もしも台所の流し台が肩より高かったらと、さぞ使い難いだろう。
仕事をする机が高すぎたら椅子に座るのも一苦労だし、居眠りしてウッカリ転んだだけで大惨事になりかねない。
そんな特大サイズの机ですら、ちょっと物足りないと思わせる師団長のエグゼルヴィアは、身長が優に3メートルを超える巨人だった。
直立させたスノーブレイザーよりもデカい。
「うふふふっ、驚かせてしまったかしら」
巨体に反して、エグゼルヴィアの声や喋り方は相手に安心感を覚えさせる。見上げてくるシンクに返す笑顔も柔らかい。
フワフワしたプラチナブロンドを両肩から流して、睫毛の長い垂れ目が如何にも上品だ。鼻立ちもくっきりして、ふっくらした唇は艶めいている。
中でもシンクの目を引いたのは、天板に乗っかりそうなほど立派なバストだった。鋼鉄の胸掛けが跳ね上がって上に乗ってしまって防具の意味をなさない、豊満という言葉も生ぬるい爆裂級の爆乳だ。
「はっ。失礼しました、ここまで大きな方とは面識がありませんもので」
敬礼するシンクが指した『大きな』は、無論身長に掛かっている。
「うふふ、正直な方。ちなみにわたしも、貴女ほどの美人さんとは会ったことがないわ」
冗談か皮肉か、のほほんと微笑みを崩さないエグゼルヴィアは、天板に置かれた紙束を手に取った。アンスリアムが偽造したシンクの経歴書で、具体的な内容はシンクも知らない。
「わたしのことは『ルヴィ』と呼んでくださいな。わたしも『シンクさん』と呼ばせていただきます」
「よろしいのですか?」
「あまり畏まっても息苦しいでしょう? それに師団長と言っても、半分はお飾りなんです。実戦の経験もありませんし」
自虐するでもなく語るエグゼルヴィア――ルヴィに、思わず「でしょうね」と同意しそうになったシンクは、口を噤んで押し黙った。
こうして対峙していても、ルヴィからは緊張感や警戒心といったものが感じられない。どんな時でも泰然自若の達人……だったら言う事ないのだが。
頭の中がお花畑……と言ったアンスリアムの言葉が蘇る。
「じゃあ、早速施設の紹介をしましょうか。広い建物ですからね、まずは宿舎から――」
「いえ。それよりも団員の訓練を見せて頂きたく」
席を立とうとしたルヴィが、不思議そうな顔で動きを止めた。
「えーと、今からですか?」
「ちょうど午後の訓練時間でしょう。自分が鍛えにゃならんヒヨッコどもの様子を見ておきたいのです」
「……うふふっ、真面目ですのね。分かりました、ではグラウンドから案内しますわ」
天井に梁に頭をぶつけぬよう注意しつつ、ルヴィは席を立った。
そのゆったりした動作は、巨体で周囲を壊さないよう配慮しているからか、はたまたそのように見えるだけなのか。
廊下に出てからは、まるでエアダクトでも進むように腰を屈めて歩いていく。
(ほんっとーに素人みたいだな、こいつ)
目の前で無防備に突き出された、ルヴィの特大臀部が揺れる。手を伸ばせば簡単に掴める隙だらけなそれに鼻の下を伸ばしながら、シンクは彼女の後に続いた。
「いくわよぉーっ! せぇーの!」
『アン! デュッ! トロワ!! キャトル! アン! デュッ! トロワ!! キャトル!』
「表情が固いわよ! 常に見られていることを意識して笑顔、でもニコリとせずに薄く微笑むように!」
1周2キロのトラックを有する広大なグラウンドに、瑞々しく元気な声が響き渡る。華やかな銀鎧姿の令嬢騎士達が、寒空の下で訓練の真っ最中だった。
ラマシュトゥ師団は、総員100人超の集団だという。しかしグラウンドに出ているのは30人程度で、それが一際派手な装飾の軽鎧を纏ったゴージャスな銀髪令嬢の掛け声に合わせてレイピアを振るっていた。
振り下ろし、切り上げ、横薙ぎ、再度の切り上げ、そこまでを一連の動作とし、また振り下ろしからのループ。
意外なほどに統率が取れており、スクエアのステップとともに一致団結した剣舞は、なかなかに見応えがある。が、そこに戦術的な実用性は皆無だ。
「パレードの練習ですか?」
思えばもうすぐ新年だ。王都では年明けに盛大な祭りが催されるという。式典で行うパフォーマンスだろうと、シンクは考えたが。
「? いいえ、ただの素振りの訓練ですわ」
どうやらこれが、産廃どもの日常的な訓練風景らしい。
『アン! デュッ! トロワ!! キャトル!』
乾いた青空に良く響く掛け声。シンクは彼女達を眺めたままでルヴィへ次の質問を投げた。
「他の団員は? 別の場所で訓練中ですか?」
「いいえ。今日はオーランジュ様達の訓練日ですから、残りはお休みです」
「休み? ……オーランジュってのは、あの悪趣味な鎧の銀髪で?」
「そんな言い方はいけませんよ。あの方はオーランジュ公爵様の御息女であらせられます。ヴィステージ王家にも連なる名家ご出身なのです」
子供を嗜めるようなルヴィから顔を背け、号令を掛けている令嬢騎士へ目を向けた。
銀板に金細工というド派手な鎧を纏った銀髪ポニテの、二十歳前後の美人だ。凛々しい横顔にはメイクもバッチリ決められて、なるほど武装よりもドレスの方が似合っている。
一際目を引く深い蒼色のバレッタは、光沢からしてサファイアだろうか。アクセサリーか防具か判別しにくい。
「彼女は小隊長なのですか? その辺りの編成は未定、と聞いていましたが」
アンスリアムから事前に聞いた話では、分隊の配置が難航しているそうだった。まだ兵種も定まっていないのに、あそこの一帯にはまとまりがある。
答える間際のルヴィが、目に見えて動揺を見せる。
「……そういう訳ではありませんが、やはり高貴な家名の出身者が自然とイニシアチブを握るようになりますね。他にはブルーシエル侯爵令嬢とジョルヌ侯爵令嬢、ヴァイオラ伯爵令嬢が主だった中心人物です」
「師団長殿は?」
「あはは〜……わたしの実家は騎士爵ですから。一応、士官学校を卒業しはしましたから、アンスリアム様には命じて頂きましたけど、やっぱり家柄が低いとどうしても立場が……」
気不味そうに口籠ったルヴィが露骨に顔を背け、それを見てシンクは「なるほど」と悟る。
ようするに、ルヴィは団員の手綱を握れていないのだ。ナメられている、と言っても良い。
「そこっ! テンポがズレてるぞ!」
現にオーランジュ公爵令嬢は、横目ではルヴィとシンクの存在を認識しつつ、団員を叱責するのを優先している。それが訓練に身を入れているから……とかなら可愛気もあるが。
「……フン。次、フォーメーション・デルタ!」
虫でも見つけたような冷淡な視線からして、侮蔑の感情は明らかだ。その理由は……どうせ家柄とか社会的地位の劣る相手が、自分より上の立場であるのが気に食わないのだろう。
くだらない、とシンクは内心で吐き捨てて、弱々しく微笑むルヴィを睨みつけた。
「師団長殿、今すぐに団員全員をグラウンドに集合させてください。訓練は師団単位でスケジュールを揃えて行うのが軍規、勝手に休みなど取らせるのは越権行為です」
「え……っ!?」
「団員の練度にムラが出ては、作戦行動にも致命的な齟齬が出ます。分かったら集合を掛けてください。出来ないとは言いますまい?」
静かに語気を強めたシンクに、ルヴィはたじろぎながらも「すぐに」と本営の建物へ走っていった。