「うわぁ、やっぱ中山レース場って笠松のとは全然違いますねぇ」
自身の担当ウマ娘が人で埋まった会場を見て、感嘆の声を上げる。
笠松もここ数年は段々と活気を増しつつあったが、しかし恐らく歴代でも最も人が詰めかけているであろう今日の有馬記念と比べれば、確かに見劣った。
「まあそりゃ当たり前だろ、なんせこの俺がスカウトした、あの笠松の伝説のウマ娘。
オグリキャップのラストランだからな!!!」
「はいはい、北原さんのそのスカウト自慢は聞き飽きましたよ」
「ほんとほんと!1日に数回位は言ってたんじゃない?まじで」
チームのウマ娘達からいつものように軽くあしらわれる。
まあ実際に擦り過ぎだという自覚はあった。だが、オグリキャップがメディアに映る度に、ついつい言わずにはいられなくて・・・。そして、彼女がメディアに映らない日なんてほとんどない訳で。
どれ程に自分は熱狂を持って、彼女について日々語っただろうか。少なくとも、それなりにオグリのファンである彼女達が辟易する位には、やっちゃったかもしれない。
ただその日々も、このレースで終わり。
彼女の描く夢の集大成が今日だった。
あの日見た夢は全て現実のものとなって。そしてその先まで見せてくれた。
予想を何度裏切られて、嬉しい思いをした事か。笠松トレセン学園がどれほどに君の活躍で活気づいた事か。
ああ、でもそんな狭い話じゃあなかった。
日本中所か世界中が、彼女に夢中になっていた。今でもレース場には、明らかに海外の風貌をした集団(ヨーロッパ系が目立つだろうか)がそれなりに見受けられた。
彼らは、この偉大なウマ娘の最後を、遠路はるばる海外にまで見に来たのだ。なんという情熱だろうか。
俺はこの熱を、笠松にも起こしたい。夢はより鮮やかに彩度を増した。
あの日みたいに、オグリキャップへと語りかける。
よお、オグリキャップ。俺は今、東海ダービーも視野に入れられる様になったぜ。
お前の耳にも届く様なスターだって育て上げてやるから、待っててくれよな。
熱意は、欠片となって。
「うわ、無表情で涙流すのはヤバいって」
「怖い怖い怖い」
左右からの声を聞き流して、ノルンエースはパドックを見続けた。
オグリキャップ。私の人生にどこまでも大きな足跡を残していったウマ娘。
彼女に向ける感情はただ憧れの一言じゃすまなくて。自身でも処理できていないそれは、今ラストランを前に混沌とした感情の塊となって脳を支配していた。
彼女のレースはずっと中央に行っても、海外に行っても、追いかけていた。中々現地で見る事は叶わなかったけれども、必死にテレビの前で自作の応援グッズを作ってまで応援した。
カオスな状況の脳内に、在りし日の思い出が蘇る。
彼女に興奮した勢いで送ってしまったLANE。
今思い返しても笑えてしまいそうだが、私は彼女に地方の重賞ですらないレースで勝った事を報告したのだ。
世界で最も強いウマ娘に。世界で最もG1を勝ったウマ娘に、だ。
本当に我が事ながら馬鹿馬鹿しいと思う。
でも彼女は、私の泥だらけのちっぽけな栄光を、どこまでも真摯に祝ってくれた。その日掛かってきた電話から聞こえた、我が事の様に喜んでくれる声に、私の脳は焼かれてしまった。
彼女はどれだけ勝っても変わらなかった。彼女の魂は、笠松にいた頃のあの輝きを放ったままだった。
それがどうにも嬉しくて、堪らなくて。
私は握りしめた両手に力を籠める。
ああ、どうか。あなたがあの笠松から始めた栄光の道を、最後まで歩み終えますように。
祈りは、欠片となって。
「頑張れー!オグリキャップ!!」
男は必死に声援を送った。彼は本当にどこにでもいる様な普通の人間だった。
ただ昔陸上をやっていたから、笠松レース場に足を運ぶことが多かっただけ。それも惰性であって、他のレース場に足を運んだことなんて無かった。
全てが変わったのは、あの子のレースを見てからだった。
格が違った。その走っている姿に、その走りに、惚れぬいてしまった。
本物を見せつけられた気がして。競技者としての原点を突きつけられた気がして。
とにかく自分はあの時からウマ娘レースにどっぷりとハマってしまった訳だった。休日の多くでレース場に向かうようになったし、今までやった記憶なんて無い応援に熱を入れて。横断幕を作ったのなんて、学生の時以来だった。
色んなレースを見て推しも色々出来たが、それでも彼女は別格に応援のし甲斐があった。
先代のシンボリ姉妹も知ってはいた。でも彼女たちが走る理由は、あまりにも剣呑で闘争心に溢れすぎていて。すごいとは思っても、心に響かなかった。
けれど、彼女は違った。オグリキャップはただひたすらに走れることが楽しいのだと、とても身近な理由だけで走っていた。
それはどこまでも深く共感できた。きっと君の見ている世界には遠く及ばないけど、でも昔は走る事が楽しかったのだと思い出して。
その素朴な魂が、俺の思い出まで連れて行ってくれるから、また走り始めてしまった。健康の為にと思いながら買った一式を、長年押し入れの中で腐らせていたのに。
やっぱり、走るって楽しいもんだな。
地面を足で蹴りだして、世界が後ろに流れていくあの感覚。それをどうして忘れてしまったのだろうか。
たんたんと足で刻むリズムに心を弾ませて、風を切りながら走るのはやはり心地いい物で。今はまだ軽いランニング程度だったが、マラソンにもまた出たいと思って、距離を伸ばしている最中だった。
だから、これだけは伝えたかった。きっと君に届くと信じて、光の欠片を放つ。
ありがとう、オグリキャップ。君のおかげで、こんなにも人生に彩りが戻ったよ。
このまま最後まで楽しく走ってくれよ。自分はただそれだけを願ってる。
感謝は、欠片となって。
ヤエノムテキはどこまでも澄んだ、凪の様な心でオグリキャップへの応援の意を込める。
数年前のジャパンカップ、そこで見た光景を思い出して。
観客席から届く、金色の粒子達。ターフで後ろから見た時はあれ程に忌々しかったのに、けれど傍から見ればこの世の物とは思えないほどに幻想的だった。
ハッとさせられた。自分は応援されることを、どれだけ汚い欲で望んでいたのか。こんなにも、心からの称賛とは綺麗な物だったのに。真摯な物だったのに。
以前の私はどれ程の心の無駄を、ターフに持ち込んでいただろう。
オグリさんは私の目指す場所とは違うのだろうが、でもきっと魂の境地に、辿り着いていた。
彼女はその走る姿だけで、その魂だけで見ている誰もを笑顔にすることが出来た。
静かに目を閉じて、自身の魂と見つめあう。
止水の精神。揺れる事ない水面。
ありがとう。あなたのおかげで盲が晴れました。
自分は誰かの笑顔を守れるようになります。
決意は、欠片となって。
ターフに入ってきた、二人のメジロを見かけて。
アルダンは複雑な面持ちで、彼女たちに頑張ってくださいと呟いた。
特に今回出ているマックイーンは、半年前にかなり大きな故障をしただけに心配の気持ちはひとしおであった。
だけども、観客席から時折乱暴に投げ込まれる光の欠片を目にして。その元を追って、見知った顔のウマ娘の姿をよく見かける。海外でも名をはせた有力ウマ娘達であった。
アメリカのダートウマ娘や、短距離マイルの有名選手までいる辺りは、さすがと言わざるを得ないだろうか。
そして、その光の欠片がどういう気持ちで投げ込まれたのかを、アルダンは痛い程に理解して、自身の手元の光を見つめた。
オグリキャップとの激突が脳裏に思い浮かぶ。彼女とは何度戦っただろうか。彼女に対して持っていた薄暗い感情も、全力を幾度と打ち破られるたびにどこかに落としてしまって。
ぎゅっと手の内にある欠片を握りしめる。本当はいけない事なのだと頭では分かっている。マックイーンとパーマーへの不義理だと。
けれど、アルダンは少し我儘になって、ターフへと光の欠片を投げ込んだ。
オグリさん。私たちの「最強」。
最後になって今更負けるだなんて、そんなの許しませんからね。
少し棘のある応援も、欠片となった。
サトノダイヤモンドは必死に背伸びをして、手すりから身を乗り出した。
今日のレース場はとんでもない人ごみだったが、自分とキタちゃんは子供の身軽さを活かしてなんとか最前列を確保したのだ。
彼女の目には、勿論憧れのメジロマックイーンの姿も入っている。けれど、それ以上に輝く黄金が視界に焼き付いて。
オグリキャップさん。あのマックイーンさんも、あのテイオーさんも勝てなかった、最強のウマ娘。今年の春秋の天皇賞でもその輝きは凄かったが、特に今日は次元が違った。
世界最強のウマ娘の、その過去最高の絶好調。
威圧感がある訳じゃないのに、鳥肌が止まらない。ただ雄大な山を見た時のような、魂からの畏敬。
隣のキタちゃんを覗き見れば、自身と同じ様に圧倒されていた。
お父様やお母さま達が、オグリキャップさんのトレーナーに向ける視線の意味を、今改めて理解した気分だった。
世界で無敗とは、歴代で過去最高とは、こういう次元なのか。これ程に強いから、サトノ家の悲願であるG1レースを当たり前の様に勝ち続けているのか。
分かっていたつもりだった。だけど数年後にターフに立ってから見ればこうまでに遠いのだと、先に思い知らされた様だった。
もし私があの人に担当してもらえれば、あそこまで届くのだろうか。決意はより固くなった。
そして私はマックイーンさんに謝りながら、オグリさんにも光の欠片を放った。今のオグリさんから目を離せなかった。あの人がどこまで高く飛ぶのかを、ウマ娘の本能が知りたがってしまった。
オグリキャップさん、マックイーンさん。私はあなた達の様になれるでしょうか。サトノの悲願を、ジンクスを超えて、その先の景色を眺められるのでしょうか。
憧れは、欠片となって。
「ありがとう、皆」
眼を閉じて、ターフに立つオグリキャップにも、その光は瞼を貫いて。
自分の走り抜けた道を、描いた夢を、皆が応援してくれていた。
人々の気持ちが、心臓へとたどり着いて。心はどこまでも熱くなっていく。
耳には、脈拍の音が響く。応援の声に合わせて、徐々にエンジンのギアを上げていく。
うっすらと目を開ける。周囲の黄金は、今までで最も光り輝いていた。心臓の鼓動に合わせてさらにその輝きを増していく。
ここに『勝利の鼓動』は燃え上がって。
全身に夢と言う名の燃料が次々と補充されて、細胞の一つ一つが皆の思いに共鳴する。
オグリキャップは悠然と観客席を見渡して、そして堂々と語りかけた。
「皆。見ていてくれ。
今は、負ける気がしないんだ」
端的に言って。
ーーーーー今のオグリキャップは、『無敵』だった。
かくして、新たなる神話はここに成立した。
無敗の56戦56勝。G1レースも38勝。
芝とダート含めて、走ったG1レースの種類も30を超えて。前人未踏の記録を、これでもかと残して彼女は走り抜けた。
中山レース場は、万雷の拍手と歓声で埋め尽くされた。
その声に応えようと、オグリキャップが観客席に向かおうとして。そこで、彼女を止める者がいた。
序盤に爆走をかまして、ヘロヘロになってゴールを迎えたギャル。ダイタクヘリオスであった。
彼女はオグリキャップの傍に立って、叫ぶ。3文字の言葉を繰り返し。
観客席からの音にかき消されていたそれも、他のウマ娘が追従したことで、遂に向こうまで届き。その言葉を聞き届けた人によって、その波はどんどんと波及した。
そうして、人々の感動は一つに纏まって、音となり会場を揺らす。
オーグーリー!!オーグーリー!!
その声は遥か数kmも離れた場所ですら聞こえる程で。
ターフのウマ娘達は、その声量に内臓が震えるのを感じた。
誰もが喉が枯れるのすら厭わずに、声を張り上げ続ける。偉大な伝説の成立を祝うように。一つの伝説が終わるのを惜しむように。
あなたがいたから頑張れたのだと伝えたくて。あなたに貰った元気を少しでも返したくて。
オーグーリー!!オーグーリー!!
その魂の叫びは、オグリキャップの魂にこれでもかと響いた。
自然と涙が頬を流れる。この涙は拭ってもきっと止まらないから、潤む視界でただ観客席を必死に眺めた。
ただ走れれば良かった自分を、ここまで連れてきてくれた声を少しでも聞き逃さない様にして。
いつまでもこの歓声を浴びていたかったが、心に訪れた達成感をきっかけに、踏ん切りを付ける。
そして、今。万感の思いで、右手を天へと突き上げた。
栄光は、まるで太陽の様に輝いて。
誰もが目を奪われた完璧で究極のウマ娘は、ターフを去った。
後に誰かが語ったその言葉は、オグリキャップの標語となった。
「彼女より強いウマ娘は今後現れても、彼女より偉大なウマ娘は現れない」
ウマ娘時間なのでダイヤちゃんのデビューは、数年後(約20年)になります。