お待たせしました。
前日譚#00 いよいよ開幕します。
FB版 佐藤 愛子の物語として、お楽しみいただけると幸いです。原作に合わせる形で、かなりのオリキャラが出てきます。#07『君の街まで、月並みに輝け』(後篇)へ続く物語として描いていきますので、ご了承くださいませ。
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登場人物
佐藤 愛子
片瀬高校一年。本作の主人公。
平凡な自分の未来、何者にもなれるか分からない将来へ大きな不安を持つ。
少し口が強く、素直ではない性格。好きなものを驚くほど細かく観察し、その本質を捉える力に長ける。音楽用語も演奏技術もまだないが、耳と言葉に天性の素質がある少女。
片瀬高校一年。彼の立ち上げたバンド『Black Kite』の
明るく無鉄砲で、夢を大声で信じられる性格で、場を和ませること、盛り上げることに関して才を持つ少年。音楽歴は小五の頃からで、後述の透とは小学校時代からの付き合い。
片瀬高校一年。『Black Kite』の
比較的、寡黙な現実主義者。時間管理やスタジオ代、チケット管理等の管理を担う。言動には一見トゲがあるが、不器用ながらも誰よりも周りを見ており、フォローが人一倍早い。奏音とは小学五年の頃からの付き合い。
絶対音感を持ち、四人の中で最も職業演奏家に近い資質がある。
片瀬高校一年。『Black Kite』の
奏音をよく弄ってからかったりと、悪ノリが好き。だが気遣いは細やかで、皮肉りつつも素直じゃない優しさを見せることも。音について話す時だけ速い。
片瀬高校一年。Black Kiteの
人懐っこく、写真や連絡、冗談等で積極的に場の空気を担うザ・陽キャ。
流行や流行りに敏感で、ビジュアルやコミュニケーション能力が著しく高い。奏音と一緒に場を盛り上げるのが得意。女子に異常なほどモテる。
愛子が入学後に仲良くなった女友達。梨乃とは今のクラスになってから仲良くなった。明るく親切で、茶髪気味なロングヘアの少女。中学時代に片瀬高校の文化祭に訪れ、そこで見たダンス部に憧れて入学を決めた。
興味の無いことに対し、塩対応にやや無意識的になりがち。
真帆と同じく、入学後に仲良くなった愛子の女友達。真帆、愛子の三人で仲良く過ごすことを楽しみにしている。食べることを含め料理が大好きで、当時から流行っていたトゥイッターにそれを載せまくるのが趣味なサイドテールの目立つ少女。
会話を盛り上げるのが得意だが、一人で盛り上がり過ぎて周りを置いてきぼりにするところがある。
CHAPTER #-0.75 「僕らについて」(1)
※
-Prologue-
「─────飛べない鳥も、いるのよ」
「この世界には、いつだって」
私がそこまで呟いたところで、隣に立つ伊地知星歌は、私と一緒になって空を仰ぐ。
下北沢の背が低い雑居ビルや家屋を超えた向こうにある、深い青を見つめる。綿のようなちぎれた雲。薄い飛行機雲。それらが端の方からゆっくりと崩れ始めていた。
その線をなぞるように、一羽の鳥が舞う。
「……あんた、前にあたしへ言ったわよね。────お前、彼氏とかいたことねーだろ、って」
「……ああ。言ったな」
「いたのよ。あたしにも」
「………そういや居た事くらいあるとか言ってたな、お前」
「正直、信じ難いけど」
「………」
そう言って、彼女がわずかに眉を上げるのが横目で見えた。
正直失礼だとは感じるけど、私が今までやったことや言ったことを考えたら、むしろこの反応は自然なものだろうな、と思った。
「……………」
そうして私達の間に、再び重い沈黙が落ちる。耳に届くのは、結束バンドのまだ聴いた事のない曲だけだ。
「……お前の話」
「え?」
伊地知星歌のぽつりと呟いた言葉に気付く。彼女は視界を上へ向けたまま続けた。
「いい加減話せよ。……ここまできたら」
「……言ったでしょ。全部を他人に話す義理は無いって」
「ここまで互いに面倒な関係になってて、今更義理もクソもあるかよ。話さねーなら訴える」
「んなッ!? もうそれ脅迫じゃない!」
「いいから。─────話せ」
「……引っかかって仕方ねーんだよ、こっちとしてもね。こんだけこっちに迷惑掛けといて、自分の話は何も話しません、は虫が良すぎるだろ?」
私がビクンと肩を揺らして見つめ返すと、彼女は小さくこちらを向いてそう言った。
思わず小さく睨みながら、返答に悩む。それは確かに、その通りだと思ったから。
「……」
そしてもう一度、静かに青空へ顔を上げて、目蓋を閉じた。
すると、その裏で海の音がさざめく様に、記憶から蘇る。遠い凪の音も、水平線の囁きも。
それは、追憶の日々。喪われた、私にとっての日常。戻ることのないもの。
「……分かった、わよ。……話を戻す」
「そう。……私には、付き合ってた彼氏が、いた」
「それだけじゃない。……大切な、人達がいた。私にとって、かけがえのない……人達」
「今から、もう八年も前。今から話すのは」
「彼らと出会った頃……まだ私が────高校一年の頃の、昔話よ」
Lake Sorayama Presents.
原作:はまじあき
「ぼっち・ざ・ろっく!」(芳文社 まんがタイムきららMAX 連載)
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ぼっち・ざ・ろっく!
フラッシュバッカー
#00『無限グライダー』
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______8年前 2014年
※
#-0.75(1)
「俺と、付き合ってくれ!! 愛子!!」
六月の夜。
小さなライブハウスの裏口、壁一枚隔てた向こうから、打ち上げ準備の音が響く。
ライブを終え、未だ消えない頬の火照り。それによって汗ばんだ前髪が額に張りつく。コンクリートの壁には、染みついたまま消えきっていない余熱も残っている。あれだけの音を鳴らしたとは思えないほどの静かな路地で、彼の声だけが遅れて私の耳に届いた。
シチュエーションもへったくれも無い。
室外機の生温い風に制服の裾を揺らされながら、私は今、目の前のばかから告白をされていた。
「……………………」
「─────────────は?」
私は思わず、素っ頓狂な声をあげるしかなかった。あまりに唐突で、脳が処理出来なかったんだと思う。多分。知らんけど。
えっ、ていうか今なんて言ったこいつ。ぱちぱちと瞬きを繰り返す。
そいつは腰をほとんど直角に曲げ、両手を身体の横へ揃えていた。
もうそれは、告白というより、いっそ謝罪会見に近い。
堪らず両手を胸元へ添えたまま硬直する。
ようやく言葉の意味が追いついた次の瞬間、頬から耳まで、とんでもない熱が迸るのを私は感じた。今度は頭がその理解を全力で拒む。多分、傍から見たら両目をひん剥いたまま、金魚同然の顔をしていると思う。
「…………っっ」
「は、はぁぁああぁあ!?」
私は、絶叫した。
ぷるぷると、肩が勝手に小刻みに動く。
「な、な、な、な、何言ってんのアンタぁ!?」
「ちょ、ちょっと待ちなさいッッ! 何!? 何で今!? ていうか顔上げなさいよ!」
私がまくし立てると、彼は私のその言葉に、音速で顔を上げる。
その茶色がかった黒の瞳は余りにもキラキラと輝いていて、見てらんない。そんな目でこっち見んな。
「じゃ、じゃあ返事は!?」
「だっっ、だ、だから待ってって言ってるでしょ!! 意味分かんないのよ!!」
「わ、私の事が好き!? 冗談よね!? あ、あんた、正気!?」
「冗談なわけあるか! 正気じゃなかったらこんなこと言わねーって! こちとら男子高校生だぞッッ、青春真っ盛りな!!」
「自分で言ってんじゃないわよばかぁあ!!」
言い切るなり、奏音は勢い余って一歩こちらへ踏み込んだ。
や、やだ。こないで。こないでよ、ばか!
反射的に後ずさりながら、動揺したまま私は右手のひらを彼の前へ突き出す。
「ちょ、まっ、待ちなさいっ、それ以上近づかないで!」
「え? お、おぅ?」
奏音は、ぴたりと止まった。
止まった。そこまではよかった。
なのにこのばかは。
「?」
目の前へ突き出された私の右手を、差し出されたものだとでも思ったらしい。
おそるおそる、両手でそっと、このばかは私の右手を包みやがった。
「ッッッッ、ひぁっ!? ふにゃぁっ!?」
猫みたいな声が喉から勝手に飛び出た。「ッッッ、な、な、なぁッ……なっっ……!?」
「な、何してんの!? ちがうっ、そ、そういう意味じゃないっっ!!」
「っ、俺、本気なんだよ、愛子!」
「俺と、付き合ってくれないか!?」
「二度言わなくていいわよッッッッ!!」
奏音の手には、ほとんど力なんて入っていない。それどころか、私の手を包む指の方が、情けないくらい震えていた。
なのに、それなのに私は、まるで腕の引き方を忘れてしまったみたいに動けない。
こんな経験、したことない。知らん。こんなの、一体どうしたらいいのよ。顔から火が出そう。熱い。コントのようなそんなやりとりをする中、胸元に添えていた左手だけが、行き場を失って宙を漂う。
「わ、わかった、分かったわよ!! いいから、いいからっ!」
「えっ!? 付き合ってくれんの!?」
「ち、違うわよッッッッ!!」
このばかの汗ばんだ体温を、手のひら越しに感じてしまう。その感覚だけで、もれなく心臓が跳ね上がる。
その時、奏音の肩越し、路地の角から三つの顔がにゅっと覗いた。「……!?」
思わず目を見開く。
「声でっか……」
「ライブより出てる」
「聞こえる。黙れ」
「…………っっっっっっ」
─────普通に聞こえてるわよアホぉ!!
嘘でしょ、な、なんで陽平や礼司、透までまだ居んのよ。先に行ってるとか言ったくせに。まさかあの三人、グルだったのか。
小声のつもりだろうけど、私は耳が良いから普通に聞こえるし。一方、目の前の奏音は奏音で気づいていないのか、キラキラした眼差しで私の返事を待っている。
アイツらを意識した瞬間、ますます全身が沸騰して気化してしまいそうだった。無理。恥ずかし過ぎて死んじゃう。こんなの、もれなく公開処刑じゃない。
なんで、なんでこんなことに。
あぁ。もう。
全部、このばかのせいだ。私の歯車が狂い出したのは、この目の前の、よく見ると無駄にカッコイイ顔をした────久保 奏音との出会いのせいだ。
こんなことなら、あの時、こいつの言う通りにスタジオなんか行かなきゃ良かった。そんな事を思いながら、私はいよいよ耐えられなくなって叫んだ。
「い、………いいからぁぁ!!」
「とっとと、離しなさいよッッ、このばかぁぁあぁあ!!」
※
事の
私がまだ久保奏音という人を、放課後になると誰より早く教室から姿を消す、少し変な同級生としか思っていなかったあの時まで。
入学から二週間ほど経ち、教室の中にも、いくつかの小さな輪ができ始めていた。
二〇一四年の四月。
四時限目の授業が終わって、昼休み。
校舎は改装されたばかりらしく、まだ傷ひとつない窓枠から、やわらかな昼時の春の風が入り込む。そんな中で、私は三人グループを組み、三つの机を寄せて昼食の時間を迎えていた。
「ねー真帆! 結局、ダンス部に決めたの?」
購買で買ったのであろう紙パックのオレンジジュースをストローで啜りながら、黒のサイドテールを揺らし、梨乃は私の隣に座る真帆にそう呟く。
一方の真帆は茶髪気味のロングヘアをポニーテールで束ね、黒に近い藍色のブレザーを脱いでいる。そのまま、シャツをまくって手作りのお弁当を頬張っていた。
「ん、……先輩可愛かったし。片瀬高校といったらダンスでしょ。わたし、中学の時からここの文化祭見に来ててちょーーーカッコよかったし、可愛かったんだもの。絶対ダンス部一択よ」
「確かに、うちは公立の割にめちゃくちゃ文化祭に力入れてるっての、この辺でも有名だもんね〜」
「そーゆう梨乃は? ていうかあんた、またパン? 栄養偏るわよ?」
「いーの♡ バイト先でサラダも含めてまかない沢山食べられるんだから! 一石二鳥よ!」
「なにそれうらやま……で、部活どーすんの?」
「あーしは今調理部か、マネージャーやろうか悩んでる……でも部活はバイト集中したいし、楽なとこが良いなぁ」
そんな事をぼやきながら梨乃は椅子にギシッともたれ、口をすぼませる。すると、サンドイッチを頬張っていた私の方に梨乃と真帆の視線が向く。
「で、愛子は? どーするん?」
「えっ? 私?」
二人の会話を横で聞き、次のツナサンドを手に取ろうと思っていたところで話題を振られて、私は思わず戸惑う。
「……」
「そうね……」
実の所、まだ決まっていなかった。
とりあえず確かな事は、運動部だけは絶対論外ってところかしら。少し思い悩んで僅かに俯いたまま呟く。
「……私は、まだ決まってない。でも、とりあえず運動部だけは絶対無理」
「愛子、運動音痴だもんね」
「うっさいわよ梨乃」
「まー分かるよ、愛子。受験終わったばっかなのに、今度は毎日走り込みだのなんだの、やってらんないわよ」
弁当を食べ終え、一息つきながら真帆は瞳を伏せて続ける。私も思わず目を細め、真帆に「ほんとわかる」と頷く。まあ、こういうところは馬が合うんだと思う。
「ね。何のために高校入ったんだか分かんなくなるわ」
そこでふと気付く。真帆、さっきダンス部入るとか言ってなかったっけ。
「……あれ。ねぇ、真帆は運動苦手なのに、ダンス部入って大丈夫なの? 身体動かすわよ、結構」
「ダンスは別よ。アレはカッコイイから入るの」
何それ。そういうものなの。
真帆と私は、揃って運動が苦手。昨日の体力テストなんて下から数えた方が早い成績だったし、足も遅いし、身体もカッチカチ。
だから私は運動部に入るとかいう概念が無かったけど、真帆は真帆でそれでもダンス部には入る気満々な様子だった。なんか勝手に裏切られた気分なのは何でかしら。
ムキになる真帆に対し、梨乃はやれやれとわざとらしく両手をヒラヒラさせて、ニヤつく。こいつ。
「全く、湿気てんねぇ。二人とも」
「湿気てないわよ別に! ダンス部だってキラキラしてるでしょ」
「甘い甘い真帆ちん、あーしみたいにレストランでバイトするとかさ、ほらほら色々あるでしょ〜? 愛子はバイトしないの?」
「それもまだ決めてないってば!」
「真帆ちん言うな梨乃……」
「もー! 二人とも何よ〜つまんないなあ」
「別につまんなくないわよばか梨乃!」
まぁ実際、彼女は私達とは正反対。
昨日の体力テストの成績なんて、運動部へ入る予定の子たちと平然と肩を並べていたはず。の、割に運動部には入る気は無いらしく、さっきも言った通り楽な部活に入る気満々ときた。くぅ。持ってる者のくせに。悔しい。
「楽な部活に入ろーと堂々と公言してる梨乃には言われたくない〜〜っ」
そうして思わず私は顔をしかめ、梨乃を軽く睨む。すると彼女は何やら楽しげににんまりと微笑んだかと思うと、弾けるようなウインクを返してきた。
「ふふーん、青春を謳歌してる、と言いなさい愛子♪ 別に、運動部に入ることがすべてじゃないもーん。バイト、恋、キラキラした日常!! これぞ女子高生の特権でしょ!」
「うわっ、なんか梨乃が無駄にキラキラしてる……」
「眩しいからやめなさいよ……」
真帆と揃ってげんなりしつつ、私たちはケラケラと笑う。
そうして三人とも昼食を終えたところで「じゃあさ、愛子、軽音部とかは? 青春といえばそれもありじゃない? 最近流行りらしいよ〜バンド組んだりするの!」と梨乃がはしゃいだ。私はヨーグルッペを口から離しつつ、げんなりする。
「何よ急に、たしかになんかアニメの影響で流行ってるらしいわね……」
「そーらしいよ。どう? なんかよくイヤホンつけてるじゃん!」
「それはまた話は別よ……別に、私は音楽とか演奏出来ないし」
「別に、今から始めてもいいんじゃない? 高校から始める人、多いらしいし」
「あーし、高校でバンドとかやる人、憧れちゃうなぁ」
梨乃のそれに乗っかるように、真帆もふと天井を仰いで呟く。
「でもバンドって手、痛そう。ネイルできなくなるの嫌だなぁ、わたし、オシャレはしたいし」
「なになに、真帆ちん、オシャレして見せつけたくなるような気になる男子いるの?」
「い、居ないわよあほ! すぐそーゆう話に飛躍すんな!」
「だって、恋でも部活でもバイトでも、今のうちに楽しんどかないとさ! 高校生活なんてすぐなんだよ〜?」
「そう考えたらさ、この先何をしたいのか決めるって、めちゃくちゃ大事だよ☆」
……まあ、確かにそれは一理ある。
私はそんな梨乃と真帆の会話を聞いて、相槌を何となく返す。
ジュースの残りを啜る。紙パックをベコッと凹ませながら、ふと教室全体へ目を向けた。
昼休みの教室には、部活見学の予定や、先輩の噂や、始めたばかりのバイトの話が飛び交っている。ついこのあいだまで同じ中学生だったはずなのに、皆もう、それぞれの高校生活へ向かって歩き始めているように見えた。
(───────………何をしたいか、か)
恋愛。青春。バイト。先輩、制服の着崩し方。難しくなる勉強。その先に待っている進路。
─────そんなアレコレの情報量は、ついこないだまで中学生だった私達には余りにも多過ぎた。
高校生になった途端、選ばなくてはいけないことだけが、いきなり目の前へ並べられた。そんな中で、誰をお手本にして、何を基準にして、この先の道を歩けばいいんだろう。
自分は、何をやりたいのか。
自分は、何をしたいのか。
真新しいブレザーは、まだ襟も袖も硬い。制服が変われば、それを着ている私まで、昨日とは違う誰かになれるような気がしていた。私の中でも、何か大きなものが自然に変わっていくのだと思っていた。
でも、実際はそんなことない。制服だけはたった一日で変わったのに、その内側にいる私は、中学の卒業式の日からちゃんと地続きのままだ。考えてみれば当たり前の話だとは思うけど。
「ねぇ、愛子」
「ん?」
梨乃が、紙パックのストローから口を離す。
「あーしら色々話したけど───愛子はさ」
「結局、何がしたいの?」
「……………」
私は、すぐには何も答えられなかった。
結局、あの時の私は、梨乃になんと答えたんだっけ。分からない、と笑ったのか。
それとも、その場を白けさせないような、適当な言葉で誤魔化したのか。
どうしてか、その部分だけは、あまり思い出せない。
たぶんそれは、私自身の答えではなかったからだ。
※
放課後のチャイムが響く。
午後の青に金色と橙色のコントラストが混じり始めている。傾き始めた西日が、教室の窓辺を煌々と照らしていた。
チャイムが鳴り終わるより先に、教室のあちこちで椅子を引く音が重なる。クラスメイトたちは、部活見学や体験入部へ向かう者、バイトへ向かう者、そのまま家へ帰る者に分かれて、それぞれの放課後へ散っていった。
どうしてか、私は昨日までみたいに適当に部活巡りをする気にはなんだかなれないままだった。窓の外では、運動部へ入るらしい生徒たちが、もうグラウンドへ集まり始めている。
そのみんなの姿をぼんやり眺めたあと、私は小さく息をつく。やがて通学バッグを手に取って右肩に掛け、席を立つ。ちょうどその時、先に帰り支度を終えた真帆と梨乃が、教室の扉の前からこっちを振り返っていた。
「愛子〜、わたしこのままダンス部見学に行くけど、一緒に行く〜?」
「え……梨乃は?」
「あーしは調理部〜☆ 愛子もいこ?」
「────…………」
誘われたところで、昼時の梨乃の言葉が胸に引っかかる。
「何がしたいの?」というあの言葉。
コンマ数秒ほど思い悩んで、気付けば私は苦笑いを返していた。
「……ごめん。今日は、いい。課題、やっちゃって早めに寝たいし」
「そ? それじゃあ、また明日」
「ざんねん〜……また明日ね〜愛子っ!」
「ん。またね」
手を振り返す。二人の背中は教室から廊下へ消えていく。
私は、微かにぼんやりとしたまま、ゆっくりと右手を下ろす。
その時、通学バッグの口から、一枚の白い紙が覗いていることに気づく。それは、朝のホームルームで配られたもの。紙の端を摘まみ、鞄から何となく引き抜く。
『第一回 進路希望調査』
紙の一番上には、そう書かれていた。
担任は、まだ一年生になったばかりだから、今の時点で考えていることで構わない、と言っていた。
学年。組。出席番号。氏名。そこまでは、もう書いてある。
『佐藤 愛子』
自分の名前だけは、何も迷わず書くことができた。
けれど、その下に並んでいる欄は、どこも白い。
『現時点で希望する進路』
『興味のある職業・分野』
『高校生活で力を入れたいこと』
─────どれも、何を書けばいいのか分からなかった。
今の時点で構わないと言われても、そもそもその “今” に書けるものが、私には何もない。
名前だけは、そこにある。
でも、その名前の下に続くはずの私は、紙のどこにもいなかった。
高校受験が終われば、何かが始まると思っていた。それこそ、ドラマみたいな超展開とか、心を動かすようなとんでもない出来事とか、もしかしたら、なんて。
新しい制服を着れば。
新しい友達ができれば。
高校生という、中学生とは違う存在になれれば。
そうすれば私は、何かを見つけられる。昨日までとは違う私に、きっと自然となれる。
そんなふうに思っていた。高校へ通っているうちに、紙の上にある空欄も、誰かが答えを教えてくれるみたいに、ひとつずつ埋まっていくのだと思っていた。
でも、そんなはずはなかった。
私は、私のままだ。
将来の夢も、やりたいことも、何を目指すべきなのかも、何ひとつ浮かばない。
新しく買ってもらったスマホ。中学の時に持っていたガラケーとは違って、色んなことができる。その一環でつけ始めた日誌も、似たようなものだ。
出来事なら、いくらでも書ける。
真帆と梨乃と昼ご飯を食べた。
授業が難しかった。
体育で疲れた。
帰りにコンビニへ寄った。
別に、書くことがないわけじゃない。
ただ、何を書いても私の周りで起きたことばかりで、その中心にいるはずの私自身が、どこにも書かれていないような。正確には、何を書いても自分のことではないような、そんな気がした。
友達はいる。話す相手もいる。家族とも、普通に仲がいい。
高校だって、今のところ嫌いじゃない。
私はちゃんと、輪の中にいる。幸い、別に孤立してる訳じゃない。
自分には何もないなんて嘆いたら、贅沢だと笑われるくらいには、きっと恵まれている。
だからこそ、この虚しさを、誰にどう説明すればいいのか分からない。言おうにも、言えなかった。
どうして、こんなにも、と───私は思う。
何でこんなにも、どうしようもなく満たされないんだろうと。
私は進路希望調査を鞄の中へ戻し、誰もいなくなりかけた教室を出る。廊下を歩む。上履きの感触が微かに重い。
開け放たれた窓の向こうから、運動部の笛と掛け声が聞こえる。
体育館の方からは、床を蹴る靴底の音。
音楽室からは、まだ噛み合っていない管楽器の音階。どこかの教室から流れ始めたダンスミュージックと、それに重なる笑い声。
校舎のあちこちから、誰かの高校生活が始まる音が響いていた。どの音にも、向かう先があった。
グラウンドへ。
体育館へ。
音楽室へ。
それぞれが自分で選んだ場所へ、皆の足は迷わず向かっていく。
私の足だけが、校門を出て、家へ帰る以外の行き先を持っていない。
そこら中から響く騒がしい音。誰かの話し声。それらが耳に届くたび、心の穴だけが、ただひたすらに拡がっていくような気がした。
(これが私)
(高校一年生、佐藤 愛子)
これが、私の人生なんだろうか。
この先も、こうやって私は生きていくのかな。
何者にもなれず。なりたい何かを見つけることもできず。ただ何となく、残りの人生を生きていくのかな。
(────たまーに思う)
(このままで、いいのかなって)
良いわけない。多分。でも、そう思ってはいても今の私には、結局どうすればいいのか。
何を選べばいいのか、何も定まらない。選択肢が多過ぎて、逆に選べない。
皆、なんでそんなにポンポンやりたいことが出てくんの。どーなってんの。
私、どうすれば、いいの。
そんなことを思って、ふと立ち止まる。その時だった。
廊下の角────職員室のある方から、一人の男子が勢いよく飛び出してきた。
「!!」
「やっべ、電車乗り遅れる……!」
私のすぐ横を、風のように駆け抜けていく。
思わず振り返ると、その男子は、大きなギターケースを背負っていた。黒いケースが、西日の中で大きく揺れ動く。
「────…………」
走り去っていくその背中には、見覚えがあった。
確か、名前は────久保奏音。
クラスではあまり目立たない。休み時間も、誰かと騒いでいるところはほとんど見たことがない。
それなのに放課後になると、決まって誰より早く教室から姿を消す男の子。何度か、廊下で今と同じような姿を見かけたことがあった。
何があれば、あんなふうに迷わず走ることができるんだろう。
彼は、どこに行くのだろう。
何の目的があって、そんなに焦るんだろう。
私には、放課後の行く先なんて何もない。放課後は即帰宅。スマホを弄って、課題をするくらい。
だけど彼は────彼のその背中だけは、私の知らない放課後の行き先を、ちゃんと知っているような。
そんな気がした。