同日、22時――。
魔力灯のネオン輝く中心街とは打って変わって、旧市街地の夜は昏く静かだ。
今夜のように月が陰ると、陰虫の声すらしない完全な闇に包まれる。
そんな暗闇の中では、か細いカンテラ型のエナジーライトは嫌でも目立つ。三つも並べばなおさらだ。
「ぐふふっ、上手くいきましたねカタラーナ様?」
「裏口に見張りが誰もいなかったのはラッキーでしたね」
甲高くて粘っこい含み笑いがする。
息を殺して移動していく巨体の一団は、カタラーナを先頭にシフォン、タルトの令嬢騎士三人だ。
巨体が唸れば空気が震え、足音はドスドスと響かせて、それでも本人達は忍び足のつもりなのだ。
調理場にあった勝手口からキャンプを脱出した三人が目指す先は、屋根越しにも見えている空の街明かりだ。
外出禁止を破ってまで、なぜ彼女達は繁華街を目指すのか。
「あ、あたくし達にあーんな重労働をさせておいて、あんな粗食を振る舞うだなんて! この部隊の兵士達は、あたくし達を飢え死にさせるつもりに違いありませんわ!」
三人の腹の虫が泣き喚き、頭の中は飢えを満たすことでいっぱいだ。
ここが未明の荒野や、深い森であったら諦めもついたかもしれない。だが居住地区でなくとも市街地で、多少歩けば夜でも営業中の店舗がある旧市街地では、自制心も働かない。
タイミングよくソニアとヨルドの姿も部屋になく、すれ違った兵士も雑な敬礼をするだけで、彼女達を興味無さげに見送った。抜け出すのは簡単だった。
「カタラーナ様、食後は馬車をつかまえて基地に戻りましょう!」
「アンスリアム様に嘆願するんです、この不当な扱いを改善してもらいましょう!」
「そのつもりです! 我がブリスティン家の栄光が理解できない、あのチビに目にもの見せて――」
「チビってーのは、私のことっすよね。いい度胸です、従士ども」
順調に目的地を目指していたと思っていた矢先。カタラーナは前方からの声に肩を竦ませ、足を止めた。背中にぶつかったシフォンが、さらに後ろのタルトを巻き込んで転ぶのも意識に入らない。
カチン、と金属同士がぶつかった小さな音が響く。建物の二階程度の高さに光の塊が打ち上がり、周囲の闇を蹴散らした。
リボルバーを構えたリノは、仮面のごとき澄んだ表情でカタラーナ達の前に立ち塞がった。
「正直、お前らが消えようがどーだっていいんすよ。けど後輩も部隊にいる手前、みすみす脱走を許すわけにもいかないのです」
「だ、脱走? お、大袈裟ですわ! あたくし達は――」
「『出るな』って言われた時間と場所から無断で離れたら、それは脱走なんですよ。軍規の講習すらしてないんですか、ラマなんとか師団は?」
銃口を突きつけたまま、リノは撃鉄を起こした。
「さ、夜のお散歩はおしまいです。回れ右して自分の“豚舎“へどうぞ」
「とっ、豚舎ですって!? 今すぐ取り消しなさい!! あたくしは――ひっ!!」
カタラーナに留まらず、後ろの二人までが一斉に息を詰まらせる。
リノは特別、何かアクションを起こした訳ではなかった。
銃口こそ向けているが、引き鉄に指を掛けてもいない。無表情なのも変わらない。
「じゃあ『処分』ですね。まったく、どーして私が外様の為に汚れ役なんか」
軽い口振りは、あたかも「部屋の掃除を押し付けられた」程度の含みだったが、リノの本気を伝えるには充分すぎた。
「あっ、ま! 待って――」
カタラーナが命乞いか、もしくは反省を口にしようとするが、全ては手遅れだ。
金属同士が噛み合うカチンと甲高い音が無数に響く。
「!? 走れっ!!」
悲鳴に近いリノの叫びに、令嬢騎士の誰かが反応する寸前。
明滅する無数の光が、耳を裂く破裂音をともなって路地の暗黒を食い破った。
「――ん?」
同時刻。
遠くの空から届いた銃声の方向に、シンクは振り返った。
それこそ何十発という一斉射撃は、キャンプの辺りで巻き起こっている。
時間にして数秒。それが過ぎると、夜の街は再び静寂の闇に覆われた。
(まあいいか)
今から戻っても時間の無駄にしかならないと判断したシンクは、先へ進むのを優先して正面の扉に向き直った。
現在地点は、イエスマン中隊の作戦行動範囲から大きく外れている。ボニーのレポートにも乗っていなかった、旧市街地の外れも外れに取り残された廃ビルの屋上だ。
年季を感じさせる風化した外壁は、一部中の鉄筋が剥き出しで、内部の床には埃が層となっていた。手入れどころか人の立ち入った形跡すらみられない。
それでも屋上の床がしっかり残っており、各フロアの壁も8割残っているだけマシだ。シンクが屋上に飛び移るべく利用した隣のビルは、錆びた鉄筋の骨組みだけが傾いて放置されている。
おそらく建てられたのは、「統一できなかった戦争」後の再開発が始まった当初だろう。
(こういう『何もない』ってところが、当たりだったりするんだよな)
頭の中で広げた地図と、ボニーのレポートで上げられた建物の位置、保安部隊による調査が終わった箇所、今日自分の目で確かめた地点、それらの情報を重ねていく。
その結果。シンクの現在地から半径50メートルだけ、不自然なまでに調査対象から外れていたのだ。
そこだけ何もない真空であるかのように。
シンクの知らない情報があって、調べる価値もないと判断された可能性もある。それならそれで「やっぱり何も無かった」という、一つの調査結果を得られる。
施錠されたドアノブを握りしめたシンクは、内鍵もろとも捻り壊し、強引に内部へ突入した。
その第一歩と同時に。
「あら?」
シンクが踏みしめた階段の踊り場が、周囲の階段もろともすっぽり抜け落ちた。
コンクリート片ともに、真下の階へ真っ逆さまだ。
「よっと! あ、おああぁっ!?」
上手く着地を決め、安心したのも束の間。
シンクの足元を中心に、さらなる崩落が始まった。
床だけでなく、壁も天井も、内側に折り畳まれるよう倒壊していく。
「あわわわわっ!?」
さらに落ちていった下の階には、すでに着地するべき床が無く、そのまま1階まで到達してしまう。
「まずっ!?」
上方を確認する余裕はない。地上4フロア分の瓦礫が、音を立てて降り注いでくる真っ最中なのだから。
だというのに、踏み出した足が空を切る。
一階の床までが、既に崩壊を初めていた。
抜けた床の先には、何もない。
「嘘おぉぉぉっ!?」
暗くて視えないのではなく、噴き上がってくる生臭い風が、否応無く奈落の深さを思い知らせてくる。
シンクは知らなかったが。
この周囲一帯は地盤が極めて脆くなっており、近づくだけでも危険との判断で放置された区画だった。
かつて運河の支流だったところを埋め立てたので、長年の浸食で地盤がユルユルのガタガタなのだ。ちょっとした振動で大規模な崩落が起きそうだと、注意が促されていた。
知識がないというのは、それだけで大変なリスクを負う。
新人もベテランも、そこに違いはないのである。