Adiairetos - 分たれざる者 -   作:上條つかさ

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 大きな重機が、壁に爪を立てる。コンクリートの破片が、雨霧の中へ散らばっていく。

 

 一人の年老いたウマ娘が、その様子をじっと眺めていた。

 

 四階の、一番奥の部屋。

 

 かつて図書室と呼ばれていたその部屋に、重機の牙が刺さる。

 

 彼女が誰なのかを知るものは、この世界には、もういない。

 

 瓦礫となっていくコンクリートのかけらだけが、涙を流すように、ぱらぱらと音を立てていた。

 

 年老いたウマ娘は、ただ、立っていた。

 

 長い友を見送るように、立っていた。

 

 

 

 

 ……彼女が眠りについてから、半世紀以上が過ぎた。

 

 私が学園を去ってからも、鍵は私と共にあった。

 

 きっと彼女は、今も安らかに眠っているのだろう。

 

 だから、これでよかったのだ。

 誰も知らないものは、誰にも探されない。

 

 探されなければ、見つからない。

 

 見つからなければ、彼女は、ずっと静かに眠り続けることができる。

 

 あとは、全てを知っている私が、この世界を去ればいい。

 

 私は、彼女に名を与えてしまった。だから彼女は、この世界に囚われた。

 

 彼女に呪いをかけたのは、私なのだ。

 

 私はずっと、後悔し続けた。

 彼女をこの世界に縛りつけたのは、間違いだったのではないかと。

 

 だから私は、解体される校舎を見に行った。

 

 私以外の、唯一つの物言わぬ当事者。

 それも、今はもはや、私に忘れられることの恐怖を教えようとする存在でしかない。

 

 大きな重機が、壁に爪を立てる。コンクリートの破片が、雨霧の中へ散らばっていく。

 

 私は、その様子をじっと眺めていた。

 

 四階の、一番奥の部屋。

 

 かつて図書室と呼ばれていたその部屋に、重機の牙が刺さる。

 

 私が誰なのかを知るものは、この世界には、もういない。

 

 私が何をしたのかを知るものも、この世界には、もういない。

 

 瓦礫となっていくコンクリートのかけらだけが、涙を流すように、ぱらぱらと音を立てていく。

 

 あなたがもう一度、忘れられた存在になるならば、あなたは自由を手にできるのだろうか。

 

 あなたにもう一度会うことができたなら、あなたは私を赦してくれるだろうか。

 

 その日が訪れるまで、私は自分を、罰して生きようと決めた。

 

 私は、瓦礫の中へと鍵を捨てた。

 そして、渾身の力を込めて砂時計を踏み壊した。

 

 私ではない誰かが、いつか扉を開けてしまわぬように。

 

 私ではない誰かが、いつか私のようになってしまわぬように。

 

 そしていつか、私だけが、その扉を開けられるように。

 

 さようなら。私の記憶。

 さようなら。私の生きた証。

 さようなら。アディエラトス。

 

 

 私だけはずっと、君を、覚えていたよ。

 

 

 

 




 



 ……彼女が、旅立ちました。

 結局、最後まで、私のところには来てくれませんでしたね。

 ここまで見届けていただいて、ありがとうございました。

 これで、私の物語も終わりです。

 私が名を失えば、この世界も壊れてしまうでしょう。

 そうすれば、私もまた、旅に出る。
 ご心配なく。これは、運命です。

 もしかすると、いつか、どこかの世界で、お会いするかもしれませんね。

 その青い砂は、あなたが持っておいてください。
 どうか、いつまでもお元気で。

 最後に一つだけ、お願いがございます。





 もう一度だけ、私のことを、呼んでくださいませんか?

 
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