イナリワンは、昼休み学食に出来た人だかりを眺めながら、食事をとっていた。
その人ごみの中心にいるのは、先日行われたジャパンカップのその勝者、オグリキャップ。彼女がどんどんと大盛りの皿を片付けていくのを、大勢が見守っているのだ。
彼女の人気はもう凄まじい物で、おおよそ1年程海外に居た事もあってか、学園で通りすがっただけで声援があがる程だった。
そして彼女の代名詞。メディアで散々放送された、その大食いを一目見ようと昼休みにはこうしてウマ娘が集まって来ていたのだ。
まあ分からないでもないがと、イナリワンは内心少しだけ同意した。
先代が纏うその近づきがたいオーラに対して、オグリキャップが放つオーラは安心できる何かがあって。彼女が幸せそうに料理をリスみたいに頬張る姿は、これが世界最強の姿かと言いたくなるが、それと同時に親近感を覚えるもので。確かに見ていたくなる魅力という物があった。
今では彼女にお代わりを届ける為に、順番にウマ娘が列になって並んでいた。彼女たちは次のお代わりを今か今かと待っている。
それを眺めていると、彼女の席にお盆を持ってスーパークリークが近づいてきた。
「イナリワンさん、良ければご一緒してもよろしいですか?」
「ん?ああ、勿論でぇ」
ただ食事を一緒にしたいだけという雰囲気ではないなと悟って、机の上を軽く片付ける。
席に付いたスーパークリークと、たわいもない世間話を繰り広げる。彼女が何を話したいのかは分かっていたが、向こうも切り出す展開を伺っているのだろうなとゆっくりと待つことにした。
途中「すぐにお代わりを持って来るっスー!!」という聞きなれた声に、二人ともそちらに顔を向けた。
そこにはジャパンカップを走った同胞が、嬉しそうに大盛りの皿をオグリキャップに届ける姿があった。遠目でも分かる満面の笑顔。
「なにやってんでい、あいつ」
「まあその、バンブーちゃんはオグリさんに非常に憧れている様ですから・・・・」
二人して顔を見合わせる。多分これからするだろう話は、彼女だって関わる事だろうに、そんな事を全く感じさせない姿には思わず苦笑するしかなかった。
そしてすっと、クリークの表情が入れ替わる。イナリワンも、すぐにその目に真剣な光を宿した。
「それで、先日のジャパンカップについてなのですが」
「ああ」
「イナリワンさんはどう思われますか?」
クリークの目が、真剣に、そしてどこか悲しげにイナリワンを見据える。
やはりお前もかと、彼女がこれから何を話したいのかに確信を持った。
すっと目線を外して、コップを掴む。そこに入った、お茶が僅かに揺れるのを眺めて。
「・・・・速さが、足りなかった」
絞り出すように、そう答えた。ウマ娘として、これ以上は無い屈辱。
作戦が悪かったのでもない。自身が何かミスをした訳でもない。ただただひたすらに、どこまでも単純に実力が足りなかった。
欧州最強、アメリカ最強、世界最強。その3人の最強がすっ飛んでいったレースを思い出す。
その破滅的なスピードに驚愕しながら、しかし後続の全員が覚悟を決めて追いかけた。
3人全員が垂れるだなんてそんな甘い希望論で走れなかった。無視するには、三つの最強の名はあまりにも重かったのだ。
ああ、そこに、作戦なんて何も無かった。
ウマ娘の本懐、誰が一番速いのか。誰が一番早く速く走れるのか。それをどこまでも単純に確かめる、世界の意地の張り合い。
勝ち時計は、堂々たるワールドレコード。世界最速の証が掲示板には灯っていて。
コップに入ったお茶が揺れて、波立つ。
「置いて行かれた、追いつけなかった・・・・」
どこまでも開いて行く差。スパート出来る体力をどこまで残せばいいか計算しながら、どんどん目減りしていく勝算に。
手段を考えて、ただ速さが足りないと返って来るその絶望。
お茶の波は荒れに荒れて、コップからこぼれそうになって、手を離した。
クリークが、伏し目に哀愁を湛えて、呟いた。
「世界とはあれ程に遠いのですね・・・」
二人はまたオグリキャップに目線を向ける。
ジャパンカップは未だに、海外のウマ娘以外には彼の担当ウマ娘しか勝っていない。世界との差はまだまだ大きくて。
この数年で海外に挑戦したウマ娘だって、少なくはない。結果は、このトレセン学園で話題にならないという事は、つまりそういう事であった。
改めて、彼女と彼の偉大さを思い知る事になった。
世界相手に、あの舞台に立って無敗という偉業が、どれ程に大きいのか分かっていたつもりだったのに、足元まで来て見上げたら圧倒されてしまった。
「イナリさんは・・・・」
その声色を聞いて、咄嗟にクリークの方を向いた。
どこまでも迷った顔と、心細そうな目がそこにあった。自身よりも喰いついていたはずなのに、いやだからこそその差を理解したのか。
それを見てイナリは、大井で見た顔を思い出して、咄嗟に自身の中にある臆病虫を叩き潰した。
そう同じだ。中央に出て来る時だって、同じだったのだから。
「いや違ぇ。諦めちまうには、まだ早えだろ。
お前さん、世界はたった一度や二度負けた程度で諦めちまう場所なのかい?
そんな簡単に勝てると思って挑んでたのかい?」
自身にも活を入れる。
知らず知らずのうちに、腑抜けそうになっていた。世界が広い事なんて知っていたはずだろう。中央より、ずっと化け物だらけの魔境だと分かっていただろう。
特にジャパンカップなんて一国の才能のトップ、それの凌ぎあいだ。だからこそ、その誉れは強く称えられるというのに。
「初めからあたいらが格下なんて分かってただろ!
でも例え格下だろうと、気合と根性でぶち抜いて、どんなもんだいと見せつけてやる為に外の世界に踏み出たんだろ!」
「・・・・っ!」
ああ、彼女が話しかけに来てくれてよかった。
改めて自分の原点を見つめなおすことが出来た。
あたいの勢いにクリークは目を見開いて、そしてその目が段々と細められていく。鋭く、先を見据える様に。
「・・・・ありがとうございます。イナリさん。
そうですね、そうでしたね」
「まだ、諦めるには早いですよね」
彼女の目にはまた熱がともっていた。
わずか十数m先の世界を見据えて。
そしてその先にいる彼女は呑気にまた皿を一つ平らげていた。
順番待ちをしていた生徒がお代わりを取りに走る。それに、先ほどのバンブーメモリーそっくりの姿を見つけて。
イナリワンは、先ほどまでの意気込みを忘れてぽかんと口を開けた。
「いや、ほんとになにやってんでい、ヤエノの奴・・・・」
なぜかそこには妙に良い笑顔をして、お代わりを運んでいるヤエノムテキがいたのだった。
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紅茶の香りを楽しんで、ダイイチルビーは部屋の主が戻って来るのを待っていた。
少しして部屋の扉が開いた。
「おや、すまない。待たせてしまったかな」
「いえ、それほど待ってはいませんから。お構いなく」
この中央トレセン学園の、名実とものトップ、皇帝シンボリルドルフを視界に収める。
思わず内心緊張が走るのを、紅茶を口にしてゆっくりと落ちつけていく。彼女の放つオーラは、幼いころから社交界に身を置いていた彼女でも見た事のない程で。
何より自身の理想、名門の名に恥じない実績を積み上げた先達への敬意がそうさせた。
いや正しくは理想以上であろうか。これまでのシンボリが代々積み上げた栄光より、二人のシンボリが積み上げた方が多いかもしれないのだから。
彼女をみていると、自分は実績を残せるのだろうかと言う不安が心の中に湧いてくる。
シンボリ家がどれほどに社交界でも名を轟かせているかを見れば、中途半端な実績ではきっと目もくれられない。自然にきゅっと手に力が入る。
その小さな体に使命感を満たして、彼女は問いかけた。
「それで、本日はどういうご用件でお呼びになったのでしょう」
「うん、今いくつかの名家に話を通しているんだがね。
少しこれを見てくれないだろうか」
机の上に置かれる紙束。
それを持ち上げて、表紙に書かれた文字に目を向ける。そこには今最も話題になっているあのトレーナーの、健康管理技術についての考察、と書かれていた。
思わずひゅっと口から空気が漏れる。
体に緊張が走って、思わず紙にしわを付けずにすんで良かったと、頭の片隅で思考する。
目線を上げて、目の前の皇帝を睨みつける。どういう意図なのだと。
これはそんな簡単に渡して良い物ではないだろう。一体どれだけの価値のある物だと思っている?
もうどの家も彼の実力を疑っていない。
彼はこれから先の歴史で現れるかも怪しい化け物だった。
あのオグリキャップを地方から引っ張り出すなんて、規格外の観察力が無ければ絶対に出来ない事だった。誰があのゲート試験だけで、その身に秘めたあの恐ろしい潜在能力を見抜けるというのか。
そして彼は担当に一度も怪我をさせていない。少なくとも怪我による休養は取らせていない。
マルゼンスキーとシンボリルドルフの二人があまりにも傑物だったから、正確に分からなかった。とくに目の前の皇帝なんて、どれだけの試合で全力で走っていたのか。
けれどオグリキャップの連戦を見れば、そういう方面でも彼は超一流だったと理解せざるを得ない。
そんな彼の健康管理技術なんて、いくら出してでもいいから欲しい。
どれだけの爆弾を気軽に放り投げたのか分かっているのだろうか。いや、この皇帝が分かっていない訳がない。
だから意図が読めなくて、様々な可能性が脳内を駆け巡る。
そもそも本物なのか?一部だけ見せて、交渉しようとしている?そういえばさっきいくつかの家に話を通していると言っていた、であればーーー。
そこで、そんな私の様子を見て、彼女が口を開いた。
「ああ、そんなに警戒しなくてもいいよ。
それは彼に広めて欲しいとお願いされてね」
「・・・・なるほど」
一旦思考が落ち着く。つまり彼との関係性を維持する為か。
彼自身が技術を公開する事に意欲的であるならば、どうせ広まるのだし協力して好感を稼ぎたいというのも分かる。
とにかく他の家は、シンボリと彼の間になんとか楔を打ち込めないかと終始注目してるのだ。それに対抗しつつ、仲良しアピールも兼ねている、と。
「しかし、それならば名家だけでなく、一般的に公開してもいいのでは?」
こんなもの、世界中のトレーナーの垂涎の的だろう。
わざわざ名家に限定する意味が無い。
「ああいや、それがだね。読んでもらえれば分かるが、あまりにも感覚的すぎて全く信用性がないんだ。
シンボリ家の者がとりあえず解釈して、こうじゃないかと雑に理論化したのがそれさ」
そういわれて、ページを何枚か流し読みする。
そこには「多分」とか「だと思われる」とかなんて言葉が並び連なっていた。どうやら彼には怪我がしそうな場所がなんとなく分かるらしいのだが、それをうまく説明できないらしい。
いや正確には今我々が理解できる大きさの症状なら彼も理論だって説明ができる。ただそれ以下の規模になると何かがズレているのは分かるが、何がズレてるかを説明できない。彼にはそのズレを「気の流れ」で例えるしかないのだとか。
我々が見つけられる症状の、その数歩手前の予兆の様な症状を見つけているのだろうとシンボリ家の人たちは結論付けていた。
そして、その神のような眼を、人力に落とし込む作業はどうやら未だ全然進んでいない様だった。まあ数年で出来る作業ではないだろうというのは、素人でも予想は付いたが。
それでも正解が分かっている事がどれほどに、研究において大きいか。
そこでシンボリ家がやりたいことも得心した。
「なるほど。つまり、私達の一族にも協力してほしいと?」
「そういう事だね。どうだろうか?」
「勿論、協力させて頂きます」
ダイイチルビーは深々と頭を下げた。家に持ち帰る事すらしなかった。
一族の了承なんて後で取ればいい。
彼と接点を持てる、それだけで内容が何であれ参加したって良かったのだし。
それからいくつか話を詰めて、彼女は部屋を後にした。
その手に持った紙を眺めて、改めて痛感した。
ああ、やはり彼を逃したのはあまりにも惜しかった。我々の一族も彼に秋波を送り続けたのだが、結局彼はあのオグリキャップを選んだ。
勿論まだシリウスの様に二人目はどうだろうかと完全に諦めてはいないようだが、あれだけ海外を飛び回っているのだ。あまりチームを持つ事に期待しない方がいいだろう。
逆恨みもいいところなのだろうが、オグリキャップを名家がどれだけ恨めしい目で見ている事か。
ただ非常に悔しい事ではあるが、自身があれだけの才能を持ち合わせていたかと問われれば、口を閉じるしかないのだが。
完全なる二刀流。その上であの試合数をこなして無敗。
真の世界最強の名は、歴代最高のウマ娘という座すら引き寄せようとしていた。
あのシンボリ姉妹すら超えるだろう、その栄光はどこまでも眩しくて。
ああ、少しでも、少しでも栄光を手に入れなければ・・・・・。
藻掻く手は、はるか先の光を掴もうとして。ダイイチルビーは栄光の光に溺れそうだった。
江戸っ子口調がよく分かんない。違和感あったらごめん。