Adiairetos - 分たれざる者 -   作:上條つかさ

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「謎の書庫ぉ?」
 栗毛は机に突っ伏したまま、やや迷惑そうに顔を上げた。光を反射する机の上には開きかけのノートが一冊。その傍らには鉛筆が転がっている。窓から差し込む陽はまだ明るいが、どこか黄味を帯びてきていて、影が長くなりはじめていた。
「そう。中央棟に地下書庫があるのは知ってるでしょ?」
 芦毛は前のめりになって声を弾ませた。毛並みに触れた光が、白銀色にきらめく。
「……あの、本棚ずらーって並んでる、書庫?」
「そう。それ。実は、あの奥にはもう一つ扉があって、別の書庫に繋がってるんだって」
「へぇ……」
 芦毛の目がますます輝くのとは対照的に、栗毛は興味がなさそうに目をそらした。教室の窓の外には、傾き始めた陽が校舎の壁を赤く染めている。
「つれないわねぇ。もしかしたら、お宝があるかも知れないじゃない」
「……あのねえ。学園にそんなものあるわけないでしょ。せいぜい下水道の点検口とか、そんなんよ」
「そ、こ、で! ……じゃん!」
 芦毛は勢いよくポケットを探り、くしゃくしゃの藁半紙を二枚取り出した。
「地下書庫……利用申請書?」
 栗毛は一枚を受け取り、手早く目を通す。申請日、名前、学籍番号……記入欄はどれもごく普通のものばかりだ。下半分にはありきたりな規則が並んでいる。
だいたい、これは職員室の前にあって、誰でも持っていける用紙だ。秘密の入り口に繋がるような文言など、あるはずもない。
「百聞は一見にしかず。見に行きましょう!」
 芦毛は栗毛の手を引こうと身を乗り出す。
「ええ? 今から?」
「一人じゃ心細いの。ついてきてよ」
 栗毛はため息をついてから、ようやく腰を上げた。
「もう……ほんとに、ちょっとだけよ? レースが近いんだから」
「ありがとうっ!」
 芦毛は嬉しそうにぱたぱたと足音を響かせて先に立つ。栗毛はその背中を見送ってから、小さく笑って後を追った。





 司書室。

「よろしい」

 申請書を確認したアルセは書類に判をつくと、壁に架けられた鍵束の中から一本をとった。

「これが書庫の鍵だ」

「お借りします」

 芦毛は鍵を受け取った。

「わかっているとは思うが」

 アルセの眼鏡がきらりと光る。が、続きを言いかけて、あからさまに目を逸らした。まるで、言ってはいけないことを言いかけたように。

「……中の本は、全て貴重なものだから、大切に扱うように」

「はーい」

 二人はそれを気に留めることもなく、鍵を持って司書室を後にした。

 

 *

 

 傾いた日の光を背に、二人が階段を降りていく。白いコンクリートの壁に、コツン、コツンと、靴がリノリウムを踏む音だけが響いていた。

 二人は薄暗い廊下に降り立った。壁には『地下1階』の札がかかっている。ここで間違いない。

 天井の蛍光灯は、踊り場までしか点いていなかった。見上げると、廊下の蛍光灯は取り外されている。

「こっち?」

 栗毛が覗き込んだのは、他の階ならば階段が続くはずの折り返し。しかしそこには、古い机やロッカーがうず高く積まれていた。奥の方は真っ暗で、何もないように見えた。

「違う。こっち」

 短い廊下の突き当たりに、その扉はあった。地下独特のひんやりとした空気が流れている。

「……これね」

 白い扉を前にして、芦毛は緊張感たっぷりに漏らした。

「どう見ても、お宝って雰囲気はないわねぇ」

「木を隠すなら森の中っていうでしょ。さあ、開けるわよ」

 鍵を差し込んで、ひねる。

 ノブを回すと、ドアはあっけないほど簡単に開いた。

「ええと、電気は……あった」

 パチっ。

 スイッチを入れると、蛍光灯が奥へ向けてパチン、パチンと灯っていく。一番奥の蛍光灯がぐずるように瞬いた後、全ての灯りが点いた。

 見渡すと、真ん中には一本の通路があって、左右には天井まで届く書庫がずらりと並んでいる。書庫は二人が想像していたよりも、ずっと奥行きがあった。

 まるで地下にもう一つの世界が広がっているかのように、棚の列が続いている。

「……静かね」

「普段、誰も来ないんでしょうね」

「奥まで行ってみる?」

「うん」

 二人の足音がコツコツと響く。棚はぎっしりと本で埋まっていた。書架の隙間から、本がこちらを覗いているようで、思わず背筋が伸びる。

 奥へゆくほどに、本はどんどん古くなっていく。

 ついに、書架にあるのは本の形をしていない、巻物や紙束になった。

 二人は、古い紙の臭いに包まれた。

「これ、なんだろう」

 通路の突き当たりには、ひと組みの机と椅子が置かれていた。

「机? すごく古そう」

 それは全て木でできていた。長い歴史を物語るように、机にも椅子にも、至る所に傷がついている。しかも、今この瞬間まで誰かがいたかのように、椅子がほんの少し引かれていた。

「なんでこんなところに?」

「さあ。書き写しとかに使うんじゃないの」

「でも変よ」栗毛が机の中を覗き込む。

「鉛筆もないし、ノートも、紙も置いてない。だいたい、こんなに傷だらけじゃ、ちゃんと書けないじゃん」

 確かに、机は天板まで傷だらけだった。まるで、誰かが何かを刻もうとした痕跡だけが、そこに取り残されているようだ。

「何か掘ってある」

 芦毛が、天板に意味ありげに掘られた一つの言葉を見つけた。

「英語じゃない……ア、ア……なんて書いてあるんだろ?」

 - Αδιαίρετος -

「昔の生徒のいたずらでしょ」

 読みもせず、栗毛がそう答えた。

「そ、そうだよね」

 その時、芦毛の背中を冷たい風が吹き抜けた気がした。ぞくりとして、ゆっくりと振り返る。

 視界の中は通路と、ひたすらに続くように見える書架だけ。蛍光灯に照らされた出入り口の扉が、白く光っていた。

「も、もう帰ろっか」

「そうしましょ」

 二人は小走りで書庫を出た。しっかりと鍵をかけ、一気に階段を駆け上がって、下駄箱の横を抜けた。

 外に出ると、すっかり夕方になっている。

 二人の眼前には、何の変哲もない、いつもの学園の光景が広がっていた。

「……結局、なんにもなかったね」

 芦毛が、ぽつりとつぶやいた。

 

 *

 

「秘密の書庫? はっはっは!」

 戻ってきた二人の話を聞いた司書アルセは、腹を抱えて笑い声を上げた。

「生徒時代から学園にいるが、そんな話は聞いたこともないぞ!」

「やっぱり、噂だったんですね」

 二人はしょんぼりとして鍵を差し出した。アルセは鍵を受け取ると、そっと壁の鍵束へ戻した。

「はっはっは……まあ、あんまり深入りしないことだね」

 アルセは笑いながら、ふと視線を閂のついた書類棚へと移した。

「慣れた道だからこそ、迷子であると気づくのには、時間がかかるものだよ」

 その眼鏡越しの視線に、二人は一瞬、不気味な寒気を感じた。

「それにしても、いつの時代も変わらんね。七不思議だとか怪談だとか、いったいどこから湧いてくるのやら」

「先生の頃にも、七不思議みたいなものはあったんですか?」と芦毛。

「あったあった。夜中に人体模型が走るとか、音楽室の肖像画が動くとか」

「なんですか、それ」栗毛が思わず吹き出す。あまりに古典的な怪談に、二人はけらけらと笑った。

「そう言うな。私たちのころは真面目に怖がっていたんだぞ。さあ、そろそろ帰りなさい。夕食の時間だよ」

「失礼しまーす」

 二人は廊下へと出た。

 黄色い夕暮れの光が、視界を一色に染めている。静まり返った廊下を、二人はとぼとぼと帰路に着いた。

「なんか、拍子抜け」

 芦毛はすっかり気を削がれていた。

「言ったでしょ。なんにもないって、わっ」

 角を曲がったところで、目の前に背の高いウマ娘が音もなく現れた。

 ぶつかりそうになってしまった芦毛が「あっ……、すみません」と、小さく言った。

 そのウマ娘は答えもせず、二人に茫洋とした視線を向けた。薄い薄い灰色の瞳がこちらを見ている。しかしそれは焦点があっておらず、どこか遠くを見ているようだった。そのウマ娘はふらりと前を向くと、そのまま廊下の奥へと消えていった。先にあるのは、二人が出てきた司書室と、図書室だけだ。

「今の生徒……誰だっけ?」

「さあ。この時間にいるんだから、先輩の誰かでしょ。行こ行こ」

 栗毛がさっさと歩き出す。

 栗毛の影が退いた時、芦毛は、床に何かキラキラと輝くものが散らばっていることに気づいた。

「……砂?」

 指先で掬うと、それは砂だった。しかも、ダートで使うものではない。まるで天の川がこぼれ落ちたような、美しい淡い青色の砂だった。

「おーい、置いてくよー?」

 栗毛の声が廊下に響く。

「あ、待ってよ!」

 二人の足音がパタパタと廊下に響き、消えて行った。

 遠くで、じゃらりという鍵束の揺れる音がした。




……まだ、追ってこられましたか。

あの子たちは、無事に帰りましたよ。

もう、危うい目に遭うことはないでしょう。
なぜなら、彼女たちは――まだ「探して」などいないのですから。

でも、あなたは違う。

あなたは探してしまった。
そしてまた一歩、誘われてしまった。

だから、お尋ねします。
次に道が分かれたとき、あなたは――
どちらを選びますか?

私は祈っています。あなたの手のひらに、あの青い砂が残っていることを。

それがまだ――あなたの、戻れる証であることを。
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