「うおおおおおお!!6バ身!!
スゲエエエエエ!!」
「ほう!素晴らしい末脚ですね」
笠松トレセン学園のトレーナーである、北原と柴崎はスマホを覗き込んでいた。
本日東京レース場で行われている、日本ダービー。その生中継が放送されていたのである。
メリービューティーが凄まじい末脚で後続をちぎっての快勝だった。
「いやぁ、やっぱり中央はレベルが違うな」
「そりゃそうですよ、さらにダービーはその中でもさらに精鋭が集うレースなんですから」
柴崎は辺りを見渡した。彼らが座っていた笠松レース場はあまりにも寂しかった。
人も、設備も、何よりそこには熱が無かった。
スマホにうつる世界とは何もかもが足りていなかった。
けれど、と北原は心の中で呟いた。
「でも来年は笠松出身のウマ娘がダービーを獲る」
「オグリキャップさん、ですか?」
二人の脳裏に一人のウマ娘の姿が浮かび上がる。
特徴的な葦毛の彼女、オグリキャップ。
今笠松トレセン学園において、最も注目を集めているウマ娘。
というより日本中から注目を集めていると言っても良かった。
彼女がここまで噂されるのは、彼女を担当する為だけに中央からこの笠松へと来たトレーナーがいたのだ。
それがただの中央トレーナーであれば、精々数日の噂であっただろう。
それでも一目は置かれただろうし、多少の奇異の目で見られはしただろうが。
だが、違った。そんな次元の話ではなかった。
彼女を追いかけてきたのは、今日本で最も注目を集めているトレーナーであった。
日本中の脳を、それはもう真っ黒こげになるまで焼き尽くした「シンボリ姉妹」を担当した彼である。
二人は最強だった。偉大であった。
まだシリウスシンボリは現役中であったが、既にルドルフに継ぐG1最多勝利の記録を持っていた。
そして彼女は今年凱旋門と後いくつかのG1を走った後に引退する事を表明していた。*1
勿論北原も柴崎も、今と同じ様に彼女のレースには齧り付いて応援することを決めていた。
彼女たちの見せる世界にどれほど目を奪われた事か。その栄光にどれほど目を焼かれた事か。
そして、そんな紛うことなき日本レース界の至宝を連れて、彼は1か月程前にこの笠松へとやってきたのだ。
最初の担当のマルゼンスキーもいたので、なんとこの3人だけでG1を軽く30個は取っている。それぞれが世界最強と呼ばれたのだから、正しく無敵艦隊と呼ぶに相応しい陣容であった。
勿論そんな彼らがこの笠松学園を訪れた時の衝撃は、凄まじいものであった。
即座に校長がすっ飛んできて、彼らはすぐに校門から立ち去ったが、それだけでその日は学園中のクラスの授業が進まなかった程である。
というか教師ですら、その日は何が起きたのか噂を必死に耳に入れようとしていた。
そして、その時に北原だけが校長室へと呼ばれた。それがどれほど意味不明で恐ろしい事だったか。
今でも北原はその時の光景を鮮明に思い出せた。
頭の中を占める疑問と、体を縛り付ける緊張に苦慮しながら北原は校長室へと向かっていた。
今呼び出されるという事は恐らくあの4人に関係する事なのだろうが、それで自身が呼ばれる意味が分からなかった。
本当の本当に分からなかった。あまりにも世界が違い過ぎた。
これなら何かやらかして校長室に怒られに行く方がマシかと感じるほどに、意識が圧迫される。
心拍はレース後のウマ娘の様に激しく脈打っていて、深呼吸しても耳に響くリズムは変わらなかった。
そうして心を落ち着ける事は諦めて、あまり扉の前で長くいる訳にはいかないと後ろ向きな決心をして、彼は校長室に入った。
そこには二組に分かれて座る4人の姿と、そして真夏の炎天下ですらそこまでかかないだろうという量の汗を流す校長の姿があった。
そしてもう一人。何もわかってませんと言う顔で突っ立っている、見覚えのあるウマ娘。
昨日のゲート試験でピンと来てスカウトしようとしていた、オグリキャップであった。
そうして校長になぜ呼ばれたのかのあらましを聞いた。
まず彼が昨日のゲート試験の動画を見て、その才能に惚れ込んでスカウトしようと決めたらしいこと。
そのためならばこの笠松に編入しても構わない程らしい。
そしてそのスカウトを受けたオグリキャップが、他にスカウトを受けているから、そのトレーナーとも話がしたいと言った事。
校長は止めようとしたが、彼にそうする様お願いされた事。
それで自身はここに呼ばれたらしかった。
そこまで聞いて、出た感想は。
「オグリキャップ、お前マジかよ」であった。
普通二つ返事だ。というか何をどう考えても悩む要素がない。
今の中央トレセンにいるウマ娘が、一体どれ程彼に担当される事を夢見ていると思っているのだろうか。
彼は負けていない。3人も担当して、G1に挑んで、最後まで走り抜けて。
未だに無敗。土つかず。
それがどれほどに偉大で異常なのか、こいつは理解していないのだろうか。
わざわざ地方編入までして、欲しいと言ってくれているのだ。
中央のウマ娘に呪い殺されるんじゃないだろうか、こいつ。
それに、そもそもいくつかスカウトの話を受けても気になったトレーナーの話だけ聞いて、後は適当に断ればいいのだ。
全員の話を聞きたいだなんて律儀を通す必要などない。いや頼むからやめてほしかった。
そのために、自身は今世界最強のウマ娘達に囲まれ、世界指折りのトレーナーとスカウト合戦を繰り広げるという羽目になっているのだ。
そりゃあ校長もここまで冷や汗を流すという物だ。
なんというか比べる事すら失礼というレベルである。彼はこの状況に不満を持っていないのかと思って視線を向けて、そして思考が止まる。
そこで、北原は燃え盛る炎を見た。
彼の人生を薪木とした、魂の熱量。彼はこの状況に心の底から本気であった。
彼は恐るべき程の情熱で、この担当決めという儀式に信仰心すら持って臨んでいた。
そしてその儀式に参加した自分は、彼にとって対等の敵であった。
ああ、だから彼はここまでの結果を残せたのかと得心する。
それは才能だけで辿り着ける結果ではなかった。
天性の才能と、全てを燃やしつくす程のこの熱量をエンジンにして、彼はここまで来たのだ。
自分がいつしか無くした熱を、彼はその身に収められずに溢れさせていた。
それだけの夢を、彼はオグリキャップに見たのか?
日本中を熱狂させたシンボリの様な夢を、見たのか?
きっと、そうだ。誰もが応援したくなるそんな夢を、目の前の彼は誰よりも見ているのだ。
だから、北原は覚悟を決めた。彼は今も真剣に自分とオグリキャップを見ていた。ここで手を抜く事は出来なかった。
自身の中に燻っていたそれが、彼の熱量によってもう一度火を灯した。
夢の原点が火に照らされる。淡い希望だったそれに色を乗せて、描く。
語った。オグリキャップとなら東海ダービーを目指せると思ったのだと。
この寂れた笠松に、もう一度火を灯してくれる、そんなスターになって欲しいのだと。
彼のそれと比べて、大したことはないかもしれないけれど、夢を必死になって、これでもかと熱を込めて語った。
彼女は自分の話をただじっと聞き入れた。
数度自分と彼とを見比べて、そして彼女は彼と走る事を決めた。
やはり彼に比べて熱量が足りなかった。まだ自分の夢は燃え始めたばかりであった。
だけども、そうだ、スターなんていないのなら作ってやればいいのだ。
俺はここ笠松で誰もが応援したくなる、そんな夢を描こう。
そしてきっと、彼女は彼と夢を描くのだ。シンボリの二人が描いた夢の続きを。
ああ、日本中が目を逸らせなくなるのだろう。日本中がお前に脳を焼かれるのだろう。
オグリキャップ、未来のアイドルホースよ。
お前がどこまで走るのかが、今から楽しみだ。
お前の才能を見出してスカウトの話を出来たことは、自分の一番の自慢になるだろう。
北原の脳裏にあの日の思い出が蘇った。
そして彼は口を開いた。
「そうだ。ダービーも、三冠も、そのさきも。
オグリキャップが、取る」
「確かに。彼がついたんだから、その可能性も高いでしょうね」
「いいや、柴崎。絶対だ、彼らなら絶対にやり遂げる。
また前代未聞の記録を打ち立てるって俺は信じてる」
熱を込めて北原は言い切った。
その様に柴崎は少し目を丸くした。ずっと燻っていた彼が、今はまるで少年の様に目を輝かせていた。
何があったのかと思って、すぐに思い至る。今の笠松で起こってる事など、どうせあれしかない。
自分たちはシンボリにあれ程の夢を見たのだ。ならきっと、もっと夢を見たくなる何かがあったのだろう。羨ましい事だった。
「お前もオグリの練習、見に行ってるんだろ?」
「まあそれは勿論。気にならない訳がないですし。
それにあんな贅沢極まりない併走とかそりゃ見たいでしょう」
柴崎は最近笠松の名物となった併走を思い出す。
新しい担当ウマ娘に、トレーナーの他の担当だったりOGだったりが併走することはまあ一般的な事である。
でも地方のデビューしたてのウマ娘に、三冠ウマ娘が二人も併走するのはもはや阿呆であった。
ここは凱旋門じゃないんだぞと言いたい。
しかも、オグリキャップと走るたびに彼女たちは笑みを深めて、加減を外していくのだ。
もはや他のウマ娘だったら、虐待か何かかと疑うレベルで酷かった。
けれどもオグリキャップはさすが、彼が見出したウマ娘だけあった。
彼女は飛躍的なまでに成長していたし、そして何より二人がどれだけ暴れ散らかしてもそれを逆に楽しめる並外れた根性があった。
驚くべき事にあの二人へ、気合だけである程度喰らいついているのだ。
それが二人の箍を緩めていることは間違いなかったが。
ただそのおかげで、彼女はもうすでに地方とは思えないレベルのウマ娘に成長していた。
それに、彼の隣に立って色々と世話を焼いている彼女もだ。
私はあの二人ほど教えるのが上手くないからと言って、様々な雑用をこなしているが、普通にG1を8勝している化け物である。
本来雑用係なんかにしていい様なウマ娘ではない。どう考えても併走してる側のウマ娘である。
贅沢の極みみたいなチームだった。
そして、彼の訓練で一番気になった事が、彼は訓練前と訓練後に入念なまでにストレッチをさせる事だ。
世界を取ったトレーナーがあれだけ大事にしているのだ。そこに秘訣があるのだろうと、笠松のトレーナーはそのストレッチを入念にチェックした。
だからすぐに気づけた。パターンが、ない。
何をするのか、どれをするのか。それが毎回バラバラなのだ。
そして回数も普通は5回や10回なんかのきりのいい数にする所を、だが彼のストレッチは切りの悪い数字を右往左往するのだ。
信じがたい事ではあったが、つまりその日の体調に合わせて調整しているのだろう。
きっと彼は我々よりもずっと深く見えている。
我々は数日、数か月単位でメニューを組む。そこまでしか見えないからだ。
それだけ経たないと体の変化が分からない。
我々は生きているが故に波がある。しかも一つだけでなく、呼吸や筋肉・血液だとか数多くの波があって、それらが入り混じっている。
だから長いスパンで見ないと分からないのだ。入り混じったそれを、一つの波であると受け入れて眺めるしかない。
だが彼にはその個別の波が見えているのだとしか思えなかった。それは一体どこまで深く潜れば見えるものなのか。想像すらも付かなかった。
これが世界を取るトレーナーの実力なのかと、皆が感嘆した。
そして彼が指摘した二人のウマ娘が検査にてすぐに保健室に叩き込まれた辺りで、その目には無上の信頼と尊敬が寄せられることになった。
彼にはこの世界がどう見えているのだろうか。
彼にはオグリキャップは一体どの様に映ったのだろうか。
彼には積み上げた、あの栄光はどのように・・・・。
柴崎は頭を振った。
我々は東海ダービーの栄光を追いかけるのだ。はるか遠くの頂きなんて見るな。
フジマサマーチもルドルフに軽く併走で揉んでもらえた事でモチベーションと集中力を高めている。悪くない育成状況だ。
まあマーチがあのトレーナーに突っかかりに行ったときはちょっと背筋が凍ったが、彼女が上手く執成してくれて本当に良かった。
もし下手に怒りを買ってシンボリ姉妹に本気で威圧されたら、あのマーチですら折れる可能性が高かった。
併走の見学ですら萎縮してるウマ娘がかなりいるレベルなのだ。
さらに凱旋門賞に出るレベルの能力と闘争心を持ったウマ娘にさえ、彼女たちの本気は堪えると言わせたのだからそれがどれほどのものか想像さえできなかった。
そう考えるとやはりオグリキャップはすごいとしか言いようが無い。
「あの二人のしごきをあれだけ耐えられるんだしな・・・・」
確かに三冠位行けるか、と彼は思考を放棄した。
少なくとも彼の栄光はまだまだ終わらないだろう事だけは確かだった。
そして、きっと自分たちはその栄光の新たなる始まりを目撃してるのだろう。
その栄光がこの笠松から旅立つと思えば、なんて痛快で愉快な事か。
ああ、彼女はこの笠松にも、栄光をもたらしてくれるのだろうか。
Q:シンボリ組オグリ鍛えていいの?
A:シンボリ家は今でも彼にウマ娘の体調診てもらったりしてるし、駆け引きはあんまり叩き込んでないから