今日もいつものように迷宮へ潜る。
だが今日やることは、いつもやっている地下一階の探索ではない。呪文を温存するために、回復屋も休業だ。
入り口から階段まで直行して、地下二階を目指す。その予定だったのだが、階段を目前とした岐路で、争うような声が聞こえてきた。
声の方向へ向かってみると、そこではあるパーティが言い争いをしていた。
いや、言い争いではないな。五人の男たちが、少年を一方的に怒鳴りつけている。挙句の果てには暴行まで始めた。
仲間ではないのか? でも六人だしな。基本的にパーティは六人というのが不文律になっている。通路の幅や玄室の広さなど、理由は様々だが、それ以上にある噂が冒険者たちを震え上がらせているのだ。
曰く、迷宮に六人より大勢で入ると死ぬ。
十人で入ったパーティは、誰一人として帰ってこなかった。
六人パーティが二組入り、内部で合流して行動を共にする。誰も帰ってこなかった。
そういった事例が、実際にあったらしい。
言われてみれば納得だ。大勢で入ることができるのなら、軍隊なりを投入して一気に制圧してしまえばいいのだ。迷宮から生まれる財宝も、国で管理してしまえばいい。
制圧はともかく、管理自体はできそうだが、素人考えなのかな。貴族とか商会とか、政治的な理由があるのかもしれない。
「あん? 誰だ、そこにいるのは!?」
こちらに気づいたかりあげの男が、威嚇するように声を上げた。
「その少年、ずいぶんと負傷しているようですね。回復呪文はいかかですか? お安くしておきますよ」
「ああ? 回復呪文だぁ?」
「リーダー、こいつ……」
隣の男が、かりあげくんに耳打ちを始めた。どうやら俺のことを知っているようだ。今日は回復屋をやるつもりはなかったのだが、やはり見過ごせないものだな。
「ほぅ、おまえが噂の偽善者か。くはははっ!!」
何が面白かったのか、かりあげくんは盛大に笑い始めた。と思えば――
「お呼びじゃねぇんだよ! 殺されたくなきゃさっさと消えな!」
いきなり怒り始めた。情緒が不安定だな。まあ迷宮の中では神経が苛立つのもわからないではないが。
少年の方に目を向けると、彼は一瞬驚き、そして目を逸らした。
ふむ。助けを求められれば否やはないが、押し売りをするつもりはない。ありがた迷惑ってこともあるしな。事情もわからず我を通すべきではない。
「そうですか。では失礼します」
ペコリとお辞儀して、俺はその場を去った。
やれやれ。いやだねぇパワハラは。
まあいい、忘れよう。
階段を下りて地下二階へ。ここからが本番だ。
少しだけ気温が下がったような気がする。
空気が淀んでいると言うべきか。
感覚をさらに鋭くする。奇襲されれば、一瞬で殺される可能性もある。
慎重に歩を進める。不意に、ヒュッという風切り音が耳朶を打った。反射的に短剣で首元をガードする。キンッという甲高い音が響いた。
白い影が過ぎ去る。すでに短剣の射程からは外れていた。
「
「ギャッ!?」
火球がウサギを捉えた。あぶねぇー、これ本職の盗賊じゃないと察知は厳しいだろ。
"
一体だけで助かったな。玄室から現れる怪物は、大抵が集団で出現するが、徘徊する怪物は少数なことも多い。群れからはぐれたのか、あるいは冒険者との戦闘から逃げ出したのか。まあ、そんな理由だろう。
「"
頭上に光の球が生まれた。
俺はゆっくりと歩を進めた。
しばらく進み、最初の扉を開ける。出てきたのは……。
「またキミたちか」
ウサギだった。まあ奇襲されないだけマシか。落ち着いて対処すれば恐ろしい相手ではない。
ウサギ四体を《
売れるのだろうか。効果はわからないが、呪われたアイテムではなさそうなので、とりあえず腰から提げておく。
警戒を続けながら、迷宮を進んでいく。
今のところは順調だ。最初のウサギ以降、徘徊する怪物にも遭遇していない。あいつらは宝箱を落とさないからな。できれば遭いたくはない。
次の扉が見えてきた。ただの小部屋か玄室か。
扉を開く。この瞬間は、いつだって緊張する。未踏の領域となればなおさらだ。
薄闇の中から、不気味な生き物が、のそりと姿を現した。
閃きが走る。
――ゾンビ
不死系の怪物。爪や牙には、麻痺毒が宿っている。
初めて見る怪物なのに、情報がふっと浮かんでくる。一階でもそうだった。おそらくこの身体に、この脳に、刻まれているのだろう。
今は、ありがたく思っておこう。
敵は五体。悠長に斬り結んでいるヒマはない。少しでもかすれば、麻痺を喰らう。ならば、一撃で仕留める。
「
手の平から光が迸る。溢れ出た光は炎となって薄闇を塗りつぶし、五体のゾンビを包み込んだ。炎の嵐は腐敗した身体を焼き尽くし、ついにゾンビは滅びた。
《
マハリトでもよかったかな。まあいいさ。侮って抜けてこられるよりはマシだ。こっちはソロなんだから、臆病なくらいでちょうどいい。
探索を続ける。
次に出てきたのは、床を這いずる粘液の塊。クリーピンググラッドだ。毒を持っているが、三体なら呪文を使うまでもない。
掬い上げるように短剣を走らせる。粘液の塊は弾けるように飛沫を飛ばした。
結構やれるモンだな。
たしかに一階と比べれば、厄介な怪物が多い。中にはクリーピングコインのような、よくわからない怪物もいた。
宝箱から出てくる金貨の量も増えている。
そろそろ呪文の残数も心もとなくなってきたな。次の玄室で最後にするか。
扉を開く。怪物は、出てこなかった。
ただの小部屋……ではないな。前回の冒険者が狩ってから、時間が経っていなかったのだろう。
「焼死体と、宝箱の跡。開封にしくじったか」
床が焼け焦げている。放射状に広がる焦げの中心には、長方形の跡が残っていた。そこに宝箱があったのだろう。
その手前には、黒焦げになった人間が横たわっていた。小柄で、子どものようだが、たぶん
死体がひとつしかないということは
まあ、そうだよな。ゲームじゃあるまいし、パーティ全員が宝箱付近にいる理由はない。万が一に備えて避難しておくのが普通だ。
妙なのは、死体を放置していることだ。
「見捨てられた……か?」
若者を使い捨てにする。そういうクランがあることは聞いている。一階で出会ったあのパーティも、そういう手合いだろう。
ああいうやつらが蘇生費用を出してくれるかは疑問だが、まあいい。一応死体袋は持っているし、回収しておくか。
「ま、帰るタイミングとしては頃合いか」
黒焦げの死体を袋に詰め込むと、俺は迷宮の入り口に向けて歩き出した。
◇
探索を終えて、地上に戻る。どうやら日没までには間に合ったようだ。
迷宮内では時間の流れが把握しにくい。腹の減り具合や物資の消費量で時間を測るのが一般的のようだ。
腕時計でもあれば便利なんだけどな。
とりあえず、今日の成果を売りに行った。ウサギの尻尾は意外にも高く売れた。
店の親父が言うには、これを目に見える場所に付けておくと、ウサギに襲われにくくなるらしい。
そういえば、これを付けてからはウサギの奇襲には遭わなかったな。
売らない方が良かったかもしれない。とも思ったが、今は金の方が優先だ。借金があるというのは、やはり落ち着かない。
武器や防具よりも、
もし宝箱から出てきたら、一発で借金返済だな。まあ滅多に出てこないから、高値で取引されているのだろうが。
精算を終えて、寺院へと向かう。いつもの柔和な笑顔が俺を出迎えてくれた。
「あら、今日はおひとりではないのですね」
肩に担いだ死体袋に目を向けながら、シスター・アイニッキは呟いた。
「地下二階のレーアです。回収願いは出されていますか?」
「少々お待ちください」
瀟洒な笑みを浮かべて、シスター・アイニッキは奥へと消えていった。
そしてしばらくの後、姿を現した。
「そうした届け出はありませんね」
「そうですか」
「どうされますか?」
覗き込むように、シスター・アイニッキはこちらに視線を向けた。
蘇生をするには、喜捨が必要になる。当然、前払いだ。
「蘇生をお願いします」
「はい。ではこちらの台に」
死体袋から中身を取り出し、台上に寝かせる。シスター・アイニッキは、黒焦げの身体にシーツをかぶせた。
ああ、そうか。服も焼失しているだろうからな。全裸ってのは、さすがに気まずい。
シスター・アイニッキが厳かに聖句を唱え始める。死体が淡い光に包まれ、蘇生の儀式は佳境を迎えた。
――囁き、祈り、詠唱、念じろ!
光が強くなる。焼け焦げていた皮膚が色を取り戻し、死者が生者へと変わった。
……女の子だったのか。
「神はあなたの更なる生の価値をお認めになりました。これまで以上の、善き生を」
あいかわらずの言い回しだ。こういうところは、まだ慣れないな。
「……ここは、寺院? そうだっ! あたし、宝箱の開封に失敗して……」
やはり、想像通りか。
「はじめまして。俺はジョン。キミの死体を回収した者だ」
「……あ、はい。あの、ありがとうございました。わたし、アルテといいます。クランの人、じゃないですよね?」
俺の顔に見覚えがなかったのだろう。アルテと名乗った少女は小首を傾げた。
「ああ。たまたまキミの死体を見つけただけだ。回収代はいいが、蘇生費用は払ってもらいたいな」
これは寺院の取り分だからな。俺の厚意というわけにはいかんのだ。そりゃま、蘇生させたのは俺の勝手、生き返らせてくれと頼んだわけじゃない、なんて言われたら、返す言葉もないが……。
「はい。いくらでしょう?」
アルテは素直に応じるようだ。
「金貨千二百枚」
「千二百枚……」
俺の蘇生費用の二十分の一以下だが、アルテにとっては大金のようだ。彼女のレベルが低いのか、俺のレベルが高いのか。あるいはその両方か。
「一応訊くが、支払いの当てはあるか?」
信用できる人間に金を預けたり、あるいは隠しておくというのは常套手段ではある。
「……ない、わ。でも、支払いは必ずするから!」
アルテは毅然と言い放った。とそこで、袖をクイッと引っ張られた。
(どうやらあの子、見捨てられたみたいですよ)
(そのようですね)
回収願いも出されておらず、装備も道具も持ってないということは、そういうことなのだろう。ご丁寧に、盗賊には必須の開錠道具まで回収されている。
(彼女のクランが、ちょっかいをかけてくる可能性もありますよ)
(かもしれませんね)
アルテのクランが蘇生費用を出すかどうかは……まあ出さないだろうな。よしんば出したとしても、彼女にとってそれが良いことなのかどうかもわからん。
彼女がソロで稼げるかどうかは、まあ難しいだろうな。
パーティを組む? 新人を育てるような余裕を持つパーティは少ない。上手くタイミングが合えば、新人同士で組めることもあるだろうが。
助けておいて、あとは知らないというのも気が引ける。助けたからには、責任は持ちたい。
(ま、乗りかかった船ですから)
俺がそう言うと、シスター・アイニッキは柔らかく微笑んだ。
(あの子、どうやら魔法の才能がありそうですよ)
(……本当ですか?)
わかるんだ、そういうの。俺は全然わからなかったが。
「ねぇ、二人で何をコソコソ話し合ってるの?」
と、アルテがジト目で問いかけてきた。
「キミの返済計画を立てていたのさ」
そう返すと、アルテは神妙な表情を浮かべた。
「大丈夫ですよ。二人ならば金貨の千二百枚くらい、すぐに稼げます!」
「……二人?」
「はい! あなたはジョン様の最初のパーティメンバーです!」
なんか、すごく嬉しそうだな。俺がソロでやっていることを心配してくれていたのだろうか……なんて、そんなわけないか。
「……いいの? わたし、大したことはできないけど……」
「大丈夫! あなたには魔法の才能があります!」
「ふぇっ!?」
シスター・アイニッキはアルテの手をガシッと掴み、熱く語り始めた。
「まあ、そういうわけだ。正直、キミ一人で稼ぐより、二人で潜った方が稼げるだろう。だが無理強いはしない。どうしても嫌というなら……」
「やります!」
と、食い気味にアルテは答えた。
「あいつらよりはマシみたいだし……」
「ん?」
「ううん! なんでもない! これから、よろしくおねがいします!」
そう言って、アルテはペコリと頭を下げた。
「ああ、よろしく。装備も買い揃えないとな。今日はもう遅いし、装備を調えるのは明日にして、飯でも食いながら今後のことを話すか」
「……あんまり、おなかは減ってないけど……。それに、お金もないし」
そういえば、俺も蘇生直後はそこまで空腹感はなかったな。匂いで一気に空腹感を覚えたんだっけか。
だが飢餓状態のときに栄養を摂りすぎると、なんかヤバイって聞いたことがある気もする。うーん、蘇生直後ってどういう状態なんだ?
まあいいか。俺が大丈夫だったんだから、彼女も大丈夫だろう。
「じゃあ、麦粥でいいだろ。何も食わないよりはマシだ。金のことは心配するな。快気祝いで奢ってやるさ」
ポンとアルテの頭に手を置いた。
おっと、つい子どもを扱うみたいにしてしまった。レーアは小柄な種族というだけで、成人している可能性も十分にあるんだよな。これから気をつけないと。
「装備のことなら、私もお役に立てると思います。明朝、寺院までいらっしゃってください」
シスター・アイニッキは、聖女のような笑顔でそう言った。