
「つまらない曲なんて書いたら……デモ審査にすら落とされるかもしれない」
「…………」
「だから、怖いのかも。今までの私じゃ通用しないかもしれないことが。……初めてこんな感情を味わってる気がする」
ぼっちが息を呑んだのが分かった。
郁代も、何か言おうとして、言葉を飲み込んだ。バツが悪そうに視線を落とす。
虹夏だけが、黙って無表情で私を見ていた。
「作れないのも怖い」
私は続けた。
「でも、作れるのも怖い」
「……作れるのも?」
春樹が聞き返す。
「勝てる曲、みたいなものができたとして」
私はノートを閉じた。
「それが結束バンドの曲じゃなかったら」
「───────たぶんそれも終わりだから」
「…………」
「間違えた曲ができたら、私が結束バンドを殺す側になる」
言ってから、自分でも少し驚いた。
そんなことを、思っていた自分に。喉から出た言葉に。
大げさだ。いつもの私なら、そう言って自分を
「……変だよね。音楽で、こんなに怖くなるの」
部屋の壁。
脱ぎ捨てた服。
消した録音。
夜。
あのだらしない部屋が、また少しだけ頭の中に戻る。彼らが、私を見ている。そして、何も言わないのに何かを責め立ててくる気すらする。
「皆、このフェスにかけるなら、結果がもしダメだったら、皆バンドやめるんじゃないかって────不安になった」
「…………リョウ」
春樹が、私の名前を呟く。その声は、少しだけ柔らかかった。
郁代とぼっちは黙って自分の両手を握っていて、そのまま私を見つめる。
でも次の瞬間。虹夏が立ち上がった。無言のまま、ずんずんとこちらに歩いてくる。
「…………!」
あ。
まずい。
そう思った時には、もう遅かった。
「リョウのバカ!」
視界が回った。
床。
天井。
虹夏の顔。
背中に衝撃。
「ゴファ……ッッッ!?」
「──────…………」
脊椎辺りに地味な痛みと衝撃がじわじわと来た。手加減はしたらしい。いつもに比べれば幾分か威力はマシだった。
ただ、私はどうにも釈然としない。目を細め、問う。
「……なぜ、突然の、バイオレンス」
「バカだから!」
「理由が雑」
私は床に倒れたまま、死んだ目で虹夏を見上げる。
虹夏は頬を膨らませて、本気で怒っていた。その時、気付いた。私は目を見開く。その両目の目尻に────涙が微かに浮かんでいたからだ。
泣いていた。
虹夏が、泣いていたからだ。
「確かにフェスは今の私達にとっては大事だよ。でも、だからって結果が悪いくらいで解散なんかするわけないじゃん!!」
「…………」
「私たちは、このメンバーで、全員でなくちゃいけないんだよ!」
虹夏は右手で無理やり私の両手を掴んだ。そうしてグイッと左腕で目元を擦る。やがて床に倒れたままの私の手を、今度は両手でぎゅっと握る。
「このメンバーで音楽をやってると楽しいから!!」
「…………!」
「だから……バンド組んでるんでしょ!!」
その声は、まっすぐだった。水滴の後が滲む瞳は、酷く真摯で。まっすぐすぎて、少し痛さすら感じる。
「独りで全部抱え込まないでよ!! あたし達、何のために居るのさ。……ね? リョウ」
「…………」
握られた手が、温かかった。私は目を剥いたまま、動けなくなる。
その掌は、豆ができていた。
それは、いつもドラムを叩いている手。
私のベースの下で、ずっと拍を刻んでくれている手。
結束バンドの始まりを作った手。
その手が、今は私の手を握っている。
少しだけ、何かが溶ける感覚がした。
音になる前の、低いノイズみたいなもの。
夜の部屋に沈んでいたもの。
壁のそばで黙ってこちらを見ていたもの。それらの感覚が、薄れる。何なら、ほんの少しだけ形を変えた気がした。
「……リョウさん」
ぼっちの声がした。私は目を見開いたまま、顔を向ける。
ぼっちは、少し震えながらも、こちらを見ていた。不安げなままなのに、口元は僅かに弛む。
「あっ、わ、私も……書きます」
「……何、を?」
「歌詞、です。リョウさんの音に、ちゃんと、言葉を乗せたいです」
「…………」
「うまくできるかは、分からないですけど……でも、リョウさんだけに全部背負わせたくない、です。だから、その、あっえっと」
ぼっちは、ぎゅっと自分の手を握り、静かに目元を伏せる。そしてすぐに、意を決したように顔を上げる。
「わ、私も、一緒に作ります。つっ、作らせてください」
「………!!」
その言葉に、胸の奥が少しだけ変な音を立てた。
続いて、郁代が一歩前に出る。
「私も歌います。リョウ先輩とひとりちゃんが作ってくれた曲を、ちゃんと歌えるようにします。まだまだ頼りないのは、分かってます」
「でも……私は、頼って欲しいですっ!」
「だから、………リョウ先輩っ、私を、私たちを」
「頼ってください。お願いします!!」
その顔は、さっき春樹に指摘された時より、少しだけ強くなっていた。切なげに瞳を揺らして、郁代は胸元に両手を添えてそう訴えた。
「綺麗なだけじゃなくて……ちゃんと、届けられるように、なりたいんです。リョウ先輩の想いを、ちゃんと……!!」
「…………」
郁代の顔を数秒眺めて、春樹を見る。
彼と目が合う。彼もまた、その郁代の言葉に静かに頷く。
「だってさ」
春樹は少しだけ笑う。
「リーダーからのご命令だよ、リョウ」
虹夏も春樹の方へ振り向きながら頷き、それからまた私を見る。
「そ! これはリーダー命令!!」
虹夏が笑う。
「これからは、ちゃんと皆を頼るんだよ」
「私達は、五人で結束バンドなんだから!!」
「…………」
私は、しばらくその言葉を聞いていた。
その中に春樹が含まれていることに、もう、誰も突っ込まなかった。
春樹も、少しだけ驚いた顔をしていた。
でも、何も言わなかった。やがて静かに微笑む。
私たちは、五人で一つなのだと、そう虹夏は訴えて来たように思えた。
私はゆっくり身体を起こす。
虹夏が手を離して、改めてこちらへ掌を差し出した。
「……じゃあ、リョウ。一緒に頑張ろ。今度こそ、みんなで!」
「…………ん」
私は、その手を握り返す。ゆっくりと、起き上がる。
その指先は温かかった。
────少しだけ、目の奥が変な感じになった。咄嗟に俯いて、手の甲で隠す。
「……ごめん。ちょっと目にゴミ入った」
「泣いてるじゃん」
「泣いてない」
「泣いてる」
「……………………………………泣いてない」
虹夏は、困ったように、それでも優しく笑った。
「─────………リョウがそこまで結束バンドの皆の事思ってたなんて」
「…………」
「いっつもどうでも良さそうにしてるのに」
私は少しだけ目を逸らす。手は、まだ握られたまま。
その手を、握り返す。
「……ほんっと、素直じゃないんだからさ」
虹夏の声が、やわらかい。
それが少しだけ悔しくて。それでも、自然と顔を上げて、呟いた。
「……そうだよ」
「知らなかったの?」
自分でも、珍しいくらい素直な声だった。水滴は頬を伝う。でも、もうそれは構わないと思った。
虹夏が目を丸くする。やがて微かな間の後、ふはっ、と小さく吹き出す。
ぼっちも、郁代も、春樹も、少しだけ驚いたかと思うと、笑っていた。
私もたぶん、笑っていた。勝手に、頬が弛む。
それはきっと、普段ならしないような、満面の笑みで。
少しだけ、恥ずかしかった。
でも、どうしてか。
不思議と、気分は全く悪くなかった。
※
その後、私たちはしばらくノートを見合った。
春樹のノートは、やっぱり怖いくらい細かかった。でも、悪くはなかった。
「春樹」
「ん?」
「………言い忘れてたけど」
「ありがとう。コレ」
「!」
私は忘れないうちにそう呟く。
春樹は驚いたように目を見開いて、やがて目を細めてはにかむ。
虹夏も、郁代も、最後にぼっちも。
互いに顔を見合せたかと思うと、口々に春樹へ笑う。
「重いけど、……助かるよ。春樹くんっ、ありがとう!」
「これからも、よろしくお願いするわね、春樹くん」
「あっえっと、あっ、うっ、………あ、ありがとう、ございます、春樹くん。うへ、うへへ」
「…………皆。………うん。任せて」
春樹は、照れたような様子で後頭部を掻く。そうして、小さく苦笑いを浮かべた。
─────小さくまたその重いノートを捲りながら、考える。
全部が正しいわけじゃない。
当たり前だけど、少し違うと思うところもある。春樹が見えていないものもある。
でも、見ようとしていることは分かった。それが少しだけ厄介で。
でも、どうしてか、少しだけありがたいと感じた。
音楽は、一人で作るものだと思っていた。
少なくとも、最初の一音は。
でも、そうじゃないのかもしれない。
最初の一音を拾うのは一人でも、その音が曲になるまでには、誰かの声がいる。
誰かのリズムがいる。
誰かの言葉がいる。
誰かの光がいる。
誰かの、少し重すぎるノートも、たぶんいる。
私は青いノートを閉じた。
まだ、良い曲が書けるかは分からない。
勝てる曲になるかも分からない。
間違えない保証もない。
それでも。
だらしなくて、弱い私でも。矛盾だらけの、弱い私でも。
この音だけは、鳴らし続けるしかないのだと思った。
ふと、春樹の方を見やる。
彼は、皆がノートを見合っている姿を少し離れたところから眺めていた。
安心したような顔。でも、その奥に、まだ何か硬いものが残っている顔。
きっと、春樹はまた何かを背負おうとしている。
そういう顔だった。
「…………」
ふと見ると。
春樹は、小さく拳を握っていた。誰にも見えないように。
私には見えた。
たぶん、あいつは思っている。自分が何とかしなきゃ、と。
私たちを勝たせなきゃ、と。
やっぱり面倒だな、と思った。
このバンドには、本当に面倒な人間が多い。
ぼっちも、虹夏も、郁代も、春樹も。
それはもちろん、私も含めて。
でも。
だから、曲になるのかもしれない、とか考える。
綺麗に揃った音じゃない。
行儀の良い音でもない。
だらしなくて、弱くて、時々どうしようもなく面倒で。
それでも、誰かの夜に、誰かの心に必ず触れる音。
─────でも、そんな曲なら。
それは私達にしか出せない、結束バンドの曲になるのかもしれない。
私達にしか、私にしか、出せないもの。
それを見出してくれたのは。
今の私があるのは、とふと思う。
かつて虹夏が言ってくれた言葉を、その時のやり取りをまた思い出す。
『ねぇ! 暇なら、ベースやって!』
『……何で?』
『─────だってあたし』
『リョウのベース好きだし!!』
その笑顔が。
そのたった一言のその “好き” が、私にまたベースを握らせてくれた。
虹夏には、敵わない。
「リョウ、早くっ早く〜っ!」と虹夏が呼ぶ。郁代が手を振る。ぼっちが不器用ながらも微笑む。歯を見せて笑いながら、春樹が見守る。
虹夏が作ってくれた、私の居場所。
たった一つ、ふと願う。
もうすこしだけ。あともう少しだけでいいから。
この場所で、このダラダラ過ぎる様な幸せな日々をこのメンバーで過ごさせて欲しい。前借りしているこの命を、飛べるかどうかも分からない私という名の不安定なものを、使い切ってしまう前に。
かつての自分に、さよならはまだ出来ない。
その暗闇に、さよならはまだ言えない。
でも、今はもう、それでいいと思った。
まだ、見えない。まだ、見えてはいない。
けれど、見えないままでも、音は待っている。だから、今はできることをする。音を、鳴らし続ける。
私はベースケースに手を伸ばして、虹夏達へ走り出す。
今なら。
私だけじゃない、私達だけの “音楽” も、少しだけ鳴らせる気がした。
我ながらリョウが好き過ぎるかもしれない。
サカナクションの『ミュージック』聴きながら読んでみてください。
この曲、「ぼっち・ざ・ろっく!」と相性が良すぎる。
ひとりのことも言える。結束バンド全員のことも言える。
でもそれ以上に、リョウとの相性が良すぎる。
これが原作における「グルーミーグッドバイ」の誕生のきっかけ、ということでここはひとつ。少なくともフラッシュバッカー版の世界線はこんな感じのいうことでお楽しみ頂けたら幸いです。
初めてリョウ視点の文章書いたけど、楽し過ぎました。
それではまた次回。