翌日。早朝0500時頃。
ラマシュトゥ基地において、すっかりお馴染みとなったシンクの気弾の爆発音が響き渡る。
時報というほど正確ではないが、おおよその時間を報せる鐘のようなものだ。しかし今朝は、いつもより時間が早い。
「い、いきなり撃つなんて酷いですわ……」
集合時間の10分前にグラウンドへ姿を表した直後、ソニアは飛んできた気弾で吹き飛ばされた。
煤でブロンドヘアを汚されて倒れ込んだまま、ソニアは恨みがましくシンクを見上げる。赤地に金糸のジャケットと、同じく金の肩当てのあしらわれた白マントが、無残にも黒焦げだ。
もっとも、その綺羅びやかな装いが爆撃された理由だったのだが。
「なんで式典でもねえのに礼服なんだよ!? 団の戦闘服はどうした!」
「が、外部の方との顔合わせでしたら、正装で出迎えるが道理かと……」
「作戦行動中は原則制服だっつったよな、おい!?」
明後日の方向に張り切りすぎだ。昨夜の時点では戦闘服の用意をしていたのに。シンクは思わず、ちゃんと戦闘服で待機しているヨルドを見遣った。
右の頬に貼られた大きな絆創膏が痛々しいが、表情や立ち姿は静かで落ち着いている。
「どうして
「さあ? 私とてソニア様の全てを把握しているわけではありませんので」
「……なんかあったの?」
ヨルドは短く「特に」とだけ答え、直立不動で指示を待っていた。
昨日までのヨルドは、元従者として元主人であるソニアの世話やケアに積極的だった。それこそ、おはようからおやすみまで。他の元従者な令嬢騎士の中でも、特に世話焼きなタイプだった。
そのヨルドが、一転して随分と突き放す態度になったものだ。
(確かに『甘やかすな』っつったのは俺なんだが、こうも極端に態度が変わるってなると……やっぱり
『アレ』というのは、昨晩の見回り中に遭遇した一件のことだ。
バゲージカートに山盛りとなった菓子の処理方法に頭を悩ましていたシンクの耳が、思い何かが倒れる不穏な音を聴き取った。
シンクにとっては馴染み深い、殴られた人間が倒れた時の音だった。
(おっ、喧嘩か?)
ついつい野次馬根性の方が先に立ったシンクは、足音と気配を消し、さらにはカートの車輪の音すら立てずに現場まで急行した。
廊下の曲がり角に身を潜め、息を殺して様子を伺う。
そこにはヨルド独り、壁をじーっと見たまま立ち尽くしていた。微動だにしない後ろ姿は不気味だ。
たまに猫が部屋の隅でああしているな、とシンクは思った。
「もう消灯時間だぞ〜」
話し掛けた途端に襲ってこないだろうか、などと警戒しつつも、シンクは小さく映る背中に呼びかける。
緩慢に振り返ったヨルドは、まるで知らない相手と相対したかのように首を傾げた。
その右頬が、一目で叩かれたと分かるぐらいに赤く腫れていた。
「……あ、教官」
寝起きの子供のようなはっきりしない口調のヨルドが、シンクを認めると反射的に腫れた頬を片手で庇った。
「喧嘩か? 団員同士の私闘は感心せんな。俺か師団長殿を間に挟め」
「それじゃ決闘じゃないですか」
「決闘なら遠慮なく相手を叩きのめせるだろうが。お前らは遠慮し過ぎなんだよ」
敢えて主語を欠いての質問で、彼女は
「教官、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「相手の目ぇ見て喋れよ……」
「明日からの選抜隊、私が班長だと伺いました」
「選抜隊ぃ?」
突然何を言い出すんだ、と思わず顔が険しくなる。まるでエリートかのような物言いをするので、出向組のことだとすぐには気付けなかった。
ヨルドは平然と、というよりシンクの顔を見ないまま話を続ける。
「指名したのは教官なのですよね。……どうして私なのですか?」
「あのデカブツ、なに勝手に喋りやがってんだ……」
「お答えください、教官」
緊張で強張ったヨルドは、表情とは裏腹に視線がいまいち定まらないままだ。対面するシンクの向こうに、何かを見ていた。
「消去法でお前が一番
「だ、だったらソニア様でもよかっ――」
「話を聞け。お前以外がまともじゃないからお前を選んだってことだぞ、ヨルド」
冷たく名前を呼んで、ようやくヨルドの焦点がシンクに重なった。
かち合った視線に気圧されたのか、ヨルドの肩が震え、片足も引き下がる。
「逆に訊きたい。お前ら、一体いつまで自分が貴族だって妄想を続けるんだ?」
言葉選びは辛辣に。慮る雰囲気を出さず、突き刺すようにシンクは続けた。
「令嬢騎士なんてアンスリアムは嘯くがな。ラマシュトゥの実体なんて、実家ですら邪魔になった無職女の吹き溜まりだ」
「そ、んなことは……っ!!」
「お前はそこんところを理解してる。まともっつったのはそれよ。現実をきちんと正しく把握するってのは、兵士にとっちゃ最低限の心構えだ。楽観的なヤツから死んでいく」
淡々とシンクが紡ぐ言葉は、かつて父から聞かされた訓示だ。同時に、死ぬ思いとともに刻みつけられた経験でもある。
「俺には貴族の価値観なんて分からねえが、別に知る必要もねえと考えてる。何故なら全部過去の遺物だからだ。考古学や歴史の分野に興味はない」
「…………っ」
ヨルドの顔が瞬時に色を失った。視線もシンクから背ける。
その先にあったのは、漆黒の闇夜を望む窓だった。鏡も同然のガラス面に反射した、自分の視線に晒されて、ヨルドは何を思ったか。
「現実として、お前らは実家からここに投棄された。貴族ってのは家柄なんだろ? その家を失ったお前らが、いつまでも貴族のブランドに拘ってる。滑稽だし憐れだし情けなくて羞恥心すら覚えるよ。お前は、どうなんだ?」
俯いたヨルドの口が開きかけるも、言葉が紡がれることはなかった。
その半開きの口に適当な菓子を一つ咥えさせたシンクは、無言でその場を後にする。まだ今夜中に見回る箇所が残っているのだ。
最後にふと、そういえば顔の腫れについて聞くのを忘れたと振り返るも、既にヨルドの姿は失せていた。
(まータイミングからしてソニアにでも殴られたんだろうがな。『あなた如き下級貴族が、わたしに命令するつもりなの!?』って目くじら立ててる姿が浮かぶ浮かぶ)
ここから双方の依存状態が改善すれば幸いだが、人間そう簡単に性根が叩き直せたら苦労はない。
黒焦げのソニアは不承不承な顔で着替えに戻っていったが、敢えてなのかヨルドに視線を向けることは一度もなかった。
「お姫様の道楽も、舞台裏では苦労が耐えないご様子で」
リノの嫌味が耳に痛い。
「すみません、グダグダで……」
「お構いなく。局長からも直々に『息抜きのつもりで』と賜っていますから」
「ほんっとすみません……」
謝る以外にないシンクは、グラウンドのレーンに折り重なる肉どもへ振り返った。
昨夜の見回りで規則違反を見咎め、ランニングを命じた一団のうち、走りきれなかった者達である。
その平均身長159センチ、平均体重88キロが地べたで気絶している。もしくは不貞寝か。
悲しいのは出向組の残り3体も、折り重なった肉に含まれていることである。翌朝が早いので5周に負けておいてなお、完走は無理だった。
「バーベキューにしても低品質ではありませんか、あの肉ども?」
リノ一等兵の本気とも冗談とも取れる冷ややかな言葉と、もっと冷たい視線が背中に刺さる。言外の感情が多すぎて読み取れず、怖くて振り返れなかった。