脳天から血を流すイエスマン中尉が床に落ちてくる、そのすぐ横では、抉じ開けられた床の穴から人間が飛び出してきた。
薄紅色のセミロングヘアを靡かせる、美しい女だ。その突如として現れたその姿を一目見たジェズ・コーラル伍長は、これまでに経験したことのない胸のざわめきを覚えた。
こちらをまるで見ていない横顔は、完成された一つの芸術だ。色んな意味でメチャクチャになった店内においては、まさに掃き溜めに鶴。輝くばかりの美貌である。……少なくとも、ジェズの視線ではそう見えた。
背丈は小柄ではないが飛び抜けた長身でもなく、服装も日中の表通りになら馴染むであろう控えめな外出着だ。しかし
そう。例え血に濡れた兵士二人を両脇に抱えていたとしても。……ジェズは本気でそう思った。
「うへぇ、上もひっでえの。ほら、お前らもさっさと上がって来い。そんで、どこへなりとも行っちまえ」
謎の美女は、絶世の美貌を台無しにするようなガラの悪い口調で穴の下へと呼び掛け、ついでに兵士達を床に転がした。集積所にゴミを投げるような雑さだが、完全に気を失っている兵士達からは呻き声すら出ない。
「ふぅ、死ぬかと思ったぜ」
「助かった、恩に着るぜ!」
「うっわ、リザードの旦那方は全滅かよ。くわばら、くわばら」
絶世の美女の次は醜く顔の歪んだ小鬼が三匹連れ添って這い出し、女に礼を述べながらそそくさと逃げ去ろうとする。
そこで我に返ったジェズは、先の命令を思い出してホルスターからL字の無骨な武器を抜き、躊躇なく引き鉄を弾いた。
「危ねえ!」
筒状の先端から放たれた気弾は、射線上に割り込んだ美女が拳で弾き飛ばし、軌道が逸れて明後日の方向へ飛んでいく。
「ひ、ひぃ! 撃ってきたぞ!!」
「チャカの相手は御免だ! 旦那、任せるぜ!」
「ヒーハー!」
愉快に喧しく、そして台所の平べったい害虫にも等しい敏捷性で、小鬼達の姿はあっという間に夜の路地裏に消えていった。
残った女はジェズと対峙しながら、血の滴る拳を開いて気怠そうに振るった。
「それが『銃』ってやつか。辺境じゃ見ねえ武器だが、シャレんならねえ威力だぜ。へへへっ」
女は感嘆しながらも油断なく、ジェズの小さな隙すら見逃す気配がない。
銃とは、使用者の内在魔力を自動で気弾に変換して撃ち出す、近年発明された新機軸の武器だ。
破壊力こそ魔剣と比べるべくもないが、威力と汎用性を兼ね備え、少々の訓練で素人でも戦闘員と遜色ない攻撃力を得られる。
辺境での普及率は全然だが、都市部の保安部隊には既に正式配備が行き届き、治安維持に一役も二役も買っていた。
見るのは初めてと嘯く女だが、銃口と引き鉄に掛かったジェズの指を特に警戒している辺り、交戦における知識はあるのだろう。
「君は傭兵、なのか?」
戦術や戦闘センスから、直感的にそう考えた。
尋ねたジェズに、女の口角が歪む。凄みのある獰猛な笑顔だ。魅力よりも威圧が勝り、せっかくの美貌も恐怖を助長するだけだった。
「通りすがりだよ」
「なぜゴブリンを逃がした? あれは魔物だ」
「質問に答える代わりに見逃しただけだ。そう大した理由じゃねーよ」
「何を聞いた?」
「あんたに教える義務はねー」
突き放す言葉を投げつけた女の視線が、一瞬だけ脇に逸れた。
刹那、ジェズは相手との間合いを一足跳びに詰め、銃底を使って殴りかかる。いくら美人でも、人間は確保せよとの命令だ。
「おっと!」
だが女の反応はジェズの予想より素早く、手首を手刀で打ち据えられ、銃まで弾き飛ばされてしまった。
続けて放たれる右脇腹への回し蹴り。
ジェズがそれを掴んで受け止めたるも、直後に女が残った片足で跳躍し、左側頭部を狙うハイキックを放った。
爪先がこめかみを捉える寸前、ギリギリで身を反らせて紙一重で回避する。
相手のバランスが崩れたところで、掴んだままだった足を持ち手に、女の体を持ち上げる——、
「おわぁっ!?」
否。力任せに振り回した。手首のスナップを利かせるように、連続で天井と床に叩きつける。
「うおっ!? とぅあ! つぁーっ!!」
床板も天井も抉れるほどのパワーだが、謎の掛け声を繰り返す女には、かなりの余裕がある。やけに軽い手応えからも、衝撃を上手く逃されているのが伝わっていた。
「いい加減に、し・や・が・れッ!!」
あまつさえ、いつの間にやら女の手には、ジェズが落とした銃が握られている。
ジェズは咄嗟に女を放り捨てた。
空中でくるりと反転した女は、逆さまの状態で器用にバランスを取り、大雑把な照準で引き鉄を弾く。
カチン
乾いた音を響かせ、そよ風のような気弾がジェズの頬を撫でた。
「……あれ?」
女は着地してすぐ、銃の状態を調べ始めた。
初めて見ると言ったにしては、手付きに迷いがない。安全装置を掛け直して、グリップからカートリッジを抜く。
地球における
そこに異常がないことを確認した女は、改めてカートリッジを装填し直し、その辺の床を目掛けて発砲した。
やはり乾いた音と、生きを吹き掛けたような微風しか出なかった。
「無駄だ。その銃は俺用に最適化されている。他人には撃てん」
「そういうことかよ。ちっ」
ジェズの忠告に、銃への興味を失った女は、自身が空けた床の穴へ放り捨ててしまった。
お気に入りの装備を雑に扱われ、ジェズの表情も自然と真顔になっていく。
「へっ。ようやく本気になったかよ、兄ちゃん」
女もまた、軽口を叩きながらもニヤケ笑いが消えていく。
両者の間の空気が急速に張り詰め、今にも発火しそうな高熱を帯びていく。
久し振りに楽しめそうだ。さっきまでとは違う、猛人としての高鳴りに身を委ね、本命の武器に手を伸ばす。
「ジェズ、私は捕らえろと命じたんだ。殺す気で戦ってどうする?」
「はっ!? た、隊長! ご無事でしたか!」
一触即発の状況に水を差したのは、イエスマン中尉だった。脳天から血を流しながらも、しっかりと地に足をつけて女を見据える。
女も中尉の迫力……というより怪我の深刻さに戦闘意欲が削れたようで、心配そうに眉をひそめた。
「おたく、頭大丈夫?」
「それはこちらのセリフだ、麗しいレディ。部下の非礼は詫びるが、嬉々として保安部隊に殴りかかるのは正気の沙汰ではない。アンスリアムにも不利益が掛かるぞ、シンク・ストレイド準騎士殿?」
「…………、へぇ?」
にへら、と女は口許が軽薄に歪ませ、戦いの構えを完全に解いた。
その目が一度だけ、壁に穿たれた穴の先へ向けられる。褐色肌の子供が転がっていた路地には、僅かな瓦礫だけが遺されていた。