――ナマズンの池
冒険の拠点として最低限の各種施設しかないゲームの町と比べると、この世界のポケモン広場は一回りも二回りも規模が大きい。大通りには救助隊向けの施設のほかにも、食料品店や本屋といった日々の営みに欠かせない店も揃っており、広場全体は円形に広がる構造をしている。広場の中央からは大通りが東西南北へと伸び、行き交うポケモンたちの姿が常に絶えない――とはいえ、人間世界の町ほどではなく、一時間もあれば、ひと通り歩いて回れるくらいの広さだ。
この大通りを北に進めば、大きな池が姿を見せる。澄み渡る水面には蓮の葉と白い花が浮かび、池の底からせり出した飛び石が、中央にある一際大きな飛び石へと道のように続いている。さらにその奥、半円を描くように囲む崖の上からは四本の川が池へと流れ込み、水飛沫に光が差して、淡く儚い虹を架けている。
滝の傍ならではのひんやりとした清らかな空気を胸いっぱいに吸い込んだハルトは、背筋をゆったりと伸ばしながら大きく息を吐き出す。心なしか、体の奥まで清められるような気がした。
「……ふぅ。さてと」
ハルトは改めて池全体を見渡す。ナマズンの池――主の名からそう呼ばれるこの池には、中央の大きな飛び石を除けば、草むらとベンチがあるだけの、手つかずの自然がそのまま残されたような場所だ。落とした手紙が飛ばされて草むらに紛れ込んでいる可能性もあるが……まずは、ベンチ周りを調べるのが先決だろう。
「……うーん、見当たらないなぁ……」
一つ一つ、ベンチを丁寧に確認していく。座面の下や背もたれの裏、さらには周囲の地面にも気を配って目を走らせてみたが――それらしいものは、いくら探しても見つからない。ついには草むらへも視線を送ったが、やはり手紙の1通すら落ちている様子はなかった。
滝の冷気に頬を撫でられながら、中央の飛び石へと足を向けた。水面に映る景色へ一度だけ視線を落とし、池のほとりをゆるりと眺める。
「空振りかな……この辺りが怪しいと思ったんだけどなぁ……」
「おや、もう諦めるのかい?」
「!? うわっ……わっ、うわぁあっ――!?」
突然、背後からかけられた声に、ハルトはびくりと肩を跳ね上げた。反射的に振り返ろうとした拍子に足を滑らせ、大きく後ろへと仰け反る。視界が一瞬揺れ、飛び石からドボンと――
「……って、あれ?」
――水の中に落ちたかと思いきや、着地したのは、何か柔らかいものの上だった。背から倒れるままに軽く腰を打ちつけ、勢いよく両手を突く。……と、掌に伝わるのは、やけにヌメヌメとした肌触り。その感触に眉を顰め、恐る恐る下を見れば、そこにいたのは、青く丸い……
「……ナマズン?」
「ああ。周りからは長老なんて呼ばれているよ」
大きな体と黄色い髭が特徴のナマズ型ポケモン、ナマズン。大きな沼を丸ごと縄張りとし、沼底で獲物を待ち伏せる。目があまり良くないので、髭で水の振動を読み取って狩りを行う。縄張り意識が非常に強く、敵を感知すると暴れて地震を――そこまで思い出したところで、ハルトは大慌てでナマズンの頭の上から飛び退いた。
「す、すみません! その、頭の上に――」
「よろしよろし。いきなり声をかけた私も悪かったからね」
しかし、驚くほど温厚に応じるナマズンは気にした素振りもなく、むしろハルトに対して申し訳なさそうに語りかけた。その表情と声音からは怒りや不満の気配は微塵も感じられず、ただこちらを慮るような穏やかな眼差しを注いでいる。
「それにしても……」
しなやかに水面を跳ねたナマズンが光に包まれる。進化の光にも似た輝きの中で自らの姿を人のそれに変えた彼女は、波や音のひとつも立てずに水面へと舞い戻った。
紺青の和服に身を包んだ、背筋の通った年配の女性。若々しさこそないが、その佇まいは凛としており、視線や仕草の一つ一つに重ねた歳月の深みが滲んでいる。まさに『亀の甲より年の功』を体現するような落ち着きを湛えていた。
「人の姿に……!?」
「やっと会えたね……ちょっといい?」
何かを探るようにハルトに右の掌をかざしたナマズンの老婆は、胸の辺りからヘソの前までシワの刻まれた指先を滑らせていく。微かに目を開き、小さく息を呑んだような声を漏らした。
「……これはまた」
「……?」
「大体『聞いた』よ。無くした手紙を探しているんだろう?」
一歩進むたび、小さな波紋を広げながら老女は水面を渡っていく。導かれるようにその背を追えば、やがて辿り着いたのは、広場の片隅に立つ一本の木。彼女が指し示した先――重なり合う枝と枝の間に、それはひっそりと挟まっていた。
「あっ、あれって……!?」
「目の付け所は悪くないけど……もう少し、しっかり調べないとね」
調査の甘さを指摘するその言葉に、反論の余地などあるはずもなかった。もしも彼女に声をかけてもらえなければ、自分はあのまま何も気付かずに帰ってしまっていたかもしれないのだから。こんなにも近くに目的の物があったというのに……。ハルトが自らの不足を省みていると、老女はツンと何かを突くように人差し指を動かした。
「”じしん”」
それは、今のハルトでは真似はおろか、理解すら難しい神業としか言い様のない一撃だった。
本来、”じしん”はじめんタイプのエネルギーを大地に打ち込むことで、その名の通り、地震の衝撃で自身の周囲を攻撃する技だ。高威力かつ命中安定の反面、味方を巻き込む危険性がある。
しかし彼女は、極少量のエネルギーを空中に解き放ち、手紙の周囲にだけ小さな震動を発生させた。これを絶技と言わずして、なんと呼ぶべきか。
「私たちは玉響を積み重ねて生きるもの。この世界は、玉響を経て変わっていく。気が遠くなるその果てに、あなたたちは何処に行く? 私はそれを、見守るだけよ」
ひらひらと落ちてきた手紙を、老女は風に手を添えるように受け止め、そのままハルトへ差し出した。
「救助隊として、これからも頑張りなさい。あなたは、そう決めたのだから」
彼女は一体何者なのだろう。何を知っているのだろう――そんな疑問が頭を過ったが、それを口にすることはなかった。きっと、尋ねたところで答えは返ってこない。なんとなく、そんな気がしたのだ。
南東に一度、次いで南西に一度視線を移した老女は、それから改めてハルトへと向き直る。
「……お友達も、手紙を見つけたようだね」
「え……?」
「また会いましょう。……あなたたちにとって、良い道を見つけられますように」
言葉少なな見送りの中、老女の眼差しに背を押されるようにして、ハルトはその場を後にした。去り際に一度だけ振り返ってみると、彼女は既に池の方へ向きを変えており、再びナマズンの姿に戻るところだった。悠然とした尾ひれで水面を切り、たちまち池の深みへと潜っていく。まるで現と夢の狭間に溶けたかのように、気配だけが波紋に滲んで消えていった。
――ポケモン広場
「おおおっ! そうです、これです!! 見つけてくださって、ありがとうございました!」
広場の南で合流したハルトたちは、それぞれが見つけた手紙を順に取り出した。パレッタは目を丸くして受け取り、一通ずつ名前と封の印を確かめていく。確認を終えると、ぱっと表情を明るくし、感極まった面持ちで深々と頭を下げた。
「……こんなに親切にしていただいては、恩返しをしないと気が済みません」
一頻り礼を尽くしたあと、パレッタは手紙をそっと鞄に仕舞い直した。封筒を一通ずつ撫でるように整えると、改めて鞄の奥へと手を伸ばし、代わりのように別の何かを取り出す。
「これはお礼です!」
手渡されたのは、1500ポケの入った小袋と、褐色の瓶が三本。それぞれの瓶には、技の威力・命中・PPを上げる栄養ドリンク――『いりょくガツン』、『めいちゅうガツン』、『PPガツン』のラベルが貼られている。
思いがけないほどの礼に一同は目を見張ったが、差し出すパレッタの手には一切の迷いがない。驚きながらも、三人はその厚意をありがたく受け取ることにしたのだった。
チーム:アーカイブス
ハルト(ヒトカゲ) Lv.11
・りゅうのいかり
・はじけるほのお
・かみつく
・ひっかく
・ひのこ
・ドラゴンクロー
・えんまく
ローリエ(チコリータ) Lv.13
・げんしのちから
・はっぱカッター
・たいあたり
・くさむすび
・どくのこな
・こうごうせい
カンナ(ポチエナ) Lv.10
・たいあたり
・とおぼえ
・すなかけ
・バークアウト
・さしおさえ
・かみつく
登場人物
ナマズン婆 :フウ 元ネタ:モンハンワイルズより『耳の方』