陰鬱で、異臭の漂う店内に、金属が木材を打つ鈍い音が規則的に響く。
「最悪。うちの飲めるもん置かれとらん。勉強不足やでマスター?」
カウンター席の天板に腰掛けたボニーが、酒棚を眺めて半笑いでぼやいた。右手に持った魔剣の柄頭で、カツンカツンと天板の表面を突く。さっきから響くノイズの正体だ。
店員は相変わらず新聞に目を落としたまま、微動だにしない。だが数少ない客には相当耳障りだったようで、全員が苛立たしくボニーを睨んでいた。
「けど。ラインナップ以上にこの臭い、嫌やわぁ。変わった趣味にも程があるんと違います? こんなんじゃ人間の客は近寄らへんわぁ」
さり気なさを装ったボニーの一言に、ようやく店員が顔を上げた。眉一つ動かず、瞬きもしない、彫像のような無表情。
仮面のようなその顔を、神速で振り上げられたボニーの魔剣が真っ二つにかち割った。
「けど、魔物には好きな臭いなんやねぇ。虫除けならぬ『人除け』のケムリ草、うへへへ」
割られた面が床に落ち、乾いた音を立ててバラバラに砕けた。本当にガラスや陶器に似た材質の仮面だったようだ。
当然、仮面の下には素顔がある。
濡れたような光沢を持つ緑の鱗に覆われ、耳まで裂けた口、黄色の虹彩と縦に裂けた瞳孔……爬虫類的な特徴を持つ怪物だ。
直前までニヤけていたボニーが眉を潜め、表情を険しくする。自宅の玄関先にゲロを吐かれたような、嫌悪と侮蔑を隠そうともしない。
「ちっ、トカゲか。肉が固くて不味いんよね」
「と、トカゲではない! 我らはリザードマン、始祖たる極竜に連なる偉大な種族だ!!」
「いや
険しい目付きのまま、口許だけを歪ませたボニーに、店員が牙を剥き出しに威嚇する。
続けて次々に席を立った店の客も、外套に隠していた爬虫類の素顔をさらけ出して、ボニーを囲むよう近づいてきた。
ボニーは周囲を一瞬だけ見回してから、店員の目を覗き込むようにしながら口を開いた。
「さっきのエルフがどうこうって質問、あれは何かの合言葉やろ? シンクはんが知らんようやったから、あんたは店の奥の仲間に合図を送った。怪しいやつが来た、殺せって感じで。そうやな?」
「な、なぜそれを!?」
「訊いてんのはこっちやで。ま、超音波ってぇの? 人の可聴域外の声で叫んどったけど、生憎とうちの耳は
褐色の左耳を指したボニーは、目も細めず、瞬きもしない。トカゲ男から僅かな表情の変化も見落とさぬよう、じっと見つめる。
「……お前も人外、なのか?」
「だから訊いてんのはこっち。あんたは大人しゅう答えてくれたらよろしおす。ほんなら怪我せんで済みますさかいな」
ボニーを囲んだ客のリザードマンは、いつでも彼女を取り押さえられる距離にある。
それを些かも意に介さず、ボニーは続けた。
「で、なんで合言葉がエルフやったん? あんたらの仲間かボスにでもおるん、エルフ族?」
「……だったらどうした?」
「否定せぇへんのね。こらようやく
振り向いたボニーの視線は、今まさに飛び掛かろうとするリザードマンの一体……ではなく、店の出入り口へ注がれる。
「……やっば」
顔色を変えたボニーが、予備動作も跳躍した、その直後。
入口方向にあった全ての壁が、戸板や窓ガラスごと木っ端微塵に吹き飛んだ。
寸前で天井に貼り付いたボニーの真下を、無数の気弾掃射が蹂躙する。
2秒か、3秒か。平坦に散らかされた店内には、緑の粘液に濡れた挽き肉が転がるだけとなっていた。
「チッ、掃除屋どもが」
青虫でも噛み締めた顔のボニーを余所に、すっかり開けた入口からゾロゾロと揃いの制服をまとった集団が押し寄せる。
細長い筒のような武器を油断なく構え、歩幅から互いの距離まで測ったように正確だ。
白を基調とした青いラインの走る詰め襟は、エクスカリバー公社保安部隊の軍服である。警察と軍を統合させた機能を持つ、正規軍人の証だ。
「全員、動くな!! ヴィステージ王国騎士団である! 貴様らは完全に包囲された、無駄な抵抗はするな!!」
痩せぎすで刈り上げたマッシュルームヘアの男性兵士が、グチャグチャになった店内に声を張り上げた。他の兵士よりも少しだけ階級が高いようで、襟章がちょっとだけ立派だ。
「コルツ君、我々は公社保安部隊だ。王国騎士団などと旧い名前を使うんじゃない。何度言ったら理解するのかね?」
その後ろから、もっと立派な軍服の男が歩み出る。コルツと呼ばれた下士官は敬礼を送った。
「はっ、中尉殿! 申し訳ございません!」
「隊長と呼べ、隊長と」
「はっ、隊長殿!」
イエスマンと呼ばれた士官は小さな溜め息を吐くと、殊更に大きな足音を立てて店内へと踏み込んでくる。
肩章付きの軍服の割にひょろりと痩身で、頬のコケた不健康そうな顔は血色も悪い。釣り上がった糸のような細目は、リザードマンよりも爬虫類的だった。
「……ふむ」
開いているかも疑わしい双眸で周囲を一瞥したイエスマンは、腰のホルスターに手を伸ばしつつ後ろの部下達へ振り返った。
「ジェズとコルツでこの場を確保。残りはビル内の捜索に当たれ。魔物は発見次第射殺、人間と……エルフがいたなら確保しろ。多少手荒でも構わん」
『はっ!』
(あん? またエルフ……? 博物館かいな、ここは?)
天井で息を殺し、成り行きを見送っていたボニーは、イエスマンの言葉に眉根を寄せる。今日はやたらと古のものに縁がある。
命令が下るや部隊は素早く行動に移り、あっという間に3人だけ残して奥へと突入していった。
それを見送ってから、イエスマン中尉が店内の中心まで歩み出る。
「さて。果たして君はどっちだ?」
(まず……っ!?)
そして無駄のない動作で、ホルスターからL字型の武器を引き抜いた。
筒状になった先端を天井のボニーへ向け、持ち手に付いた引き鉄を2回弾く。
飛び出す2発の気弾が天井を穿つ。
(バレとったか!)
残像が出る速度で初撃を回避したボニーだが、イエスマンもまたボニーの逃げる先を冷静に見極め、さらに引き鉄を弾いた。
壁や天井を高速で這うボニーは、気弾を回避しながら徐々にイエスマンとの間合いを詰めていく。
「女妖め! 隊長はやらせん!」
「ちっ」
突如としてコルツが射線上に割り込み、男性士官は武器を上向かせた。
ボニーを叩き潰そうと、コルツは黒い棒状の武器を振り上げた。
「邪魔」
「ふごっ!?」
だが逆にボニーのハイキックを首に受けてしまい、コルツの方が宙を舞った。
さらに追撃で側頭部にダブルハンマーまで喰らったコルツは、イエスマンによって面倒くさげに脇へと払い除けられた。
「ええ部下やね」
押し付けたコルツを盾代わり兼踏み台にしてイエスマンを跳び超えていたボニーは、彼の背後に着地するや一直線に出口へと駆けた。
その進路が、もう一人の残っていた兵士によって塞がれた。
ジェズと呼ばれた大柄の兵卒だ。
「あんたも邪魔!」
直進の勢いに乗って飛び掛かったボニーは、空中で縦一回転を加えつつ踵を振り下ろし、ジェズの右肩の付け根を正確に打ち据えた。
「んなッ、硬っ!?」
瞬間、鋼の塊を打ったに等しい足応えを覚え、ボニーは顔を引きつらせる。
冷たい目をした青年兵士ジェズは、ボニーが動きを止めたその一瞬に、彼女の顔面を掴んでいた。
力任せに振り回し、床に向かって雑に叩きつける。
建物全体が揺れるほどの激震が走った。
「あぐぁっ!!」
ボニーの小さな身体が、床板を陥没させる衝撃を受けて跳ね返った。
さらなる追い打ちでジェズの蹴りまでが炸裂、斜め上方向へ射出も同然に飛ばされた。
天井で一度バウンドしても勢いは止まらず、そのまま壁に衝突。止まるどころか突き破って屋外にまで転がり出されてしまった。
「げ、ガフッ、……え、えげつないこと、しはります、なぁ……い、いつつつ」
口から血と一緒に軽口も流したボニーだが、立ち上がろうとして力が入らず地面で項垂れる。気絶こそしていないが、身体が言うことを聞かない。
「お怪我はありませんか、イエスマン隊長?」
既にジェズの意識に倒したボニーはおらず、上官の安否にのみ向いている。ついでにコルツも気にされていない。
ジェズは酷く冷静で感情の抑えられた声と同じく表情も固いが、なかなかのハンサムだ。堀の深い目鼻立ち、髪と同じネイビーブルーの眼は力強く、手足の長い恵まれた体躯には過不足ない筋肉が積載されている。
「問題ない。私には良い部下がいるからな。で、その子供は?」
「ただの人間です」
「なら捨てておけ。君の蹴りを受けて意識があるほど頑丈なら死にはせん」
イエスマン中尉は武器をホルスターに戻すと、ただ一つ無事だった椅子を直して腰掛けた。
その真下の床が唐突に爆裂し、打ち上げられたイエスマン中尉の七三分け頭が天井に突き刺さったのは、ほとんど同時の出来事だった。