イグアスは一人でヘッドブリンガーを走られる。追従してくる機体はいない。そのことに寂しさを覚えている自分がいることに、イグアスは自傷気味に笑う。
「俺は何がしたかったんだろうな……」
いつか、またあの憧れを見たい。そう思いながら、ただ少女が弱くなるようなことばかりをしていた。可愛がって、甘やかして、カーラの言った通りであった。人間らしい表情を見せるようになった少女を見て悪い気持ではなかった。懐かれて、笑顔を見せてくれて、温かい空間があって……それにたいして嫌な予感があった癖に、やめようともしなかった。それで求め続けた憧れが失われていくのも、ほんとうは自分でもわかっていたのではないだろうか。
イグアスたいしてよくもない頭のなかで反芻し続ける。
結局なにもかも認められず、少女を置いて一人で機体を走らせている。それは、少女を捨てたでも、もう吹っ切れたでもない、ただ逃げただけだ。
イグアスは自分のせいで憧れが失われたという目の前の現実を見たくなくて、少女の前から逃げ出した。憧れたあの姿を忘れたくなくて、少女との優しい時間に呑み込まれたくなくて、逃げ出したのだ。
そのことをイグアスは理解している、だからこそ他のことに無理やり意識を持っていく。
当初予定した標的の情報を機体のディスプレイに広げる。現在共有されている情報を見るに、標的が次に現れそうなエリアまで大体2、3日といったところであった。イグアスはこのままぶっ続けでその地点まで移動すると決める。とにかくどこか遠くまで移動したかった。
機体を移動させながら、標的との戦闘について頭を働かせる。共有されている機体のスペックを見るだけで、相手が随分化け物じみているのはわかった。これにたいしてなにか対策を考えねばならない。そうやって敵に対して思考を広げていく。今必要なことはこの敵にたいして集中することだ。イグアスはそう自分に言い聞かす。
だというのに、時折頭の中で少女の声が響く。『私は上手にフィーカを淹れられるんです!』その言葉が耳鳴りのように残って消えない。
「……最後に飲んどきゃよかったか……」
イグアスは、未練がましくそう呟いた。
カーラの指揮するヘリが飛んでいる。いつ飛び始めたのかはわからない。捨てられたショックで私の記憶は曖昧だ。
イグアスは今どうしているのだろうか……私を置いてヘッドブリンガーはどこかへ行ってしまった。話していた仕事に向かったのだろうか……。
その考えにいたり、私はまた青ざめる。イグアスがあの仕事に向かってしまった。そうなったらどうなる。イグアスは負ける。あの相手にイグアスが勝てるようなビジョンは一つも見えない。負ける。撃墜される。そうなった……死ぬ。イグアスが死んでしまう。
「だめ……それはダメ!」
私は一人取り残された部屋を飛び出し、カーラを探す。あちこち走り回って、格納庫にいるカーラを見つけた。格納庫には私が以前乗っていたLOADER4とスティールヘイズが見える。それらの機体を見ながらカーラはタバコをふかしている。
「もう落ち着いたのかいビジター」
私に気づいたカーラが声をかける。
何もないかのような落ち着いた口調が今の私にはどうにもムカムカとする感情を与えた。おそらく腹立たしいというものだろう。あぁそうか……腹立たしいというのはこんな感覚なのか。
「カーラ!イグアスを追ってください!」私はカーラに懇願する。
「どうしてさ?」カーラは顔色も変えず応える。
「このままではイグアスは勝てない敵に向かっていきます。止めないと……止めないと死んでしまう!」
「そうかい。まぁあいつが死にたいって言うんなら、死なせてやればいい」
私の懇願にたいしてカーラは冷たい言葉で返した。私はその言葉に固まってしまう。
「元々、私の目的はあんたの回収だ。ウォルターへの義理もあるし、私だってあんたに思い入れがないわけじゃない。だが……あのチンピラにはそこまで面倒見てやる義理もない。あんたを拾ってくれたことは感謝してるけどね。一人で行きたいってのを引き止めるほどの思い入れは『私には』ないさ」
「じゃあ!私一人でも行きます!スティールヘイズを出してください!」
私はスティールヘイズのコクピットへ向かう。
「ダメだビジター」それを見たカーラが制止する。私は振り返り、カーラのほうを睨む。そうしてまた足を進めようとする。
「命令だビジター」その一言で私の身体はまた止まる。今度はもう一歩も踏み出せない。命令と言われたら止まってしまう。そうしなければいけないと身体に染みついている。
「撤回してくださいカーラ……そして、私に行けと命令してください」
止まったまま私はカーラに懇願する。しかし、カーラは首を振って憐れみむような目でこちらを見ている。
「あのチンピラはどうせ止まらないだろうし……あんた今じゃろくに戦えないんだろ?死体が二つに増えるだけさ」
そうかもしれない。私が今イグアスの元へ向かったところで、結局一緒に死んでしまうだけかもしれない。それでも、私は黙ってここにいて、むざむざイグアスが死ぬのを待っていることなどできない。
「お願いです!カーラ行かせてください!」
私は大声で叫ぶ、それでもカーラは顔色一つ変えない。
「ダメだ。さっきも言ったが私の命令だ。……それは、あのチンピラの命令でもある。あいつ言ってたろ、私の言うこと聞くのが命令だって」
「……っっ」
そう言われると、私はもう何もできない。いやいやと首を振って駄々をこねるだけだ。もうどうしていいかわからない。ウォルターに飼われていたときはこんなことにはならなかった。命令通りに動き、任務を完遂することが私の全てだった。でも今の私は違う。カーラの命令も、イグアスの命令も聞きたくなかった。
私はどうすればいい。わからない。ウォルターに命令を受けていた時のように、またC4-621に、レイヴンに戻ってしまえばいいのか。嫌だ。それはもう嫌なのだ。ごめんなさいウォルター。私はあなたが鍛えてくれた猟犬でいられない。
そうやってウォルターのことを思い出したとき、私の頭の中に最後のウォルターの言葉が浮かんだ。
『これからのお前の選択が……お前自身の可能性を広げることを祈る』
選択だ。命令を受けるじゃない。そうだ、選択することができる。そのことをやっと思い出した。あの時私は選んだ。エアと分かれ、ウォルターの仕事を選んだ。私は選べるのだ。それが辛くても、苦しくても、選んだじゃないか。だから今、選べないなんてことはない。ウォルター……私は選べます。選んで、可能性を広げます。
私はカーラの制止の言葉を振り切り、スティールヘイズのコクピットに飛び込む。急いで機体を起動させる。
「カーラ、スティールヘイズを出してください。でなければ出撃を強行します」
スティールヘイズのカメラ越しにカーラを見る。今度は随分と驚いた表情をしている。
「ビジター!命令を聞けないのかい!」
「…………はい、聞きません。カーラの命令もイグアスの命令も聞きません……」
こういう時はどういう言葉にすればいいのだろうか、私はいままでのイグアスとの会話を思い出す。そうして一つ言葉を見つけた。
「そんな命令は『くそくらえ』です」
その言葉を聞きカーラは驚きを通り越して呆れたような表情を浮かべている。
「私はイグアスを追いかける選択を選びました……命令よりも……そっちのほうが大事です」
私がそう言うとカーラは冷たい表情から笑顔へと変わる。なにやら笑っているようだ。
「そうかい、そうかい……あんたがそう選択したのなら仕方ないか……選ぶのはいいことだ。……私の命令よりも、あのチンピラの命令よりも……あんたが自分の気持ちを選んだって言うなら、私がとやかく言うもんでないね、あんたは私の飼い犬じゃない……そうだね……まぁご友人ってとこか、嫌な響きではあるが」
そう言いながらカーラは笑う。友人……そうか、カーラも私の友達になるのか。そう思うと少し嬉しかった。仲間という言葉よりも友達という言葉のほうが私は近く感じられる。
「まぁ降りてきなよビジター。虐めたみたいで悪かった。元よりこのヘリはあのチンピラを追ってる」
カーラの言葉を聞き、私はコクピットから顔を出す。カーラは優しい笑顔でこちらを見ている。私を騙して引きずりだしたいというわけでもないようだ。
私はコクピットから降りてカーラに聞く。
「どういうことですか?」
「どうもこうもないさ。元からあんたのご希望通りあのチンピラを追ってる」
「ならなんで!」
私が声を荒げたのをカーラは苦笑いで見つめる。これはどういう表情なのかわからない。どことなく優しも感じる。
「あんたがそのまま私の飼い犬になるようなら、最後までは追わなかったさ。さっきも言った通り私にはあのチンピラにそこまでしてやる義理はない。……ただあんたが私の命令も聞かず我儘言うようなら……行ってやるつもりだった。なんだかんだ私はあんたが可愛いからね」
カーラは笑いながら、新しいタバコに火をつける。
「しっかし……我儘通り越してヘリぶっ壊してでも出ていくなんて言うとは思わなかった……やっぱり、悪い男の影響かね……そんなにあいつが大切かい?」
カーラが聞く。
「大切です」
私はまっすぐに答える。
「……たぶん私にとって、今はイグアスが一番大切なんです。……命令よりも……自分の命よりもあの人のほうが大切…………正直……また会って、拒否されたらと思うと怖いんです……でも、それよりもあの人が死んでしまうほうが……もっと怖い……」
「随分とまぁ長々と言葉が出る……もっとシンプルな言い方があるだろうに」カーラは私の言葉を聞き愉快そうに笑っている。
長々と……そう言われると少し困る。この気持ちを端的にどう言葉にしてやればいいかわからなかった。私はその場で、考え込む。
それを見てカーラはさらに笑う。ひとしきり笑ったあと、カーラは私に答えを教えてくれた。
「あんたはあのチンピラが『好き』なんだよ。ただそれだけさ」
そう言われて、私は私自身の気持ちをやっと理解できた。そうか、『好き』それだけでいいのか。私は私の気持ちをやっと理解することができた。
イグアス、私はあなたが好きなようです。だから、大切で、一緒に居たくて、捨てられて悲しい。もう一度あなたと一緒にフィーカを楽しみたい。私はあの時間さえあれば満足できる。だって私はあなたのことが好きだから……好きな人と一緒に、大切な時間を共にしたいのだ。
「私はイグアスが好きです」カーラに笑顔で返す。それを見たカーラは苦笑いだった。
(イグアス……あなたは知っていましたか?私はあなたが好きなんですよ?)心の中でそう呟く。
『好き』この言葉をあなたに言わなければならない。まだ私はあなたに自分の思いを一つも届けていないのだから。
ヘッドブリンガーに通信が入る。仕事の依頼主、レッドからのものだ。イグアスは気だるげに応答する。ここ数日はコクピットの中で揺られ、ろくに眠れてもいない。
「お疲れさまですイグアス先輩」
「……おう」
「この前頼まれてたことですけど……AC2機分の席は無理そうです。というより、はなから俺の言葉なんて上は聞いてもないだけなんですが……」
レッドは申しわけなさそうに言うが。今となってはどうでもよかった。もうイグアスに連れはいない。
「別に元から期待しちゃいねぇよ……それでターゲットの現在地は?」
「今共有します……先輩がいる地点からだと……たぶん間に合いますね。あそこを壊しつくすのは一苦労でしょうから……」
その言葉と共に、レッドから標的の現在地が送られてくる。その内容にイグアスは少し驚いた。
かつてのルビコン解放戦線重要拠点、通称『壁』。随分と因縁のある場所だと、イグアスは少し感慨にふける。
(俺が参加できず、
「死んじまうにしても……ここならお似合いか」イグアスはそう呟く。
「先輩?」その言葉にレッドは疑問を投げかけようとしたが、話すのもわずらわしくなり、イグアスは通信を切る。
機体を『壁』へと向けて走らせる。勝算はいまだ浮かんでなかった。それでも進める足に躊躇いはない。自分の命を含め、もはやイグアスにはどうでもよかった。鬱陶しい仕事も、過去の因縁も、バカな自分もまとめて死んでしまえ。そんな気持ちだった。
ただ少しだけ喉が渇く。少女の淹れたフィーカが頭に浮かぶ。自分で捨てたくせにいつまで未練がましくてしているのだと、イグアスは自分自身を笑った。
「…………バカか俺は」
やっぱりこんなやつは死んでしまえ。そう思いながら、イグアスは標的へと機体を走らせた。