表通りの明るさには度肝を抜かれたが、路地を一つ、二つと奥へ進む度に、辺りは静けさが満たしていった。
人気の失せた汚い路地には、看板も無く何を取り扱っているのか分からない店と、頑丈な鉄製の戸板で塞がれた物々しい民家が交互に並ぶ。
街灯も古めかしくも一回り肥大化し、三本に一本が気怠そうに明滅している。六本に一本は暗いまま佇んでいた。
染み付いたゴミとタバコに混じるのは、シンクにとって馴染み深い臭いだ。
つまり、暴力と血の匂い。
かつての王都といえども、真に綺羅びやかなのは一部だけらしい。物騒なのは、どこも同じか。
「うへへへぇ♪」
とはいえ、一番物騒なのは間違いなく隣を歩くボニーなのだが。
薄明かりに照らされるシンクの横顔を、据わった眼で見上げている。鼻息も荒い。
「な、なに笑ってんだよ?」
「シンクはん、やっぱ男前やな〜って。うちの好みのどストライク♪」
「よせよ」
「たいそうモテるんやろな〜。さっきから、すれ違う男の視線を独り占めしてらっしゃいますもん」
「マジでよせ……」
勘弁してくれ、とシンクの口がへの字に歪む。
言われるまでもなく、道すがらの視線を独占していた自覚はあった。そのほとんどが男ばかりなのは悲しいところだ。
女性に間違われるのは日常茶飯事だし、本気で求婚してきた男も十指に余る。いつしか訂正するのも面倒になり、最近では態度でゴリ押しするようになっていった。
なのにラマシュトゥ師団の連中もガラの悪い女性と信じて疑わないのだから、外見からくる先入観とは恐ろしい、とつくづく思う。
「ま、ま、ええやろ別に。それよか、あすこが件の『サロン・ド・ミスティーク』どす。古式ゆかしい神秘主義者さんどもが管巻いとるとかで、この辺じゃ一番有名なお店やね」
「有名って、悪名じゃねえだろうな。今どき神秘主義って時点で胡散臭ぇ」
物理的にも嫌な臭いがし始めて、シンクの眉間に深いシワが刻まれる。
ボニーが神秘主義と呼んだ連中は、正しくは「神秘原理主義」として知られている。魔法や奇跡の解明を禁忌とし、謎を謎のまま残すべきという思想だ。
今でこそ生活や戦闘の中で当たり前に使われる魔法だが、魔剣が台頭する以前は神秘や奇跡の産物として扱われていた。人が触れてはならない領域、解明など以ての外、というのが彼らの言い分だ。
シンクには理解できない発想だ。便利なものはジャンジャン使うべきだし、使う以上は研究・研鑽は欠かせない。分からないままでいい、などと怠惰でいると、思わぬところで自分の首を絞めることにも繋がる。
自分の魔剣が水中に不適応だったり。
「店の評判なんかどーでもよろしおすえ。大事なんは——」
「ああ。ここに手掛かりがあるかどうか、だ。あんたの情報力についてもハッキリする」
「……うへへへ、お任せぇ♪」
なぜかやる気の増したボニーは、シンクの腕を引っ張って躊躇無く薄い戸板を押し開けた。
入店してすぐに、シンクは片手で鼻を塞いだ。
内装は何の変哲もない飲食店や酒場といった雰囲気だ。そこに甘ったるくもツンと鼻を刺す、薬湯めいた異臭が立ち込めていた。
照明の色味もドギツイ紫で、安らぎの空間からは程遠い。これでは食事も酒も進むまい。
それでも、そう広くもない店内には数人だが客の姿がある。いずれも照明の光に溶けるような、ダークな外套で顔まで隠し、タバコを燻らしながら小声で話し合っている。
テーブルに空のカップしか置かれていない辺り、やっぱり食欲は無さそうだが。
カウンターは入口から見えないような奥まった場所に設置され、スキンヘッドの屈強な店員が窮屈そうに収まっていた。
びっしり文字の印刷された、両手で広げる必要があるぐらい大きな紙を読むフリをしながら、意識はシンクとボニーに向いているのが察せられる。
「シンクはん、知っとる? あの大きな紙は
「そうかい」
新興の情報媒体に、少しばかりの興味を引かれつつ、店内をカウンターの方へ進んでいく。すれ違う客の視線が鬱陶しいが、全て無視だ。
「……ご注文は?」
「これ」
威圧的な店員に、シンクは父に託された紋章の写しを示めす。
「これ持って、ここに行けって言われたんだ。ルベルオルクっつーらしいけど、何なんだこれ?」
適当なカバーストーリーを演じながら、シンクは店員の表情や仕草を観察する。
店員は新聞を畳み、無表情で紋章を見つめた。やがてシンクの顔に視線を移し、くたびれた雰囲気で口を開いた。
「あんたが、エルフ族か?」
「は?」
脈絡のない意図不明な質問だ。シンクは思わず睨み返した。
エルフとは、150年前の魔族戦役で絶滅した少数民族だ。不老不死の肉体と、非常に見目麗しい容姿を持っていたそうだが、人間と対立して滅ぼされた。現代に残るのは資料としてだけだ。
シンクは自他ともに認める美形ではあるが、だからと言ってエルフ呼ばわりされたには始めてだった。
「どういう意味だよ?」
ぶっきらぼうに聞き返すも、店員は答えない。表情どころか瞬き一つしないまま、無骨な親指でカウンター横の薄汚れた扉を指した。
「突き当りを地下に降りて、また突き当りだ」
そう言うと再び新聞を広げ直し、それっきりシンクに対して興味すら示さなくなった。
「……どーも」
シンクも最低限の礼だけ述べて、壁と半分一体化したような、汚い扉に足を向けた。
その短い間に颯爽とドアノブに手を掛けるボニーの、小頭を掴んで引き留める。
「あや?」
「あんたはここで待機だ」
「えぇぇ〜? こんな胡乱なとこに子供独りで残すん? んな殺生な、誘拐されてまうよ〜」
「そんなことが出来るのは魔剣使いだけだ、気にするな。それに、あんたを完全に信用したわけじゃねーからな」
振り返ったボニーは、少しだけ不服そうに頬を膨らませた。すぐに肩を竦めて道を譲る。
「そないな眼で観られたら断れんわぁ。結構クールなんね、シンクはん。ますます好きやわぁ♪」
「……そりゃどーも」
どこまで本気か分からない、ボニーのニマニマした笑いを背に受けて、シンクは奥へと踏み込んでいった。
簡素な扉が等間隔に並んだ板張りの廊下には、例の臭いが一層強く染み付いていた。
強烈な薬草と、ゴミや生活の臭いが混ざった空気は、不快の一言につきる。さすがのシンクも、喉の奥から酸っぱいものが込み上げていた。
「掃除ぐらいしやがれ、クソが」
自然とシンクの言葉遣いも汚くなる。
階段室から地下に降り、衛生環境はますます悪化していく。
通路は非常に簡素で、突き当りに扉が一つあるだけだ。
床板のない打ちっぱなしのコンクリートは水捌けが悪く、溜まった汚水で川になっている。湿気も酷く、壁がくすんだ緑色でビッシリ覆い尽くされている。室温も上階より10℃は低い。
(こんな場所で楽しくお喋り? ……イカれてるぜ、おい……)
シンクは吐き気を堪えつつ、靴底に魔力を集束させた。汚水の表面を凍結させて滑り渡り、接触を最小限に抑えて進む。
自然の泥ならいざ知らず、人間の生活から出た下水なんて極力触れたくない。この場所から一刻も早く立ち去りたい気持ちが優ったシンクは、滑走の勢いに乗って正面の扉を強引に蹴り破った。
密閉された地下通路に、景気の良い破壊音が染み渡る。
「たのもーっ!」
「ゴブぅぅぅぅっ!?」
直後である。
運悪く扉の正面にいた小男に、戸板を砕くついでで蹴りを炸裂させてしまった。
安っぽい机を破壊しながら向かいの壁に叩きつけられ、力なく床へずり落ちていく。
「あ……わ、ワリィ、ごめん、だいじょぶ?」
咄嗟に謝ったものの、小男はとても大丈夫とは言えない有り様だ。靴の形に潰れた顔で、眼底と鼻と口から緑の血を流して気絶しているのだから。
「……ん? あ、え? なんだ、こいつ?」
その異様な血の色を見て冷静になったシンクは、さらに二人の小男が自分を睨んでいるのに気付く。
どちらも毛の抜けたサルのようで、緑の皮膚にデカい鼻、ひしゃげたアゴ、爬虫類と同じく虹彩が縦に割れた瞳という異形だ。ブサイクとか以前に、人類の顔形から大きくかけ離れていた。
短剣を手に殺気立ってはいるものの、やられた仲間の惨状に攻め込む決断が下せない様子だ。
だが、戸惑っているのはシンクも同じだ。
「……まさか、ゴブリン……か? 本物?」
絶滅したはずの魔物が、目の前で生きて動いている。博物館の標本や剥製でない、生きた個体など現存しないと思っていた。
「きったね、鼻くそついてる……」
だが、そんなものよりお気に入りのブーツに付着した汚物が気になって、シンクは凍結粉砕法による洗浄を優先させたのだった。